言霊とまじない
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神社からしばらくは、見覚えのない道が続いたが、美月の案内に従って歩いて行くと程なくして見覚えのある商店街に出ることができた。 ここからなら自宅へのルートは分かるので、今度は俺が先頭に立って歩くことになる。 俺の3歩ほど後ろからついてくる姉妹は、先ほどから何か考え事をしているのか、難しい表情を浮かべていた。 空気が少し気まずい感じではあったが、さりとてそれを打開するほどの話題があるわけでもない。 なんとなく空気でごまかされて、なじんだ感じになっていたが、彼女たちと顔を合わせてからはまだ1時間くらいなのだ。 こういった空気を緩和するような話題など思い浮かばない。 名前以外何も知らないに等しいのだから、話を振りたくても振れないのだ。 さてどうしたものかなぁと心中で悩んでいると不意に陽女が口を開いた。 「智春さま……すこし買い物をしていきたいのですけど、お時間は大丈夫ですか」 言われてスマホを見る。 まだ16時30分だから大丈夫だろう、緖美が来るのは18時のはずだ。 「緖美……えっと、守藤のやつは18時に来ると言っていたので、まだ大丈夫ですよ」 守藤という単語が出るたびに、微妙にぴくりと反応する姉妹達。 言い回しに気をつけないといけないなと、内心でビクビクしながら答えた。 「では私はちょっと行ってきますから、美月、智春さまの事をお願いね」 「え、ちょっと姉様……」 美月が言い返すより早く、陽女は近くのスーパーへと走っていった。 姉を呼び止めようと手を伸ばした格好で固まってい美月は、少しして小さくため息を吐くとゆっくりと手を下ろしてお俺の方を向いた。 気まずいなぁと思う。 確かに美人と良いうか奇麗な人だけど、俺との間に微妙な距離感があるしあまり人慣れしていないように見えるので、本当に何を話せば良いのか、どう対応して良いのかが分からないのだ。 「あの……明神さま。その緖美さんというのでしたか、その女性とはそのどういう関係で」 どうしたら良いのかとずっと考えていた俺は、不意に美月の放った一言でわれに返った。 そしてその質問の意図が分からず困惑する。 「あ……えっと、ずっとなぜ明神さまが憑かれているのか考えていたのですけど、それにもしかすると緖美さまが関わっているのかもしれないと。ですから明神さまと緖美さまがどういう関係なのかなと思ったんですけど……」 「あ……あぁ、えっとクラスメイトです。同じ学校の生徒なので。まぁ緖美は俺に付き合え付き合えと言ってくるんだけど、俺はそんな気持ちは全然なくて……」 そう答えた時、俺の脳裏にある言葉が思い出された。 この人たちに聞けば何か分かるかもしれない、俺はふと思いついたので美月に聞いてみることにした。 「その緖美が言っていたんだけど、”ヒナミ”って何か知ってますか?緖美の話だと”ヒナミ”になれば守藤の全てを自由にできるとかなんとか……」 そう言ってチラリと美月の反応を窺おうとした俺は、彼女の顔面が蒼白になっているのを見てそれ以上何も言えなくなってしまった。 顔から完全に血の気がひいており、比喩表現じゃなく白を通り越した青白い顔。 不謹慎な言い方だが、まさに死人のような顔色だった。 「ヒナ……そん……でも……あれは……」 ほとんど聞き取れないほどの小さな声で、何かを呟きつづけている。 うつろな目で俺を見ているけど、彼女の目にはおそらく俺は映っていない。 いや多分いまの彼女の目には【何も】写っては居ないだろう。 だって先ほどまでは磨き上げられた黒曜石のようだった彼女の瞳が、いまは壁にあいた空洞のように暗く虚ろなものに代わってしまっていたのだから。 緖美から”ヒナミ”という単語を聞いた時は、なぜかほの暖かいものを感じたが、今の美月からは冷たく絡みつくような悪寒しか感じなかった。 ヒナミとは一体何なんだ。 そう叫びたくなるが、いまは美月を落ち着かせることが優先だと思った俺は、思い切って彼女の手を握った。 「美月さん!どうしたんですか一体!落ち着いてください、大きく息を吸って」 「え……あ……朋胤様?」 一瞬、本当に一瞬だけ美月の目つきが変わった。 この世界で一番愛する人を見つめるかのような、見る者を蕩かせるような、柔らかくて色気のある優しいまなざして俺を見る。 だけど次の瞬間、あっという短い声とともに、美月の目はであった時と同じような無表情な者へと変わった。 「ご、ごめんなさい。ちょっといろいろと混乱してしまって……、明神さま……ごめんなさい、私はそのヒナミについて詳しくは分からないです。たぶん守藤家の秘密に関わる単語なのだと思います。」 取り繕うように早口でそう言うと、美月は俺の手を振り払いそっぽを向いてしまった。 おれは謎がより深くなった事と、先ほどの美月の態度の2つがどうしても引っかかってしまって、より一層混乱は深くなってしまい、そしてしばらくしてから陽女が戻ってくるまで、俺たちの間には最初よりも数倍も気まずい雰囲気が流れていた。 「あぁそれは恐らくですけど……、彼女の立場を示す言葉ではないでしょうか」 俺たちの元に戻ってきて、その様子のあまりにも不自然なことに気がついた陽女から質問攻めにされ、俺はヒメがいない間にあったことの全てを説明させられていた。 そしてそれを聞いてしばらく考えた後、陽女はそう答えたのである。 「その女性、たしかツグミさんですよね。継ぐ身という意味になる名前です。つまり守藤の家を継ぐ身ということ。でも彼女が何かをすることで、守藤の家を守る存在として成長するための雛になる、そういう呪いだと思いますよ」 「まじないですか?この令和の世の中に?」 俺があまりにも不信感をあらわにした口調で言ったからなのだろうか、陽女は軽く咳払いをしてそれに対しての答えを口にし始めた。 「明神さまは信じておられないようですけど、いまでも言霊って有るんですよ。ほら経験はないですか?受験生の前で”すべる・おちる”と言ってはいけないとか。あれも全部、言霊ですよ。そういう意味では本来は名付けも言霊の1つだったんです。まぁ私は守藤の家の人間ではないので、予想でしかないですけれど」 最後は軽く苦笑をしながら説明してくれた内容は、妙にすっと俺の心に落ちてきた。 そう言われたらそうなのかもしれない。 言霊とかジンクスなんて迷信だと思いつつ、深く日常生活に入り込んで根付いている。 つまりそれくらいに当たり前に存在している者なのだろう。 ましてや守藤家は、むかしから連綿と続く由緒正しい名家と聞くから、より一層そういったまじないめいたものが浸透しているのかもしれないなと俺は納得した。 そして俺はこの時に完全に失念していた。 陽女の説明が正しいのなら、美月があんな態度を取るはずがないと言うことを。 そして美月のあの態度こそが、自体の重さを伝えてくれていたのだと言うことに。
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