表示設定
表示設定
目次 目次




主なき屋敷で

61/68





 その空間は、恐らく普通に見るならば何の変哲もない古い日本家屋が立っているだけに見えるだろう。  だけれど俺達の目には、とても禍々しくどす黒い物に見えていた。  背筋に寒いものが走り、俺は軽く身震いするが、ここまで来た以上は覚悟を決めねばならないと思った。  ちらりと左右に視線を走らせる。  それぞれ強張った表情をしているが、それでも強い意志を秘めた瞳でオレを見つめてくれる女性3人が其処には居た。  美月と陽女はわかるが、なぜだか咲耶までが巫女装束を着用しているのは疑問ではあったが。  そんな彼女達を見て、オレは自分の情けない気持ちに少しだけ苦笑して、すっと背筋を伸ばす。  大きな板で作られた門を叩こうと一歩前にでる。  しかし俺の手が門に触れるより早く、それはギィという鈍い音を立ててゆっくりと開かれていった。  開ききった門の向こう側には、紫色の髪とタンザナイトの瞳を持つあの女が立っていた。  今日は前回のようなドレス姿ではなく、巫女服のような着物のような、なんともいい難い装いをしている。  相変わらずの無表情で俺たちの顔を順番に眺め、うやうやしく頭を下げる。 「お早いおつきで。こちらの指定通り1人も欠けることなきご来訪、感謝いたします。……ご足労を願った身で大変恐縮なのですが、我が主が宴の前に余興をご用意させていただいております……。まずはそちらをごゆるりとご堪能いただければと思います」  相変わらずの平坦な声でそう告げると、俺たちの発言を待つことなくクシナダの姿が空気のように溶けて消えた。 「幻影……悪趣味なことね……どこからか私達の様子を見て楽しんでいるのでしょう」  美月が吐き捨てるかのようにそういう。  よほどスサノオたちとウマが合わないのだろうかと、場にそぐわない感想を抱いてしまうが、美月のその悪態のお陰で肩から力が抜けていることに気が付き、もしかすると彼女なりに緊張を解してくれたのかもと少し嬉しくなる。 「余興……ね、あんまり趣味のいいものじゃない気がするんだけど……こちらに拒む権利はないわよ……ね」  肩をすくめてぼやくように言う咲耶。 「大して思い入れはなかったといえど、ずっと暮らしていた家をこんな風にされるとちょっとは腹が立つものなのね……。あんな鳥かごみたいな生活だったけど……でも、私の思い出を汚されたみたいで腹が立つわ」  静かな怒りのこもった声。  彼女がこういう声を出すところをあまり見たことがなかった俺は、少し意外な気持ちになる。  知っているようで、まだ咲耶のことを全然知らないという当たり前のことを実感する。 「ともかく、入るしか無いですね。油断しないように警戒だけは怠らないようにしましょう。屋敷の作りは……咲耶さまの案内に従いますわ」    やはり冷静に状況を把握した陽女が指示を出す。  警戒をしてもしすぎということはないだろう、ここは陽女の言う通り咲耶の案内に従いながら進んでいくほうがいいだろうと俺も思ったので、同意する旨を伝える。  このように咲夜をメインとした行動を異論なく行える、それだけでもあの親睦を深める儀式は意味があったのかもしれないなとふと思って、俺は軽く笑みを浮かべた。 「玄関からはずっと廊下が続いていて、その両側に部屋があるわ、左右均等に六部屋。そして突き当りからは左右に分かれていて左側は炊事関連の、右側は水回りの部屋になっている……、昔のままなら……だけど」  いろいろな感情が混ざり合った複雑な表情をして、咲耶が間取りの説明をしていく。 「とりあえずその分岐路に至るまでは、それぞれの部屋を調べながら進むしか無いと思うんだが」 「そうですね、部屋になにか仕掛けがあるかもしれません、注意していきましょう」 「術式がかけられていたら私が解除するけど……気が付かずに発動させてしまった場合はお願いするわ」  美月がそういいながらちらりと咲耶を見る。  ここに来るまでに聞いたが、陽女は汎用的に何でも器用にこなすが特殊な術式は苦手。  美月は封印や解呪、結界を得意とする反面、敵になるものに対する攻撃手段に乏しい。  咲耶は守藤の家に伝わる呪法の数々を取得しており、敵対者に対して有効なものが多いらしい。  陽女がビショップ、美月がプリースト、咲耶がウィザードみたいだなと軽口を叩いたら、たいそう白い目で見られたことは、実は軽くオレの心を傷つけたのだが、それは今言うことではない。  ともかく、この場所を知っている咲耶が先頭、術などに対して対応できる美月が二番手、隊列の最後尾は汎用性の高い陽女ということが決まり、俺はと言うと特になにかできることもないため、美月と陽女の間、つまり隊列の3番手に位置することで決まった。  解ってはいたことだが、やはりこういうときに何もできないというのは歯痒いし、なんとも情けないものが有るが今更それを言っても仕方ないので、俺は大人しく従うことにした。 「じゃあ……行くわよ」  警戒をにじませた声で咲耶は言い、返事を待たずに玄関の引き戸に手をかける。  カラカラと場違いな軽快な音を立てて扉はあっけなく開かれた。 「この場所に特に何か仕掛けがある感じはない。大丈夫よ」  扉を開いた瞬間、何かの術式が発動する……という懸念を抱いていたが、そういったものはなかったようなので、俺たちは慎重にでは有るが玄関からの歩みを勧めた。  咲耶には申し訳ないけれど、何が有るかわからない今、悠長に靴を脱いだりしているわけにも行かないため、土足でそのまま家の中へと侵入する。  玄関からの景色は、豪華な旅館のようでもあった。  廊下という言葉でイメージするものより2倍はあろうかと思うほどの板張りの廊下。  その両側には規則正しくふすまが並んでおり、廊下の先は上がり框からは見えない。  改めてとんでもないお屋敷なのだと痛感する。  俺では一生かかっても縁の無いような豪邸だなと思う。   「家を守るために、人として大切なものを捨てたというのに……皮肉な話ね。残ったのは建物だけでしたなんて笑えない話よ……」  怒りをにじませた咲耶の声が耳に刺さる。  家のため……その言葉の呪縛によって、自らを守藤家の人形と称していた緖美。  家を守るために、その半生を歪められて、1人の人間として生きることを許されなかった彼女。  その結果が、遂には主を失いガワだけとなった家。  俺はその言葉に隠された、怒りの裏にある深い悲しみを感じて、咲耶の肩を抱きしめてあげたい気持ちになったが、今隊列を崩すことも良くないことだと思い直し、じっとこらえる。  余談ではあるが、廊下が予想以上に広いので、隊列を2列縦隊に変えるという提案もあったが、両サイドが部屋であることを考慮すると、何かが起きた時回避できる空間が必要であるという理由で却下された。   「それぞれの部屋を確認してから先に進むか、それとも何も起きていないなら敢えてヤブを突く真似はせずにそのまま奥に進むか……どちらがいいと思う?」  ふと頭に浮かんだ疑問を言葉にする。 「通り過ぎてから部屋の中に仕掛けられているなにかが発動して、挟み撃ち……という事態が起きると困るから全部調べていくほうが安全だと思う」  咲耶が率直な意見を口にする。  オレもそれは危惧していた。  何も起きていないからと、油断して先に進みその先で何かが起きた時、連鎖で通り過ぎた部屋でなにかが起こる。  そういうタイプの罠を警戒するのは間違いではないと思う。  相手から見れば、こちらがそう考えての時間稼ぎの可能性もあるが、日時を指定した上で門で出迎えまでしたのだ、時間稼ぎの可能性は低いと思う。 「私は智春さまのお考えに従います」  陽女は微笑んでそういう。  命運の全てはあなたに委ねますという、素直な思いが感じられるが、この状況ではそれはとても重いものでも有る。  それだけの信頼と信用をオレに持ってくれているのはとても嬉しいことなのだが。    いや彼女はもっと深い意味で言っているのかもしれない。  たとえ死すともあなたと一緒であれば悔いはない……そう言っているのかもしれない。  そう思うと軽く身震いしてしまう。 「あの陰険根暗すさのおの考えることだから、私も可能な限り虱潰しらみつぶしにしたほうがいいと思う」  やはり怒気を含んだ口調で美月が言う。  本当に嫌悪しているのだなと伝わる口調であった。    そして悲しいかな、敵でも有る須佐之男もまた、美月を同じくらいに嫌悪している。  つまり俺たちに向けられている罠や敵意は、美月が須佐之男を嫌うのと同レベルの恨みがこもっているということだ。  ましてやアイツは、咲耶……いや緖美だった存在を自分の道具と思っていた。  自分の意に逆らい、計画を潰しあまつさえアイツから見れば敵側に回った咲耶に対しても思うところがあるだろう。  つまりは陰湿で念入りな罠が仕掛けられていても不思議ではないということだ。 「では全ての部屋をくまなく確認して、危険がないことを確認してから奥に進むことにする。それでいいかな」  俺の言葉に全員が頷く。  最初は入り口からすぐにある向かい合わせの襖の、右側を開くことにする。  襖に仕掛けがないかを、手をかざして確認する美月。  美月が1度頷いて何も仕掛けがないことを伝えると、咲耶が襖に手をかけて一息に開く。  そこは広々とした和室だった。  パッと見た感じは大きな旅館の部屋くらいはありそうな広い部屋だった。  ただ気味が悪いほどなにもない部屋であり、生活感が一切ない。 「……やはり私は、捨てられたんだね」  ふと咲耶が漏らす。  どういう意味だろうかと思い、俺は彼女の顔を眺める。 「ここね……私の部屋だったんだ。今はこんなだけど、机も椅子もベッドもあったんだよ。僅かな時間なのにそれも全部捨てられたんだね。中学の卒業アルバムも……好きだった本も……全部。解ってたけど……でも辛いな」    咲耶の頬を静かに涙が流れ落ちていく。   「いい思い出なんて……なかった。目的のためだけに生かされてた時を過ごした部屋だけど……でも、実際にこうして目にすると……ちょっとクるなぁ……あはは」  力なく笑う咲耶。  頭では解っていた、でも心では受け入れられなかった。  そういう事実が彼女にのしかかり、その感情を乱しているのだとわかる。  そんな咲耶に掛ける言葉も思いつかないのか、陽女と美月も気まずそうに視線を交わし合うだけでなにも言えないでいた。 「ははは……デク人形に思い出が必要か? 目的も果たせず、役にも立たず、あまつさえ敵側に寝返ったお前がなにを泣く。ここは敵地だぜ、お前の思い出の物が残っているはずがないだろう」  嫌な笑い声とともに、部屋の中に一人の男がその姿を表す。  男の周囲の空間は蜃気楼のように曖昧に揺らめいているから、これは幻影の姿なのだろう。  ギリッと咲耶が奥歯を噛みしめる音がした。  涙が流れたままの目で、キッと男の……須佐之男の姿を睨みつける。 「おお……怖い怖い、俺が仕込んでやった口で愛する方法を使って、紫眼をたらし込むかと思っていたが、逆にお前がたらしこまれたか? 飼い主に歯向かう様にしつけては居なかったはずだがな」  煽るように須佐之男がいい、咲耶は今にも飛びかかろうとしている。  完全に怒りの余り我を忘れているようだった。 「まぁ……お前ら全員を倒した後、デク人形だけは生かしておいてやろう、首から上だけでも死なないように術を施して、気が向いたらその口を使ってやるか……それとも紫眼のために後生大事に守り抜いた乙女を無様にちらした後、亡者共のはけ口にしてやるか……くはは……どっちが好みだ」  醜悪なほどに歪めた顔で咲耶に向かって更に言葉を重ねる須佐之男。  やすい挑発だということはみんな解っているけど、俺の前で性のはけ口に使ってやるといわれて、咲耶の我慢も限界に達していたのだろう、止める間もないほどの勢いで咲耶が怒声を上げて須佐之男に向かい突進していく。  だが幻影である須佐之男を捉えることなどできない。  咲耶の手をするりとすり抜けると、須佐之男は少し離れた場所で再度姿を表して下卑た笑いを浮かべる。 「なんだ亡者のはけ口は不満か? ならお前の穴と言う穴の全部を俺が味わい尽くした後は、自分から殺してくれと懇願するまでその体を寸刻みに刻んでやろうか」  その言葉に再度、咲耶が突進しようとするのを、美月の腕が抑え込んだ。  咲耶の腕をしっかりと掴んで離さない。 「堕ちた堕ちたと思っていましたが……わが弟ながらこれ程までとは……もうその妄言を聞くことも煩わしい」  今まで聞いたことがないほどに冷え込んだ美月の声。  それとともに美月が大きく袖を振る。  すると先程までそこにあったあの醜悪な顔を浮かべた須佐之男の姿がかき消される。 「く……ふ……うぅ…………」  須佐之男の姿が消えた途端、脱力してその場にうずくまった咲耶の口から、絞り出すような嗚咽が漏れる。  俺はそんな咲耶になんと声をかけたらいいのか分からずに、その場に立ち尽くすしかなかった。  



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!


表示設定 表示設定
ツール 目次
ツール ツール
前のエピソード 彼女は……俺は……

主なき屋敷で

61/68

 その空間は、恐らく普通に見るならば何の変哲もない古い日本家屋が立っているだけに見えるだろう。  だけれど俺達の目には、とても禍々しくどす黒い物に見えていた。  背筋に寒いものが走り、俺は軽く身震いするが、ここまで来た以上は覚悟を決めねばならないと思った。  ちらりと左右に視線を走らせる。  それぞれ強張った表情をしているが、それでも強い意志を秘めた瞳でオレを見つめてくれる女性3人が其処には居た。  美月と陽女はわかるが、なぜだか咲耶までが巫女装束を着用しているのは疑問ではあったが。  そんな彼女達を見て、オレは自分の情けない気持ちに少しだけ苦笑して、すっと背筋を伸ばす。  大きな板で作られた門を叩こうと一歩前にでる。  しかし俺の手が門に触れるより早く、それはギィという鈍い音を立ててゆっくりと開かれていった。  開ききった門の向こう側には、紫色の髪とタンザナイトの瞳を持つあの女が立っていた。  今日は前回のようなドレス姿ではなく、巫女服のような着物のような、なんともいい難い装いをしている。  相変わらずの無表情で俺たちの顔を順番に眺め、うやうやしく頭を下げる。 「お早いおつきで。こちらの指定通り1人も欠けることなきご来訪、感謝いたします。……ご足労を願った身で大変恐縮なのですが、我が主が宴の前に余興をご用意させていただいております……。まずはそちらをごゆるりとご堪能いただければと思います」  相変わらずの平坦な声でそう告げると、俺たちの発言を待つことなくクシナダの姿が空気のように溶けて消えた。 「幻影……悪趣味なことね……どこからか私達の様子を見て楽しんでいるのでしょう」  美月が吐き捨てるかのようにそういう。  よほどスサノオたちとウマが合わないのだろうかと、場にそぐわない感想を抱いてしまうが、美月のその悪態のお陰で肩から力が抜けていることに気が付き、もしかすると彼女なりに緊張を解してくれたのかもと少し嬉しくなる。 「余興……ね、あんまり趣味のいいものじゃない気がするんだけど……こちらに拒む権利はないわよ……ね」  肩をすくめてぼやくように言う咲耶。 「大して思い入れはなかったといえど、ずっと暮らしていた家をこんな風にされるとちょっとは腹が立つものなのね……。あんな鳥かごみたいな生活だったけど……でも、私の思い出を汚されたみたいで腹が立つわ」  静かな怒りのこもった声。  彼女がこういう声を出すところをあまり見たことがなかった俺は、少し意外な気持ちになる。  知っているようで、まだ咲耶のことを全然知らないという当たり前のことを実感する。 「ともかく、入るしか無いですね。油断しないように警戒だけは怠らないようにしましょう。屋敷の作りは……咲耶さまの案内に従いますわ」    やはり冷静に状況を把握した陽女が指示を出す。  警戒をしてもしすぎということはないだろう、ここは陽女の言う通り咲耶の案内に従いながら進んでいくほうがいいだろうと俺も思ったので、同意する旨を伝える。  このように咲夜をメインとした行動を異論なく行える、それだけでもあの親睦を深める儀式は意味があったのかもしれないなとふと思って、俺は軽く笑みを浮かべた。 「玄関からはずっと廊下が続いていて、その両側に部屋があるわ、左右均等に六部屋。そして突き当りからは左右に分かれていて左側は炊事関連の、右側は水回りの部屋になっている……、昔のままなら……だけど」  いろいろな感情が混ざり合った複雑な表情をして、咲耶が間取りの説明をしていく。 「とりあえずその分岐路に至るまでは、それぞれの部屋を調べながら進むしか無いと思うんだが」 「そうですね、部屋になにか仕掛けがあるかもしれません、注意していきましょう」 「術式がかけられていたら私が解除するけど……気が付かずに発動させてしまった場合はお願いするわ」  美月がそういいながらちらりと咲耶を見る。  ここに来るまでに聞いたが、陽女は汎用的に何でも器用にこなすが特殊な術式は苦手。  美月は封印や解呪、結界を得意とする反面、敵になるものに対する攻撃手段に乏しい。  咲耶は守藤の家に伝わる呪法の数々を取得しており、敵対者に対して有効なものが多いらしい。  陽女がビショップ、美月がプリースト、咲耶がウィザードみたいだなと軽口を叩いたら、たいそう白い目で見られたことは、実は軽くオレの心を傷つけたのだが、それは今言うことではない。  ともかく、この場所を知っている咲耶が先頭、術などに対して対応できる美月が二番手、隊列の最後尾は汎用性の高い陽女ということが決まり、俺はと言うと特になにかできることもないため、美月と陽女の間、つまり隊列の3番手に位置することで決まった。  解ってはいたことだが、やはりこういうときに何もできないというのは歯痒いし、なんとも情けないものが有るが今更それを言っても仕方ないので、俺は大人しく従うことにした。 「じゃあ……行くわよ」  警戒をにじませた声で咲耶は言い、返事を待たずに玄関の引き戸に手をかける。  カラカラと場違いな軽快な音を立てて扉はあっけなく開かれた。 「この場所に特に何か仕掛けがある感じはない。大丈夫よ」  扉を開いた瞬間、何かの術式が発動する……という懸念を抱いていたが、そういったものはなかったようなので、俺たちは慎重にでは有るが玄関からの歩みを勧めた。  咲耶には申し訳ないけれど、何が有るかわからない今、悠長に靴を脱いだりしているわけにも行かないため、土足でそのまま家の中へと侵入する。  玄関からの景色は、豪華な旅館のようでもあった。  廊下という言葉でイメージするものより2倍はあろうかと思うほどの板張りの廊下。  その両側には規則正しくふすまが並んでおり、廊下の先は上がり框からは見えない。  改めてとんでもないお屋敷なのだと痛感する。  俺では一生かかっても縁の無いような豪邸だなと思う。   「家を守るために、人として大切なものを捨てたというのに……皮肉な話ね。残ったのは建物だけでしたなんて笑えない話よ……」  怒りをにじませた咲耶の声が耳に刺さる。  家のため……その言葉の呪縛によって、自らを守藤家の人形と称していた緖美。  家を守るために、その半生を歪められて、1人の人間として生きることを許されなかった彼女。  その結果が、遂には主を失いガワだけとなった家。  俺はその言葉に隠された、怒りの裏にある深い悲しみを感じて、咲耶の肩を抱きしめてあげたい気持ちになったが、今隊列を崩すことも良くないことだと思い直し、じっとこらえる。  余談ではあるが、廊下が予想以上に広いので、隊列を2列縦隊に変えるという提案もあったが、両サイドが部屋であることを考慮すると、何かが起きた時回避できる空間が必要であるという理由で却下された。   「それぞれの部屋を確認してから先に進むか、それとも何も起きていないなら敢えてヤブを突く真似はせずにそのまま奥に進むか……どちらがいいと思う?」  ふと頭に浮かんだ疑問を言葉にする。 「通り過ぎてから部屋の中に仕掛けられているなにかが発動して、挟み撃ち……という事態が起きると困るから全部調べていくほうが安全だと思う」  咲耶が率直な意見を口にする。  オレもそれは危惧していた。  何も起きていないからと、油断して先に進みその先で何かが起きた時、連鎖で通り過ぎた部屋でなにかが起こる。  そういうタイプの罠を警戒するのは間違いではないと思う。  相手から見れば、こちらがそう考えての時間稼ぎの可能性もあるが、日時を指定した上で門で出迎えまでしたのだ、時間稼ぎの可能性は低いと思う。 「私は智春さまのお考えに従います」  陽女は微笑んでそういう。  命運の全てはあなたに委ねますという、素直な思いが感じられるが、この状況ではそれはとても重いものでも有る。  それだけの信頼と信用をオレに持ってくれているのはとても嬉しいことなのだが。    いや彼女はもっと深い意味で言っているのかもしれない。  たとえ死すともあなたと一緒であれば悔いはない……そう言っているのかもしれない。  そう思うと軽く身震いしてしまう。 「あの陰険根暗すさのおの考えることだから、私も可能な限り虱潰しらみつぶしにしたほうがいいと思う」  やはり怒気を含んだ口調で美月が言う。  本当に嫌悪しているのだなと伝わる口調であった。    そして悲しいかな、敵でも有る須佐之男もまた、美月を同じくらいに嫌悪している。  つまり俺たちに向けられている罠や敵意は、美月が須佐之男を嫌うのと同レベルの恨みがこもっているということだ。  ましてやアイツは、咲耶……いや緖美だった存在を自分の道具と思っていた。  自分の意に逆らい、計画を潰しあまつさえアイツから見れば敵側に回った咲耶に対しても思うところがあるだろう。  つまりは陰湿で念入りな罠が仕掛けられていても不思議ではないということだ。 「では全ての部屋をくまなく確認して、危険がないことを確認してから奥に進むことにする。それでいいかな」  俺の言葉に全員が頷く。  最初は入り口からすぐにある向かい合わせの襖の、右側を開くことにする。  襖に仕掛けがないかを、手をかざして確認する美月。  美月が1度頷いて何も仕掛けがないことを伝えると、咲耶が襖に手をかけて一息に開く。  そこは広々とした和室だった。  パッと見た感じは大きな旅館の部屋くらいはありそうな広い部屋だった。  ただ気味が悪いほどなにもない部屋であり、生活感が一切ない。 「……やはり私は、捨てられたんだね」  ふと咲耶が漏らす。  どういう意味だろうかと思い、俺は彼女の顔を眺める。 「ここね……私の部屋だったんだ。今はこんなだけど、机も椅子もベッドもあったんだよ。僅かな時間なのにそれも全部捨てられたんだね。中学の卒業アルバムも……好きだった本も……全部。解ってたけど……でも辛いな」    咲耶の頬を静かに涙が流れ落ちていく。   「いい思い出なんて……なかった。目的のためだけに生かされてた時を過ごした部屋だけど……でも、実際にこうして目にすると……ちょっとクるなぁ……あはは」  力なく笑う咲耶。  頭では解っていた、でも心では受け入れられなかった。  そういう事実が彼女にのしかかり、その感情を乱しているのだとわかる。  そんな咲耶に掛ける言葉も思いつかないのか、陽女と美月も気まずそうに視線を交わし合うだけでなにも言えないでいた。 「ははは……デク人形に思い出が必要か? 目的も果たせず、役にも立たず、あまつさえ敵側に寝返ったお前がなにを泣く。ここは敵地だぜ、お前の思い出の物が残っているはずがないだろう」  嫌な笑い声とともに、部屋の中に一人の男がその姿を表す。  男の周囲の空間は蜃気楼のように曖昧に揺らめいているから、これは幻影の姿なのだろう。  ギリッと咲耶が奥歯を噛みしめる音がした。  涙が流れたままの目で、キッと男の……須佐之男の姿を睨みつける。 「おお……怖い怖い、俺が仕込んでやった口で愛する方法を使って、紫眼をたらし込むかと思っていたが、逆にお前がたらしこまれたか? 飼い主に歯向かう様にしつけては居なかったはずだがな」  煽るように須佐之男がいい、咲耶は今にも飛びかかろうとしている。  完全に怒りの余り我を忘れているようだった。 「まぁ……お前ら全員を倒した後、デク人形だけは生かしておいてやろう、首から上だけでも死なないように術を施して、気が向いたらその口を使ってやるか……それとも紫眼のために後生大事に守り抜いた乙女を無様にちらした後、亡者共のはけ口にしてやるか……くはは……どっちが好みだ」  醜悪なほどに歪めた顔で咲耶に向かって更に言葉を重ねる須佐之男。  やすい挑発だということはみんな解っているけど、俺の前で性のはけ口に使ってやるといわれて、咲耶の我慢も限界に達していたのだろう、止める間もないほどの勢いで咲耶が怒声を上げて須佐之男に向かい突進していく。  だが幻影である須佐之男を捉えることなどできない。  咲耶の手をするりとすり抜けると、須佐之男は少し離れた場所で再度姿を表して下卑た笑いを浮かべる。 「なんだ亡者のはけ口は不満か? ならお前の穴と言う穴の全部を俺が味わい尽くした後は、自分から殺してくれと懇願するまでその体を寸刻みに刻んでやろうか」  その言葉に再度、咲耶が突進しようとするのを、美月の腕が抑え込んだ。  咲耶の腕をしっかりと掴んで離さない。 「堕ちた堕ちたと思っていましたが……わが弟ながらこれ程までとは……もうその妄言を聞くことも煩わしい」  今まで聞いたことがないほどに冷え込んだ美月の声。  それとともに美月が大きく袖を振る。  すると先程までそこにあったあの醜悪な顔を浮かべた須佐之男の姿がかき消される。 「く……ふ……うぅ…………」  須佐之男の姿が消えた途端、脱力してその場にうずくまった咲耶の口から、絞り出すような嗚咽が漏れる。  俺はそんな咲耶になんと声をかけたらいいのか分からずに、その場に立ち尽くすしかなかった。  



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!