俺と妹が触手に同時転生して女の子を幸せにする話(2/2)

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 五月も中頃になって、暑い日の方が多くなってきた。  俺は、駅前の歩道でTシャツの裾をパタパタとさせて、体に風を送り込みながら、久しぶりの遠出を少しばかり後悔し、夕方前だというのに、自分の心を沈めてしまっていた。  まあ、遠出と言っても家から一キロ程度なのだが……。 「はあ…………ん?」  俺は、目の前のちょっと不思議なカップルが通り過ぎるのを待ってから、ため息をつくと、誰かに左肩をトントンと叩かれた。が、俺はあえて右を向いて応えた。 「何だよ」 「あのさぁ……そこは左を向くところでしょ。うざすぎ」  俺の予想通り右側にいたゆうは、呆れた顔でため息をつき、そのまま横に並んで俺と歩き続けた。 「俺に前と同じ技は通用しないのだ」 「いや、膝カックンは通用してたし」  俺がドヤ顔で斜め上を向いて胸を張ると、ゆうがすかさず反論してくる。 「アレはあえて受けることで、バランスを崩したように見せかけて、振り向きざまにそのまま相手に覆いかぶさることができる、というカウンター技を俺が使っただけだから。一歩間違えると、相手を怪我させてしまうことになりかねない高等技術だがな」 「は、はああああ? アレわざとだったの⁉ 死ね‼」  あの時の俺の腹に当たったおっぱいの感触と風呂上がりのトリートメントの香りは中々良いものだった。でも、何もしていない俺にいきなり危険な膝カックンをしたゆうの自業自得だよな。 「なあ、さっきのすれ違ったカップル見たか? 無言で、手も繋がず歩いてたんだぜ。喧嘩してるような感じもしなかったし。あれは、お互いが限りなく自然体でいられて、それでいて、側にいるだけで幸せ、みたいな感情じゃないと成り立たない関係だ」 「出た。お兄ちゃんの『人間観察』ならぬ『人間推察』。きも。」 「おいおい、まるで俺がいつもやってるような感じに言うなよ。稀に、だぞ」 「そんなこと言ってないのに、まるで心を見透かしたかのように感情を当ててくる、そういうところもキモいの! そんな『読み』はお兄ちゃんが得意な囲碁将棋だけにしてほしいんだけど」   お、おっぱいのように当たってたのか。 「そんなことより、随分早い解散だな。『ことちゃん』だけに」  言動とは裏腹に、今のゆうは機嫌が良いと見た俺は、何事もなかったかのように、ここにゆうがいる理由を聞こうとした。 「『琴ちゃん』、夕方に来る親戚と食事会の予定入ってるからね。最初から決まってたし。あたしはデパートで買いたい物があったから、駅のロータリーで見送った」 『ことちゃん』とは、ゆうの高校からの友達で、一年経った今は親友と言っていいほど、二人一緒に頻繁に遊ぶ仲だ。ウチにも数え切れないほど来ている。  その際は、『お兄ちゃんは部屋から絶対に出てこないで』と言われているが、ことちゃんの情報は日常会話の中でゆうから絶えず入ってくるので、今日の二人の映画デートについても知っていた。 「ってゆーか、全く面白くないし、ドサクサに紛れて『ことちゃん』って呼ぶのやめてくれる? 馴れ馴れしい」 「じゃあ、琴子ちゃん」 「それもダメ! 話の中でも琴ちゃんを呼ぶ時は名字で呼んで!」 「確かに、お嬢様キャラだから、『二ノ宮さん』の方がしっくりくるか」 『二ノ宮琴子さん』は、いわゆる箱入り娘のようなお嬢様だ。  見た目は黒髪ロング、前髪は適度に揃えており、顔もめちゃくちゃかわいい上に、スタイルも良い。性格は温和で、話し方も癒し系だ。漫画のように超お金持ちというわけではないが、家は邸宅と呼べるほど広いらしい。学校も母親の車で送り迎えしてもらっているし、ゆうもいつも車に乗せてもらっている。と言っても、お嬢様学校だから、車での登下校は比較的多いとのことだ。 「そういうことじゃないんだけど……。お兄ちゃんの毒牙、いや、男の毒牙からは絶対に守るから」  ゆうがどんな立場で言っているのか俺には分からないが、その宣言は是非とも遵守してほしい。  しかしながら、最近の女子事情は、どんな女の子でも、怪しい波に飲み込まれる危険性がある。 「彼氏ならまだいいさ。現代社会では、遊ぶ金欲しさに、何度も呼び名を変えてきて抵抗がなくなった売春に自分の方から手を出す女の子も多いわけで。ゆうもそんなことにならないかお兄ちゃんは心配で心配で」  他の人には見えないハンカチを右目に当てて、メソメソと泣くフリをする俺。 「なるわけないでしょ! 職業でプロ意識持ってやってるならいいけど、あたし、未成年のそういう子は完全に軽蔑して見下してるから。貞操観念がどうとかじゃなくて、お金がなくて親友と呼べる友達もいない女が、周りのレベルに合わせるため、大してかわいくもない『かわいい』を世界中に自慢して承認欲求を満たすために、美容代やら遊興費をリスク負ってスキルにもできない下品な方法で稼いでるのが呆れるほどバカだってこと。  まず目的がおかしいし、目的と手段も合ってないし、何よりどちらもくだらなさすぎ。これをバカと言わずになんて言えばいいのかな。無知蒙昧な拝金主義の性奴隷とか? あ、性奴隷に失礼か。  そして、そんな女が将来何食わぬ顔で上品ぶって男を騙して結婚するのも最悪だし、それに騙される男も見る目のないポンコツ。もちろん、体やお金目的で女を騙す男も最悪。  とにかく、そういう人達全員に弁えなさいよって言いたい。琴ちゃんにもあたしの考えちゃんと伝えてるから。押し付けてもないし」  街の往来で、ゆうはいつもとは異なる口調と語彙を用いて、過激と言ってもいい自分なりの哲学を早口でまくし立てた。俺がヒートアップさせすぎてしまったのか。他の人にはできるだけ聞こえないような声量なのは、まだ冷静な証拠だ。  それにしても、言葉は荒いが、お前は俺かというほど考え方が一致している。強いて違いを言うなら、俺達が理解できない驚くべきバカは世界に沢山いて、でもそれは俺達が理解できないだけで、実は俺達の方がバカなのかもしれないという謙虚さを俺が持っているということだ。  ゆうが男だったら、間違いなく俺のように色々とこじらせるだろう。まあ、思うだけなら別にいいよな。直接罵ったり、差別して危害を加えたりしなければ。嫌なら単に関わらなければいいのだ。  しかし、ここまで言い放つゆうの言動と行動が一致しているかは疑問だ。矛を収めさせつつ、遠回しに確認してみるか。 「でもお前、『兄活』してるよね。俺に三千円でシてくれるし、六千円でヤらせてくれる、俺専用格安尻軽女だよね」 「……っ! 声が大きい!」  ゆうは俺の口を左手で抑えながら顔をほんのり赤くし、俺達の話を聞いていた人が辺りにいないか確認していた。 「こんなところで変な言い方しないで! マッサージのことでしょ‼ 死ね‼」  マッサージで置き換えても十分変に聞こえるんだよなぁ……。  昔は無料で肩叩きやマッサージをしてくれたのだが、中学二年頃のゆうに頼んでみたら、『は? イヤに決まってるでしょ。お金くれたらやってあげる』と言われて、実際に払ったら意外にも真面目にやってくれた。  今度は俺もマッサージを覚えたいと言ったら、『本見れば? お金くれたら教えてあげる。あ、授業料はいつもの倍ね』と言われて、実際に払ったら真面目に教えてくれた。しかも、ゆうの身体で実践できる、有料ならぬ優良講義だ。  金をもらう以上、ちゃんとやろうという考えなのだろう。ただし、『変なトコ触ったら殺すから』と言われている。『変なトコってどこのことかな? ぐへへ』という声は表に出さずに、恐る恐るマッサージして限界ラインを見極めた記憶がある。  なので、そういうことがあってからは、攻守どちらも毎月お願いしている。ちなみに、二ノ宮さんは全て無料らしい。  女同士でマッサージし合う光景は是非見たいものだ。ゆうのことだから、面白がって純粋な二ノ宮さんにちょっとエッチな言葉を投げかけて、その気にさせたり、逆に引いてみたりして、戸惑いつつも頬を染めている二ノ宮さんを楽しんでいるに違いない。今度一部始終を見せてくれるように土下座で頼んでみるか。絶対に混ざったりしないから。  こんなマッサージし合うような仲良し兄妹いるはずない、仮にいたとしたら一線を超えないはずがないと思うのが普通だろう。危ない時があったことは否定しないが、少なくとも、俺達の基準では、一線を越えていない。  俺が思うに、昔はどうであれ、今の本人同士は仲が良いとも悪いとも思っていないところがミソで、マッサージを含め、そのようなやり取りは単なるコミュニケーション、あるいは暇つぶしの延長でしかないと考えているから成り立っている関係なのではないだろうか。極めて特殊な考えまたは習慣だと自分でも思う。  俺が払った金のほとんどは、ゆうから俺への誕生日プレゼントや少し高級な食事となって戻ってきて、余った金は次回に持ち越されているらしい。  プレゼントをくれるなんて仲が良いのではと思う人もいるだろう。それは俺が金を払っていない場合にしか成り立たないことであって、言い換えるとしたら、ゆうのプレゼントセンスを楽しみながら自分へ投資していると表現した方がまだ分かりやすいかもしれない。マッサージの肉体労働分は一緒に食事を楽しむことで相殺される。  閑話休題。ゆうの反応から、自身は正当だと思っているらしい。俺と同じ考えだとすれば、目的は俺とのコミュニケーションまたは暇つぶし、手段はマッサージとなる。  要するに、ゆうの認識では、少なくとも後者については、『リスク負ってスキルにもできない下品な方法』ではないということだ。俺だけを相手にする単なるマッサージであればリスクはないし、肉体的にも精神的にも他者を癒やすことができる、意図的に習得しようとしている技術であり、その習得技術を、ラインを引いて俺に教えるのであれば、品を落とすことにはならない、と。なるほど、理に適っている。目的は俺からすればくだらないけど。 「すまんすまん。ゆうのマッサージが、いつもめちゃくちゃ気持ち良いから、つい調子に乗ってしまった。整体師でも目指してるのか? 進路希望調査票も書かなきゃいけないんだろ?」 「いや、マッサージはあくまで趣味だし、進路は大学進学。最終的にどこの大学にするかは琴ちゃんと相談しながら。とりあえず、仮で書いてみたけど」  そう言って、ゆうは左手に下げていた白いバッグから進路希望調査票を取り出して俺に渡した。先程までとは打って変わって、すでにクールダウンしているようだった。俺がコロコロ話題を変えても、この切り替えの速さだ。情緒不安定などでは決してなく、ゆう特有の機嫌が良い証拠だ。二ノ宮さんと良い事でもあったか?  「え、見せてくれてありがとう。だけど、なんで持ってんだよ」 「今日午前中は琴ちゃんとそれ見ながら候補出し合ってたの! こういうのは、目の前にあった方が真面目に考えやすいし。今のところ、琴ちゃんも全部同じ」  調査票に目を移すと、第三希望まで各大学名でしっかり埋められている。ただ、いつでも修正できるように、鉛筆で薄く小さめに書かれていた。  どれどれ、第一希望は……。俺が通っている大学だ。しかも、第一希望だけ学部と学科まで書かれている。そして、学部も学科も全く俺と同じだった。 「工学部はやめておけ。パーフェクト清楚黒髪ロングお嬢様二人が入学したら、工学部が木っ端微塵に破壊されてしまう。もしかして……『学部クラッシャー』になって、俺の思い出の場所を壊し、愉悦に浸る進路が希望か?」  ゆうの髪型は、ことちゃんよりは短いがしっかり黒髪ロングで、まるで超イケメンお兄ちゃんが超最高のセンスでプレゼントしたかのようなシルバーの髪留めで、いつもハーフアップにしている。おでこは出したり出さなかったりだが、今日のような週末に私服で外出する時は出していることが多い。服は、白ベースのワンピースで、所々に黒のアクセントが入っており、丈は膝ぐらいまで。同じく白いモコモコした靴下に、白と薄いピンクの女子用スニーカーを履いている。  兄の俺が言うのも何だが、ゆうはハッキリ言って美少女だ。しかも、二ノ宮さんにも負けず劣らず。  男女共学だった中学時代はかなりモテたらしいが、全てフっていたという。いや、ほとんどは告白の機会すら与えられなかったと言った方が正しい。  ゆうが中学に入学してからすぐのある日、『オレイガ……イノオト……コニチカ……ヅクナ。カノ……ウセイ……モハイジョダ』という文章が書かれた紙を俺の所に持ってきて、『お兄ちゃん、これそのまま読んで』と言って、壊れかけたロボットを真似て読まされた。  別に俺に読ませる必要ないだろと思ったのだが、話を盛るのは良くても完全な嘘はつきたくないらしい。厳しい兄から男女共に連絡先の交換を禁止されているということにして、女子友達経由での個人情報流出さえも対策したのだ。  告白の呼び出しには一切応じず、手紙も受け取らない。机や下駄箱に入っていてもその場に捨てる。基本的に、一人にならないように、仮初めの女子友達と行動していたらしい。  その女友達が周りにいるにもかかわらず、目の前で無理矢理告白されたら、『公衆の面前で私に恥をかかせる人は大嫌い。他の人にも伝えておいて』、同様に別の男子が告白してきた場合は、『知らないの? 情報弱者は大嫌い』と言い放つ。どないせいっちゅうねん。 『だって、呼び出しにわざわざ一人で行くなんて危機意識のない頭お花畑女がすることだし、一人じゃなかったとしても、そこまで歩かされるのも、告白ポエム読まされるのも苦痛だし、その上、なんであたしがゴミ箱に捨てに行かされなきゃいけないのって思うし』とのことだ。 『お前、頭おかしいよ。まあ、俺は面白くてむしろ好きだけど。おもしれー女枠ちゃん』と言ったら、『うざ。死ね。』と即座にキレ気味に言われた。  ゆうがこうなってしまったのは俺のせいだ。 『お兄ちゃん大好き! わたし、お兄ちゃんと絶対絶対ぜ~~ったい結婚する! どこかの外国に行ってでも絶対するから!』と、小学生にしてはちょっとだけ違和感のある台詞を、いつも天真爛漫に言っていたなんて夢のようだ。一線は越えていないとは言ったが、そのゆうのままだったら、いつか越えていただろう。  この前なんて、寝ぼけたゆうが昔の『お兄ちゃん好き好きモード』になってしまい、大変だったのだ。性知識を得たゆうと、彼女の積極性が合わさり、一緒に風呂に入ったり寝たりしていた当時は、既成事実化しようと、事あるごとに淫語の連発と共に『ゆう惑』され、俺の性欲は爆発寸前になっていたが、その度に『賢者モード』になることで耐えてきた。  そんなある日、『緊縛母娘の脅迫日記~校舎裏から始まった地獄の日々~』という同人誌を、俺が部屋の机の上に置きっ放しにして寝てしまい、それをゆうが読んでしまったことで、その状況は一変した。  それが触手本でなかったことは俺の若気の至りと不徳の致すところだ。緊縛モノから触手モノに正当進化したことだけは褒めてほしい。でも、勝手に入ってきて、勝手に本を読んだゆうも悪いよな。俺が悟りを開いていなければ大喧嘩になっていたところだ。  その次の日から、ゆうは俺に対して態度を明らかに変え、『きも。』『うざ。』『死ね。』の三大罵倒語を添えるようになった。  俺はと言えば、当時ベッド下に隠していた『ドMのオレはツンデレ妹に叱られたい。』を読了し、全てご褒美に変換できていたから、むしろありがたかった。  ゆうの言葉は、あくまで罵倒するためのものであって、純粋な悪口である『チビ』『デブ』『ハゲ』とは決して言わないし、『小人さん』『豚』『ゴブリン』などという言い換えもしない。それらに俺が当てはまらないのもあるが、ゆうは容姿をバカにするようなことを言わないのだ。  しかし、どれだけ蔑まれてもいいから、『お兄ちゃん』呼びだけは続けてほしいなぁと風呂に入っている時にしみじみ思ってしまったので、気持ちが冷めない内に、そのまま自室にいるゆうに向かってドタドタと走り、全裸で土下座して了承してもらったのは、我ながら良い誠意の見せ方だった。  俺の恥ずかしい姿を晒して、憐れだと思われたおかげか、完全に遠ざけられることもなく、会話もしてもらえることになったのだ。念のため、あとで反省文を書いて読み上げたことも効いたかもしれない。  お兄ちゃん大好きっ子の当時のゆうについては、今では黒歴史として、記憶をなくしたかのように、本人も全くそのことに触れない。  高校生のゆうは家族以外の前では、見た目清楚系お嬢様、一人称は『わたし』。声はワントーン高く、口調も柔らかく穏やか。話す内容もふわふわとした当たり障りのないものだが、時に教養を感じさせる冗談交じりで、語尾に『うふふ』がつくことが多い。  つまり、完全な別人、別人格を演じている。二ノ宮さんには、自分の考え方や好き嫌いについて、少しずつ開示しつつあるようだが……。  どうしてそうなったか。キッカケは、二ノ宮さんに一目惚れしたからだ。入学式から帰ってくるや否や、『本物のお嬢様がいた……』とロボットのように何度も繰り返していた。俺がそれとなく疑念をぶつけると、『いや、あの子は本物。あの子は本物。お嬢様……聖女……天使……』と、焦点の合わない目をして、やはり繰り返していた。  実際に会話して、性格も温和なお嬢様だったのだろう。感動したのか、ショックだったのか、夢を彷徨っていたのか、よく分からないような反応で面白かったことを覚えている。  お嬢様学校ではあるが、その中でも究極のお嬢様を目の前にして、どうすれば仲良くできるかを俺に相談してきたりもした。彼女は本気だったのだ。そこで俺は、『お前も完全なお嬢様になるしかないな』と冗談半分で言ったら、真に受けて実践してしまった。その通り、やっぱり俺のせいだ。  元々、ゆうの外見はかわいいお嬢様風で、中身については、俺と話す時ほどではないにしろ、ハッキリものを言うタイプだったので、中身を柔らかくすれば、すぐに二ノ宮さんのようなお嬢様っぽくはなれる。  だが、ゆうはちゃんと自分でも考えて、家柄は無理でも外見や中身だけはお嬢様になりきらなければ相手にされない、釣り合わないという結論に至った。そうして、家族はその本性を知っているにもかかわらず、精神疾患でもないのに、恥ずかしげもなく、全く異なる新しい人格を生み出したのだ。出身校が同じ奴がいなかったことも幸いした。  ゆうが憧れるそんな二ノ宮さんが、自分と同じ進路を希望してくれたら、さぞ嬉しいだろう。今日の機嫌が今までで一番良いのはそれか。 「いや、卒業後の就職先とかも面白そうだからだし……。だいたい『何とかクラッシャー』は、誰かと付き合ったり別れたりを繰り返した場合でしょ。琴ちゃんには指一本触れさせないから」  俺が『ことちゃん』呼びした時と同じようなことを言って、成人しても勝手に二ノ宮さんの貞操を支配しようとするゆう。将来、恨まれるぞ……。よし、その時は兄の俺が責任を取って、二ノ宮さんと結婚しよう。 「しかし、その台詞は男に堕ちるフラグだぞ。お前も知っていると思うが、同人誌にも似たタイトルあるし……」 「は? いや、知らないし」  ふーん。白を切るつもりか。今度問い詰めてみるか。 「ん? 待てよ。百合に混ざる男は死ぬべきという常識をウチの男子学部生は全員持っているから、もしかすると、お前達がそれをアピールすればあるいは……。はっ! まさか、二ノ宮さんとマッサージし合う仲になったのは、進路計画の内だったのか」 「そ、そんなわけないでしょ! うざっ! ……そんなことよりさぁ、進路と言えばだけど、その手に持ってるの履歴書? もしかして郵便局まで持っていく気? ウチの近くにポストあるのに」  ゆうは俺の右手に持っていたA4用の封筒を指した。今時、紙で履歴書を出さなければいけない会社に、なぜ入りたいかというと、ウチから近いホワイト企業だから。満員電車には乗りたくない。不採用ならそれはそれで気にしない。他にも大企業含めて色々受ける予定だし、試験や面接の練習だと思って割り切ることが大事だ。 「ああ。糊が見つからなくて面倒くさくなったから、郵便局で借りてそのまま出そうかと。今日はずっと寝てたから、健康のためってこともある。中央郵便局なら土曜はまだ窓口開いてるし。帰りは『ウォッチャー』に寄ってから帰る」  長々とゆうと喋っていたら、本屋『うおち屋』、通称『ウォッチャー』を丁度通りかかっており、すでに駅前からは結構な距離を歩いていた。『ウォッチャー』の入り口のガラスドアからは、二人の女性客らしき人影がちらっと見えた。いや、一人は男かも。  ここは、普通の品揃えとは別に、アダルトゾーンが設けられていて、さらにマイナージャンルの本の種類が豊富な稀有な店だ。店主には余程の拘りがあるのだろう。監視カメラがないから、万引きされていないかいつも心配になる。店主には未だに会ったことがないので、今度是非語らってみたいものだが、さっき見えた女性客が濃い本を買っていることを想像して、悦に浸るのも悪くないな。  郵便局は、俺達が歩いている位置から、四十メートル先の信号を右に渡って、その先二百メートルの所にある。ゆうが買い物をする百貨店はその向かいなので、まだ一緒に歩いて行けるはずだ。 「売れない触手研究同人誌を夜明けまで作って自分の健康破壊してどうすんの?『自称触手研究家シュークン』改め『自傷即席健康クラッシャー』さん」  会話の流れから、ちょっと上手いこと皮肉を言ったゆうには称賛するが、売れないって言われると素人でもクリエイターは傷付くんだぞ。ちなみに、『シュークン』は俺の同人ネームだ。あだ名から取っている。 「いや、一部売れたから! しかも超美人が買ってくれたから! 触手と向き合う度に、俺の脳内ではあの日の光景が何度もリピートされてるんだ。『興味深かったです。あとがきの次回作も期待してます』って感想も送ってくれたし! ハンドルネームは『ThSW』さん。もうあの人のために作るって心に決めたもん!」 「サングラスかけてたから本当に美人かは分かんなかったはずでしょ。その話、前にも聞いたから。マイナージャンルの研究っていう、さらにマイナーなところ突いて、題材選択から間違ってるし、そもそも分厚すぎるでしょ、あの本。自作小説までセットで一つの本にして。少しは削る努力か、分ける工夫をしなさいよ。お兄ちゃんに物語のモノローグさせたら、無駄な描写とか脱線とかして話の繋がり分かんなくなってそう。ご自慢の作戦はどうしたの、作戦は。『自称作戦立案家シュウイチくん』」  おいおい……その通りだよ。お前、まさか見ているのか?  タイトルとあらすじでネタバレしてるのに、せっかくだからと、叙述トリックを無駄に使ったことも知ってるのか?  脱線はキャラの深掘りか伏線に使ってるし、長いモノローグの後は、最後と次の台詞を読めばその前の会話を連想できるようにしてることが多いから許してくれ。好きなモノを目の前にすると我を忘れてしまうんだ。ちなみに、『シュウイチ』は俺の名前だ。 「人は自己満足のために生きていると言っていい。売れ行きなど、どうでもいいのだ。仮に商業だとしても、その場合は、嫌々作る事、あるいは作った物が目的ではなく、金が目的となる。  そうすると、金を何に使うかということになるが、人のために寄付したとしても、全員を完全に救えるわけではないから、結局は自己満足のために使っていることと同義。さらに、死ぬ瞬間はどんな場合でも一人で、死後は『無』なのだから、繁殖や子育てでさえも自己満足に収束する」 「無駄に主語大きくして言い訳してるのが、どうでもよくない証拠でしょ。ついでに宗教否定までして」 「…………」  くぅ~、ゆうの正論パンチとフィニッシュブローは心に染みるぜ。でも、お前も主語大きくして、女批判してたよね。神がいたら天罰が下っているかもしれないぞ。 「それはそれとして、最終的には触手をマイナージャンルから脱却させる方法を俺は提案したいんだよ。汚い男性器やミミズのような見た目の気持ち悪さ、触手本数や分泌液の多さ、それらを含めた構図の悪さが目立ってしまうと、一般人にとっては不快感の方が大きい。もちろん、それが良いんじゃないかという人もいるだろう。  ただ、それではジャンルが縮小する一方だから、それを改善できれば、老若男女が触手と被害者の両方に感情移入できるようなシーンを作り出せれば、もっと人気が出るはずなんだ。そのためにも、どういう触手が過去から現在まで描かれていて、どういう触手があるべき姿なのかを俺は研究しているわけだ。  そんなの誰も求めていない? 俺が求めてるんだよ! それが研究家であり、クリエイターの性分なんだ。お前も少しぐらい分かるだろ? そうじゃなきゃ、論理立てられた過激な思想や哲学なんて持ってないはずだ」  熱弁を振るう俺を、ゆうは冷ややかに見ていた。 「その熱量や自信を趣味の触手研究じゃなくて別のところに使ってほしいんだけど。自信満々で完璧な履歴書を書いてやるって言ってたんだから、その提案力をプレゼンとかに活かせるでしょ。もちろん、分かりやすく話せること前提だけど。どうせ就職したら出世とか興味なくて、稼いだお金はスキルアップに使わないで趣味に全額注ぎ込むんでしょ?」  俺のこと理解しすぎじゃない?  しかしながら、まだまだ社会の仕組みや責任というものが分かっていないようだ。スキルアップに使う金は会社に出してもらうのがスジだ。会社がそれを必要としているのだから。  自分の将来像からどんなスキルが必要か、会社はどんなスキルを求めているかをすり合わせた上で、会社が社員のスキル習得とキャリアアップに投資する。その投資をしてくれない会社はブラック企業の範疇だと俺は思っている。もちろん、別の会社に転職しようと思っている場合は別だ。 『お前の方が分かってないじゃないか、現実を見ろ。頑張ってる人は自分で自分に投資しているぞ』と思う人もいるだろう。しかし、『現実』と『理想』が一致している会社も少なからず実在している時点で、結局はその『現実』とは自分の周りでしか存在し得ないし、そのような環境に身を置くべきなのは間違いない。 「見てみるかね? 絶対に採用されるこの世で唯一の履歴書を……。特に自信があるのは職種希望欄かな。『触手』好きとしては気合いを入れないとな。信号渡ったら見せてやるよ」 「うざ。触手について語ってるんじゃないでしょうね」 『見たくない』とは言わないってことは『見たい』ということだろう。  すでに青になっていた信号はすぐそこだった。ここの信号は四十秒で赤に変わるので、あと二十秒は余裕がある。視界には右折の車や左折の車もいなかったので、このまま俺達のペースで渡れそうだ。 「俺はそこまで頭おかしくないから。ネタで採用試験を受ける失礼な奴でもないし。まあ、書けって言われたら、当然書けるけど。俺の理想の触手は……」  するとその時、ゆうと信号を渡り始めて二メートルほど進んだ所で、俺の話しを遮るように右手遠くの歩道、『ウォッチャー』辺りから女性の叫び声とも言える大きな声が聞こえた。 「走って‼ 前に‼ 右から車!」  緊迫感と切羽詰まったようなその声に、俺達に言っているのかも分からない中で、俺は咄嗟に反応、と言うより反射的に左足を大きく前に出し、走り出そうとしていた。  同時に右を見ると、猛スピードで、文字通りあっという間に迫ってくる白い普通乗用車がそこにはあった。間違いなく時速百キロメートル以上、百三十キロは出ていても不思議ではないほどだ。なんでこんな一般道で……とすぐさま疑問に思ったが、運転手がブレーキと踏み間違えたり何らかの原因で気絶していたりしてアクセルを全開に踏み込んでいる場合はあり得る。  どうやら後者らしい。運転手がハンドルにもたれ掛かっているのが見えた。不幸にも、その暴走を遮る交通量は全く無く、暴走者のクラクションは鳴らず、電気自動車だったのでエンジン音も聞こえなかった。  いや、電気自動車でも擬似的に音を出す仕様のはずだ。故障後にメンテナンスされてなかったのか?  そんなことを考える余裕など本来はなかったにもかかわらず、考えてしまった。なぜなら、もう俺は間に合わないからだ。このまま左足を地につけて、二歩目を踏み出そうとも、立ち止まろうとも、後ろに戻ろうとも避けられない。それほどまでに暴走車が目の前に迫っていた。  せめて、ゆうだけでも無事で……と思い、右半歩後ろのゆうに目を移すと、俺と同様に車の方を見ていたが、走り出そうとはしていなかった。いや、できなかったのだろう。過去にもそのようなことがあった。女性の声は聞こえていたはずだが、頭の回転の速いゆうは、咄嗟の事態でその思考に口や体が追いつかなかったのだ。  どうすればゆうを助けられる? ゆうの思考速度に及ばずとも思考を巡らせろ。  この状態から後ろに突き飛ばせるか? ダメだ。今の俺の体勢では力が入らないから、間に合ったとしても距離を稼げない。  それなら前に放り投げるか? ダメだ。タイミングが遅すぎて、この状況から放り投げようとすると、俺と車の間の衝撃を最も受ける位置にゆうが来る可能性が高い。  同様に、上に放り投げようとするのもダメだ。  いっその事、地面に寝そべってタイヤに乗っかられた方が、とも考えたが、寝ようとする前にバンパーが頭にぶつかってダメだ。  残っているのはもう……。くそっ! なんでこんなに時間がないんだよ!  それもそのはず、時速百三十キロメートルは、秒速約三十六メートル、『ウォッチャー』からは約一秒だ。そこから出てきた女性達の一人が車道右方向から来る暴走車に気付いたのだろう。声を上げた時にはすでに一秒を切っていたはずだ。  でも、その人には感謝だな。普通なら誰かに危険が迫っている時に、咄嗟に上げる声は、『危ない!』とか『逃げて!』とか曖昧だから、何もできずに回避できない場合が多いけど、どうすればいいかを簡潔に言ってくれたし、回避できなくても何が起きたのか分からないよりは個人的には良い。教養があって頭の良い人なのかな。『ウォッチャー』の店主と同じく、いつか話してみたいものだ。  どういうわけか、俺はこういう時になると余計なことを考える性質らしい。つまり、もう俺の心は決まった。ゆう、ごめん……。 「お兄ちゃん……」  このような状況で、聴覚が研ぎ澄まされたのだろうか。暴走車の方を向いたまま、か細く消え入りそうなゆうの声が聞こえた。  その瞬間、俺は右の踵を返し、車とゆうの間に無理矢理に体を差し込んだ。  もうこれしかない!  先に決心した方法で、ゆうの頭を包み込むように、俺の頭と両腕で上半身を抱きしめた。また、俺の左足でゆうの軸足を蹴り飛ばして、車のバンパーと下半身ができるだけ接触しないように、タイミングを計って少し浮かせた。回転方向ができるだけ横になるように、勢いで体も横に寝かせたかったが、させきれなかった。  ドン!   俺の後頭部はフロントガラスに激しくぶつかり、その勢いと共に車全体が俺達兄妹を斜め前方に大きく跳ね飛ばした。  ゆうの頭や身体は俺の身体で車からは守られているものの、衝撃は俺を通して伝わるので、痛みからは絶対に逃れられない。俺の体全体が一瞬激しい痛みを覚えたのも束の間、すでに何が起こっているのかよく分からなかった。  手に持っていた物は全て空中にばらまかれ、地面と空とが何度も視界を縦横無尽に走り回るので浮遊感なんてものはなかったし、俺達の体のあまりの回転速度に、目に映るものは色の残像しかなかった。  その間、ゆうは全く声を出さず、体もそのまま動かさなかった。おそらく車との接触時に気を失ったのだ。なぜ俺が気を失っていないのかは分からない。俺の後頭部は粉々のはずだ。ゆうを最後まで生きて家に帰すという強い意志のおかげだろうか。俺はゆうをずっと抱き締めてかばうことができていた。  しかし、この縦回転は正直に無理を悟った。このまま地面に激突すれば必ず頭をもう一度打つ。しかも、高確率で二人とも。体を丸めたくても、両足は骨折しているし、頭をやられて力が入らないし、入ったとしても遠心力がそれを阻む。  唯一、ゆうが助かるのは、俺が完全に仰向けで下敷きになって、そのままの状態で地面と背中を擦らせながら滑ること。少しでも地面激突後に回転してはいけないし、引っかかってもいけない。背中から落ちて、頭や脚を持ち上げるようにすれば行けるか?  再度思考を巡らせるが、一瞬認識できた景色により、無惨にも一縷の望みは絶たれた。  俺達が飛ばされたのは、車から見て前方少し左斜め方向、つまり交差点奥の車道と歩道の間の縁石だったのだ。  俺は力が入っているかどうかも分からない両腕で、少なくとも脳内では、ゆうの体をもう一度強く抱きしめた。そして、両腕以外の残された僅かな力で何かできることはないかと、目の前に迫りくる地面を凝視していた。 『ゆう! 絶対、最期まで守るから! 絶対絶対絶対ぜっ……』  ガン! ズザザザザザザザァ!  俺達は地面と縁石にそれぞれの側頭部を思い切り強打し、地面で数回転した後に仰向けの状態でやっと止まった。  力を振り絞ってギリギリで体を捻ることで、正面からぶつかって顔や口内がグシャグシャになったり、首の骨が完全に折れたり、引き千切られたりすることはなかったが、こうなってはあまり意味のないことだ。  結局、守れなかった。俺からは見えないが、俺とゆうの右側頭部はズタズタだろう。加えて、俺の後頭部は車のフロントガラスでボロボロになっている。  それでも、今の今まで、俺の腕の中にゆうがいることが奇跡だった。 『ごめんな、ゆう。痛かっただろ?』  ゆうの頭を撫でたかったが両腕とも全く動かなかった。代わりに、ゆうを抱き締める役割を終えた左腕が、ダランと力なく地面に滑り下りた。右腕までそうなってしまうと、ゆうが俺の身体から滑り落ちて、少しの高さではあるが、また地面に叩きつけられてしまうので、必死に脳に信号を送るように右腕と頭に意識を集中した。  それにしても、まだ俺の意識がある。これも奇跡だな。でも、誰か早くゆうを何とかしてくれないと俺の右腕が保たない。俺達を撮影している人でなし以外の誰か! 「私は救急車を呼ぶ! めぐるは警察に通報して! 交通整理は必要ない」 「分かった」  遠くで聞き覚えのある声がした。交差点辺りだろうか。俺の頭はボーっとしていて、周囲の環境音や雑音も激しいのに、彼女達の声だけがハッキリ聞こえた。『ウォッチャー』の前から俺達に声をかけてくれた女性の声だ。もう一人の女性は『めぐる』さん、と言うらしい。俺達の方まで駆け寄ってくれているようだ。 「救急! 場所は……駅前から南二百メートルの交差点で交通事故! 大人三人! 一人は運転手、もう二人は男女の被害者! 全員頭部を強く打ち、意識不明の重体! 要大量輸血! 車からの燃料漏れはなし! 私は現場目撃者で、名前は『せんじゅさわ』、内科医ですが、このまま現場で応急処置を試みます! 警察には友人が通報中です」  必要な情報を全て言って、電話を切った女医のせんじゅさんとめぐるさんが俺のすぐ近くまで来ていた。俺の意識は一応あるのだが、最悪のことを考えて全員意識不明の重体と伝えたのだろう。大きい病院は近くと言ってもいい所にはあるが、受け入れ可能かは分からない。 「交通事故です。百キロ超の暴走車が、信号無視で男女をはねて電柱に激突。三人は頭部を強く打って意識不明の重体。場所は……駅前から南二百メートルの交差点。今から三十秒ほど前に発生。救急車は手配済み。現在、私の友人の医者が応急処置を試みようとしています」  めぐるさんも警察に通報していた。過去に通報経験があるのだろうか。二人とも全く淀みなく、通話相手の返事を待ってさえいない。せんじゅさんだけじゃない、めぐるさんも優秀だ。  暴走車がどうなったかは、俺からは分からなかったが、めぐるさんによると電柱に衝突して停止したらしい。普通乗用車であの速度での衝突は、運転手もひとたまりもなかっただろう。 「っ……‼ さわ、この子達…………。なんでこんな……」 「ええ……」  通報中のめぐるさんが驚いたあとの彼女達の絶望感がこちらにも伝わってきた。俺達の外傷はひと目見て相当酷いらしい。  それはそうだ。俺達の周りは血の海なのだから。でも、俺の意識があるってことは『社会死』までは酷くないってことか?  「私の声は聞こえる? 聞こえたら一回瞬きして。そのまま目は瞑らないで、意識を失わないように、少しだけ楽しいこと考えて」  せんじゅさんは、意識を失っているゆうを両腕で支えて慎重に俺の身体から下ろした。 『ゆう、良かったな。この人達に任せよう』  俺は安堵し、一回だけ瞬きをして、言われた通りに楽しいことを考えようとした。  せんじゅさんには感謝しかないな。彼女の落ち着いた声は精神的に癒やされたし、少し元気にもなれた。何度もリピートしたくなる不思議な声だ。 『せんじゅってどういう漢字書くんだろう。千手観音の千手か? 千手だったら触手っぽくて良いな。医者で内科医なら、触診で病気を判断したり……触診……触神……触手の神か。触手の神なら万能であることも頷ける。いかんいかん、これでは楽しすぎてしまう』  この期に及んで、くだらないことを考えている俺が、妙にしぶとく生きようとしていることに自身で疑問を抱いた。この明らかに優秀なせんじゅさんなら俺達の絶望的な命を救ってくれるんじゃないかと思ったからだろうか。 「めぐる、上着頂戴。止血と包帯に使う。それと、こっちはこのまま抑えてて」  ゆうの右側にいたせんじゅさんが、通報中のめぐるさんに声をかけると、その声に彼女もすぐさま頷き、薄めの上着を脱いで渡した。この人達なら、仮に上着がなかったとしても躊躇なく下着姿になりそうな信頼感がある。  めぐるさんは、俺の頭付近の血の海でやはり躊躇なく膝をつき、耳と肩でスマートフォンを器用に挟みながら、せんじゅさんが俺の側頭部から後頭部にかけて当てた二つの大きい止血用ガーゼを両手で抑えた。心臓マッサージや人工呼吸の必要性を確認してからのことだったので、ゆうは少なくとも呼吸できているようだ。車衝突時に一時心停止、脳への血流が減少して意識を失い、地面衝突時に心臓が動いたのか? これも奇跡か。 「私の名前は『いちのせめぐる』です。はねられた男女二人の内、女の子の高校生は親戚の友人で一度会ったことがあります。その親戚経由で私からも親御さんに連絡できます」  え……? 通報中のめぐるさんが氏名の後に続けた言葉は、俺の思いも寄らないことだった。  親戚って、もしかして二ノ宮さんの親戚?  これから会う予定の?  なんでこんなところに?  あまりに唐突すぎて、様々な疑問が次々と浮かび、ぼんやりしていた頭が少し冴えてきたほどだ。  ただ一つ言えるのは、二ノ宮さんには今から三十分足らずでこの事故が伝わり、結果はどうあれ悲しませてしまうことだ。二ノ宮さん、ごめん。 「もう一人は……履歴書が落ちているので、身元はすぐに確認できます。紛失しても困るので最低限の情報だけを読み上げます」  めぐるさんはそう言って、俺の左側に少しずれて上半身を前に倒した。俺の持っていた履歴書がこんな所まで飛んで来ていたのか。  めぐるさんは、俺の左手を覗き込んでいる。履歴書は封筒から飛び出し、俺の左手の下敷きになっていたのだ。履歴書には血が少し飛び散っていたが、地面にはちょっとした勾配があるため、血の海に浸かることは避けられていた。  こんな奇跡はいらないんだよ。学生証もあるし、別のところにその奇跡を使ってくれ。 「氏名は『相楽修一』。二十一歳の大学四年生。誕生日は六月一日です。女の子の方は『相楽ゆう』ちゃんなので、本人から以前聞いた話と合わせて、はねられた男女は兄妹です」  めぐるさんは履歴書を読み上げたが、それは決して淡々とではなく、その声は、どことなく悲しげで、無念さを滲ませているようだった。  嘘であってくれと思っていたのが、答え合わせが完全に済んだからだろうか。それとも、二ノ宮さんへの直接報告を余儀なくされ、その後に彼女がどんな様子になるか容易に想像できたからだろうか。  めぐるさん、今日初めて会ったけど、いきなりこんなことになって申し訳ない。でも、ありがとう。 「待たせてごめんなさい。シュウ……一くん」  ゆうの応急処置を終えて、せんじゅさんが俺の方に移動してきた。  ゆうの容態を聞きたくても口が動かない。無理に口を動かそうとすれば、死が早まるだろう。いや、死の恐怖よりも彼女の懸命な処置をできるだけ無駄にしたくない気持ちの方が強かった。ゆうは、死の淵を彷徨っているのだろうか。 『ゆう、頑張れ。お前なら帰ってこられるはずだ』 「ゆうちゃんがどうなるかは分からない……めぐる、力を貸してくれる?」 「このままじゃ、コトがあんまりだ……。いいよ、やろう。あの方法、一緒に」  俺の考えていることを察したのか、めぐるさんと協力して俺の応急処置を進めながら、せんじゅさんはゆうについて話してくれた。  そうか、でも手を尽くしてくれたんだ、仕方がない。ゆうの処置が終わり、状態も分かったところで、俺はやっと一息つけたと思った。そのせいか、視覚や聴覚、思考に割いていた集中力はなくなっていた。 「シ……ークンのこと……分か…………この…………ごめん……い」 『謝らないでください。むしろ、ありがとうございます。本当に感謝してもしきれません』 『ゆう、お前もそう思うだろ?』  もう俺の目はほとんどぼやけて、せんじゅさんの顔も見えなくなっていた。視界の周囲には深い霧がかかっているようだ。音も急に聞こえなくなってきた。  ここに来て、ようやく意識が遠のいていくのだと確信した。次に目が覚める時はどうなっているのだろう。それともこのまま目が覚めないのだろうか。  結局、走馬灯は見なかったな。ゆうは見たのかな。見たとしたら車との接触前か。まあ、思い出させちゃうからそれは聞かない方がいいか。 「…………。私の……覚えて………次……待っ……」  誰か、おそらくせんじゅさんだろう人が何か言っているようだが、ハッキリとは聞き取れず、声質さえ分からなくなっていた。  すると、すでに感覚のない俺の顔に、水滴が何滴か垂れてきたような気がした。通り雨か? 今日はずっと晴れのはずだから、ここでも珍しいことが起こったか。これだけ偶然や奇跡が起きてるんだから、きっと大丈夫だ。なんなら、俺の分の奇跡を、ゆうにあげてほしい。 『ゆう、お前助かるぞ。なんたって、今日は奇跡のオンパレードだからな』 『ゆう、すまないが、せんじゅさんとめぐるさんに、お前からもう一度お礼言っておいてくれ。ああ、お礼の品は俺の金使っていいから』 『ゆう、二ノ宮さんを少し悲しませちゃったけど、元気になったらちゃんと遊んでもらえよ』 『ゆう、大学受験は緊張が一番の敵と言われているが、逆に緊張を楽しむぐらいで受けるといいぞ。普通に生きてたら、それほどの緊張をする機会なんてあんまりないんだからな』 『ゆう……っておいおい、俺のことはいいんだよ。優しいな、ゆうは』 『ゆう…………ありがとう…………最……まで……一緒にいて…………くれて……』 「………………ー………………」  俺は、ゆうへの感謝の言葉を最後に意識を失った。そして、これがたとえ死だとしても俺に悔いはなかった。 「…………シュー……クン……」  意識を失った……はずなのに、なぜか俺を呼ぶ声が聞こえた。  いや、違う。意識を失う瞬間に聞こえて、今はそれを反芻しているにすぎない。  ここは夢の中か?  それとも死後の世界か。  分からない。周りは真っ暗闇で体の感覚はない。ただ、考えることはできる。この状態、状況が、意識があると言っていいのかも分からない。  それにしても、あの時は命がかかっていたから、せんじゅさんやめぐるさんの外見さえ覚えていないのが悔やまれる。  せんじゅさんのイメージは、髪はロングだが、応急処置のためにポニーテールにしていた。年齢は、専門医なら最低二十九歳だが、研修医を終えたあとに、すぐに内科医として独立したかったのではないだろうか、土曜でも午後は休診で、あの時間に歩いていても不思議ではないのではないかという勝手な憶測と、めぐるさんも同年齢の若めな印象ということを合わせて、何となく二十七歳前後。  めぐるさんの髪型は、ショートかショートボブだったはずだ。なぜなら、『ウォッチャー』でちらっと見た時に男か女か俺が迷い、履歴書を見る時に、俺の視界に全く髪が垂れてこなかったから。  二人とも超美人、せんじゅさんは綺麗系、めぐるさんは体型を見ると明らかに女性だが中性的な顔立ちで、二人が並んで歩いていたらカップルに一見間違えられる……だったら良いなぁという俺の妄想だ。  しかし、間違いなく言えることがある。ずっと気になっていたのだ、あの声が。過去を遡って考えるリソースをそこに割けなかったが、今ようやく分かった。  延々とリピートしていたい声で、俺を癒やし、支えてくれた人。  前に進ませてくれた人。  そして……俺の同人ネームを知っている人。  せんじゅさんは、俺の触手研究同人誌を唯一買ってくれた、その人だった。  こんな奇跡があるのだろうか。俺は完全にではないにしても、せんじゅさんに二度救われたのだ。だが、二重に悲しませてしまった。  意識を失う前、俺はゆうのことしか考えていなかった。ゆうさえ無事なら悔いはなかったのだが、十分に、冷静に考えられる今なら、絶対に悔いはないとは言い難い。その内の一つ。奇跡の出会いが一生の別れになるなんて嫌だ! だから……。 『せんじゅさわさんに触手研究本の新作を作ってあげたい! 俺は無神論者だけど、触手の神様だけは信じます! どうか、俺の願いを叶えてください! この通りです‼』  俺は全裸で土下座したような気持ちで、触手の神に祈った。あのゆうが折れた奇跡の方法だ。たとえ、今の俺に体がなくとも、多少の効果はあるだろう。  次の悔いは……。  そこで俺の意識は再度途絶えた。



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俺と妹が触手に同時転生して女の子を幸せにする話(2/2)

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 五月も中頃になって、暑い日の方が多くなってきた。  俺は、駅前の歩道でTシャツの裾をパタパタとさせて、体に風を送り込みながら、久しぶりの遠出を少しばかり後悔し、夕方前だというのに、自分の心を沈めてしまっていた。  まあ、遠出と言っても家から一キロ程度なのだが……。 「はあ…………ん?」  俺は、目の前のちょっと不思議なカップルが通り過ぎるのを待ってから、ため息をつくと、誰かに左肩をトントンと叩かれた。が、俺はあえて右を向いて応えた。 「何だよ」 「あのさぁ……そこは左を向くところでしょ。うざすぎ」  俺の予想通り右側にいたゆうは、呆れた顔でため息をつき、そのまま横に並んで俺と歩き続けた。 「俺に前と同じ技は通用しないのだ」 「いや、膝カックンは通用してたし」  俺がドヤ顔で斜め上を向いて胸を張ると、ゆうがすかさず反論してくる。 「アレはあえて受けることで、バランスを崩したように見せかけて、振り向きざまにそのまま相手に覆いかぶさることができる、というカウンター技を俺が使っただけだから。一歩間違えると、相手を怪我させてしまうことになりかねない高等技術だがな」 「は、はああああ? アレわざとだったの⁉ 死ね‼」  あの時の俺の腹に当たったおっぱいの感触と風呂上がりのトリートメントの香りは中々良いものだった。でも、何もしていない俺にいきなり危険な膝カックンをしたゆうの自業自得だよな。 「なあ、さっきのすれ違ったカップル見たか? 無言で、手も繋がず歩いてたんだぜ。喧嘩してるような感じもしなかったし。あれは、お互いが限りなく自然体でいられて、それでいて、側にいるだけで幸せ、みたいな感情じゃないと成り立たない関係だ」 「出た。お兄ちゃんの『人間観察』ならぬ『人間推察』。きも。」 「おいおい、まるで俺がいつもやってるような感じに言うなよ。稀に、だぞ」 「そんなこと言ってないのに、まるで心を見透かしたかのように感情を当ててくる、そういうところもキモいの! そんな『読み』はお兄ちゃんが得意な囲碁将棋だけにしてほしいんだけど」   お、おっぱいのように当たってたのか。 「そんなことより、随分早い解散だな。『ことちゃん』だけに」  言動とは裏腹に、今のゆうは機嫌が良いと見た俺は、何事もなかったかのように、ここにゆうがいる理由を聞こうとした。 「『琴ちゃん』、夕方に来る親戚と食事会の予定入ってるからね。最初から決まってたし。あたしはデパートで買いたい物があったから、駅のロータリーで見送った」 『ことちゃん』とは、ゆうの高校からの友達で、一年経った今は親友と言っていいほど、二人一緒に頻繁に遊ぶ仲だ。ウチにも数え切れないほど来ている。  その際は、『お兄ちゃんは部屋から絶対に出てこないで』と言われているが、ことちゃんの情報は日常会話の中でゆうから絶えず入ってくるので、今日の二人の映画デートについても知っていた。 「ってゆーか、全く面白くないし、ドサクサに紛れて『ことちゃん』って呼ぶのやめてくれる? 馴れ馴れしい」 「じゃあ、琴子ちゃん」 「それもダメ! 話の中でも琴ちゃんを呼ぶ時は名字で呼んで!」 「確かに、お嬢様キャラだから、『二ノ宮さん』の方がしっくりくるか」 『二ノ宮琴子さん』は、いわゆる箱入り娘のようなお嬢様だ。  見た目は黒髪ロング、前髪は適度に揃えており、顔もめちゃくちゃかわいい上に、スタイルも良い。性格は温和で、話し方も癒し系だ。漫画のように超お金持ちというわけではないが、家は邸宅と呼べるほど広いらしい。学校も母親の車で送り迎えしてもらっているし、ゆうもいつも車に乗せてもらっている。と言っても、お嬢様学校だから、車での登下校は比較的多いとのことだ。 「そういうことじゃないんだけど……。お兄ちゃんの毒牙、いや、男の毒牙からは絶対に守るから」  ゆうがどんな立場で言っているのか俺には分からないが、その宣言は是非とも遵守してほしい。  しかしながら、最近の女子事情は、どんな女の子でも、怪しい波に飲み込まれる危険性がある。 「彼氏ならまだいいさ。現代社会では、遊ぶ金欲しさに、何度も呼び名を変えてきて抵抗がなくなった売春に自分の方から手を出す女の子も多いわけで。ゆうもそんなことにならないかお兄ちゃんは心配で心配で」  他の人には見えないハンカチを右目に当てて、メソメソと泣くフリをする俺。 「なるわけないでしょ! 職業でプロ意識持ってやってるならいいけど、あたし、未成年のそういう子は完全に軽蔑して見下してるから。貞操観念がどうとかじゃなくて、お金がなくて親友と呼べる友達もいない女が、周りのレベルに合わせるため、大してかわいくもない『かわいい』を世界中に自慢して承認欲求を満たすために、美容代やら遊興費をリスク負ってスキルにもできない下品な方法で稼いでるのが呆れるほどバカだってこと。  まず目的がおかしいし、目的と手段も合ってないし、何よりどちらもくだらなさすぎ。これをバカと言わずになんて言えばいいのかな。無知蒙昧な拝金主義の性奴隷とか? あ、性奴隷に失礼か。  そして、そんな女が将来何食わぬ顔で上品ぶって男を騙して結婚するのも最悪だし、それに騙される男も見る目のないポンコツ。もちろん、体やお金目的で女を騙す男も最悪。  とにかく、そういう人達全員に弁えなさいよって言いたい。琴ちゃんにもあたしの考えちゃんと伝えてるから。押し付けてもないし」  街の往来で、ゆうはいつもとは異なる口調と語彙を用いて、過激と言ってもいい自分なりの哲学を早口でまくし立てた。俺がヒートアップさせすぎてしまったのか。他の人にはできるだけ聞こえないような声量なのは、まだ冷静な証拠だ。  それにしても、言葉は荒いが、お前は俺かというほど考え方が一致している。強いて違いを言うなら、俺達が理解できない驚くべきバカは世界に沢山いて、でもそれは俺達が理解できないだけで、実は俺達の方がバカなのかもしれないという謙虚さを俺が持っているということだ。  ゆうが男だったら、間違いなく俺のように色々とこじらせるだろう。まあ、思うだけなら別にいいよな。直接罵ったり、差別して危害を加えたりしなければ。嫌なら単に関わらなければいいのだ。  しかし、ここまで言い放つゆうの言動と行動が一致しているかは疑問だ。矛を収めさせつつ、遠回しに確認してみるか。 「でもお前、『兄活』してるよね。俺に三千円でシてくれるし、六千円でヤらせてくれる、俺専用格安尻軽女だよね」 「……っ! 声が大きい!」  ゆうは俺の口を左手で抑えながら顔をほんのり赤くし、俺達の話を聞いていた人が辺りにいないか確認していた。 「こんなところで変な言い方しないで! マッサージのことでしょ‼ 死ね‼」  マッサージで置き換えても十分変に聞こえるんだよなぁ……。  昔は無料で肩叩きやマッサージをしてくれたのだが、中学二年頃のゆうに頼んでみたら、『は? イヤに決まってるでしょ。お金くれたらやってあげる』と言われて、実際に払ったら意外にも真面目にやってくれた。  今度は俺もマッサージを覚えたいと言ったら、『本見れば? お金くれたら教えてあげる。あ、授業料はいつもの倍ね』と言われて、実際に払ったら真面目に教えてくれた。しかも、ゆうの身体で実践できる、有料ならぬ優良講義だ。  金をもらう以上、ちゃんとやろうという考えなのだろう。ただし、『変なトコ触ったら殺すから』と言われている。『変なトコってどこのことかな? ぐへへ』という声は表に出さずに、恐る恐るマッサージして限界ラインを見極めた記憶がある。  なので、そういうことがあってからは、攻守どちらも毎月お願いしている。ちなみに、二ノ宮さんは全て無料らしい。  女同士でマッサージし合う光景は是非見たいものだ。ゆうのことだから、面白がって純粋な二ノ宮さんにちょっとエッチな言葉を投げかけて、その気にさせたり、逆に引いてみたりして、戸惑いつつも頬を染めている二ノ宮さんを楽しんでいるに違いない。今度一部始終を見せてくれるように土下座で頼んでみるか。絶対に混ざったりしないから。  こんなマッサージし合うような仲良し兄妹いるはずない、仮にいたとしたら一線を超えないはずがないと思うのが普通だろう。危ない時があったことは否定しないが、少なくとも、俺達の基準では、一線を越えていない。  俺が思うに、昔はどうであれ、今の本人同士は仲が良いとも悪いとも思っていないところがミソで、マッサージを含め、そのようなやり取りは単なるコミュニケーション、あるいは暇つぶしの延長でしかないと考えているから成り立っている関係なのではないだろうか。極めて特殊な考えまたは習慣だと自分でも思う。  俺が払った金のほとんどは、ゆうから俺への誕生日プレゼントや少し高級な食事となって戻ってきて、余った金は次回に持ち越されているらしい。  プレゼントをくれるなんて仲が良いのではと思う人もいるだろう。それは俺が金を払っていない場合にしか成り立たないことであって、言い換えるとしたら、ゆうのプレゼントセンスを楽しみながら自分へ投資していると表現した方がまだ分かりやすいかもしれない。マッサージの肉体労働分は一緒に食事を楽しむことで相殺される。  閑話休題。ゆうの反応から、自身は正当だと思っているらしい。俺と同じ考えだとすれば、目的は俺とのコミュニケーションまたは暇つぶし、手段はマッサージとなる。  要するに、ゆうの認識では、少なくとも後者については、『リスク負ってスキルにもできない下品な方法』ではないということだ。俺だけを相手にする単なるマッサージであればリスクはないし、肉体的にも精神的にも他者を癒やすことができる、意図的に習得しようとしている技術であり、その習得技術を、ラインを引いて俺に教えるのであれば、品を落とすことにはならない、と。なるほど、理に適っている。目的は俺からすればくだらないけど。 「すまんすまん。ゆうのマッサージが、いつもめちゃくちゃ気持ち良いから、つい調子に乗ってしまった。整体師でも目指してるのか? 進路希望調査票も書かなきゃいけないんだろ?」 「いや、マッサージはあくまで趣味だし、進路は大学進学。最終的にどこの大学にするかは琴ちゃんと相談しながら。とりあえず、仮で書いてみたけど」  そう言って、ゆうは左手に下げていた白いバッグから進路希望調査票を取り出して俺に渡した。先程までとは打って変わって、すでにクールダウンしているようだった。俺がコロコロ話題を変えても、この切り替えの速さだ。情緒不安定などでは決してなく、ゆう特有の機嫌が良い証拠だ。二ノ宮さんと良い事でもあったか?  「え、見せてくれてありがとう。だけど、なんで持ってんだよ」 「今日午前中は琴ちゃんとそれ見ながら候補出し合ってたの! こういうのは、目の前にあった方が真面目に考えやすいし。今のところ、琴ちゃんも全部同じ」  調査票に目を移すと、第三希望まで各大学名でしっかり埋められている。ただ、いつでも修正できるように、鉛筆で薄く小さめに書かれていた。  どれどれ、第一希望は……。俺が通っている大学だ。しかも、第一希望だけ学部と学科まで書かれている。そして、学部も学科も全く俺と同じだった。 「工学部はやめておけ。パーフェクト清楚黒髪ロングお嬢様二人が入学したら、工学部が木っ端微塵に破壊されてしまう。もしかして……『学部クラッシャー』になって、俺の思い出の場所を壊し、愉悦に浸る進路が希望か?」  ゆうの髪型は、ことちゃんよりは短いがしっかり黒髪ロングで、まるで超イケメンお兄ちゃんが超最高のセンスでプレゼントしたかのようなシルバーの髪留めで、いつもハーフアップにしている。おでこは出したり出さなかったりだが、今日のような週末に私服で外出する時は出していることが多い。服は、白ベースのワンピースで、所々に黒のアクセントが入っており、丈は膝ぐらいまで。同じく白いモコモコした靴下に、白と薄いピンクの女子用スニーカーを履いている。  兄の俺が言うのも何だが、ゆうはハッキリ言って美少女だ。しかも、二ノ宮さんにも負けず劣らず。  男女共学だった中学時代はかなりモテたらしいが、全てフっていたという。いや、ほとんどは告白の機会すら与えられなかったと言った方が正しい。  ゆうが中学に入学してからすぐのある日、『オレイガ……イノオト……コニチカ……ヅクナ。カノ……ウセイ……モハイジョダ』という文章が書かれた紙を俺の所に持ってきて、『お兄ちゃん、これそのまま読んで』と言って、壊れかけたロボットを真似て読まされた。  別に俺に読ませる必要ないだろと思ったのだが、話を盛るのは良くても完全な嘘はつきたくないらしい。厳しい兄から男女共に連絡先の交換を禁止されているということにして、女子友達経由での個人情報流出さえも対策したのだ。  告白の呼び出しには一切応じず、手紙も受け取らない。机や下駄箱に入っていてもその場に捨てる。基本的に、一人にならないように、仮初めの女子友達と行動していたらしい。  その女友達が周りにいるにもかかわらず、目の前で無理矢理告白されたら、『公衆の面前で私に恥をかかせる人は大嫌い。他の人にも伝えておいて』、同様に別の男子が告白してきた場合は、『知らないの? 情報弱者は大嫌い』と言い放つ。どないせいっちゅうねん。 『だって、呼び出しにわざわざ一人で行くなんて危機意識のない頭お花畑女がすることだし、一人じゃなかったとしても、そこまで歩かされるのも、告白ポエム読まされるのも苦痛だし、その上、なんであたしがゴミ箱に捨てに行かされなきゃいけないのって思うし』とのことだ。 『お前、頭おかしいよ。まあ、俺は面白くてむしろ好きだけど。おもしれー女枠ちゃん』と言ったら、『うざ。死ね。』と即座にキレ気味に言われた。  ゆうがこうなってしまったのは俺のせいだ。 『お兄ちゃん大好き! わたし、お兄ちゃんと絶対絶対ぜ~~ったい結婚する! どこかの外国に行ってでも絶対するから!』と、小学生にしてはちょっとだけ違和感のある台詞を、いつも天真爛漫に言っていたなんて夢のようだ。一線は越えていないとは言ったが、そのゆうのままだったら、いつか越えていただろう。  この前なんて、寝ぼけたゆうが昔の『お兄ちゃん好き好きモード』になってしまい、大変だったのだ。性知識を得たゆうと、彼女の積極性が合わさり、一緒に風呂に入ったり寝たりしていた当時は、既成事実化しようと、事あるごとに淫語の連発と共に『ゆう惑』され、俺の性欲は爆発寸前になっていたが、その度に『賢者モード』になることで耐えてきた。  そんなある日、『緊縛母娘の脅迫日記~校舎裏から始まった地獄の日々~』という同人誌を、俺が部屋の机の上に置きっ放しにして寝てしまい、それをゆうが読んでしまったことで、その状況は一変した。  それが触手本でなかったことは俺の若気の至りと不徳の致すところだ。緊縛モノから触手モノに正当進化したことだけは褒めてほしい。でも、勝手に入ってきて、勝手に本を読んだゆうも悪いよな。俺が悟りを開いていなければ大喧嘩になっていたところだ。  その次の日から、ゆうは俺に対して態度を明らかに変え、『きも。』『うざ。』『死ね。』の三大罵倒語を添えるようになった。  俺はと言えば、当時ベッド下に隠していた『ドMのオレはツンデレ妹に叱られたい。』を読了し、全てご褒美に変換できていたから、むしろありがたかった。  ゆうの言葉は、あくまで罵倒するためのものであって、純粋な悪口である『チビ』『デブ』『ハゲ』とは決して言わないし、『小人さん』『豚』『ゴブリン』などという言い換えもしない。それらに俺が当てはまらないのもあるが、ゆうは容姿をバカにするようなことを言わないのだ。  しかし、どれだけ蔑まれてもいいから、『お兄ちゃん』呼びだけは続けてほしいなぁと風呂に入っている時にしみじみ思ってしまったので、気持ちが冷めない内に、そのまま自室にいるゆうに向かってドタドタと走り、全裸で土下座して了承してもらったのは、我ながら良い誠意の見せ方だった。  俺の恥ずかしい姿を晒して、憐れだと思われたおかげか、完全に遠ざけられることもなく、会話もしてもらえることになったのだ。念のため、あとで反省文を書いて読み上げたことも効いたかもしれない。  お兄ちゃん大好きっ子の当時のゆうについては、今では黒歴史として、記憶をなくしたかのように、本人も全くそのことに触れない。  高校生のゆうは家族以外の前では、見た目清楚系お嬢様、一人称は『わたし』。声はワントーン高く、口調も柔らかく穏やか。話す内容もふわふわとした当たり障りのないものだが、時に教養を感じさせる冗談交じりで、語尾に『うふふ』がつくことが多い。  つまり、完全な別人、別人格を演じている。二ノ宮さんには、自分の考え方や好き嫌いについて、少しずつ開示しつつあるようだが……。  どうしてそうなったか。キッカケは、二ノ宮さんに一目惚れしたからだ。入学式から帰ってくるや否や、『本物のお嬢様がいた……』とロボットのように何度も繰り返していた。俺がそれとなく疑念をぶつけると、『いや、あの子は本物。あの子は本物。お嬢様……聖女……天使……』と、焦点の合わない目をして、やはり繰り返していた。  実際に会話して、性格も温和なお嬢様だったのだろう。感動したのか、ショックだったのか、夢を彷徨っていたのか、よく分からないような反応で面白かったことを覚えている。  お嬢様学校ではあるが、その中でも究極のお嬢様を目の前にして、どうすれば仲良くできるかを俺に相談してきたりもした。彼女は本気だったのだ。そこで俺は、『お前も完全なお嬢様になるしかないな』と冗談半分で言ったら、真に受けて実践してしまった。その通り、やっぱり俺のせいだ。  元々、ゆうの外見はかわいいお嬢様風で、中身については、俺と話す時ほどではないにしろ、ハッキリものを言うタイプだったので、中身を柔らかくすれば、すぐに二ノ宮さんのようなお嬢様っぽくはなれる。  だが、ゆうはちゃんと自分でも考えて、家柄は無理でも外見や中身だけはお嬢様になりきらなければ相手にされない、釣り合わないという結論に至った。そうして、家族はその本性を知っているにもかかわらず、精神疾患でもないのに、恥ずかしげもなく、全く異なる新しい人格を生み出したのだ。出身校が同じ奴がいなかったことも幸いした。  ゆうが憧れるそんな二ノ宮さんが、自分と同じ進路を希望してくれたら、さぞ嬉しいだろう。今日の機嫌が今までで一番良いのはそれか。 「いや、卒業後の就職先とかも面白そうだからだし……。だいたい『何とかクラッシャー』は、誰かと付き合ったり別れたりを繰り返した場合でしょ。琴ちゃんには指一本触れさせないから」  俺が『ことちゃん』呼びした時と同じようなことを言って、成人しても勝手に二ノ宮さんの貞操を支配しようとするゆう。将来、恨まれるぞ……。よし、その時は兄の俺が責任を取って、二ノ宮さんと結婚しよう。 「しかし、その台詞は男に堕ちるフラグだぞ。お前も知っていると思うが、同人誌にも似たタイトルあるし……」 「は? いや、知らないし」  ふーん。白を切るつもりか。今度問い詰めてみるか。 「ん? 待てよ。百合に混ざる男は死ぬべきという常識をウチの男子学部生は全員持っているから、もしかすると、お前達がそれをアピールすればあるいは……。はっ! まさか、二ノ宮さんとマッサージし合う仲になったのは、進路計画の内だったのか」 「そ、そんなわけないでしょ! うざっ! ……そんなことよりさぁ、進路と言えばだけど、その手に持ってるの履歴書? もしかして郵便局まで持っていく気? ウチの近くにポストあるのに」  ゆうは俺の右手に持っていたA4用の封筒を指した。今時、紙で履歴書を出さなければいけない会社に、なぜ入りたいかというと、ウチから近いホワイト企業だから。満員電車には乗りたくない。不採用ならそれはそれで気にしない。他にも大企業含めて色々受ける予定だし、試験や面接の練習だと思って割り切ることが大事だ。 「ああ。糊が見つからなくて面倒くさくなったから、郵便局で借りてそのまま出そうかと。今日はずっと寝てたから、健康のためってこともある。中央郵便局なら土曜はまだ窓口開いてるし。帰りは『ウォッチャー』に寄ってから帰る」  長々とゆうと喋っていたら、本屋『うおち屋』、通称『ウォッチャー』を丁度通りかかっており、すでに駅前からは結構な距離を歩いていた。『ウォッチャー』の入り口のガラスドアからは、二人の女性客らしき人影がちらっと見えた。いや、一人は男かも。  ここは、普通の品揃えとは別に、アダルトゾーンが設けられていて、さらにマイナージャンルの本の種類が豊富な稀有な店だ。店主には余程の拘りがあるのだろう。監視カメラがないから、万引きされていないかいつも心配になる。店主には未だに会ったことがないので、今度是非語らってみたいものだが、さっき見えた女性客が濃い本を買っていることを想像して、悦に浸るのも悪くないな。  郵便局は、俺達が歩いている位置から、四十メートル先の信号を右に渡って、その先二百メートルの所にある。ゆうが買い物をする百貨店はその向かいなので、まだ一緒に歩いて行けるはずだ。 「売れない触手研究同人誌を夜明けまで作って自分の健康破壊してどうすんの?『自称触手研究家シュークン』改め『自傷即席健康クラッシャー』さん」  会話の流れから、ちょっと上手いこと皮肉を言ったゆうには称賛するが、売れないって言われると素人でもクリエイターは傷付くんだぞ。ちなみに、『シュークン』は俺の同人ネームだ。あだ名から取っている。 「いや、一部売れたから! しかも超美人が買ってくれたから! 触手と向き合う度に、俺の脳内ではあの日の光景が何度もリピートされてるんだ。『興味深かったです。あとがきの次回作も期待してます』って感想も送ってくれたし! ハンドルネームは『ThSW』さん。もうあの人のために作るって心に決めたもん!」 「サングラスかけてたから本当に美人かは分かんなかったはずでしょ。その話、前にも聞いたから。マイナージャンルの研究っていう、さらにマイナーなところ突いて、題材選択から間違ってるし、そもそも分厚すぎるでしょ、あの本。自作小説までセットで一つの本にして。少しは削る努力か、分ける工夫をしなさいよ。お兄ちゃんに物語のモノローグさせたら、無駄な描写とか脱線とかして話の繋がり分かんなくなってそう。ご自慢の作戦はどうしたの、作戦は。『自称作戦立案家シュウイチくん』」  おいおい……その通りだよ。お前、まさか見ているのか?  タイトルとあらすじでネタバレしてるのに、せっかくだからと、叙述トリックを無駄に使ったことも知ってるのか?  脱線はキャラの深掘りか伏線に使ってるし、長いモノローグの後は、最後と次の台詞を読めばその前の会話を連想できるようにしてることが多いから許してくれ。好きなモノを目の前にすると我を忘れてしまうんだ。ちなみに、『シュウイチ』は俺の名前だ。 「人は自己満足のために生きていると言っていい。売れ行きなど、どうでもいいのだ。仮に商業だとしても、その場合は、嫌々作る事、あるいは作った物が目的ではなく、金が目的となる。  そうすると、金を何に使うかということになるが、人のために寄付したとしても、全員を完全に救えるわけではないから、結局は自己満足のために使っていることと同義。さらに、死ぬ瞬間はどんな場合でも一人で、死後は『無』なのだから、繁殖や子育てでさえも自己満足に収束する」 「無駄に主語大きくして言い訳してるのが、どうでもよくない証拠でしょ。ついでに宗教否定までして」 「…………」  くぅ~、ゆうの正論パンチとフィニッシュブローは心に染みるぜ。でも、お前も主語大きくして、女批判してたよね。神がいたら天罰が下っているかもしれないぞ。 「それはそれとして、最終的には触手をマイナージャンルから脱却させる方法を俺は提案したいんだよ。汚い男性器やミミズのような見た目の気持ち悪さ、触手本数や分泌液の多さ、それらを含めた構図の悪さが目立ってしまうと、一般人にとっては不快感の方が大きい。もちろん、それが良いんじゃないかという人もいるだろう。  ただ、それではジャンルが縮小する一方だから、それを改善できれば、老若男女が触手と被害者の両方に感情移入できるようなシーンを作り出せれば、もっと人気が出るはずなんだ。そのためにも、どういう触手が過去から現在まで描かれていて、どういう触手があるべき姿なのかを俺は研究しているわけだ。  そんなの誰も求めていない? 俺が求めてるんだよ! それが研究家であり、クリエイターの性分なんだ。お前も少しぐらい分かるだろ? そうじゃなきゃ、論理立てられた過激な思想や哲学なんて持ってないはずだ」  熱弁を振るう俺を、ゆうは冷ややかに見ていた。 「その熱量や自信を趣味の触手研究じゃなくて別のところに使ってほしいんだけど。自信満々で完璧な履歴書を書いてやるって言ってたんだから、その提案力をプレゼンとかに活かせるでしょ。もちろん、分かりやすく話せること前提だけど。どうせ就職したら出世とか興味なくて、稼いだお金はスキルアップに使わないで趣味に全額注ぎ込むんでしょ?」  俺のこと理解しすぎじゃない?  しかしながら、まだまだ社会の仕組みや責任というものが分かっていないようだ。スキルアップに使う金は会社に出してもらうのがスジだ。会社がそれを必要としているのだから。  自分の将来像からどんなスキルが必要か、会社はどんなスキルを求めているかをすり合わせた上で、会社が社員のスキル習得とキャリアアップに投資する。その投資をしてくれない会社はブラック企業の範疇だと俺は思っている。もちろん、別の会社に転職しようと思っている場合は別だ。 『お前の方が分かってないじゃないか、現実を見ろ。頑張ってる人は自分で自分に投資しているぞ』と思う人もいるだろう。しかし、『現実』と『理想』が一致している会社も少なからず実在している時点で、結局はその『現実』とは自分の周りでしか存在し得ないし、そのような環境に身を置くべきなのは間違いない。 「見てみるかね? 絶対に採用されるこの世で唯一の履歴書を……。特に自信があるのは職種希望欄かな。『触手』好きとしては気合いを入れないとな。信号渡ったら見せてやるよ」 「うざ。触手について語ってるんじゃないでしょうね」 『見たくない』とは言わないってことは『見たい』ということだろう。  すでに青になっていた信号はすぐそこだった。ここの信号は四十秒で赤に変わるので、あと二十秒は余裕がある。視界には右折の車や左折の車もいなかったので、このまま俺達のペースで渡れそうだ。 「俺はそこまで頭おかしくないから。ネタで採用試験を受ける失礼な奴でもないし。まあ、書けって言われたら、当然書けるけど。俺の理想の触手は……」  するとその時、ゆうと信号を渡り始めて二メートルほど進んだ所で、俺の話しを遮るように右手遠くの歩道、『ウォッチャー』辺りから女性の叫び声とも言える大きな声が聞こえた。 「走って‼ 前に‼ 右から車!」  緊迫感と切羽詰まったようなその声に、俺達に言っているのかも分からない中で、俺は咄嗟に反応、と言うより反射的に左足を大きく前に出し、走り出そうとしていた。  同時に右を見ると、猛スピードで、文字通りあっという間に迫ってくる白い普通乗用車がそこにはあった。間違いなく時速百キロメートル以上、百三十キロは出ていても不思議ではないほどだ。なんでこんな一般道で……とすぐさま疑問に思ったが、運転手がブレーキと踏み間違えたり何らかの原因で気絶していたりしてアクセルを全開に踏み込んでいる場合はあり得る。  どうやら後者らしい。運転手がハンドルにもたれ掛かっているのが見えた。不幸にも、その暴走を遮る交通量は全く無く、暴走者のクラクションは鳴らず、電気自動車だったのでエンジン音も聞こえなかった。  いや、電気自動車でも擬似的に音を出す仕様のはずだ。故障後にメンテナンスされてなかったのか?  そんなことを考える余裕など本来はなかったにもかかわらず、考えてしまった。なぜなら、もう俺は間に合わないからだ。このまま左足を地につけて、二歩目を踏み出そうとも、立ち止まろうとも、後ろに戻ろうとも避けられない。それほどまでに暴走車が目の前に迫っていた。  せめて、ゆうだけでも無事で……と思い、右半歩後ろのゆうに目を移すと、俺と同様に車の方を見ていたが、走り出そうとはしていなかった。いや、できなかったのだろう。過去にもそのようなことがあった。女性の声は聞こえていたはずだが、頭の回転の速いゆうは、咄嗟の事態でその思考に口や体が追いつかなかったのだ。  どうすればゆうを助けられる? ゆうの思考速度に及ばずとも思考を巡らせろ。  この状態から後ろに突き飛ばせるか? ダメだ。今の俺の体勢では力が入らないから、間に合ったとしても距離を稼げない。  それなら前に放り投げるか? ダメだ。タイミングが遅すぎて、この状況から放り投げようとすると、俺と車の間の衝撃を最も受ける位置にゆうが来る可能性が高い。  同様に、上に放り投げようとするのもダメだ。  いっその事、地面に寝そべってタイヤに乗っかられた方が、とも考えたが、寝ようとする前にバンパーが頭にぶつかってダメだ。  残っているのはもう……。くそっ! なんでこんなに時間がないんだよ!  それもそのはず、時速百三十キロメートルは、秒速約三十六メートル、『ウォッチャー』からは約一秒だ。そこから出てきた女性達の一人が車道右方向から来る暴走車に気付いたのだろう。声を上げた時にはすでに一秒を切っていたはずだ。  でも、その人には感謝だな。普通なら誰かに危険が迫っている時に、咄嗟に上げる声は、『危ない!』とか『逃げて!』とか曖昧だから、何もできずに回避できない場合が多いけど、どうすればいいかを簡潔に言ってくれたし、回避できなくても何が起きたのか分からないよりは個人的には良い。教養があって頭の良い人なのかな。『ウォッチャー』の店主と同じく、いつか話してみたいものだ。  どういうわけか、俺はこういう時になると余計なことを考える性質らしい。つまり、もう俺の心は決まった。ゆう、ごめん……。 「お兄ちゃん……」  このような状況で、聴覚が研ぎ澄まされたのだろうか。暴走車の方を向いたまま、か細く消え入りそうなゆうの声が聞こえた。  その瞬間、俺は右の踵を返し、車とゆうの間に無理矢理に体を差し込んだ。  もうこれしかない!  先に決心した方法で、ゆうの頭を包み込むように、俺の頭と両腕で上半身を抱きしめた。また、俺の左足でゆうの軸足を蹴り飛ばして、車のバンパーと下半身ができるだけ接触しないように、タイミングを計って少し浮かせた。回転方向ができるだけ横になるように、勢いで体も横に寝かせたかったが、させきれなかった。  ドン!   俺の後頭部はフロントガラスに激しくぶつかり、その勢いと共に車全体が俺達兄妹を斜め前方に大きく跳ね飛ばした。  ゆうの頭や身体は俺の身体で車からは守られているものの、衝撃は俺を通して伝わるので、痛みからは絶対に逃れられない。俺の体全体が一瞬激しい痛みを覚えたのも束の間、すでに何が起こっているのかよく分からなかった。  手に持っていた物は全て空中にばらまかれ、地面と空とが何度も視界を縦横無尽に走り回るので浮遊感なんてものはなかったし、俺達の体のあまりの回転速度に、目に映るものは色の残像しかなかった。  その間、ゆうは全く声を出さず、体もそのまま動かさなかった。おそらく車との接触時に気を失ったのだ。なぜ俺が気を失っていないのかは分からない。俺の後頭部は粉々のはずだ。ゆうを最後まで生きて家に帰すという強い意志のおかげだろうか。俺はゆうをずっと抱き締めてかばうことができていた。  しかし、この縦回転は正直に無理を悟った。このまま地面に激突すれば必ず頭をもう一度打つ。しかも、高確率で二人とも。体を丸めたくても、両足は骨折しているし、頭をやられて力が入らないし、入ったとしても遠心力がそれを阻む。  唯一、ゆうが助かるのは、俺が完全に仰向けで下敷きになって、そのままの状態で地面と背中を擦らせながら滑ること。少しでも地面激突後に回転してはいけないし、引っかかってもいけない。背中から落ちて、頭や脚を持ち上げるようにすれば行けるか?  再度思考を巡らせるが、一瞬認識できた景色により、無惨にも一縷の望みは絶たれた。  俺達が飛ばされたのは、車から見て前方少し左斜め方向、つまり交差点奥の車道と歩道の間の縁石だったのだ。  俺は力が入っているかどうかも分からない両腕で、少なくとも脳内では、ゆうの体をもう一度強く抱きしめた。そして、両腕以外の残された僅かな力で何かできることはないかと、目の前に迫りくる地面を凝視していた。 『ゆう! 絶対、最期まで守るから! 絶対絶対絶対ぜっ……』  ガン! ズザザザザザザザァ!  俺達は地面と縁石にそれぞれの側頭部を思い切り強打し、地面で数回転した後に仰向けの状態でやっと止まった。  力を振り絞ってギリギリで体を捻ることで、正面からぶつかって顔や口内がグシャグシャになったり、首の骨が完全に折れたり、引き千切られたりすることはなかったが、こうなってはあまり意味のないことだ。  結局、守れなかった。俺からは見えないが、俺とゆうの右側頭部はズタズタだろう。加えて、俺の後頭部は車のフロントガラスでボロボロになっている。  それでも、今の今まで、俺の腕の中にゆうがいることが奇跡だった。 『ごめんな、ゆう。痛かっただろ?』  ゆうの頭を撫でたかったが両腕とも全く動かなかった。代わりに、ゆうを抱き締める役割を終えた左腕が、ダランと力なく地面に滑り下りた。右腕までそうなってしまうと、ゆうが俺の身体から滑り落ちて、少しの高さではあるが、また地面に叩きつけられてしまうので、必死に脳に信号を送るように右腕と頭に意識を集中した。  それにしても、まだ俺の意識がある。これも奇跡だな。でも、誰か早くゆうを何とかしてくれないと俺の右腕が保たない。俺達を撮影している人でなし以外の誰か! 「私は救急車を呼ぶ! めぐるは警察に通報して! 交通整理は必要ない」 「分かった」  遠くで聞き覚えのある声がした。交差点辺りだろうか。俺の頭はボーっとしていて、周囲の環境音や雑音も激しいのに、彼女達の声だけがハッキリ聞こえた。『ウォッチャー』の前から俺達に声をかけてくれた女性の声だ。もう一人の女性は『めぐる』さん、と言うらしい。俺達の方まで駆け寄ってくれているようだ。 「救急! 場所は……駅前から南二百メートルの交差点で交通事故! 大人三人! 一人は運転手、もう二人は男女の被害者! 全員頭部を強く打ち、意識不明の重体! 要大量輸血! 車からの燃料漏れはなし! 私は現場目撃者で、名前は『せんじゅさわ』、内科医ですが、このまま現場で応急処置を試みます! 警察には友人が通報中です」  必要な情報を全て言って、電話を切った女医のせんじゅさんとめぐるさんが俺のすぐ近くまで来ていた。俺の意識は一応あるのだが、最悪のことを考えて全員意識不明の重体と伝えたのだろう。大きい病院は近くと言ってもいい所にはあるが、受け入れ可能かは分からない。 「交通事故です。百キロ超の暴走車が、信号無視で男女をはねて電柱に激突。三人は頭部を強く打って意識不明の重体。場所は……駅前から南二百メートルの交差点。今から三十秒ほど前に発生。救急車は手配済み。現在、私の友人の医者が応急処置を試みようとしています」  めぐるさんも警察に通報していた。過去に通報経験があるのだろうか。二人とも全く淀みなく、通話相手の返事を待ってさえいない。せんじゅさんだけじゃない、めぐるさんも優秀だ。  暴走車がどうなったかは、俺からは分からなかったが、めぐるさんによると電柱に衝突して停止したらしい。普通乗用車であの速度での衝突は、運転手もひとたまりもなかっただろう。 「っ……‼ さわ、この子達…………。なんでこんな……」 「ええ……」  通報中のめぐるさんが驚いたあとの彼女達の絶望感がこちらにも伝わってきた。俺達の外傷はひと目見て相当酷いらしい。  それはそうだ。俺達の周りは血の海なのだから。でも、俺の意識があるってことは『社会死』までは酷くないってことか?  「私の声は聞こえる? 聞こえたら一回瞬きして。そのまま目は瞑らないで、意識を失わないように、少しだけ楽しいこと考えて」  せんじゅさんは、意識を失っているゆうを両腕で支えて慎重に俺の身体から下ろした。 『ゆう、良かったな。この人達に任せよう』  俺は安堵し、一回だけ瞬きをして、言われた通りに楽しいことを考えようとした。  せんじゅさんには感謝しかないな。彼女の落ち着いた声は精神的に癒やされたし、少し元気にもなれた。何度もリピートしたくなる不思議な声だ。 『せんじゅってどういう漢字書くんだろう。千手観音の千手か? 千手だったら触手っぽくて良いな。医者で内科医なら、触診で病気を判断したり……触診……触神……触手の神か。触手の神なら万能であることも頷ける。いかんいかん、これでは楽しすぎてしまう』  この期に及んで、くだらないことを考えている俺が、妙にしぶとく生きようとしていることに自身で疑問を抱いた。この明らかに優秀なせんじゅさんなら俺達の絶望的な命を救ってくれるんじゃないかと思ったからだろうか。 「めぐる、上着頂戴。止血と包帯に使う。それと、こっちはこのまま抑えてて」  ゆうの右側にいたせんじゅさんが、通報中のめぐるさんに声をかけると、その声に彼女もすぐさま頷き、薄めの上着を脱いで渡した。この人達なら、仮に上着がなかったとしても躊躇なく下着姿になりそうな信頼感がある。  めぐるさんは、俺の頭付近の血の海でやはり躊躇なく膝をつき、耳と肩でスマートフォンを器用に挟みながら、せんじゅさんが俺の側頭部から後頭部にかけて当てた二つの大きい止血用ガーゼを両手で抑えた。心臓マッサージや人工呼吸の必要性を確認してからのことだったので、ゆうは少なくとも呼吸できているようだ。車衝突時に一時心停止、脳への血流が減少して意識を失い、地面衝突時に心臓が動いたのか? これも奇跡か。 「私の名前は『いちのせめぐる』です。はねられた男女二人の内、女の子の高校生は親戚の友人で一度会ったことがあります。その親戚経由で私からも親御さんに連絡できます」  え……? 通報中のめぐるさんが氏名の後に続けた言葉は、俺の思いも寄らないことだった。  親戚って、もしかして二ノ宮さんの親戚?  これから会う予定の?  なんでこんなところに?  あまりに唐突すぎて、様々な疑問が次々と浮かび、ぼんやりしていた頭が少し冴えてきたほどだ。  ただ一つ言えるのは、二ノ宮さんには今から三十分足らずでこの事故が伝わり、結果はどうあれ悲しませてしまうことだ。二ノ宮さん、ごめん。 「もう一人は……履歴書が落ちているので、身元はすぐに確認できます。紛失しても困るので最低限の情報だけを読み上げます」  めぐるさんはそう言って、俺の左側に少しずれて上半身を前に倒した。俺の持っていた履歴書がこんな所まで飛んで来ていたのか。  めぐるさんは、俺の左手を覗き込んでいる。履歴書は封筒から飛び出し、俺の左手の下敷きになっていたのだ。履歴書には血が少し飛び散っていたが、地面にはちょっとした勾配があるため、血の海に浸かることは避けられていた。  こんな奇跡はいらないんだよ。学生証もあるし、別のところにその奇跡を使ってくれ。 「氏名は『相楽修一』。二十一歳の大学四年生。誕生日は六月一日です。女の子の方は『相楽ゆう』ちゃんなので、本人から以前聞いた話と合わせて、はねられた男女は兄妹です」  めぐるさんは履歴書を読み上げたが、それは決して淡々とではなく、その声は、どことなく悲しげで、無念さを滲ませているようだった。  嘘であってくれと思っていたのが、答え合わせが完全に済んだからだろうか。それとも、二ノ宮さんへの直接報告を余儀なくされ、その後に彼女がどんな様子になるか容易に想像できたからだろうか。  めぐるさん、今日初めて会ったけど、いきなりこんなことになって申し訳ない。でも、ありがとう。 「待たせてごめんなさい。シュウ……一くん」  ゆうの応急処置を終えて、せんじゅさんが俺の方に移動してきた。  ゆうの容態を聞きたくても口が動かない。無理に口を動かそうとすれば、死が早まるだろう。いや、死の恐怖よりも彼女の懸命な処置をできるだけ無駄にしたくない気持ちの方が強かった。ゆうは、死の淵を彷徨っているのだろうか。 『ゆう、頑張れ。お前なら帰ってこられるはずだ』 「ゆうちゃんがどうなるかは分からない……めぐる、力を貸してくれる?」 「このままじゃ、コトがあんまりだ……。いいよ、やろう。あの方法、一緒に」  俺の考えていることを察したのか、めぐるさんと協力して俺の応急処置を進めながら、せんじゅさんはゆうについて話してくれた。  そうか、でも手を尽くしてくれたんだ、仕方がない。ゆうの処置が終わり、状態も分かったところで、俺はやっと一息つけたと思った。そのせいか、視覚や聴覚、思考に割いていた集中力はなくなっていた。 「シ……ークンのこと……分か…………この…………ごめん……い」 『謝らないでください。むしろ、ありがとうございます。本当に感謝してもしきれません』 『ゆう、お前もそう思うだろ?』  もう俺の目はほとんどぼやけて、せんじゅさんの顔も見えなくなっていた。視界の周囲には深い霧がかかっているようだ。音も急に聞こえなくなってきた。  ここに来て、ようやく意識が遠のいていくのだと確信した。次に目が覚める時はどうなっているのだろう。それともこのまま目が覚めないのだろうか。  結局、走馬灯は見なかったな。ゆうは見たのかな。見たとしたら車との接触前か。まあ、思い出させちゃうからそれは聞かない方がいいか。 「…………。私の……覚えて………次……待っ……」  誰か、おそらくせんじゅさんだろう人が何か言っているようだが、ハッキリとは聞き取れず、声質さえ分からなくなっていた。  すると、すでに感覚のない俺の顔に、水滴が何滴か垂れてきたような気がした。通り雨か? 今日はずっと晴れのはずだから、ここでも珍しいことが起こったか。これだけ偶然や奇跡が起きてるんだから、きっと大丈夫だ。なんなら、俺の分の奇跡を、ゆうにあげてほしい。 『ゆう、お前助かるぞ。なんたって、今日は奇跡のオンパレードだからな』 『ゆう、すまないが、せんじゅさんとめぐるさんに、お前からもう一度お礼言っておいてくれ。ああ、お礼の品は俺の金使っていいから』 『ゆう、二ノ宮さんを少し悲しませちゃったけど、元気になったらちゃんと遊んでもらえよ』 『ゆう、大学受験は緊張が一番の敵と言われているが、逆に緊張を楽しむぐらいで受けるといいぞ。普通に生きてたら、それほどの緊張をする機会なんてあんまりないんだからな』 『ゆう……っておいおい、俺のことはいいんだよ。優しいな、ゆうは』 『ゆう…………ありがとう…………最……まで……一緒にいて…………くれて……』 「………………ー………………」  俺は、ゆうへの感謝の言葉を最後に意識を失った。そして、これがたとえ死だとしても俺に悔いはなかった。 「…………シュー……クン……」  意識を失った……はずなのに、なぜか俺を呼ぶ声が聞こえた。  いや、違う。意識を失う瞬間に聞こえて、今はそれを反芻しているにすぎない。  ここは夢の中か?  それとも死後の世界か。  分からない。周りは真っ暗闇で体の感覚はない。ただ、考えることはできる。この状態、状況が、意識があると言っていいのかも分からない。  それにしても、あの時は命がかかっていたから、せんじゅさんやめぐるさんの外見さえ覚えていないのが悔やまれる。  せんじゅさんのイメージは、髪はロングだが、応急処置のためにポニーテールにしていた。年齢は、専門医なら最低二十九歳だが、研修医を終えたあとに、すぐに内科医として独立したかったのではないだろうか、土曜でも午後は休診で、あの時間に歩いていても不思議ではないのではないかという勝手な憶測と、めぐるさんも同年齢の若めな印象ということを合わせて、何となく二十七歳前後。  めぐるさんの髪型は、ショートかショートボブだったはずだ。なぜなら、『ウォッチャー』でちらっと見た時に男か女か俺が迷い、履歴書を見る時に、俺の視界に全く髪が垂れてこなかったから。  二人とも超美人、せんじゅさんは綺麗系、めぐるさんは体型を見ると明らかに女性だが中性的な顔立ちで、二人が並んで歩いていたらカップルに一見間違えられる……だったら良いなぁという俺の妄想だ。  しかし、間違いなく言えることがある。ずっと気になっていたのだ、あの声が。過去を遡って考えるリソースをそこに割けなかったが、今ようやく分かった。  延々とリピートしていたい声で、俺を癒やし、支えてくれた人。  前に進ませてくれた人。  そして……俺の同人ネームを知っている人。  せんじゅさんは、俺の触手研究同人誌を唯一買ってくれた、その人だった。  こんな奇跡があるのだろうか。俺は完全にではないにしても、せんじゅさんに二度救われたのだ。だが、二重に悲しませてしまった。  意識を失う前、俺はゆうのことしか考えていなかった。ゆうさえ無事なら悔いはなかったのだが、十分に、冷静に考えられる今なら、絶対に悔いはないとは言い難い。その内の一つ。奇跡の出会いが一生の別れになるなんて嫌だ! だから……。 『せんじゅさわさんに触手研究本の新作を作ってあげたい! 俺は無神論者だけど、触手の神様だけは信じます! どうか、俺の願いを叶えてください! この通りです‼』  俺は全裸で土下座したような気持ちで、触手の神に祈った。あのゆうが折れた奇跡の方法だ。たとえ、今の俺に体がなくとも、多少の効果はあるだろう。  次の悔いは……。  そこで俺の意識は再度途絶えた。



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