疑惑と疑念の狭間で
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美月は傷ついていた。 傷つくなんて言葉は、今の状況を見れば生やさしすぎるかもしれない。 彼女の心は、千々に乱れ血を流し、そして引き裂かれる寸前であった。 目の前の光景。 それは彼女が予想もしていなかったモノであり、そして絶対に見たくないモノであり、あり得ないモノだった。 一糸まとわぬ白い肌を惜しげも無くさらした陽奈美が、婀娜な笑みを浮かべて朋胤にしなだれかかっている。 そして朋胤も満更ではない顔をして、陽奈美を見つめ返している。 「朋胤さま……、ずっとお慕い申し上げております。貴方が月を選ぼうとも、私には貴方様だけなのです」 陽奈美の白く長い指が、愛おしげに朋胤の頬をなぞる。 それに応えるかの様に朋胤は、少し強引に陽奈美の頭を引き寄せて、唇を重ねた。 「お前は愚かだな、陽奈美よ。なぜ私がお前を選ばぬか、その理由が本当に分からないのか?」 陽奈美の瞳を覗き込むように、真っ直ぐに見つめて朋胤は言う。 だが陽奈美は本当に、朋胤の言いたいことが分からない様子で戸惑ったような表情を浮かべ首を傾げる。 「私が何も知らぬと思っているのか? 黄泉坂の祭りのあとの事、本当に知らぬと……」 意味ありげな朋胤の言葉。 陽奈美は少しだけ顔色を変えたものの、敢えて分からぬ風を装って首を左右に振る。 「契人は……虚入りするのだろう。さしずめ人柱と言ったような役割か」 「…………」 朋胤がなぜそれを知っているのだろうか……と二人を見ている美月は思ったそれを口にすることは出来ない。 「私がもしも、陽奈美を契人に選べばどうなる。大切な、ずっとそばにいて欲しいお前を選ぶことで、お前を失う事になるなど本末転倒では無いか」 朋胤が柔らかく陽奈美の体を抱き締める。 美月は陽奈美の唇から、短い艶を帯びた吐息が漏れるのが聞こえた気がした。 「だから月を契人に選ぶのだ。月音も愛おしくは思っている、好いている。しかし終生そばにいて愛でたいのは陽奈美だ」 朋胤の手が、自分とは比較にならないほどに豊かな陽奈美の乳房に伸びるのを見て、美月は目を逸らしてしまう。 その大小など大した問題では無いと、重要な事柄ではないと、幾度も朋胤に言われたことがある。 しかし姉に大して劣等感を抱いている美月にとって、それはとても大きな問題であり、そして豊かなその乳房を優しく手で弄ぶ朋胤の姿は、自分が思っていた以上の衝撃と痛みを彼女自身に与えていた。 目を逸らして、ぎゅっと目を閉じても直前に目に入ってしまったあの光景が脳裏から消えていかない。 「だから……契人は月音を選ぶ。契夜には彼女をだく。だがそれは、陽奈美……お前を守るためであり、お前と終生共に生きるためだ。わかってはくれぬか?」 熱を帯びた強い声で朋胤が言う。 その言葉が痛すぎて、美月は手で耳を覆う。 (嘘……嘘……嘘……そんなハズない。朋胤さまはそんな、人の心を駆け引きに使ったりはしない。目的のために誰かを犠牲にすることなんか望まない!) 心の中で必死に否定する。 気を抜けば信じてしまいそうな、目の前の出来事を追いやるために、必死で否定の言葉を投げかける。 「陽奈美……陽奈美……愛している。お主だけが私の全てなのだ……」 熱く囁きながら朋胤が陽奈美を優しく押し倒す。 横たえた体の胸の部分を恥ずかしそうに手で隠しながら、しかしはっきりと私もですと答える陽奈美。 朋胤と陽奈美の体が重なり、切なげでしかし艶めいた吐息が辺りに響く。 その様子を、美月は凍てついた心で見ていた。 閉じていた目を開き、耳を覆っていた手を離し、2人を呆然と見つめていた。 ああ……朋胤さまは私を愛していた訳では無いのか……ただ姉を守る為に私を契人に選んでいただけだと言うのか。 なんと愚かな事か。 他の人になんと言われようとも、朋胤だけは本当の自分を理解し受け入れてくれていると、信じていたのに。 微塵も疑っていなかったというのに。 姉を生かすためだけに、その目的のために、私を愛しているように振舞っていたというのか。 酷い人……本当に酷い男だ。 でも、だけど、それなのに……私は朋胤さまを嫌うことなどできない。 どんな理由があろうとも、それでも朋胤さまは私の救いだったのだから。 彼を恋い慕う事だけが、私が生きていると実感出来る事なのだから……。 なら…………もう構わない。 人柱であろうが、姉の為の身代わりであろうが……それでもいい。 だから……触れてください、愛してください。 偽りでも、思惑があっても構わないから……私も抱きしめてください……姉と睦あい私を捨てておかないで……お願い……だから…… 美月の心が遂に音を立てて折れてしまった。 様々な劣等感を、沢山の不安を、朋胤への想いだけで乗り越えてきた彼女のこころは、朋胤の愛に理由があったことを知り、遂に……耐えきれなくなってしまった。 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇ 「なかなかに……骨の折れること。存外に信頼関係が出来上がっていたようで……或いは失策かと思うたが……意外なモノが堕ちてくれたものよ」 薄暗い和室の中で、男が笑う。 元々上手く行けば儲けもの……程度の策略であり、奴らを疲弊させられれば儲けもの程度の考えでいたが、1便期待していなかった人物が、その精神を折った。 その事に男は半ば驚きつつも、喜びを覚えていた。 (コレで本家の汚名を雪ぐことも出来たであろうか) 役たたずと評され、粛清されて消えた本家のことを思う。 本家を守り立てることを至上命題とし、その全てを捧げ犠牲にしてきた男は、その結果として本家を失うという、皮肉な出来事に絶望していたが、何とか爪痕を残せてことに安堵する。 彼女には悪い事をしたが……我々は手段を選べぬのでな……と心の中で言い訳じみたことを思い、そんな自分に苦笑する。 全てを犠牲にしても、家名を残すと決めたというのに、まだそんな感傷を抱く心があったとは……と思う。 まぁ……いい。 あとはこの女を使い、どうやってヤツらを攻め落とすか……それだけを考えればいい。 自分に言い聞かせるようにそう言うと、男は再び思考の海に潜っていくのだった。
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