俺達と女の子達が辺境伯邸に無事到着して令嬢と友達になる話(2/3)

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「シュウちゃん、今お話しできる?」  活気があるレドリー領の街に入ってから、伯爵邸までもう少しという所で、セフ村にいるイリスちゃんから、監視用の触手に合図を送られ、近づくと声をかけられた。  俺は頬を舐めて肯定した。 「それじゃあ、話すね。結論から言うと、アースリーお姉ちゃんに辺境伯を暗殺する催眠魔法がかけられてるかもしれないから、常に監視していてほしい。有能な魔法使いが近くにいれば、催眠魔法がかけられているか分かったり、解除できたりするかも。  でも、流石だよ、シュウちゃん。こう考えたのは、シュウちゃんが催眠魔法について調べてほしいって言ったのがキッカケだから。  ユキお姉ちゃんのリハビリが落ち着いてきたから、まだ読んでない魔法書を読ませてもらった時に、催眠魔法についての記述を見つけて、詳細を知ることができた。今回の話に関係する箇所だけ挙げるね。  対象者の精神状態によって成否が変わる、  術者の魔力量によっては長期的な催眠も可能、  催眠魔法使用時の対象者の記憶を思い出させない、  第三者の魔法使いは催眠状態を判別できる、  催眠解除の成否は術者と解除者の魔力量の差によって変わる、かな。  実際に、昨日と今日で聞き込みをしてみたら、アースリーお姉ちゃんがパーティーに誘われた時に居合わせた人が複数いて、その中の男の一人が村では見ない顔で、さらに、彼女が村長から離れて一人になった時に声をかけていた、っていう証言が得られたんだよね。  声をかける人と魔法使いが別々の場合も当然あり得る。セフ村の人達は人が良いから、目撃者は、彼女が変な魔法をかけられるなんて夢にも思わなかっただろうね。  長期催眠が可能だとすると、アースリーお姉ちゃんが狙われた理由も納得が行く。魔法使いは辺境伯を狙って、あるいは監視するためにセフ村に来た。屋敷には潜入できず、道中も護衛がいて中々手が出なかった。都合良く、村娘がパーティーに誘われていることを知って、その子を使って暗殺しようとした、と考えても不思議じゃない。  それは、シンシアさんの追放騒動のような、直接の武力行使ではなく、遠回しの国力低下作戦を連想させる。その手口から、この魔法使いが、シンシアさんを陥れた内の一人、コレソと同一人物、あるいは同集団のスパイである可能性がある。つまり、他国のスパイがアースリーお姉ちゃんに辺境伯暗殺の催眠魔法をかけたことを否定できない。  ただし、対象者の精神状態が悪化している時にかけた催眠魔法は、精神状態が万全になったキッカケで解除される場合もあるって書いてあったから、現在も催眠状態が続いているかは分からない。だから、念のため。  ちなみに、コレソらしき人物はもうセフ村にはいない。ユキお姉ちゃんが村全体を覆う魔力感知をして、魔法使いがいないことを確認したから。結果を見届けるために、今はレドリー邸近辺に潜伏してるかも。  私は、正直この線は限りなく薄いと思ってた。でも、魔法について知れば知るほど、普通にあり得ると考えるようになった。もちろん、今のところ証拠はないけどね。  でも、やっぱり色んな事を知ってないといけないね。シュウちゃんがこの考えに辿り着いていたってことは、魔法がない向こうの世界では、魔法について私達以上に色々と想像されていたのかな」  俺も正直に言うと、そこまで考えていなかった。正確には、ぼんやりと、何となく、モヤモヤしていたという感じだった。それをイリスちゃんは言語化してくれた。  と言うのも、アプローチが複数あって、その結果が判明した場合に、一つのアプローチだけが正しいと俺は思い込んでいて、脳の容量と処理能力の限界もあるから、それ以外は忘れるようにしていたが、イリスちゃんはそうじゃなかった。俺がもう忘れていたことを、あの時に簡単にでも伝えておいて良かった。  今回、アースリーちゃんの不安を煽ったのは、大きく分けると、自分自身の精神力の弱さ、悪意ある魔法使い、呪い、あるいは最後に判明した碧のクリスタルのデメリットのいずれかだった。  結局、イリスちゃんに効かないだけで、クリスタルのデメリットの可能性が最も高く、最終的にアースリーちゃんの不安は解消されて、めでたしめでたし、他の可能性は記憶から消去、と思っていた。  しかし、イリスちゃんが当初話題にした『動機が不明』が、実現可能な方法を知ることによって想像できるようになった。そして、悪意ある魔法使いの動機を考えると、その先の目的がまだ残っている恐れがあった。どういうことか。  例えば、不安を煽ることによって催眠状態にさせやすくし、暗殺を指示、不安を解消しても、暗殺指示の催眠は消えないとか、実は、不安の煽りには失敗しているが、クリスタルのデメリットにより、彼女の精神状態が偶々不安定だったので、催眠には成功しているとか。もちろん、催眠にも失敗している可能性や、不安の解消と催眠の解除が同義の可能性もある。  いずれにしても、頭に入れておかないと、大変なことになってからでは遅い。俺達はイリスちゃんに了承の合図をして、意識をレドリー邸の方に移した。  邸宅は高い壁で覆われていて、重厚な門が正面に鎮座している。門前には、剣士二人と魔法使いらしき一人、合計三人の門番が配置され、超人や魔法使いでない限り、容易に侵入することは難しい。スパイ暗躍説が正しいとすると、おそらく魔法使い対策もされているのだろう。  門が開けられて、そこを馬車が通るのかと思いきや、まだ閉じたままの門の前で村長とアースリーちゃんは降ろされた。どうやら、馬車や馬は邸宅の敷地内ではなく、別の場所で管理しているようだ。シンシアもそこへ案内されていた。 「俺はここで一度お別れだ。パーティーの翌日にまた来る。じゃあな」  アドはそう言って、颯爽と街の方へ戻っていった。てっきり、レドリー邸でも護衛の仕事を継続するのかと思っていたら、そうではないらしい。  俺達は、触手を増やし、シンシアの体から地面、壁を蔦って、門の上に辿り着いた。 「パーティーに参加する方のお名前は?」  少し間があったあとに、門番の剣士の一人が村長とアースリーちゃんに質問した。 「あ、アースリー=セフです。こちらは私の父です」 「アースリー=セフ…………確認できました。先程の馬に乗っていたお連れの方は……」 「あの人は、シンシアさんです。フルネームは……何だっけ? 聞いてなかったかも」 「シンシア……フルネームをお願いします。パーティーのリストにないと入れません」 「え、そうなんですか? あ……シンシアさん! リストにないと入れないって!」  急いで戻ってきているシンシアに、アースリーちゃんは大声で呼び掛けた。 「そうなのか? うーむ、セフ村から事前に手紙は出しておいたのだが、まだ届いてなかったか? 私はシンシア=フォワードソン、ジャスティ国騎士団長だ。アースリーの友人でもあるが、朱のクリスタルについて聞きたいことがあるため、レドリー卿にお目通し願いたい。  訳あって冒険者の格好をしているが、私の名前と容姿を彼に伝えてくれ。何度か会っているから本人だと分かるはずだ」  シンシアがあらかじめ手紙を出しているのは流石だ。  そう言えば、アースリーちゃんも叔母宛に書いてたな。ユキちゃんとさらに仲良くなったことを報告したようだが、どちらも田舎だから、いつ届くかは分からないそうだ。 「やっぱり騎士団長なのか⁉ 確かに前に見た時もこんな顔だったような……」 「俺も見たことあるぞ……まさかとは思っていたが……」  門番の剣士同士が、小声で顔を見合わせて戸惑っていた。魔法使いはブツブツ何かを言っている。魔法の詠唱か? アースリーちゃんに害が及ぶようなら飛びかからないといけないが……。 「少しお待ちください。レドリー卿に確認を取って参ります」  剣士の一人が門を少し開け、中に入っていった。魔法使いは詠唱を止めたようだ。 「失礼しました。話は聞いていたのですが、『イタズラかもしれないから、本人と話して手紙の内容を伝えてきたら、その口調と容姿をレドリー卿に報告するように』と言われまして……魔法による変装でないことも確認しました」  許可が出る前にそれを言っていいのかと少し思ったが、門番達もシンシア本人だと確信しているのだろう。  それにしても、辺境伯はかなり用心深い人物のようだ。馬車には誰が乗っているか分からないから敷地外で降ろし、単騎なのに降ろすのも強襲対策や逃げ足を断つためだろうし、手紙主の確認も怠らない。雇用の際も注意していることが容易に想像できる。アースリーちゃんを同伴無しで一人だけ誘ったのも、その用心深さ故だろう。  これでは、スパイが手を出せないのも納得だ。魔法で変装を見破れることも分かった。特殊メイクを見破るのではなく、おそらくは変装魔法のことだと思うが、俺が思っている以上に、魔法には柔軟性があるようだ。 「確認できました。どうぞお二人はお入りください。父君はここまでです」  中に入った剣士が戻ってきて、門を二人が通れるぐらいまで開けた。全開にしないのも理由があるのだろう。 「アースリー、頑張るんだぞ! お前なら大丈夫だ! 絶対大丈夫だからな!」 「うん、お父さん。ありがとう。でも、ちょっと恥ずかしいよ……」  両手を前で握りしめて、恥ずかしげもなく応援する村長に、アースリーちゃんは気恥ずかしそうにポリポリと右頬を掻き、少し赤くなっていた。  改めて思った。やはり、村長はアースリーちゃんのことを、どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘だと思っていたからこそ、彼女がパーティーに誘われて落ち込んでいた理由が理解できなかったのだ。  アースリーちゃんも今ならそれを理解できる。だから、少しの恥ずかしさはあれども、その応援が負い目ではない。愛していたからこその悲しいすれ違いだったが、悲劇が生まれなくて本当に良かった。子どもを一生懸命に応援する父親の図を目の当たりにして、俺は嬉しさを噛み締めた。  門が閉じるまで、村長とアースリーちゃんは目を離さず向かい合っていた。 「アースリー、今のところ予定通り、変更はない」 「分かりました」  シンシアの言葉に頷くアースリーちゃん。  何かトラブルがあり、あらかじめ立てた予定を大きく変更する場合には、俺達がシンシアに合図をすることになっていた。と言っても、その予定とは特段重要なことではなく、俺達をどのように屋敷内に入り込ませ、いつ俺達とコミュニケーションするかの調整にすぎない。  二人はそのまま屋敷の扉まで進み、扉の前にいたメイド二人に会釈すると、その扉が開かれた。 「ようこそ、アースリーさん。そして、シンシア。本当に来るとは驚いたよ。しかも冒険者姿で」  辺境伯が出迎えてくれて、それぞれと握手をしているようだ。 「この度は、ご招待いただき、ありがとうございます。光栄に存じます」 「急なお願いにもかかわらず、ご対応いただきありがとうございます。また、このような姿で大変失礼いたします。理由は後ほど二人の時にということで、どうか今はご容赦ください」  社交的で丁寧な挨拶を二人は済ませた。 「二人が知り合いだとは思わなかった。その経緯もあとで聞くとしようか。まずは、部屋への案内だが、アースリーさんはこのような場は初めてだと前に聞いたね。マナー講座をご希望なら、今日は部屋での夕食、そうでなければ私達と一緒に夕食だが、どうしようか」 「はい、マナー講座を受けたいです」 「レドリー卿、私もアースリーとマナー講座を受けたいのですが、よろしいでしょうか」 「え? 君は必要ないだろ? てっきり、私と食事すると思っていたが……。なるほど、そういうことか……。どうやら、私の配慮が足りなかったようだ。イレギュラーへの対応が、私もまだまだだな。  アースリーさん、私の説明不足で君を不安にさせてしまったこと、申し訳ない。まずは、目的を先に話しておいた方が良いだろう。  今回、君をパーティーに招待したのは、単に魅力的だったからというだけではない。パーティーを通じて、私の娘、リーディアと友達になってほしいからだ。もちろん、私の息子達を気に入ってくれれば、それはそれでいい。  私が言うのもなんだが、私の娘も君に負けず劣らず魅力的でね。ただ、友達を作ろうとしないんだ。人を選んでいる気さえする。  そんな時、セフ村の話を聞いてね。実際に聞いたのは村の悪口だが、その貴族が言う反対のことが正解だろうと思って、視察に行ったら、やはり反対だった。  確かに我々と比べると文化は遅れている。だが、笑顔が絶えない村人、人当たりの良さ、ここに住んだら不便ではあるが楽しそうだと思える生活環境を目の当たりにして、それらを成り立たせているのは、セフ村一人一人の優しさなんじゃないかと想像させてくれた。  そこに住む村長の娘だ。性格は絶対に良いはずだと思い、外見も性格も最高の女の子で、年齢が近ければ、リーディアも友達になりたいと思うのでは、と浅はかに考えて誘った。名前も似ているからね。  これが目的と経緯だ。君を一人だけ誘ったのは、私の危機管理の一環というのもあるし、父親が一緒にいると、娘とあまり話せないのでは、という考えからだ。  部屋での夕食は仲間外れにしようとしているのではなく、場合によってはリーディアが君にマナーを教えることで、二人で話すチャンスが来るかもしれないと思ってのことだ。まあ、それはまだ彼女に話していないから、そうなるかは分からないがね。  正直に言うと、その可能性は低いから、結果的には少し寂しい夕食になるかもしれないのは否定できない。シンシアはそのことを知らずに、君を気遣ってくれたと思うが、そのような意味でも、彼女と一緒に食事してもらった方が良いかもしれないな。  それと、私一人だけならマナー講座を受ける君と一緒に食事してもいいが、多くの給仕にそれを見られるのは恥ずかしいのではないかという理由で、受けるなら部屋の方がいいだろうと判断をした。  かなり願望が入っていて、穴だらけの論理だとは思うが、そういうことだ。改めて、どうか娘の友達になってはくれないだろうか」  自身の考えを詳細に披露した辺境伯。  確かに配慮不足はあったが、こう聞くとよく考えているし、それを惜しげもなく率直に話してくれたのは好感が持てる。とてもプライドが高い貴族とは思えない。シンシアが言っていた通りだ。おそらく、そういうことはあまり気にしない人なのだろう。 「わ、分かりました。頑張ります!」  アースリーちゃんは、真剣な表情であろう辺境伯の願いを叶えようと、快く承諾した。  すると、シンシアもおそらく真剣な表情で一歩前に出た。 「レドリー卿、大変失礼ですが、申し上げなければいけないことがあります。あなたの説明不足で、アースリーは、相当なプレッシャーを負って、色々なことを考えてしまい、心が押し潰されそうになった。  その結果、自傷行為にまで発展しそうになった。それは運良く回避され、今では元気になりましたが、我々貴族は言葉を一つ間違えるだけで、他人の人生を簡単に崩壊させることができる。それを肝に銘じなければなりません」 「そうだったか……。アースリーさん、改めて謝罪させてほしい。本当に申し訳ない。我が国の宝を失うところだった。お詫びのしようもないが、国賓級のおもてなしをすることで許していただきたい。シンシア、教えてくれてありがとう。流石、真っ直ぐで誠実、騎士団長になるべくしてなった存在だ」  この二人、すごいな。アースリーちゃんの身を真剣に案じ、辺境伯に対して、物怖じせずに物を言うシンシア。それをしっかり受け止め、謝罪、反省し、指摘されたことに感謝までする辺境伯。本当に貴族か? 俺が知ってる貴族じゃないぞ。  腹の探り合い、間接的な言い回し、絶対に謝らない、文句には激怒、下の階級はゴミと思っている、が当たり前じゃないのか? 村長に嫌味を言った貴族が典型だろう。 「なんか、振り上げた拳の下ろし場所がなくなっちゃった感じだね。レドリー卿、良い人じゃん。シンシアはすごいかっこよかった。あたし達からは何も言ってないのに」  ゆうの言葉からは少しモヤモヤしているとも受け取れるが、二人とも褒めていることから、わだかまりは一切なさそうだ。 「別に辺境伯に振り下ろそうとしていたわけじゃないが……。実際は、辺境伯だけじゃなくて、クリスタルのデメリットだったり、スパイが原因の可能性もあるからな。でも、そうだな。シンシアのおかげでスッキリしたんじゃないか? と言うより、二人とも清々しく感じたな」  貴族としての責任を重く受け止めている二人の話を聞いて、こういう人達ばかりだと良いんだがと、俺は期待と不安を同時に抱いた。 「おっと、すまない。長い間、立ちっぱなしにさせてしまった。朱のクリスタルや積もる話は、明日の午前でもいいかな? 夕食後は、門番と別の魔法使いから今日の報告を聞かなければいけなくてね……。  アースリー様を国賓部屋にお連れしなさい。そして、くれぐれも国賓としておもてなしすること。シンシアには彼女の希望する部屋を用意しなさい。それじゃあ、私は失礼するよ。ああ、さっきの話はリーディアには内緒にしておいてほしい。怒られてしまうからね」  メイドに部屋の案内を頼んでから、口元にチャックをするジェスチャーとウィンクをしたかのような明るさで辺境伯は俺達から離れていった。 「シンシアさん、どうしよう。国賓級の部屋なんて……」 「遠慮することはない。貴族の詫びを受け入れるのも大事なことだ。相手にとってもな。堂々としていればいいさ。どうしても不安なら、予定通り私も一緒の部屋に泊まろう。おそらく、ちょっとした仕切りもあるはずだから、私は私で用を済ませられると思う」  シンシアの用とは、何かあった時に緊急で俺達と話すことだ。まだ周囲の目があるので、俺達のことを少しも示唆できない。 「うん、そうしてもらえると助かる」 「よし。それじゃあ、私は彼女と同室で頼む」  シンシアがアースリーちゃんと同じ部屋に泊まることをメイドに伝えた。  その後、案内された二階の部屋の前で、室内の明かりが灯されるのを待ってから、中に入った俺達は、目を疑うような豪華さを至る所に感じる内装を見て、思わず感嘆の声を上げた。  天蓋付きのベッドはもちろんのこと、金色に光り輝く壺や、絵画の額縁、机や本棚、寛げるソファーでさえも輝きを放っている。  しかしながら、部屋全体で見た時には不思議と調和がとれていて、成金趣味のような嫌な感じはしない。部屋が不快だと、おもてなしどころではないから、まさにその一環と言えよう。  部屋の棚にはチェス盤らしきものもある。やはり、こちらの世界にもチェスはあるのか。駒の形は俺の知っているものと大体同じだが、クイーンの形だけ大きく違う。何を表しているのかは、指せる人に聞いてみないと分からないが、チェスの歴史で、女王の前は宰相、大臣、将軍のいずれかだったと聞いたことがあるので、宰相っぽい気はする。 「それでは、夕食の準備をいたしますので、恐れ入りますが、三十分ほどお待ちください。マナー講師もその際にお連れいたします」 「あ、はい」  アースリーちゃんが扉の前にいるメイドに振り返って返事をした。実践形式というわけだ。  メイドが扉を閉め、ようやく俺達だけになった。 「シュウ様、姿を出しても大丈夫です。どうぞ、黒板とチョークです」  シンシアは持っていた荷物袋の中から、筆記用具を取り出した。俺達は彼女に巻き付いていた体を解き、その筆記用具を受け取ると、テーブルとソファーの付近まで二人を誘導した。  辺境伯の屋敷では砂を使えない。一般家庭と違って、砂の処分が面倒だし、その場に残すと不審に思われるからだ。俺はイリスちゃんから聞いた話をすぐに二人に伝えた。 「私が催眠魔法に……う、うん、分かってる。可能性だよね。さっき辺境伯と対面した時は何もなかったけど……」 『実現可能な範囲でしか行動しないのかも。殺傷可能な物を持って辺境伯の近くにいる時とか、毒を盛れるタイミングとか。その機会を作るための行動をするかもしれない。  まずは、催眠魔法がかけられているかの確認だ。辺境伯は門番の魔法使いの他にも魔法使いがいるような言い方をしていた。つまり、この屋敷には少なくとも二人の魔法使いがいる。ある程度の事情を辺境伯に話して、許可をもらった上で、どちらかに頼んでもらいたい』 「分かりました。私も今日はできるだけアースリーの側にいるようにします。明日、レドリー卿と話す時に許可をもらいます。アースリー、今日は一緒に風呂に入ったり、寝たりすることになるがいいか?」 「はい、もちろん。あの……シンシアさん、さっきはありがとうございます。私のために辺境伯に怒ってくれて。すごく嬉しかったし、かっこよかったです」 「いいんだよ。私自身、気付いたら言葉にしていた。アースリーが辛かった時の話を聞いている内に、いつの間にか私にとっても君が大切な存在になっていたんだ。もちろん、ユキもイリスも大切だし、彼女達も君のことを大切に思っているに違いない」 「私もシンシアさんのこと、大切に思っています。ユキちゃんもイリスちゃんも絶対そうですよ」 「ありがとう。私は君達と出会ってからまだ日が浅いから、どう思われているか不安だったが、そう思ってくれているのなら嬉しい」  二人はソファーに座りながら抱き締め合った。 「尊い友情だね……触手になってからこんなシーンがたくさん見られるなんて思わなかったな」  ゆうが物思いに耽っていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。俺達は分散してベッドの下と置物の陰に隠れる。 「どうぞー」 「失礼いたします」  アースリーちゃんが促すと、三人のメイドが部屋に入ってきて、その内の中央のメイドが口を開いた。 「夕食の準備が整いました。実際にお食事しながらマナーを習得していただくことになります。申し遅れました。私、リアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」 「よろしくお願いします。アースリーです」  リアと名乗ったメイドは、肩甲骨の下辺りまで伸ばしたブロンドの髪を束ねており、しっかりとした佇まいでスタイルも良く、一つ一つの動作が洗練されていた。  年齢はアースリーちゃんぐらいだろうか。端正な顔立ちで、メイド服を着ていなければ上流貴族の娘と間違えるほどの気品がある。おそらく、この子がマナー講師だろう。  彼女は、アースリーちゃんのことをじっと見たあとに、流れの説明を始めた。 「それでは、食事についてのマナーを一つ一つ確認していきます。パーティー当日は立食ですが、まずは着席でのマナーから始めます。明日の昼食からは、食堂で実践していただきます」  両脇にいたメイドの内の一人が、持ってきていたワゴンから前菜を取り出し、食事用のテーブルに置いた。  アースリーちゃんは、姿勢やナプキンの使い方、ナイフとフォークの使い方や置き方、料理を残す際の注意等、様々なことを教えられているようだった。時折、日常会話が挟まり、コミュニケーションの仕方までもがマナー講座の内容に含まれていて驚いた。  そして、驚いたのはそれだけではない。 「セフ村とは、とんだド田舎から来たものですね。私なら恥ずかしくて参加を辞退していますわ」 「なっ……! そ、そんなことはありません! 素晴らしい村です! みんな優しくて、笑顔が絶えない村です!」 「はい、それではダメです。感情的になってはいけません。そういう場合は、辺境伯の名を使って、『とても光栄なことに、レドリー辺境伯から直接お誘いいただきました。それを辞退する不届き者など、余程愚かでない限り、ここにはいないはずですが?』と嫌味ったらしく返してください」 「えぇ⁉ い、いいんですか?」  リアさんがノリノリで憎たらしい貴族を演じて、アースリーちゃんにダメ出しをする。そのダメ出しも、貴族に恨みでもあるのかというような、ぶっ飛んだ内容だった。 「社交界に憧れるあまり、その牛のようなだらしない身体で関係者を誘惑したのではなくて?」 「い、いえ。だらしなくないです。日々、スタイルの維持を頑張っています」 「はい、ダメです。必ず、相手を遠回しに罵ってください。『どうやら、ここには醜い豚が紛れ込んでいるようですね』と付け加えてください。相手が怒ったら、『あなたのこととは一言も言っていないのですが、自覚がおありのようで』と追撃してください」  全く遠回しではないセリフがリアさんの口から次々と飛び出す。彼女のテンションは、すでにフルスロットルのようだ。 「あー、少しいいだろうか。横から口を出してすまないが、そういう返しはアースリーの個性と合っていないと言うか、彼女の魅力を極端に落としてしまうのでは? 彼女なら、そのままでも周りを魅了できると思うが」  同じテーブルで食事をしていたシンシアが、リアさんに対して、アースリーちゃんの良さを語った。 「シンシア様、あなたは騎士団に入る以前に上流貴族ですので、パーティーでの女同士の醜い争いをご覧になっていないと推察します。  辺境伯の見ていないところで、わざわざ階級差が二つ以上ある婦人や娘を見つけて、嫌味を言いに行く連中が存在するのです。仮に同じ階級でも、同様にマウントの取り合いです。少しでも引いたり負けたりすると、次のパーティーではその噂が広まっています。  如何に、アースリー様に魅力があろうと、足を引っ張るのが趣味の愚かな者達がいるのです。しかも、大勢。これは彼女に剣と鎧で武装させる自衛の手段でもあるのです」  早口でまくし立てるリアさん。随分と詳しいな。まるで自分で体験したことがあるかのようだ。 「う、うーむ……確かに見たことはない。気にしていなかったと言った方が正しいだろう。そんな世界がすぐ側にあったとは知らなかった……。それなら、私がパーティーでアースリーを守るというのはどうだ? そういう者は私が往なす」 「……その方法では、彼女が別のパーティーに参加した時に、一人で対応できず、困ったことになります。アースリー様は、今回のパーティーだけに留まる器ではありません。騎士団長であるあなたが、彼女とずっと一緒にいるわけにはいかないでしょう?」  リアさんの反論は、いずれも正鵠を失っていなかった。  とは言え、それではアースリーちゃんがアースリーちゃんでなくなってしまうことは、この場の全員が理解しているだろう。 「そうか……。それなら、君がアースリーの友達になって守ってあげてほしい。リーディア嬢」 「それは、そうした……ぃ……っ! なんで……私だと……」  シンシアも気付いていたか。マナー講師リアさんは、辺境伯の娘、リーディアちゃんだった。彼女は驚いた表情でシンシアを見ている。  周りのメイド達の様子から、彼女達はリーディアちゃんだと知っていたようだ。 「前に会った時から随分と雰囲気が変わられたようだが、たとえ見た目や声色を変えたとしても、そのオーラは隠せないさ。マナーだけでなく、パーティー事情にも妙に詳しい上に、私と今みたいに話せる人は、大体限られているからな」  加えて、個性を剥き出しにしたマナー講師でありメイドだ。目立たないわけがない。  辺境伯は、可能性は低いと言っていたが、娘の説得に成功していたようだ。知ってしまえば、偽名も分かりやすい。 「う……」  リーディアちゃんは恥ずかしそうに俯いていた。シンシアが続ける。 「先程の口ぶりと行動から察するに、君は過去のパーティーで嫌なことがあり、人間不信になった。特に貴族の妻や娘に対して。  ただ、レドリー卿が直接誘った、べた褒めのアースリーのことが気になり、メイドのマナー講師に扮し、様子を見に来た。彼の言う通りの存在だった魅力溢れるアースリーに惹かれ、彼女を守ろうと、過激な社交辞令を教えた、というところだろうか。  リーディア嬢、君が言いかけた続きを聞きたい。君がアースリーを守れない理由があるのなら教えてほしい」  シンシアはリーディアちゃんを真っ直ぐと見つめ、答えを促した。アースリーちゃんも心配そうな表情でリーディアちゃんを見ている。 「…………か、勝手な推察をしないでくださる? 私は彼女のことなど、どうでもいいのです! ただ変装して、変なことを吹き込みたかっただけですから! あーあ、興が削がれましたわ。私はこれで失礼します。代わりの講師を連れてきますからご安心を」  リーディアちゃんはそう言うと、扉の方を振り向き、帰ろうとした。 「待って! ……ください」  アースリーちゃんが立ち上がり、リーディアちゃんの右手首を掴んで引き止めた。 「な、なんですの? 変なことを教えられて、怒っているの?」 「そうじゃありません! 質問があります。本心を言わずに強気に振る舞う今のリーディアさんと、あなたが嫌う貴族の女性達、何が違うんですか? 私にはどちらも悲しく感じます。  でも、見えない所に決定的な違いが確実にある。それは、あなたは今のままでいいと思っていない、ということです。だから、ここに来た。もしかしたら、何かが変わるかもという希望を持って。  私の様子をただ見に来て、バレないようにマナーや社交辞令を教えて帰ったって、私が変わるだけで、何にもならないじゃないですか。仮にあなたの言う通り、私が変な対応をして、パーティーで女性達から憎まれることになっても、あなたはそんなくだらないことを娯楽にするような人ではないはずです。  あなたは、絶対に優しい。そうじゃないと、こんな行動はとらない。でも、怖がり。だからこそ、信頼関係の構築に慎重になって、常に人を見極めようとしている。  私は思っていることを言いました。あなたの思っていることも教えていただけませんか? 私のことをどう思ったかも含めて。そこで初めて『変わる』んだと思います」 「ぁ……ぁ……」  リーディアちゃんは、目を見開き、口も開いたまま、小さく震えていた。  シンシアが二人のメイドに対して、席を外すよう合図すると、すぐに彼女達は音を立てずに静かに部屋の外に出た。  リーディアちゃんの足はまだ震えている。 「まだ怖いですか? じゃあ……」  アースリーちゃんが震えているリーディアちゃんに近づき、彼女を正面から優しく抱き締めた。身長はアースリーちゃんの方が高いので、自然と彼女の胸の当たりにリーディアちゃんの顔が来る形だ。 「ほ、本当に……本当にいいの?」 「うん、いいよ」  リーディアちゃんは気が動転しているようで、何を言っているかすぐには理解できなかったが、おそらく、アースリーちゃんのことを本当に信用していいかどうかを聞いたのだろう。  それを知ってか知らずか、アースリーちゃんは肯定した。その短い言葉でさえも、聖母の全てを包み込むような優しさを感じた。 「アースリー……あなたを初めて見た時、かわいくて、優しそうで、この子は私が守らなきゃってすぐに思った。なのにそう言い出せなくて……。あなたと実際に話すと、やっぱり優しくて、でも私よりもずっと強くて……何より、全部本音で私にぶつかってきてくれた……私、あなたと友達になりたい……」 「うん、私もあなたと友達になりたい。綺麗で優しくて、シンシアさんも言ってたけど、本当に見惚れちゃうほどのオーラを放ってるよ、リーディアちゃん……やっぱり、リーちゃんって呼ぼうかな」 「ありがとう。じゃあ、私はアーちゃんって呼ぶね。アーちゃん」  二人は抱き合いながら、頭をくっつけて、お互いの愛称を何度も呼び合っていた。 「じゃあ、私も友達だな」 「ええ、もちろん!」  シンシアがリーディアちゃんに向けて言うと、リーディアちゃんは嬉しそうな表情で返事をした。 「アースリーちゃんは、もうほとんどカウンセラーだな。シンシアのことも元気付けていたし」 「また良い光景を拝ませてもらったなぁ。でも、覚醒したアースリーちゃんがいれば、あたし達の役目が一つなくなっちゃうんじゃない?」 「やることは変わらないさ。事前に話がついていれば、最初から思い切りできるようになるかもしれないし」  俺とゆうが話していると、全員がソファーまで移動して座り、リーディアちゃんがアースリーちゃんとシンシアに事情を語り出した。  どうやら、リーディアちゃんが過去に他の貴族から何か言われたわけではなく、その場面を目撃しただけらしい。それはそうだ。辺境伯の娘に上から嫌味を言えるのは王家か公爵家ぐらいだからな。  しかし、パーティーではその目撃は全く珍しくなく、日常茶飯事と言ってもいい。毎回目撃することもそうだが、それを見ているだけで止めることができない自分の弱さに嫌気が差したということだ。  せめて、自分のことは自分で守ろうと、かつてシンシアと会ったあとぐらいから、貴族の女とはできるだけかかわらず、直接嫌味を言われないように、念のため性格が強めのキャラにイメチェンしたという経緯だ。  そのことからも分かる通り、彼女には潜在的に変身願望があったために、マナー講師に変装する案をすぐに思い付いたのだろう。  とりあえず、これで辺境伯の目的は達成された。あとは、催眠魔法の確認と朱のクリスタルの情報収集、パーティーを無事終えること、だな。 「アーちゃん、今夜はここで一緒に寝ていい?」  リーディアちゃんは、アースリーちゃんの左腕にしがみつきながら、甘えた声でおねだりするように言った。 「シンシアさん、どうした方が良いと思う?」  アースリーちゃんがシンシアに意見を聞いた。リーディアちゃんは、アースリーちゃんの言葉の意味が分からず、不思議そうに二人を見ていた。 「リーディア、経緯はあとで話すが、アースリーはレドリー卿を暗殺するための催眠魔法がかけられている可能性がある。暗殺のために娘の君が利用されるかもしれないから、今日はまだ危険なんだ。今は人目に付くし、私もいるから行動に移さないのかもしれない。  だが、人知れず君に何かあった時点で、君が周りにどう説得しようと、アースリーの立場は危うくなるだろう。  仮にこの部屋で寝るとしても、私が眠ってすぐに反応できないと困るから、アースリーとは離れて寝てもらうことになるが、それではこの部屋で寝る意味がないと思う。  一応、方法がないわけではない。アースリーを縛り付ければ、何もできないだろうが、それでは彼女が酷だし、奇妙な構図にもなってしまう。明日の魔法使い確認後なら大丈夫だが」 「そんな魔法が……分かりました。お父様には、そのことを伝えてかまいませんか?」  シンシアの説明に対して、リーディアちゃんは真剣な顔になり、貴族としてのフォーマルなやり取りに切り替えた。  シンシアとアースリーちゃんが同時に頷くと、リーディアちゃんがソファーから立ち上がった。 「アーちゃん、明日からいっぱい仲良くしようね」  リーディアちゃんが、友達であることに変わりないことを誤解のないように付け加えると、アースリーちゃんが考え込んだ。 「縛り付ける、か……。ちょっと待ってて」  アースリーちゃんがベッドに近づいてきて、何かを調べるような素振りをしたあと、ベッド横でしゃがんで、誰にも見えないように、聞こえないように俺達に話しかけてきた。 「シュウちゃん、リーちゃんと一緒に寝る時、私を拘束してくれる? ダメなら否定して」  それなら大丈夫だと俺は小さく頷いた。アースリーちゃんの感謝の言葉が小さく聞こると、彼女は元の場所に戻っていった。 「それじゃあ、シンシアさん、寝る時に私を縛り付けてくれる? ベッドも大丈夫そうな形だったし、縛り付ける物はこっちで持ってるから。リーちゃん、それで一緒に寝よう」 「え⁉ アーちゃん、本当にそれでいいの?」  思いもよらなかったアースリーちゃんの提案に、リーディアちゃんは驚きを隠せなかった。 「うん。私、一度縛られて寝てみたかったんだー」 「……ぷっ、あはははは! 分かった、一緒に寝よ! ありがとう、アーちゃん!」  アースリーちゃんの冗談に対して、リーディアちゃんの満面の笑みが眩しかった。多分、冗談ではなく、本気で思っているような気はするが……。 「では、話が一区切り着いたところで、マナー講習の続きをしましょうか。料理は流石に冷めちゃったかしら……」  リーディアちゃんが仕切り直すと、シンシアが席を外したメイド達に声をかけようと扉を開けた。  すると、新しい料理用のワゴンを持ってきたメイドがそこにいた。有能なメイド達だ。 「あなた達……ありがとう。私、友達が二人できたのよ。それも、とっても大切な……」 「おめでとうございます! リーディア様!」  笑顔で話すリーディアちゃんの言葉に、二人のメイドが涙ぐんで祝福の言葉を返した。それを見て、リーディアちゃんも涙ぐんでいるようだった。  リーディアちゃんとこの二人も友達になれそうな気はするが、立場上、メイド達の方に迷惑がかかるから、彼女からは積極的に友達になろうとしなかったのだろう。しかし、お互いに信頼はしているようだ。もしかしたら、メイド達からも背中を押されていたのかもしれないな。  それから、マナー講習兼食事会は和やかに進み、明日の予定を確認後、リーディアちゃん達と別れた。  アースリーちゃんは、明日もマナー講習全般とダンスレッスン、それにドレス合わせが用意されていて忙しい。  特にダンスレッスンは、リーディアちゃんによると、ダンスが得意な兄達に、できるだけ見劣りしないようにする必要があるとのことで、念入りに行われるとのことだ。  パーティーまでは三日あるが、その間の食事は三食付いているし、着替えは下着を含めて用意されている。国賓待遇でなかったとしても至れり尽くせりだ。  入浴はメイドが付いて、体も髪も隅々まで洗ってくれる。二人のスタイルの良さに、同性であってもメイドは息を呑んでいたそうだ。特に、アースリーちゃんの胸を見たメイドは、声を上擦らせ、神と邂逅したかのごとく固まっていたらしい。俺もそうだったからな。  入浴後はマッサージで、あまりの気持ち良さに二人ともそのまま眠ってしまいそうだった。  マッサージが終わって、作戦会議を終えた俺達がベッド上で寛いでいると、リーディアちゃんが約束通り部屋を訪ねてきた。  俺達はベッド下に隠れた。ベッド上が見える天井にもすでに触手を配置している。  彼女の装いは、二人と同様に白く薄いレースのパジャマに、カーディガンを羽織っており、オーラを感じるまでもなく、完全にお嬢様だった。両手には、服を着た熊のぬいぐるみを大事そうに抱えている。 「こんばんは。催眠の話だけど、お父様に伝えたら、明日の朝、遅くても明後日までには魔法使いを紹介してくれるって。時間が指定できないのは、その魔法使いの都合次第だって」 「ありがとう。魔法使いとは、門にいた魔法使いか?」  シンシアが魔法使いの人数を知るための質問した。 「いえ、もう一人、女魔法使いがいるの。顔立ちは整っていたけど、最初に会った時から目の隈がすごくて、明らかに寝不足の様子だったから、大丈夫かしらと思っていたのよ。  でも、とても優秀みたいで、短期契約だけど、今回の居住可能域拡大パーティーも、彼女のおかげで普通より早く開催できるんだってお父様がおっしゃっていたわ。  その辺の魔法使いより、一度に張る結界が大きくて、しかも早いって。腕も立つから、結界外に出ても護衛が全くいらないそうよ。お父様、魔法や朱のクリスタルのことになると、かなり早口で熱く語ってくるから、話を切り上げるのに大変なのよね……。  まあ、それはそうと、彼女に頼めば、きっと解決できるだろうって自信満々におっしゃっていたわ。  でも、彼女が結界を張り終わったのは昨日の夕方だから、無理を言うのは十分休んでもらってからにしたいということで、彼女の都合次第ってことみたい。  あ、パーティー開催日の直前すぎっていうわけじゃなくて、予定以上の結界を張ってくれたらしいわ。お父様は、本当は長期で契約したいけど、向こうが固辞したから仕方ないと残念がってもいたわ」  辺境伯への愛の愚痴も混じってはいたが、リーディアちゃんの詳細な報告は、とてもありがたい。  話を聞く限り、女魔法使いの魔力量は多いようだ。クリスタルの恩恵を受けたユキちゃんほどではないにしろ、高いに越したことはない。催眠魔法の解除には魔力量が影響するからだ。万が一、催眠魔法に詳しくなかった場合は、俺達がユキちゃんに口頭で教えてもらって、その魔法使いに伝えよう。 「リーちゃん、連絡と報告ありがとう。それじゃあ、なんで催眠魔法がかけられている疑いがあるのかについてと、私とシンシアさんが仲良くなった経緯も話しておくね」  アースリーちゃんが、今はまだ話せないこと、絶対に話せないことを除いて、リーディアちゃんに経緯を話した。  アースリーちゃんの説明を聞いていると、やはり彼女も頭が良いことを再認識させられる。自分の力不足を感じて、カウンセラーとしてだけじゃなく、さらに覚醒したのだろうか。  それは、シンシアも同様だ。詳しくは聞いていないが、最低でも伯爵以上の上流貴族の英才教育もあるだろうし、ましてや若くして騎士団のトップに上り詰めた存在だ。今になって思うと、剣技や性格だけの評価ではないのだろう。アースリーちゃんへの気遣いはもちろん、リーディアちゃんの変装をすぐに見破り、確度の高い推察までやってのけた。頭の回転が速くないとできないことだ。  イリスちゃんの影響もあるのかもしれない。話し方や説明の展開が、彼女に似てきている気がする。彼女の才能を目の当たりにすると、どうしても彼女に憧れざるを得ない。その憧れに近づこうと思って近づけるのも、一つの才能だ。普通は遠い存在として、近づくことを諦めてしまう。  この旅を通じて、彼女達が非常に頼もしい存在であることが分かり、嬉しいと思うと同時に、二人を見くびっていた自分が愚かで恥ずかしくも感じる。二人に恥じぬよう、俺もしっかりしないといけないな。 「アーちゃん、私からも謝らせて。お父様の軽はずみな招待で、あなたを不安にさせてしまったこと、本当に申し訳ありません」 「いいんだよ、リーちゃん、ありがとう。でもね、今はそれで本当に良かったって思ってるんだよ。辺境伯には感謝してるぐらい。ここで、実際にお話ししてみて、素晴らしい方だって分かったし、リーちゃんと会えて、大切な友達にもなれた。これ以上のことはないよ」  リーディアちゃんは当然悪くないのだが、シンシアが言った通り、相手の謝罪をそのまま受け止めることも大事だという言葉を忘れていないアースリーちゃんが、その言葉を否定せずに許し、笑顔で前向きな意見を言うことで、リーディアちゃんの心も晴れるというものだ。流石、カウンセラー。 「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しい。私からは、お父様を叱ると同時に、お父様への感謝の言葉、アメとムチを差し上げたいと思います」  リーディアちゃんがアースリーちゃんに抱き付いて言った言葉にみんなが笑い、談笑が続いた。



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俺達と女の子達が辺境伯邸に無事到着して令嬢と友達になる話(2/3)

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「シュウちゃん、今お話しできる?」  活気があるレドリー領の街に入ってから、伯爵邸までもう少しという所で、セフ村にいるイリスちゃんから、監視用の触手に合図を送られ、近づくと声をかけられた。  俺は頬を舐めて肯定した。 「それじゃあ、話すね。結論から言うと、アースリーお姉ちゃんに辺境伯を暗殺する催眠魔法がかけられてるかもしれないから、常に監視していてほしい。有能な魔法使いが近くにいれば、催眠魔法がかけられているか分かったり、解除できたりするかも。  でも、流石だよ、シュウちゃん。こう考えたのは、シュウちゃんが催眠魔法について調べてほしいって言ったのがキッカケだから。  ユキお姉ちゃんのリハビリが落ち着いてきたから、まだ読んでない魔法書を読ませてもらった時に、催眠魔法についての記述を見つけて、詳細を知ることができた。今回の話に関係する箇所だけ挙げるね。  対象者の精神状態によって成否が変わる、  術者の魔力量によっては長期的な催眠も可能、  催眠魔法使用時の対象者の記憶を思い出させない、  第三者の魔法使いは催眠状態を判別できる、  催眠解除の成否は術者と解除者の魔力量の差によって変わる、かな。  実際に、昨日と今日で聞き込みをしてみたら、アースリーお姉ちゃんがパーティーに誘われた時に居合わせた人が複数いて、その中の男の一人が村では見ない顔で、さらに、彼女が村長から離れて一人になった時に声をかけていた、っていう証言が得られたんだよね。  声をかける人と魔法使いが別々の場合も当然あり得る。セフ村の人達は人が良いから、目撃者は、彼女が変な魔法をかけられるなんて夢にも思わなかっただろうね。  長期催眠が可能だとすると、アースリーお姉ちゃんが狙われた理由も納得が行く。魔法使いは辺境伯を狙って、あるいは監視するためにセフ村に来た。屋敷には潜入できず、道中も護衛がいて中々手が出なかった。都合良く、村娘がパーティーに誘われていることを知って、その子を使って暗殺しようとした、と考えても不思議じゃない。  それは、シンシアさんの追放騒動のような、直接の武力行使ではなく、遠回しの国力低下作戦を連想させる。その手口から、この魔法使いが、シンシアさんを陥れた内の一人、コレソと同一人物、あるいは同集団のスパイである可能性がある。つまり、他国のスパイがアースリーお姉ちゃんに辺境伯暗殺の催眠魔法をかけたことを否定できない。  ただし、対象者の精神状態が悪化している時にかけた催眠魔法は、精神状態が万全になったキッカケで解除される場合もあるって書いてあったから、現在も催眠状態が続いているかは分からない。だから、念のため。  ちなみに、コレソらしき人物はもうセフ村にはいない。ユキお姉ちゃんが村全体を覆う魔力感知をして、魔法使いがいないことを確認したから。結果を見届けるために、今はレドリー邸近辺に潜伏してるかも。  私は、正直この線は限りなく薄いと思ってた。でも、魔法について知れば知るほど、普通にあり得ると考えるようになった。もちろん、今のところ証拠はないけどね。  でも、やっぱり色んな事を知ってないといけないね。シュウちゃんがこの考えに辿り着いていたってことは、魔法がない向こうの世界では、魔法について私達以上に色々と想像されていたのかな」  俺も正直に言うと、そこまで考えていなかった。正確には、ぼんやりと、何となく、モヤモヤしていたという感じだった。それをイリスちゃんは言語化してくれた。  と言うのも、アプローチが複数あって、その結果が判明した場合に、一つのアプローチだけが正しいと俺は思い込んでいて、脳の容量と処理能力の限界もあるから、それ以外は忘れるようにしていたが、イリスちゃんはそうじゃなかった。俺がもう忘れていたことを、あの時に簡単にでも伝えておいて良かった。  今回、アースリーちゃんの不安を煽ったのは、大きく分けると、自分自身の精神力の弱さ、悪意ある魔法使い、呪い、あるいは最後に判明した碧のクリスタルのデメリットのいずれかだった。  結局、イリスちゃんに効かないだけで、クリスタルのデメリットの可能性が最も高く、最終的にアースリーちゃんの不安は解消されて、めでたしめでたし、他の可能性は記憶から消去、と思っていた。  しかし、イリスちゃんが当初話題にした『動機が不明』が、実現可能な方法を知ることによって想像できるようになった。そして、悪意ある魔法使いの動機を考えると、その先の目的がまだ残っている恐れがあった。どういうことか。  例えば、不安を煽ることによって催眠状態にさせやすくし、暗殺を指示、不安を解消しても、暗殺指示の催眠は消えないとか、実は、不安の煽りには失敗しているが、クリスタルのデメリットにより、彼女の精神状態が偶々不安定だったので、催眠には成功しているとか。もちろん、催眠にも失敗している可能性や、不安の解消と催眠の解除が同義の可能性もある。  いずれにしても、頭に入れておかないと、大変なことになってからでは遅い。俺達はイリスちゃんに了承の合図をして、意識をレドリー邸の方に移した。  邸宅は高い壁で覆われていて、重厚な門が正面に鎮座している。門前には、剣士二人と魔法使いらしき一人、合計三人の門番が配置され、超人や魔法使いでない限り、容易に侵入することは難しい。スパイ暗躍説が正しいとすると、おそらく魔法使い対策もされているのだろう。  門が開けられて、そこを馬車が通るのかと思いきや、まだ閉じたままの門の前で村長とアースリーちゃんは降ろされた。どうやら、馬車や馬は邸宅の敷地内ではなく、別の場所で管理しているようだ。シンシアもそこへ案内されていた。 「俺はここで一度お別れだ。パーティーの翌日にまた来る。じゃあな」  アドはそう言って、颯爽と街の方へ戻っていった。てっきり、レドリー邸でも護衛の仕事を継続するのかと思っていたら、そうではないらしい。  俺達は、触手を増やし、シンシアの体から地面、壁を蔦って、門の上に辿り着いた。 「パーティーに参加する方のお名前は?」  少し間があったあとに、門番の剣士の一人が村長とアースリーちゃんに質問した。 「あ、アースリー=セフです。こちらは私の父です」 「アースリー=セフ…………確認できました。先程の馬に乗っていたお連れの方は……」 「あの人は、シンシアさんです。フルネームは……何だっけ? 聞いてなかったかも」 「シンシア……フルネームをお願いします。パーティーのリストにないと入れません」 「え、そうなんですか? あ……シンシアさん! リストにないと入れないって!」  急いで戻ってきているシンシアに、アースリーちゃんは大声で呼び掛けた。 「そうなのか? うーむ、セフ村から事前に手紙は出しておいたのだが、まだ届いてなかったか? 私はシンシア=フォワードソン、ジャスティ国騎士団長だ。アースリーの友人でもあるが、朱のクリスタルについて聞きたいことがあるため、レドリー卿にお目通し願いたい。  訳あって冒険者の格好をしているが、私の名前と容姿を彼に伝えてくれ。何度か会っているから本人だと分かるはずだ」  シンシアがあらかじめ手紙を出しているのは流石だ。  そう言えば、アースリーちゃんも叔母宛に書いてたな。ユキちゃんとさらに仲良くなったことを報告したようだが、どちらも田舎だから、いつ届くかは分からないそうだ。 「やっぱり騎士団長なのか⁉ 確かに前に見た時もこんな顔だったような……」 「俺も見たことあるぞ……まさかとは思っていたが……」  門番の剣士同士が、小声で顔を見合わせて戸惑っていた。魔法使いはブツブツ何かを言っている。魔法の詠唱か? アースリーちゃんに害が及ぶようなら飛びかからないといけないが……。 「少しお待ちください。レドリー卿に確認を取って参ります」  剣士の一人が門を少し開け、中に入っていった。魔法使いは詠唱を止めたようだ。 「失礼しました。話は聞いていたのですが、『イタズラかもしれないから、本人と話して手紙の内容を伝えてきたら、その口調と容姿をレドリー卿に報告するように』と言われまして……魔法による変装でないことも確認しました」  許可が出る前にそれを言っていいのかと少し思ったが、門番達もシンシア本人だと確信しているのだろう。  それにしても、辺境伯はかなり用心深い人物のようだ。馬車には誰が乗っているか分からないから敷地外で降ろし、単騎なのに降ろすのも強襲対策や逃げ足を断つためだろうし、手紙主の確認も怠らない。雇用の際も注意していることが容易に想像できる。アースリーちゃんを同伴無しで一人だけ誘ったのも、その用心深さ故だろう。  これでは、スパイが手を出せないのも納得だ。魔法で変装を見破れることも分かった。特殊メイクを見破るのではなく、おそらくは変装魔法のことだと思うが、俺が思っている以上に、魔法には柔軟性があるようだ。 「確認できました。どうぞお二人はお入りください。父君はここまでです」  中に入った剣士が戻ってきて、門を二人が通れるぐらいまで開けた。全開にしないのも理由があるのだろう。 「アースリー、頑張るんだぞ! お前なら大丈夫だ! 絶対大丈夫だからな!」 「うん、お父さん。ありがとう。でも、ちょっと恥ずかしいよ……」  両手を前で握りしめて、恥ずかしげもなく応援する村長に、アースリーちゃんは気恥ずかしそうにポリポリと右頬を掻き、少し赤くなっていた。  改めて思った。やはり、村長はアースリーちゃんのことを、どこに出しても恥ずかしくない自慢の娘だと思っていたからこそ、彼女がパーティーに誘われて落ち込んでいた理由が理解できなかったのだ。  アースリーちゃんも今ならそれを理解できる。だから、少しの恥ずかしさはあれども、その応援が負い目ではない。愛していたからこその悲しいすれ違いだったが、悲劇が生まれなくて本当に良かった。子どもを一生懸命に応援する父親の図を目の当たりにして、俺は嬉しさを噛み締めた。  門が閉じるまで、村長とアースリーちゃんは目を離さず向かい合っていた。 「アースリー、今のところ予定通り、変更はない」 「分かりました」  シンシアの言葉に頷くアースリーちゃん。  何かトラブルがあり、あらかじめ立てた予定を大きく変更する場合には、俺達がシンシアに合図をすることになっていた。と言っても、その予定とは特段重要なことではなく、俺達をどのように屋敷内に入り込ませ、いつ俺達とコミュニケーションするかの調整にすぎない。  二人はそのまま屋敷の扉まで進み、扉の前にいたメイド二人に会釈すると、その扉が開かれた。 「ようこそ、アースリーさん。そして、シンシア。本当に来るとは驚いたよ。しかも冒険者姿で」  辺境伯が出迎えてくれて、それぞれと握手をしているようだ。 「この度は、ご招待いただき、ありがとうございます。光栄に存じます」 「急なお願いにもかかわらず、ご対応いただきありがとうございます。また、このような姿で大変失礼いたします。理由は後ほど二人の時にということで、どうか今はご容赦ください」  社交的で丁寧な挨拶を二人は済ませた。 「二人が知り合いだとは思わなかった。その経緯もあとで聞くとしようか。まずは、部屋への案内だが、アースリーさんはこのような場は初めてだと前に聞いたね。マナー講座をご希望なら、今日は部屋での夕食、そうでなければ私達と一緒に夕食だが、どうしようか」 「はい、マナー講座を受けたいです」 「レドリー卿、私もアースリーとマナー講座を受けたいのですが、よろしいでしょうか」 「え? 君は必要ないだろ? てっきり、私と食事すると思っていたが……。なるほど、そういうことか……。どうやら、私の配慮が足りなかったようだ。イレギュラーへの対応が、私もまだまだだな。  アースリーさん、私の説明不足で君を不安にさせてしまったこと、申し訳ない。まずは、目的を先に話しておいた方が良いだろう。  今回、君をパーティーに招待したのは、単に魅力的だったからというだけではない。パーティーを通じて、私の娘、リーディアと友達になってほしいからだ。もちろん、私の息子達を気に入ってくれれば、それはそれでいい。  私が言うのもなんだが、私の娘も君に負けず劣らず魅力的でね。ただ、友達を作ろうとしないんだ。人を選んでいる気さえする。  そんな時、セフ村の話を聞いてね。実際に聞いたのは村の悪口だが、その貴族が言う反対のことが正解だろうと思って、視察に行ったら、やはり反対だった。  確かに我々と比べると文化は遅れている。だが、笑顔が絶えない村人、人当たりの良さ、ここに住んだら不便ではあるが楽しそうだと思える生活環境を目の当たりにして、それらを成り立たせているのは、セフ村一人一人の優しさなんじゃないかと想像させてくれた。  そこに住む村長の娘だ。性格は絶対に良いはずだと思い、外見も性格も最高の女の子で、年齢が近ければ、リーディアも友達になりたいと思うのでは、と浅はかに考えて誘った。名前も似ているからね。  これが目的と経緯だ。君を一人だけ誘ったのは、私の危機管理の一環というのもあるし、父親が一緒にいると、娘とあまり話せないのでは、という考えからだ。  部屋での夕食は仲間外れにしようとしているのではなく、場合によってはリーディアが君にマナーを教えることで、二人で話すチャンスが来るかもしれないと思ってのことだ。まあ、それはまだ彼女に話していないから、そうなるかは分からないがね。  正直に言うと、その可能性は低いから、結果的には少し寂しい夕食になるかもしれないのは否定できない。シンシアはそのことを知らずに、君を気遣ってくれたと思うが、そのような意味でも、彼女と一緒に食事してもらった方が良いかもしれないな。  それと、私一人だけならマナー講座を受ける君と一緒に食事してもいいが、多くの給仕にそれを見られるのは恥ずかしいのではないかという理由で、受けるなら部屋の方がいいだろうと判断をした。  かなり願望が入っていて、穴だらけの論理だとは思うが、そういうことだ。改めて、どうか娘の友達になってはくれないだろうか」  自身の考えを詳細に披露した辺境伯。  確かに配慮不足はあったが、こう聞くとよく考えているし、それを惜しげもなく率直に話してくれたのは好感が持てる。とてもプライドが高い貴族とは思えない。シンシアが言っていた通りだ。おそらく、そういうことはあまり気にしない人なのだろう。 「わ、分かりました。頑張ります!」  アースリーちゃんは、真剣な表情であろう辺境伯の願いを叶えようと、快く承諾した。  すると、シンシアもおそらく真剣な表情で一歩前に出た。 「レドリー卿、大変失礼ですが、申し上げなければいけないことがあります。あなたの説明不足で、アースリーは、相当なプレッシャーを負って、色々なことを考えてしまい、心が押し潰されそうになった。  その結果、自傷行為にまで発展しそうになった。それは運良く回避され、今では元気になりましたが、我々貴族は言葉を一つ間違えるだけで、他人の人生を簡単に崩壊させることができる。それを肝に銘じなければなりません」 「そうだったか……。アースリーさん、改めて謝罪させてほしい。本当に申し訳ない。我が国の宝を失うところだった。お詫びのしようもないが、国賓級のおもてなしをすることで許していただきたい。シンシア、教えてくれてありがとう。流石、真っ直ぐで誠実、騎士団長になるべくしてなった存在だ」  この二人、すごいな。アースリーちゃんの身を真剣に案じ、辺境伯に対して、物怖じせずに物を言うシンシア。それをしっかり受け止め、謝罪、反省し、指摘されたことに感謝までする辺境伯。本当に貴族か? 俺が知ってる貴族じゃないぞ。  腹の探り合い、間接的な言い回し、絶対に謝らない、文句には激怒、下の階級はゴミと思っている、が当たり前じゃないのか? 村長に嫌味を言った貴族が典型だろう。 「なんか、振り上げた拳の下ろし場所がなくなっちゃった感じだね。レドリー卿、良い人じゃん。シンシアはすごいかっこよかった。あたし達からは何も言ってないのに」  ゆうの言葉からは少しモヤモヤしているとも受け取れるが、二人とも褒めていることから、わだかまりは一切なさそうだ。 「別に辺境伯に振り下ろそうとしていたわけじゃないが……。実際は、辺境伯だけじゃなくて、クリスタルのデメリットだったり、スパイが原因の可能性もあるからな。でも、そうだな。シンシアのおかげでスッキリしたんじゃないか? と言うより、二人とも清々しく感じたな」  貴族としての責任を重く受け止めている二人の話を聞いて、こういう人達ばかりだと良いんだがと、俺は期待と不安を同時に抱いた。 「おっと、すまない。長い間、立ちっぱなしにさせてしまった。朱のクリスタルや積もる話は、明日の午前でもいいかな? 夕食後は、門番と別の魔法使いから今日の報告を聞かなければいけなくてね……。  アースリー様を国賓部屋にお連れしなさい。そして、くれぐれも国賓としておもてなしすること。シンシアには彼女の希望する部屋を用意しなさい。それじゃあ、私は失礼するよ。ああ、さっきの話はリーディアには内緒にしておいてほしい。怒られてしまうからね」  メイドに部屋の案内を頼んでから、口元にチャックをするジェスチャーとウィンクをしたかのような明るさで辺境伯は俺達から離れていった。 「シンシアさん、どうしよう。国賓級の部屋なんて……」 「遠慮することはない。貴族の詫びを受け入れるのも大事なことだ。相手にとってもな。堂々としていればいいさ。どうしても不安なら、予定通り私も一緒の部屋に泊まろう。おそらく、ちょっとした仕切りもあるはずだから、私は私で用を済ませられると思う」  シンシアの用とは、何かあった時に緊急で俺達と話すことだ。まだ周囲の目があるので、俺達のことを少しも示唆できない。 「うん、そうしてもらえると助かる」 「よし。それじゃあ、私は彼女と同室で頼む」  シンシアがアースリーちゃんと同じ部屋に泊まることをメイドに伝えた。  その後、案内された二階の部屋の前で、室内の明かりが灯されるのを待ってから、中に入った俺達は、目を疑うような豪華さを至る所に感じる内装を見て、思わず感嘆の声を上げた。  天蓋付きのベッドはもちろんのこと、金色に光り輝く壺や、絵画の額縁、机や本棚、寛げるソファーでさえも輝きを放っている。  しかしながら、部屋全体で見た時には不思議と調和がとれていて、成金趣味のような嫌な感じはしない。部屋が不快だと、おもてなしどころではないから、まさにその一環と言えよう。  部屋の棚にはチェス盤らしきものもある。やはり、こちらの世界にもチェスはあるのか。駒の形は俺の知っているものと大体同じだが、クイーンの形だけ大きく違う。何を表しているのかは、指せる人に聞いてみないと分からないが、チェスの歴史で、女王の前は宰相、大臣、将軍のいずれかだったと聞いたことがあるので、宰相っぽい気はする。 「それでは、夕食の準備をいたしますので、恐れ入りますが、三十分ほどお待ちください。マナー講師もその際にお連れいたします」 「あ、はい」  アースリーちゃんが扉の前にいるメイドに振り返って返事をした。実践形式というわけだ。  メイドが扉を閉め、ようやく俺達だけになった。 「シュウ様、姿を出しても大丈夫です。どうぞ、黒板とチョークです」  シンシアは持っていた荷物袋の中から、筆記用具を取り出した。俺達は彼女に巻き付いていた体を解き、その筆記用具を受け取ると、テーブルとソファーの付近まで二人を誘導した。  辺境伯の屋敷では砂を使えない。一般家庭と違って、砂の処分が面倒だし、その場に残すと不審に思われるからだ。俺はイリスちゃんから聞いた話をすぐに二人に伝えた。 「私が催眠魔法に……う、うん、分かってる。可能性だよね。さっき辺境伯と対面した時は何もなかったけど……」 『実現可能な範囲でしか行動しないのかも。殺傷可能な物を持って辺境伯の近くにいる時とか、毒を盛れるタイミングとか。その機会を作るための行動をするかもしれない。  まずは、催眠魔法がかけられているかの確認だ。辺境伯は門番の魔法使いの他にも魔法使いがいるような言い方をしていた。つまり、この屋敷には少なくとも二人の魔法使いがいる。ある程度の事情を辺境伯に話して、許可をもらった上で、どちらかに頼んでもらいたい』 「分かりました。私も今日はできるだけアースリーの側にいるようにします。明日、レドリー卿と話す時に許可をもらいます。アースリー、今日は一緒に風呂に入ったり、寝たりすることになるがいいか?」 「はい、もちろん。あの……シンシアさん、さっきはありがとうございます。私のために辺境伯に怒ってくれて。すごく嬉しかったし、かっこよかったです」 「いいんだよ。私自身、気付いたら言葉にしていた。アースリーが辛かった時の話を聞いている内に、いつの間にか私にとっても君が大切な存在になっていたんだ。もちろん、ユキもイリスも大切だし、彼女達も君のことを大切に思っているに違いない」 「私もシンシアさんのこと、大切に思っています。ユキちゃんもイリスちゃんも絶対そうですよ」 「ありがとう。私は君達と出会ってからまだ日が浅いから、どう思われているか不安だったが、そう思ってくれているのなら嬉しい」  二人はソファーに座りながら抱き締め合った。 「尊い友情だね……触手になってからこんなシーンがたくさん見られるなんて思わなかったな」  ゆうが物思いに耽っていると、コンコンと扉を叩く音が聞こえた。俺達は分散してベッドの下と置物の陰に隠れる。 「どうぞー」 「失礼いたします」  アースリーちゃんが促すと、三人のメイドが部屋に入ってきて、その内の中央のメイドが口を開いた。 「夕食の準備が整いました。実際にお食事しながらマナーを習得していただくことになります。申し遅れました。私、リアと申します。どうぞよろしくお願いいたします」 「よろしくお願いします。アースリーです」  リアと名乗ったメイドは、肩甲骨の下辺りまで伸ばしたブロンドの髪を束ねており、しっかりとした佇まいでスタイルも良く、一つ一つの動作が洗練されていた。  年齢はアースリーちゃんぐらいだろうか。端正な顔立ちで、メイド服を着ていなければ上流貴族の娘と間違えるほどの気品がある。おそらく、この子がマナー講師だろう。  彼女は、アースリーちゃんのことをじっと見たあとに、流れの説明を始めた。 「それでは、食事についてのマナーを一つ一つ確認していきます。パーティー当日は立食ですが、まずは着席でのマナーから始めます。明日の昼食からは、食堂で実践していただきます」  両脇にいたメイドの内の一人が、持ってきていたワゴンから前菜を取り出し、食事用のテーブルに置いた。  アースリーちゃんは、姿勢やナプキンの使い方、ナイフとフォークの使い方や置き方、料理を残す際の注意等、様々なことを教えられているようだった。時折、日常会話が挟まり、コミュニケーションの仕方までもがマナー講座の内容に含まれていて驚いた。  そして、驚いたのはそれだけではない。 「セフ村とは、とんだド田舎から来たものですね。私なら恥ずかしくて参加を辞退していますわ」 「なっ……! そ、そんなことはありません! 素晴らしい村です! みんな優しくて、笑顔が絶えない村です!」 「はい、それではダメです。感情的になってはいけません。そういう場合は、辺境伯の名を使って、『とても光栄なことに、レドリー辺境伯から直接お誘いいただきました。それを辞退する不届き者など、余程愚かでない限り、ここにはいないはずですが?』と嫌味ったらしく返してください」 「えぇ⁉ い、いいんですか?」  リアさんがノリノリで憎たらしい貴族を演じて、アースリーちゃんにダメ出しをする。そのダメ出しも、貴族に恨みでもあるのかというような、ぶっ飛んだ内容だった。 「社交界に憧れるあまり、その牛のようなだらしない身体で関係者を誘惑したのではなくて?」 「い、いえ。だらしなくないです。日々、スタイルの維持を頑張っています」 「はい、ダメです。必ず、相手を遠回しに罵ってください。『どうやら、ここには醜い豚が紛れ込んでいるようですね』と付け加えてください。相手が怒ったら、『あなたのこととは一言も言っていないのですが、自覚がおありのようで』と追撃してください」  全く遠回しではないセリフがリアさんの口から次々と飛び出す。彼女のテンションは、すでにフルスロットルのようだ。 「あー、少しいいだろうか。横から口を出してすまないが、そういう返しはアースリーの個性と合っていないと言うか、彼女の魅力を極端に落としてしまうのでは? 彼女なら、そのままでも周りを魅了できると思うが」  同じテーブルで食事をしていたシンシアが、リアさんに対して、アースリーちゃんの良さを語った。 「シンシア様、あなたは騎士団に入る以前に上流貴族ですので、パーティーでの女同士の醜い争いをご覧になっていないと推察します。  辺境伯の見ていないところで、わざわざ階級差が二つ以上ある婦人や娘を見つけて、嫌味を言いに行く連中が存在するのです。仮に同じ階級でも、同様にマウントの取り合いです。少しでも引いたり負けたりすると、次のパーティーではその噂が広まっています。  如何に、アースリー様に魅力があろうと、足を引っ張るのが趣味の愚かな者達がいるのです。しかも、大勢。これは彼女に剣と鎧で武装させる自衛の手段でもあるのです」  早口でまくし立てるリアさん。随分と詳しいな。まるで自分で体験したことがあるかのようだ。 「う、うーむ……確かに見たことはない。気にしていなかったと言った方が正しいだろう。そんな世界がすぐ側にあったとは知らなかった……。それなら、私がパーティーでアースリーを守るというのはどうだ? そういう者は私が往なす」 「……その方法では、彼女が別のパーティーに参加した時に、一人で対応できず、困ったことになります。アースリー様は、今回のパーティーだけに留まる器ではありません。騎士団長であるあなたが、彼女とずっと一緒にいるわけにはいかないでしょう?」  リアさんの反論は、いずれも正鵠を失っていなかった。  とは言え、それではアースリーちゃんがアースリーちゃんでなくなってしまうことは、この場の全員が理解しているだろう。 「そうか……。それなら、君がアースリーの友達になって守ってあげてほしい。リーディア嬢」 「それは、そうした……ぃ……っ! なんで……私だと……」  シンシアも気付いていたか。マナー講師リアさんは、辺境伯の娘、リーディアちゃんだった。彼女は驚いた表情でシンシアを見ている。  周りのメイド達の様子から、彼女達はリーディアちゃんだと知っていたようだ。 「前に会った時から随分と雰囲気が変わられたようだが、たとえ見た目や声色を変えたとしても、そのオーラは隠せないさ。マナーだけでなく、パーティー事情にも妙に詳しい上に、私と今みたいに話せる人は、大体限られているからな」  加えて、個性を剥き出しにしたマナー講師でありメイドだ。目立たないわけがない。  辺境伯は、可能性は低いと言っていたが、娘の説得に成功していたようだ。知ってしまえば、偽名も分かりやすい。 「う……」  リーディアちゃんは恥ずかしそうに俯いていた。シンシアが続ける。 「先程の口ぶりと行動から察するに、君は過去のパーティーで嫌なことがあり、人間不信になった。特に貴族の妻や娘に対して。  ただ、レドリー卿が直接誘った、べた褒めのアースリーのことが気になり、メイドのマナー講師に扮し、様子を見に来た。彼の言う通りの存在だった魅力溢れるアースリーに惹かれ、彼女を守ろうと、過激な社交辞令を教えた、というところだろうか。  リーディア嬢、君が言いかけた続きを聞きたい。君がアースリーを守れない理由があるのなら教えてほしい」  シンシアはリーディアちゃんを真っ直ぐと見つめ、答えを促した。アースリーちゃんも心配そうな表情でリーディアちゃんを見ている。 「…………か、勝手な推察をしないでくださる? 私は彼女のことなど、どうでもいいのです! ただ変装して、変なことを吹き込みたかっただけですから! あーあ、興が削がれましたわ。私はこれで失礼します。代わりの講師を連れてきますからご安心を」  リーディアちゃんはそう言うと、扉の方を振り向き、帰ろうとした。 「待って! ……ください」  アースリーちゃんが立ち上がり、リーディアちゃんの右手首を掴んで引き止めた。 「な、なんですの? 変なことを教えられて、怒っているの?」 「そうじゃありません! 質問があります。本心を言わずに強気に振る舞う今のリーディアさんと、あなたが嫌う貴族の女性達、何が違うんですか? 私にはどちらも悲しく感じます。  でも、見えない所に決定的な違いが確実にある。それは、あなたは今のままでいいと思っていない、ということです。だから、ここに来た。もしかしたら、何かが変わるかもという希望を持って。  私の様子をただ見に来て、バレないようにマナーや社交辞令を教えて帰ったって、私が変わるだけで、何にもならないじゃないですか。仮にあなたの言う通り、私が変な対応をして、パーティーで女性達から憎まれることになっても、あなたはそんなくだらないことを娯楽にするような人ではないはずです。  あなたは、絶対に優しい。そうじゃないと、こんな行動はとらない。でも、怖がり。だからこそ、信頼関係の構築に慎重になって、常に人を見極めようとしている。  私は思っていることを言いました。あなたの思っていることも教えていただけませんか? 私のことをどう思ったかも含めて。そこで初めて『変わる』んだと思います」 「ぁ……ぁ……」  リーディアちゃんは、目を見開き、口も開いたまま、小さく震えていた。  シンシアが二人のメイドに対して、席を外すよう合図すると、すぐに彼女達は音を立てずに静かに部屋の外に出た。  リーディアちゃんの足はまだ震えている。 「まだ怖いですか? じゃあ……」  アースリーちゃんが震えているリーディアちゃんに近づき、彼女を正面から優しく抱き締めた。身長はアースリーちゃんの方が高いので、自然と彼女の胸の当たりにリーディアちゃんの顔が来る形だ。 「ほ、本当に……本当にいいの?」 「うん、いいよ」  リーディアちゃんは気が動転しているようで、何を言っているかすぐには理解できなかったが、おそらく、アースリーちゃんのことを本当に信用していいかどうかを聞いたのだろう。  それを知ってか知らずか、アースリーちゃんは肯定した。その短い言葉でさえも、聖母の全てを包み込むような優しさを感じた。 「アースリー……あなたを初めて見た時、かわいくて、優しそうで、この子は私が守らなきゃってすぐに思った。なのにそう言い出せなくて……。あなたと実際に話すと、やっぱり優しくて、でも私よりもずっと強くて……何より、全部本音で私にぶつかってきてくれた……私、あなたと友達になりたい……」 「うん、私もあなたと友達になりたい。綺麗で優しくて、シンシアさんも言ってたけど、本当に見惚れちゃうほどのオーラを放ってるよ、リーディアちゃん……やっぱり、リーちゃんって呼ぼうかな」 「ありがとう。じゃあ、私はアーちゃんって呼ぶね。アーちゃん」  二人は抱き合いながら、頭をくっつけて、お互いの愛称を何度も呼び合っていた。 「じゃあ、私も友達だな」 「ええ、もちろん!」  シンシアがリーディアちゃんに向けて言うと、リーディアちゃんは嬉しそうな表情で返事をした。 「アースリーちゃんは、もうほとんどカウンセラーだな。シンシアのことも元気付けていたし」 「また良い光景を拝ませてもらったなぁ。でも、覚醒したアースリーちゃんがいれば、あたし達の役目が一つなくなっちゃうんじゃない?」 「やることは変わらないさ。事前に話がついていれば、最初から思い切りできるようになるかもしれないし」  俺とゆうが話していると、全員がソファーまで移動して座り、リーディアちゃんがアースリーちゃんとシンシアに事情を語り出した。  どうやら、リーディアちゃんが過去に他の貴族から何か言われたわけではなく、その場面を目撃しただけらしい。それはそうだ。辺境伯の娘に上から嫌味を言えるのは王家か公爵家ぐらいだからな。  しかし、パーティーではその目撃は全く珍しくなく、日常茶飯事と言ってもいい。毎回目撃することもそうだが、それを見ているだけで止めることができない自分の弱さに嫌気が差したということだ。  せめて、自分のことは自分で守ろうと、かつてシンシアと会ったあとぐらいから、貴族の女とはできるだけかかわらず、直接嫌味を言われないように、念のため性格が強めのキャラにイメチェンしたという経緯だ。  そのことからも分かる通り、彼女には潜在的に変身願望があったために、マナー講師に変装する案をすぐに思い付いたのだろう。  とりあえず、これで辺境伯の目的は達成された。あとは、催眠魔法の確認と朱のクリスタルの情報収集、パーティーを無事終えること、だな。 「アーちゃん、今夜はここで一緒に寝ていい?」  リーディアちゃんは、アースリーちゃんの左腕にしがみつきながら、甘えた声でおねだりするように言った。 「シンシアさん、どうした方が良いと思う?」  アースリーちゃんがシンシアに意見を聞いた。リーディアちゃんは、アースリーちゃんの言葉の意味が分からず、不思議そうに二人を見ていた。 「リーディア、経緯はあとで話すが、アースリーはレドリー卿を暗殺するための催眠魔法がかけられている可能性がある。暗殺のために娘の君が利用されるかもしれないから、今日はまだ危険なんだ。今は人目に付くし、私もいるから行動に移さないのかもしれない。  だが、人知れず君に何かあった時点で、君が周りにどう説得しようと、アースリーの立場は危うくなるだろう。  仮にこの部屋で寝るとしても、私が眠ってすぐに反応できないと困るから、アースリーとは離れて寝てもらうことになるが、それではこの部屋で寝る意味がないと思う。  一応、方法がないわけではない。アースリーを縛り付ければ、何もできないだろうが、それでは彼女が酷だし、奇妙な構図にもなってしまう。明日の魔法使い確認後なら大丈夫だが」 「そんな魔法が……分かりました。お父様には、そのことを伝えてかまいませんか?」  シンシアの説明に対して、リーディアちゃんは真剣な顔になり、貴族としてのフォーマルなやり取りに切り替えた。  シンシアとアースリーちゃんが同時に頷くと、リーディアちゃんがソファーから立ち上がった。 「アーちゃん、明日からいっぱい仲良くしようね」  リーディアちゃんが、友達であることに変わりないことを誤解のないように付け加えると、アースリーちゃんが考え込んだ。 「縛り付ける、か……。ちょっと待ってて」  アースリーちゃんがベッドに近づいてきて、何かを調べるような素振りをしたあと、ベッド横でしゃがんで、誰にも見えないように、聞こえないように俺達に話しかけてきた。 「シュウちゃん、リーちゃんと一緒に寝る時、私を拘束してくれる? ダメなら否定して」  それなら大丈夫だと俺は小さく頷いた。アースリーちゃんの感謝の言葉が小さく聞こると、彼女は元の場所に戻っていった。 「それじゃあ、シンシアさん、寝る時に私を縛り付けてくれる? ベッドも大丈夫そうな形だったし、縛り付ける物はこっちで持ってるから。リーちゃん、それで一緒に寝よう」 「え⁉ アーちゃん、本当にそれでいいの?」  思いもよらなかったアースリーちゃんの提案に、リーディアちゃんは驚きを隠せなかった。 「うん。私、一度縛られて寝てみたかったんだー」 「……ぷっ、あはははは! 分かった、一緒に寝よ! ありがとう、アーちゃん!」  アースリーちゃんの冗談に対して、リーディアちゃんの満面の笑みが眩しかった。多分、冗談ではなく、本気で思っているような気はするが……。 「では、話が一区切り着いたところで、マナー講習の続きをしましょうか。料理は流石に冷めちゃったかしら……」  リーディアちゃんが仕切り直すと、シンシアが席を外したメイド達に声をかけようと扉を開けた。  すると、新しい料理用のワゴンを持ってきたメイドがそこにいた。有能なメイド達だ。 「あなた達……ありがとう。私、友達が二人できたのよ。それも、とっても大切な……」 「おめでとうございます! リーディア様!」  笑顔で話すリーディアちゃんの言葉に、二人のメイドが涙ぐんで祝福の言葉を返した。それを見て、リーディアちゃんも涙ぐんでいるようだった。  リーディアちゃんとこの二人も友達になれそうな気はするが、立場上、メイド達の方に迷惑がかかるから、彼女からは積極的に友達になろうとしなかったのだろう。しかし、お互いに信頼はしているようだ。もしかしたら、メイド達からも背中を押されていたのかもしれないな。  それから、マナー講習兼食事会は和やかに進み、明日の予定を確認後、リーディアちゃん達と別れた。  アースリーちゃんは、明日もマナー講習全般とダンスレッスン、それにドレス合わせが用意されていて忙しい。  特にダンスレッスンは、リーディアちゃんによると、ダンスが得意な兄達に、できるだけ見劣りしないようにする必要があるとのことで、念入りに行われるとのことだ。  パーティーまでは三日あるが、その間の食事は三食付いているし、着替えは下着を含めて用意されている。国賓待遇でなかったとしても至れり尽くせりだ。  入浴はメイドが付いて、体も髪も隅々まで洗ってくれる。二人のスタイルの良さに、同性であってもメイドは息を呑んでいたそうだ。特に、アースリーちゃんの胸を見たメイドは、声を上擦らせ、神と邂逅したかのごとく固まっていたらしい。俺もそうだったからな。  入浴後はマッサージで、あまりの気持ち良さに二人ともそのまま眠ってしまいそうだった。  マッサージが終わって、作戦会議を終えた俺達がベッド上で寛いでいると、リーディアちゃんが約束通り部屋を訪ねてきた。  俺達はベッド下に隠れた。ベッド上が見える天井にもすでに触手を配置している。  彼女の装いは、二人と同様に白く薄いレースのパジャマに、カーディガンを羽織っており、オーラを感じるまでもなく、完全にお嬢様だった。両手には、服を着た熊のぬいぐるみを大事そうに抱えている。 「こんばんは。催眠の話だけど、お父様に伝えたら、明日の朝、遅くても明後日までには魔法使いを紹介してくれるって。時間が指定できないのは、その魔法使いの都合次第だって」 「ありがとう。魔法使いとは、門にいた魔法使いか?」  シンシアが魔法使いの人数を知るための質問した。 「いえ、もう一人、女魔法使いがいるの。顔立ちは整っていたけど、最初に会った時から目の隈がすごくて、明らかに寝不足の様子だったから、大丈夫かしらと思っていたのよ。  でも、とても優秀みたいで、短期契約だけど、今回の居住可能域拡大パーティーも、彼女のおかげで普通より早く開催できるんだってお父様がおっしゃっていたわ。  その辺の魔法使いより、一度に張る結界が大きくて、しかも早いって。腕も立つから、結界外に出ても護衛が全くいらないそうよ。お父様、魔法や朱のクリスタルのことになると、かなり早口で熱く語ってくるから、話を切り上げるのに大変なのよね……。  まあ、それはそうと、彼女に頼めば、きっと解決できるだろうって自信満々におっしゃっていたわ。  でも、彼女が結界を張り終わったのは昨日の夕方だから、無理を言うのは十分休んでもらってからにしたいということで、彼女の都合次第ってことみたい。  あ、パーティー開催日の直前すぎっていうわけじゃなくて、予定以上の結界を張ってくれたらしいわ。お父様は、本当は長期で契約したいけど、向こうが固辞したから仕方ないと残念がってもいたわ」  辺境伯への愛の愚痴も混じってはいたが、リーディアちゃんの詳細な報告は、とてもありがたい。  話を聞く限り、女魔法使いの魔力量は多いようだ。クリスタルの恩恵を受けたユキちゃんほどではないにしろ、高いに越したことはない。催眠魔法の解除には魔力量が影響するからだ。万が一、催眠魔法に詳しくなかった場合は、俺達がユキちゃんに口頭で教えてもらって、その魔法使いに伝えよう。 「リーちゃん、連絡と報告ありがとう。それじゃあ、なんで催眠魔法がかけられている疑いがあるのかについてと、私とシンシアさんが仲良くなった経緯も話しておくね」  アースリーちゃんが、今はまだ話せないこと、絶対に話せないことを除いて、リーディアちゃんに経緯を話した。  アースリーちゃんの説明を聞いていると、やはり彼女も頭が良いことを再認識させられる。自分の力不足を感じて、カウンセラーとしてだけじゃなく、さらに覚醒したのだろうか。  それは、シンシアも同様だ。詳しくは聞いていないが、最低でも伯爵以上の上流貴族の英才教育もあるだろうし、ましてや若くして騎士団のトップに上り詰めた存在だ。今になって思うと、剣技や性格だけの評価ではないのだろう。アースリーちゃんへの気遣いはもちろん、リーディアちゃんの変装をすぐに見破り、確度の高い推察までやってのけた。頭の回転が速くないとできないことだ。  イリスちゃんの影響もあるのかもしれない。話し方や説明の展開が、彼女に似てきている気がする。彼女の才能を目の当たりにすると、どうしても彼女に憧れざるを得ない。その憧れに近づこうと思って近づけるのも、一つの才能だ。普通は遠い存在として、近づくことを諦めてしまう。  この旅を通じて、彼女達が非常に頼もしい存在であることが分かり、嬉しいと思うと同時に、二人を見くびっていた自分が愚かで恥ずかしくも感じる。二人に恥じぬよう、俺もしっかりしないといけないな。 「アーちゃん、私からも謝らせて。お父様の軽はずみな招待で、あなたを不安にさせてしまったこと、本当に申し訳ありません」 「いいんだよ、リーちゃん、ありがとう。でもね、今はそれで本当に良かったって思ってるんだよ。辺境伯には感謝してるぐらい。ここで、実際にお話ししてみて、素晴らしい方だって分かったし、リーちゃんと会えて、大切な友達にもなれた。これ以上のことはないよ」  リーディアちゃんは当然悪くないのだが、シンシアが言った通り、相手の謝罪をそのまま受け止めることも大事だという言葉を忘れていないアースリーちゃんが、その言葉を否定せずに許し、笑顔で前向きな意見を言うことで、リーディアちゃんの心も晴れるというものだ。流石、カウンセラー。 「ありがとう、そう言ってもらえると嬉しい。私からは、お父様を叱ると同時に、お父様への感謝の言葉、アメとムチを差し上げたいと思います」  リーディアちゃんがアースリーちゃんに抱き付いて言った言葉にみんなが笑い、談笑が続いた。



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