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1.昏迷のせせらぎ

ー/ー



 イーレオが、全力での〈(ムスカ)〉捜索を約束した日から数日経った、とある麗らかな昼下がり。リュイセンは、弟分であるルイフォンの仕事部屋を訪れた。
 足を踏み入れた途端、冷風の出迎えを受けるのは、相変わらずだ。とはいえ、このところの陽気からすれば、それはさして苦にはならない。
 しかし、折角のよい日和にも関わらず、陽射しの恩恵が皆無というのは、如何(いかが)なものだろうか。
 窓のない部屋は、煌々とした電灯に照らされ、並べられた機械類は昼夜の区別を知らない。いくら充分な光量があったとしても、これでは陰気な異空間としかいえないだろう。
 リュイセンは渋面を作った。
 ルイフォンと初めて会ったとき、随分と生白(なまっちろ)い奴だと思ったが、こういう穴ぐらで生活していれば当然なのだ。鷹刀一族の屋敷に来てからは、チャオラウに鍛えられて少しはましになったものの、一族を抜けて『対等な協力者』になったあとは、まともに稽古もしていない。忙しいのは分かっているが、たまには外に出て体を動かすべきだと思う。
「ルイフォン。ちょっといいか?」
『鍵は開いているから、勝手に入ってこい』が、ルイフォンの姿勢である。遠慮は要らない。けれど、彼が母親からの『手紙』の解析に集中しているのは知っているので、控えめな声になった。
「んー?」
 返事はあっても、(うわ)の空だった。モニタの前で難しい顔をしている弟分の頭は、異次元を散歩しているらしい。
「……また、あとにする」
「ちゃんと聞いているよ」
 緩慢な動きで振り向き、ルイフォンはOAグラスを外した。作業を中断されるのを嫌う彼にしては、珍しいことだった。ただし、機嫌は悪そうであるが。
 面倒臭そうに、用件は? と、顎をしゃくる仕草に、リュイセンは内心むっとしながらも、いつものことなので諦める。回りくどく言っても仕方ないので、単刀直入に切り出した。
「〈(ムスカ)〉に関して、疑問がある。祖父上たちに話す前に、お前の意見を聞きたい。――いいか?」
 次の会議でいきなり問いかけて、浅慮だと、父のエルファンに一笑されたくないのだ。
 見栄だと、自分でも分かっている。――誰に対する見栄なのかも。
「言ってみろ」
 偉そうな口調だが、他意はない。ルイフォンは、そういう奴だ。
 それどころか、〈七つの大罪〉関係の話であるためか、興味を持ったようだった。特徴的な猫の目が輝き、すっと細まる。
 よい反応だった。リュイセンは腰を据えて話すべく、近くの机の下から丸椅子を引き出した。
「〈七つの大罪〉が、何故、あの〈(ムスカ)〉を作ったのかが、やはり分からない」
「それは〈七つの大罪〉が、死んだヘイシャオの天才的な技術力を利用したいから、だろ?」
 この前の会議のとき、そういうことで納得したんじゃなかったのか? と、半ば呆れたようにルイフォンの目が言っていた。期待外れの、つまらない話だったと、あからさまにがっかりしたのが見て取れた。
「すまん。言い方が悪かった。それは理解しているんだ。――そうじゃないんだ」
 首を振るリュイセンに、ルイフォンが不審げな顔をする。どうしてもっと簡潔に言えないのかと、リュイセンは自己嫌悪に陥りそうになる。
「俺が言いたいのは、どうしてヘイシャオ叔父の〈影〉では駄目だったのか、ってことだ」
 ルイフォンの眉が、ぴくりと動いた。
 手応えを感じたリュイセンは、語調を強めて続けた。
「〈七つの大罪〉が必要なのは、ヘイシャオ叔父の技術力だろう? つまり、頭の中身だ。ならば、わざわざ新しく〈(ムスカ)〉の体を作らなくても、保存してあった記憶を使って、誰かを〈影〉にすればいいじゃないか」
 ルイフォンが〈(ムスカ)〉のサングラスを跳ね飛ばし、奴の素顔が晒されたとき、生前のヘイシャオを知らないリュイセンは、いかにも鷹刀の血族らしい顔立ちだと思った。でも、それだけだ。
 だが、もしもミンウェイがあの顔を見たら――。
 頭では分かっていても、父親が生き返ったかのように錯覚するだろう。そう思うと、いてもたってもいられない。
「それから、純粋に技術力だけが必要なら、どうして『呪い』で支配しない? 俺たちが斑目の別荘に潜入したとき、ホンシュアと〈(ムスカ)〉の口論を目撃しただろう。俺には、〈七つの大罪〉が〈(ムスカ)〉を持て余しているように感じられた」
 他界した天才医師の技術力のみが欲しいなら、同じ姿も、人格も要らない。なのに、あの〈(ムスカ)〉は、ヘイシャオそのもの。ただの駒のくせに、ミンウェイへの執着も変わらずに――。
 ……やはり、ヘイシャオにそっくりな〈(ムスカ)〉には、何か意味があるのではないかと、勘ぐってしまう。
 とうに滅んだ過去の亡霊にミンウェイが振り回されるなど、リュイセンは許さない。なんとしてでも、彼女を守らねばならぬ――。
 リュイセンが、口には出さない想いを噛みしめていたとき、そばではルイフォンは口元に手を当て、ぶつぶつと呟いていた。
「……ああ、そういえば……そうだよな。……んー。いや、そうでもないのか……」
「ルイフォン?」
 我に返ったリュイセンが声を掛ける。
「うん? ああ。――お前の疑問はもっともだ。だが、俺にはなんとなく理由が分かる」
「え? 分かるのか?」
 リュイセンは、拍子抜けした。――否、正直なところ、かなり落胆した。彼としては大発見の、大手柄のつもりだったのだ。
 その気持ちが顔に出ていたのだろう。ルイフォンは、やや申し訳なさそうに、ぽりぽりと頬を掻く。
「ええと、な。以前、屋敷が警察隊に襲われたとき、捕虜にした奴らがいただろ。あいつらは『〈(ムスカ)〉の〈影〉』だった。つまり『ヘイシャオの〈影〉』だ」
「あ、ああ」
 そういえば、そうであった。
「で、巨漢の偽警察隊員のほうは、『呪い』で〈(ムスカ)〉の奴隷になっていた。まさに、リュイセンが『こうすればいい』と言った状態だ」
 リュイセンは、はっと息を呑んだ。その様子にルイフォンは頷き、言を継ぐ。
「ミンウェイの報告を聞いた限りでは、あの巨漢が〈(ムスカ)〉ほどの切れ者だったとは、俺には感じられない。〈(ムスカ)〉と同一人物とは思えないんだ。そして、もうひとりの『〈(ムスカ)〉の〈影〉』――」
「緋扇シュアンの先輩とかいう、正規の警察隊員だった男だな」
「ああ。そいつは、自分には奴隷の『呪い』が掛からなかった、って言っていたんだろ? ――つまり、〈影〉では完璧な同一人物にはならないし、『呪い』も万能なものではない、ってことだ」
「そうなのか……」
 リュイセンとしては、今ひとつ納得がいかなかった。ルイフォンの見解にけちをつけるつもりはないが、『闇の研究組織』と呼ばれている〈七つの大罪〉なら、なんでもできるような気がしたのだ。
「そんな顔するなよ」
 ルイフォンは回転椅子をぎいと鳴らし、背もたれに体を預けた。腕を組み、どう言ったものかと思案する顔は、〈(フェレース)〉のものだ。
「〈七つの大罪〉の思想というか、人間というものに対する概念というのかな。ヘイシャオの研究の根底にある、人間を『肉体(ハードウェア)』と『記憶(ソフトウェア)』に分ける、って考え方。この感覚、俺には理解しやすいんだけど……リュイセン、分かるか?」
「それは、なんとなく把握できていると思う」
 リュイセンがそう答えると、ルイフォンがほっとしたように息をついた。そして、「いいか?」と続ける。
「〈七つの大罪〉は、ヘイシャオという最高の頭脳が記録された記憶(ソフトウェア)を持っていた。これを活用するためには、肉体(ハードウェア)が必要だ。――どんな肉体(ハードウェア)を用意すればいいか」
 そう言いながらルイフォンは、あたりを見渡し、そのへんに放り出されていた記憶媒体を手に取る。
「それは、こいつに入っているものをどのマシンで動かすか、ってことと同じだと思う。(ロー)スペックマシンを使うより、(ハイ)スペックマシンを使ったほうが高速で処理できるってことは、直感的に分かるよな?」
「ああ。つまり、ヘイシャオ叔父の記憶も、馬鹿な奴の体に入れるよりも、頭のいい奴の体を使ったほうがいい――と」
「そういうことだ。単純に知能が高いとかで計れる問題でもないだろうけれど、少なくともヘイシャオの頭脳という記憶(ソフトウェア)を、最高の性能(パフォーマンス)で再現できる肉体(ハードウェア)ということなら、当然、本人の体ってことになるだろう」
「けど、新しい体を作るなんて……そこまで性能にこだわる必要が――」
 微妙に賛同しかねて言いよどむリュイセンに、遮るようにルイフォンが言葉をかぶせる。
「あったんだろ。そうでなきゃ、そもそも死者を頼ったりしない」
「確かに……」
 リュイセンの相槌の語尾が、溜め息と共に消えていく。心情的には、まだまだ落ち着かない部分があったが、どうやら納得せざるを得ないようだった。
「けどさ、もし奴隷の『呪い』が掛からなかったとしても、行動を制限する『呪い』くらい掛けてもよさそうなものじゃないか? 〈七つの大罪〉だって手を焼いているんだろう? なのに奴は、好き勝手しているように見える……」
 ただの駒に、ミンウェイを(おびや)かすような真似をしてほしくない。リュイセンの偽らざる本心だ。
 それは、些細な呟きで、単なるぼやきだった。しかし、どういうわけだか、ルイフォンの琴線に触れたらしい。はっと気づいたときには、弟分の顔から表情が消え去っていた。
「リュイセン、お前の気持ちは分かる。けど〈(ムスカ)〉に対しては、〈七つの大罪〉は初めから『呪い』を掛ける気がなかったと思う。――少なくとも、俺なら掛けない」
「なっ!? どうしてだ?」
 不可解なことを言われた苛立ち。そして、年下の弟分なのに、ルイフォンが自分よりも遥かに思慮深く感じられたという焦燥が、リュイセンの中でないまぜになる。
「『呪い』というのは〈天使〉による侵入(クラッキング)だ。他人の脳内を完全に把握しているなんてあり得ないだろうから、手探り状態でやっているはずだ。一歩、間違えればシステムを破壊――つまり、廃人になると思う」
 クラッカー〈(フェレース)〉の視線が鋭く斬り込まれ、分かるか? と尋ねてくる。
「そんな危険な改竄、俺だったら、せっかく生き返らせた大事な天才医師を相手に、試してみる気にはなれない」
「でも、祖父上だって〈悪魔〉になるときに『呪い』というか、『契約』の脳内介入を受けているけど、問題ないだろう?」
「確かにそう見える。……そう見えるけど、まったくなんの影響もないと、証明できるか?」
 ルイフォンは癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。ほんの少し、ためらうように息を吐き、「完璧な技術なんてないんだ」と、声を落とす。
「俺は、俺に破れないセキュリティはないと豪語している。けど、本当にそうかと言えば、やっぱり俺にだって不可能はあるし、ミスすることだってある」
 猫の目が一瞬だけ寂しげに歪み、リュイセンはどきりとした。そんな兄貴分の揺らぎを知ってか知らでか、ルイフォンは「〈天使〉も同じなんだ」と独りごつように呟く。
「〈天使〉の能力を初めて聞いたとき、俺は万能な魔法のようだと思った。でも、そうじゃなかった」
 ルイフォンは、おもむろに自分の背に手を回し、一本に編まれた髪を引き寄せた。彼の手の中で、毛先を飾る金の鈴がきらりと光る。
「ちゃんと筋道が通っていないと駄目だ。だから、優秀な〈天使(クラッカー)〉の母さんだって、この鈴のために、俺の記憶を思った通りには改竄できなかった。……たぶん、俺に遠慮があったと思う。俺に(きず)をつけてはいけないから、手加減をしただろう」
「……」
「魔法じゃないんだ。技術なんだ。……なんでも思い通りにうまくいくわけじゃない」
 静かにこぼれたテノールが、まるで祈りのように聞こえ、リュイセンは胸を突かれた。
 その響きは、何故か……妻を失いたくないと願ったヘイシャオを連想させた。禁忌の技術に手を出した〈悪魔〉。彼の悲痛な叫びが重ね合わさり、初めてその想いの深淵を感じた。
「リュイセン」
 不意に名を呼ばれ、リュイセンは慌てて「ああ」と返事をする。
「クラッカーなら、『呪い』にためらいがあると思う。絶対に(きず)をつけてはならない、唯一無二の相手なら、使わないほうが無難だと考える。――だから、〈(ムスカ)〉には『呪い』を掛けない」
 ルイフォンは、そこで一度言葉を切った。
 そして、鋭く光る猫の目で、じっとリュイセンを捕らえた。
「少なくとも……。……セレイエなら、そう考えるはずだ――」
「――! セレイエ……」
 ふたりに共通の『姉』。
 斑目一族の別荘で会った〈天使〉、ホンシュアの中に入っていた記憶……。
「セレイエは、〈七つの大罪〉にいる。……俺は、あいつに会わないといけない」
 ルイフォンは掌の上を見やり、自分の髪の毛ごと金色の鈴を握りしめた。
「……」
 なんとなく気まずくなり、リュイセンは視線をそらす。
 どうにも、おかしな雲行きになってしまった。リュイセンとしては、本物そっくりの〈(ムスカ)〉が気になっただけだった。今後、〈(ムスカ)〉が見つかれば、あの姿がミンウェイを惑わすであろうことを懸念したのだ。
「あ、れ……?」
 リュイセンは、瞳を瞬かせた。――重大なことに気づいた。
「ルイフォン……。あの〈(ムスカ)〉は、なんでヘイシャオ叔父が生きていたかのような姿をしているんだ?」
「はっ!? だから――!」
 また、言い方が悪かった。リュイセンは、心の中で舌打ちをする。そして、苛立ちのルイフォンが二の句を発する前にと、声を張り上げた。
「聞いてくれ」
「なんだよ?」
「俺たちが会ったのは、白髪頭の〈(ムスカ)〉だ。年齢的には父上と同じくらいに見えた。ちょうど、ヘイシャオ叔父が生きていればあんな年頃、という姿だ。けど、叔父が死んだのは十数年前だ。残されていたという記憶は、それ以前のものでしかあり得ない」
 ――つまり、記憶の年齢と、肉体の年齢が合っていない。
 ルイフォンも気づいたのだろう。さっと顔色が変わった。
「――ってことは、今まで俺が、もっともらしく言っていたことは、皆、外れってことか……?」
 ルイフォンが、前髪をくしゃくしゃと掻き上げる。
「いや、納得できる話だった。だから、的外れってことはないと思う」
「だが、最大の性能(パフォーマンス)を出すためには、記憶と肉体の年齢を合わせるべきだ。……それとも、そもそも、あの〈(ムスカ)〉はヘイシャオじゃないのか? 見たのが俺とリュイセンだけじゃ、鷹刀の血族の顔だってことは分かっても、本人だという保証はない――」
 …………。
 ルイフォンは頭を抑えるようにしてうつむき、リュイセンは虚空をじっと見据える。押し黙ってしまったふたりの間を、空調の風が虚しく抜けていく。
 どのくらいの時が過ぎただろうか。
 リュイセンが視線を落とし、ルイフォンに「なぁ」と声を掛けた。
「俺たちがこうして考えていても、埒が明かない。今、やるべきことをやろう。――祖父上に報告して、一刻も早く〈(ムスカ)〉を捕まえるんだ。そうすれば、(おの)ずと分かることだ」
「あ、ああ……。そうだな」
 互いに、互いの顔を見つめ、盛大に溜め息をつく。
 ルイフォンが椅子の背に寄りかかり、天を仰いだ。
「なんか、疲れたな」
 心底、投げやりな様子で呟き、続けて「メイシアにお茶でも……」と言い掛けて、はっと目を見開く。
「あぁ……。リュイセンとの話に夢中になっていて、忘れていた……」
「どうした?」
 リュイセンが問いかけると、ルイフォンは急に体を起こし、椅子にうずくまるようにして背を丸めた。
「メイシアと、喧嘩したんだった……」
 そう言って、がっくりと、うなだれた。


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 イーレオが、全力での〈|蝿《ムスカ》〉捜索を約束した日から数日経った、とある麗らかな昼下がり。リュイセンは、弟分であるルイフォンの仕事部屋を訪れた。
 足を踏み入れた途端、冷風の出迎えを受けるのは、相変わらずだ。とはいえ、このところの陽気からすれば、それはさして苦にはならない。
 しかし、折角のよい日和にも関わらず、陽射しの恩恵が皆無というのは、|如何《いかが》なものだろうか。
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『鍵は開いているから、勝手に入ってこい』が、ルイフォンの姿勢である。遠慮は要らない。けれど、彼が母親からの『手紙』の解析に集中しているのは知っているので、控えめな声になった。
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「ちゃんと聞いているよ」
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「〈|蝿《ムスカ》〉に関して、疑問がある。祖父上たちに話す前に、お前の意見を聞きたい。――いいか?」
 次の会議でいきなり問いかけて、浅慮だと、父のエルファンに一笑されたくないのだ。
 見栄だと、自分でも分かっている。――誰に対する見栄なのかも。
「言ってみろ」
 偉そうな口調だが、他意はない。ルイフォンは、そういう奴だ。
 それどころか、〈七つの大罪〉関係の話であるためか、興味を持ったようだった。特徴的な猫の目が輝き、すっと細まる。
 よい反応だった。リュイセンは腰を据えて話すべく、近くの机の下から丸椅子を引き出した。
「〈七つの大罪〉が、何故、あの〈|蝿《ムスカ》〉を作ったのかが、やはり分からない」
「それは〈七つの大罪〉が、死んだヘイシャオの天才的な技術力を利用したいから、だろ?」
 この前の会議のとき、そういうことで納得したんじゃなかったのか? と、半ば呆れたようにルイフォンの目が言っていた。期待外れの、つまらない話だったと、あからさまにがっかりしたのが見て取れた。
「すまん。言い方が悪かった。それは理解しているんだ。――そうじゃないんだ」
 首を振るリュイセンに、ルイフォンが不審げな顔をする。どうしてもっと簡潔に言えないのかと、リュイセンは自己嫌悪に陥りそうになる。
「俺が言いたいのは、どうしてヘイシャオ叔父の〈影〉では駄目だったのか、ってことだ」
 ルイフォンの眉が、ぴくりと動いた。
 手応えを感じたリュイセンは、語調を強めて続けた。
「〈七つの大罪〉が必要なのは、ヘイシャオ叔父の技術力だろう? つまり、頭の中身だ。ならば、わざわざ新しく〈|蝿《ムスカ》〉の体を作らなくても、保存してあった記憶を使って、誰かを〈影〉にすればいいじゃないか」
 ルイフォンが〈|蝿《ムスカ》〉のサングラスを跳ね飛ばし、奴の素顔が晒されたとき、生前のヘイシャオを知らないリュイセンは、いかにも鷹刀の血族らしい顔立ちだと思った。でも、それだけだ。
 だが、もしもミンウェイがあの顔を見たら――。
 頭では分かっていても、父親が生き返ったかのように錯覚するだろう。そう思うと、いてもたってもいられない。
「それから、純粋に技術力だけが必要なら、どうして『呪い』で支配しない? 俺たちが斑目の別荘に潜入したとき、ホンシュアと〈|蝿《ムスカ》〉の口論を目撃しただろう。俺には、〈七つの大罪〉が〈|蝿《ムスカ》〉を持て余しているように感じられた」
 他界した天才医師の技術力のみが欲しいなら、同じ姿も、人格も要らない。なのに、あの〈|蝿《ムスカ》〉は、ヘイシャオそのもの。ただの駒のくせに、ミンウェイへの執着も変わらずに――。
 ……やはり、ヘイシャオにそっくりな〈|蝿《ムスカ》〉には、何か意味があるのではないかと、勘ぐってしまう。
 とうに滅んだ過去の亡霊にミンウェイが振り回されるなど、リュイセンは許さない。なんとしてでも、彼女を守らねばならぬ――。
 リュイセンが、口には出さない想いを噛みしめていたとき、そばではルイフォンは口元に手を当て、ぶつぶつと呟いていた。
「……ああ、そういえば……そうだよな。……んー。いや、そうでもないのか……」
「ルイフォン?」
 我に返ったリュイセンが声を掛ける。
「うん? ああ。――お前の疑問はもっともだ。だが、俺にはなんとなく理由が分かる」
「え? 分かるのか?」
 リュイセンは、拍子抜けした。――否、正直なところ、かなり落胆した。彼としては大発見の、大手柄のつもりだったのだ。
 その気持ちが顔に出ていたのだろう。ルイフォンは、やや申し訳なさそうに、ぽりぽりと頬を掻く。
「ええと、な。以前、屋敷が警察隊に襲われたとき、捕虜にした奴らがいただろ。あいつらは『〈|蝿《ムスカ》〉の〈影〉』だった。つまり『ヘイシャオの〈影〉』だ」
「あ、ああ」
 そういえば、そうであった。
「で、巨漢の偽警察隊員のほうは、『呪い』で〈|蝿《ムスカ》〉の奴隷になっていた。まさに、リュイセンが『こうすればいい』と言った状態だ」
 リュイセンは、はっと息を呑んだ。その様子にルイフォンは頷き、言を継ぐ。
「ミンウェイの報告を聞いた限りでは、あの巨漢が〈|蝿《ムスカ》〉ほどの切れ者だったとは、俺には感じられない。〈|蝿《ムスカ》〉と同一人物とは思えないんだ。そして、もうひとりの『〈|蝿《ムスカ》〉の〈影〉』――」
「緋扇シュアンの先輩とかいう、正規の警察隊員だった男だな」
「ああ。そいつは、自分には奴隷の『呪い』が掛からなかった、って言っていたんだろ? ――つまり、〈影〉では完璧な同一人物にはならないし、『呪い』も万能なものではない、ってことだ」
「そうなのか……」
 リュイセンとしては、今ひとつ納得がいかなかった。ルイフォンの見解にけちをつけるつもりはないが、『闇の研究組織』と呼ばれている〈七つの大罪〉なら、なんでもできるような気がしたのだ。
「そんな顔するなよ」
 ルイフォンは回転椅子をぎいと鳴らし、背もたれに体を預けた。腕を組み、どう言ったものかと思案する顔は、〈|猫《フェレース》〉のものだ。
「〈七つの大罪〉の思想というか、人間というものに対する概念というのかな。ヘイシャオの研究の根底にある、人間を『|肉体《ハードウェア》』と『|記憶《ソフトウェア》』に分ける、って考え方。この感覚、俺には理解しやすいんだけど……リュイセン、分かるか?」
「それは、なんとなく把握できていると思う」
 リュイセンがそう答えると、ルイフォンがほっとしたように息をついた。そして、「いいか?」と続ける。
「〈七つの大罪〉は、ヘイシャオという最高の頭脳が記録された|記憶《ソフトウェア》を持っていた。これを活用するためには、|肉体《ハードウェア》が必要だ。――どんな|肉体《ハードウェア》を用意すればいいか」
 そう言いながらルイフォンは、あたりを見渡し、そのへんに放り出されていた記憶媒体を手に取る。
「それは、こいつに入っているものをどのマシンで動かすか、ってことと同じだと思う。|低《ロー》スペックマシンを使うより、|高《ハイ》スペックマシンを使ったほうが高速で処理できるってことは、直感的に分かるよな?」
「ああ。つまり、ヘイシャオ叔父の記憶も、馬鹿な奴の体に入れるよりも、頭のいい奴の体を使ったほうがいい――と」
「そういうことだ。単純に知能が高いとかで計れる問題でもないだろうけれど、少なくともヘイシャオの頭脳という|記憶《ソフトウェア》を、最高の|性能《パフォーマンス》で再現できる|肉体《ハードウェア》ということなら、当然、本人の体ってことになるだろう」
「けど、新しい体を作るなんて……そこまで性能にこだわる必要が――」
 微妙に賛同しかねて言いよどむリュイセンに、遮るようにルイフォンが言葉をかぶせる。
「あったんだろ。そうでなきゃ、そもそも死者を頼ったりしない」
「確かに……」
 リュイセンの相槌の語尾が、溜め息と共に消えていく。心情的には、まだまだ落ち着かない部分があったが、どうやら納得せざるを得ないようだった。
「けどさ、もし奴隷の『呪い』が掛からなかったとしても、行動を制限する『呪い』くらい掛けてもよさそうなものじゃないか? 〈七つの大罪〉だって手を焼いているんだろう? なのに奴は、好き勝手しているように見える……」
 ただの駒に、ミンウェイを|脅《おびや》かすような真似をしてほしくない。リュイセンの偽らざる本心だ。
 それは、些細な呟きで、単なるぼやきだった。しかし、どういうわけだか、ルイフォンの琴線に触れたらしい。はっと気づいたときには、弟分の顔から表情が消え去っていた。
「リュイセン、お前の気持ちは分かる。けど〈|蝿《ムスカ》〉に対しては、〈七つの大罪〉は初めから『呪い』を掛ける気がなかったと思う。――少なくとも、俺なら掛けない」
「なっ!? どうしてだ?」
 不可解なことを言われた苛立ち。そして、年下の弟分なのに、ルイフォンが自分よりも遥かに思慮深く感じられたという焦燥が、リュイセンの中でないまぜになる。
「『呪い』というのは〈天使〉による|侵入《クラッキング》だ。他人の脳内を完全に把握しているなんてあり得ないだろうから、手探り状態でやっているはずだ。一歩、間違えればシステムを破壊――つまり、廃人になると思う」
 クラッカー〈|猫《フェレース》〉の視線が鋭く斬り込まれ、分かるか? と尋ねてくる。
「そんな危険な改竄、俺だったら、せっかく生き返らせた大事な天才医師を相手に、試してみる気にはなれない」
「でも、祖父上だって〈悪魔〉になるときに『呪い』というか、『契約』の脳内介入を受けているけど、問題ないだろう?」
「確かにそう見える。……そう見えるけど、まったくなんの影響もないと、証明できるか?」
 ルイフォンは癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。ほんの少し、ためらうように息を吐き、「完璧な技術なんてないんだ」と、声を落とす。
「俺は、俺に破れないセキュリティはないと豪語している。けど、本当にそうかと言えば、やっぱり俺にだって不可能はあるし、ミスすることだってある」
 猫の目が一瞬だけ寂しげに歪み、リュイセンはどきりとした。そんな兄貴分の揺らぎを知ってか知らでか、ルイフォンは「〈天使〉も同じなんだ」と独りごつように呟く。
「〈天使〉の能力を初めて聞いたとき、俺は万能な魔法のようだと思った。でも、そうじゃなかった」
 ルイフォンは、おもむろに自分の背に手を回し、一本に編まれた髪を引き寄せた。彼の手の中で、毛先を飾る金の鈴がきらりと光る。
「ちゃんと筋道が通っていないと駄目だ。だから、優秀な〈|天使《クラッカー》〉の母さんだって、この鈴のために、俺の記憶を思った通りには改竄できなかった。……たぶん、俺に遠慮があったと思う。俺に|疵《きず》をつけてはいけないから、手加減をしただろう」
「……」
「魔法じゃないんだ。技術なんだ。……なんでも思い通りにうまくいくわけじゃない」
 静かにこぼれたテノールが、まるで祈りのように聞こえ、リュイセンは胸を突かれた。
 その響きは、何故か……妻を失いたくないと願ったヘイシャオを連想させた。禁忌の技術に手を出した〈悪魔〉。彼の悲痛な叫びが重ね合わさり、初めてその想いの深淵を感じた。
「リュイセン」
 不意に名を呼ばれ、リュイセンは慌てて「ああ」と返事をする。
「クラッカーなら、『呪い』にためらいがあると思う。絶対に|疵《きず》をつけてはならない、唯一無二の相手なら、使わないほうが無難だと考える。――だから、〈|蝿《ムスカ》〉には『呪い』を掛けない」
 ルイフォンは、そこで一度言葉を切った。
 そして、鋭く光る猫の目で、じっとリュイセンを捕らえた。
「少なくとも……。……セレイエなら、そう考えるはずだ――」
「――! セレイエ……」
 ふたりに共通の『姉』。
 斑目一族の別荘で会った〈天使〉、ホンシュアの中に入っていた記憶……。
「セレイエは、〈七つの大罪〉にいる。……俺は、あいつに会わないといけない」
 ルイフォンは掌の上を見やり、自分の髪の毛ごと金色の鈴を握りしめた。
「……」
 なんとなく気まずくなり、リュイセンは視線をそらす。
 どうにも、おかしな雲行きになってしまった。リュイセンとしては、本物そっくりの〈|蝿《ムスカ》〉が気になっただけだった。今後、〈|蝿《ムスカ》〉が見つかれば、あの姿がミンウェイを惑わすであろうことを懸念したのだ。
「あ、れ……?」
 リュイセンは、瞳を瞬かせた。――重大なことに気づいた。
「ルイフォン……。あの〈|蝿《ムスカ》〉は、なんでヘイシャオ叔父が生きていたかのような姿をしているんだ?」
「はっ!? だから――!」
 また、言い方が悪かった。リュイセンは、心の中で舌打ちをする。そして、苛立ちのルイフォンが二の句を発する前にと、声を張り上げた。
「聞いてくれ」
「なんだよ?」
「俺たちが会ったのは、白髪頭の〈|蝿《ムスカ》〉だ。年齢的には父上と同じくらいに見えた。ちょうど、ヘイシャオ叔父が生きていればあんな年頃、という姿だ。けど、叔父が死んだのは十数年前だ。残されていたという記憶は、それ以前のものでしかあり得ない」
 ――つまり、記憶の年齢と、肉体の年齢が合っていない。
 ルイフォンも気づいたのだろう。さっと顔色が変わった。
「――ってことは、今まで俺が、もっともらしく言っていたことは、皆、外れってことか……?」
 ルイフォンが、前髪をくしゃくしゃと掻き上げる。
「いや、納得できる話だった。だから、的外れってことはないと思う」
「だが、最大の|性能《パフォーマンス》を出すためには、記憶と肉体の年齢を合わせるべきだ。……それとも、そもそも、あの〈|蝿《ムスカ》〉はヘイシャオじゃないのか? 見たのが俺とリュイセンだけじゃ、鷹刀の血族の顔だってことは分かっても、本人だという保証はない――」
 …………。
 ルイフォンは頭を抑えるようにしてうつむき、リュイセンは虚空をじっと見据える。押し黙ってしまったふたりの間を、空調の風が虚しく抜けていく。
 どのくらいの時が過ぎただろうか。
 リュイセンが視線を落とし、ルイフォンに「なぁ」と声を掛けた。
「俺たちがこうして考えていても、埒が明かない。今、やるべきことをやろう。――祖父上に報告して、一刻も早く〈|蝿《ムスカ》〉を捕まえるんだ。そうすれば、|自《おの》ずと分かることだ」
「あ、ああ……。そうだな」
 互いに、互いの顔を見つめ、盛大に溜め息をつく。
 ルイフォンが椅子の背に寄りかかり、天を仰いだ。
「なんか、疲れたな」
 心底、投げやりな様子で呟き、続けて「メイシアにお茶でも……」と言い掛けて、はっと目を見開く。
「あぁ……。リュイセンとの話に夢中になっていて、忘れていた……」
「どうした?」
 リュイセンが問いかけると、ルイフォンは急に体を起こし、椅子にうずくまるようにして背を丸めた。
「メイシアと、喧嘩したんだった……」
 そう言って、がっくりと、うなだれた。