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真名

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「お主の言いたいことは解る……だがな」  長い沈黙のあと、陽奈美呼ばれた彼女は口を開いた。 「私は本来あるべき陽奈美の、その中にあった朋胤への思慕の情のみを持って作られた存在なのだ」  陽女と同じ顔なのに、婀娜っぽく笑う女は俺の方を見つめ言葉を続ける。 「本当の陽奈美のような、物わかりの良い諦め癖の強い、姉たらんとする存在とは違い、譲るという気持ちは持ち合わせておらん。どのような手を使ってでも朋胤さまを手に入れる。それしか考えられぬ存在」  白くてしなやかな腕をそっと俺の方へと伸ばしながら微笑みを浮かべる。 「譲る必要なんてないだろ。お前も緖美も、名前こそ分けられているが、同じ存在だろ」  言っては見たものの、正論ではあっても気持ちのこもっていない俺の言葉が彼女の心を動かせるはずもない。  陽奈美は俺をあざ笑うかのように唇の端を釣り上げて、俺の目をじいっと見つめてくる。 「無駄な問答は不要、この緖美という女を私の中に取り込んで、身体ごと私のものにしたあとは、陽女という私の片割れと、邪魔な月……美月と名乗っていたかしらね、そのふたりも排除して……貴方を手に入れる」  言うが早いか、陽奈美の身体から力が溢れ出していくのを感じる。  その力は強い風のように俺と緖美の身体を打ち付ける。  緖美の身体がグラリと揺らぎ、彼女の身体は風に巻き上げられた落ち葉のように舞い上がってしまう。  緖美の身体の主導権争いなのか、陽奈美の力が増すほどに緖美の姿がどんどんと薄くなる。  このままでは不味いと認識はするが、どうすればいいのか考えつかず、俺はただ状況を見守るしかなかった。 (思い出せ、先ほど見た光景を。強く念じろ彼女の本来の名を)  この状況をどうすることも出来ず、唇をかみ締めていた俺の脳裏に、再び声が聞こえた。  思い出す?先ほどの光景?  一瞬何のことなのか解らなかったが、すぐに先ほどみた映像のことだと思い当たる。  緖美の本来の父親……パパと呼ばれていた優しい声の男は確かに緖美の元の名を呼んでいたはずだ。  しかしそれは、ノイズにかき消されて聞き取れなかった。  そうしている間にも、俺の耳には緖美の苦悶の声が聞こえてきた。  もう時間の猶予はない、そう感じた俺は全ての意識を先ほど見た映像の記憶に向けた。 「あぁそうだよ、○○○は宗家のご当主様に認められたから、今日からここに住むんだよ」  だめだ、やはり聞き取れない。  どうしても彼女の名前の部分に余計な雑音が乗っかっていて聞き取れない。  だけど諦めるわけにはいかない。  再度意識を集中させる。 「○○や」  辛うじて聞き取れた。  もっと、もっとだもっと意識を集中させるんだと自分に言い聞かせる。  その間にも緖美の発する苦しそうな声が耳に届いてきて、集中力が途切れそうになるが唇をかんで耐える。 「さくや」  聞こえた!。  緖美の本来の名前が、俺の耳にかすかにだが聞こえた。 「陽奈美だったものに飲み込まれるな!お前はお前だ!お前として生きろ!さくや!」  俺は辛うじて聞き取れた彼女の名前を、力一杯叫ぶ。  その声が緖美の、いやさくやの力になり、陽奈美だったものに抗い打ち勝てるようにと強く願いながら。 「お前はお前を取り戻せ!さくや!」  俺の声が彼女に届いたのだろうか、彼女の苦しそうな声が急に途絶えた。  そして今まで見えなかった彼女の姿が、ぼんやりと薄闇の中に現れる。 「そう……私は緖美じゃない。緖美は陽奈美と私を結びつけるための言葉……私は咲耶さくや。守藤の分家に産まれ、封じ込まれていた貴方を目覚めさせるために緖美という仮初めの名を与えられた……高野宮 咲耶たかのみや さくや」    彼女がはっきりとそう口にした時、彼女の身体を淡い燐光が包み込み始める。 「陽奈美の妄念たるあなたは、私の中に封じられていた。そしてその妄念を利用して紫眼の者を籠絡するために、貴方は目覚めさせられ、守藤の名の契約と継ぐ身という言霊ことだまに縛られた。でもそれももう終わり」  身体から光を放っているような姿で、緖美……いや、咲耶は陽奈美に向かい手を伸ばす。  その姿に眼にみて解るほどに、陽奈美の妄念は覚え始める。 「やめろ……私に近づくな……私は朋胤さまと、朋胤さまと契るのだ」  先ほどまで勝ち誇ったかのような表情を浮かべていたのに、今は化け物に遭遇した非力な人間のようにおびえて、恐怖に歪んだ表情を浮かべている。   「貴方は私と一つになるだけ。貴方が消えるわけではない。ただ貴方は咲耶となるだけ。咲耶としてまっとうに智春を愛しその想いを育むだけ。報われるかどうかではなく、その想いを抱いて行くのよ」  慈母のような微笑みを浮かべて、咲耶は陽奈美の妄念をそっとその腕の中に抱きしめる。 「報われねば……想うだけでは叶わないではないか。ずっと思い続けていても、月に勝てなかったではないか」  震える声で陽奈美の妄念が訴える。 「……馬鹿ね、貴方は。想っているその瞬間が、苦しくも楽しかったことを忘れたの?」  今まで聞いた緖美の、いや咲耶の声の中で一番優しい声で彼女が言う。 「好きという気持ちを抱いて、愛した人の姿を眺めて、その思いが叶うか不安になりながら、それでも愛する人のために何かをしたこと、それは楽しくて幸せなことではなかった?」  幼子を抱きしめるかのように、そっとその頭を胸に抱き寄せながら優しい声で咲耶は言う。 「ああ……ああ、そうだった。私が朋胤さまを想い、あの人に何かをした時に向けてくれる笑顔、それだけで満たされていた。それだけで満たされていたはずなのになぜ、なぜ私は」  先ほどとは逆に、咲耶の身体がより鮮明になっていき、それに比例するように陽奈美の妄念の姿がどんどんと薄くなっていく。 「おかえりなさい……私の中に。私と一緒に智春を想いながら過ごしましょう。」  その言葉にかすかに肯いた陽奈美は、そのまま空気に溶けるように消えていき、僅かに残った燐光が咲耶の胸に吸い込まれるようにして消えた。 「つぐ……いや、咲耶。もう大丈夫か?」  光が落ち着いたあと、俺は彼女に声をかける。  彼女は俺を振り返り、今まで見たことのないような柔らかな微笑みを浮かべた。 「ありがとう……、私の真名まなを呼んでくれて。貴方がそうしてくれたから、私は私を取り戻せた」 「それなら……良かった。」  俺と咲耶はほほ笑み合ってその手を繋いだ。  その時、薄闇だった世界が急に光り始める。  何事が起きたのかと、俺が不安そうに顔を曇らせると、俺の手をしっかりと握りしめて咲耶が言う。 「元の場所に戻る時間が来たようね。さぁ行きましょう。陽女さんと美月さんが待っているから」  確信を込めて言う咲耶に、俺は強く肯いてこれから起こるべき事に立ち向かう覚悟を固めた。  



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「お主の言いたいことは解る……だがな」  長い沈黙のあと、陽奈美呼ばれた彼女は口を開いた。 「私は本来あるべき陽奈美の、その中にあった朋胤への思慕の情のみを持って作られた存在なのだ」  陽女と同じ顔なのに、婀娜っぽく笑う女は俺の方を見つめ言葉を続ける。 「本当の陽奈美のような、物わかりの良い諦め癖の強い、姉たらんとする存在とは違い、譲るという気持ちは持ち合わせておらん。どのような手を使ってでも朋胤さまを手に入れる。それしか考えられぬ存在」  白くてしなやかな腕をそっと俺の方へと伸ばしながら微笑みを浮かべる。 「譲る必要なんてないだろ。お前も緖美も、名前こそ分けられているが、同じ存在だろ」  言っては見たものの、正論ではあっても気持ちのこもっていない俺の言葉が彼女の心を動かせるはずもない。  陽奈美は俺をあざ笑うかのように唇の端を釣り上げて、俺の目をじいっと見つめてくる。 「無駄な問答は不要、この緖美という女を私の中に取り込んで、身体ごと私のものにしたあとは、陽女という私の片割れと、邪魔な月……美月と名乗っていたかしらね、そのふたりも排除して……貴方を手に入れる」  言うが早いか、陽奈美の身体から力が溢れ出していくのを感じる。  その力は強い風のように俺と緖美の身体を打ち付ける。  緖美の身体がグラリと揺らぎ、彼女の身体は風に巻き上げられた落ち葉のように舞い上がってしまう。  緖美の身体の主導権争いなのか、陽奈美の力が増すほどに緖美の姿がどんどんと薄くなる。  このままでは不味いと認識はするが、どうすればいいのか考えつかず、俺はただ状況を見守るしかなかった。 (思い出せ、先ほど見た光景を。強く念じろ彼女の本来の名を)  この状況をどうすることも出来ず、唇をかみ締めていた俺の脳裏に、再び声が聞こえた。  思い出す?先ほどの光景?  一瞬何のことなのか解らなかったが、すぐに先ほどみた映像のことだと思い当たる。  緖美の本来の父親……パパと呼ばれていた優しい声の男は確かに緖美の元の名を呼んでいたはずだ。  しかしそれは、ノイズにかき消されて聞き取れなかった。  そうしている間にも、俺の耳には緖美の苦悶の声が聞こえてきた。  もう時間の猶予はない、そう感じた俺は全ての意識を先ほど見た映像の記憶に向けた。 「あぁそうだよ、○○○は宗家のご当主様に認められたから、今日からここに住むんだよ」  だめだ、やはり聞き取れない。  どうしても彼女の名前の部分に余計な雑音が乗っかっていて聞き取れない。  だけど諦めるわけにはいかない。  再度意識を集中させる。 「○○や」  辛うじて聞き取れた。  もっと、もっとだもっと意識を集中させるんだと自分に言い聞かせる。  その間にも緖美の発する苦しそうな声が耳に届いてきて、集中力が途切れそうになるが唇をかんで耐える。 「さくや」  聞こえた!。  緖美の本来の名前が、俺の耳にかすかにだが聞こえた。 「陽奈美だったものに飲み込まれるな!お前はお前だ!お前として生きろ!さくや!」  俺は辛うじて聞き取れた彼女の名前を、力一杯叫ぶ。  その声が緖美の、いやさくやの力になり、陽奈美だったものに抗い打ち勝てるようにと強く願いながら。 「お前はお前を取り戻せ!さくや!」  俺の声が彼女に届いたのだろうか、彼女の苦しそうな声が急に途絶えた。  そして今まで見えなかった彼女の姿が、ぼんやりと薄闇の中に現れる。 「そう……私は緖美じゃない。緖美は陽奈美と私を結びつけるための言葉……私は咲耶さくや。守藤の分家に産まれ、封じ込まれていた貴方を目覚めさせるために緖美という仮初めの名を与えられた……高野宮 咲耶たかのみや さくや」    彼女がはっきりとそう口にした時、彼女の身体を淡い燐光が包み込み始める。 「陽奈美の妄念たるあなたは、私の中に封じられていた。そしてその妄念を利用して紫眼の者を籠絡するために、貴方は目覚めさせられ、守藤の名の契約と継ぐ身という言霊ことだまに縛られた。でもそれももう終わり」  身体から光を放っているような姿で、緖美……いや、咲耶は陽奈美に向かい手を伸ばす。  その姿に眼にみて解るほどに、陽奈美の妄念は覚え始める。 「やめろ……私に近づくな……私は朋胤さまと、朋胤さまと契るのだ」  先ほどまで勝ち誇ったかのような表情を浮かべていたのに、今は化け物に遭遇した非力な人間のようにおびえて、恐怖に歪んだ表情を浮かべている。   「貴方は私と一つになるだけ。貴方が消えるわけではない。ただ貴方は咲耶となるだけ。咲耶としてまっとうに智春を愛しその想いを育むだけ。報われるかどうかではなく、その想いを抱いて行くのよ」  慈母のような微笑みを浮かべて、咲耶は陽奈美の妄念をそっとその腕の中に抱きしめる。 「報われねば……想うだけでは叶わないではないか。ずっと思い続けていても、月に勝てなかったではないか」  震える声で陽奈美の妄念が訴える。 「……馬鹿ね、貴方は。想っているその瞬間が、苦しくも楽しかったことを忘れたの?」  今まで聞いた緖美の、いや咲耶の声の中で一番優しい声で彼女が言う。 「好きという気持ちを抱いて、愛した人の姿を眺めて、その思いが叶うか不安になりながら、それでも愛する人のために何かをしたこと、それは楽しくて幸せなことではなかった?」  幼子を抱きしめるかのように、そっとその頭を胸に抱き寄せながら優しい声で咲耶は言う。 「ああ……ああ、そうだった。私が朋胤さまを想い、あの人に何かをした時に向けてくれる笑顔、それだけで満たされていた。それだけで満たされていたはずなのになぜ、なぜ私は」  先ほどとは逆に、咲耶の身体がより鮮明になっていき、それに比例するように陽奈美の妄念の姿がどんどんと薄くなっていく。 「おかえりなさい……私の中に。私と一緒に智春を想いながら過ごしましょう。」  その言葉にかすかに肯いた陽奈美は、そのまま空気に溶けるように消えていき、僅かに残った燐光が咲耶の胸に吸い込まれるようにして消えた。 「つぐ……いや、咲耶。もう大丈夫か?」  光が落ち着いたあと、俺は彼女に声をかける。  彼女は俺を振り返り、今まで見たことのないような柔らかな微笑みを浮かべた。 「ありがとう……、私の真名まなを呼んでくれて。貴方がそうしてくれたから、私は私を取り戻せた」 「それなら……良かった。」  俺と咲耶はほほ笑み合ってその手を繋いだ。  その時、薄闇だった世界が急に光り始める。  何事が起きたのかと、俺が不安そうに顔を曇らせると、俺の手をしっかりと握りしめて咲耶が言う。 「元の場所に戻る時間が来たようね。さぁ行きましょう。陽女さんと美月さんが待っているから」  確信を込めて言う咲耶に、俺は強く肯いてこれから起こるべき事に立ち向かう覚悟を固めた。  



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