訪う者
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俺の肩に頭を預けていた咲耶がゆっくりと顔を上げる。 その時目に入った姿……それをみて俺は驚きを隠せなかった。 光に当たると薄らと青みがかって輝いていたはずの彼女の髪色が、真っ黒になっていた。 そしてインナーカラーとでも言うのだろうか、髪の内側の一部が鮮やかな赤色に変わっていた。 「さく……や?どうした、その髪」 俺が問いかけると、咲耶はぼんやりとした表情のまま、髪?と首をかしげた。 そんな彼女に俺はみたままのことを伝えるが、咲耶は特に驚く様子もなく、ただ一言だけそうと言った。 「普通に考えたらあり得ないことが、これだけ起こっているのだから、今更その程度で驚いたりしないわよ」 あっさりとした口調でそう言って小さく笑う。 「あ……でも……」 ぽつりとそう言うと、咲耶は俺から視線を外す。 そして落ち着きなく視線を巡らせたあと、意を決したように一度息を吸って、口を開く。 「ま……前の方が、智春にはその……好みだった?」 少し上目遣いで、おずおずと聞いてくる。 俺はその様子を見て、思わず笑い声を上げてしまった。 「な……なによ、それ一番大事なことじゃない?笑うなんて酷い」 頬を膨らませて、俺の胸を拳で叩いてくる。 そんな活き活きとした彼女の様子を見て、俺はとても好ましいなと思った。 以前の……守藤緖美だった彼女が見せることのなかった、年相応の少女の姿。 それは俺には不思議と眩しく見えた。 「髪色が変わったくらいで、別に何とも思わないよ。むしろ今の方がおしゃれに見えるかもな」 むくれる咲耶の頭をポンポンと軽く叩いて俺はそう答え、ふと我に返って陽女と美月を見る。 二人とも呆れたような、それでいて何処か少し不機嫌なようなそんな顔をして俺をみていた。 「和気藹々とされておられるのは良いことなのですけど……その、なんと言いますか、状況を考慮して」 「あの……私たちもいるのだから、そうあからさまに仲睦まじくされたら居心地が悪いんだけど……」 二人の視線が痛い。 俺は咳払いを一つすると、咲耶の身体を離す。 「ほら、咲耶が急に倒れたから……仕方ないだろう」 二人の視線が突き刺さって、非常に居心地の悪さを感じた俺はボソボソとそう言い返すが、さらに二人の視線を受けることになり、どうしたものかとため息を吐くしかなかった。 再度二人に言い訳をしようと口を開きかけた俺だったが、ふと毛穴が広がるような不快な感覚を覚えて口を閉じてしまう。 その感覚の言葉に出来ない不快感を伝えようと二人をみると、二人もそれを感じているのだろう露骨に顔を顰めてどこか遠くを見るような目をしていた。 「来たようですね……でも弟とは違う……」 目を閉じて意識を集中していたのだろう美月が言う。 「ええ……素戔嗚のものとは違う、だけれど明らかに根の国のものが持つ気配……」 陽女も不快そうな顔をしたままで言う。 おれはその気配の正体を、もしかしたら守藤であった彼女なら解るのではないかと思い、咲耶に視線を送ったが、彼女は自分の身体を抱くようにして、小刻みに震えていた。 「いや……来ないで……」 ガチガチと歯を鳴らしながら、絞り出すようにして言う咲耶。 俺はそんな咲耶の肩を両手で掴むと、軽く揺すって声をかけるが、心ここにあらずと言った様子で、咲耶はずっといやいやと繰り返すだけだった。 それは恐怖におびえる小さな子供のようにも見えて、そっと咲耶の肩を抱きしめる。 「大丈夫だ、何があってもお前は守るから……だから落ち着いてくれ」 直接耳に口を寄せてそう言う。 咲耶の震えが少し小さくなり、彼女は縋るような目で俺を見上げてきた。 「この気配……あの男のものじゃないけど、あの男のものに似ている。誰か解らないけど……怖い」 咲耶が俺の胸にすがりついてくる。 その時、何か堅いものが壊れるような鈍い音と、それが崩れ落ちたのであろうガラガラと言う音が起きた。 陽女と美月はそれに素早く反応して、休憩所から飛び出していく。 俺も遅れないようにと、咲耶の身体を抱いたまま部屋を飛び出す。 最初に眼に入ったのは砂埃が舞う景色だった。 だがその景色には本来あるべきはずのものが失われていた。 「鳥居ごと結界を力業で打ち壊すとは……中々に不調法な来客のようね」 美月が鋭い眼差しを鳥居があったであろう場所に佇む人影に向けたまま言う。 その隣には陽女が寄り添うように立って、いつでも印が組めるようにしている。 俺には砂埃ごしに辛うじてシルエットが見えているだけだが、彼女たちには来訪者の姿が見えているのだろうかと不思議に思いつつ、俺は咲耶を背後に守るようにして彼女の前に立つ。 「主の用向きを果たそうと参りましたが、コレが邪魔で立ち入ることが出来ませんでした。申し訳ありませんが邪魔でしたので打ち壊して通らせていただくことにしました」 砂埃の向こうから、不気味なくらい抑揚のない平坦な声が上がった。 声の感じからすると女性のようではあったが、一切の感情が抜け落ちているのではないかと思うほどに、感情ののっていない声音だった。 「主?……主とは誰なのです?そして貴方の用向きは?」 警戒を解くことなく美月が問いただす。 「私の主……それは最愛のお方、素戔嗚尊さま。私の用向きはあなた方に主の招待状を手渡すこと」 相変わらず感情のない声で答える。 そうしているうちに砂埃も落ち着いてきて、声の主の姿が徐々に明らかになっていく。 最初に眼に入ったのは、普段目にすることのない髪色だった。 紫色の腰まではあろうかという長い髪。 そして不自然なほど白い肌だった。 こちらを伺うタンザナイトのような、青みがかった紫色の瞳はとても冷たく見える。 線の細い身体に真っ黒なドレスをまとい、その上から薄い紫色のコートを羽織っている。 一見しただけならおしゃれな女性。 だが彼女が纏っている気配は、暗く冷たくてどこか死を連想させるようなものだった。 「貴方の名は……まさか……」 素戔嗚の事を最愛のお方と呼ぶ存在、その存在に心当たりがあった陽女が問いかける。 「我が名はクシナダ……。素戔嗚さまと契りしもの。その伴侶にして忠実なる僕」 冷たい声でその女は告げた。 そして相変わらずの無表情のまま、封筒を地面に投げる。 「主がお前達を招待すると言っている。3日後に守藤の屋敷で待つ。そう伝えれば良いと」 「守藤の屋敷ですって!まさかあの男は」 クシナダと名乗った女の言葉に、咲耶が反応した。 「役に立たぬ盟約など不要。つかえぬゴミは既に掃除した。ゆえに守藤屋敷はもう主のものだ」 咲耶の感情など意に求めず、相変わらず何の感情も乗らない声でクシナダが言う。 その言葉に咲耶の中で感情が弾けた。 「外道!」 短くそう叫ぶと咲耶はいつの間に手にしたのか、短刀を右手に持ったままクシナダに向かって走っていく。 まずい……とその場にいた誰もが思う。 相手はその力量は不明でも、少なくともあの鳥居を粉砕できるだけの力がある存在。 そんな相手に短刀一本で何が出来るというのか。 陽女と美月も同じ事を考えたのだろう、素早く印を切り歌うような旋律で理解できない言葉を紡ぐ。 だが間に合わない。 俺がそう思ったとき、乾いた音がして咲耶の持っていた短刀が宙を舞っていた。 咲耶自身もなにか目に見えない壁に阻まれたかのように、クシナダの前方でその足を止めていた。 「手向かう者は普段なら排除しますが、主は全員欠けることなくと命じました。なので不問にします」 冷たくそう言うとクシナダは右手を大きくなぎ払う。 それに合わせるかのように咲耶の身体は風で吹き飛ばされたかのように大きく後ろへと飛ばされる。 「招待状はお渡ししました。期日に皆様がお揃いで来訪されますよう……お待ちしております」 そう言って従者が主に大してするような恭しい礼を施すと、クシナダの姿は空気に解けていくかのようにどんどんと薄くなり、やがてその姿は見えなくなった。 「もう既に気配はありません……完全に消えたかと」 意識を集中して周囲を探っていた美月がそう言う。 陽女はクシナダが地面に落としていった封筒をそっと手に取りため息を吐く。 「相手が招待状を送ってくると言うことは、こちらと真正面から事を構えるつもりと言うことですね」 「でも守藤屋敷に来いって、しかも三日後って、絶対に何か罠が仕掛けてあるはず」 陽女が言い美月が懸念を口にする。 確かに美月の言うとおりだ。 あの男がわざわざこのような手間をかける。 それはこちらを完全に押さえ込む自信があるということだ。 だが結界の要の鳥居も破壊され、居場所も特定されている今、逃げ隠れしても無意味だろう。 「やるしかない……どうせ素戔嗚を倒さねば、終わらないんだろう?」 おれは陽女と美月を見てそう問いかける。 「全てのはじまりが……根の国と中津国を隔てるという目的から始まったことなれば」 陽女が申し訳なさそうに眉尻を下げ、そう答える。 「ならば罠だと解っていても、いくしかない。そうしなければいつまでも終わらない。そうだろ?」 遂に素戔嗚と直接対決をすることになる。 クシナダだけでも、十分に脅威となるべき力を持っているのに、クシナダをして主と呼ばれる存在。 ただの人である俺や咲耶、一部しか神格を持たない陽女と美月。 普通に考えれば明らかに戦力差がある戦い。 だけどもう退くことは出来ない。 出来るか……じゃない、やるしかないのだと、俺は心で深く決意を固めた。
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