混迷する時
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「率直に聞きます……、守藤の目的とは何なのでしょうか」 社務所の隣、初めてこの神社を訪れたときに案内された、あの待合室のような小さな部屋に、俺と緖美、そして美月と陽女が車座に座っていた。 今後の対策を立てるために、それぞれが持っている情報を交換したいと言う話だが、この場にいて唯一俺だけが何の情報も持って居らず、そして状況を一番理解していないため居心地が悪い。 「一言で言うと……高野宮朋胤がこの地に残した呪を取り除くこと……かしらね」 先ほど手際よく美月が煎れてくれた茶をひとくち飲んで、少し口を湿らせた緖美が答える。 高野宮 朋胤の呪……、俺が見た夢の一番最後のあの文言だろうか。 【我はこの先、何度生まれ変わっても、この地を呪い続ける!月音の、陽奈美の罪なき血で塗り固められたこの地に、永遠の咎を与える。絶えよ!枯れ果てよ!すべての災いに塗れそのたびに罪なく殺された二人の少女に懺悔するがいい!!】 あの日「彼」が臓腑から絞り出すようにしてあげた叫び声が耳によみがえる。 それと同時に、その時の熱が身体によみがえってしまったかのように、無意識にわき上がる怒りを覚える。 記憶も認識も無いけれど、自分がかつて高野宮 朋胤だったと意識される。 それほどに生々しい、臨場感のある怒りの感情と空虚な気持ちが俺の中にわき上がってくる。 「智春さま、どうかしたのですか?」 俺の表情の変化をめざとく見つけたのか、美月が顔色を変えて俺の方へと手を伸ばす。 俺はその手を優しく押しとどめて、無理矢理笑顔を作るとなんでもないとだけ返した。 こんな感情を美月に見せたくないと、無意識にそう思ってしまった。 あの優しかった、思いやりに溢れた、大人しい少女であった月音に見せたくはないと思ってしまった。 俺の中の高野宮 朋胤と明神智春が混在し、混ざり合ってしまっているのか、彼女のことを美月だと認識しているのに、心のどこかでは月音と思ってしまう。 緖美が陽女ではなく、陽奈美の呼称にこだわるように。 もしかすると俺たち全員、あの夜の黄泉坂祭から逃れられていないのかもしれない。 最後の黄泉坂祭。 それはこの繰り返される因果の中で、大きな意味と存在感を持っているのかもしれないと感じる。 「朋胤さまの……呪ですか。はたしてそれは本当に存在するのでしょうか」 しばらくの間、目をとして深く考え込んでいた陽女が、ゆっくりと目を開けて俺たち全員の顔を見てからポツリとそう言う。 「姉様、それはどういうことですか」 「朋胤さまは、本当にこの地にそのような呪を施したのでしょうか。あれほどにこの地の安寧と村人のことを愛でておられた高潔な朋胤さまが、一時の感情でそのような呪を施すのかと疑問に感じたのです」 「俺は……詳しくないから解らないけど、それは呪ではなく、強い思いが故に起こったものじゃないかと思う」 誰もが明確な答えを出せない中、俺は思ったままを言葉にした。 確かにあの時の「彼」は呪いの言葉を口にした。 しかし彼は一切の術式も行っていない。 ただ感情のままの言葉を口にしただけだ。 少なくとも俺が記憶している事実はそれであった。 「呪ではなく言霊……かもしれません。そもそもあの後に村が滅びたのは、朋胤さまの呪いではなく黄泉坂祭による封印が行えていないから起こったと考えることも出来ますから」 「でも私がお爺さまから聞かされた話しは、高野宮の呪を解放するために、彼の魂を持つモノ「紫眼」を持つ者を取り込み、守藤の乙女の破瓜の血を持って呪と成すことで、守藤の悲願が達成されると……」 「破瓜の血……そのような呪法は、聞いたことが無い……」 緖美の説明を聞いた美月が、不審そうな顔で眉根を寄せ思案し始める。 「守藤の血……乙女の純潔……破瓜の血……」 美月につられたのか、陽女も何やらブツブツと呟きながら思案をし始める。 しばらく言葉もなく、考え込んでいた二人だったが、ふと何かを思い出したのか同時に顔を上げて口を開く。 「守藤の血と高野宮の血……そして陽奈美……まさか!」 「いえ……でもそんな、あり得ない。それをするならなぜ黄泉坂祭を執り行ってきたというの」 思い当たった説が、違うモノであって欲しいと願いながら、しかし恐らくそれが真実に近いのだろうとそう思っているような口調だった。 【守藤家は根の国との扉を開くつもりだ】 二人が導き出した結論を、同時に口にした。 二人が導き出した答えは、黄泉坂祭の目的と真逆のものである。 それはあり得ないのではないかと、全容を知らない俺は疑問を抱いてしまう。 「黄泉坂祭が行えなくなり、村の存在すらなくなってしまったあと……古い家名のみとなった守藤が、新しく頼みにしたのは……まさか、でもそんな」 陽女が震える声で呟くようにそう言い、そしてその考えを振り払うように頭を大きく振る。 陽女の言葉を聞いた美月の顔色は、どんどんと悪くなる。 俺が知らないだけで、最悪の事態を二人は想像してしまっているのかもしれない。 「ほう……案外早く答えにたどり着いたようだな。さすがは月。相変わらず反吐が出るほどに嫌悪したくなる」 とつぜんその場ではあり得ない、低い男の声が上がる。 余りに突然すぎて、俺たちは全員で声のした方へと顔を向けると、そこには光を失った虚空のような瞳をした緖美が少し宙に浮いた姿勢で、四肢をだらりとさせたまま立っていた。 「油断したな……月読、いや月読のかけらと言うべきか。俺の作った木偶を容易く自分の結界内に招くとは、長き人界での生活で耄碌したか?」 相変わらずの低い男の声が、緖美の唇から発せられるのは不気味であった。 陽女と美月は身構えたまま、寄り添うようにして立っている。 俺は何が起きているのか解らないまま、しかしこの声をどこかで聞いたことがあるように感じて、緖美を凝視する。 「お前……校門で緖美といた、あの男か……。その声、間違いない」 「ほぉ……紫眼はなかなかに鋭いようだな。そうだ、あの時緖美の隣に立っていたのは俺だ。そしてそっちの二人は俺の正体を解っているのだろう?なぁ……姉上達よ」 緖美の唇が歪み、口角が不自然なほどあがっていく。 その姿は一種不気味であり、そして歪であり、恐ろしいものだった。 「まさか……貴方が裏で糸を引いていたとは。力押ししか出来ない猪武者と思っていたけれど、成長したようね」 美月が溢れる敵意を抑えることもせずに、緖美で在るものを睨み付け、姿勢を更に低くする。 「愚かな弟……そうまでして貴方は何を成そうというのですか。高天原を追放された意趣返しですか?」 凜とした声音で胸を張り、しっかりと両足を踏みしめた姿勢で陽女が言う。 その姿は威厳といふを感じさせるもので、普段の慈母の様な慈しみを感じさせる陽女とは違う印象を受ける。 「ははは……俺の目的は昔も今も変わらぬ。中津国を制し全ての国津神を姉上の配下となし、その功績で姉上を俺のものにする、ただそれだけよ」 「何をたわけたことを……気でも狂ったか」 「俺はずっと姉上を独占したかった、だが同じ姉弟でありながら、常に月が姉上の側を占有して、あまつさえ陰謀によってこの俺を高天原から追い出した。だから俺は月を排除し、誰もが認める功績を立てて姉上の隣を占有することに決めた」 緖美の口から、狂気を帯びた男の声があふれ出す。 その光景は異様で、見ているだけで吐き気を催してしまうが、俺は必死にそれに耐えて緖美を見る。 「そんな兄弟げんかの延長線のようなモノのために、俺や緖美を巻き込むのはやめろ。おまえらで勝手にやっていれば良いだろう」 心で感じたままをぶつける。 感情が高ぶっておさまらない。 そんな子供じみた独占欲のために、俺たちはこれほどまでの長きにわたり苦しみ藻掻いて来たのかと思うと、心の底から怒りを感じた。 「紫眼……お前はうつけか。そのようなものが目的の全てであるはずが無かろう。俺の目的は三界の統一。根の国、中津国、高天原。言うなれば地の底から天上までの全てを統べることだ。誰もなしえなかった統一王として君臨する。姉上を占有するのはこの最後の仕上げに過ぎぬ。」 緖美であるはずの存在が、光のない眼差しをゆっくりと俺の方へを向け、醜悪な笑みを浮かべて言う。 その緖美の姿に、覚えのあるあの男の姿が重なり、俺は恐怖よりも不快を感じた。 「そのような愚かなことを、見過ごすと思っているのか弟よ。例え欠片でも高天原の主としてその言動を見過ごすことは出来ない」 陽女の体から淡い燐光が発せられ、彼女のその白く美しい指が空中に複雑な紋様を描き始める。 「ははは、愚かなり愚かなり。この木偶を、陽奈美の最も中核にあった思念を、この地に招き入れた時点で月の目論見は破綻している。」 緖美の身体から黒く重い何かが溢れだし始める。 それはその重さ故にか、緖美の身体から放たれるとどんどん地面へとあふれだし、地表を覆い尽くし始める。 「陽奈美の中の黒く深い、鬱屈した思いを中核に生み出されたこの木偶が持つ、負の感情こそが鍵。月の巡らした結界はこれにより崩される。さぁ……湧き出す根の国の者達に蹂躙されるがいい!」 狂ったような笑いと共にそう言うと、緖美の身体は突然糸の切れた人形のようにだらしなくだらりと崩れ、宙に浮いていたその身体は地面に落ちる。 彼女を乃からを包んでいた黒い気は、そのあとも収まることなくあふれ出してきていて、それに比例するようにどんどんと緖美の身体から血色が失われていく。 まるで緖美の命を糧として、この黒い気が生み出されているように見えて、俺は慌てて美月に縋るような目を向ける。 「無理です……私とは対極の力、押さえ込むことが出来たとしても、消し去ることは出来ません」 泣きそうな顔をして美月が俺に応える。 (緖美を失ってしまう、ようやく自分として、ただ一人の緖美として生きるそう決めた彼女がこうもあっけなく消えてしまう) 絶望と共にそう思ったとき、俺の中で何かが動いた。 (望むのだ……願うのだ。心の底から、自分の本当の気持ちで、純粋に祈るのだ) 誰の声か解らない。 だけど何処か懐かしい感覚を覚える声が、俺の頭の中に響いてきた。 その言葉に縋るように、俺はただ一心に心の中で願い祈った。 (緖美を助けたい、緖美を助けてほしい。彼女が緖美として生きられるようにしたい)
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