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暗く深く沈む心

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 私は何をしているのだろうか。  灯りのない部屋、2つ並べて敷かれている寝具の片方に、座ったまま考える。  目の前、もう1つの寝具には、苦悶の表情を浮かべてうなされている愛おしい人の姿がある。  この世で最も愛し、身も心も捧げたいと思う相手が苦しんでいるのに、私は何も出来ない。  その事実が私を追い詰める。  私は妹を失った。  そして妹を失う事により、愛する人を苦しめた。  私は壊れているのだろうかと、自問してみる。    自分自身の魂の半分ともいうべき双子の妹を見殺し、妹を愛し尽くしていたこの人をこれほどまでに苦しめているのに、これは仕方のない事だとどこかで思っている自分に恐怖する。 「日和媛ひわひめか、なれば、もう既に燈月媛ひづきひめは」 「左様にございます、もはやくつがえりませぬ……」 「何としてもか。我が申してもか……」 「はい、もう何も変わることはありませぬ。成れば……」    あのときのやり取りが思い出される。  そう、黄泉坂祭の儀式の最後、虚入之宴うろいりのうたげの出来事。    虚入之宴うろいりのうたげ。    契人ちぎりびととなった者が、虚の神への祈りを捧げ、祝詞のりとと共に神楽舞かぐらまいをひとさし舞う。  そして主役が今生の杯を飲み干して、その縁を杯に重ねて割る事で締めとする儀式。  宴の締めが終わると、契人は虚と呼ばれる祭壇に閉じ込められる。  まさしく言葉の通り閉じ込められる。  入り口は煮えた鉄で隙間なく塞がれ、何人たりとも開ける事はかなわない。  それは中からも外からもである。  つまり契人、私の妹にしてあの人の妻だった燈月媛は、この世と完全に隔絶した場所に、永久とこしえに閉じ込められる事になるのだった。  村を安寧にするため、あらゆる災禍から村を守るため。  その儀式のために私の妹は、あの人の最愛の人は虚の神への供物くもつとされた。    代々宮司の家系に生まれ、教育されたあの人は懊悩の末に苦しみながらも儀式を取り仕切り黄泉坂祭を完成させた。  しかし、そこがあの人の心の限界だった。  あの人はあの日から、黄泉坂祭の日から、生きる気力をすべて失った。  ただ息をしているだけの日々を送っていた。  黄泉坂祭にはいくつかの段階があった。  まず私や妹の生まれた守藤家、この家には代々双子が生まれる。  この双子と宮司の家系の子をそれぞれ側仕そばづかえ主役あるじやくとする。  そして側仕と主役を祭が始まる前に、芦原殿あしはらでんという場所に住まわせ、本祭の前に側仕の片方と主役が契りを結んで夫婦となる。  これが契人となり、本祭で虚の神への供物となる。  そして契人にならなかった、もう一人の側仕は、主役が死ぬその時まで側に仕え続ける。  特に制約があるわけではなく、主役が望むならば、残された側仕と婚姻することも出来るのだが、今まで残された側仕と主役が夫婦となったという話は一度としてない。  そう、一度としてないのだ。  だから私は今までずっと清らかな乙女のまま生涯を終えている。  一度として主役に抱かれた事などなかった。  それはいい、それも運命だと思っているし、側であの人が生きているのを見るだけで、そして体は繋がらなくても、男女の情でなくとも、心は繋がっていたから。  だが今回は明らかに違っていた。  主役たるあの人が、契人である妹を深く愛しすぎたのだ。  そう私の、いや関わったすべての人がその誤算に気がつかぬほどに、魂ごと繋がったかのように、深く強固に結びついてしまったのだ。  だから妹が虚の神の供物として、緩やかに朽ちていくのに合わせて、あの人も終わろうとしているのだと、今になって私は気がつき、そして深い悔恨の念に襲われていた。 「日和媛ひわひめ……そこに居ますか」  日々ただ弱りゆくだけのあの人を見続けるという地獄を見守るしか出来ない私に、ある夜あの人は話しかけてきた。  黄泉坂祭以降、あの人の声を聞くのは初めての事だったと思う。 「日和媛、君には本当に申し訳ない事をしたね。君だって妹を失って、辛いはずなのに……私は自分の苦しみだけで手一杯で、君の献身に何も答える事が出来なかった」  今にも消えそうなか細い声。  その声を聞くだけで、その命の終わりが近い事を知り苦しくなる。  魂の輝きが殆どないと言えるほどに弱々しい事、そしてそれを見る事が出来る力を持つ己のみを呪いそうになる。 「日和……頼みが、あるんだ」 「――様……なんでございますか」  久方ぶりに名を呼んだ。  幼き頃、先の運命を知らず無邪気に遊んでいた頃以来、本当に久方ぶりに。  そして主様が、私の事を幼い頃のように日和と呼んでくれた事が嬉しかった。 「私はもう、長くない。そう感じるし、燈月の居ない所で生きようとも思わない。日和、もしも……もし君がこの先、再び黄泉坂祭に関わる事があったならば、この思いを繰り返さないようにしてほしい。黄泉坂祭を……次の黄泉坂祭を止めてほしい……」  私は言葉を発する事も出来ず、ただ主様の骨だけになった手のひらを自分の額に押し当てた。  これは私たちだけに通じる、誓いの仕草だった。 「ありがとう……日和。申し訳ないけれど……先に燈月と向こうへ行く……」  額に押し当てていた主様の手から力が失われた。  支えを失った彼の手の重さが、ずしりと伝わる。  この重さは誓いの重さ。  主様、必ず、必ず、お約束を守ります。  次にお会いする時の貴方様の姿は解りませぬが、この近誓いだけは必ず果たします。  魂を失いただの肉だけになった彼の顔にそっと顔を寄せる。  あの人が生きておられた時、一度も赦されなかった行為を行う。  熱を失いつつあるあの人の唇に私はそっと唇を重ねた。  自身の口の中で、己の舌を噛みきる。  すぐに口内に血が溢れてくる。私はそれをそっとあの人であったものの口へと流し込む。  我らの中で最も尊く、最も強固な誓いを立てます。  血の誓いを。  だから今はお休みください、最愛の貴方。  自分の体から急速に力が抜けていく。  流れ出る血と共に熱も失われていく事を感じる。  でも、それでいい。  この誓いの熱が冷めないうちに、この想いが褪せないうちに私の魂に刻みつけるために。  私は今生で得た「守藤日和媛」の衣を脱ぎ捨てる事に決めたのだから。  さようなら、愛おしい人。また逢いましょう愛おしい貴方。  最後に願ったのは再びあの人の笑顔を見たい、ただそれだけだった。



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暗く深く沈む心

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 私は何をしているのだろうか。  灯りのない部屋、2つ並べて敷かれている寝具の片方に、座ったまま考える。  目の前、もう1つの寝具には、苦悶の表情を浮かべてうなされている愛おしい人の姿がある。  この世で最も愛し、身も心も捧げたいと思う相手が苦しんでいるのに、私は何も出来ない。  その事実が私を追い詰める。  私は妹を失った。  そして妹を失う事により、愛する人を苦しめた。  私は壊れているのだろうかと、自問してみる。    自分自身の魂の半分ともいうべき双子の妹を見殺し、妹を愛し尽くしていたこの人をこれほどまでに苦しめているのに、これは仕方のない事だとどこかで思っている自分に恐怖する。 「日和媛ひわひめか、なれば、もう既に燈月媛ひづきひめは」 「左様にございます、もはやくつがえりませぬ……」 「何としてもか。我が申してもか……」 「はい、もう何も変わることはありませぬ。成れば……」    あのときのやり取りが思い出される。  そう、黄泉坂祭の儀式の最後、虚入之宴うろいりのうたげの出来事。    虚入之宴うろいりのうたげ。    契人ちぎりびととなった者が、虚の神への祈りを捧げ、祝詞のりとと共に神楽舞かぐらまいをひとさし舞う。  そして主役が今生の杯を飲み干して、その縁を杯に重ねて割る事で締めとする儀式。  宴の締めが終わると、契人は虚と呼ばれる祭壇に閉じ込められる。  まさしく言葉の通り閉じ込められる。  入り口は煮えた鉄で隙間なく塞がれ、何人たりとも開ける事はかなわない。  それは中からも外からもである。  つまり契人、私の妹にしてあの人の妻だった燈月媛は、この世と完全に隔絶した場所に、永久とこしえに閉じ込められる事になるのだった。  村を安寧にするため、あらゆる災禍から村を守るため。  その儀式のために私の妹は、あの人の最愛の人は虚の神への供物くもつとされた。    代々宮司の家系に生まれ、教育されたあの人は懊悩の末に苦しみながらも儀式を取り仕切り黄泉坂祭を完成させた。  しかし、そこがあの人の心の限界だった。  あの人はあの日から、黄泉坂祭の日から、生きる気力をすべて失った。  ただ息をしているだけの日々を送っていた。  黄泉坂祭にはいくつかの段階があった。  まず私や妹の生まれた守藤家、この家には代々双子が生まれる。  この双子と宮司の家系の子をそれぞれ側仕そばづかえ主役あるじやくとする。  そして側仕と主役を祭が始まる前に、芦原殿あしはらでんという場所に住まわせ、本祭の前に側仕の片方と主役が契りを結んで夫婦となる。  これが契人となり、本祭で虚の神への供物となる。  そして契人にならなかった、もう一人の側仕は、主役が死ぬその時まで側に仕え続ける。  特に制約があるわけではなく、主役が望むならば、残された側仕と婚姻することも出来るのだが、今まで残された側仕と主役が夫婦となったという話は一度としてない。  そう、一度としてないのだ。  だから私は今までずっと清らかな乙女のまま生涯を終えている。  一度として主役に抱かれた事などなかった。  それはいい、それも運命だと思っているし、側であの人が生きているのを見るだけで、そして体は繋がらなくても、男女の情でなくとも、心は繋がっていたから。  だが今回は明らかに違っていた。  主役たるあの人が、契人である妹を深く愛しすぎたのだ。  そう私の、いや関わったすべての人がその誤算に気がつかぬほどに、魂ごと繋がったかのように、深く強固に結びついてしまったのだ。  だから妹が虚の神の供物として、緩やかに朽ちていくのに合わせて、あの人も終わろうとしているのだと、今になって私は気がつき、そして深い悔恨の念に襲われていた。 「日和媛ひわひめ……そこに居ますか」  日々ただ弱りゆくだけのあの人を見続けるという地獄を見守るしか出来ない私に、ある夜あの人は話しかけてきた。  黄泉坂祭以降、あの人の声を聞くのは初めての事だったと思う。 「日和媛、君には本当に申し訳ない事をしたね。君だって妹を失って、辛いはずなのに……私は自分の苦しみだけで手一杯で、君の献身に何も答える事が出来なかった」  今にも消えそうなか細い声。  その声を聞くだけで、その命の終わりが近い事を知り苦しくなる。  魂の輝きが殆どないと言えるほどに弱々しい事、そしてそれを見る事が出来る力を持つ己のみを呪いそうになる。 「日和……頼みが、あるんだ」 「――様……なんでございますか」  久方ぶりに名を呼んだ。  幼き頃、先の運命を知らず無邪気に遊んでいた頃以来、本当に久方ぶりに。  そして主様が、私の事を幼い頃のように日和と呼んでくれた事が嬉しかった。 「私はもう、長くない。そう感じるし、燈月の居ない所で生きようとも思わない。日和、もしも……もし君がこの先、再び黄泉坂祭に関わる事があったならば、この思いを繰り返さないようにしてほしい。黄泉坂祭を……次の黄泉坂祭を止めてほしい……」  私は言葉を発する事も出来ず、ただ主様の骨だけになった手のひらを自分の額に押し当てた。  これは私たちだけに通じる、誓いの仕草だった。 「ありがとう……日和。申し訳ないけれど……先に燈月と向こうへ行く……」  額に押し当てていた主様の手から力が失われた。  支えを失った彼の手の重さが、ずしりと伝わる。  この重さは誓いの重さ。  主様、必ず、必ず、お約束を守ります。  次にお会いする時の貴方様の姿は解りませぬが、この近誓いだけは必ず果たします。  魂を失いただの肉だけになった彼の顔にそっと顔を寄せる。  あの人が生きておられた時、一度も赦されなかった行為を行う。  熱を失いつつあるあの人の唇に私はそっと唇を重ねた。  自身の口の中で、己の舌を噛みきる。  すぐに口内に血が溢れてくる。私はそれをそっとあの人であったものの口へと流し込む。  我らの中で最も尊く、最も強固な誓いを立てます。  血の誓いを。  だから今はお休みください、最愛の貴方。  自分の体から急速に力が抜けていく。  流れ出る血と共に熱も失われていく事を感じる。  でも、それでいい。  この誓いの熱が冷めないうちに、この想いが褪せないうちに私の魂に刻みつけるために。  私は今生で得た「守藤日和媛」の衣を脱ぎ捨てる事に決めたのだから。  さようなら、愛おしい人。また逢いましょう愛おしい貴方。  最後に願ったのは再びあの人の笑顔を見たい、ただそれだけだった。



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