黒夜の逃避
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私は月音の手を引いて、必死に森の中を走っていた。 天空には満月に近い月が昇っているはずだが、鬱蒼と生い茂る木々に阻まれて、その光を私たちに届けるには頼りない。 「月音、まだ走れるか」 自分自身の息が上がりかけているにもかかわらず、私は問いかける。 「……もう、無理かもしれませぬ、せめて主様だけでも」 「馬鹿を申すな!月音がともにいなければ意味は無いのだ」 会話の中にも荒い息が混ざり込むような状況で、しかし足を止めるわけにもいかない為に、必死で絡まりそうになりながらも足を動かす。 (どこで計画が破綻したのか。何故にこのようになってしまったのか) 私たちの計画であれば、追っ手が動くまでに時間を稼ぎ、逃げ延びられる算段であった。 付き従う女官は、巫女装束を身にまとい、祭具で飾り立てていた為、走り回ることは難しい。 荷運びのためについてきていた男衆も、4人と少ない上に、それぞれが重い荷物を運んでいた為、すぐに追いかけてこれないはずだった。 男衆が運んでいた荷物は、私や月音の身の回り品ももちろん含まれてはいたが、その大半は黄泉坂祭で使う神具や祭具のため、私たちを追いかける為といえど、たやすく地面に置いても良いものではない。 それ故に時間稼ぎとしては最適だと考えていたのである。 だがその目論見はあっさりと覆された。 私と月音、そして陽奈美が列から離れ少しばかり走ったあたりで、複数の追っ手が迫ってきていることを認識してしまったのだ。 かなりの人数が、下生えを踏み分け走ってくる足音。 四方から飛び交う怒声。 探し出せ、逃がすな、急げという声が響き渡る。 「私たちは謀られていたというのか……」 「主様、月音。西が手薄です。そちらへ……」 私たちを守るように、背後に付き従っていた陽奈美が言う。 懐から鉄扇を取り出して、足を止めずに周囲を伺っている。 「しかし、もう月音がもたない。このままではすぐに追いつかれてしまう」 私は悲鳴にも似た声を上げる。 「私はしばし陽動を仕掛けます……しばらくお側を離れますが、ひとまずは西に。私もすぐに追いかけます故」 「姉様!」 覚悟を決めたように言い放つ陽奈美。 その身を案ずるが故に悲痛な叫びを上げる月音。 月音に優しく微笑みを向けると、ではと短い挨拶を残して、陽奈美は私たちとは逆の方向、すなわち東に向かって走り出した。 「私たちも急ごう、陽奈美の足手まといにはなりたくない」 後ろ髪を引かれるような表情で、陽奈美の去った方向を見ていた月音の手を一度だけ引き、促す。 月音はきつく下唇をかみしめ、眦を決すると東の方を見据えて走り始める ──────── あれからどのくらい走り続けたのだろうか。 月音の足がもつれて地面に倒れてしまう。 私ももう、息をするだけで限界だと感じるほどに疲労困憊している。 「だ……大丈夫か月音、立てるか。」 軽く手を引くが、月音は力なく頭を左右に小さく振る。 「も、もう無理です。」 女人の身で足下も悪い中、走り続けてきたのだ。 さすがにもう限界が来ているのだろうとは思う。 少し意識を集中させて周囲の音を聞いてみる。 (すぐ近くにまで迫ってきている追っ手はいないようだな) 悠長に休むわけにはいかないだろうが、息を整えわずかばかりの休息を入れるくらいの余裕はあるのかもしれないと考える。 どのみちこのまま走れと言っても、月音には無理であろう。 「姉様はご無事なのでしょうか……」 整っていない息の下、月音が疑問を口にするが、それに対しての答えを持ち合わせていない私は、何も答えることができなかった。 (無事であると信じるしか有るまい) 陽奈美の身を案じながら、無理を重ねて今にも倒れそうにしていた月音の加減をみようとした時に、月音のからだが一瞬こわばり、そして弛緩する。 体が力を失ったかのように、地面に倒れ込みそうになったところで、かろうじて自身の両手を地面につけて体を支える。 「どうした、月音。何か体調でも」 「いいえ……いいえ、違うのです。姉様が、姉様が」 体を小刻みに震わせて、月音が言う。 「姉様が、虜とりこになってしまったかもしれません……」 月音の言葉の意味を図りかねて、私は怪訝な顔をしたようだ。 「詳しくは解らないです。ただ、胸の奥が不意に空っぽになったような、そんな感覚があって。姉様に良くないようなことが起きたと予感のようなものが不意に……」 私にはよくわからないものなのだが、この姉妹はむかしから時折このような不可思議な感覚を共有していた。 巫女気質ゆえの力なのだろうと、結論づけられていたようだが、実際は解らない。 ただ昔から、お互いの身に何かが起こると、どれだけ離れていてもなんとなくは察知できていたのは、私も何度も見ていた。 今回もそういった感覚で、陽奈美に何かが起きたことを感じたのか。 陽奈美を助けるべきなのか、このまま月音を連れて逃げるべきか わずかばかりの迷いが生じてしまう。 これは致命的な誤りだったと、このときの私には知るよしも無かった。
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