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幾星霜かわらぬ想いを

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 切り替えは比較的スムーズに行われたと思う。  ロスタイムは5分もあるかないか。  正午のアラームが鳴ると同時に、少し離れたところから歩いてきた美月は、俺のそばから離れた陽女と視線を交わしただけで何も言うこともなく、先ほどまで陽女がいたところに美月が来て、陽女はそのまま遠目にかすかに見える咲夜と合流したようだった。 「えっと……お待たせ……でいいのかな」  離れたところにいて、俺と陽女の会話が聞こえていたはずもないのだけど、なんとなく気まずさを覚えて俺は言う。 「気を使わないでください……皆が承知してのことなのですから。それよりも限られた時間を有意義に使いたいです」  美月はほほえみを浮かべて俺の右腕に自分の腕を絡ませるとそう言った。  腕に柔らかな感触が伝わり、不覚にもドキッとしてしまい生つばを飲み込んでしまう。 「智春さま……気持ちを切り替えてほしいです。姉さまとの時間のことは忘れて、今は私だけを見てください」  眉を八の字にして俺を見上げたまま、少しすねたような口調で美月は言う。  普段しっかり者然とした口調を崩さない美月の、意外な一面を見て俺は少し胸が高鳴るのを感じた。  ギャップというのだろうか。  普段の姿とは違う美月の仕草にときめいた。 「智春さま。一応私は妹ですからね……甘えたいときもあるのです」  俺の表情から言いたいことを察したのだろう、少し口をとがらせて言う。  ピンチの姉を助けに来た時、緖美を神社へ連れてきたときの凛とした対応。  そういったもののイメージで、忘れていたが美月は妹だったのだなと改めて感じた。    そして脳裏にふと甦る記憶があった。  それははるか昔のもの。  俺が智春ではなくて朋胤だった頃のものだと思う。  一面の草原を駆け回る陽奈美の姿と、それを遠目に見ながら絵草紙を手にしている月音。  ほんの一瞬だけど脳裏に浮かんだその光景に俺は懐かしさを感じるとともに、月音はしっかりしていてもやはり妹なんだなと感じたあの頃の気持ちを思い出していた。 「そうだった……美月は、いや月は……思ったより泣き虫で、気が強そうに見えて繊細で、だけど自分が守るべきもののためにはとても勇敢に立ち向かう……そういう子だったな」 「智春さま……記憶が……」 「いや……明確にあるものじゃないよ。時折ふと脳裏に浮かぶ程度だ」  驚いたように俺を見つめる美月の髪を優しく撫でながら、俺はほほ笑みを浮かべて答える。  美月の髪を撫でることさえ、どこか懐かしさと切なさを覚える。  あの世界に行ってから、俺と過去の俺の記憶や意識が微妙に混ざり合い曖昧になった気がする。   「美月はどこに行きたい? せっかくのデートだし行きたいところに行こう。最も時間制限が有るから限度は有るけどね」 「本当のところは……ここに行きたいっていう場所はないんです。智春さまと一緒に過ごせるならどこでもいい」  まっすぐに俺を見て言う美月。  こういうまっすぐに、率直に、実直に言うところは変わらないなと思う。  しかし一呼吸後に、でもと美月が続ける。 「ここは姉さんとの場所ですから……、だから少し歩きませんか」  こういう気遣いが月らしいと思う。  いつも自分の感情は素直に出したまま、だけれどどこか姉に遠慮していた月。  それをいじましいと思い、そして誰からも好かれる陽ではなく、自分しか味方がいないであろう月を選んだ俺。  俺がこの子を守らないと……という使命感にもにた気持ちがあったことは間違いないと思う。  それは正しいことだったのだろうかと、今の俺なら疑問に思う。  あの頃の俺たちは、それに疑問を抱くこともなく、だからこそ月を選び続けていたのだろう。  今しか知らない俺には、それが正しいか間違っているかなんて判断できない。  それに間違いなく、俺は美月を好ましく思っているし、好きだと思う。  美月に腕を引かれながら、とりとめのないことを考えてしまう俺を、少し寂しそうに見つめる彼女の視線に、俺は気がつくことができなかった。  いつだって俺は、俺たちは……眼の前のことに必死になりすぎて、大切なことを見落として、そして誰かを傷つけていたのだと言うことを、やはりこのときも俺たちは理解していなかったとあとになって思い知る。 「智春さま……本当はもう、心は定まっているのでしょう?」  海岸線から少し歩いたところ、客のいない鄙びた喫茶店で向かい合って座る俺と美月。  注文した飲み物が届いた後も、微妙に弾まない会話を交わして、そして遂に無言になり、どちらも視線を合わすことなく窓の外から、陽光を弾いて輝く海を見ていた時に美月がポツリと漏らす。  その意図するところが分からず、俺は間抜けにもえっとしか言えなかった。 「本当は……わかっていました。智春さまのお心はもう定まっているのだと。でも智春さまはお優しいから、重大な出来事の前に心を乱すことを厭い、私達にその想いを隠していますよね」  攻めるような口調ではない。  咎めるような言い方でもない。  だけど美月の飾らない真っ直ぐな言葉は、俺の胸に深く突き刺さった。 「いや……それはその……定まっているとかではないと思う。なんとなく漠然とした気持ちはあるけれど」  取り繕うつもりではなかった。  これもまた偽り無い俺の本心。  自分の心を定めるには、この短期間の間に俺たちの間に起こった出来事は多すぎて、そして複雑過ぎた。  揺れる部分、惑う部分、悩む部分……それが積み重なりすぎていて、俺自信は答えなんて出ていると思っていない。  だけど美月は小さく頭を振って、そしてようやく俺の顔を見て、泣き笑いの表情でだけどしっかりと微笑んで口を開く。 「ずっと……ずっと、智春さまを見ていますから、あなた達を見てきましたから……あなたを、あなた達をお慕いしてきましたから……だからわかるんです。多分……智春さま以上に」  その言葉を聞いて、俺は何も答えることができなかった。  それくらい美月の言葉はまっすぐにオレの心を貫いたから。  俺すらわからない俺の心の真実をさらけ出すかのような言葉だったから。 「智春さまが……その優しさで私達を気遣って、敢えて答えを告げぬことはわかっています。だけど……明日がどうなるのかわからないのは智春さまも同じ。智春さまのことは私の命に変えても守るつもりですけれど……」  美月はそこで言葉を切り、とても悲しげな表情で俺を見る。  あのときの顔だと思った。  俺を崖下に突き落とし、それでも俺の生存を願った月音の最後の表情。  今の美月の表情が、あのときのそれと完全に重なった。 「だから……ね、お気持ちとお心遣いはとても嬉しいのだけど、それでも敢えていわせてください。私達に気を使うあまりに、智春さまのお心を偽らないでください。未練を残さないでください……。私の幸せは智春さまがずっと笑顔でいてくださることなのだから」    顔をうつむかせた美月が涙混じりの声で言う。  彼女にそこまでいわせてしまった自分がとても情けなく感じて、俺は唇を噛む。 「たとえお側にいられなくても……それが私の幸せ……」  自分の情けなさに向きあって、少なからずショックを受けていた俺は、美月が小さな声で言った言葉を拾うことができていなかった。  陽女の秘めたる気持ちの発露を受け止めた、最初のデートとは違う。  どことなく気まずさと、後ろめたさを残したまま時間だけが過ぎ去り、短リ昼の時間の終わりを告げるかのように、空がオレンジ色に輝き出した頃、おれと美月は言葉もなく喫茶店を出た。 「智春さま……後少し、後少しだけ私の持ち時間です。だから最後にわがまま……良いですか?」  ずっとうつむいていた美月がゆっくりと顔を上げて、笑顔で俺を見つめて言う。  俺は黙って頷いた。  俺が頷くと同時に、美月の身体が俺の胸に飛び込んできて、次の瞬間唇を奪われていた。  半ば強引に唇を割り込んで、美月の舌が俺の口の中に差し込まれる。  荒々しくもどこか必死に俺の舌を求めて動き回る美月の舌。  普段の美月から想像できない荒々しい求愛に戸惑いながら、だけど俺は彼女の体を強く抱きしめて、必死に俺を求め続ける彼女の舌に自分の舌を絡ませる。  それが引き金になったのか、ようやく美月の舌が落ち着きを取り戻したようにゆっくりとした動きに変わり、俺たちの抱擁は解かれた。 「智春さま!どのような答えでも、あなた様が誰を選ぼうとも、それでも私は……私は……智春さまが大好きです!お慕いしています。それは未来永劫なにがあっても変わらない想いです!」  彼女の華奢な体のどこにそれだけの力があったのか、そう思うほどに大きく強い声で彼女は告げる。  と同時に踵を返して俺の前から走り去ろうとした。  無意識に彼女を追いかけようと足を踏み出した俺を、誰かの声が静止させる。 「追いかけちゃ……だめだよ、智春。あれがあの子の……美月さんの精一杯。そして彼女の矜持。それにね……」  声の主はそこで言葉を着ると、腕時計を指で指し示す。 「ここからは私の時間」  そう言うと声の主、高野宮咲耶はぎこちなく微笑んだ。    



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 切り替えは比較的スムーズに行われたと思う。  ロスタイムは5分もあるかないか。  正午のアラームが鳴ると同時に、少し離れたところから歩いてきた美月は、俺のそばから離れた陽女と視線を交わしただけで何も言うこともなく、先ほどまで陽女がいたところに美月が来て、陽女はそのまま遠目にかすかに見える咲夜と合流したようだった。 「えっと……お待たせ……でいいのかな」  離れたところにいて、俺と陽女の会話が聞こえていたはずもないのだけど、なんとなく気まずさを覚えて俺は言う。 「気を使わないでください……皆が承知してのことなのですから。それよりも限られた時間を有意義に使いたいです」  美月はほほえみを浮かべて俺の右腕に自分の腕を絡ませるとそう言った。  腕に柔らかな感触が伝わり、不覚にもドキッとしてしまい生つばを飲み込んでしまう。 「智春さま……気持ちを切り替えてほしいです。姉さまとの時間のことは忘れて、今は私だけを見てください」  眉を八の字にして俺を見上げたまま、少しすねたような口調で美月は言う。  普段しっかり者然とした口調を崩さない美月の、意外な一面を見て俺は少し胸が高鳴るのを感じた。  ギャップというのだろうか。  普段の姿とは違う美月の仕草にときめいた。 「智春さま。一応私は妹ですからね……甘えたいときもあるのです」  俺の表情から言いたいことを察したのだろう、少し口をとがらせて言う。  ピンチの姉を助けに来た時、緖美を神社へ連れてきたときの凛とした対応。  そういったもののイメージで、忘れていたが美月は妹だったのだなと改めて感じた。    そして脳裏にふと甦る記憶があった。  それははるか昔のもの。  俺が智春ではなくて朋胤だった頃のものだと思う。  一面の草原を駆け回る陽奈美の姿と、それを遠目に見ながら絵草紙を手にしている月音。  ほんの一瞬だけど脳裏に浮かんだその光景に俺は懐かしさを感じるとともに、月音はしっかりしていてもやはり妹なんだなと感じたあの頃の気持ちを思い出していた。 「そうだった……美月は、いや月は……思ったより泣き虫で、気が強そうに見えて繊細で、だけど自分が守るべきもののためにはとても勇敢に立ち向かう……そういう子だったな」 「智春さま……記憶が……」 「いや……明確にあるものじゃないよ。時折ふと脳裏に浮かぶ程度だ」  驚いたように俺を見つめる美月の髪を優しく撫でながら、俺はほほ笑みを浮かべて答える。  美月の髪を撫でることさえ、どこか懐かしさと切なさを覚える。  あの世界に行ってから、俺と過去の俺の記憶や意識が微妙に混ざり合い曖昧になった気がする。   「美月はどこに行きたい? せっかくのデートだし行きたいところに行こう。最も時間制限が有るから限度は有るけどね」 「本当のところは……ここに行きたいっていう場所はないんです。智春さまと一緒に過ごせるならどこでもいい」  まっすぐに俺を見て言う美月。  こういうまっすぐに、率直に、実直に言うところは変わらないなと思う。  しかし一呼吸後に、でもと美月が続ける。 「ここは姉さんとの場所ですから……、だから少し歩きませんか」  こういう気遣いが月らしいと思う。  いつも自分の感情は素直に出したまま、だけれどどこか姉に遠慮していた月。  それをいじましいと思い、そして誰からも好かれる陽ではなく、自分しか味方がいないであろう月を選んだ俺。  俺がこの子を守らないと……という使命感にもにた気持ちがあったことは間違いないと思う。  それは正しいことだったのだろうかと、今の俺なら疑問に思う。  あの頃の俺たちは、それに疑問を抱くこともなく、だからこそ月を選び続けていたのだろう。  今しか知らない俺には、それが正しいか間違っているかなんて判断できない。  それに間違いなく、俺は美月を好ましく思っているし、好きだと思う。  美月に腕を引かれながら、とりとめのないことを考えてしまう俺を、少し寂しそうに見つめる彼女の視線に、俺は気がつくことができなかった。  いつだって俺は、俺たちは……眼の前のことに必死になりすぎて、大切なことを見落として、そして誰かを傷つけていたのだと言うことを、やはりこのときも俺たちは理解していなかったとあとになって思い知る。 「智春さま……本当はもう、心は定まっているのでしょう?」  海岸線から少し歩いたところ、客のいない鄙びた喫茶店で向かい合って座る俺と美月。  注文した飲み物が届いた後も、微妙に弾まない会話を交わして、そして遂に無言になり、どちらも視線を合わすことなく窓の外から、陽光を弾いて輝く海を見ていた時に美月がポツリと漏らす。  その意図するところが分からず、俺は間抜けにもえっとしか言えなかった。 「本当は……わかっていました。智春さまのお心はもう定まっているのだと。でも智春さまはお優しいから、重大な出来事の前に心を乱すことを厭い、私達にその想いを隠していますよね」  攻めるような口調ではない。  咎めるような言い方でもない。  だけど美月の飾らない真っ直ぐな言葉は、俺の胸に深く突き刺さった。 「いや……それはその……定まっているとかではないと思う。なんとなく漠然とした気持ちはあるけれど」  取り繕うつもりではなかった。  これもまた偽り無い俺の本心。  自分の心を定めるには、この短期間の間に俺たちの間に起こった出来事は多すぎて、そして複雑過ぎた。  揺れる部分、惑う部分、悩む部分……それが積み重なりすぎていて、俺自信は答えなんて出ていると思っていない。  だけど美月は小さく頭を振って、そしてようやく俺の顔を見て、泣き笑いの表情でだけどしっかりと微笑んで口を開く。 「ずっと……ずっと、智春さまを見ていますから、あなた達を見てきましたから……あなたを、あなた達をお慕いしてきましたから……だからわかるんです。多分……智春さま以上に」  その言葉を聞いて、俺は何も答えることができなかった。  それくらい美月の言葉はまっすぐにオレの心を貫いたから。  俺すらわからない俺の心の真実をさらけ出すかのような言葉だったから。 「智春さまが……その優しさで私達を気遣って、敢えて答えを告げぬことはわかっています。だけど……明日がどうなるのかわからないのは智春さまも同じ。智春さまのことは私の命に変えても守るつもりですけれど……」  美月はそこで言葉を切り、とても悲しげな表情で俺を見る。  あのときの顔だと思った。  俺を崖下に突き落とし、それでも俺の生存を願った月音の最後の表情。  今の美月の表情が、あのときのそれと完全に重なった。 「だから……ね、お気持ちとお心遣いはとても嬉しいのだけど、それでも敢えていわせてください。私達に気を使うあまりに、智春さまのお心を偽らないでください。未練を残さないでください……。私の幸せは智春さまがずっと笑顔でいてくださることなのだから」    顔をうつむかせた美月が涙混じりの声で言う。  彼女にそこまでいわせてしまった自分がとても情けなく感じて、俺は唇を噛む。 「たとえお側にいられなくても……それが私の幸せ……」  自分の情けなさに向きあって、少なからずショックを受けていた俺は、美月が小さな声で言った言葉を拾うことができていなかった。  陽女の秘めたる気持ちの発露を受け止めた、最初のデートとは違う。  どことなく気まずさと、後ろめたさを残したまま時間だけが過ぎ去り、短リ昼の時間の終わりを告げるかのように、空がオレンジ色に輝き出した頃、おれと美月は言葉もなく喫茶店を出た。 「智春さま……後少し、後少しだけ私の持ち時間です。だから最後にわがまま……良いですか?」  ずっとうつむいていた美月がゆっくりと顔を上げて、笑顔で俺を見つめて言う。  俺は黙って頷いた。  俺が頷くと同時に、美月の身体が俺の胸に飛び込んできて、次の瞬間唇を奪われていた。  半ば強引に唇を割り込んで、美月の舌が俺の口の中に差し込まれる。  荒々しくもどこか必死に俺の舌を求めて動き回る美月の舌。  普段の美月から想像できない荒々しい求愛に戸惑いながら、だけど俺は彼女の体を強く抱きしめて、必死に俺を求め続ける彼女の舌に自分の舌を絡ませる。  それが引き金になったのか、ようやく美月の舌が落ち着きを取り戻したようにゆっくりとした動きに変わり、俺たちの抱擁は解かれた。 「智春さま!どのような答えでも、あなた様が誰を選ぼうとも、それでも私は……私は……智春さまが大好きです!お慕いしています。それは未来永劫なにがあっても変わらない想いです!」  彼女の華奢な体のどこにそれだけの力があったのか、そう思うほどに大きく強い声で彼女は告げる。  と同時に踵を返して俺の前から走り去ろうとした。  無意識に彼女を追いかけようと足を踏み出した俺を、誰かの声が静止させる。 「追いかけちゃ……だめだよ、智春。あれがあの子の……美月さんの精一杯。そして彼女の矜持。それにね……」  声の主はそこで言葉を着ると、腕時計を指で指し示す。 「ここからは私の時間」  そう言うと声の主、高野宮咲耶はぎこちなく微笑んだ。    



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