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流転する魂

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「どこからお話ししましょうか…」  陽奈美はそういうと、ゆっくりと天を仰いだ。  木々に覆われて星はおろか月さえも見えない中で、それでも陽奈美の目には月の姿が見えているかのようであった。 「もうすでにお話ししましたが、主様と私たちはすでに20を超える数の黄泉坂祭を繰り返し、執り行ってきているのです。」  視線は空に向けたまま、蕩々と流れるような声音で陽奈美が語り始める。 「主様は陽と月、二つを選べるなかで、何故かすべての祭で月を選ばれました。そこに神々の思惑が入っているのではないかと疑うほどに、必ず月を。」  私の傍らに立っていた月音の体が、小刻みに震えているのがつないだ手を通して感じられた。  月音の反応をみて、これは事実なのだろうと悟った。  もっとも、私には実感はないし、そもそも神ならざる人である私たちが、それほど何度も祭りを経験していると言 われてもピンとこないのではあるが。    祭の周期は50年毎。20を超える回数というならば、1000に届いてしまうではないかとも思う。  それでも、それを虚構の話だとか、あり得ないことだと一笑に付すことができない空気がここにはあった。 「祭に隠された本当の儀式…それは、この村の安寧を守るための、生け贄を作り出し、そしてその生け贄をあるべき場所に捧げるためのもの。」  不意に私の隣から声が上がる。  陽奈美の言葉を受け継ぐようにして、月音が語り始めていたのだ。  月音は私と視線を合わすことなく、淡々と語り続ける。 「私たちが、うろと呼ぶ場所、そこに主様と契を交わしたものを閉じ込めるのです。主様と情を交わして生きることに執着を覚え、生命の力の高まった者を虚の糧とすることで、虚にまつられた神がこの村をその力で守るのだと、ずっと言い伝えられています。」 「そ、そんな馬鹿げた話があるものか…虚とは何だ、虚の神とは。私は知らない、そんな者の存在は聞いたことがない。」  あまりに骨董無稽な話。  現実味のない話に、思わず否定の言葉が口をついて出る。 「本来なら、当たり前のように繰り返される儀式のはずでした。しかし前回…主様は月を愛しすぎてしまったのです。あなたは今までのどの時よりも、強く、深く燈月媛ひづきひめを愛してしまった。」  月音の話を引き継ぐようにして陽奈美が再び口を開く。 「責任感が強い主様は、私心を捨てて村のためにと、儀式を執り行われたのですが、その思いが強すぎるあまりに遂には生きることを諦めてしまわれたのです。自ら死を選ぶまねはされていません、けれども生きながらに死んだように暮らされ、そしてその魂はあまりに深い絶望から消えかけていました。」  陽奈美が漸く天を仰いでいた顔を私に向ける。  その瞳には深い悲しみと、それと同じくらいの慈愛の色が浮かんでいた。 「契った者は虚へと入り、契らなかった者は残りの生を、主様に尽くすためだけに過ごす定め。私は主様の側にあり続けましたが、主様の魂の輝きが失われていくことを止めることができませんでした。」  陽奈美の目から一筋の涙がこぼれた。 「このままではもう、主様がこの世に生まれ落ち、祭を執り行うことは二度とあり得ないとそう思っておりました。しかし主様は今際の際に私に約束をしてくださいました。」  陽奈美が地面に片膝をつき、頭を下げた。  まるで臣下の礼をとる武士もののふのようでもあった。 「もしも、再び主様が私たちと邂逅することがあったなら…黄泉坂祭を終わらせると。」  黄泉坂祭を終わらせる。  意味深い言葉だった。  もし本当に、虚の神の力でこの村の安寧が守られていたというなら、それは村の人たちにとってひどい裏切りなのかもしれない。  しかし村の安寧すらも歯牙にかけぬほどに、その時の私は燈月媛っを失った傷が深かったのだろう。  生まれ変わりや転生というものなど、全く信じない私だが、燈月媛の名を聞くだけで、胸が締め付けられて例えようのない喪失感と、虚無感と悲しみがこみ上げてくることを感じている。 【私自身が、燈月媛を失った悲しみを覚えている】 「主様…私は、一度として貴方様に契っていただくことはありませんでした。正直申し上げれば、月に妬心としんを感じることもあります。ですが…それでも月は私にとって大切な半身、大切な妹なのです。主様の願いが大切な妹を守ることになるなら、私はこの命すら差し出してでも、叶えたい思っております。」  片膝は地面につけたままの姿勢で、顔だけを私の方に向けた陽奈美がそう言った。その目には強い決意の色が浮かんでいた。  報われぬ思い、それでも懸想した相手のためにその願いを叶えたいと思う彼女の心が嬉しくもあり、それに応えることができぬ自分自身に苦い思いがよぎる。  姉の本心の吐露、動き出した事態の重さ、その二つを受け止めて月音は苦しそうな顔をしたまま、黙って私の側に立ち尽くしていた。  重い空気が私たち3人を包み、その重さ故に身動き一つ取ることができないような気持ちになりながら、私たちはただそこに立ち尽くすしかなかった。



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「どこからお話ししましょうか…」  陽奈美はそういうと、ゆっくりと天を仰いだ。  木々に覆われて星はおろか月さえも見えない中で、それでも陽奈美の目には月の姿が見えているかのようであった。 「もうすでにお話ししましたが、主様と私たちはすでに20を超える数の黄泉坂祭を繰り返し、執り行ってきているのです。」  視線は空に向けたまま、蕩々と流れるような声音で陽奈美が語り始める。 「主様は陽と月、二つを選べるなかで、何故かすべての祭で月を選ばれました。そこに神々の思惑が入っているのではないかと疑うほどに、必ず月を。」  私の傍らに立っていた月音の体が、小刻みに震えているのがつないだ手を通して感じられた。  月音の反応をみて、これは事実なのだろうと悟った。  もっとも、私には実感はないし、そもそも神ならざる人である私たちが、それほど何度も祭りを経験していると言 われてもピンとこないのではあるが。    祭の周期は50年毎。20を超える回数というならば、1000に届いてしまうではないかとも思う。  それでも、それを虚構の話だとか、あり得ないことだと一笑に付すことができない空気がここにはあった。 「祭に隠された本当の儀式…それは、この村の安寧を守るための、生け贄を作り出し、そしてその生け贄をあるべき場所に捧げるためのもの。」  不意に私の隣から声が上がる。  陽奈美の言葉を受け継ぐようにして、月音が語り始めていたのだ。  月音は私と視線を合わすことなく、淡々と語り続ける。 「私たちが、うろと呼ぶ場所、そこに主様と契を交わしたものを閉じ込めるのです。主様と情を交わして生きることに執着を覚え、生命の力の高まった者を虚の糧とすることで、虚にまつられた神がこの村をその力で守るのだと、ずっと言い伝えられています。」 「そ、そんな馬鹿げた話があるものか…虚とは何だ、虚の神とは。私は知らない、そんな者の存在は聞いたことがない。」  あまりに骨董無稽な話。  現実味のない話に、思わず否定の言葉が口をついて出る。 「本来なら、当たり前のように繰り返される儀式のはずでした。しかし前回…主様は月を愛しすぎてしまったのです。あなたは今までのどの時よりも、強く、深く燈月媛ひづきひめを愛してしまった。」  月音の話を引き継ぐようにして陽奈美が再び口を開く。 「責任感が強い主様は、私心を捨てて村のためにと、儀式を執り行われたのですが、その思いが強すぎるあまりに遂には生きることを諦めてしまわれたのです。自ら死を選ぶまねはされていません、けれども生きながらに死んだように暮らされ、そしてその魂はあまりに深い絶望から消えかけていました。」  陽奈美が漸く天を仰いでいた顔を私に向ける。  その瞳には深い悲しみと、それと同じくらいの慈愛の色が浮かんでいた。 「契った者は虚へと入り、契らなかった者は残りの生を、主様に尽くすためだけに過ごす定め。私は主様の側にあり続けましたが、主様の魂の輝きが失われていくことを止めることができませんでした。」  陽奈美の目から一筋の涙がこぼれた。 「このままではもう、主様がこの世に生まれ落ち、祭を執り行うことは二度とあり得ないとそう思っておりました。しかし主様は今際の際に私に約束をしてくださいました。」  陽奈美が地面に片膝をつき、頭を下げた。  まるで臣下の礼をとる武士もののふのようでもあった。 「もしも、再び主様が私たちと邂逅することがあったなら…黄泉坂祭を終わらせると。」  黄泉坂祭を終わらせる。  意味深い言葉だった。  もし本当に、虚の神の力でこの村の安寧が守られていたというなら、それは村の人たちにとってひどい裏切りなのかもしれない。  しかし村の安寧すらも歯牙にかけぬほどに、その時の私は燈月媛っを失った傷が深かったのだろう。  生まれ変わりや転生というものなど、全く信じない私だが、燈月媛の名を聞くだけで、胸が締め付けられて例えようのない喪失感と、虚無感と悲しみがこみ上げてくることを感じている。 【私自身が、燈月媛を失った悲しみを覚えている】 「主様…私は、一度として貴方様に契っていただくことはありませんでした。正直申し上げれば、月に妬心としんを感じることもあります。ですが…それでも月は私にとって大切な半身、大切な妹なのです。主様の願いが大切な妹を守ることになるなら、私はこの命すら差し出してでも、叶えたい思っております。」  片膝は地面につけたままの姿勢で、顔だけを私の方に向けた陽奈美がそう言った。その目には強い決意の色が浮かんでいた。  報われぬ思い、それでも懸想した相手のためにその願いを叶えたいと思う彼女の心が嬉しくもあり、それに応えることができぬ自分自身に苦い思いがよぎる。  姉の本心の吐露、動き出した事態の重さ、その二つを受け止めて月音は苦しそうな顔をしたまま、黙って私の側に立ち尽くしていた。  重い空気が私たち3人を包み、その重さ故に身動き一つ取ることができないような気持ちになりながら、私たちはただそこに立ち尽くすしかなかった。



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