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悪夢

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「……まさか、あそこから立て直すとは」  薄暗がりの部屋の中で、男はニタリと笑った。 「だが……そうでなくては面白くない……そうだろう?」  男は部屋の隅で控えている、中年の男に歪めた唇のまま顔を向ける。 「久々に見た娘はどうだ……。感慨深いか……それとも、別の感情を持つか……」 「取り立てて思うことなど有りません……所詮我々は影。本家がなくなったらそれに変わる存在によりかかり、そしてそのお役に立つこと……それだけしか考えておりませぬ故」  中年の男は、なんの感情もない坦々として口調でそう答えると、恭しく頭を下げた。 「守藤分家……さて、役立たずの本家みたいな無様をさらさないようにな」 「本家亡き後の我々を救っていただいた御恩に報いるため、粉骨砕身いたします……」  やはり感情の乗らない平坦な声でそう答えると、中年の男はゆっくりと踵を返して部屋から出ていく。 「食えない男よな……だが、だからこそ面白い。どう動くのか。せいぜい俺を楽しませてくれ」  中年の男が立ち去った場所を、更に唇と歪めて冷酷な笑みを浮かべた男―スサノオ―が見つめていた。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  あれから後、高野宮咲耶たかのみやさくやは動かなかった。  茫然自失と言った体で、ずっと畳の上にへたり込んだまま、無言で涙を流し続けていた。    己が発した言葉、おのれの乱れた心、そしてあれほどまでに誓いあったのに、たやすく心を乱されて取り込まれかけた自分自身への嫌悪。  そういった様々な感情が、咲耶の心の中をかき乱しているのがわかり、俺たちも声をかけることが出来なかった。  俺はそんな咲耶を見ていられなくて、何か声をかけようかと手を伸ばしかけるが、それをすっと伸ばされた陽女の手によって阻まれる。  何故だと問おうとして陽女を見つめる俺に、陽女は少し悲しげな瞳でそっと首を左右にふる。 「彼女が……彼女の力で、意志で……立ち上がらなければ、また同じことの繰り返しになります」  俺の背後から小さな声で美月の声が上がった。  その声音は、しかし敵意や嘲りが含まれているものではなくて、心から咲耶のことを信じていると伝わってくる温かさがあった。  そしてそんな美月の言っていることは、正しいと解るから、だから俺もとても辛くて、すぐに手を差し伸べたいと思ってしまうけれど、それでも必死に堪えて咲耶を見ていた。  それから更に少し時間がすぎた頃、ようやく咲耶はゆっくりと立ち上がった。  まだ迷いは消えず、感情を割り切れてはいない様子だけど、でも先程よりはいくぶんか力を宿した瞳で、俺たちを見つめる。 「ごめんなさい……時間を取らせたわね。そして……乱されてしまってごめん……」    気まずそうに顔を顰めて、弱い口調でそういう咲耶。   「ほんと……あの男……性格悪いわね。人の心を抉るようなことばかり仕掛けてくるなんて」  いつもの勢いはないけれど、それでも毒づく元気は取り戻せたのだろうと安堵する。  まだ本調子ではないにしても、それでもいつもの咲耶らしさが戻ってきたことは、素直に嬉しかった。 「こういった揺さぶりは、今後も有ると思ったほうが良さそう……気を引き締めていきましょう」  陽女がそう言い、俺達は皆で力強くうなづいた。  この部屋にはこれ以上は何もないようだったので、俺達はこの部屋を出て向かいの部屋を見てみることにする。  また何か起きるのではないかと、全員が緊張して身構えながらゆっくりと襖を開ける。  だがそこは、本当になにもない空き室だった。  先程の部屋と同じで、生活を感じるもの全てが取り払われていて、ただ畳だけが残された部屋。  俺はそのあまりの普通な感じで、思わず毒気を抜かれて気を緩ませそうになるが、美月は緊張を保ったままで何やら印を組みながら、部屋の中にくまなく視線を巡らせる。 「…………特に、何もなさそう。この部屋はもう捨て置いていいと思う」  何度も印を組み換え、穴が空くのではないかと思うほどに部屋の中を見ていた美月は、小さく息を吐いたあとそう告げた。  つまり何の仕掛けも、呪法も施されていたないただの空き部屋だと認めたということだろう。 「こうして緊張を強いて、こちらが疲弊するのを待っているのかもしれませんね」 「たしかに、アイツならやりそうね。でも……それすらもこちらの油断を誘う策かもしれない」  陽女の言葉に、美月が返す。  気を抜いても良いのか、気を抜くべきではないのか。  疑心暗鬼に陥りそうな状況で、俺達の精神は自覚しない間に徐々に削られている。  現にたった2つ部屋を回っただけで、俺達の額には汗が浮かび、何キロも歩いたあとのように気だるい重さが体を包んでいた。  相手の領域だからこそ、気を抜くことが出来ず、それ故にどんどんと疲労していく。  見事な作戦だと思う。  それと同時に、悪辣で陰湿な手段を思いつくやつだという、嫌悪感も湧き上がる。  美月ではないけれど、やはり俺も須佐之男のことを好きにはなれそうにないなと感じた。    そして俺達がその部屋から出ようとした瞬間だった。  俺達に異変が起きたのは。  突然周囲が真っ暗になり、近くにいるはずの3人の姿が見えなくなり、同時にすべての音が消えた。  何が起こったのかと慌てて周囲を見回すが、俺の周りには一切の光を通さない、まさに漆黒の闇が広がるだけだった。 「美月!陽女!昨夜!」  声の限りに叫んでみるが、一切の反応がない。  まさか分断して各個撃破するつもりなのかと、不安がこみ上げてきて冷たい汗が流れ落ちていく。  他の3人はいざ知らず、俺には戦闘能力なんて皆無に等しい。  これはまずいことになったと、緊張でこわばる体にむち打ち、何が起きても良いようにと身構えようとすると、俺の眼の前に一筋の光が差し込んだ。  その光はスポットライトのように、暗闇の中1点だけを照らしている。  その光の中心に、よく見れば一人の男が立っていた。  真っ白な直衣のうし烏帽子えぼし姿という、現代では見慣れない姿の男。  その男が光の中でゆっくりと顔を上げる。  男と俺の視線が交差して、俺は息を止めた。  そこに居たのは、俺に似ているが俺ではない人物。  いや、それは正しい言い方ではない。  俺にそれほど見た目は似ていないけれど、何故か俺だと感じる人物だった。 「朋……胤……さま?」  不意に俺の背後から声が上がる。  聞き馴染みのある鈴を転がすような声。  美月の声だ。  おれは慌てて、声のした方を振り返る。  果たしてそこには、予想通り美月が立っていたが、しかし彼女は俺の存在を一切気にもとめていないような様子で、光の中に佇む男―高野宮朋胤―を、熱を帯びた視線で見つめていた。 「久しいな……月音……会いたかったぞ」  朋胤の唇から言葉が漏れる。  俺と同じ声。  俺じゃない俺が、美月に優しく甘く言葉を投げかけ、美月はその言葉にとろけたような表情で答えている。 (何が起きている……美月はなぜ、そいつにそんな顔を向ける)  心臓が激しく脈打つ。  呼吸がどんどんと荒くなっていき、それと反比例するように俺の足から力が抜けていく。 (美月……美月……いくな……)  声に出せない声。  俺は何を見ているんだろうか。  俺は何を見させられているのだろうか。  その場から一歩も動けず、声の1つも上げることができず、決して閉じることのない目で、上気した頬のままでゆっくりと朋胤に近づいていく、美月の姿を見るしかできないオレの心は、悲鳴を上げそうな状態のまま、だけどやはり声の1つも上げることができず、見送るしかできなかった。  



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63/68

「……まさか、あそこから立て直すとは」  薄暗がりの部屋の中で、男はニタリと笑った。 「だが……そうでなくては面白くない……そうだろう?」  男は部屋の隅で控えている、中年の男に歪めた唇のまま顔を向ける。 「久々に見た娘はどうだ……。感慨深いか……それとも、別の感情を持つか……」 「取り立てて思うことなど有りません……所詮我々は影。本家がなくなったらそれに変わる存在によりかかり、そしてそのお役に立つこと……それだけしか考えておりませぬ故」  中年の男は、なんの感情もない坦々として口調でそう答えると、恭しく頭を下げた。 「守藤分家……さて、役立たずの本家みたいな無様をさらさないようにな」 「本家亡き後の我々を救っていただいた御恩に報いるため、粉骨砕身いたします……」  やはり感情の乗らない平坦な声でそう答えると、中年の男はゆっくりと踵を返して部屋から出ていく。 「食えない男よな……だが、だからこそ面白い。どう動くのか。せいぜい俺を楽しませてくれ」  中年の男が立ち去った場所を、更に唇と歪めて冷酷な笑みを浮かべた男―スサノオ―が見つめていた。 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆  あれから後、高野宮咲耶たかのみやさくやは動かなかった。  茫然自失と言った体で、ずっと畳の上にへたり込んだまま、無言で涙を流し続けていた。    己が発した言葉、おのれの乱れた心、そしてあれほどまでに誓いあったのに、たやすく心を乱されて取り込まれかけた自分自身への嫌悪。  そういった様々な感情が、咲耶の心の中をかき乱しているのがわかり、俺たちも声をかけることが出来なかった。  俺はそんな咲耶を見ていられなくて、何か声をかけようかと手を伸ばしかけるが、それをすっと伸ばされた陽女の手によって阻まれる。  何故だと問おうとして陽女を見つめる俺に、陽女は少し悲しげな瞳でそっと首を左右にふる。 「彼女が……彼女の力で、意志で……立ち上がらなければ、また同じことの繰り返しになります」  俺の背後から小さな声で美月の声が上がった。  その声音は、しかし敵意や嘲りが含まれているものではなくて、心から咲耶のことを信じていると伝わってくる温かさがあった。  そしてそんな美月の言っていることは、正しいと解るから、だから俺もとても辛くて、すぐに手を差し伸べたいと思ってしまうけれど、それでも必死に堪えて咲耶を見ていた。  それから更に少し時間がすぎた頃、ようやく咲耶はゆっくりと立ち上がった。  まだ迷いは消えず、感情を割り切れてはいない様子だけど、でも先程よりはいくぶんか力を宿した瞳で、俺たちを見つめる。 「ごめんなさい……時間を取らせたわね。そして……乱されてしまってごめん……」    気まずそうに顔を顰めて、弱い口調でそういう咲耶。   「ほんと……あの男……性格悪いわね。人の心を抉るようなことばかり仕掛けてくるなんて」  いつもの勢いはないけれど、それでも毒づく元気は取り戻せたのだろうと安堵する。  まだ本調子ではないにしても、それでもいつもの咲耶らしさが戻ってきたことは、素直に嬉しかった。 「こういった揺さぶりは、今後も有ると思ったほうが良さそう……気を引き締めていきましょう」  陽女がそう言い、俺達は皆で力強くうなづいた。  この部屋にはこれ以上は何もないようだったので、俺達はこの部屋を出て向かいの部屋を見てみることにする。  また何か起きるのではないかと、全員が緊張して身構えながらゆっくりと襖を開ける。  だがそこは、本当になにもない空き室だった。  先程の部屋と同じで、生活を感じるもの全てが取り払われていて、ただ畳だけが残された部屋。  俺はそのあまりの普通な感じで、思わず毒気を抜かれて気を緩ませそうになるが、美月は緊張を保ったままで何やら印を組みながら、部屋の中にくまなく視線を巡らせる。 「…………特に、何もなさそう。この部屋はもう捨て置いていいと思う」  何度も印を組み換え、穴が空くのではないかと思うほどに部屋の中を見ていた美月は、小さく息を吐いたあとそう告げた。  つまり何の仕掛けも、呪法も施されていたないただの空き部屋だと認めたということだろう。 「こうして緊張を強いて、こちらが疲弊するのを待っているのかもしれませんね」 「たしかに、アイツならやりそうね。でも……それすらもこちらの油断を誘う策かもしれない」  陽女の言葉に、美月が返す。  気を抜いても良いのか、気を抜くべきではないのか。  疑心暗鬼に陥りそうな状況で、俺達の精神は自覚しない間に徐々に削られている。  現にたった2つ部屋を回っただけで、俺達の額には汗が浮かび、何キロも歩いたあとのように気だるい重さが体を包んでいた。  相手の領域だからこそ、気を抜くことが出来ず、それ故にどんどんと疲労していく。  見事な作戦だと思う。  それと同時に、悪辣で陰湿な手段を思いつくやつだという、嫌悪感も湧き上がる。  美月ではないけれど、やはり俺も須佐之男のことを好きにはなれそうにないなと感じた。    そして俺達がその部屋から出ようとした瞬間だった。  俺達に異変が起きたのは。  突然周囲が真っ暗になり、近くにいるはずの3人の姿が見えなくなり、同時にすべての音が消えた。  何が起こったのかと慌てて周囲を見回すが、俺の周りには一切の光を通さない、まさに漆黒の闇が広がるだけだった。 「美月!陽女!昨夜!」  声の限りに叫んでみるが、一切の反応がない。  まさか分断して各個撃破するつもりなのかと、不安がこみ上げてきて冷たい汗が流れ落ちていく。  他の3人はいざ知らず、俺には戦闘能力なんて皆無に等しい。  これはまずいことになったと、緊張でこわばる体にむち打ち、何が起きても良いようにと身構えようとすると、俺の眼の前に一筋の光が差し込んだ。  その光はスポットライトのように、暗闇の中1点だけを照らしている。  その光の中心に、よく見れば一人の男が立っていた。  真っ白な直衣のうし烏帽子えぼし姿という、現代では見慣れない姿の男。  その男が光の中でゆっくりと顔を上げる。  男と俺の視線が交差して、俺は息を止めた。  そこに居たのは、俺に似ているが俺ではない人物。  いや、それは正しい言い方ではない。  俺にそれほど見た目は似ていないけれど、何故か俺だと感じる人物だった。 「朋……胤……さま?」  不意に俺の背後から声が上がる。  聞き馴染みのある鈴を転がすような声。  美月の声だ。  おれは慌てて、声のした方を振り返る。  果たしてそこには、予想通り美月が立っていたが、しかし彼女は俺の存在を一切気にもとめていないような様子で、光の中に佇む男―高野宮朋胤―を、熱を帯びた視線で見つめていた。 「久しいな……月音……会いたかったぞ」  朋胤の唇から言葉が漏れる。  俺と同じ声。  俺じゃない俺が、美月に優しく甘く言葉を投げかけ、美月はその言葉にとろけたような表情で答えている。 (何が起きている……美月はなぜ、そいつにそんな顔を向ける)  心臓が激しく脈打つ。  呼吸がどんどんと荒くなっていき、それと反比例するように俺の足から力が抜けていく。 (美月……美月……いくな……)  声に出せない声。  俺は何を見ているんだろうか。  俺は何を見させられているのだろうか。  その場から一歩も動けず、声の1つも上げることができず、決して閉じることのない目で、上気した頬のままでゆっくりと朋胤に近づいていく、美月の姿を見るしかできないオレの心は、悲鳴を上げそうな状態のまま、だけどやはり声の1つも上げることができず、見送るしかできなかった。  



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