俺達と女の子達が情報共有して今後の行動を決定する話(1/2)

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 八日目の朝、ユキちゃんが目覚めた。 「ぅ……ん……」  俺達は彼女の頬を舐めて、昨日の出来事が夢ではなかったと暗に伝えた。 「触手さん……。おはよう…………あはは、ちゃんと足も動くよ。良かったぁ……本当に……嬉しい……」  ユキちゃんは、何度目かの涙を流した。何度だって泣いていいよ。 「また泣いちゃった……お母さん、呼んでいい? えっと、隠れる場所はベッド下かな?」  俺達はベッド下に隠れ、様子を見守ることにした。 「ふぅ……、よし! お母さん! お母さん! 起きて! 見て!」  ユキちゃんは深呼吸をすると、ベッドから立ち上がり、壁越しに母親を大声で呼んだ。 「どうしたの? ユキ…………えっ⁉」 「見て、お母さん! 私、歩けるようになったんだよ! ほら! 見て!」  信じられないものを見たような反応をする母親に対して、おもちゃを買ってもらった子どものようにはしゃいでいるユキちゃん。しかし、二人の表情は、同じように、次第に崩れていった。 「あ……あ……」 「ほら……お母さんに……ずっと……見せたかった……やっと……見せられる……」  二人は、勢い良く流れる涙を隠そうともしない。ヨロヨロと近づく母親に、同じく近づくユキちゃんが手を伸ばし抱き寄せた。 「お母さん、今までありがとう……! 私、もう大丈夫だから……! 一人でも歩けるから!」 「うん……! うん……! 良かった……! 本当に良かった……!」  しばらくの間、二人は抱き合っていた。父親も仕事から戻ってきたら、さぞ喜ぶだろう。両親からすれば、たとえ歩けなくても最愛の娘であることに変わりはないが、歩けないよりは歩ける方が嬉しいに決まっている。『愛』と『喜び』はまた別なのだ。  二人が落ち着いた頃、どうして歩けるようになったかを聞かれたユキちゃんが、前もって俺達が伝えていた説明をし、詳しくはイリスちゃんからということにして、母親は居間で朝食の支度をすることになった。  俺もユキちゃんもイリスちゃんに丸投げした形になったが、彼女なら上手くやってくれるだろう。  十時頃になって、イリスちゃんとアースリーちゃんがユキちゃんの家を訪れた。ユキちゃんの母親から、泣いて感謝されたイリスちゃんだが、どういう暗示だったのかを聞かれたイリスちゃんは、『この世界で最も愛する人を思い浮かべて、その人に近づいていくイメージです。それは家族や親友ではダメで、時に優しく、時に厳しい人であるべきです。そういう人が身近にいないのであれば、架空の人物でもかまいません。ただし、強い想像力が必要です、って誰かが言っていたのを思い出したので、昨日伝えに来ました』と咄嗟に言ってくれた。  いやホント、『どういう暗示だったの?』としか聞かれてないのに、これまでなぜ上手く行かなかったのかや、恥ずかしくて言えないということまで汲んでくれるのは、実に気持ちが良い。 「ユキお姉ちゃん!」 「ユキちゃん!」 「二人とも……心配かけてごめんね」  部屋で立ち上がって二人を迎えたユキちゃんを、イリスちゃんとアースリーちゃんが優しく抱き締めた。全員泣いているようだ。それぞれを目の前にして、さらに実感できたのだろう。 「イリスちゃん、ありがとう。イリスちゃんが触手さんに私のことを教えてくれたんでしょ?」 「うん。でも、私が思った以上に触手さんが頑張ってくれたんだよ。本当にすごいよ。私だけじゃ何一つ解決しなかった。それどころか、ユキお姉ちゃんもアースリーお姉ちゃんも、どうなってたか分からない。  触手さん、改めて、大好きな二人を助けてくれてありがとう。多分、二人から言われてると思うけど、私からも言わせて。  あなたのことが、あなた達のことが好き。あなた達と別れたくない。みんなで、ずっと一緒にこの幸せを感じて生きていきたい。  断っても無駄だよ。絶対にそうするからね」  イリスちゃんは笑顔で明るく告白の言葉を締めた。初めて出会ってからこれまで、彼女は必ず一線を引いていた。俺達と初めて話した時は、いの一番に俺達と別れることになるのかを聞き、そうであるならと、俺達に愛称をつけることなく、常に『触手さん』と呼び、『大好き』と言っても、それは友達としての好きだった。とは言え、唯一、気持ちを抑えられない場面はあったが……。  大切な二人のどちらかでも救えなかった場合、それに気付くのが遅れた、あるいは何もできなかった彼女は、自分が幸せになるわけにはいかないと遠慮していたのだろう。そんな賢くて優しい彼女が、親しいながらも周りの目を気にせず、真っ直ぐな気持ちを伝えてくれた。断れるわけがない。ただ、断った場合に、天才がどういう手を打ってくるか興味はあるが……。  俺は砂でメッセージを貼り付けた。 『ありがとう。俺達もイリスちゃんのことが大好きだ。そして、みんなと一緒にいたい。これからどうしていくか、みんなで考えよう』  俺やゆうが一人の人間だったら、あるいは、一夫一妻制が当たり前の社会であれば、このような結論にはならなかっただろう。  幸いにも、俺達は触手でその数を増やせるし、セフ村は自給自足で成り立っているし、さらに稼ぎが必要であれば、イリスちゃんに何か発明してもらえばいい。俺達はと言うと、ヒモだ。触手だけに。まあ、生活に困ることはないだろう。 「あの、触手さんに聞きたかったことがあるんだけど……。触手さんの子どもを産みたい場合はどうすればいい?」 「ぶっ‼」  アースリーちゃんの質問に、俺達は吹き出した。イリスちゃんとユキちゃんも、それを聞きたかったかのようにこちらを向いている。本気だ。彼女達は本気だ。 「とりあえず、俺が彼女達に説明しよう。ゆうは、念のため監視を…………なっ⁉」  俺がゆうに監視用の触手で警戒に当たるよう頼もうとしたその時、別の場所でチートスキル警告が表示された。 「触手さん?」  固まった俺達をアースリーちゃんは不思議そうに見ている。俺はすぐに『ちょっと待って』と砂で示して、その場で再度固まった。 「お兄ちゃん、あの人……」  チートスキル警告が表示されたのは、再度、森に入って俺達を探す女冒険者だった。 「『チートスキル:武神』、戦闘時に攻撃を受けない最適な動きを無意識でできる。武器を持っていなくても可能……って、いやいや、攻撃受けて剣落としてたじゃん! そのあと、あたし達に捕まってたじゃん!」  ゆうのツッコミに俺も同意したいが、おそらくユキちゃんと同じ理由だろう。 「一時的に使えなかったんだろうな。精神状態が大きく影響して、何らかの条件を満たすと再度使えるようになるのかもしれない。彼女は、俺達と会った時には元気がなく、絶望感すら見て取れた。別れる時は精神状態が良くなっていたが、チートスキル警告はなかった。その後、条件を満たしたんだろう。  それにしても、他の触手達は、このスキルをよく解読できたな。かなりの犠牲が必要だったんじゃないか?」 「感心してる場合か! どうするの? 仲間にするんだよね?」 「ああ。このチートスキルは一朝一夕で身に付けられるものではないし、スキル自体が最強だ。文句なく強いだろう。魔法なしの戦闘に関しては、世界一の可能性もある。  何より、今の彼女は俺達に敵意がない。最初の時と違って、剣を抜かずに俺達を探しているからだ。残るは人柄だが、これはイリスちゃんとアースリーちゃんが確認するということになっていた。まずは、イリスちゃんに相談しよう」  俺達は、イリスちゃん含めて全員に現状を伝えた。 「それじゃあ、ここに来てもらおうか。ユキお姉ちゃん、いいかな? さっきの話の続きも、チートスキルの話も、仲間になるって決まったあとに全員で聞いた方が効率が良いし。  触手さん、その人に伝える砂のメッセージの作成方法なんだけど、『コ』の字になって、上から下に砂を落とす方法は考えたことあるよね?  できない場合は、地面に砂を落とせる所に誘導して、『宿屋の前で待ってる女の子とこれからのことを話して』って伝えてほしい。私が行って連れてくるから。その前に、触手さんのことやこれまでの事をユキお姉ちゃんに説明するね」  イリスちゃんの思い切った提案に少し驚いたが、全部お任せすれば問題ない。『コ』の字式については、とある理由で採用していない。君も考えてみよう!  「イリスちゃん、この時点ですごさを感じる……。天才だったんだね。いいよ、みんなで話そう」  全員ベッドに腰掛けた上で、イリスちゃんはユキちゃんに必要な部分を全て説明した。 「アーちゃん、ごめんね。私、アーちゃんがそんなに悩んでたこと知らなかった」 「ううん、私だってユキちゃんが深刻な状態になってるって思わなかった。ごめんね。結局、私は何もできなかった」  二人は抱き合い、お互いを慰め合っていた。  その頃には、俺達も女冒険者を誘導し、メッセージを伝え終わっていた。誘導時、女は戸惑っていたが、メッセージを見るとすぐに従ってくれた。  到着予定時刻をイリスちゃんに伝え、彼女はそれに合わせて待ち合わせ場所に向かった。ここから宿屋までは徒歩五分だ。彼女のことだから、ここに来るまでに大体の話はついてるんじゃないかとも思う。 「あ、来たみたい」  ユキちゃんが遠くから聞こえるイリスちゃんの声に気付いた。いや、なんで分かった?   感覚を研ぎ澄ますことができる俺達でさえギリギリ聞こえる声量なのに。ユキちゃんに聞いてみた。 「音じゃないよ。昨日の夕方から使ってる魔力感知。魔法を使えなくても、基本的に誰でも魔力を持ってるから、その特徴を覚えて、追いかけて感じてるだけ。……えーっと、魔力感知自体はできる人いると思うけど、追跡できるのは多分私だけ。私が作ったから。  いつもは使い続けてると魔力不足で疲れちゃうんだけど、あれから調子良いみたい。これも触手さんのおかげなのかな。世の中には町一つ滅ぼせる魔力量を持った人もいるらしいけど、私は全然」  世界で一人しか使えない魔法を創造できるのは、チートスキルだと思うのだが、そうじゃないのか?  チートスキルを二つ持っていると、一つしか表示されないとか?  それとも、俺達の理解が不十分で本質を捉えられていないのか?  疑問はまだある。昨日、魔力感知で俺達の存在に気付いていなかったのであれば、俺達には全く魔力がないことになる。『魔法反射』はまだ取得していない。  スキルツリーには高レベルで取得できる『魔法』があるが、スキル取得時に魔力が付与されるということなのか? 少なくともそんな説明はなかった。 「元々は自分の魔力の流れと完全に調和する回復魔法があれば、足が治るかもって思って、その経緯で作ったんだよね。足に流れる魔力を見たかったっていうのが最初。そしたら、魔力が乱れてたから、それを何とかしようとしたけどできなかった」 「ただいまー」  イリスちゃんが女と一緒に部屋に入ってきた。この話はあとだ。 「こちら、シンシアさんです。ジャスティ国騎士団長で、国内だけでなく世界からも一騎当千の強さと言われているそうです。ちなみに、十九歳です」 「よろしく」 「やっぱり、女騎士じゃん!」  何がやっぱりなのか分からないが、ゆうは自分の間違いを勝手に改変した。  それにしても、まさか本当に女騎士だったとは……。しかも若くして騎士団長。チートスキル持ちなら当然か。だが、組織運営もしなければいけないから、経験が少ないと大変そうだ。  『シンシア』という名前は現代でもよく見る名で、この世界で初めてそのまま英語の発音で呼べる名だ。アクセントは違うが。 「あ、あの、私、昨日お会いした村長の娘のアースリーです。騎士団長とは存じ上げませんでした。なぜセフ村に?」 「それは私から説明するね。その前に紹介を。こちらがユキお姉ちゃんです。魔法使いですが、他の人には内緒です。そして、触手さん。アースリーお姉ちゃんもユキお姉ちゃんも、シンシアさんと同じく触手さんに助けられました」  俺達はシンシアちゃんにペコリとお辞儀をした。 「触手様! お会いしたかったです! ああ、触手様……どうぞ私めのことはシンシアとお呼びください!」  彼女は俺達にいきなり抱き付いて、頬擦りしてきた。想像していたキャラと違うが、どうやら俺達は、尊敬または崇拝の対象となったようだ。  イリスちゃんの説明とシンシアの補足によると、彼女は部下に裏切られ、朱のクリスタルの保管責任と国家予算横領の二つの罪を被せられた。  クリスタルについては、これは一部の者しか知らないが、輝きが失われ、ただの石になったようだ。すり替えられた説も出ている。  もちろん、彼女はそれらの冤罪を主張したものの、誰からも擁護されず、信用は失墜してしまった。  国王への姫の進言により、即時処分は免れたが、団長は一時解任され、一ヶ月間の真相究明任務を言い渡された。  とりあえず、横領に関する調査を進め、手がかりを追ってセフ村に来たが、そこで途切れてしまっていて、途方に暮れていた。  現実逃避と自暴自棄で大蛇退治に行ってみたら俺達に会った、ということだった。  横領についてもう少し詳しく言うと、シンシアと交流のあった城下町の孤児院に金が流れていたのだが、その手がかりとは、そこで経理をしていた『コレソ=カセーサ』という人物だ。  城下町では足取りが全く掴めなかったらしいが、セフ村出身とのことで、ここに来てから村長や他の村人に聞いてはみたものの、知らないと言われた。  コレソの名前が英語圏の発音でないことと関係があるのかは分からないが、名前も出身も嘘だったことに気付いて、彼女は絶望したのだろう。 「質問いいですか? 孤児院長は何らかの処分を受けましたか?」  イリスちゃんが質問した。 「……いや、受けていない。予定もないと思う」 「それじゃあ、『クリス』という人、あるいは似た名前に心当たりは? あ、私は除外してくださいね」 「え……? いや、ないな……。なぜその名前を?」 「『コレソ』は『クリス』の偽名である可能性が高いからです。おそらく、コレソだけでなく複数の偽名を各地で使っている可能性があります。でも、結局、調査は困難ですね。と言うより、時間が足りない」 「イリス……君は何者なんだ? ここに来るまでもそうだったが、子どもの言動とはとても思えない」 「イリスちゃんは天才なんです。私からすれば、触手さんやユキちゃんも天才だけど」  アースリーちゃんが補足した。俺達は流石にイリスちゃんに敵わない。『クリス』にも辿り着けなかった。  言われてみれば、五十音をそれぞれ二つ戻すだけの簡単な偽名で、その作成方法の容易さから複数使用が前提となっていることも分かる。やはり、発想力と思考速度が桁違いだ……。  いや、待てよ。なんで五十音が前提となっているんだ?  いよいよ、この世界の発音規則を勉強しなければいけないな。似た名前が多いのも何か関係があるのかもしれない。 「少し調べれば分かるのに、雑な罪の着せ方を王様が信じた話と院長の未処分の話から、王様の考え方は二通りのどちらかです。  一つは、王様もあなたを貶めようとしている。  もう一つは、国内のスパイを炙り出そうとしている。  前者の場合は、あなたに代わる戦力をすでに用意しているはずです。用意していない場合は国外の誰かに操られている可能性があります。  後者の場合は、王様や姫様から何か示唆されているかもしれません。それに心当たりは?」 「うーん……。あるとすれば、姫が『どうにもならなかったら一度城に戻ってきて』とおっしゃっていたが、何の成果も得られずに、のこのこと戻れるわけもなく今に至る……かな。スパイを炙り出すことと私が半分追放されたのは、どういう繋がりがあるんだ?」 「王様は、一時的にでもあなたが城からいなくなれば、スパイの動きが活発になると踏んでいるのだと思います。そこを一網打尽にする。  副産物として、シンシアさんの真相究明調査が、実はスパイ調査を兼ねていると悟られにくいことでしょうか。スパイを特定する必要はなく、スパイがいると公言できれば、国としても動きやすい。  なぜ、そう考えたのかと言うと、普通は疑いのある者は謹慎か禁錮にして、別の部隊に調査を任せるはずだからです。  一方、スパイ側の立場で考えると、場合によっては、あなたの動きがスパイに監視されている可能性があります。シンシアさんが城あるいは城下町の外にいる必要があるので。  一応言っておきますが、王様が積極的にあなたを追放したのではなくて、部下から告発された時はこうせざるを得ないという立場だったと思います」  イリスちゃんは、スパイ炙り出し説が有力だと思っているようだ。  国王が単に無能でない限りは、俺もそう思う。シンシアの代わりがいるとは思えない。国王としては、国力が著しく低下するのは避けなければならない。また、国王が誰かに操られていないことは、姫と話がついているだろうことから分かる。 「し、しかし、そのことに私が気付かず、そのまま城に戻らず逃げていたら、あるいは期限ギリギリに戻って、陛下の御前で生き恥を晒したら? 現にその可能性が高かった」 「あなたを信じていたんだと思います。王様も姫様も。ただ、騎士の誇りは理解していなかったかもしれません」 「あ……う……私はそんなこととは露知らず、忠誠を誓ったはずの王や姫さえも信じずに、絶望に浸っていたのか……。なんて愚かなんだ……」  シンシアは、両手で頭を抱えて膝から崩れ落ちた。 「今の話は、あくまで仮説なので、実際はどうなのか分かりません。でも、私は逆に希望を持ちました。私の仮説が正しければ、王様も姫様も非常に聡明で、国のことを想い、そして人を思いやる気持ちをお持ちでいらっしゃる。  だからこそ、それらが複雑に絡み合って、その意図に気付きにくくなってしまった。特に、追い詰められた人には。  愚かではありませんよ。それに、もう大丈夫です。触手さんも私達もいますから。  触手さん、改めてシンシアさんを仲間に加えることを提案するね」  俺は『Y』と返事した。 「じゃあ、朱のクリスタルはどうする? 石になっちゃったけど。シンシアさんに説明すると、触手さんは朱のクリスタルを手に入れたいの。と言っても、ずっと必要かどうか分からないから、ちょっと借りるだけかも。でも、石の場合に効力を発揮するかどうか……」 「何に使うかはあとで聞くとして、それなら、レドリー辺境伯に一度聞いてみると良いのでは? あの方は、朱のクリスタルに詳しいらしい」  辺境伯の爵位名は『レドリー』と言うのか。  イリスちゃんの俺達への質問に、代わりにシンシアが答えた。 「え、そうなんですか? 丁度、アースリーお姉ちゃんがパーティーに誘われてるんです。触手さんも付いていくので、シンシアさんがその護衛に付いてくれればと思って声をかけました」 「それは私からも是非お願いしたい。元々、私をお供にしていただくために触手様を探していたのだ」 「ありがとうございます。それじゃあ、質問や気になったこと誰かある? なければ次の話題に」  俺は砂を使ってメッセージを書いた。 『チートスキルを持つ二人に共通していることがある。輝く宝石を持っていること。どうやって手に入れたか教えてほしい』 「あ、ホントだ。青っぽくもあるし緑っぽくもある色の宝石がシンシアさんの剣に埋め込まれてる! 碧色って言うのかな?」  シンシアの近くにいたイリスちゃんが、右から左に回り込み、剣を覗き込んで確認した。  イリスちゃんなら気付いていると思ったが、常にシンシアの右側にいたから見えなかったのか。確かに、もし剣を抜く場面になって、左側にいたら危ないからな。 「私は、子供の頃、十三歳の時にお父様から誕生日プレゼントでいただきました。お父様は我が領の武器屋で買ったと言っていました」  シンシアは、俺達に丁寧な物言いで、入手経路を教えてくれた。 「私は、確か七歳ぐらいだったかな。海岸で宝石だけ拾って、誰が落としたか分からなかったから、そのままネックレスに加工してもらっちゃった。村人全員に聞いたんだよ。でも、実はそれ以外にもいくつか宝石拾ったことあるんだよね。多分、普通の宝石だったと思うけど」  さあ、イリスちゃん。後は頼んだ。 「…………」  あれ? イリスちゃんは何も言わない。俺が空振ってしまったか。 「触手さんの考えてること、分かるよ。呪いと関係あるかを知りたいんだよね。でも、実はシンシアさんには、これまで生きてきた中で、体に異変がなかったかって質問は、ここに来る途中でしたんだよね。そしたら、何もなかったって。宝石の有無で聞いたわけじゃなくて、チートスキルの有無で聞いたんだけどね。  あとは、親族以外で大切な人の精神が病んだりしてないかも聞いたけど、なかった、と言うよりは、そこまで大切な人がいなかったって。だから、まだ何とも言えないって感じ。  ただ、宝石持ちがチートスキル持ちっていうのは、今のところ否定できない。その場合は、これらの宝石は特殊な宝石、つまり『紫のクリスタル』と『碧のクリスタル』か、あるいは別の何かってことになる。  でも、少なくとも私達は朱のクリスタルしか存在を知らないし、他のクリスタルが存在するって世の中に知られたら、大変なことになる。  なぜなら、クリスタルを一定期間所持すると、漏れなくチートスキル持ちになる特典を得られる可能性があるから。  一定期間っていうのは、もしすぐに得られるのであれば、シンシアさんが十三歳の時に宝石が埋め込まれた剣をもらった時点で、最年少の世界最強の剣士として有名になっているはずだけど、そうじゃなかったから。  私の印象だと、チートスキル持ちは一人で国を壊滅させることができるレベルだから、ここに二人いることがおかしい。チートスキルの概念と他のクリスタルの存在は、絶対に知られてはいけないと思う。簡単に世界が崩壊しちゃう」  触神様が他のクリスタルについて教えてくれなかったのは、そういうことだったのか。下手に存在を知ってしまうと、軽々しく現地の人に聞いちゃったり、話しちゃったりするのを恐れたからだろう。 「ユキお姉ちゃん、今更だけど私達の今の会話が盗み聞きされてるか分かる魔法って使える?」 「えーっと、盗み聞きっていうピンポイントではないけど、私達の周囲に魔法が展開されているか分かる魔法なら」 「うん、それでいい。この会話で魔法を解いた場合もあるから、魔法使用の痕跡も分かればいいけど、分からないよね? あと、できればそれをずっと維持しててほしいけど……無理はしないで」 「いや、実はもうやってて……。と言うか、使ってるのは空間魔力感知魔法なんだけど、イリスちゃんがシンシアさんを迎えに行ってからずっと使いっ放しでも、全く疲れないんだよね。最初は、触手さんのおかげで調子が良いからって思ってたけど、もしかしてチートスキルかな?」 「ユキお姉ちゃん、すごい……。そうなんだ……。チートスキルの可能性はある……けど……シンシアさん、異変がなかったていうのは聞きましたけど、ある時から力が強くなったり、素早く動けるようになったりしましたか?」 「あまり意識したことはなかったな……多分、急激にってことはなかった。でも、常人離れしている、と次第に多く言われるようになっていった。ちなみに、リンゴは片手で軽く潰せる」  ゴリラか! でも、俺達が接触した時はそんなに力があるように感じなかった。  力の制御が可能なのかも含めて聞いてみた。 「日常生活に支障なく、力を制御できています。それと、あの時は、絶望による諦めと……その……半分、期待というか……この際、触手に陵辱されてから死ぬのも悪くないと思って、ほとんど力を入れてませんでした。  でも、剣を落とされたのは、本当に不意を突かれました。その時の私は、音も気配も感じられませんでしたし、常にすごい握力で柄を握っていたわけでもありませんし」 「なるほどー。じゃあ、チートスキルとは別に、クリスタル所持者は身体能力や魔力量が徐々に向上するもので、暴走せずに制御可能。魔法使いは魔力量、そうでない者は身体能力が向上するのかもね。  本当にそうかは、あとでユキお姉ちゃんにりんごを握ってもらえばいいとして、お姉ちゃんの場合、足が動かなかった期間はチートスキルや能力が封印されていただけで、魔力量向上は続いていた。  条件が満たされたことで、その封印が解かれ、結果、チートスキルと向上後の魔力量が突然湧いたように使えるようになったってことかな。  そう考えると、触手さんの考えていた通り、やっぱりクリスタルには、メリットだけでなく、呪い、もといデメリットもあると思った方が良いね。そして、そのデメリットは、クリスタルによって異なり、自身の精神状態に影響を与える可能性もある。  周囲に与えるかは、私が影響を受けていないこともあって不明。デメリットが大きいほどメリットが大きい可能性もある。  つまり、ユキお姉ちゃんのデメリットは、クリスタルの力で筋肉を保つとしても、少なくともシンシアさんの碧のクリスタルよりも明らかに大きいから、魔法創造を含めてチートスキルを二つ持っていてもおかしくないし、一つだとしても、その効果は絶大だと思う。  こんな感じで仮説を立ててみたけど、どうかな? 触手さん」  俺は『流石イリスちゃん』と体に貼り付けた。 「ふふっ、触手さんの方がすごいんだよ。触手さんが得た情報と知識、そして挙げられるだけ挙げた可能性を、私が整理して結論をみんなに伝える。私は代弁者みたいなものだよ」 「参考までに、私のチートスキルを教えてほしいのと、私も使えなくなっていたとしたら、その条件とは何なのだろうか」  シンシアが、自分のチートスキルに興味を持つのは当たり前だ。自分では分からないのだから。  彼女の狙いはもう一つあり、条件を知ることで、再度同じ状況に陥らないように、そして、陥ってもすぐに再起できるようにするためだろう。 「条件の方から考えてみますか。でも、完全に特定するのは無理なので、あくまで想像です。  シンシアさんの話を聞く限り、裏切りに遭ったことで、『不信感』『絶望感』『諦め』の感情を持っていた。これらが、クリスタルによって負の方向に増長されたとすると、その逆、『信頼感』『希望』『前向きさ』を表す行動をすることが条件であると仮定します。  そうすると、最初の邂逅から事後はチートスキルが表示されていなかったことから、触手さんへの信心とも言える『信頼感』を抱いた上で、また会いたいという『希望』を捨てずに、改めて森に『進んだ』ことで条件が満たされた、とかでしょうか。  一方で、ユキお姉ちゃんの場合は、条件は大体分かってるから、感情の方を推察すると、いきなり足が動かなくなったり、どんな魔法を作っても効果がなかったことから、『焦り』や『戸惑い』の感情が含まれているような気がする。  嫉妬はしてないよね? 家族への申し訳なさは感謝の気持ちで相殺されるかな。最終的には絶望するけど、長期間、色々試していて、諦めてはいなかった。  お姉ちゃんが他に感情を抱いていたかは、条件達成から逆算するしかなくて、その時は、希望を持って『迷いなく』、『勇気』を出して足を踏み出したということだから、絶望はさっき言った理由で排除すると、『恐怖』とか『後ろ向き』とかかな。本人はそう思っていなくても、無意識でのことだと思う。そう考えると、シンシアさんとユキお姉ちゃんが抱いた感情は共通点があるね。  もう一つの質問の答え、シンシアさんのチートスキルは『武神』で、戦闘時に攻撃を受けない最適な動きを無意識でできる。武器を持っていなくても可能、だそうです。『戦闘』や『攻撃』はもしかすると適用範囲が広いかもしれません」 「おー」  その場の全員、俺達も含めて、イリスちゃんの推察に感心していた。常人の感情を理解できる天才って素晴らしいな。 「イリスちゃんの言う通りだよ。焦り、戸惑い、恐怖、後ろ向き、全部当てはまってた。恐怖は、足が仮に動いても、立ち上がれなかったら、動くだけでずっとそのままだったらどうしようっていう怖さだったと思う。ちょっとの希望でも絶望に変えたくなかったから。  触手さんから、足が動いてたって教えられた瞬間は、正直まだ戸惑ってたし怖かった。でも、触手さんがいてくれたら頑張れるってすぐに思えて、そしたら、一緒に頑張ろうって言ってくれたから、もう負の感情なんて全くなくなっちゃった……って、あはは、自分語りしちゃったね。何が言いたかったかっていうと、多分、シンシアさんの条件も当たってると思う」 「ありがとう、ユキお姉ちゃん。もしかしたら、他のクリスタル所持者も苦しんでるかもしれないね。その人達の場所が分かればいいんだけど……もしくは、クリスタル同士が引かれ合うみたいな性質があれば。ユキお姉ちゃんとシンシアさんがこの場にいるみたいに……あ、私も触手さんみたいな考えになってきたかも」  イリスちゃんはきっと褒め言葉を言ってくれたのだろう。僅かな可能性を妄想する癖を指摘したわけじゃないよね? 「うぅ……私、置いてけぼりだよ……みんなすごいよ……」  アースリーちゃんが悲しそうに両手の人差し指を合わせている。彼女が話に付いて行けないわけではない。話のネタがないのだ。 「あたしも置いてけぼりだよ~、アースリーちゃ~ん」  ゆうはアースリーちゃんに巻き付いてキスをした。前に重いタイプかもと言っていた割には好きなんだな、アースリーちゃんのこと。まあ、俺も今すぐにでも抱き付きたいが。 「ありがとう、触手さ~ん。慰め合おうね~」  アースリーちゃんは、ゆうの方がキスをしてきたことを察し、二人で抱き締め合ってイチャイチャしだした。  アースリーちゃんは、そこにいるだけで男子の目線が釘付けになるほどのすごい存在感があるから、気にすることないよって言ったら、間違いなくセクハラだろうな。  そんなバカなことを考えていると、ユキちゃんが恐る恐る右手を挙げた。 「あの……私、触手さんのこと、あだ名、と言うか愛称で呼びたいなって思うんだけど、いいかな? 『アーちゃん』みたいに。もしかすると、シンシアさんは呼ばないかもしれないけど」 「そうだなぁ……まずはユキの案を聞かせてくれ。それを改良して、敬意を持った呼び方になればそれで呼ぶのもありかな」 「私も賛成!」  シンシアとアースリーちゃんが同意して、ユキちゃんを促した。 「うん、私も賛成する。もう愛の告白して、ずっと一緒にいるって決めたからね」  イリスちゃんが、眩しい笑顔で俺達を見た。別れが辛くなるから、あだ名や愛称をつけるどころか、ずっと俺達兄妹の名前さえ聞かなかった彼女が、ついに決心したのだ。 「それじゃあ、黒板に書くよ」  ユキちゃんが黒板を持ち出し、チョークで書き始めた。あらかじめ考えていたのだろう。手の進みがスムーズだ。  そうだな、俺が触手に名付けるとしたら、触手だから、触手のしゅ、しゅー、しゅう、シュウ。女の子が呼びやすくてかわいらしい『シュウちゃん』にするかな。ローマ字の綴りは『y』の方で。英語にはない綴りと発音だが、俺とゆうの名前も入ってるし。 「愛称は……『シュウちゃん』にしよう! 綴りはこう!」 「は?」  俺は何が起きたか一瞬分からず、その事実をすぐには受け入れられなかった。ユキちゃんが俺達に名付けた愛称、それは俺が望んだ名であり、綴りも全く同じだった。  ありえない……。英語で触手はテンタクル。どこを取ってもシュウにはならない。俺と同じ発想なら『タクル』になるはずだ。命名規則や発音規則がどうのというレベルではない。  それに『ちゃん』がちゃんとそのままの発音で付いている。名前の後ろの敬称は日本語特有のものだ。ちなみに、イリスちゃんが俺達を呼んでいた『蛇さん』は、実際には『ミスタースネーク』と呼んでいて、『触手さん』は『ミスターテンタクル』、アースリーちゃんがイリスちゃんを呼ぶ時は『イリスィー』だ。  海外の人が日本に精通していて、日本人と交流する時に『さん』『ちゃん』をつけて呼ぶのはよくあることだが、この世界に日本のような国があり、この村との交流がある、あるいはユキちゃんがその慣習を知っている、ということなのだろうか。母親も正座をしていたことだし、ユキちゃんの髪もどちらかと言うと黒い。名前の発音規則が五十音に関係していることもそうだ。  そうでなければ、とんでもない確率になる。『シュウちゃん』がハイフンを除いてアルファベットで八文字だとすると、アルファベット数二十六の八乗で、文字数が一致する確率だし、例えば二十文字以内に収まる名前だとすると、残りが『文字なし』を含めた二十七を十二乗した数との乗算に、何文字目から始まるかの十二で除算した逆数になり、当然天文学的確率となる。  たとえ、ユキちゃんが小さい頃に宝石を見つけたラッキーガールだとしても、こんな確率を引き当てることなんてできないだろう。  この場合、ユキちゃんのチートスキルに関係していると思っていい。俺の考えを読んだわけではないことは明らかだ。しかし、俺の考えと一致した。それが最適だということかもしれない。 「シンシアさんは、『シュウ様』」  こっちは普通だな。『サーシュウ』と発音している。 「二人を区別する場合は、『シューくん』、『ユウちゃん』ね」  と思いきや、またもユキちゃんが、とんでもない確率を当ててきた。この場の誰一人、俺達兄妹のそれぞれの名前を知る者はいないのに。 「お兄ちゃん、これ、確認した方が良いよね。流石にあたし達の名前まで当てるのは、普通じゃあり得ないよ」 「ああ。確率に関しては、人の意志への影響も含めて、すぐに検証できる簡単な方法がある。じゃんけんだ。三すくみかどうかは分からないが、きっとあるだろう。終わったらイリスちゃんに何を出そうとしたのかと、実際に何を出したのかを教えてもらえばいい。イリスちゃんなら意図も察してくれるだろう」 「変えたい人いる? 触手さんもいい?」  ユキちゃんが確認すると、全員納得のサインを出した。  やはり、おかしい。どういう経緯でそう名付けたのかを誰も聞こうとせず、私もそう思ってたと言わんばかりの表情をみんなしている。  即座に俺は、ユキちゃんのチートスキルを確認すべく、メッセージを貼り付けた。 『ユキちゃんとイリスちゃんでじゃんけんして。先に十勝した方にイイコトしてあげるから』 「シュウちゃん、突然どうしたの?」  早速、俺を愛称で呼び、疑問を投げかけるユキちゃん。イリスちゃんはすぐに察したようだ。 「やったー! それじゃあ、ユキお姉ちゃん、じゃんけんしようか。私が黒板を綺麗にして勝敗表書くよ。手を抜かないでね。絶対、私が勝つから! じゃんけん…………」 「…………う、嘘……」  アースリーちゃんが信じられないといった表情で自分とユキちゃんの手を見ていた。  イリスちゃんとじゃんけんしたあと、私も私もと言って、シンシア、アースリーちゃんと続いてじゃんけんをした。結果はユキちゃんの全勝だった。しかも、あいこが一回もなかった。もちろん、ユキちゃんの動体視力や反射神経、洞察力がずば抜けているわけではない。 「シュウちゃん、そのまま体に貼り付けてみてくれる?」  イリスちゃんのリクエストに、俺は、ユキちゃんの頭上に最初のじゃんけん後から表示されているチートスキルの説明を、正確に翻訳して貼り付けた。 「『チートスキル:勇運』、自ら行動したことが幸運となる、か。なんか、この説明を見てると、ユキお姉ちゃんにピッタリって言うか、勇気を出して、一歩踏み出して幸せを掴み取った気がして嬉しくなるなぁ……」  イリスちゃんが説明の時でも珍しく感情を抑えられないのを見て、俺も嬉しくなった。ユキちゃんも笑顔で涙ぐんでいた。 「それはさておき……魔法創造とは無関係だったね。自ら行動していない時、例えばその場に何の意志もなく留まっている時は、幸運が起きないから、不意打ちや突然の事故には気を付ける必要はあるけど、完全に最強クラスのスキルだね。あらゆる場面で役に立つから。  ユキお姉ちゃんが宝石を何個も見つけることができたのもこのスキルのおかげだとすれば、スキル発現時期はかなり早いのかな。  そして、デメリットが時間差で来た。デメリットを克服したあとで、今の幸運があれば、再度デメリットを引き起こすことはないと思うけど、紫のクリスタルを手放した時にどうなるか分からないから、絶対に手放しちゃダメだよ」 「うん、分かった。ネックレスも自分で補強する。それとも、ネックレスじゃない方が良いかな? あまり変わらないかな」 「腕輪が理想かな。しかも、クリスタル部分が外にむき出しにならないような形状がベスト。もちろん、取り外し厳禁。魔法でそういうのを作成できればいいけどね」 「あー、その手の魔法は考えたことあるかな。自分用の歩行補助具があればって思い付いたけど、例の恐怖で魔法そのものを作るのを止めたんだよね」 「でも、ネックレス自体が大切なら、そのままでもかまわないよ。気を付ければいいだけだから」 「ううん、やってみる。これはもう私だけのことじゃないし、大好きなみんなとの大切な思い出でもあるから、絶対になくしたくない」 「分かった。それと、ユキお姉ちゃんが操られたり、私達に扮してお姉ちゃんを騙したりする人がいるかもしれない。合言葉は意味がないから、お姉ちゃんは見知らぬ人には安易に近づかないこと。  私達の誰かから不審なお願いをされた場合は、とりあえず理由を聞いて、お姉ちゃんが納得してないのにゴリ押してきたら、身の危険を避けるために了解したフリをして、その人と一緒に、目的を言わずに私達を探して、全員揃った上でそれを暴露すること。  間違いを恐れなくていいから。逆に、そのままにしたら大変なことになる」  統計学の検定で言うところの、『第一種の過誤』と『第二種の過誤』だ。  医者の診察でよく例えられるが、帰無仮説を『患者は癌ではない』とした場合に、『本当は癌であるのに癌ではないと診察してしまう』のが第一種の過誤、『癌ではないのに癌であると診察してしまう』のが第二種の過誤。新薬開発や裁判判決も同様だ。  これは深刻度の問題でなく、あくまで帰無仮説に対する過誤なので、例の帰無仮説が『患者は癌である』なら、第一種の過誤は『本当は癌ではないのに癌であると診察してしまう』ことになる。  イリスちゃんとユキちゃんのやり取りが一段落すると、イリスちゃんが切り替えて次の話題を振った。 「それじゃあ、あの話の続きをしようか、子どもの話」 「子どもの話とは?」  シンシアは、どう思うんだろうな。 「私達がシュウちゃんの子どもを産めるかどうかって話です」  最初にキッカケを作ったアースリーちゃんが答えた。 「なっ⁉ いや、それは何と言うか……恐れ多いと言うか……でも、もし……授かれるのなら……あぁ……うふふ……」  シンシアは、妄想を膨らませて、顔を赤らめながらモジモジしていた。これについては説明が長くなるので、黒板にチョークで書くことにした。一度では書き切れないので、消しては書きを繰り返したが、イリスちゃんが、それらを都度記憶して、まとめて説明してくれた。  彼女にはスキルツリーの全てを教えられればいいかもしれないが、量が多くて時間がかかりすぎること、俺自信で考えていきたいという意志から、今まで直近のスキルしか伝えてこなかった。イリスちゃんなら、きっと理解してくれるだろう。 「……なるほど。『精液』『母体改造』『遺伝子配合改造』スキルの取得が必要で、『精液』だけだと人間を孕ませることができなくて、『母体改造』までだと母親からはデフォルトで触手体の子どもが生まれて、『遺伝子配合改造』まで取得して、初めて人間ベースの触手人間が生まれる。配合率は一割から九割まで選べ、母体側に反映させる。  つまり、『母体改造』では触手以外の生物の子どもも産めるし、『遺伝子配合改造』では任意の『〇〇人間』を産めるようにできるのかな?  そして、それらを最短で全て取得するにはレベル三十五まで上げなきゃいけない。でも、他に取得したいものがあるから、実際には四十五レベルまで上げる必要がある。  ちなみに、子どもを早期出産、大量出産させる改造もあるけど、母親側が廃人になるからやらない方が良い、と。  遺伝子っていうのは、シュウちゃんの世界では当たり前に使われていた用語なんだね。細胞、染色体、DNA、遺伝子。生物の設計図かー。面白いね」 「良かったー。シュウちゃんの子ども産めるんだ……。じゃあ、問題はレベル上げかな?」  アースリーちゃんが安堵していたが、他のみんなも同じような表情をしていた。 「みんな、触手の出産願望があるんだなぁ」 「いや、明らかに触手一対人間九の触手人間でしょ。一割触手ってどんな感じなんだろう。両腕が触手とか? それだと一割微妙に超えてるから、肘から肩の間で調整するのかな」  俺に対して、ゆうはツッコミを入れつつ、誰でも思う疑問を抱いていた。 「気になることはまだある。普通の触手なら自在に両腕の触手を操れるだろうが、『触手体』の子どもだから、両腕のそれぞれに別々の人格が宿る可能性がある。その場合、俺達と同様に触神スペースを経由したコミュニケーションになるのかとか、喧嘩にならないか、とかが心配だ」  気が早い俺達の疑問は将来語るとして、イリスちゃんはアースリーちゃんの疑問に答えていた。 「大きな問題は二つ。アースリーお姉ちゃんが言ったことの他にもう一つ。いや、延長と言ってもいいかもしれない。  私達の子どもを迫害から守るために、触手人間が安心して住める国、最低でも村を興す必要がある。その場合は、シュウちゃんとユキお姉ちゃんの二人を元首にした方が良いと思う。『勇運』がどの規模まで効果を発揮するのか分からないけど、政治でも活かせるだろうから。  なぜレベル上げの延長かって言うと、シュウちゃんのレベルが上がるにつれて、レベルアップに必要な人数が増えていて、『遺伝子配合改造』を取得するまで、全員別々の女性の場合は、少なくとも千人以上必要になる。  経験値減衰を許容するとしても三百人、減衰を抑えられるスキル、例えば、多様な状況を作り出せるスキルがあっても百人は必要だと思う。  その人数を、旅で探していくのは時間がかかりすぎるし、一期一会ではもったいないから、限られた範囲に多数の女性を集めたハーレムを作った方が良い。どうやって集めるかは、いくつか方法があるけど、その時になったら話すね。  要するに、それが村に相当するということ。あえて悪く言うと、『経験値牧場』。元首のユキお姉ちゃんも含めて、私達は家畜。いくら綺麗事を並べても、実態がそれを否定できないからね。  ちなみに、家畜は全員、シュウちゃんとユキお姉ちゃんの領民としても相応しくないといけない。言い換えると、選民思想を持つ必要がある。宗教ではないし、非選民を迫害するわけではないけど、迫害を嫌っているのに選民を行う二律背反であることを早い内に自覚し、開き直っておかないと軸がぶれてしまう。  そして、自分が家畜であることを理解し、むしろそのことに誇りを持たなければならない。シンシアさんはジャスティ国王に忠誠を誓った騎士だから、合流は騎士引退後になるかもしれない。それだと、かなり遅くなっちゃうから、できればジャスティ国と同盟を築き、こちらに派遣、常駐してもらう形が一番良いと思う。  それとは別に、集落を急速に発展させるためには、商業区画や工業区画を作って、私達の集落最優先で働いてもらう人達を迎え入れる必要もある。  あとでもう少し詳細を語るから、それを絶対に実現するぞってユキお姉ちゃんが宣言してほしい。そしたら、『勇運』が何かしら効果を発揮して、みんな幸せになれるはず」  イリスちゃんの壮大な計画と思想論の展開に、俺達全員が、彼女が一緒なら実現できるだろうという確信とも言える期待があった。  それにしても、ハーレムの語源は、トルコ語かアラビア語だったと思うが、この世界ではそれに相当する言語と宗教を持つ国があるのだろうか。 「その人数って、シュウちゃんの意識は同時に捌ききれないよね? シュウちゃんの寵愛を受けるための順番待ちをするにしても、一周するだけでかなりの時間がかかるんじゃ……」 「シュウちゃん、アースリーお姉ちゃんが今言ったことを解決するスキルって多分あるよね? それもスキルツリーの終盤ではなく、序盤から中盤ぐらいに。  ……『単純命令』、増やした触手に対して、開始条件と終了条件を指定して無意識に動かすことができる、は早めに取得できそうで、『複雑命令』は合計七つの条件に増えて中盤に取得できる、か……うん、行けそうだね。  子育ても『複雑命令』で可能だと思う。人間ではできない作業も効率良くできそうだから、国や町の発展も早いかも。  でも、周辺にそれが知られたら、魔法条約のように規制されるから、やるなら一気にやるか、バレないように進めないと……って、まだまだ先のことだから、この話はこのぐらいにしておこうか。  気になることはいっぱいあるけど、一度休憩しよう、と言うか、もうお昼だから、家に帰らないと。また、二時間後ぐらいに集まって、残った細かいことを話す感じかな」  イリスちゃんが立ち上がると、みんなも立ち上がって帰り支度を始めた。  色々な話を一気に聞いて、疲れているかと思いきや、最後の話が嬉しかったのか期待を膨らませたのか、みんな爽やかな表情をしているようだった。 「シンシアさん、もしトイレに行きたいなら、シュウちゃんに今ここで飲んでもらってください。少しでもシュウちゃんの経験値にしたいのが理由です。  ちなみに、三種類の体液が必要なので、泣きじゃくる以外はおしっこするだけでは終わりません。恥ずかしいなら私もやりますから。ユキお姉ちゃんとアースリーお姉ちゃんは、シュウちゃんと自室でも一緒だから、いつでもできますが、私達は常に一緒にいるわけではなく、明るい内はシュウちゃんと人目に付く所では会えないので」 「こ、ここでか……。分かった……。じゃあ、お言葉に甘えて、イリスも頼む」  キョロキョロと周りを見回してから、覚悟を決めたように頷くシンシア。 「あ、じゃあ私もするよ」 「じゃあ私も」  ユキちゃんとアースリーちゃんも手を挙げた。  女子の連れション感覚で気軽なテンションの二人に、人前でのトイレを恥ずかしがらないセフ村の特徴を改めて感じた。四人だから、イリスちゃんの家の近くの森とアースリーちゃんの部屋に一本ずつ置いて、触手の本数はギリギリ足りる。  一応、何をするかを全員に確認し、四本同時に別々の動きをするのは難しいので、単調になってしまうかもしれないということは断っておいた。 「それでは、シュウ様。参ります」  そして、四人向かい合って用を足す異様とも言える光景と、ドアの向こうには漏れない程度の嬌声が、部屋中に広がった。



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俺達と女の子達が情報共有して今後の行動を決定する話(1/2)

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 八日目の朝、ユキちゃんが目覚めた。 「ぅ……ん……」  俺達は彼女の頬を舐めて、昨日の出来事が夢ではなかったと暗に伝えた。 「触手さん……。おはよう…………あはは、ちゃんと足も動くよ。良かったぁ……本当に……嬉しい……」  ユキちゃんは、何度目かの涙を流した。何度だって泣いていいよ。 「また泣いちゃった……お母さん、呼んでいい? えっと、隠れる場所はベッド下かな?」  俺達はベッド下に隠れ、様子を見守ることにした。 「ふぅ……、よし! お母さん! お母さん! 起きて! 見て!」  ユキちゃんは深呼吸をすると、ベッドから立ち上がり、壁越しに母親を大声で呼んだ。 「どうしたの? ユキ…………えっ⁉」 「見て、お母さん! 私、歩けるようになったんだよ! ほら! 見て!」  信じられないものを見たような反応をする母親に対して、おもちゃを買ってもらった子どものようにはしゃいでいるユキちゃん。しかし、二人の表情は、同じように、次第に崩れていった。 「あ……あ……」 「ほら……お母さんに……ずっと……見せたかった……やっと……見せられる……」  二人は、勢い良く流れる涙を隠そうともしない。ヨロヨロと近づく母親に、同じく近づくユキちゃんが手を伸ばし抱き寄せた。 「お母さん、今までありがとう……! 私、もう大丈夫だから……! 一人でも歩けるから!」 「うん……! うん……! 良かった……! 本当に良かった……!」  しばらくの間、二人は抱き合っていた。父親も仕事から戻ってきたら、さぞ喜ぶだろう。両親からすれば、たとえ歩けなくても最愛の娘であることに変わりはないが、歩けないよりは歩ける方が嬉しいに決まっている。『愛』と『喜び』はまた別なのだ。  二人が落ち着いた頃、どうして歩けるようになったかを聞かれたユキちゃんが、前もって俺達が伝えていた説明をし、詳しくはイリスちゃんからということにして、母親は居間で朝食の支度をすることになった。  俺もユキちゃんもイリスちゃんに丸投げした形になったが、彼女なら上手くやってくれるだろう。  十時頃になって、イリスちゃんとアースリーちゃんがユキちゃんの家を訪れた。ユキちゃんの母親から、泣いて感謝されたイリスちゃんだが、どういう暗示だったのかを聞かれたイリスちゃんは、『この世界で最も愛する人を思い浮かべて、その人に近づいていくイメージです。それは家族や親友ではダメで、時に優しく、時に厳しい人であるべきです。そういう人が身近にいないのであれば、架空の人物でもかまいません。ただし、強い想像力が必要です、って誰かが言っていたのを思い出したので、昨日伝えに来ました』と咄嗟に言ってくれた。  いやホント、『どういう暗示だったの?』としか聞かれてないのに、これまでなぜ上手く行かなかったのかや、恥ずかしくて言えないということまで汲んでくれるのは、実に気持ちが良い。 「ユキお姉ちゃん!」 「ユキちゃん!」 「二人とも……心配かけてごめんね」  部屋で立ち上がって二人を迎えたユキちゃんを、イリスちゃんとアースリーちゃんが優しく抱き締めた。全員泣いているようだ。それぞれを目の前にして、さらに実感できたのだろう。 「イリスちゃん、ありがとう。イリスちゃんが触手さんに私のことを教えてくれたんでしょ?」 「うん。でも、私が思った以上に触手さんが頑張ってくれたんだよ。本当にすごいよ。私だけじゃ何一つ解決しなかった。それどころか、ユキお姉ちゃんもアースリーお姉ちゃんも、どうなってたか分からない。  触手さん、改めて、大好きな二人を助けてくれてありがとう。多分、二人から言われてると思うけど、私からも言わせて。  あなたのことが、あなた達のことが好き。あなた達と別れたくない。みんなで、ずっと一緒にこの幸せを感じて生きていきたい。  断っても無駄だよ。絶対にそうするからね」  イリスちゃんは笑顔で明るく告白の言葉を締めた。初めて出会ってからこれまで、彼女は必ず一線を引いていた。俺達と初めて話した時は、いの一番に俺達と別れることになるのかを聞き、そうであるならと、俺達に愛称をつけることなく、常に『触手さん』と呼び、『大好き』と言っても、それは友達としての好きだった。とは言え、唯一、気持ちを抑えられない場面はあったが……。  大切な二人のどちらかでも救えなかった場合、それに気付くのが遅れた、あるいは何もできなかった彼女は、自分が幸せになるわけにはいかないと遠慮していたのだろう。そんな賢くて優しい彼女が、親しいながらも周りの目を気にせず、真っ直ぐな気持ちを伝えてくれた。断れるわけがない。ただ、断った場合に、天才がどういう手を打ってくるか興味はあるが……。  俺は砂でメッセージを貼り付けた。 『ありがとう。俺達もイリスちゃんのことが大好きだ。そして、みんなと一緒にいたい。これからどうしていくか、みんなで考えよう』  俺やゆうが一人の人間だったら、あるいは、一夫一妻制が当たり前の社会であれば、このような結論にはならなかっただろう。  幸いにも、俺達は触手でその数を増やせるし、セフ村は自給自足で成り立っているし、さらに稼ぎが必要であれば、イリスちゃんに何か発明してもらえばいい。俺達はと言うと、ヒモだ。触手だけに。まあ、生活に困ることはないだろう。 「あの、触手さんに聞きたかったことがあるんだけど……。触手さんの子どもを産みたい場合はどうすればいい?」 「ぶっ‼」  アースリーちゃんの質問に、俺達は吹き出した。イリスちゃんとユキちゃんも、それを聞きたかったかのようにこちらを向いている。本気だ。彼女達は本気だ。 「とりあえず、俺が彼女達に説明しよう。ゆうは、念のため監視を…………なっ⁉」  俺がゆうに監視用の触手で警戒に当たるよう頼もうとしたその時、別の場所でチートスキル警告が表示された。 「触手さん?」  固まった俺達をアースリーちゃんは不思議そうに見ている。俺はすぐに『ちょっと待って』と砂で示して、その場で再度固まった。 「お兄ちゃん、あの人……」  チートスキル警告が表示されたのは、再度、森に入って俺達を探す女冒険者だった。 「『チートスキル:武神』、戦闘時に攻撃を受けない最適な動きを無意識でできる。武器を持っていなくても可能……って、いやいや、攻撃受けて剣落としてたじゃん! そのあと、あたし達に捕まってたじゃん!」  ゆうのツッコミに俺も同意したいが、おそらくユキちゃんと同じ理由だろう。 「一時的に使えなかったんだろうな。精神状態が大きく影響して、何らかの条件を満たすと再度使えるようになるのかもしれない。彼女は、俺達と会った時には元気がなく、絶望感すら見て取れた。別れる時は精神状態が良くなっていたが、チートスキル警告はなかった。その後、条件を満たしたんだろう。  それにしても、他の触手達は、このスキルをよく解読できたな。かなりの犠牲が必要だったんじゃないか?」 「感心してる場合か! どうするの? 仲間にするんだよね?」 「ああ。このチートスキルは一朝一夕で身に付けられるものではないし、スキル自体が最強だ。文句なく強いだろう。魔法なしの戦闘に関しては、世界一の可能性もある。  何より、今の彼女は俺達に敵意がない。最初の時と違って、剣を抜かずに俺達を探しているからだ。残るは人柄だが、これはイリスちゃんとアースリーちゃんが確認するということになっていた。まずは、イリスちゃんに相談しよう」  俺達は、イリスちゃん含めて全員に現状を伝えた。 「それじゃあ、ここに来てもらおうか。ユキお姉ちゃん、いいかな? さっきの話の続きも、チートスキルの話も、仲間になるって決まったあとに全員で聞いた方が効率が良いし。  触手さん、その人に伝える砂のメッセージの作成方法なんだけど、『コ』の字になって、上から下に砂を落とす方法は考えたことあるよね?  できない場合は、地面に砂を落とせる所に誘導して、『宿屋の前で待ってる女の子とこれからのことを話して』って伝えてほしい。私が行って連れてくるから。その前に、触手さんのことやこれまでの事をユキお姉ちゃんに説明するね」  イリスちゃんの思い切った提案に少し驚いたが、全部お任せすれば問題ない。『コ』の字式については、とある理由で採用していない。君も考えてみよう!  「イリスちゃん、この時点ですごさを感じる……。天才だったんだね。いいよ、みんなで話そう」  全員ベッドに腰掛けた上で、イリスちゃんはユキちゃんに必要な部分を全て説明した。 「アーちゃん、ごめんね。私、アーちゃんがそんなに悩んでたこと知らなかった」 「ううん、私だってユキちゃんが深刻な状態になってるって思わなかった。ごめんね。結局、私は何もできなかった」  二人は抱き合い、お互いを慰め合っていた。  その頃には、俺達も女冒険者を誘導し、メッセージを伝え終わっていた。誘導時、女は戸惑っていたが、メッセージを見るとすぐに従ってくれた。  到着予定時刻をイリスちゃんに伝え、彼女はそれに合わせて待ち合わせ場所に向かった。ここから宿屋までは徒歩五分だ。彼女のことだから、ここに来るまでに大体の話はついてるんじゃないかとも思う。 「あ、来たみたい」  ユキちゃんが遠くから聞こえるイリスちゃんの声に気付いた。いや、なんで分かった?   感覚を研ぎ澄ますことができる俺達でさえギリギリ聞こえる声量なのに。ユキちゃんに聞いてみた。 「音じゃないよ。昨日の夕方から使ってる魔力感知。魔法を使えなくても、基本的に誰でも魔力を持ってるから、その特徴を覚えて、追いかけて感じてるだけ。……えーっと、魔力感知自体はできる人いると思うけど、追跡できるのは多分私だけ。私が作ったから。  いつもは使い続けてると魔力不足で疲れちゃうんだけど、あれから調子良いみたい。これも触手さんのおかげなのかな。世の中には町一つ滅ぼせる魔力量を持った人もいるらしいけど、私は全然」  世界で一人しか使えない魔法を創造できるのは、チートスキルだと思うのだが、そうじゃないのか?  チートスキルを二つ持っていると、一つしか表示されないとか?  それとも、俺達の理解が不十分で本質を捉えられていないのか?  疑問はまだある。昨日、魔力感知で俺達の存在に気付いていなかったのであれば、俺達には全く魔力がないことになる。『魔法反射』はまだ取得していない。  スキルツリーには高レベルで取得できる『魔法』があるが、スキル取得時に魔力が付与されるということなのか? 少なくともそんな説明はなかった。 「元々は自分の魔力の流れと完全に調和する回復魔法があれば、足が治るかもって思って、その経緯で作ったんだよね。足に流れる魔力を見たかったっていうのが最初。そしたら、魔力が乱れてたから、それを何とかしようとしたけどできなかった」 「ただいまー」  イリスちゃんが女と一緒に部屋に入ってきた。この話はあとだ。 「こちら、シンシアさんです。ジャスティ国騎士団長で、国内だけでなく世界からも一騎当千の強さと言われているそうです。ちなみに、十九歳です」 「よろしく」 「やっぱり、女騎士じゃん!」  何がやっぱりなのか分からないが、ゆうは自分の間違いを勝手に改変した。  それにしても、まさか本当に女騎士だったとは……。しかも若くして騎士団長。チートスキル持ちなら当然か。だが、組織運営もしなければいけないから、経験が少ないと大変そうだ。  『シンシア』という名前は現代でもよく見る名で、この世界で初めてそのまま英語の発音で呼べる名だ。アクセントは違うが。 「あ、あの、私、昨日お会いした村長の娘のアースリーです。騎士団長とは存じ上げませんでした。なぜセフ村に?」 「それは私から説明するね。その前に紹介を。こちらがユキお姉ちゃんです。魔法使いですが、他の人には内緒です。そして、触手さん。アースリーお姉ちゃんもユキお姉ちゃんも、シンシアさんと同じく触手さんに助けられました」  俺達はシンシアちゃんにペコリとお辞儀をした。 「触手様! お会いしたかったです! ああ、触手様……どうぞ私めのことはシンシアとお呼びください!」  彼女は俺達にいきなり抱き付いて、頬擦りしてきた。想像していたキャラと違うが、どうやら俺達は、尊敬または崇拝の対象となったようだ。  イリスちゃんの説明とシンシアの補足によると、彼女は部下に裏切られ、朱のクリスタルの保管責任と国家予算横領の二つの罪を被せられた。  クリスタルについては、これは一部の者しか知らないが、輝きが失われ、ただの石になったようだ。すり替えられた説も出ている。  もちろん、彼女はそれらの冤罪を主張したものの、誰からも擁護されず、信用は失墜してしまった。  国王への姫の進言により、即時処分は免れたが、団長は一時解任され、一ヶ月間の真相究明任務を言い渡された。  とりあえず、横領に関する調査を進め、手がかりを追ってセフ村に来たが、そこで途切れてしまっていて、途方に暮れていた。  現実逃避と自暴自棄で大蛇退治に行ってみたら俺達に会った、ということだった。  横領についてもう少し詳しく言うと、シンシアと交流のあった城下町の孤児院に金が流れていたのだが、その手がかりとは、そこで経理をしていた『コレソ=カセーサ』という人物だ。  城下町では足取りが全く掴めなかったらしいが、セフ村出身とのことで、ここに来てから村長や他の村人に聞いてはみたものの、知らないと言われた。  コレソの名前が英語圏の発音でないことと関係があるのかは分からないが、名前も出身も嘘だったことに気付いて、彼女は絶望したのだろう。 「質問いいですか? 孤児院長は何らかの処分を受けましたか?」  イリスちゃんが質問した。 「……いや、受けていない。予定もないと思う」 「それじゃあ、『クリス』という人、あるいは似た名前に心当たりは? あ、私は除外してくださいね」 「え……? いや、ないな……。なぜその名前を?」 「『コレソ』は『クリス』の偽名である可能性が高いからです。おそらく、コレソだけでなく複数の偽名を各地で使っている可能性があります。でも、結局、調査は困難ですね。と言うより、時間が足りない」 「イリス……君は何者なんだ? ここに来るまでもそうだったが、子どもの言動とはとても思えない」 「イリスちゃんは天才なんです。私からすれば、触手さんやユキちゃんも天才だけど」  アースリーちゃんが補足した。俺達は流石にイリスちゃんに敵わない。『クリス』にも辿り着けなかった。  言われてみれば、五十音をそれぞれ二つ戻すだけの簡単な偽名で、その作成方法の容易さから複数使用が前提となっていることも分かる。やはり、発想力と思考速度が桁違いだ……。  いや、待てよ。なんで五十音が前提となっているんだ?  いよいよ、この世界の発音規則を勉強しなければいけないな。似た名前が多いのも何か関係があるのかもしれない。 「少し調べれば分かるのに、雑な罪の着せ方を王様が信じた話と院長の未処分の話から、王様の考え方は二通りのどちらかです。  一つは、王様もあなたを貶めようとしている。  もう一つは、国内のスパイを炙り出そうとしている。  前者の場合は、あなたに代わる戦力をすでに用意しているはずです。用意していない場合は国外の誰かに操られている可能性があります。  後者の場合は、王様や姫様から何か示唆されているかもしれません。それに心当たりは?」 「うーん……。あるとすれば、姫が『どうにもならなかったら一度城に戻ってきて』とおっしゃっていたが、何の成果も得られずに、のこのこと戻れるわけもなく今に至る……かな。スパイを炙り出すことと私が半分追放されたのは、どういう繋がりがあるんだ?」 「王様は、一時的にでもあなたが城からいなくなれば、スパイの動きが活発になると踏んでいるのだと思います。そこを一網打尽にする。  副産物として、シンシアさんの真相究明調査が、実はスパイ調査を兼ねていると悟られにくいことでしょうか。スパイを特定する必要はなく、スパイがいると公言できれば、国としても動きやすい。  なぜ、そう考えたのかと言うと、普通は疑いのある者は謹慎か禁錮にして、別の部隊に調査を任せるはずだからです。  一方、スパイ側の立場で考えると、場合によっては、あなたの動きがスパイに監視されている可能性があります。シンシアさんが城あるいは城下町の外にいる必要があるので。  一応言っておきますが、王様が積極的にあなたを追放したのではなくて、部下から告発された時はこうせざるを得ないという立場だったと思います」  イリスちゃんは、スパイ炙り出し説が有力だと思っているようだ。  国王が単に無能でない限りは、俺もそう思う。シンシアの代わりがいるとは思えない。国王としては、国力が著しく低下するのは避けなければならない。また、国王が誰かに操られていないことは、姫と話がついているだろうことから分かる。 「し、しかし、そのことに私が気付かず、そのまま城に戻らず逃げていたら、あるいは期限ギリギリに戻って、陛下の御前で生き恥を晒したら? 現にその可能性が高かった」 「あなたを信じていたんだと思います。王様も姫様も。ただ、騎士の誇りは理解していなかったかもしれません」 「あ……う……私はそんなこととは露知らず、忠誠を誓ったはずの王や姫さえも信じずに、絶望に浸っていたのか……。なんて愚かなんだ……」  シンシアは、両手で頭を抱えて膝から崩れ落ちた。 「今の話は、あくまで仮説なので、実際はどうなのか分かりません。でも、私は逆に希望を持ちました。私の仮説が正しければ、王様も姫様も非常に聡明で、国のことを想い、そして人を思いやる気持ちをお持ちでいらっしゃる。  だからこそ、それらが複雑に絡み合って、その意図に気付きにくくなってしまった。特に、追い詰められた人には。  愚かではありませんよ。それに、もう大丈夫です。触手さんも私達もいますから。  触手さん、改めてシンシアさんを仲間に加えることを提案するね」  俺は『Y』と返事した。 「じゃあ、朱のクリスタルはどうする? 石になっちゃったけど。シンシアさんに説明すると、触手さんは朱のクリスタルを手に入れたいの。と言っても、ずっと必要かどうか分からないから、ちょっと借りるだけかも。でも、石の場合に効力を発揮するかどうか……」 「何に使うかはあとで聞くとして、それなら、レドリー辺境伯に一度聞いてみると良いのでは? あの方は、朱のクリスタルに詳しいらしい」  辺境伯の爵位名は『レドリー』と言うのか。  イリスちゃんの俺達への質問に、代わりにシンシアが答えた。 「え、そうなんですか? 丁度、アースリーお姉ちゃんがパーティーに誘われてるんです。触手さんも付いていくので、シンシアさんがその護衛に付いてくれればと思って声をかけました」 「それは私からも是非お願いしたい。元々、私をお供にしていただくために触手様を探していたのだ」 「ありがとうございます。それじゃあ、質問や気になったこと誰かある? なければ次の話題に」  俺は砂を使ってメッセージを書いた。 『チートスキルを持つ二人に共通していることがある。輝く宝石を持っていること。どうやって手に入れたか教えてほしい』 「あ、ホントだ。青っぽくもあるし緑っぽくもある色の宝石がシンシアさんの剣に埋め込まれてる! 碧色って言うのかな?」  シンシアの近くにいたイリスちゃんが、右から左に回り込み、剣を覗き込んで確認した。  イリスちゃんなら気付いていると思ったが、常にシンシアの右側にいたから見えなかったのか。確かに、もし剣を抜く場面になって、左側にいたら危ないからな。 「私は、子供の頃、十三歳の時にお父様から誕生日プレゼントでいただきました。お父様は我が領の武器屋で買ったと言っていました」  シンシアは、俺達に丁寧な物言いで、入手経路を教えてくれた。 「私は、確か七歳ぐらいだったかな。海岸で宝石だけ拾って、誰が落としたか分からなかったから、そのままネックレスに加工してもらっちゃった。村人全員に聞いたんだよ。でも、実はそれ以外にもいくつか宝石拾ったことあるんだよね。多分、普通の宝石だったと思うけど」  さあ、イリスちゃん。後は頼んだ。 「…………」  あれ? イリスちゃんは何も言わない。俺が空振ってしまったか。 「触手さんの考えてること、分かるよ。呪いと関係あるかを知りたいんだよね。でも、実はシンシアさんには、これまで生きてきた中で、体に異変がなかったかって質問は、ここに来る途中でしたんだよね。そしたら、何もなかったって。宝石の有無で聞いたわけじゃなくて、チートスキルの有無で聞いたんだけどね。  あとは、親族以外で大切な人の精神が病んだりしてないかも聞いたけど、なかった、と言うよりは、そこまで大切な人がいなかったって。だから、まだ何とも言えないって感じ。  ただ、宝石持ちがチートスキル持ちっていうのは、今のところ否定できない。その場合は、これらの宝石は特殊な宝石、つまり『紫のクリスタル』と『碧のクリスタル』か、あるいは別の何かってことになる。  でも、少なくとも私達は朱のクリスタルしか存在を知らないし、他のクリスタルが存在するって世の中に知られたら、大変なことになる。  なぜなら、クリスタルを一定期間所持すると、漏れなくチートスキル持ちになる特典を得られる可能性があるから。  一定期間っていうのは、もしすぐに得られるのであれば、シンシアさんが十三歳の時に宝石が埋め込まれた剣をもらった時点で、最年少の世界最強の剣士として有名になっているはずだけど、そうじゃなかったから。  私の印象だと、チートスキル持ちは一人で国を壊滅させることができるレベルだから、ここに二人いることがおかしい。チートスキルの概念と他のクリスタルの存在は、絶対に知られてはいけないと思う。簡単に世界が崩壊しちゃう」  触神様が他のクリスタルについて教えてくれなかったのは、そういうことだったのか。下手に存在を知ってしまうと、軽々しく現地の人に聞いちゃったり、話しちゃったりするのを恐れたからだろう。 「ユキお姉ちゃん、今更だけど私達の今の会話が盗み聞きされてるか分かる魔法って使える?」 「えーっと、盗み聞きっていうピンポイントではないけど、私達の周囲に魔法が展開されているか分かる魔法なら」 「うん、それでいい。この会話で魔法を解いた場合もあるから、魔法使用の痕跡も分かればいいけど、分からないよね? あと、できればそれをずっと維持しててほしいけど……無理はしないで」 「いや、実はもうやってて……。と言うか、使ってるのは空間魔力感知魔法なんだけど、イリスちゃんがシンシアさんを迎えに行ってからずっと使いっ放しでも、全く疲れないんだよね。最初は、触手さんのおかげで調子が良いからって思ってたけど、もしかしてチートスキルかな?」 「ユキお姉ちゃん、すごい……。そうなんだ……。チートスキルの可能性はある……けど……シンシアさん、異変がなかったていうのは聞きましたけど、ある時から力が強くなったり、素早く動けるようになったりしましたか?」 「あまり意識したことはなかったな……多分、急激にってことはなかった。でも、常人離れしている、と次第に多く言われるようになっていった。ちなみに、リンゴは片手で軽く潰せる」  ゴリラか! でも、俺達が接触した時はそんなに力があるように感じなかった。  力の制御が可能なのかも含めて聞いてみた。 「日常生活に支障なく、力を制御できています。それと、あの時は、絶望による諦めと……その……半分、期待というか……この際、触手に陵辱されてから死ぬのも悪くないと思って、ほとんど力を入れてませんでした。  でも、剣を落とされたのは、本当に不意を突かれました。その時の私は、音も気配も感じられませんでしたし、常にすごい握力で柄を握っていたわけでもありませんし」 「なるほどー。じゃあ、チートスキルとは別に、クリスタル所持者は身体能力や魔力量が徐々に向上するもので、暴走せずに制御可能。魔法使いは魔力量、そうでない者は身体能力が向上するのかもね。  本当にそうかは、あとでユキお姉ちゃんにりんごを握ってもらえばいいとして、お姉ちゃんの場合、足が動かなかった期間はチートスキルや能力が封印されていただけで、魔力量向上は続いていた。  条件が満たされたことで、その封印が解かれ、結果、チートスキルと向上後の魔力量が突然湧いたように使えるようになったってことかな。  そう考えると、触手さんの考えていた通り、やっぱりクリスタルには、メリットだけでなく、呪い、もといデメリットもあると思った方が良いね。そして、そのデメリットは、クリスタルによって異なり、自身の精神状態に影響を与える可能性もある。  周囲に与えるかは、私が影響を受けていないこともあって不明。デメリットが大きいほどメリットが大きい可能性もある。  つまり、ユキお姉ちゃんのデメリットは、クリスタルの力で筋肉を保つとしても、少なくともシンシアさんの碧のクリスタルよりも明らかに大きいから、魔法創造を含めてチートスキルを二つ持っていてもおかしくないし、一つだとしても、その効果は絶大だと思う。  こんな感じで仮説を立ててみたけど、どうかな? 触手さん」  俺は『流石イリスちゃん』と体に貼り付けた。 「ふふっ、触手さんの方がすごいんだよ。触手さんが得た情報と知識、そして挙げられるだけ挙げた可能性を、私が整理して結論をみんなに伝える。私は代弁者みたいなものだよ」 「参考までに、私のチートスキルを教えてほしいのと、私も使えなくなっていたとしたら、その条件とは何なのだろうか」  シンシアが、自分のチートスキルに興味を持つのは当たり前だ。自分では分からないのだから。  彼女の狙いはもう一つあり、条件を知ることで、再度同じ状況に陥らないように、そして、陥ってもすぐに再起できるようにするためだろう。 「条件の方から考えてみますか。でも、完全に特定するのは無理なので、あくまで想像です。  シンシアさんの話を聞く限り、裏切りに遭ったことで、『不信感』『絶望感』『諦め』の感情を持っていた。これらが、クリスタルによって負の方向に増長されたとすると、その逆、『信頼感』『希望』『前向きさ』を表す行動をすることが条件であると仮定します。  そうすると、最初の邂逅から事後はチートスキルが表示されていなかったことから、触手さんへの信心とも言える『信頼感』を抱いた上で、また会いたいという『希望』を捨てずに、改めて森に『進んだ』ことで条件が満たされた、とかでしょうか。  一方で、ユキお姉ちゃんの場合は、条件は大体分かってるから、感情の方を推察すると、いきなり足が動かなくなったり、どんな魔法を作っても効果がなかったことから、『焦り』や『戸惑い』の感情が含まれているような気がする。  嫉妬はしてないよね? 家族への申し訳なさは感謝の気持ちで相殺されるかな。最終的には絶望するけど、長期間、色々試していて、諦めてはいなかった。  お姉ちゃんが他に感情を抱いていたかは、条件達成から逆算するしかなくて、その時は、希望を持って『迷いなく』、『勇気』を出して足を踏み出したということだから、絶望はさっき言った理由で排除すると、『恐怖』とか『後ろ向き』とかかな。本人はそう思っていなくても、無意識でのことだと思う。そう考えると、シンシアさんとユキお姉ちゃんが抱いた感情は共通点があるね。  もう一つの質問の答え、シンシアさんのチートスキルは『武神』で、戦闘時に攻撃を受けない最適な動きを無意識でできる。武器を持っていなくても可能、だそうです。『戦闘』や『攻撃』はもしかすると適用範囲が広いかもしれません」 「おー」  その場の全員、俺達も含めて、イリスちゃんの推察に感心していた。常人の感情を理解できる天才って素晴らしいな。 「イリスちゃんの言う通りだよ。焦り、戸惑い、恐怖、後ろ向き、全部当てはまってた。恐怖は、足が仮に動いても、立ち上がれなかったら、動くだけでずっとそのままだったらどうしようっていう怖さだったと思う。ちょっとの希望でも絶望に変えたくなかったから。  触手さんから、足が動いてたって教えられた瞬間は、正直まだ戸惑ってたし怖かった。でも、触手さんがいてくれたら頑張れるってすぐに思えて、そしたら、一緒に頑張ろうって言ってくれたから、もう負の感情なんて全くなくなっちゃった……って、あはは、自分語りしちゃったね。何が言いたかったかっていうと、多分、シンシアさんの条件も当たってると思う」 「ありがとう、ユキお姉ちゃん。もしかしたら、他のクリスタル所持者も苦しんでるかもしれないね。その人達の場所が分かればいいんだけど……もしくは、クリスタル同士が引かれ合うみたいな性質があれば。ユキお姉ちゃんとシンシアさんがこの場にいるみたいに……あ、私も触手さんみたいな考えになってきたかも」  イリスちゃんはきっと褒め言葉を言ってくれたのだろう。僅かな可能性を妄想する癖を指摘したわけじゃないよね? 「うぅ……私、置いてけぼりだよ……みんなすごいよ……」  アースリーちゃんが悲しそうに両手の人差し指を合わせている。彼女が話に付いて行けないわけではない。話のネタがないのだ。 「あたしも置いてけぼりだよ~、アースリーちゃ~ん」  ゆうはアースリーちゃんに巻き付いてキスをした。前に重いタイプかもと言っていた割には好きなんだな、アースリーちゃんのこと。まあ、俺も今すぐにでも抱き付きたいが。 「ありがとう、触手さ~ん。慰め合おうね~」  アースリーちゃんは、ゆうの方がキスをしてきたことを察し、二人で抱き締め合ってイチャイチャしだした。  アースリーちゃんは、そこにいるだけで男子の目線が釘付けになるほどのすごい存在感があるから、気にすることないよって言ったら、間違いなくセクハラだろうな。  そんなバカなことを考えていると、ユキちゃんが恐る恐る右手を挙げた。 「あの……私、触手さんのこと、あだ名、と言うか愛称で呼びたいなって思うんだけど、いいかな? 『アーちゃん』みたいに。もしかすると、シンシアさんは呼ばないかもしれないけど」 「そうだなぁ……まずはユキの案を聞かせてくれ。それを改良して、敬意を持った呼び方になればそれで呼ぶのもありかな」 「私も賛成!」  シンシアとアースリーちゃんが同意して、ユキちゃんを促した。 「うん、私も賛成する。もう愛の告白して、ずっと一緒にいるって決めたからね」  イリスちゃんが、眩しい笑顔で俺達を見た。別れが辛くなるから、あだ名や愛称をつけるどころか、ずっと俺達兄妹の名前さえ聞かなかった彼女が、ついに決心したのだ。 「それじゃあ、黒板に書くよ」  ユキちゃんが黒板を持ち出し、チョークで書き始めた。あらかじめ考えていたのだろう。手の進みがスムーズだ。  そうだな、俺が触手に名付けるとしたら、触手だから、触手のしゅ、しゅー、しゅう、シュウ。女の子が呼びやすくてかわいらしい『シュウちゃん』にするかな。ローマ字の綴りは『y』の方で。英語にはない綴りと発音だが、俺とゆうの名前も入ってるし。 「愛称は……『シュウちゃん』にしよう! 綴りはこう!」 「は?」  俺は何が起きたか一瞬分からず、その事実をすぐには受け入れられなかった。ユキちゃんが俺達に名付けた愛称、それは俺が望んだ名であり、綴りも全く同じだった。  ありえない……。英語で触手はテンタクル。どこを取ってもシュウにはならない。俺と同じ発想なら『タクル』になるはずだ。命名規則や発音規則がどうのというレベルではない。  それに『ちゃん』がちゃんとそのままの発音で付いている。名前の後ろの敬称は日本語特有のものだ。ちなみに、イリスちゃんが俺達を呼んでいた『蛇さん』は、実際には『ミスタースネーク』と呼んでいて、『触手さん』は『ミスターテンタクル』、アースリーちゃんがイリスちゃんを呼ぶ時は『イリスィー』だ。  海外の人が日本に精通していて、日本人と交流する時に『さん』『ちゃん』をつけて呼ぶのはよくあることだが、この世界に日本のような国があり、この村との交流がある、あるいはユキちゃんがその慣習を知っている、ということなのだろうか。母親も正座をしていたことだし、ユキちゃんの髪もどちらかと言うと黒い。名前の発音規則が五十音に関係していることもそうだ。  そうでなければ、とんでもない確率になる。『シュウちゃん』がハイフンを除いてアルファベットで八文字だとすると、アルファベット数二十六の八乗で、文字数が一致する確率だし、例えば二十文字以内に収まる名前だとすると、残りが『文字なし』を含めた二十七を十二乗した数との乗算に、何文字目から始まるかの十二で除算した逆数になり、当然天文学的確率となる。  たとえ、ユキちゃんが小さい頃に宝石を見つけたラッキーガールだとしても、こんな確率を引き当てることなんてできないだろう。  この場合、ユキちゃんのチートスキルに関係していると思っていい。俺の考えを読んだわけではないことは明らかだ。しかし、俺の考えと一致した。それが最適だということかもしれない。 「シンシアさんは、『シュウ様』」  こっちは普通だな。『サーシュウ』と発音している。 「二人を区別する場合は、『シューくん』、『ユウちゃん』ね」  と思いきや、またもユキちゃんが、とんでもない確率を当ててきた。この場の誰一人、俺達兄妹のそれぞれの名前を知る者はいないのに。 「お兄ちゃん、これ、確認した方が良いよね。流石にあたし達の名前まで当てるのは、普通じゃあり得ないよ」 「ああ。確率に関しては、人の意志への影響も含めて、すぐに検証できる簡単な方法がある。じゃんけんだ。三すくみかどうかは分からないが、きっとあるだろう。終わったらイリスちゃんに何を出そうとしたのかと、実際に何を出したのかを教えてもらえばいい。イリスちゃんなら意図も察してくれるだろう」 「変えたい人いる? 触手さんもいい?」  ユキちゃんが確認すると、全員納得のサインを出した。  やはり、おかしい。どういう経緯でそう名付けたのかを誰も聞こうとせず、私もそう思ってたと言わんばかりの表情をみんなしている。  即座に俺は、ユキちゃんのチートスキルを確認すべく、メッセージを貼り付けた。 『ユキちゃんとイリスちゃんでじゃんけんして。先に十勝した方にイイコトしてあげるから』 「シュウちゃん、突然どうしたの?」  早速、俺を愛称で呼び、疑問を投げかけるユキちゃん。イリスちゃんはすぐに察したようだ。 「やったー! それじゃあ、ユキお姉ちゃん、じゃんけんしようか。私が黒板を綺麗にして勝敗表書くよ。手を抜かないでね。絶対、私が勝つから! じゃんけん…………」 「…………う、嘘……」  アースリーちゃんが信じられないといった表情で自分とユキちゃんの手を見ていた。  イリスちゃんとじゃんけんしたあと、私も私もと言って、シンシア、アースリーちゃんと続いてじゃんけんをした。結果はユキちゃんの全勝だった。しかも、あいこが一回もなかった。もちろん、ユキちゃんの動体視力や反射神経、洞察力がずば抜けているわけではない。 「シュウちゃん、そのまま体に貼り付けてみてくれる?」  イリスちゃんのリクエストに、俺は、ユキちゃんの頭上に最初のじゃんけん後から表示されているチートスキルの説明を、正確に翻訳して貼り付けた。 「『チートスキル:勇運』、自ら行動したことが幸運となる、か。なんか、この説明を見てると、ユキお姉ちゃんにピッタリって言うか、勇気を出して、一歩踏み出して幸せを掴み取った気がして嬉しくなるなぁ……」  イリスちゃんが説明の時でも珍しく感情を抑えられないのを見て、俺も嬉しくなった。ユキちゃんも笑顔で涙ぐんでいた。 「それはさておき……魔法創造とは無関係だったね。自ら行動していない時、例えばその場に何の意志もなく留まっている時は、幸運が起きないから、不意打ちや突然の事故には気を付ける必要はあるけど、完全に最強クラスのスキルだね。あらゆる場面で役に立つから。  ユキお姉ちゃんが宝石を何個も見つけることができたのもこのスキルのおかげだとすれば、スキル発現時期はかなり早いのかな。  そして、デメリットが時間差で来た。デメリットを克服したあとで、今の幸運があれば、再度デメリットを引き起こすことはないと思うけど、紫のクリスタルを手放した時にどうなるか分からないから、絶対に手放しちゃダメだよ」 「うん、分かった。ネックレスも自分で補強する。それとも、ネックレスじゃない方が良いかな? あまり変わらないかな」 「腕輪が理想かな。しかも、クリスタル部分が外にむき出しにならないような形状がベスト。もちろん、取り外し厳禁。魔法でそういうのを作成できればいいけどね」 「あー、その手の魔法は考えたことあるかな。自分用の歩行補助具があればって思い付いたけど、例の恐怖で魔法そのものを作るのを止めたんだよね」 「でも、ネックレス自体が大切なら、そのままでもかまわないよ。気を付ければいいだけだから」 「ううん、やってみる。これはもう私だけのことじゃないし、大好きなみんなとの大切な思い出でもあるから、絶対になくしたくない」 「分かった。それと、ユキお姉ちゃんが操られたり、私達に扮してお姉ちゃんを騙したりする人がいるかもしれない。合言葉は意味がないから、お姉ちゃんは見知らぬ人には安易に近づかないこと。  私達の誰かから不審なお願いをされた場合は、とりあえず理由を聞いて、お姉ちゃんが納得してないのにゴリ押してきたら、身の危険を避けるために了解したフリをして、その人と一緒に、目的を言わずに私達を探して、全員揃った上でそれを暴露すること。  間違いを恐れなくていいから。逆に、そのままにしたら大変なことになる」  統計学の検定で言うところの、『第一種の過誤』と『第二種の過誤』だ。  医者の診察でよく例えられるが、帰無仮説を『患者は癌ではない』とした場合に、『本当は癌であるのに癌ではないと診察してしまう』のが第一種の過誤、『癌ではないのに癌であると診察してしまう』のが第二種の過誤。新薬開発や裁判判決も同様だ。  これは深刻度の問題でなく、あくまで帰無仮説に対する過誤なので、例の帰無仮説が『患者は癌である』なら、第一種の過誤は『本当は癌ではないのに癌であると診察してしまう』ことになる。  イリスちゃんとユキちゃんのやり取りが一段落すると、イリスちゃんが切り替えて次の話題を振った。 「それじゃあ、あの話の続きをしようか、子どもの話」 「子どもの話とは?」  シンシアは、どう思うんだろうな。 「私達がシュウちゃんの子どもを産めるかどうかって話です」  最初にキッカケを作ったアースリーちゃんが答えた。 「なっ⁉ いや、それは何と言うか……恐れ多いと言うか……でも、もし……授かれるのなら……あぁ……うふふ……」  シンシアは、妄想を膨らませて、顔を赤らめながらモジモジしていた。これについては説明が長くなるので、黒板にチョークで書くことにした。一度では書き切れないので、消しては書きを繰り返したが、イリスちゃんが、それらを都度記憶して、まとめて説明してくれた。  彼女にはスキルツリーの全てを教えられればいいかもしれないが、量が多くて時間がかかりすぎること、俺自信で考えていきたいという意志から、今まで直近のスキルしか伝えてこなかった。イリスちゃんなら、きっと理解してくれるだろう。 「……なるほど。『精液』『母体改造』『遺伝子配合改造』スキルの取得が必要で、『精液』だけだと人間を孕ませることができなくて、『母体改造』までだと母親からはデフォルトで触手体の子どもが生まれて、『遺伝子配合改造』まで取得して、初めて人間ベースの触手人間が生まれる。配合率は一割から九割まで選べ、母体側に反映させる。  つまり、『母体改造』では触手以外の生物の子どもも産めるし、『遺伝子配合改造』では任意の『〇〇人間』を産めるようにできるのかな?  そして、それらを最短で全て取得するにはレベル三十五まで上げなきゃいけない。でも、他に取得したいものがあるから、実際には四十五レベルまで上げる必要がある。  ちなみに、子どもを早期出産、大量出産させる改造もあるけど、母親側が廃人になるからやらない方が良い、と。  遺伝子っていうのは、シュウちゃんの世界では当たり前に使われていた用語なんだね。細胞、染色体、DNA、遺伝子。生物の設計図かー。面白いね」 「良かったー。シュウちゃんの子ども産めるんだ……。じゃあ、問題はレベル上げかな?」  アースリーちゃんが安堵していたが、他のみんなも同じような表情をしていた。 「みんな、触手の出産願望があるんだなぁ」 「いや、明らかに触手一対人間九の触手人間でしょ。一割触手ってどんな感じなんだろう。両腕が触手とか? それだと一割微妙に超えてるから、肘から肩の間で調整するのかな」  俺に対して、ゆうはツッコミを入れつつ、誰でも思う疑問を抱いていた。 「気になることはまだある。普通の触手なら自在に両腕の触手を操れるだろうが、『触手体』の子どもだから、両腕のそれぞれに別々の人格が宿る可能性がある。その場合、俺達と同様に触神スペースを経由したコミュニケーションになるのかとか、喧嘩にならないか、とかが心配だ」  気が早い俺達の疑問は将来語るとして、イリスちゃんはアースリーちゃんの疑問に答えていた。 「大きな問題は二つ。アースリーお姉ちゃんが言ったことの他にもう一つ。いや、延長と言ってもいいかもしれない。  私達の子どもを迫害から守るために、触手人間が安心して住める国、最低でも村を興す必要がある。その場合は、シュウちゃんとユキお姉ちゃんの二人を元首にした方が良いと思う。『勇運』がどの規模まで効果を発揮するのか分からないけど、政治でも活かせるだろうから。  なぜレベル上げの延長かって言うと、シュウちゃんのレベルが上がるにつれて、レベルアップに必要な人数が増えていて、『遺伝子配合改造』を取得するまで、全員別々の女性の場合は、少なくとも千人以上必要になる。  経験値減衰を許容するとしても三百人、減衰を抑えられるスキル、例えば、多様な状況を作り出せるスキルがあっても百人は必要だと思う。  その人数を、旅で探していくのは時間がかかりすぎるし、一期一会ではもったいないから、限られた範囲に多数の女性を集めたハーレムを作った方が良い。どうやって集めるかは、いくつか方法があるけど、その時になったら話すね。  要するに、それが村に相当するということ。あえて悪く言うと、『経験値牧場』。元首のユキお姉ちゃんも含めて、私達は家畜。いくら綺麗事を並べても、実態がそれを否定できないからね。  ちなみに、家畜は全員、シュウちゃんとユキお姉ちゃんの領民としても相応しくないといけない。言い換えると、選民思想を持つ必要がある。宗教ではないし、非選民を迫害するわけではないけど、迫害を嫌っているのに選民を行う二律背反であることを早い内に自覚し、開き直っておかないと軸がぶれてしまう。  そして、自分が家畜であることを理解し、むしろそのことに誇りを持たなければならない。シンシアさんはジャスティ国王に忠誠を誓った騎士だから、合流は騎士引退後になるかもしれない。それだと、かなり遅くなっちゃうから、できればジャスティ国と同盟を築き、こちらに派遣、常駐してもらう形が一番良いと思う。  それとは別に、集落を急速に発展させるためには、商業区画や工業区画を作って、私達の集落最優先で働いてもらう人達を迎え入れる必要もある。  あとでもう少し詳細を語るから、それを絶対に実現するぞってユキお姉ちゃんが宣言してほしい。そしたら、『勇運』が何かしら効果を発揮して、みんな幸せになれるはず」  イリスちゃんの壮大な計画と思想論の展開に、俺達全員が、彼女が一緒なら実現できるだろうという確信とも言える期待があった。  それにしても、ハーレムの語源は、トルコ語かアラビア語だったと思うが、この世界ではそれに相当する言語と宗教を持つ国があるのだろうか。 「その人数って、シュウちゃんの意識は同時に捌ききれないよね? シュウちゃんの寵愛を受けるための順番待ちをするにしても、一周するだけでかなりの時間がかかるんじゃ……」 「シュウちゃん、アースリーお姉ちゃんが今言ったことを解決するスキルって多分あるよね? それもスキルツリーの終盤ではなく、序盤から中盤ぐらいに。  ……『単純命令』、増やした触手に対して、開始条件と終了条件を指定して無意識に動かすことができる、は早めに取得できそうで、『複雑命令』は合計七つの条件に増えて中盤に取得できる、か……うん、行けそうだね。  子育ても『複雑命令』で可能だと思う。人間ではできない作業も効率良くできそうだから、国や町の発展も早いかも。  でも、周辺にそれが知られたら、魔法条約のように規制されるから、やるなら一気にやるか、バレないように進めないと……って、まだまだ先のことだから、この話はこのぐらいにしておこうか。  気になることはいっぱいあるけど、一度休憩しよう、と言うか、もうお昼だから、家に帰らないと。また、二時間後ぐらいに集まって、残った細かいことを話す感じかな」  イリスちゃんが立ち上がると、みんなも立ち上がって帰り支度を始めた。  色々な話を一気に聞いて、疲れているかと思いきや、最後の話が嬉しかったのか期待を膨らませたのか、みんな爽やかな表情をしているようだった。 「シンシアさん、もしトイレに行きたいなら、シュウちゃんに今ここで飲んでもらってください。少しでもシュウちゃんの経験値にしたいのが理由です。  ちなみに、三種類の体液が必要なので、泣きじゃくる以外はおしっこするだけでは終わりません。恥ずかしいなら私もやりますから。ユキお姉ちゃんとアースリーお姉ちゃんは、シュウちゃんと自室でも一緒だから、いつでもできますが、私達は常に一緒にいるわけではなく、明るい内はシュウちゃんと人目に付く所では会えないので」 「こ、ここでか……。分かった……。じゃあ、お言葉に甘えて、イリスも頼む」  キョロキョロと周りを見回してから、覚悟を決めたように頷くシンシア。 「あ、じゃあ私もするよ」 「じゃあ私も」  ユキちゃんとアースリーちゃんも手を挙げた。  女子の連れション感覚で気軽なテンションの二人に、人前でのトイレを恥ずかしがらないセフ村の特徴を改めて感じた。四人だから、イリスちゃんの家の近くの森とアースリーちゃんの部屋に一本ずつ置いて、触手の本数はギリギリ足りる。  一応、何をするかを全員に確認し、四本同時に別々の動きをするのは難しいので、単調になってしまうかもしれないということは断っておいた。 「それでは、シュウ様。参ります」  そして、四人向かい合って用を足す異様とも言える光景と、ドアの向こうには漏れない程度の嬌声が、部屋中に広がった。



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