高野宮 咲耶
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光が差し込んできた。 急に視界が拓けていった。 温かい、そう感じた。 「智春さま!智春さま!」 俺を呼ぶ声が聞こえる。 俺はゆっくりと目を開けて、周囲を見回す。 身体に纏わり付く、粘着質な重い空気を感じた。 まだ先ほどの夢を見ているのか。 太そう思ってしまうくらいに、その場所は暗く感じた。 「智春さま、気がついたのですね。良かった」 俺に声をかけていたのは美月のようだった。 床に伏している俺の上半身を、その両腕に抱き留めて俺の顔をのぞき込むような姿勢だった。 「急に気を失われて……、何が起こったのかと不安で」 泣きそうな声で美月が言う。 「俺は大丈夫……それより咲耶は」 俺が問いかけると美月は怪訝そうな顔をした。 「咲……耶?どなたのことでしょう」 そうだった、夢の中の話しなのだから美月が知るはずはない。 思わず口走ってしまったけれど、考えてみれば当然のことだなと思う。 しかし何故か、俺は緖美と呼ぶことに抵抗を感じたので、その名を口にはしない。 心配そうに俺をのぞき込む美月の手に自分の手を重ね、軽く押しやりながら大丈夫と答えた。 俺は上半身を起こしてゆっくりと立ち上がり、周囲の状況を再度確認する。 床に倒れている緖美……いや、咲耶の姿は俺が気を失う前と変わらない。 変わっているとすれば、彼女の身体から溢れだしていた瘴気のような黒いものが消えていたこと。 その代わり、この狭い部屋の全体に粘つく様な黒いモヤが立ちこめていた。 そして少し視線を動かすと、両手で印を組んだまま俺には理解できない言葉で何か唱え続ける陽女の姿もあった。 「この瘴気を押さえ込んで、力を発動させないようにしているのです」 俺の傍らに寄り添うようにして立つ美月がそう教えてくれた。 「押さえ込まないとどうなる」 「何が起こるかは……恐らくですが、黄泉との道が開きその住民があふれ出すかと」 美月の体が小刻みに震えている。 その光景を想像してしまったのだろうか。 俺はそんな美月を安心させるため、一度だけ軽く微笑むと、床に倒れたままになっている咲耶の体を揺すった。 「咲耶、戻ってこい。お前のしでかしたこと、俺たちがなさねばならぬ事、まだ山積みなんだぞ」 少し乱暴に身体を揺すってやる。 起きてくれという俺の願望がこもっているからだろうか、いま思えば少し乱暴だったかもしれない。 「……美月……、これ以上……」 俺が咲耶の身体を揺すっていると、苦しげな陽女の声が聞こえた。 押さえ込むのも限界という事なのだろうかと、不安が頭をもたげてくる。 「姉様、私も光陣護法の術を」 答えるが早いか、美月の指が何もない空間に複雑で奇妙な文字を描く。 空中を指でなぞっただけのはずなのに、指が通った軌跡が光を放ちそれは文字となる。 美月は立て続けに16文字を空中に描き出すと、陽女と同じような鳥のさえずりにもにた高い音で何かを唱える。 美月の言葉に反応して、空中に描かれた文字が光を放ち始め、それは様々な色に輝き始める。 俺は思わずその様子に見とれてしまっていた。 「ケホッ……ケホッ……」 二度ほど咳き込むような音が聞こえ、俺はその音のした方に目を向けると、うっすらと目を開けた咲耶の視線とぶつかった。 「目覚めたかよ、心配をかけやがって」 嬉しさ半分、安堵が半分の気持ちで俺が笑いかけると、咲耶もぎこちなく笑った。 「良いタイミング……とは言えないわね。でも最悪のタイミングではなかったみたい」 周囲を見回して瞬時に状況を理解したのだろう、咲耶はまだふらつきながらゆっくりと立ち上がる。 「美月さん、陽女さん、これはあの男の仕掛け。貴方たちの弟にして黄泉の支配者たるあの男の」 「やはり……そうなのですね」 「あの愚弟……落ちるところまで落ちましたか」 咲耶の声に美月と陽女がそれぞれ返す。 「大丈夫です、守藤の……楔となる言霊は、智春が外してくれたから、だから押さえ込むことは出来るわ」 言いながら咲耶も指で複雑な印を組み始める。 そういえば夢で見た咲耶は、小さいときから様々な術式を覚え込まされたいたなと思いかえす。 「この地と彼の地を隔てる理、伊弉冉尊の御声に従いて千曳の岩の重きを成して、今一度扉を閉ざさんとする」 咲耶の紡ぐ言葉は、俺でも解る普通の言葉ではあったが、その発声の方法は特殊だった。 これが術というモノを用いるための方法なのだろうかとふと疑問を抱く。 小説などに描かれる、異世界ファンタジーの呪文のようなものなのだろうかと、この状況においては場違いなことをふと考えてしまい、苦笑をしてしまう。 だがその程度の精神的余裕を持つことが出来る程度には、この空間を支配する空気の質が変化していることを俺は感じ取っていた。 粘り気を帯びて纏わり付いてくるような、重く閉塞感を感じる空気が少し薄くなっており、それに伴い息がしやすいような感覚になる。 気がつかないうちに、陽女と美月と咲耶がそれぞれ発していた、別の言葉が重なり合っていることに気がついた。 それと共に俺の脳裏にも、聞き覚えのあるあの男の声でとある言葉が浮かび上がる。 それに合わせて俺は無意識に言葉を発していた。 「祓え給い、清め給え、 神ながら守り給い、 幸え給え」 俺を含めた4つの声、いや音が混ざり合い重なり合い、それは今までに俺が聞いたことが無いような旋律になりこの空間に染みこむようにして広がっていくのを感じる。 俺たちを中心にして広がるその旋律は、触れた場所から瘴気を打ち消していくようにどんどんと部屋の中の空気を変えていく。 「……もう、これで十分でしょう」 10分ほど俺たちが声を上げ続けたあたりで、陽女がそう告げて一つ息を吐く。 「そのようですね、瘴気も大分薄くなりましたし、この分なら神域の浄化だけで大丈夫かと」 姉に続いて美月もそう言う。 「ところで智春さま、先ほどこの女性のことを咲耶と呼んでおられましたけど、この方はつぐ」 「そこで止めてくれ、詳しいことはちゃんと話すから、今はその名前を出さないでくれ」 美月の声を遮るように、俺は言った。 何故かは解らない、解らないが【緖美】の名前だけは、絶対に出してはいけないと、直感的にそう思ってしまった。 「俺からの頼みだ、今後は彼女のことを咲耶と呼んでほしい、以前の名前は絶対に言葉にしないでくれ」 俺は陽女と美月を交互に見ながら、力を込めてそう言った。 ふたりはいまいち納得は出来ないものの、俺の願いを聞き入れるという心づもりだったようで不承不承と言った表情ではあったが、肯いてくれた。 それから俺は、夢の世界かどうかは今でも解らないが、自分が体験した出来事について語った。 彼女が分家である高野宮の家の娘であったこと。 彼女の中に陽奈美の情念が宿っていたため、それを利用するために本家に招かれたこと。 陽奈美の情念と咲耶を強固に結びつけるために、あの名前が利用されていたこと。 陽奈美の妄念は咲耶の中に取り込まれているが、今は完全に咲耶の方が主導権を持っていること。 俺の説明だけでは的を射ない部分もあったので、時々は咲耶自身が補足を入れてくれたため、全てを話し終えた頃には、美月も陽女もおおよその内容を理解してくれた様子だった。 「あの名前は、縛り付けるための楔の為のものだったのですね。だから言葉に意味を持たせていたと」 「家と目的を継ぐ身という意味で縛り付けていたのですか……。」 陽女と美月は暗く沈んだ表情でそう言った。 守藤の家が目的のために、そのような手段を用いていたことに対して、暗い気持ちになったようだった。 「名が変わったことで、私の罪が許されたとは思わない。だけど私を縛り付けるものはなくなったから、今後は貴方たちと協力し合えると思う……、それに私は一人の女として正当な手段で智春に思いを告げると約束する」 咲耶はふたりの目をまっすぐに見つめてそう言った。 陽女は軽く目を閉じ、そしてしばらく考え込んだあと、ゆっくりと目を開けて微笑を浮かべると、信じますとだけ答える。 美月はそんな姉の様子に、小さくため息を吐いたあと口を開いた。 「姉様が許して信じると言ったのだから、私がこれ以上貴方に何かを思うことはないです」 ふたりからそう言われて、咲耶は小さく笑った。 ずっと心の奥底に引っかかっていた懸念が、解消されたことを素直に喜ぶ笑顔だった。 「話は変わりますが、咲耶さまが切り札としてつかえなくなった以上、相手はどう動くのか予想が出来ないですね。式神を飛ばして探りを入れてみましょうか」 美月が陽女を見つめてそう言う。 陽女は小さくかぶりを振る。 「恐らく……ですが、咲耶様がもう楔にならない事は相手も察知していると思います。そうなるとあとは……実力行使で来る可能性が高いとおもう。そうであれば式神を飛ばす意味は無いわ」 陽女の言葉に美月も同意する。 咲耶は少し何かを考えるようにしていたが、突然短く声を発してその場に蹲った。 あまりにも急なことだったので、俺は驚いてしまい、慌てて咲耶の体を支えると、その体はかなりの熱を持っていた。 「咲耶……すごい熱だ、どうしたんだよいったい」 咲耶の体をしっかりと抱きとめて、俺は声をかける。 「わからない……けど、頭がすごく痛くて……それに体の中から……熱い……」 熱さと痛みで朦朧としているのか、とぎれとぎれに苦しい息の下で咲耶はそう告げると、体から力が抜けたのか俺の方へと倒れ込んでくる。 脱力した体の全体重を受け止めることになり、俺は少しよろめいたけれど、彼女の体をしっかりと支える。 体調の変化が心配で、思わず美月と陽女を見てしまう。 しかしその原因がわからないのか、二人は少し目を伏せて頭を左右に振る。 対処する方法が思いつかない そういう事なのだろうと分かった。 そもそも何が原因でこうなったのかすらわからないのだ、対処法など分かるはずもない。 よく考えればわかる当たり前のことなのに、動転してしまって居た俺はそんな事にも気が付けなかった。 「とにかく部屋へ運びます。美月は水とタオルを用意して……」 「まって……大丈夫……だから」 陽女の指示に従い、美月が動き出そうとしたとき、細い声が上がりその動きを制した。 声の主は咲耶だった。 心なしか体の熱が先ほどより収まっていることが、触れている肌越しに伝わってきた。 「私が……陽奈美と一つになることで起きた……反応みたいだから……大丈夫……」 まだ荒い息を吐いてはいるが、先ほどよりは幾分落ち着いている口調ではっきりとそういったので、俺は少し安心した。 俺の方に頭を預けていた咲耶がゆっくりと顔を上げる。 その時目に入った姿……それは俺を驚愕させるものだった。
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