俺達と女の子達が情報共有して不眠症の女の子を救済する話(3/4)

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「アースリーさん、娘と友達になってくれて、本当にありがとう。国賓級の上があるなら、そちらで対応したいぐらいだ。先日は国の宝と言ったが、私達にとっても家宝だ」  俺達が食堂に着くと、長テーブルの奥に座っていた辺境伯が、アースリーちゃん達の姿を見るや否や、すぐさま近づいてきて、例の宝表現で彼女を褒め倒した。 「いえ、私もリーちゃんと友達になれて、本当に嬉しいです。私の方こそ、お礼を言いたいです。リーちゃんをご紹介いただき、ありがとうございます」 「アーちゃん、私も改めて……本当にありがとう。お父様、アーちゃんのことは、国賓級の対応をすると同時に、たとえどこにいても、大切な家族として思っていただきたいです。もちろん、シンシアのことも」 「ああ、そのつもりだ。パーティーには毎回招待するとして、それ以外でも、どうにか君達が気軽に会える環境を整えたいな。考えておこう。  時に、アースリーさん……いや、もう家族同然なのだから、アースリーと呼ばせてもらおう。アースリー、ボードゲームの『碁』は知っているかな?」 「『碁』……ですか? いえ、聞いたことありません」  『碁』って囲碁のことか? だとしたら、発音が全く同じだ。『囲碁のようなもの』があるにせよ、発音まで同じなのはおかしいな……。ユキちゃん並の運がない限り、あり得ない。  囲碁が『碁』として現代の世界で広まったのは最近のことだ。漢字文化圏の国が、この世界でもやはり存在するのか?  「最近、伯爵以上の貴族の間で流行っていてね。知っておいた方が良いだろう。リーディアなら教えられると思うが、どうだ?」 「確かに、以前、お父様から教えていただきましたが、私はあまり興味を持てなかったので、誰かに教えられるほど、詳しくありません。ルールは分かりますが、どう打てばいいのかよく分かりませんし、用語もうろ覚えです。  ですが、アーちゃんが何も知らないままだと、今回はたとえ信頼できる人しか招待していないとは言え、別の機会に他の貴族に聞かれて、少しでもバカにされた時に、私は怒り狂って我を忘れる自信がありますから、何とかしたいです」 「では、私が教えましょうか?」  シンシアが手を挙げて立候補した。囲碁ができるなんて意外だ。 「おお、シンシア! チェスが強いのは知っていたが、碁も打てるのかね」 「戦術を伴ったその手の対戦ゲームは、騎士団長の嗜みとしても一通り。碁は城の大臣達の間でも話題になっていましたよ。チェスが強かったと言っても、それは昔の話で、今は研究もされて、現役にはかなり置いていかれていると思います」  シンシアは十九歳だから、彼女が言う昔とは確実に子どもの頃だろう。辺境伯が言ってたフォワードソン家の英才教育ってやつか。 「お兄ちゃんみたいじゃん。アマチュア囲碁大会小学生低学年の部、優勝経験者さん。しかも、将棋と合わせてダブル優勝の神童さん。作戦立案の基礎になってるからね」 「地方のな。触手に目覚めて辞めたが、どっちの棋譜も時々は見てたな」 「はぁぁぁぁ⁉ そんな意味不明な理由で辞めたの? しかも、目覚めるの早すぎでしょ! はぁ……、あたしは長い間、触手に目覚めたキモいお兄ちゃんに気付いていなかったわけか……。  エキシビションマッチでプロの元タイトルホルダー相手に、九子以上置いていいと言われたのに五子でいいと言って勝った時のかっこいいお兄ちゃんが、道を外れて触手の森に行ってしまったなんて……。  将棋の時だって角落ちしてもらって勝ってるんだから、完全にプロレベルでしょ? どっちも研究会に誘われてたし、もしかしたら、向こうから師匠になってくれって言われてたんじゃないの? どう見ても天才棋士だし」 「俺にとっては、それだけ女児向けアニメの触手シーンが衝撃的だったのさ。思考を縛られて、そのことしか考えられなくなってしまった。触手だけに」 「絶対縛られてないくせに、上手いことだけ言いたいがために……うざ。」  辺境伯とシンシアは、囲碁が貴族で流行った経緯について、推測も交えながらアースリーちゃんに語っていた。  この世界で、囲碁が発明、初めて生産されたのは、一年前、とかなり最近だ。  ジャスティ国のとある公爵宛に差出人不明の手紙が届いた。その中に、囲碁で使用する道具やルールの説明が書かれていたというのだ。  元々、その公爵がチェス好きで、チェスに代わる何か面白いゲームのアイデアがないかと賞金付きで公募していたのだが、該当者出ずで終わりかけた矢先に、その手紙を受け取ったらしい。  これまで囲碁に似たゲームがなかったわけではない。だが、そこに書かれたルールが洗練されていて、黒板でもできなくはなかったので、試しにやってみたところ、非常に面白いと評価したとのことだ。  触神様の話を聞いていなければ、差出人は転生者だろうと断定していたが、この世界に転生者は俺達以外いない。遊戯を発明できる天才も、いる所にはいるんだなぁ。それがジャスティ国だなんて、この国はまだまだ強国になりそうだ…………って、もしかして、イリスちゃんか?  セフ村は、村長の話では手紙のやり取りに時間がかかるらしいから、向こうには期限ギリギリあるいは過ぎて届くこともあるだろう。  とりあえず、それは置いておくとして、流行った理由としては、駒同士がバチバチ戦闘するチェスよりも、戦略的に領地を広げ、確定させていく過程が、どちらかと言うと、貴族のイメージに合っていたり、想像がしやすいのではないかということだった。  初心者から上級者までは、九路盤から十九路盤まで使い分けられるし、置き石でハンデも付けやすい。そのようなことまで、説明に書かれていたようだ。  そこからは貴族達の想像だが、チェスよりも生産しやすく、職人技に拘る必要がないため、比較的安価で一般層に広がりやすい。そうすれば、母数が多い分、強者が生まれて、次は強者同士が観戦する娯楽も生まれるから、良いことだらけという話だった。  一理あるのだが、リーディアちゃんがさっき言っていた通り、ルールを知っていてもどこに打てば良いのか分からないことに加えて、優勢劣勢がパッと見て分かりづらいこともあり、現代でも普及に難儀する部分があった。  この世界でも、金に余裕があって、教養のために必要に駆られてやる貴族達と、余裕がなく、やる必要もない一般層では、特に温度差が生じるだろうな。  ボードゲームやおもちゃなら、知育に良いと喧伝する方法もあるが、時間をかけずに流行らせるなら、生産者や小売業者に、赤字覚悟で補助金を与えて、現代のネットワーク対戦ゲーム事情のように、無料または超安価で売り、賞金ありの大会を定期的に開く宣言をする必要がある。費用を少しでも回収するなら、大会参加者と観戦者からそれぞれ参加料、観戦者向けの屋台出店料、広告出展料を設けるとか。  貴族自身には、そんな金など微々たるものだし、何の得もないから、懇意にしている商人が実際の仕掛け人になるだろう。でも、今はまだ難しいんじゃないかな。 「では、碁一式を私の部屋から、そちらに持っていかせよう。まだ三セットしかなくて、残りは息子達の部屋にあるからね。彼らは、大事な招待客を迎えに行っていて、当日まで戻ってこないんだ。  それにしても、シンシアが碁を打てるのであれば……シンシア、よかったら今から言う話を聞いてほしい。  エトラスフ伯爵が、プレアード伯爵の息子に負けて、その時に、自信満々な皮肉交じりの嫌味を言われたらしく、『敗者の私がそこで怒っても惨めなだけ。ただ、誰でもいいから、私の目の前で、自信過剰な彼の鼻を明かしてほしい』と頼まれたんだ。  エトラスフ伯爵には、私も父も大変世話になっているから、何とかしてあげたいと思ってね。だとしたら、パーティーでその二人を呼んで、ちょっとした常設の余興に組み込めば、効率が良いかとは思ったのだが、碁が強い人物には心当たりがないから、私か息子達の誰かが相手になるしかない。しかし、パーティー中の主催者の家族にそんな暇はなく、仮に対局して負けてしまったら、その場は微妙な雰囲気になる。  かと言って、パーティー前後も忙しいし、向こうの都合も調整する必要がある。どうしようかと思っていたのだが……。  シンシア、私達の代わりに打ってくれないだろうか。急なお願い、無茶なお願いで申し訳ない」 「プレアード伯爵の息子、ウィルズとは、子どもの頃にチェスで対局して勝ったことはありますが、それからメキメキと強くなったと聞きました。碁もかなりの実力者になっているのではないしょうか。それで、自分は天才であると自惚れてしまったのかもしれません。  レドリー卿やエトラスフ卿のお望みを何とか叶えたいとは思うのですが、正直、私が勝てる可能性は低いような気はします。  それと、もう一つ重要なことがあります。私がパーティーに参加すると、他の貴族達は私がここにいる理由を様々に勘繰るでしょう。それは避けたいのです。  だから、卿にたとえ誘われてもパーティーに参加するつもりはありませんでした。屋敷か宿屋の部屋にひっそりと籠もっていようと。  ただ、それを解決する方法がないわけではありません。それこそ、ここに来て、検問を受けていなければ思い付かなかったのですが、私に変装魔法をかける方法があります。  何をどこまで誤魔化すことができるのかは、詳しくないので分かりませんが、それ次第ではパーティー会場でも打てると思います」 「ありがとう、シンシア。本当に君は頼りになる。対局者になってくれるだけでも嬉しいよ。本番では十九路盤を使うが、勝敗は気にしなくていい。変装するのであれば、なおさらね。  髪型や化粧だけでも雰囲気を変えられるが、やはり完璧に仕上げた方が良い。クリスに頼んでみよう。変装魔法は、髪の色や声も変えられる。設定も考える必要があるな。責任を持って、私が考えておこう」 「それでは、私がその設定に従って、シンシアの外見をプロデュース、かつコーディネートしますわ。ドレスサイズだけは早い内に確認しておかないといけませんね」 「レドリー卿、私が変装するのを面白がってませんか? リーディアも」 『まさか』  やれやれといった表情で言うシンシアに対して、辺境伯とリーディアちゃんは、声を揃えて笑いながら否定(?)した。  完全に面白がってるな。実際、面白そうだし、俺も設定を考えたいぐらいだ。 「お兄ちゃん、シンシアに手伝ってもらって囲碁打ってみたら? 多分、できるでしょ。で、勝てるでしょ?」 「できると思うが、シンシアがそれを良しとするかだな。言い方さえ間違えなければ、大丈夫だと思うが。辺境伯の紹介で打つんだから、やっぱり勝たないとな。勝敗は気にしなくていいって話だが、ほんの少しでも爵位名に傷がついちゃうし、アースリーちゃんもリーディアちゃんも残念がるだろうし……。よし、本気でやってみるか」 「やったー! 神童の本気の囲碁を間近で見られるんだー」  ゆうは、囲碁も将棋も、俺と偶にハンデ対局していたことがあるので、ルールだけでなく基本的な定石や定跡、打ち筋や指し筋についても知っている。当日は解説しながら打ってみるか。  話が一区切り付いたところで、少し遅れてきた辺境伯夫人と、クリスが食堂に揃った。  どうやら、二人で昼食担当のシェフの中に催眠魔法をかけられた者がいないか確認していたらしい。朝食時も確認していたとのことなので、やはり異常なほどの用心深さだ。当然、この場のメイドも確認済みだ。  シンシアとアースリーちゃんが辺境伯夫人に挨拶し、シンシアからクリスには、アースリーちゃんへの囲碁説明とシンシアのドレスサイズ計測のことを話して、それが終わり次第、部屋に迎えに行くと伝えていた。  昼食時は、アースリーちゃんの実践マナーが完璧だと、みんなから褒められていた。それに照れた彼女のかわいさに、メイドや初めて会った夫人を含めて、その場の全員がときめいていたようだ。  俺達は、食事の時に外套から少しでも覗かせないように、シンシアの身体から左脚に移動して巻き付いていたので、その様子を見られなかった。残念。  それから、シンシア達の忙しない午後の予定を聞いた辺境伯が気を利かせてくれて、早めに昼食が切り上げられ、俺達は部屋に戻ってきた。  すぐに碁盤と碁笥も届き、シンシアの身体計測も行われた。  彼女の全裸はすでに見ているが、改めて計測結果を聞くと、とんでもないプロポーションだ。見るのと聞くのとでは、別の興奮がある。ゆうは、『ホントに人間か?』と疑っていた。  アースリーちゃんは午前中に計測が終わっているが、集中して辺境伯の話を聞き、考え事もしていたので、あまり意識していなかった。休憩中にタイミングが合っていればなぁ……。もう一度聞かせてほしい。  メイドが仮のドレスを何着か持って来る間、シンシアに先程の話を黒板で伝えた。 『俺に碁を打たせてほしい。勝負に絶対はないが、必ず勝つ。これはシンシアだけじゃなく、みんなの想いを込めた戦いだから。一度、俺と超早碁で対局してみよう。時間がある時に普通にもう一局』 「シュウ様……なるほど、一対一の勝負でも確かにそういう考え方がありますね。あなたには、いつも大事なことを教えられています……。シュウ様のおかげで、私も柔軟な考えになってきているとは思いますが、まだまだですね。  分かりました。まずは対局ですね。ちなみに、早碁は打ったことはありません」  アースリーちゃんとリーディアちゃんが見守る中、俺とシンシアは、一手十秒、持ち時間無制限の互先、超早碁で対局を開始した。高機能対局時計があれば、持ち時間を設定して、フィッシャールールを採用したいところだが、対局時計さえないので仕方ない。  十三路盤なので、勝敗が決するまで、長くても百手はかからない。コミはまだ導入されていないとのことだった。  早碁は思考の深さよりも、経験と閃きが重要だ。俺は、有利な黒をシンシアに持たせ、少しでも打ち方を効率化するために、碁盤を見る触手と、碁石を持つ触手を分けた。  そして、十分も経たない内に、一度目の対局を、白の中押し勝ちで終えた。 「強い……。私など足元にも及ばないぐらいに……。そちらの世界に碁があることにも驚きましたが、根本的に打ち筋が違いますね……。シュウ様の頭脳もさることながら、歴史の差を感じました」  それはそうだ。日本と比べるだけでも千年単位で違うのだから。ましてや発明されて二年目なら、真面目に研究でもしていなければ、簡単な定石さえ知らないだろう。  まだ普通に対局していないからハッキリとは分からないが、シンシアの棋力はアマチュア六級ほど、形勢判断がおおよそならできて、簡単な死活が分かるぐらいだろうか。  しかし、他のゲームも触っているだけに、かなりセンスがある。途中から、これではいけないと、俺に倣って打ち筋を変えて、少しでも対応してきたし、打ち筋や歴史の差が分かるほど、自分の棋力と相手の棋力を測れている。それだけなら、明らかに初段を超えてるな。それを初めての超早碁でやるのだから、潜在能力は相当高い。  そう考えると、ウィルズの棋力は、読みが深いとしても、アマチュア初段から高くても三段ぐらいか? 三段は、布石や手筋の応用ができるぐらいだ。それなら何とかなるだろう。  また、いくら強くても、その時々の礼を欠いていては、段位に値しない。これはシンシアやアースリーちゃんにも教えておかなければいけないな。 「具体的には、対局時、どのように私に指示しますか?」  シンシアの質問に、俺は何回かに分けて、黒板で答えた。 『目の役割の触手は、あらかじめパーティー会場の天井に潜ませておく。観客や光が邪魔で見えない時に困るから、俺が両脚を同時に締め付けた時は、小さな独り言として、自分と相手が打った場所を、左上から数えて声に出してほしい。そのことを怪しまれたら、声に出して頭に刻むことで、脳内の読みの精度を高めていると反論する。  俺からの指示は、両脚に巻き付いて、それぞれ締め付けた回数で交点座標を指定する。右脚は横、左脚は縦を表す。  指示が分からなくなったら、【うーん】か【分からない】とか小さく言ってくれれば、もう一度指示する。それも注意されたら、膝を強めに指で三回ノックする合図に切り替えるが、できれば最初から独り言を言ってしまう人だと思わせたい。  周りがうるさくて、俺が聞き取れなかった時は、二回素早く両脚を同時に締め付ける。その時は、もう一度同じ言葉を繰り返してほしい。指示や合図については、あとで練習しよう。  もう一局申し込まれたら受けてもいいが、感想戦は、貴族への挨拶の時間確保を理由に断る。  これらの話を踏まえると、スカートは広めで長めが良い。座って対局する場合は、浅めに腰掛けること。スカートの形が崩れることに配慮して、辺境伯が腰掛け用の高さがある椅子を用意してくれるかもしれない。事前に希望を伝えておこう』 「分かりました。ダメだった時や怪しまれた時のこともしっかり考える辺り、とても勉強になります」  シンシアとの話が終わると、丁度良く、扉がノックされ、仮のドレスが到着した。  まずは、試着して物理的な候補を絞り、調整で着られるようであれば、リーディアちゃんのコーディネート候補に挙げられる。  メイドの事前の見立てが良く、調整可能なものばかりだったので、思っていたよりもすぐに終わり、アースリーちゃんへの囲碁講習に移った。  彼女の飲み込みは早く、シンシアがルールを教えて、俺が心得に加え、死活や序盤の打ち方を軽く教えると、実践でもそれなりに打てるようになった。  リーディアちゃんもそれを聞いていたので、次のダンス講習まで、二人で対局してみるよう言って、シンシアと俺達はクリスの部屋に向かった。 「どうぞ」  シンシアは、クリスの部屋の扉をノックして入室した。  俺達は、クリスが後ろを向いている時に、シンシアの足元から、増やした触手を縮小化した上で、部屋の壁を蔦って天井に移動させた。窓にカーテンをしていてもまだ明るいので、梁を探して、下から見えないように身を潜めた。  クリスの部屋の大きさは、俺達の部屋の半分ぐらいで、豪華ではないが、それなりに広い。家具はシンプルで、入って左奥にはベッド、右奥にはソファーとテーブル、左手前には机、右手前には棚があった。 「周囲に作戦内容がバレないよう、ここで共有してからの方が良いと思うが、それでいいか?」 「はい、もちろんです」  二人は部屋の右奥にあるソファーに座り、作戦会議を始めた。 「使える魔法の確認から行いたい。魔力感知は聞いたから、それ以外で、罠タイプの金縛り魔法、壁魔法、催眠魔法、回復魔法は使えるか?」 「一通り使えますが、回復魔法は基礎程度です。私は攻撃魔法と補助魔法が専門なので」 「分かった。それで問題ない。この作戦は、監視者または追跡者が、高レベル魔法使いで、知能が高く、慎重であることを前提に練られたものだ。  本当は、あらかじめ罠を張り巡らせた場所に誘い込み、捕獲する、みたいな作戦にしたいところだが、そのようなあからさまな誘いには絶対に乗ってこない。  したがって、仮に罠を張るとしても、自然を装って、臨機応変に街中で行うことになる。  まず、食べ歩きできる焼き鳥みたいなものを購入し、私が指を差して、人通りの少ない路地裏の十字路に二人で入る。  十字架の形を想像してみた時に、十字架左が路地裏入口だとすると、そこに入ったあと、クリスが入口で金縛り魔法の罠を張る。  私達に監視魔法がかかっていないことを確認し、そのまま、クリスは直進して十字架右に出て、路地裏出口で同様に罠を張り、左に曲がろうとするところで待機する。  私は十字架下で、身を隠し、追跡者が入口の罠に嵌るならそれで良し、解除してそのまま直進してくるならやり過ごして、出口の罠に嵌るか解除しようとするところを後ろから挟み打ちにする。  出口の罠を張ってから一分経って誰も来なかったら、仕掛けた罠を解除して、魔力感知走査を開始する。  感知に引っかかったら、その二十秒後にもう一度同じ方向を走査する。君は九割九分大丈夫だと言っていたが、一回目から二回目の間に、私達から急速に離れて行くようなら、走査がバレたと判断する。バレていないなら、平静を装ってそこに向かう。  万が一、走査がバレていると分かった時には、三十分後に再度同じことを行う。自分達を探しているのではない、と思い込ませるんだ。  これは、私の尊敬する方の教えでな。万が一でも、知っているのと知らないのとでは大違い、ということだ。  四回目の走査でやはりバレていると分かったら、捕獲を諦めて屋敷に戻る。  対面時、クリスは相手を逃さないことに集中してほしい。壁魔法を相手の後方や横に展開してくれ。壁が壊されても何度も作ってくれ。それが、間合いを詰めるまでの時間稼ぎになる。相手の足元から壁を生やすのもアリだ。  攻撃は私が全て行う。一人でも捕まえられれば成功だ。すぐに催眠魔法をかけて、自害されないようにする。致命傷は負わせないつもりだが、場合によっては回復させる。相手が複数人いて、残りに逃げられても、深追いはしない。  これだけ考えても、序盤で全員に逃げられる可能性がある。ダメ元で行こう。今言ったことを要約でもいいから、復唱してみてくれ」  クリスはシンシアの説明を要約して復唱した上で、十字路でのことも机にあった紙と羽ペンを使って説明し、この作戦を完全に理解していることを示した。 「一つ、質問いいですか? 追跡されているかどうかって達人の気配察知で分かったりするんでしょうか。」  クリスがシンシアに質問した。これは作戦を練っている時に俺も聞いた内容だ。 「気配を読むと言っても、基本的には音、空気の流れ、光の反射、それらを前提に勘で存在を読むということだから、雑音が多く、人の流れも多い街中では無理だ。  例えば、創作物にあるように、雑踏で背後十メートルから殺気を放たれて、振り返るなんてことは、この世の誰もできない。正面からなら、存在に違和感があるから分かるが。  それでは、耳や触覚が優れている人ならどうかと言うと、それも非現実的だ。  なぜなら、耳が良いなら近い音が余計に大きく聞こえるし、触覚も同様に感じるからだ。分解能が優れているというなら、膨大な情報を処理できる脳が前提となるが、そんなことができるなら他のことに使った方が良い。まあ、そんな人間は存在しないから考えるだけ無駄だろう」  それができるとしたら、チートスキル持ちだろうが、気配を読めるだけなら、それほど脅威ではない。  実は、シンシアの『武神』は、戦闘時限定でそれを半分実現できているようなものだが、躱しているだけでは意味がなく、反撃できるだけの剣技や体術があって初めて役に立つものだ。  あ、今思ったが、『武神』ってボードゲームに適用されるのだろうか。シンシアが子どもの頃には、まだチートスキルを持っていなかったから、チェスが強かったのは普通に強かっただけだと思うが、囲碁を陣地取りゲームじゃなく、卓上の、境界線上の戦闘だと認識したら、格段に強くなる可能性もある……とかは流石にないか。でも、イリスちゃんはその可能性も示唆していたからなぁ。実はもうシンシアはそれを認識していて、だからこそ囲碁のセンスがあると感じたのかもしれない。次の一局が楽しみだ。 「分かりました。それでは行きましょうか」  クリスが立ち上がると、シンシアを先頭に部屋を出た。クリスの部屋の触手は夜に侵入する手間を省くために残しておいた。  そう言えば、この世界で何気に初めて距離の単位が出てきたな。どのようにしてメートル法が定義され、使われることになったのか、今度聞いてみよう。  レドリー邸を出てから、街のメインストリートの活気がある場所までは、歩いて十五分程度で着いた。  その間、建物がない所も通って来たが、付けられている様子はなかったようだ。偶にシンシアが早歩きになりすぎて、後ろのクリスのことを気にする風を装って、背後を確認していた。  俺達は、例のごとく、シンシアの外套の中に隠れて巻き付いている。  まずは、シンシアが道の端にあった屋台で、良い匂いを風に乗せていた焼き鳥モモ肉の塩味を四本購入した。あらかじめ、彼女から通貨単位や相場を聞いていたが、この店の焼き鳥は安い方だ。  二本をクリスに渡し、並んで歩きながら、ゆっくりと食べ始めた。 「ふむ、中々美味いな。城下町よりお得だし、せっかくだから色々と食べてみたい気はする」  シンシアが世間話を始めた。もちろん、これは単に街を散策しているだけ、と見せかけるためのものだ。 「私がジャスティ国城下町を訪れた時は、火を通した鶏肉と卵をソースで味付けした上で、崩したパンにかけて一緒のお皿で出す料理が流行っていました。もちろん、安くて美味しかったです。私は初めて見たのですが、城下町の店の料理の種類が豊富なことに驚きました」  パンの親子丼みたいなものだろうか。米やみりんはもしかしたらこの世界にもあるかもしれないが、醤油はおそらく存在しないから、どれだけ似せても非なるものだろう。 「それは、陛下のご意志でもある。元々、他国と比較しても種類は多い方だったと思うが、『食の制覇は、国の制覇』というスローガンを近年掲げて、今ある食糧大臣だけでなく、調理大臣を新たに設けて、さらに力を入れている。  選択肢が広がれば、食糧飢饉の際の応急処置にも使えるし、平時では国民の幸福度が上がるだけでなく、各地の観光理由にも繋がるという狙いだ。  城では、高級料理から庶民料理まで、美味いものなら王族の食事で出されるし、城の従事者用の食堂でも実験感覚で出てくる。中には、評判の悪い料理もあったがな。  全てのレシピは保存され、総合的な評価を元に、一般層にもウケると判断されれば、城下町の全ての料理屋に共有される。そのまま客に提供するのもいいし、店側でアレンジしてもいい。  ただし、いずれも宮中の著作権表記が必要だ。逆に、店側で完全オリジナル料理のアイデアがあり、応募して評価されれば、国でそのレシピを高額で買い取る。それが市中に共有される際は、著作権表記が宮中と発明者の名前入りとなる。特定の産地の食材が必要な場合は、それもメニューに記載しなければならない。  もしかしたら、クリスが来た時は、あまり地方には広がっていなかったかもしれないが、最近は徐々に広がりを見せてきていると思う。機会があれば、店のメニューをよく見てみるといい」  シンシアは手に持った焼き鳥を時折食べながら、ジャスティ国の料理事情を説明してくれた。クリスも焼き鳥を食べながら、相槌を打って聞いていた。  食べ歩きではあるものの、二人とも口に含みながら喋っていないところは、行儀が良い。 「なるほど。制度化、システム化までされてるんですね。ジャスティ国は優秀な人が多くて、本当にすごいですね」 「この場合、様々な法案を通した調理大臣が優秀なのもそうだが、そのご息女がとびきり優秀と言わざるを得ない。  大臣自身もそれを隠さず、『自分がすごいのではなく、家にいる娘の言う通りにしているだけだよ』と謙遜を交えておっしゃっている。実際、先程のスローガンと調理大臣の設置および父の任用も彼女が構想し、陛下への進言とさせた、と言われている。  それ以外のどんなことが具体的に進言されているのかは、私には分からないが、城内には彼女のファンも多く、一度会ってみたいと思っている人も少なくない。  と言うのも、レシピの多くを考えているのも彼女らしい。その料理が美味かった時だけ、誰がレシピを考えたか聞いてもいいルールがあって、それは陛下さえも例外ではないのだが、美味い料理を聞くと大体彼女に当たる。ただ、誰も会ったことはないみたいだ」  魔法研究者がいるなら、それより歴史が古い『食』に関する料理研究者がいて当然だ。香辛料や調味料、食材の研究も含んでいるかもしれない。  ただ、政治に介入して制度設計まで提案できる人物は少ないだろう。天才かどうかは分からないが、超優秀であることは間違いない。シンシアの話の展開が上手かったこともあり、俺もいつか会ってみたいと思った。  二人が話していると、焼き鳥を食べ終わってしまったので、シンシアが近くにあった屋台に立ち寄り、豚バラ串の塩味を四本購入した。まあ、北海道では豚串を焼き鳥と呼んでいたりもするので、焼き鳥を購入するという予定に狂いはない。  シンシアが豚バラ串を食べながら、話を続ける。 「ちなみに、そのルールを考えたのも彼女だ。料理で失敗したことがない者など誰一人いない、料理に失敗は付きもの、失敗を責めるのではなく、失敗から学ぶことが肝要である、との考えからだ。レシピを全て保存しているのもそれが理由だろう。  そして、それに感銘を受けた陛下が、進言を全て受け入れたというのが経緯だ。  陛下は、それに留まらず、最近では失敗事象を研究する部隊の立ち上げも命じた。歴史研究と被る部分もあるので、その部隊は学者が多い。そう言えば、レドリー卿もメンバーに入っていると聞いたことがあるような気がするな」  それは、現代では失敗学と呼ばれている。そんなところまで考えるとは、王の危機意識はどれだけ高いんだ。  ただ、失敗学は、その考え自体は素晴らしく、研究する価値があるものだが、難しい面もある。大きく分けて三つ。  一つ目は、事象分析の難しさ。  二つ目は、その情報を管理、検索、応用する難しさ。  最後に、そもそも失敗を語ってくれる人が限りなく少ないことだ。  誰しも、笑いのネタにならない失敗は語りたくないものだ。自分への評価が下がるからだ。組織では、失敗を隠蔽する人さえいる。  したがって、組織内の人事評価システムには、失敗を評価に組み込むことが前提になるが、自作自演対策も必要になる。これらの全てをセットで考えて、初めて適用できるので、失敗学の導入がそもそも失敗するという皮肉になることがほとんどだ。その難易度から、流石のジャスティ王でも、それを成功に導けるかは分からない。 「そうなんですね。でも、いいんですか? 私に城の内情を話しても」  クリスが、機密情報の運用についての疑問を投げかけた。 「外部に話して良いこと悪いことは、明確に決められている。ここで話したことは、全て問題のないことだ。おっと、そこから路地裏を抜けて、向こうの通りも見てみよう」  シンシアとクリスは、食べ終わっていない豚バラ串を一本ずつと食べ終わった串を一緒に持って、シンシアが指した路地裏に入った。  そして、入口から一メートルほどの所で、クリスが持っていた串をシンシアが全て素早く受け取り、クリスが監視確認用の魔法の詠唱、次に罠用の金縛り魔法の詠唱を始めた。作戦の始まりだ。  俺達は、突然戦闘になった時にシンシアの邪魔にならないよう、縮小化して左腕に巻き付いた。罠を張り終わると、二人は奥に進み、シンシアは十字路中央の横道に隠れた。  路地裏出口に向かったクリスがそこでも罠を張る。入口の罠には、今のところ、誰もかかっていないようだ。シンシアはその間に、集中力を保ったまま、残った豚バラ串を全て食べ切り、合計八本の串を服の右腰部分に差し込んだ。  なるほど、串を奇襲に使えるのか。作戦では、そこまで考えてなかった。やっぱり、戦闘の経験値が違うな。  クリスは出口で見切れながら待機している。それから一分経って、誰も来なかったので、クリスが二つの罠を解除して、十字路の入口側に集まった。 「それじゃあ、頼む」  シンシアの言葉の後、クリスはそのまま魔力感知魔法の詠唱を始めた。  そして、クリスは詠唱を終えると同時に、俺達が来た方向に杖をかざした。 「いました! 魔法使いの中でも明らかに多い魔力量。私が向いている方角、地上で屋外にいます。距離は二百メートルぐらいでしょうか。最初に焼き鳥を買った辺りです。二人組の内、魔法使いは一人です。それと……もしかして……いえ、あとで話します」 「随分、離れているな。私達を尾行していたのではないのか? 念のため、他の方向も頼む」 「はい。…………。んー、他に魔力量の突出した人はいませんね。魔法使いというだけなら、門番の他に常駐魔法使いが三人いますが、その人達は除いています。最後に、もう一度、監視者の方角を見ます。……あ、私達から急激に離れてます! すでに四百メートル以上。この二十秒の間に二百メートル以上離れたので、ほぼ全速力。やはり、魔力感知がバレています」 「やはり、と言うのは、先程言いかけたことかな?」 「はい。あの状態の人を初めて走査したのですが、通常の人に比べて、シルエットがハッキリとしていました。考えてみれば当然ですよね。魔力を身体に沿って展開するんですから。  それにしても、万が一のことが当たり前に起こってしまいました。私達の行動を不審に思い、全力で感知魔法を全身に展開したのでしょうか?  でも、私達が路地裏に入って、最初の走査まで一分どころか三分ぐらいは経っていたはずですし、二回目の走査でも展開されている様子でした。  ということは、約四分。時間差が多少あったとしても、維持できるわけありません」  あり得ないことが起こったからか、クリスは興奮気味に語った。 「ふむ……タイミングが奇跡的に噛み合ってしまった可能性はあるが、この場合は別の可能性を考えた方が良さそうだ……。とりあえず、三十分後にまた考えよう。路地裏を抜けた先にレストランがあれば、そこで時間を潰そうか」 「分かりました……」  クリスは、意気消沈したかのように肩を落とし、歩き出した。 「どうした? 元気がないように見えるが。クリスの分の豚バラ串を私が食べてしまったからかな?」 「ふふっ、いえ、シンシアさん達が、あんな人達を相手にしているのかと思うと、心配になってしまって。彼らをそのまま放置するよりも、バレていると分かった瞬間に追った方が良かったのでしょうか」  俺も正直、あそこまで慎重な奴らだとは思わなかった。最初の走査の瞬間に逃げなかったのも、そこで逃げてしまったら確実に追われるからだろう。俺達の心理まで考えられている。  しかし、この分だと、今日はもう俺達に近づいてこないな。 「その気遣いに感謝する。焦っても良いことはない。まあ、仮に今日何とかならなくても、その内、何とかなるさ。頼りになる味方がいるからな。君にもいつか紹介できるといいと思っている。お、あそこにレストランがあるか」  二人で路地裏を抜け、左方向にレストランを見つけたシンシアが先導してそこに向かうと、俺達は縮小化を解き、再度シンシアの体に巻き付いた。とりあえず、休憩だ。  レストランで時間を潰したあと、再度別の路地裏に行き、同じ手順を踏んだ。  しかし、監視者達は俺達から約二キロの位置にまで離れてしまっていた。一応、レドリー邸とメインストリートの間を遠くから監視できる位置だ。  その距離まで走査できるクリスもすごいのだが、彼らの用心深さたるや、絶対に姿を見せたくない、戦いたくないという意志を感じた。これなら、ガチガチに監視されていた方が、俺達にとっては都合が良かったかもしれない。彼らにとっては、俺達の、本当におおよその場所さえ把握できていれば良かったのだ。  もしかしたら、シンシアがセフ村にいた時は、隣のダリ村にいても良いぐらいに、監視が緩かったかもしれない。アースリーちゃんも、レドリー邸に入るのを確認できれば良いとか。  では、なぜ今回、俺達との距離がこんなに近かったかということだが、彼らにとっても想定外だった可能性がある。考えられるのは二つの想定外だが……。  クリスのことは、その魔力の強さも含めて、『本物のコレソ』だとバレていると見るのが妥当か。いや、それだと催眠魔法も解除される可能性が高いと考えるはずだから、わざわざアースリーちゃんにかけることはない。都合良く解釈すれば、その僅かな可能性にかけたか、あるいは、魔力量が多くても催眠魔法を使える者などそうそういるはずがないと踏んだか。  いずれにしても、シンシアとクリス、強者同士が二人で街に向かったのを怪しみ、予定にはなかったが二人を付けようと考えたのが想定外の一つ目。  もう一つは、彼らの用事が近辺であり、その用事が済んだところに、クリスの走査と鉢合わせた。シンシア達のように焼き鳥を食べたかったという軽い用事ではないだろう。協力者との情報共有や意思疎通が考えられ、それなら別々に行動していた際に、お互いの情報共有が上手く行っておらず、クリスの魔法解除能力を考慮しなかった理由にもなる。  やはり、いずれにしても、どちらも態勢が整っていないため、一目散に逃げた。雑な推察ではあるが、当たらずも遠からず、ではないだろうか。  しかし、これで分かったこともある。レストランでの世間話前にクリスが言っていたのだが、監視者の魔法使いは女だった。  身長は高め、シンシアよりは少し低い。髪は腰ぐらいまであり、スタイルがシンシアとアースリーちゃんの間ぐらいとかなり良く、その立ち姿からは、色気がある女性を想像させるとのことだった。  それだけの女性が普通に歩いていたら、嫌でも目立つので、ローブである程度隠しているのではないか、とシンシアが話していた。魔力感知は、髪型まで分かるが、服装までは分からないようだ。  もう一人の一緒にいた男は、身長はアドとその女の間ぐらい、筋肉はしっかり付いていて、走査した時に、魔法使いから少し遅れて、剣に右手を伸ばしかけた素振りを見せたことから、冒険者の姿をしているのではないか、とクリスは推察していた。  人にはあまり興味がなさそうなクリスが、あの短時間で、よくそこまで観察したな、と俺は感心した。期待した以上の仕事をするプロの鑑だ。  さて、色々と考えては見たものの、なぜ感知魔法がバレたのかは分かっていない。正確に言えば、方法は分かっているが、そこに至った経緯が分からない。偶然の場合は、俺の鉢合わせ説は否定されるし、偶然じゃなかった場合は、シンシア達の行動や素振りはかなり自然だったはずだが、クリスが言う通り、逆に怪しまれた可能性はある。  だが、クリスが知らないことを俺達は知っている。チートスキルの存在だ。  一方で、クリスが勘付いていることもある。魔法創造スキルの存在だ。  このいずれかによって、常時魔力展開が可能になっている可能性が高い。  一目でも彼らを視界に入れられれば、可能性を絞れたが、クリスにも街の人にも俺達を一切見られるわけには行かないので、路地裏の壁を蔦って屋上から見に行くこともせず、自重していた。  いずれにしても、これまで以上に俺達の方も慎重にならなければいけないな。イリスちゃんと相談して立てた作戦ではあったが、ユキちゃんがその場にいるならまだしも、今回の場合は、たとえどんな作戦であっても、相手次第では逃げられてしまう、と彼女も言っていた。  バカな敵が突っ込んできてくれて、聞いてもないのに冥土の土産だと言って、ペラペラと全部話してくれたらどんなに楽か。このままでは、カタルシスも何もあったもんじゃない。本当に、思った以上に厄介な相手だ。別の角度から切り崩す他ないな。 「あの……シンシアさん、私、やっぱり例の研究者の方に本気で会いたいです! あの魔法使いの魔力展開が偶然ではないとすると、本当にそれが可能なのか、聞いてみたいです。どうしたら会えますか?」  クリスがここまで必死になっているのを初めて見た。魔法に対する好奇心か、それとも未知の存在を知り、身の危険を案じたか。 「そうだなぁ……方法も含めて少し考えさせてほしい。早くて明日、遅くてもパーティー翌日までに答えを出そう。あまり期待させるのもなんだが、きっと良い返事が聞けると思う」 「ありがとうございます! お願いします!」  シンシアは、自分だけでは決められないとして、俺達に判断を委ねた格好だ。それでも、クリスはホッとしていたような印象を受けた。 「お兄ちゃん、あたし、ちょろいのかなぁ。もうクリスのことも好きになってるんだよね。最初は目の隈が酷くて、『えっ』って思ったけど、今ではかわいくて仕方がないって言うか。ほとんど仲間みたいなものだけど、早く本当の仲間にしたい。ずっと一緒にいてほしいって思う」 「彼女の魅力は、丁寧な口調と落ち着いた雰囲気がある一方で、その目元と服装からは暗い印象を受けるが、よく観察してみると、小動物的な存在感や声のかわいさに加えて、素直なところ、時折垣間見える好奇心旺盛な子どもらしさ、それでいて賢さも持ち合わせているジェットコースター的なギャップと、その全てを認識した時の総合デパート感だと思った。  しかし、属性過多というわけでもなく、彼女が何かを喋る度に、聞いている方はその満足感が得られる。言ってみれば、イリスちゃんとユキちゃんの魅力を合わせたような存在かもしれない。俺も同じ気持ちだよ。一番長く接していたシンシアも、絶対にそう思ってるさ」 「おおー、上手く分析、言語化してくれて、ありがと」  クリスには、自らのことも含めて、色々なことを教えてもらったし、アースリーちゃんの件や今回の作戦でとても世話になった。  会って間もないが、彼女との会話や、彼女と行動を共にすることで、すごく良い子だとすぐに分かったし、改めて思う。それは、魔法使いの前提、『魔法使いは人格者である』ことからも明らかだし、各地の人々を助ける精神と行動力からも明らかだ。  これらの背景もあるからこそ、俺達のクリスへの想いは強くなっていたのだ。シンシア達が作戦を終えた帰路で、俺達は、彼女の願いを叶えたい、そして、彼女を幸せにしたいと強く強く思った。



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俺達と女の子達が情報共有して不眠症の女の子を救済する話(3/4)

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「アースリーさん、娘と友達になってくれて、本当にありがとう。国賓級の上があるなら、そちらで対応したいぐらいだ。先日は国の宝と言ったが、私達にとっても家宝だ」  俺達が食堂に着くと、長テーブルの奥に座っていた辺境伯が、アースリーちゃん達の姿を見るや否や、すぐさま近づいてきて、例の宝表現で彼女を褒め倒した。 「いえ、私もリーちゃんと友達になれて、本当に嬉しいです。私の方こそ、お礼を言いたいです。リーちゃんをご紹介いただき、ありがとうございます」 「アーちゃん、私も改めて……本当にありがとう。お父様、アーちゃんのことは、国賓級の対応をすると同時に、たとえどこにいても、大切な家族として思っていただきたいです。もちろん、シンシアのことも」 「ああ、そのつもりだ。パーティーには毎回招待するとして、それ以外でも、どうにか君達が気軽に会える環境を整えたいな。考えておこう。  時に、アースリーさん……いや、もう家族同然なのだから、アースリーと呼ばせてもらおう。アースリー、ボードゲームの『碁』は知っているかな?」 「『碁』……ですか? いえ、聞いたことありません」  『碁』って囲碁のことか? だとしたら、発音が全く同じだ。『囲碁のようなもの』があるにせよ、発音まで同じなのはおかしいな……。ユキちゃん並の運がない限り、あり得ない。  囲碁が『碁』として現代の世界で広まったのは最近のことだ。漢字文化圏の国が、この世界でもやはり存在するのか?  「最近、伯爵以上の貴族の間で流行っていてね。知っておいた方が良いだろう。リーディアなら教えられると思うが、どうだ?」 「確かに、以前、お父様から教えていただきましたが、私はあまり興味を持てなかったので、誰かに教えられるほど、詳しくありません。ルールは分かりますが、どう打てばいいのかよく分かりませんし、用語もうろ覚えです。  ですが、アーちゃんが何も知らないままだと、今回はたとえ信頼できる人しか招待していないとは言え、別の機会に他の貴族に聞かれて、少しでもバカにされた時に、私は怒り狂って我を忘れる自信がありますから、何とかしたいです」 「では、私が教えましょうか?」  シンシアが手を挙げて立候補した。囲碁ができるなんて意外だ。 「おお、シンシア! チェスが強いのは知っていたが、碁も打てるのかね」 「戦術を伴ったその手の対戦ゲームは、騎士団長の嗜みとしても一通り。碁は城の大臣達の間でも話題になっていましたよ。チェスが強かったと言っても、それは昔の話で、今は研究もされて、現役にはかなり置いていかれていると思います」  シンシアは十九歳だから、彼女が言う昔とは確実に子どもの頃だろう。辺境伯が言ってたフォワードソン家の英才教育ってやつか。 「お兄ちゃんみたいじゃん。アマチュア囲碁大会小学生低学年の部、優勝経験者さん。しかも、将棋と合わせてダブル優勝の神童さん。作戦立案の基礎になってるからね」 「地方のな。触手に目覚めて辞めたが、どっちの棋譜も時々は見てたな」 「はぁぁぁぁ⁉ そんな意味不明な理由で辞めたの? しかも、目覚めるの早すぎでしょ! はぁ……、あたしは長い間、触手に目覚めたキモいお兄ちゃんに気付いていなかったわけか……。  エキシビションマッチでプロの元タイトルホルダー相手に、九子以上置いていいと言われたのに五子でいいと言って勝った時のかっこいいお兄ちゃんが、道を外れて触手の森に行ってしまったなんて……。  将棋の時だって角落ちしてもらって勝ってるんだから、完全にプロレベルでしょ? どっちも研究会に誘われてたし、もしかしたら、向こうから師匠になってくれって言われてたんじゃないの? どう見ても天才棋士だし」 「俺にとっては、それだけ女児向けアニメの触手シーンが衝撃的だったのさ。思考を縛られて、そのことしか考えられなくなってしまった。触手だけに」 「絶対縛られてないくせに、上手いことだけ言いたいがために……うざ。」  辺境伯とシンシアは、囲碁が貴族で流行った経緯について、推測も交えながらアースリーちゃんに語っていた。  この世界で、囲碁が発明、初めて生産されたのは、一年前、とかなり最近だ。  ジャスティ国のとある公爵宛に差出人不明の手紙が届いた。その中に、囲碁で使用する道具やルールの説明が書かれていたというのだ。  元々、その公爵がチェス好きで、チェスに代わる何か面白いゲームのアイデアがないかと賞金付きで公募していたのだが、該当者出ずで終わりかけた矢先に、その手紙を受け取ったらしい。  これまで囲碁に似たゲームがなかったわけではない。だが、そこに書かれたルールが洗練されていて、黒板でもできなくはなかったので、試しにやってみたところ、非常に面白いと評価したとのことだ。  触神様の話を聞いていなければ、差出人は転生者だろうと断定していたが、この世界に転生者は俺達以外いない。遊戯を発明できる天才も、いる所にはいるんだなぁ。それがジャスティ国だなんて、この国はまだまだ強国になりそうだ…………って、もしかして、イリスちゃんか?  セフ村は、村長の話では手紙のやり取りに時間がかかるらしいから、向こうには期限ギリギリあるいは過ぎて届くこともあるだろう。  とりあえず、それは置いておくとして、流行った理由としては、駒同士がバチバチ戦闘するチェスよりも、戦略的に領地を広げ、確定させていく過程が、どちらかと言うと、貴族のイメージに合っていたり、想像がしやすいのではないかということだった。  初心者から上級者までは、九路盤から十九路盤まで使い分けられるし、置き石でハンデも付けやすい。そのようなことまで、説明に書かれていたようだ。  そこからは貴族達の想像だが、チェスよりも生産しやすく、職人技に拘る必要がないため、比較的安価で一般層に広がりやすい。そうすれば、母数が多い分、強者が生まれて、次は強者同士が観戦する娯楽も生まれるから、良いことだらけという話だった。  一理あるのだが、リーディアちゃんがさっき言っていた通り、ルールを知っていてもどこに打てば良いのか分からないことに加えて、優勢劣勢がパッと見て分かりづらいこともあり、現代でも普及に難儀する部分があった。  この世界でも、金に余裕があって、教養のために必要に駆られてやる貴族達と、余裕がなく、やる必要もない一般層では、特に温度差が生じるだろうな。  ボードゲームやおもちゃなら、知育に良いと喧伝する方法もあるが、時間をかけずに流行らせるなら、生産者や小売業者に、赤字覚悟で補助金を与えて、現代のネットワーク対戦ゲーム事情のように、無料または超安価で売り、賞金ありの大会を定期的に開く宣言をする必要がある。費用を少しでも回収するなら、大会参加者と観戦者からそれぞれ参加料、観戦者向けの屋台出店料、広告出展料を設けるとか。  貴族自身には、そんな金など微々たるものだし、何の得もないから、懇意にしている商人が実際の仕掛け人になるだろう。でも、今はまだ難しいんじゃないかな。 「では、碁一式を私の部屋から、そちらに持っていかせよう。まだ三セットしかなくて、残りは息子達の部屋にあるからね。彼らは、大事な招待客を迎えに行っていて、当日まで戻ってこないんだ。  それにしても、シンシアが碁を打てるのであれば……シンシア、よかったら今から言う話を聞いてほしい。  エトラスフ伯爵が、プレアード伯爵の息子に負けて、その時に、自信満々な皮肉交じりの嫌味を言われたらしく、『敗者の私がそこで怒っても惨めなだけ。ただ、誰でもいいから、私の目の前で、自信過剰な彼の鼻を明かしてほしい』と頼まれたんだ。  エトラスフ伯爵には、私も父も大変世話になっているから、何とかしてあげたいと思ってね。だとしたら、パーティーでその二人を呼んで、ちょっとした常設の余興に組み込めば、効率が良いかとは思ったのだが、碁が強い人物には心当たりがないから、私か息子達の誰かが相手になるしかない。しかし、パーティー中の主催者の家族にそんな暇はなく、仮に対局して負けてしまったら、その場は微妙な雰囲気になる。  かと言って、パーティー前後も忙しいし、向こうの都合も調整する必要がある。どうしようかと思っていたのだが……。  シンシア、私達の代わりに打ってくれないだろうか。急なお願い、無茶なお願いで申し訳ない」 「プレアード伯爵の息子、ウィルズとは、子どもの頃にチェスで対局して勝ったことはありますが、それからメキメキと強くなったと聞きました。碁もかなりの実力者になっているのではないしょうか。それで、自分は天才であると自惚れてしまったのかもしれません。  レドリー卿やエトラスフ卿のお望みを何とか叶えたいとは思うのですが、正直、私が勝てる可能性は低いような気はします。  それと、もう一つ重要なことがあります。私がパーティーに参加すると、他の貴族達は私がここにいる理由を様々に勘繰るでしょう。それは避けたいのです。  だから、卿にたとえ誘われてもパーティーに参加するつもりはありませんでした。屋敷か宿屋の部屋にひっそりと籠もっていようと。  ただ、それを解決する方法がないわけではありません。それこそ、ここに来て、検問を受けていなければ思い付かなかったのですが、私に変装魔法をかける方法があります。  何をどこまで誤魔化すことができるのかは、詳しくないので分かりませんが、それ次第ではパーティー会場でも打てると思います」 「ありがとう、シンシア。本当に君は頼りになる。対局者になってくれるだけでも嬉しいよ。本番では十九路盤を使うが、勝敗は気にしなくていい。変装するのであれば、なおさらね。  髪型や化粧だけでも雰囲気を変えられるが、やはり完璧に仕上げた方が良い。クリスに頼んでみよう。変装魔法は、髪の色や声も変えられる。設定も考える必要があるな。責任を持って、私が考えておこう」 「それでは、私がその設定に従って、シンシアの外見をプロデュース、かつコーディネートしますわ。ドレスサイズだけは早い内に確認しておかないといけませんね」 「レドリー卿、私が変装するのを面白がってませんか? リーディアも」 『まさか』  やれやれといった表情で言うシンシアに対して、辺境伯とリーディアちゃんは、声を揃えて笑いながら否定(?)した。  完全に面白がってるな。実際、面白そうだし、俺も設定を考えたいぐらいだ。 「お兄ちゃん、シンシアに手伝ってもらって囲碁打ってみたら? 多分、できるでしょ。で、勝てるでしょ?」 「できると思うが、シンシアがそれを良しとするかだな。言い方さえ間違えなければ、大丈夫だと思うが。辺境伯の紹介で打つんだから、やっぱり勝たないとな。勝敗は気にしなくていいって話だが、ほんの少しでも爵位名に傷がついちゃうし、アースリーちゃんもリーディアちゃんも残念がるだろうし……。よし、本気でやってみるか」 「やったー! 神童の本気の囲碁を間近で見られるんだー」  ゆうは、囲碁も将棋も、俺と偶にハンデ対局していたことがあるので、ルールだけでなく基本的な定石や定跡、打ち筋や指し筋についても知っている。当日は解説しながら打ってみるか。  話が一区切り付いたところで、少し遅れてきた辺境伯夫人と、クリスが食堂に揃った。  どうやら、二人で昼食担当のシェフの中に催眠魔法をかけられた者がいないか確認していたらしい。朝食時も確認していたとのことなので、やはり異常なほどの用心深さだ。当然、この場のメイドも確認済みだ。  シンシアとアースリーちゃんが辺境伯夫人に挨拶し、シンシアからクリスには、アースリーちゃんへの囲碁説明とシンシアのドレスサイズ計測のことを話して、それが終わり次第、部屋に迎えに行くと伝えていた。  昼食時は、アースリーちゃんの実践マナーが完璧だと、みんなから褒められていた。それに照れた彼女のかわいさに、メイドや初めて会った夫人を含めて、その場の全員がときめいていたようだ。  俺達は、食事の時に外套から少しでも覗かせないように、シンシアの身体から左脚に移動して巻き付いていたので、その様子を見られなかった。残念。  それから、シンシア達の忙しない午後の予定を聞いた辺境伯が気を利かせてくれて、早めに昼食が切り上げられ、俺達は部屋に戻ってきた。  すぐに碁盤と碁笥も届き、シンシアの身体計測も行われた。  彼女の全裸はすでに見ているが、改めて計測結果を聞くと、とんでもないプロポーションだ。見るのと聞くのとでは、別の興奮がある。ゆうは、『ホントに人間か?』と疑っていた。  アースリーちゃんは午前中に計測が終わっているが、集中して辺境伯の話を聞き、考え事もしていたので、あまり意識していなかった。休憩中にタイミングが合っていればなぁ……。もう一度聞かせてほしい。  メイドが仮のドレスを何着か持って来る間、シンシアに先程の話を黒板で伝えた。 『俺に碁を打たせてほしい。勝負に絶対はないが、必ず勝つ。これはシンシアだけじゃなく、みんなの想いを込めた戦いだから。一度、俺と超早碁で対局してみよう。時間がある時に普通にもう一局』 「シュウ様……なるほど、一対一の勝負でも確かにそういう考え方がありますね。あなたには、いつも大事なことを教えられています……。シュウ様のおかげで、私も柔軟な考えになってきているとは思いますが、まだまだですね。  分かりました。まずは対局ですね。ちなみに、早碁は打ったことはありません」  アースリーちゃんとリーディアちゃんが見守る中、俺とシンシアは、一手十秒、持ち時間無制限の互先、超早碁で対局を開始した。高機能対局時計があれば、持ち時間を設定して、フィッシャールールを採用したいところだが、対局時計さえないので仕方ない。  十三路盤なので、勝敗が決するまで、長くても百手はかからない。コミはまだ導入されていないとのことだった。  早碁は思考の深さよりも、経験と閃きが重要だ。俺は、有利な黒をシンシアに持たせ、少しでも打ち方を効率化するために、碁盤を見る触手と、碁石を持つ触手を分けた。  そして、十分も経たない内に、一度目の対局を、白の中押し勝ちで終えた。 「強い……。私など足元にも及ばないぐらいに……。そちらの世界に碁があることにも驚きましたが、根本的に打ち筋が違いますね……。シュウ様の頭脳もさることながら、歴史の差を感じました」  それはそうだ。日本と比べるだけでも千年単位で違うのだから。ましてや発明されて二年目なら、真面目に研究でもしていなければ、簡単な定石さえ知らないだろう。  まだ普通に対局していないからハッキリとは分からないが、シンシアの棋力はアマチュア六級ほど、形勢判断がおおよそならできて、簡単な死活が分かるぐらいだろうか。  しかし、他のゲームも触っているだけに、かなりセンスがある。途中から、これではいけないと、俺に倣って打ち筋を変えて、少しでも対応してきたし、打ち筋や歴史の差が分かるほど、自分の棋力と相手の棋力を測れている。それだけなら、明らかに初段を超えてるな。それを初めての超早碁でやるのだから、潜在能力は相当高い。  そう考えると、ウィルズの棋力は、読みが深いとしても、アマチュア初段から高くても三段ぐらいか? 三段は、布石や手筋の応用ができるぐらいだ。それなら何とかなるだろう。  また、いくら強くても、その時々の礼を欠いていては、段位に値しない。これはシンシアやアースリーちゃんにも教えておかなければいけないな。 「具体的には、対局時、どのように私に指示しますか?」  シンシアの質問に、俺は何回かに分けて、黒板で答えた。 『目の役割の触手は、あらかじめパーティー会場の天井に潜ませておく。観客や光が邪魔で見えない時に困るから、俺が両脚を同時に締め付けた時は、小さな独り言として、自分と相手が打った場所を、左上から数えて声に出してほしい。そのことを怪しまれたら、声に出して頭に刻むことで、脳内の読みの精度を高めていると反論する。  俺からの指示は、両脚に巻き付いて、それぞれ締め付けた回数で交点座標を指定する。右脚は横、左脚は縦を表す。  指示が分からなくなったら、【うーん】か【分からない】とか小さく言ってくれれば、もう一度指示する。それも注意されたら、膝を強めに指で三回ノックする合図に切り替えるが、できれば最初から独り言を言ってしまう人だと思わせたい。  周りがうるさくて、俺が聞き取れなかった時は、二回素早く両脚を同時に締め付ける。その時は、もう一度同じ言葉を繰り返してほしい。指示や合図については、あとで練習しよう。  もう一局申し込まれたら受けてもいいが、感想戦は、貴族への挨拶の時間確保を理由に断る。  これらの話を踏まえると、スカートは広めで長めが良い。座って対局する場合は、浅めに腰掛けること。スカートの形が崩れることに配慮して、辺境伯が腰掛け用の高さがある椅子を用意してくれるかもしれない。事前に希望を伝えておこう』 「分かりました。ダメだった時や怪しまれた時のこともしっかり考える辺り、とても勉強になります」  シンシアとの話が終わると、丁度良く、扉がノックされ、仮のドレスが到着した。  まずは、試着して物理的な候補を絞り、調整で着られるようであれば、リーディアちゃんのコーディネート候補に挙げられる。  メイドの事前の見立てが良く、調整可能なものばかりだったので、思っていたよりもすぐに終わり、アースリーちゃんへの囲碁講習に移った。  彼女の飲み込みは早く、シンシアがルールを教えて、俺が心得に加え、死活や序盤の打ち方を軽く教えると、実践でもそれなりに打てるようになった。  リーディアちゃんもそれを聞いていたので、次のダンス講習まで、二人で対局してみるよう言って、シンシアと俺達はクリスの部屋に向かった。 「どうぞ」  シンシアは、クリスの部屋の扉をノックして入室した。  俺達は、クリスが後ろを向いている時に、シンシアの足元から、増やした触手を縮小化した上で、部屋の壁を蔦って天井に移動させた。窓にカーテンをしていてもまだ明るいので、梁を探して、下から見えないように身を潜めた。  クリスの部屋の大きさは、俺達の部屋の半分ぐらいで、豪華ではないが、それなりに広い。家具はシンプルで、入って左奥にはベッド、右奥にはソファーとテーブル、左手前には机、右手前には棚があった。 「周囲に作戦内容がバレないよう、ここで共有してからの方が良いと思うが、それでいいか?」 「はい、もちろんです」  二人は部屋の右奥にあるソファーに座り、作戦会議を始めた。 「使える魔法の確認から行いたい。魔力感知は聞いたから、それ以外で、罠タイプの金縛り魔法、壁魔法、催眠魔法、回復魔法は使えるか?」 「一通り使えますが、回復魔法は基礎程度です。私は攻撃魔法と補助魔法が専門なので」 「分かった。それで問題ない。この作戦は、監視者または追跡者が、高レベル魔法使いで、知能が高く、慎重であることを前提に練られたものだ。  本当は、あらかじめ罠を張り巡らせた場所に誘い込み、捕獲する、みたいな作戦にしたいところだが、そのようなあからさまな誘いには絶対に乗ってこない。  したがって、仮に罠を張るとしても、自然を装って、臨機応変に街中で行うことになる。  まず、食べ歩きできる焼き鳥みたいなものを購入し、私が指を差して、人通りの少ない路地裏の十字路に二人で入る。  十字架の形を想像してみた時に、十字架左が路地裏入口だとすると、そこに入ったあと、クリスが入口で金縛り魔法の罠を張る。  私達に監視魔法がかかっていないことを確認し、そのまま、クリスは直進して十字架右に出て、路地裏出口で同様に罠を張り、左に曲がろうとするところで待機する。  私は十字架下で、身を隠し、追跡者が入口の罠に嵌るならそれで良し、解除してそのまま直進してくるならやり過ごして、出口の罠に嵌るか解除しようとするところを後ろから挟み打ちにする。  出口の罠を張ってから一分経って誰も来なかったら、仕掛けた罠を解除して、魔力感知走査を開始する。  感知に引っかかったら、その二十秒後にもう一度同じ方向を走査する。君は九割九分大丈夫だと言っていたが、一回目から二回目の間に、私達から急速に離れて行くようなら、走査がバレたと判断する。バレていないなら、平静を装ってそこに向かう。  万が一、走査がバレていると分かった時には、三十分後に再度同じことを行う。自分達を探しているのではない、と思い込ませるんだ。  これは、私の尊敬する方の教えでな。万が一でも、知っているのと知らないのとでは大違い、ということだ。  四回目の走査でやはりバレていると分かったら、捕獲を諦めて屋敷に戻る。  対面時、クリスは相手を逃さないことに集中してほしい。壁魔法を相手の後方や横に展開してくれ。壁が壊されても何度も作ってくれ。それが、間合いを詰めるまでの時間稼ぎになる。相手の足元から壁を生やすのもアリだ。  攻撃は私が全て行う。一人でも捕まえられれば成功だ。すぐに催眠魔法をかけて、自害されないようにする。致命傷は負わせないつもりだが、場合によっては回復させる。相手が複数人いて、残りに逃げられても、深追いはしない。  これだけ考えても、序盤で全員に逃げられる可能性がある。ダメ元で行こう。今言ったことを要約でもいいから、復唱してみてくれ」  クリスはシンシアの説明を要約して復唱した上で、十字路でのことも机にあった紙と羽ペンを使って説明し、この作戦を完全に理解していることを示した。 「一つ、質問いいですか? 追跡されているかどうかって達人の気配察知で分かったりするんでしょうか。」  クリスがシンシアに質問した。これは作戦を練っている時に俺も聞いた内容だ。 「気配を読むと言っても、基本的には音、空気の流れ、光の反射、それらを前提に勘で存在を読むということだから、雑音が多く、人の流れも多い街中では無理だ。  例えば、創作物にあるように、雑踏で背後十メートルから殺気を放たれて、振り返るなんてことは、この世の誰もできない。正面からなら、存在に違和感があるから分かるが。  それでは、耳や触覚が優れている人ならどうかと言うと、それも非現実的だ。  なぜなら、耳が良いなら近い音が余計に大きく聞こえるし、触覚も同様に感じるからだ。分解能が優れているというなら、膨大な情報を処理できる脳が前提となるが、そんなことができるなら他のことに使った方が良い。まあ、そんな人間は存在しないから考えるだけ無駄だろう」  それができるとしたら、チートスキル持ちだろうが、気配を読めるだけなら、それほど脅威ではない。  実は、シンシアの『武神』は、戦闘時限定でそれを半分実現できているようなものだが、躱しているだけでは意味がなく、反撃できるだけの剣技や体術があって初めて役に立つものだ。  あ、今思ったが、『武神』ってボードゲームに適用されるのだろうか。シンシアが子どもの頃には、まだチートスキルを持っていなかったから、チェスが強かったのは普通に強かっただけだと思うが、囲碁を陣地取りゲームじゃなく、卓上の、境界線上の戦闘だと認識したら、格段に強くなる可能性もある……とかは流石にないか。でも、イリスちゃんはその可能性も示唆していたからなぁ。実はもうシンシアはそれを認識していて、だからこそ囲碁のセンスがあると感じたのかもしれない。次の一局が楽しみだ。 「分かりました。それでは行きましょうか」  クリスが立ち上がると、シンシアを先頭に部屋を出た。クリスの部屋の触手は夜に侵入する手間を省くために残しておいた。  そう言えば、この世界で何気に初めて距離の単位が出てきたな。どのようにしてメートル法が定義され、使われることになったのか、今度聞いてみよう。  レドリー邸を出てから、街のメインストリートの活気がある場所までは、歩いて十五分程度で着いた。  その間、建物がない所も通って来たが、付けられている様子はなかったようだ。偶にシンシアが早歩きになりすぎて、後ろのクリスのことを気にする風を装って、背後を確認していた。  俺達は、例のごとく、シンシアの外套の中に隠れて巻き付いている。  まずは、シンシアが道の端にあった屋台で、良い匂いを風に乗せていた焼き鳥モモ肉の塩味を四本購入した。あらかじめ、彼女から通貨単位や相場を聞いていたが、この店の焼き鳥は安い方だ。  二本をクリスに渡し、並んで歩きながら、ゆっくりと食べ始めた。 「ふむ、中々美味いな。城下町よりお得だし、せっかくだから色々と食べてみたい気はする」  シンシアが世間話を始めた。もちろん、これは単に街を散策しているだけ、と見せかけるためのものだ。 「私がジャスティ国城下町を訪れた時は、火を通した鶏肉と卵をソースで味付けした上で、崩したパンにかけて一緒のお皿で出す料理が流行っていました。もちろん、安くて美味しかったです。私は初めて見たのですが、城下町の店の料理の種類が豊富なことに驚きました」  パンの親子丼みたいなものだろうか。米やみりんはもしかしたらこの世界にもあるかもしれないが、醤油はおそらく存在しないから、どれだけ似せても非なるものだろう。 「それは、陛下のご意志でもある。元々、他国と比較しても種類は多い方だったと思うが、『食の制覇は、国の制覇』というスローガンを近年掲げて、今ある食糧大臣だけでなく、調理大臣を新たに設けて、さらに力を入れている。  選択肢が広がれば、食糧飢饉の際の応急処置にも使えるし、平時では国民の幸福度が上がるだけでなく、各地の観光理由にも繋がるという狙いだ。  城では、高級料理から庶民料理まで、美味いものなら王族の食事で出されるし、城の従事者用の食堂でも実験感覚で出てくる。中には、評判の悪い料理もあったがな。  全てのレシピは保存され、総合的な評価を元に、一般層にもウケると判断されれば、城下町の全ての料理屋に共有される。そのまま客に提供するのもいいし、店側でアレンジしてもいい。  ただし、いずれも宮中の著作権表記が必要だ。逆に、店側で完全オリジナル料理のアイデアがあり、応募して評価されれば、国でそのレシピを高額で買い取る。それが市中に共有される際は、著作権表記が宮中と発明者の名前入りとなる。特定の産地の食材が必要な場合は、それもメニューに記載しなければならない。  もしかしたら、クリスが来た時は、あまり地方には広がっていなかったかもしれないが、最近は徐々に広がりを見せてきていると思う。機会があれば、店のメニューをよく見てみるといい」  シンシアは手に持った焼き鳥を時折食べながら、ジャスティ国の料理事情を説明してくれた。クリスも焼き鳥を食べながら、相槌を打って聞いていた。  食べ歩きではあるものの、二人とも口に含みながら喋っていないところは、行儀が良い。 「なるほど。制度化、システム化までされてるんですね。ジャスティ国は優秀な人が多くて、本当にすごいですね」 「この場合、様々な法案を通した調理大臣が優秀なのもそうだが、そのご息女がとびきり優秀と言わざるを得ない。  大臣自身もそれを隠さず、『自分がすごいのではなく、家にいる娘の言う通りにしているだけだよ』と謙遜を交えておっしゃっている。実際、先程のスローガンと調理大臣の設置および父の任用も彼女が構想し、陛下への進言とさせた、と言われている。  それ以外のどんなことが具体的に進言されているのかは、私には分からないが、城内には彼女のファンも多く、一度会ってみたいと思っている人も少なくない。  と言うのも、レシピの多くを考えているのも彼女らしい。その料理が美味かった時だけ、誰がレシピを考えたか聞いてもいいルールがあって、それは陛下さえも例外ではないのだが、美味い料理を聞くと大体彼女に当たる。ただ、誰も会ったことはないみたいだ」  魔法研究者がいるなら、それより歴史が古い『食』に関する料理研究者がいて当然だ。香辛料や調味料、食材の研究も含んでいるかもしれない。  ただ、政治に介入して制度設計まで提案できる人物は少ないだろう。天才かどうかは分からないが、超優秀であることは間違いない。シンシアの話の展開が上手かったこともあり、俺もいつか会ってみたいと思った。  二人が話していると、焼き鳥を食べ終わってしまったので、シンシアが近くにあった屋台に立ち寄り、豚バラ串の塩味を四本購入した。まあ、北海道では豚串を焼き鳥と呼んでいたりもするので、焼き鳥を購入するという予定に狂いはない。  シンシアが豚バラ串を食べながら、話を続ける。 「ちなみに、そのルールを考えたのも彼女だ。料理で失敗したことがない者など誰一人いない、料理に失敗は付きもの、失敗を責めるのではなく、失敗から学ぶことが肝要である、との考えからだ。レシピを全て保存しているのもそれが理由だろう。  そして、それに感銘を受けた陛下が、進言を全て受け入れたというのが経緯だ。  陛下は、それに留まらず、最近では失敗事象を研究する部隊の立ち上げも命じた。歴史研究と被る部分もあるので、その部隊は学者が多い。そう言えば、レドリー卿もメンバーに入っていると聞いたことがあるような気がするな」  それは、現代では失敗学と呼ばれている。そんなところまで考えるとは、王の危機意識はどれだけ高いんだ。  ただ、失敗学は、その考え自体は素晴らしく、研究する価値があるものだが、難しい面もある。大きく分けて三つ。  一つ目は、事象分析の難しさ。  二つ目は、その情報を管理、検索、応用する難しさ。  最後に、そもそも失敗を語ってくれる人が限りなく少ないことだ。  誰しも、笑いのネタにならない失敗は語りたくないものだ。自分への評価が下がるからだ。組織では、失敗を隠蔽する人さえいる。  したがって、組織内の人事評価システムには、失敗を評価に組み込むことが前提になるが、自作自演対策も必要になる。これらの全てをセットで考えて、初めて適用できるので、失敗学の導入がそもそも失敗するという皮肉になることがほとんどだ。その難易度から、流石のジャスティ王でも、それを成功に導けるかは分からない。 「そうなんですね。でも、いいんですか? 私に城の内情を話しても」  クリスが、機密情報の運用についての疑問を投げかけた。 「外部に話して良いこと悪いことは、明確に決められている。ここで話したことは、全て問題のないことだ。おっと、そこから路地裏を抜けて、向こうの通りも見てみよう」  シンシアとクリスは、食べ終わっていない豚バラ串を一本ずつと食べ終わった串を一緒に持って、シンシアが指した路地裏に入った。  そして、入口から一メートルほどの所で、クリスが持っていた串をシンシアが全て素早く受け取り、クリスが監視確認用の魔法の詠唱、次に罠用の金縛り魔法の詠唱を始めた。作戦の始まりだ。  俺達は、突然戦闘になった時にシンシアの邪魔にならないよう、縮小化して左腕に巻き付いた。罠を張り終わると、二人は奥に進み、シンシアは十字路中央の横道に隠れた。  路地裏出口に向かったクリスがそこでも罠を張る。入口の罠には、今のところ、誰もかかっていないようだ。シンシアはその間に、集中力を保ったまま、残った豚バラ串を全て食べ切り、合計八本の串を服の右腰部分に差し込んだ。  なるほど、串を奇襲に使えるのか。作戦では、そこまで考えてなかった。やっぱり、戦闘の経験値が違うな。  クリスは出口で見切れながら待機している。それから一分経って、誰も来なかったので、クリスが二つの罠を解除して、十字路の入口側に集まった。 「それじゃあ、頼む」  シンシアの言葉の後、クリスはそのまま魔力感知魔法の詠唱を始めた。  そして、クリスは詠唱を終えると同時に、俺達が来た方向に杖をかざした。 「いました! 魔法使いの中でも明らかに多い魔力量。私が向いている方角、地上で屋外にいます。距離は二百メートルぐらいでしょうか。最初に焼き鳥を買った辺りです。二人組の内、魔法使いは一人です。それと……もしかして……いえ、あとで話します」 「随分、離れているな。私達を尾行していたのではないのか? 念のため、他の方向も頼む」 「はい。…………。んー、他に魔力量の突出した人はいませんね。魔法使いというだけなら、門番の他に常駐魔法使いが三人いますが、その人達は除いています。最後に、もう一度、監視者の方角を見ます。……あ、私達から急激に離れてます! すでに四百メートル以上。この二十秒の間に二百メートル以上離れたので、ほぼ全速力。やはり、魔力感知がバレています」 「やはり、と言うのは、先程言いかけたことかな?」 「はい。あの状態の人を初めて走査したのですが、通常の人に比べて、シルエットがハッキリとしていました。考えてみれば当然ですよね。魔力を身体に沿って展開するんですから。  それにしても、万が一のことが当たり前に起こってしまいました。私達の行動を不審に思い、全力で感知魔法を全身に展開したのでしょうか?  でも、私達が路地裏に入って、最初の走査まで一分どころか三分ぐらいは経っていたはずですし、二回目の走査でも展開されている様子でした。  ということは、約四分。時間差が多少あったとしても、維持できるわけありません」  あり得ないことが起こったからか、クリスは興奮気味に語った。 「ふむ……タイミングが奇跡的に噛み合ってしまった可能性はあるが、この場合は別の可能性を考えた方が良さそうだ……。とりあえず、三十分後にまた考えよう。路地裏を抜けた先にレストランがあれば、そこで時間を潰そうか」 「分かりました……」  クリスは、意気消沈したかのように肩を落とし、歩き出した。 「どうした? 元気がないように見えるが。クリスの分の豚バラ串を私が食べてしまったからかな?」 「ふふっ、いえ、シンシアさん達が、あんな人達を相手にしているのかと思うと、心配になってしまって。彼らをそのまま放置するよりも、バレていると分かった瞬間に追った方が良かったのでしょうか」  俺も正直、あそこまで慎重な奴らだとは思わなかった。最初の走査の瞬間に逃げなかったのも、そこで逃げてしまったら確実に追われるからだろう。俺達の心理まで考えられている。  しかし、この分だと、今日はもう俺達に近づいてこないな。 「その気遣いに感謝する。焦っても良いことはない。まあ、仮に今日何とかならなくても、その内、何とかなるさ。頼りになる味方がいるからな。君にもいつか紹介できるといいと思っている。お、あそこにレストランがあるか」  二人で路地裏を抜け、左方向にレストランを見つけたシンシアが先導してそこに向かうと、俺達は縮小化を解き、再度シンシアの体に巻き付いた。とりあえず、休憩だ。  レストランで時間を潰したあと、再度別の路地裏に行き、同じ手順を踏んだ。  しかし、監視者達は俺達から約二キロの位置にまで離れてしまっていた。一応、レドリー邸とメインストリートの間を遠くから監視できる位置だ。  その距離まで走査できるクリスもすごいのだが、彼らの用心深さたるや、絶対に姿を見せたくない、戦いたくないという意志を感じた。これなら、ガチガチに監視されていた方が、俺達にとっては都合が良かったかもしれない。彼らにとっては、俺達の、本当におおよその場所さえ把握できていれば良かったのだ。  もしかしたら、シンシアがセフ村にいた時は、隣のダリ村にいても良いぐらいに、監視が緩かったかもしれない。アースリーちゃんも、レドリー邸に入るのを確認できれば良いとか。  では、なぜ今回、俺達との距離がこんなに近かったかということだが、彼らにとっても想定外だった可能性がある。考えられるのは二つの想定外だが……。  クリスのことは、その魔力の強さも含めて、『本物のコレソ』だとバレていると見るのが妥当か。いや、それだと催眠魔法も解除される可能性が高いと考えるはずだから、わざわざアースリーちゃんにかけることはない。都合良く解釈すれば、その僅かな可能性にかけたか、あるいは、魔力量が多くても催眠魔法を使える者などそうそういるはずがないと踏んだか。  いずれにしても、シンシアとクリス、強者同士が二人で街に向かったのを怪しみ、予定にはなかったが二人を付けようと考えたのが想定外の一つ目。  もう一つは、彼らの用事が近辺であり、その用事が済んだところに、クリスの走査と鉢合わせた。シンシア達のように焼き鳥を食べたかったという軽い用事ではないだろう。協力者との情報共有や意思疎通が考えられ、それなら別々に行動していた際に、お互いの情報共有が上手く行っておらず、クリスの魔法解除能力を考慮しなかった理由にもなる。  やはり、いずれにしても、どちらも態勢が整っていないため、一目散に逃げた。雑な推察ではあるが、当たらずも遠からず、ではないだろうか。  しかし、これで分かったこともある。レストランでの世間話前にクリスが言っていたのだが、監視者の魔法使いは女だった。  身長は高め、シンシアよりは少し低い。髪は腰ぐらいまであり、スタイルがシンシアとアースリーちゃんの間ぐらいとかなり良く、その立ち姿からは、色気がある女性を想像させるとのことだった。  それだけの女性が普通に歩いていたら、嫌でも目立つので、ローブである程度隠しているのではないか、とシンシアが話していた。魔力感知は、髪型まで分かるが、服装までは分からないようだ。  もう一人の一緒にいた男は、身長はアドとその女の間ぐらい、筋肉はしっかり付いていて、走査した時に、魔法使いから少し遅れて、剣に右手を伸ばしかけた素振りを見せたことから、冒険者の姿をしているのではないか、とクリスは推察していた。  人にはあまり興味がなさそうなクリスが、あの短時間で、よくそこまで観察したな、と俺は感心した。期待した以上の仕事をするプロの鑑だ。  さて、色々と考えては見たものの、なぜ感知魔法がバレたのかは分かっていない。正確に言えば、方法は分かっているが、そこに至った経緯が分からない。偶然の場合は、俺の鉢合わせ説は否定されるし、偶然じゃなかった場合は、シンシア達の行動や素振りはかなり自然だったはずだが、クリスが言う通り、逆に怪しまれた可能性はある。  だが、クリスが知らないことを俺達は知っている。チートスキルの存在だ。  一方で、クリスが勘付いていることもある。魔法創造スキルの存在だ。  このいずれかによって、常時魔力展開が可能になっている可能性が高い。  一目でも彼らを視界に入れられれば、可能性を絞れたが、クリスにも街の人にも俺達を一切見られるわけには行かないので、路地裏の壁を蔦って屋上から見に行くこともせず、自重していた。  いずれにしても、これまで以上に俺達の方も慎重にならなければいけないな。イリスちゃんと相談して立てた作戦ではあったが、ユキちゃんがその場にいるならまだしも、今回の場合は、たとえどんな作戦であっても、相手次第では逃げられてしまう、と彼女も言っていた。  バカな敵が突っ込んできてくれて、聞いてもないのに冥土の土産だと言って、ペラペラと全部話してくれたらどんなに楽か。このままでは、カタルシスも何もあったもんじゃない。本当に、思った以上に厄介な相手だ。別の角度から切り崩す他ないな。 「あの……シンシアさん、私、やっぱり例の研究者の方に本気で会いたいです! あの魔法使いの魔力展開が偶然ではないとすると、本当にそれが可能なのか、聞いてみたいです。どうしたら会えますか?」  クリスがここまで必死になっているのを初めて見た。魔法に対する好奇心か、それとも未知の存在を知り、身の危険を案じたか。 「そうだなぁ……方法も含めて少し考えさせてほしい。早くて明日、遅くてもパーティー翌日までに答えを出そう。あまり期待させるのもなんだが、きっと良い返事が聞けると思う」 「ありがとうございます! お願いします!」  シンシアは、自分だけでは決められないとして、俺達に判断を委ねた格好だ。それでも、クリスはホッとしていたような印象を受けた。 「お兄ちゃん、あたし、ちょろいのかなぁ。もうクリスのことも好きになってるんだよね。最初は目の隈が酷くて、『えっ』って思ったけど、今ではかわいくて仕方がないって言うか。ほとんど仲間みたいなものだけど、早く本当の仲間にしたい。ずっと一緒にいてほしいって思う」 「彼女の魅力は、丁寧な口調と落ち着いた雰囲気がある一方で、その目元と服装からは暗い印象を受けるが、よく観察してみると、小動物的な存在感や声のかわいさに加えて、素直なところ、時折垣間見える好奇心旺盛な子どもらしさ、それでいて賢さも持ち合わせているジェットコースター的なギャップと、その全てを認識した時の総合デパート感だと思った。  しかし、属性過多というわけでもなく、彼女が何かを喋る度に、聞いている方はその満足感が得られる。言ってみれば、イリスちゃんとユキちゃんの魅力を合わせたような存在かもしれない。俺も同じ気持ちだよ。一番長く接していたシンシアも、絶対にそう思ってるさ」 「おおー、上手く分析、言語化してくれて、ありがと」  クリスには、自らのことも含めて、色々なことを教えてもらったし、アースリーちゃんの件や今回の作戦でとても世話になった。  会って間もないが、彼女との会話や、彼女と行動を共にすることで、すごく良い子だとすぐに分かったし、改めて思う。それは、魔法使いの前提、『魔法使いは人格者である』ことからも明らかだし、各地の人々を助ける精神と行動力からも明らかだ。  これらの背景もあるからこそ、俺達のクリスへの想いは強くなっていたのだ。シンシア達が作戦を終えた帰路で、俺達は、彼女の願いを叶えたい、そして、彼女を幸せにしたいと強く強く思った。



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