散る花、咲く花
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泣き崩れる私をめざとく見つけたのは翁面の男だった。 「契人はどうでもいい、主を制圧しろ、さすればそやつも大人しくなる」 月音の死の演舞に翻弄されて乱されていた男達に命じる。 すると先ほどまで、月音の動きに翻弄され乱れていた男達の動きに統制が見え始めた。 槍を手放して、小刀に持ち替えた狐面の男達五、六人ほどが私に向かって駆け寄ってくるのが見えた。 見えていたのだが、私は陽奈美を失った衝撃から立ち直っていなかった。 いや寧ろ自棄になっていたと言ってもよい。 陽奈美があのような無残に、命を奪われてしまい、一番救いたいと願った月音も絶体絶命の状況。 もうどうでも良いという諦念が私の心を覆い尽くしていた。 (もうどうでもいい、どうせ何もかも望む結果にならないのだ。燈月媛を救えなかったように) (私はあのとき……、消えればよかったのだ。何故生まれ落ちた。何故また二人を巻き込んだ) 自分のものではない、別の感情が心の中に沸き立ち、さらに私の心は暗く沈み込む。 しかしそれと同時に、自分でも理解できないほどの激しい怒りも感じた。 あまりにも理不尽なこの状況に対する怒り。 あまりにも残酷なさだめに対する憤り。 その2つの感情に突き動かされて、私は無意識に立ち上がり、目の前にまで迫ってきていた狐面の男に、面ごと打ち砕くような掌底を放っていた。 右足を大きく踏み込み、地面を踏み抜くようにしながら上半身を回転させて、腰の辺りから相手の顔面まで一直線に放つ掌底。 その威力に狐面はあっけなく砕け、顔面から血を吹き出しながら男はもんどり打って倒れる。 「お、おまえは……喜三郎」 砕けた面の下から現れたのは、鼻から大量の血を流していたものの、よく見知った顔だった。 村で雑事を引き受けている、気のいい男。 私も陽奈美と月音も、世話になったこともあるし、会話も何度となく交わしていた。関係は良好だったと思う。 その男が……陽奈美を追い詰め、月音を追い詰めた。 「お前達……村の住民なのか……、祭事のために招かれた外部の人間ではなく、比良山村の」 低い声で私は言う。 自分でも驚くほど、怒りのこもった低い声。 裏切られた、仲間だと思っていたのに、いつも仲良くしていたのに、共に汗を流し笑い語り合ったのに。 全部すべて、この日のためにそう振る舞っていたのか、こいつらは! 気がつくと私は獣のような声を上げ、自分に襲いかかってきていた狐面の男達を、掌底で打ち抜き、短刀で切りつけていた。 六人のうち四人が瞬く間に戦闘力を失い、あるいは致命傷を負い身動きできなくなったのを知ると、残りの狐面達は、槍に持ち替えてその穂先を私に向けたまま、距離を保っている。 「もう貴様等に、手加減をするつもりはない。だが猶予をくれてやる。月音と私と陽奈美を見逃して、このまま大人しく村に帰るというなら、こちらからは追いかけない。そうでないなら、こちらも全力で立ち向かわせてもらう。返答はいかがか!」 私は懐から取り出した護身用の短刀を、両手に持ったまま大きな声で宣言する。 しかし私の言葉を、翁面は大声で笑って受け流した。 「はは……其方等を見逃せば、村は滅びる。虚の神様の御加護を失ってな。なれば其方等を見逃すという選択はあり得ぬ。皆の衆、村のため命を賭して彼の者等を捕縛せよ。黄泉坂祭を行うためにな。」 翁面の言葉には何か魔術でも込められているのだろうか。 そう疑うほどに、翁面が言葉を発せば、それまで浮き足立っていた者達も突然統制を取り戻し、果敢に攻め寄せてくる。 私は一人二人と攻め寄せてくる者達を、短刀で切り伏せ、時には拳をたたきつけ退けようと奮闘する。 月音も変わらず、舞を舞うように動きながら、近づく者達を一閃の元に斬り捨てているのが視界の隅に見えた。 私も血路を切り開くべく、小刀を逆手に持ち替えて、男達のただ中に駆け込もうとした。 だが次の瞬間、死角から飛来した何かが私の足に絡みつき、私は体勢を崩して地面に転がってしまう。 地面に倒れた私を捕縛するべく、男達が迫る。 万事休す、ここまでかと覚悟を決めた時、主様という短い声が聞こえ、私の間近まで迫っていた男達の隊列が乱れる。 「私の夫君に手出しは許しません!下がりなさい!」 私と男達の間に立ち塞がるように、月音が立っていた。 右手に血塗られた鉄扇。左手にこれも朱に染まった短刀をもったまま、私を庇うように立っている。 月音が時間を稼いでくれているうちに、足に絡みついた物を取り除かねばと私は自分の足首を見る。 そこには幾重にも重なった、縄状の何かが絡みついていた。分銅と縄で作られた狩猟用の投擲武器のようだ。 思いのほかしっかりと絡みついているそれをほどくのに、想像以上に苦労してしまう。 早く解けろ、はやく、気ばかりが急いてしまう。 「主様!危……」 縄をほどくのに必死になっていた私に、叫ぶような月音の声が聞こえた。 そして私の顔に何か生暖かい物が降り注ぐ。 空が……赤い?紅い?朱……い? 妙に生々しい香りが鼻孔を突く。 月音が私に手を伸ばしたまま、ゆっくりと倒れていく。 何が……起きているのだ。 私は目の前で起きている事態を全く理解できず、固まってしまう。 あり得ない。そんなことは絶対にあり得ない。 私が今見た光景は、夢に違いない。 追い詰められた恐怖と疲労から見た、あり得ない幻覚なのだ。 だって……月音の肩に、腹に、足に、腕に…… 咲き誇る曼珠沙華のような、そんな朱が生み出されているなんて……。 月音が私に手を伸ばす。 私も月音に必死に手を伸ばした。 月音がにこりと微笑んだ。 この場にそぐわぬほどに柔らかく満ち足りた顔で。 地面に倒れると思った月音は、しかし最後の最後で踏ん張り、そこから体勢を持ち上げ、私に大きく一歩近づく。 月音の真っ白な肌、その口元から二筋の赤い筋が流れ落ちている。 「主様……、どうか、どうか生きて」 「あぁ、あぁ、月音も一緒だ。一緒に行こう。」 あと少し、手が触れあう距離。 ここで終わるのであればせめて、この腕の中に月音を抱きしめて、その体温を感じながら終わりたい。 あと少しで手が繋がる、そう思った瞬間、月音は意外なほど力強く地面を踏み込み、そして私を……。 突き飛ばした。 「月音ぇぇぇぇぇ!」 力の限り叫ぶ、喉が裂けるほどに叫ぶ。 何故だ、何故なのだ。最後の時は二人共にという私の願いを何故叶えてくれない。 私の体は緩やかに宙に浮き、そしてなだらかに崖下へと落ち始める。 「朋胤様、どうか……生きてくださ」 月音の声はそこで途絶えた。 久方ぶりに、主様ではなく名を呼んでくれたのに、それが最後なのか。 月音の喉から月が生まれていた。 天空の月と同じように、白く輝く小さな月。 いやそれは月ではなかった。 月音の喉を貫いたそれは、月のような白金ではなく、鈍色に光っていた。 そして赤く散る花びらが、月音の命の灯火の残りを教えるかのように夜空に広がっていく。 「あぁ、あぁ……うあぁぁぁぁぁぁ!!」 これ以上の悲しみがあるのか、神は何故これほどの絶望を私に与えるのだ。 私が、月音が、そして陽奈美がどれほどの罪を犯したというのだ。 月音から生み出された、赤い夜の蝶が静かに私の顔に振り注いだ。 私は本当の絶望という物を知った。そして月音のいないこの世界への興味をすべて失った。 「これで黄泉坂祭はもう行えまい!我はこの先、何度生まれ変わっても、この地を呪い続ける!月音の、陽奈美の罪なき血で塗り固められたこの地に、永遠の咎を与える。絶えよ!枯れ果てよ!すべての災いに塗れそのたびに積みなく殺された二人の少女に懺悔するがいい!!」 考えつく限りの呪いの言葉を口にし、私はゆっくりと落ちていく。 このまま地面にたたきつけられるのだろうか、まぁいいそうすればまた月音に、陽奈美に会える…。 わたしはゆっくりと目を閉じた。 もう何も見たくない、聞きたくない。願わくばもう一度彼女たちに会えますようにと。
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