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4.猫の足跡を追って-2

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 ルイフォンの案内で、メイシアは食堂にやってきた。  扉を開けてすぐのところにあるスイッチを、ルイフォンがパチパチと入れる。高い天井から淡い光が注がれ、純白のテーブルクロスが掛けられた丸テーブルが浮かび上がった。  テーブルはそれほど大きくはない。十人は座れないだろう。今は椅子が五脚だけなので、それほど窮屈には見えないが、部屋の広さに対して小ぢんまりとした感があった。庭に面した南側は一面の硝子張りになっており、外灯が木々のまどろみを幻想的に映し出していた。  メイシアたちが入ってきた気配を察してか、奥の厨房から恰幅のよい初老の男が現れた。服装からして料理人であろう。 「ルイフォン様、お夜食でございますか? そろそろかと思って準備しておりましたよ」 「さすが、料理長。いつも悪いな」  ルイフォンが親しげに言う。 「わざわざお越しいただかなくとも、お申し付けくださればお持ちいたしましたのに」 「そりゃ悪いって。もう仕事あがってんだろ? ま、作らせちゃうのは同じなんだけどさ。――というわけで、頼む。腹が減って死にそうだ」 「お任せください。……そちらのお嬢さんは如何いたしますか?」  不意のことだったので、メイシアは反応が遅れた。 「え……、いえ。私は結構です」 「そうですか。では」  腹を揺らしながら厨房に戻る料理長にメイシアは慌てて声を掛けた。 「あ、あの……! お夕飯、とても美味しかったです。ご馳走様でした。……その、ありがとうございました」  料理長は振り返り「それは光栄です」と、外見に似合わぬ気取った礼をとり、豪快に笑いながら去っていった。  傍らでルイフォンがにやにやとメイシアを見ていた。 「お前、使用人と喋るのに慣れていないだろ」 「……はい。身分の違う者とは話すものではない、と。そう教えられて育ちました」 「だろうな。――でも、ま、大丈夫そうだな」  ルイフォンは納得したように頷くと椅子のひとつに座り、メイシアを手招きする。どこに座ったものかと悩む彼女に、彼は自分のすぐ右隣の席を指定した。  左肘を立てて頬杖をつき、ルイフォンはメイシアを斜めに見上げていた。足を組んだ、相変わらずの崩した姿勢である。それなのに、いつになく険しい彼の視線に、メイシアはどう対応したものか戸惑い、居心地の悪さを覚える。 「斑目を雇ったのは厳月家だ」  唐突に、ルイフォンが口を開いた。今までより一段、声色が低い。 「やはり、厳月家でしたか……」  メイシアの口から重い息が漏れた。  執務室で、イーレオが『斑目は、ある貴族シャトーアに雇われて、動いている』と言った。それを聞いたときから、彼女は、なんとなく察していた。  藤咲家と厳月家には、浅からぬ因縁があった。  どちらの領地にも良質な桑園があり、古くから養蚕と絹織物工業が盛んだった。故に、何かの式典の折には、どちらの家が王族フェイラの衣装を請け負うか、熾烈な争いを繰り広げてきたのである。 「おかしいと思ったんです。凶賊ダリジィンが誘拐事件を起こしただけで、親族中が集まって上を下への大騒ぎをするなんて……」  誘拐事件なら、身代金を払うことで解決できるはずだ。  メイシアは瞬きもせず、じっと押し黙った。  話を始めたばかりだったルイフォンは、続けてよいものかと、メイシアを頭の先から走査して、膝の上できつく組み合った両手のところで目を止めた。  彼がおとなしく待っていると、やがてゆっくりと、彼女は口を開く。 「……もともと藤咲家と厳月家は、あまり良い関係ではありません。けれど、『今』、厳月家が動きました。――その理由になるような、『何か』があったのですか?」  メイシアの質問に、ルイフォンの眉が動いた。だから、彼女は語尾を言い換え、断定した。 「――あったんですね」  メイシアの真っ直ぐな眼差しを受け止め、ルイフォンは頬杖をやめた。崩していた姿勢を正して静かに口を開く。 「発端は、女王だ」 「え……?」  思いもよらぬ言葉に、メイシアは目を丸くする。それがどう自分と関わってくるのか、まるで見当もつかない。 「まだトップシークレットだが……。女王の結婚が決まった」 「女王陛下が、ご結婚……!?」  喜ばしいことであるが、しかし素朴な疑問が口をついて出る。 「女王陛下は先日、十五歳になられたばかりです」 「そんなの、王族フェイラには関係ないだろ?」  メイシアの脳裏に、王宮の最奥を彩る、可憐な少女王の姿が描かれる。  天空の神フェイレンと同じく、輝く白金の髪に、澄んだ青灰色の瞳を持つ、神の化身――神の姿を写した〈神の御子〉。  黒髪黒目の国民は、〈神の御子〉を王に戴く。  しかし、〈神の御子〉の誕生は非常に稀である。しかも、天空の神が男神であることから、女王はあくまでも『仮初めの王』に過ぎず、この国では長いこと新しい王の誕生が待ち望まれていた。  結婚は、まだ早過ぎるのでは、とメイシアは口を挟みそうになったが、言われてみればルイフォンの言う通りであった。  メイシアが口をつぐんだのを受けて、ルイフォンが次の句を発した。 「既に、婚礼衣装担当家も決まっている」  はっ、とメイシアが息を呑んだ。  王族フェイラの婚礼衣装となれば、藤咲家か厳月家のどちらかが担当することになる。  緊張に、全身が強張る。耳をそばだて、彼女はルイフォンの言葉を待った。 「お前の実家、藤咲家だ」  小さな息を吐き、メイシアは華奢な肩を下げた。  女王の一世一代の晴れ舞台の衣装。それを請け負うのは藤咲家にとって大変な名誉である。誇らしさと喜びに胸が熱くなるが、次の瞬間、メイシアの背筋が凍った。 「では、ハオリュウを――異母弟を誘拐したのは……」  メイシアの頭を嫌な予感が横切る。  婚礼衣装担当家が藤咲家に決定した直後の誘拐。  その実行犯である斑目家の背後には、選考に漏れた厳月家の影。  これらが符号していることは――。 「藤咲家に、婚礼衣装担当家の辞退を、要求するため……?」 「そうだ」  メイシアは頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた。唇はわなわなと震え、紫色に変色している。 「ですが……! ……そんな、だって……、まさか……」  繋がらない言葉の羅列が、彼女の口をついて出る。  六歳年下の異母弟ハオリュウ。  既に身長は追いつかれ、声だって低くなってきたのに、小さい頃と変わらずに『姉様』と慕ってくる声がメイシアの耳に残っている。  酷い耳鳴りが襲ってきて、たまらずに彼女は頭を押さえた。 「嘘です……! だって、そんなことをすれば、いずれ厳月家は罪に問われるでしょう……!」 「厳月家と懇意にしている絹商人から、斑目の隠し口座に結構な額の金が振り込まれていた」  メイシアは、はっと息を呑んだ。 「スケープゴート……」  筋は通る。担当家が変わることで得をする者は、厳月家だけではない。  万が一、王族フェイラの尋問を受けても、厳月家はきちんと逃げ道を用意してあるのだ。  ここまで聞けば、状況は明白だった。  メイシアは、全身の血の気が引いていくのを感じた。  異母弟の生命と、家の命運が――天秤に載せられている。 「……今なら、私の家に集まってきた親族が、争っていた言葉の意味が分かります」  呟くようにメイシアは言った。 「『ハオリュウは捨て置くべきだ』――と」  親族たちは、平民バイスアを母に持つハオリュウを疎んでいる。日頃から、跡継ぎは、メイシアに婿を取らせるべきだと声高に叫んでいた。  そして、栄えある名誉を辞退すれば、王族フェイラを侮辱したとして、貴族シャトーアの地位を剥奪される可能性もある――。 「ルイフォン、教えてください! 父は、どう返事をしたのですか。――父は、単身で斑目一族のもとに行ったんです!」  必死に訴えるメイシアに、ルイフォンは「すまない」と首を振った。彼の背を、金の鈴が力なく転がる。 「そこから先は、ネットワーク情報中心の〈フェレース〉には分からない。改めて別の者に調査させる。約束する」 「っ……! ……すみません」  思わず声を荒立ててしまったことを、メイシアは恥じた。  本来なら藤咲家の内情は、身内である彼女が熟知しておくべきことだ。他人であるルイフォンに教えてもらうほうがおかしい。  メイシアは両手をテーブルにつき、うなだれた。  彼女の口から、乾いた笑いが漏れる。淑女たるもの、いつなんどきでも、己を忘れてはならない――そう、心に刻み込まれてきたはずなのに、彼女は溢れ出す感情を止めることはできなかった。 「どうして……、どうして……! 父は、親族は、私に何も教えてくれなかったんでしょうか……? どうして……!」  メイシアが顔を上げ、血の気を失せた顔をルイフォンに向けた。唇に掛かった一筋の髪があどけなく、すがるような幼子の顔だった。  ルイフォンは、思わず惹き寄せられるように手を伸ばし――途中で我に返った。  今は一応、仕事中であり、彼女は依頼人だ。  彼は、次に彼女に伝えるつもりだった情報について、頭の中で整理した。そして、話の切り出し方に少しだけ工夫を加える。 「俺は、お前の家の人間じゃないから、お前の家のことなど分からない」  メイシアの頬が、ぴくりと動いた。 「ただ、俺は情報屋だから、情報の大切さは知っている」  ルイフォンの声に、メイシアの握りしめていた拳の力が緩んだ。彼女は、じっと彼の言葉に耳を傾ける。 「女王の結婚の話はトップシークレットだ。箝口令が敷かれている。だから、それに関連する婚礼衣装担当家の話もおいそれと口にできない」 「でも、親族は皆、知っていて……」 「お前はまだ未成年だ。教えられなくても不思議じゃない。現に、お前自身が請け負う仕事は何もないだろう?」 「ですが……」  腑に落ちない様子のメイシアに、ルイフォンは鋭い目を向けた。 「お前の父だって、いつまでも黙っているつもりはなかっただろうさ。――だが、もうひとつ、事件が起きたんだ」 「まだ、他に……」 「ああ。――この話が出たから、お前に話すタイミングに困ったんじゃないか?」  いったい何が、とメイシアの目がルイフォンを急かし立てる。 「お前の異母弟が誘拐されてからしばらくの間、厳月家は斑目とは無関係を装い、沈黙を守ってきた――それが、表舞台に出てきた」  ごくり、とメイシアは生唾を呑んだ。  ルイフォンが軽く目を瞑りながら、すぅっと息を吸う。次に彼が目を開いたときには、やけに神妙な作り顔になっていた。 「『厳月家の三男の妻として、ご息女を迎え入れたい。さすれば、姻族として、凶悪なる誘拐犯から大切なご子息を取り戻すための私設兵団をお貸ししましょう』」  読み上げるかのようなルイフォンの声が、メイシアの耳に届いた。  よく通る声だったが、メイシアが内容を咀嚼するまでには、しばしの時間を要した。  彼女の目は、どこを見るというわけでもなく見開かれ、瞬きひとつしない。 「……つまり、厳月家と姻戚になれば、ハオリュウは無事に返す――と」  私設兵団というのは表向きの話だろう。雇い主である厳月家が斑目一族に命じれば、ハオリュウは解放されるのだから。 「俺の目には、厳月家の一番の狙いは、お前に見える」  家の没落と、愛息の死。  その究極の選択に、メイシアの婚姻という選択肢が紛れ込む。それは他の二つの代償に比べれば、あまりにも軽い。  否――軽く見えるように仕組まれた罠だ。 「普段の藤咲家なら、ライバルである厳月家と婚姻を結ぼうとは考えない。でも、追い込まれた今なら、お前を差し出すだろう」  メイシアは、黙って首を縦に振る。 「では、厳月家がお前を手に入れるメリットは、なんだ?」 「……事実上の人質」 「だろうな」  実家は、娘の嫁ぎ先での処遇を憂慮して、無形の支配を受けることになる。よくあることだ。 「厳月家は、そうやって、じわじわと藤咲家を掌中に収めようとしているんだろう」 「…………」  メイシアは思わず絶句せずには居られなかった。戦慄が彼女の全身を駆け巡る。  隠された、恐るべき陰謀。  その一角に辿り着いたことに。 「――厳月家が書いたシナリオは理解できたか?」  ルイフォンが尋ねる。 「いっぱい、いっぱいですが、なんとか把握できたと思います」  メイシアは、こくりと深く頷いた。  しかし彼女は、口の中に残る、後味の悪い苦さを飲み込むことができなかった。ざらついた違和感が喉の奥に引っかかっている。  何か、大切なことを見落としているような気がする。けれど、それを言葉にして吐き出せないでいる――。  ルイフォンが癖のある前髪を掻き上げた。猫のような目が、すっと細くなる。 「明らかに、おかしいだろう?」 「え……?」 「メイシア。お前は、どうして鷹刀に来たんだ?」  唐突に、ルイフォンが疑問の形で訊いてきた。けれどメイシアには非難が含まれているように感じられた。 「えっ? それは父と異母弟を助け出すために、武力をお借りしようと……」 「厳月家のシナリオでは、お前は大切な『花嫁』なんだよ。それが、どうしてお前はここに――凶賊ダリジィンの屋敷に居るんだ?」  広い食堂にルイフォンのテノールが木霊する。苦すぎず、かといって甘くもない。  父親であるイーレオの低音とは、また別の魅惑的な響きを奏でながら、ルイフォンはメイシアを見据えていた。



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 ルイフォンの案内で、メイシアは食堂にやってきた。  扉を開けてすぐのところにあるスイッチを、ルイフォンがパチパチと入れる。高い天井から淡い光が注がれ、純白のテーブルクロスが掛けられた丸テーブルが浮かび上がった。  テーブルはそれほど大きくはない。十人は座れないだろう。今は椅子が五脚だけなので、それほど窮屈には見えないが、部屋の広さに対して小ぢんまりとした感があった。庭に面した南側は一面の硝子張りになっており、外灯が木々のまどろみを幻想的に映し出していた。  メイシアたちが入ってきた気配を察してか、奥の厨房から恰幅のよい初老の男が現れた。服装からして料理人であろう。 「ルイフォン様、お夜食でございますか? そろそろかと思って準備しておりましたよ」 「さすが、料理長。いつも悪いな」  ルイフォンが親しげに言う。 「わざわざお越しいただかなくとも、お申し付けくださればお持ちいたしましたのに」 「そりゃ悪いって。もう仕事あがってんだろ? ま、作らせちゃうのは同じなんだけどさ。――というわけで、頼む。腹が減って死にそうだ」 「お任せください。……そちらのお嬢さんは如何いたしますか?」  不意のことだったので、メイシアは反応が遅れた。 「え……、いえ。私は結構です」 「そうですか。では」  腹を揺らしながら厨房に戻る料理長にメイシアは慌てて声を掛けた。 「あ、あの……! お夕飯、とても美味しかったです。ご馳走様でした。……その、ありがとうございました」  料理長は振り返り「それは光栄です」と、外見に似合わぬ気取った礼をとり、豪快に笑いながら去っていった。  傍らでルイフォンがにやにやとメイシアを見ていた。 「お前、使用人と喋るのに慣れていないだろ」 「……はい。身分の違う者とは話すものではない、と。そう教えられて育ちました」 「だろうな。――でも、ま、大丈夫そうだな」  ルイフォンは納得したように頷くと椅子のひとつに座り、メイシアを手招きする。どこに座ったものかと悩む彼女に、彼は自分のすぐ右隣の席を指定した。  左肘を立てて頬杖をつき、ルイフォンはメイシアを斜めに見上げていた。足を組んだ、相変わらずの崩した姿勢である。それなのに、いつになく険しい彼の視線に、メイシアはどう対応したものか戸惑い、居心地の悪さを覚える。 「斑目を雇ったのは厳月家だ」  唐突に、ルイフォンが口を開いた。今までより一段、声色が低い。 「やはり、厳月家でしたか……」  メイシアの口から重い息が漏れた。  執務室で、イーレオが『斑目は、ある貴族シャトーアに雇われて、動いている』と言った。それを聞いたときから、彼女は、なんとなく察していた。  藤咲家と厳月家には、浅からぬ因縁があった。  どちらの領地にも良質な桑園があり、古くから養蚕と絹織物工業が盛んだった。故に、何かの式典の折には、どちらの家が王族フェイラの衣装を請け負うか、熾烈な争いを繰り広げてきたのである。 「おかしいと思ったんです。凶賊ダリジィンが誘拐事件を起こしただけで、親族中が集まって上を下への大騒ぎをするなんて……」  誘拐事件なら、身代金を払うことで解決できるはずだ。  メイシアは瞬きもせず、じっと押し黙った。  話を始めたばかりだったルイフォンは、続けてよいものかと、メイシアを頭の先から走査して、膝の上できつく組み合った両手のところで目を止めた。  彼がおとなしく待っていると、やがてゆっくりと、彼女は口を開く。 「……もともと藤咲家と厳月家は、あまり良い関係ではありません。けれど、『今』、厳月家が動きました。――その理由になるような、『何か』があったのですか?」  メイシアの質問に、ルイフォンの眉が動いた。だから、彼女は語尾を言い換え、断定した。 「――あったんですね」  メイシアの真っ直ぐな眼差しを受け止め、ルイフォンは頬杖をやめた。崩していた姿勢を正して静かに口を開く。 「発端は、女王だ」 「え……?」  思いもよらぬ言葉に、メイシアは目を丸くする。それがどう自分と関わってくるのか、まるで見当もつかない。 「まだトップシークレットだが……。女王の結婚が決まった」 「女王陛下が、ご結婚……!?」  喜ばしいことであるが、しかし素朴な疑問が口をついて出る。 「女王陛下は先日、十五歳になられたばかりです」 「そんなの、王族フェイラには関係ないだろ?」  メイシアの脳裏に、王宮の最奥を彩る、可憐な少女王の姿が描かれる。  天空の神フェイレンと同じく、輝く白金の髪に、澄んだ青灰色の瞳を持つ、神の化身――神の姿を写した〈神の御子〉。  黒髪黒目の国民は、〈神の御子〉を王に戴く。  しかし、〈神の御子〉の誕生は非常に稀である。しかも、天空の神が男神であることから、女王はあくまでも『仮初めの王』に過ぎず、この国では長いこと新しい王の誕生が待ち望まれていた。  結婚は、まだ早過ぎるのでは、とメイシアは口を挟みそうになったが、言われてみればルイフォンの言う通りであった。  メイシアが口をつぐんだのを受けて、ルイフォンが次の句を発した。 「既に、婚礼衣装担当家も決まっている」  はっ、とメイシアが息を呑んだ。  王族フェイラの婚礼衣装となれば、藤咲家か厳月家のどちらかが担当することになる。  緊張に、全身が強張る。耳をそばだて、彼女はルイフォンの言葉を待った。 「お前の実家、藤咲家だ」  小さな息を吐き、メイシアは華奢な肩を下げた。  女王の一世一代の晴れ舞台の衣装。それを請け負うのは藤咲家にとって大変な名誉である。誇らしさと喜びに胸が熱くなるが、次の瞬間、メイシアの背筋が凍った。 「では、ハオリュウを――異母弟を誘拐したのは……」  メイシアの頭を嫌な予感が横切る。  婚礼衣装担当家が藤咲家に決定した直後の誘拐。  その実行犯である斑目家の背後には、選考に漏れた厳月家の影。  これらが符号していることは――。 「藤咲家に、婚礼衣装担当家の辞退を、要求するため……?」 「そうだ」  メイシアは頭を鈍器で殴られたかのような衝撃を覚えた。唇はわなわなと震え、紫色に変色している。 「ですが……! ……そんな、だって……、まさか……」  繋がらない言葉の羅列が、彼女の口をついて出る。  六歳年下の異母弟ハオリュウ。  既に身長は追いつかれ、声だって低くなってきたのに、小さい頃と変わらずに『姉様』と慕ってくる声がメイシアの耳に残っている。  酷い耳鳴りが襲ってきて、たまらずに彼女は頭を押さえた。 「嘘です……! だって、そんなことをすれば、いずれ厳月家は罪に問われるでしょう……!」 「厳月家と懇意にしている絹商人から、斑目の隠し口座に結構な額の金が振り込まれていた」  メイシアは、はっと息を呑んだ。 「スケープゴート……」  筋は通る。担当家が変わることで得をする者は、厳月家だけではない。  万が一、王族フェイラの尋問を受けても、厳月家はきちんと逃げ道を用意してあるのだ。  ここまで聞けば、状況は明白だった。  メイシアは、全身の血の気が引いていくのを感じた。  異母弟の生命と、家の命運が――天秤に載せられている。 「……今なら、私の家に集まってきた親族が、争っていた言葉の意味が分かります」  呟くようにメイシアは言った。 「『ハオリュウは捨て置くべきだ』――と」  親族たちは、平民バイスアを母に持つハオリュウを疎んでいる。日頃から、跡継ぎは、メイシアに婿を取らせるべきだと声高に叫んでいた。  そして、栄えある名誉を辞退すれば、王族フェイラを侮辱したとして、貴族シャトーアの地位を剥奪される可能性もある――。 「ルイフォン、教えてください! 父は、どう返事をしたのですか。――父は、単身で斑目一族のもとに行ったんです!」  必死に訴えるメイシアに、ルイフォンは「すまない」と首を振った。彼の背を、金の鈴が力なく転がる。 「そこから先は、ネットワーク情報中心の〈フェレース〉には分からない。改めて別の者に調査させる。約束する」 「っ……! ……すみません」  思わず声を荒立ててしまったことを、メイシアは恥じた。  本来なら藤咲家の内情は、身内である彼女が熟知しておくべきことだ。他人であるルイフォンに教えてもらうほうがおかしい。  メイシアは両手をテーブルにつき、うなだれた。  彼女の口から、乾いた笑いが漏れる。淑女たるもの、いつなんどきでも、己を忘れてはならない――そう、心に刻み込まれてきたはずなのに、彼女は溢れ出す感情を止めることはできなかった。 「どうして……、どうして……! 父は、親族は、私に何も教えてくれなかったんでしょうか……? どうして……!」  メイシアが顔を上げ、血の気を失せた顔をルイフォンに向けた。唇に掛かった一筋の髪があどけなく、すがるような幼子の顔だった。  ルイフォンは、思わず惹き寄せられるように手を伸ばし――途中で我に返った。  今は一応、仕事中であり、彼女は依頼人だ。  彼は、次に彼女に伝えるつもりだった情報について、頭の中で整理した。そして、話の切り出し方に少しだけ工夫を加える。 「俺は、お前の家の人間じゃないから、お前の家のことなど分からない」  メイシアの頬が、ぴくりと動いた。 「ただ、俺は情報屋だから、情報の大切さは知っている」  ルイフォンの声に、メイシアの握りしめていた拳の力が緩んだ。彼女は、じっと彼の言葉に耳を傾ける。 「女王の結婚の話はトップシークレットだ。箝口令が敷かれている。だから、それに関連する婚礼衣装担当家の話もおいそれと口にできない」 「でも、親族は皆、知っていて……」 「お前はまだ未成年だ。教えられなくても不思議じゃない。現に、お前自身が請け負う仕事は何もないだろう?」 「ですが……」  腑に落ちない様子のメイシアに、ルイフォンは鋭い目を向けた。 「お前の父だって、いつまでも黙っているつもりはなかっただろうさ。――だが、もうひとつ、事件が起きたんだ」 「まだ、他に……」 「ああ。――この話が出たから、お前に話すタイミングに困ったんじゃないか?」  いったい何が、とメイシアの目がルイフォンを急かし立てる。 「お前の異母弟が誘拐されてからしばらくの間、厳月家は斑目とは無関係を装い、沈黙を守ってきた――それが、表舞台に出てきた」  ごくり、とメイシアは生唾を呑んだ。  ルイフォンが軽く目を瞑りながら、すぅっと息を吸う。次に彼が目を開いたときには、やけに神妙な作り顔になっていた。 「『厳月家の三男の妻として、ご息女を迎え入れたい。さすれば、姻族として、凶悪なる誘拐犯から大切なご子息を取り戻すための私設兵団をお貸ししましょう』」  読み上げるかのようなルイフォンの声が、メイシアの耳に届いた。  よく通る声だったが、メイシアが内容を咀嚼するまでには、しばしの時間を要した。  彼女の目は、どこを見るというわけでもなく見開かれ、瞬きひとつしない。 「……つまり、厳月家と姻戚になれば、ハオリュウは無事に返す――と」  私設兵団というのは表向きの話だろう。雇い主である厳月家が斑目一族に命じれば、ハオリュウは解放されるのだから。 「俺の目には、厳月家の一番の狙いは、お前に見える」  家の没落と、愛息の死。  その究極の選択に、メイシアの婚姻という選択肢が紛れ込む。それは他の二つの代償に比べれば、あまりにも軽い。  否――軽く見えるように仕組まれた罠だ。 「普段の藤咲家なら、ライバルである厳月家と婚姻を結ぼうとは考えない。でも、追い込まれた今なら、お前を差し出すだろう」  メイシアは、黙って首を縦に振る。 「では、厳月家がお前を手に入れるメリットは、なんだ?」 「……事実上の人質」 「だろうな」  実家は、娘の嫁ぎ先での処遇を憂慮して、無形の支配を受けることになる。よくあることだ。 「厳月家は、そうやって、じわじわと藤咲家を掌中に収めようとしているんだろう」 「…………」  メイシアは思わず絶句せずには居られなかった。戦慄が彼女の全身を駆け巡る。  隠された、恐るべき陰謀。  その一角に辿り着いたことに。 「――厳月家が書いたシナリオは理解できたか?」  ルイフォンが尋ねる。 「いっぱい、いっぱいですが、なんとか把握できたと思います」  メイシアは、こくりと深く頷いた。  しかし彼女は、口の中に残る、後味の悪い苦さを飲み込むことができなかった。ざらついた違和感が喉の奥に引っかかっている。  何か、大切なことを見落としているような気がする。けれど、それを言葉にして吐き出せないでいる――。  ルイフォンが癖のある前髪を掻き上げた。猫のような目が、すっと細くなる。 「明らかに、おかしいだろう?」 「え……?」 「メイシア。お前は、どうして鷹刀に来たんだ?」  唐突に、ルイフォンが疑問の形で訊いてきた。けれどメイシアには非難が含まれているように感じられた。 「えっ? それは父と異母弟を助け出すために、武力をお借りしようと……」 「厳月家のシナリオでは、お前は大切な『花嫁』なんだよ。それが、どうしてお前はここに――凶賊ダリジィンの屋敷に居るんだ?」  広い食堂にルイフォンのテノールが木霊する。苦すぎず、かといって甘くもない。  父親であるイーレオの低音とは、また別の魅惑的な響きを奏でながら、ルイフォンはメイシアを見据えていた。



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