刎頸か不倶戴天か
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しばらく荒い呼吸を繰り返していた咲耶は、ようやくにして全身に酸素が行き渡ったような感覚を覚えて、少し息を整えて視線を辺りに巡らせた。 須佐之男の拘束から逃れてからこちら、息苦しさから逃れることに必死で周りの状況を掴めていなかったからだ。 どうやら須佐之男のあの、まがまがしい気配は消えているようだが、それとは別の氷のような冷たさを感じる気配があることに気がつき、そちらに視線を向ける。 そこに立っていたのは、あの鳥居で出会った女の姿だった。 あのときと変わらぬ、タンザナイトの色合いを宿す瞳は、無表情なまま床にうずくまる咲耶を見下ろすように向けられ、形の良い唇はきつく結ばれて一言も発してはいない。 あのときは黒いドレス姿だったが、今は着物のようにも巫女装束のようにも見える、風変わりな服装を身にまとって居る。 「守藤……いえ、高野宮咲耶。私は貴方が嫌いです」 今日は良い天気ですねと、顔見知り程度の人に話しかけるような、感情のこもらない声でクシナダが言う。 「気が合うわね、私も貴方のことが嫌いよ」 追い詰められている状況は変わらないが、須佐之男がいないことで少し気持ちを持ち直したのか、元来の気の強さが姿を現して、咲耶はクシナダをにらみつけてそう言い返す。 「須佐之男さまが、居ないと解った途端にキャンキャンとよく吠える犬ですね……。器が知れますよ」 言葉自体はひどく皮肉めいていて、或いは揶揄や侮蔑の意味合いすら感じられるが、やはり全く感情を感じることの無い口調でクシナダはいい、3歩ほど咲耶に向かって歩を進める。 その行動に警戒心をかき立てられたのか、咲耶はフラつきながらも立ち上がり、無手で身構えてクシナダの動きを注視する。 「たかが……人が神たる我に、無手であらがおうと? 愚かしいことです」 咲耶の行動をちらと見て、クシナダは淡々とそう言い、咲耶の動きを制するかのように右手をまっすぐに差し出してその行動を諫める。 まて……とでも言うように、無防備にてのひらをこちらに向けて居るクシナダを見て、咲耶はゆっくりと胸の前で構えていた両腕を下ろす。 「意図を理解してもらえるとは……なるほど、思ったよりは愚かでは無い様子」 「……馬鹿にしているの……かしら」 クシナダが独り言めいた言葉を発したのだが、その言葉が咲耶の感情を逆なでしたのだろうか、食ってかかるような口調で咲耶はクシナダに言い返す。 「神社でお会いしたときは、何も考えず感情のままに私に向かってきた人が、今は冷静に状況を見ている。感心したのですけどね……気分を害したのかしらね」 やはり平坦な言葉なのだが、クシナダの唇が僅かに緩む。 笑っているのだと、少ししてから咲耶は理解した。 「貴方は……とても感情が強い女性に見える。なのになぜそんなに感情を抑え込んでいるの」 クシナダの一連の行動や仕草を見て感じた疑問を、素直に口にする。 その時、ほんの僅かだがクシナダの目が僅かに見開かれ、眉が少しだけ上がる。 なぜ解ったの……とでも問い返すように。 「質問しているのはこっち……答えて」 クシナダの言葉無き問いかけに、咲耶はぴしゃりと言い返す。 二人の視線がしばらくの間交差し合っていたが、やがてクシナダが小さなため息を一つ吐くと、視線をそらす。 「貴方の言うとおり、私は情が強い女。それ故に須佐之男さまを愛する心が強くなりすぎて、それは任務の実行や世界の統治に悪影響を及ぼす……故にあの方と二人きりの時以外は、こうして感情を封じ込めている……のよ」 「やり過ぎ……ね。まぁ私も人のことは言えないけどね」 苦笑交じりに咲耶。 智春と出会うまでの、名家のご令嬢たらんと自分を封じ込めた日々が脳裏をよぎる。 おじいさまに甘えることもできず、父に会うこともできず、だけどその感情をあらわにすることも許されず。 ただただ理性で、吐き出したい全てを押さえ込んでいたあの頃の私は、彼女と同じだったのかもしれない。 ただ智春に出会い、赦され、解放され、ようやく自分を取り戻せただけだ。 そう思うと、不思議と目の前の憎かったはずの女に、少しだけ親近感がわく。 「「貴方と私は……もしかしたら、似ているのかもしれない」」 期せずして二人の言葉が重なる。 あまりの偶然に二人はきょとんとした顔を向き合わせて固まり、しばしの後に苦笑じみた笑いを浮かべる。 「そうね……出会い方が、立場が、境遇が……違っていたなら、姉妹にも親友にもなれたかもしれない……」 少しだけ感情の乗った、ささやくような声でクシナダが漏らす。 咲耶は言葉に出さず、小さく頷く。 「でも……立場が違う。貴方は私への仕置きを任されているし、私にとっての貴方は家を滅ぼした敵よ」 どこか諦観の混じった、言葉の割に怒気のこもっていない声で咲耶は答えた。 「そう……ね。私たちは敵同士。なれ合うわけにはいかない……」 ようやく戻りかけた感情が、再び平坦になった声で返すクシナダ。 クシナダのまとう空気が変化したことを感じて、咲耶は叶わぬまでも一矢報いるべく身構える。 そんな決死の覚悟の咲耶を、覚めた目で見つめていたクシナダは、少し思案げに顎にその細い指を当て、軽く目を閉じる。 その行動の意味することが解らず、咲耶もまた動くことができず、注意深くクシナダを見つめる。 「……貴方は……神の定義をご存じ?」 1~2分、静かに考え込んでいたクシナダが不意に口を開く。 その質問の意味するところが解らず、咲耶は無言のまま目だけで問い返す。 「どうせ私たちは……仲間、味方にはなれぬ関係。でも、なぜ争うことになったのか、その理由は知っておくべきだわ。不快で長い話になるけれど、貴方に聞く意思があるなら……語るわ」 貴方……と言う言葉の部分に少しだけ力を込め、長い人差し指をまっすぐに咲耶に向けて指したまま、クシナダはそう言う。 何を考えているのか掴めない、タンザナイト色の瞳で、人差し指と同じくまっすぐな瞳で咲耶を見つめる。 神の定義……神など人間の空想の産物が生み出したモノであり、ただの自然現象。 今まではずっとそう思っていた。 しかし美月や陽女、そしてクシナダや須佐之男に出会い、黄泉坂祭から続く因縁を知り、今ではそう思えなくなっていた咲耶は、神の定義と言う言葉にひどく惹かれるモノを感じた。 そこにこの因縁の、因果のヒントがあるかも知れない……とそう感じたのだ。 だから咲耶はゆっくりと構えを解いて、無防備な状態になった後、口を開く。 「聞かせて……私たちの因縁の端緒を。全ての始まりのそのきっかけを」 力のこもったまっすぐでぶれない瞳でクシナダを見る。 その咲耶の姿に、そこに込められた意思のまっすぐさに、解らぬほど小さく唇の端をつり上げクシナダは薄く笑う。 「聞かせてあげましょう……我々がなぜ神と呼ばれるの。神とは何なのか……私の知る限りを」
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