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4.よもぎ狂騒曲-3

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 チャオラウの運転する車は、洒落た門扉の前で滑らかに停車した。  緊張の面持ちで、メイシアが格子の門の隙間から見やれば、緩やかな勾配のアプローチが白く輝き、楚々とした雰囲気の家屋へと続いている。  落ち着いた石造りの塀で囲まれた敷地は、鷹刀一族の屋敷や貴族シャトーアの屋敷ほどには広くはなかったが、充分に豪邸といえた。それもそのはず、リュイセンの兄――この家のあるじであるレイウェンは、飛ぶ鳥を落とす勢いの服飾会社の社長なのだ。  一族を抜けた彼は、剣舞の名手である妻を広告塔に会社を興した。機能的なファッションをコンセプトに新素材繊維を活用し、大成功を収めたのだ。現在では、平民バイスアを中心とした客層の既製服を展開しつつ、貴族シャトーアからの仕立ての注文もひっきりなしである。  そして、それまで培ってきた信用をもとに、主に足を洗った凶賊ダリジィンたちの受け皿を目的とした警備会社など、他にも幾つかの会社を手掛けているという――。  チャオラウが運転席から振り返り、メイシアに声を掛けた。 「あなたがよもぎあんパンをお届けに上がることは、ミンウェイ様から先方に連絡済みです。私はこのまま鷹刀の屋敷に戻りますので、お帰りはリュイセン様とご一緒して下さい」 「えっ……!?」  メイシアは驚いた。てっきりチャオラウも同行すると思っていたのだ。 「あのっ、チャオラウさんは?」 「この家の人間は、鷹刀とは縁を切った者たちです。私とは住む世界が違います」  彼は首を振り、きっぱりと言い切った。  ――と、そのとき。  どたん、と車の天井に衝撃を感じた。 「!?」  チャオラウの顔に緊張が走る。  車の上に何かが落ちてきたような感触だった。屋根を破壊するほどの威力はないが、決して軽い音ではない。  そのまま、ばたばたと頭上を動き回る気配がしたかと思ったら、束ねられた黒髪が二本、フロントガラスにひょっこりと垂れ下がってきた。  メイシアは、ぎょっとして身を引いた。けれど目をそらせない。すると、すぐに視界の中に可愛らしい顔が飛び込んできた。――ただし、逆さまの。  車の屋根に腹ばいになり、中を覗き込んでいるらしい。十歳くらいの、たいそうな美少女で、顔立ちから鷹刀一族の血を引いているのは明らかだった。 「ク、クーティエ!」  チャオラウが叫ぶ。  その驚きの表情に満足したかのように、逆さまの美少女がにっこりと笑った。コンコンと助手席側のドアガラスを叩き、窓を開けるように促す。  すっと下げられた窓から、爽やかな風が入ってきた。  そして――。 「はじめまして、メイシア大叔母上!」 「……!?」  メイシアは耳を疑った。この可憐な声は、今なんと言ったのか……?  戸惑いを隠せぬ彼女に、クーティエは茶目っ気を含んだ笑いを漏らす。 「ルイフォン大叔父上の奥さんでしょ? だから、私の大叔母上! ――私はクーティエ。レイウェンの娘よ」  クーティエの言葉の前半が衝撃的で、後半はまともに聞いていなかった。メイシアの顔は、さぁっと真っ赤に染まり、耳まで火照っている。 「あ、あの、私とルイフォンは……」 「違うの?」  逆さまのままのクーティエが首をかしげると、結った黒髪の片方がぴょこんと跳ね上がり、もう片方は逆に下がった。運転席のチャオラウが、微妙な顔で後部座席のメイシアを振り返り、やがて結局にやりとする。  メイシアは困惑した。  ルイフォンとの関係は、凄く曖昧なものだ。  しかし、少なくとも『大叔母』などという大層なものではない。それは絶対に違う。  ただ、彼のそばに居ることが自然で、それだけでよいのだ。  ――そこまで考えて、彼女は気づいた。  そんなに難しく考えることはない。単に自己紹介をすればいいのだ。――自分が何者であるかを。  メイシアは、花がほころぶように、ふわりと微笑んだ。  そして、鈴を振るような声を響かせる。 「はじめまして、クーティエ様。私は『メイシア』。今は鷹刀のお屋敷にお世話になっておりますが、何にも属さない自由なメイシア、です」  ルイフォンは、何にも属さない自由な〈フェレース〉であることを選んだ。ならば、彼と共にある彼女にも、自分を示す決まった言葉は必要ない――。  優雅にこうべを垂れるメイシアに、クーティエは可愛らしい口をぽかんと開けたまま、動きを止めた。逆さまの重力に根負けした髪飾りが、ずるりと下がってくる。  チャオラウが「ほぅ」と感心したような息を漏らし、メイシアは、はっとする。これではまるで、クーティエの言葉をぴしゃりと跳ねのけたかのようではないか。 「す、すみませんっ。あの、私……」 「格好いい!」  メイシアの声を遮り、クーティエが叫んだ。  彼女は車の屋根からするりと降り、開いた窓から素早くロックを外して助手席に乗り込む。その勢いのまま、後部座席のメイシアにいざり寄った。 「メイシア! 私、あなたのこと気に入ったわ!」 「え?」 「私ね、『親の七光り』って、陰口叩かれるのが大嫌いなの。だから私も、これからメイシアみたいに『何にも属さない自由なクーティエ』って、ビシッと言い返してやることにするわ!」  瞳をきらきらさせ、手を握らんばかりのクーティエに、メイシアは狼狽する。何か勘違いから過大評価されてしまったような気がしてならない。 「あの……、クーティエ様……っ」 「クーティエ、って呼んで!」  元気よくそう言ってから、クーティエはもじもじとする。 「……ごめんね、メイシア。私、あなたのこと、ちょっとからかっていたの。リュイセンにぃよりも若い『大叔父』とか『大叔母』なんて、おっかしいなぁ、って思いながら言っていた」  上目遣いにメイシアを見る姿は叱られた子犬のようで、高く結ってあったであろう黒髪も心なしか下がっている。取れかけの花の髪飾りが、余計に哀れを誘っていた。 「にぃがね、『メイシアは見た目通りのタマじゃない』って! ――何それ? って思ったけど、よく分かったわ」  そのとき、唐突にチャオラウが口を挟んだ。 「あなた方が打ち解けたようで何よりです。それではクーティエ、メイシアを案内してやりなさい」  言っていることはおかしくはない。しかし、どうにもチャオラウの様子がおかしい。そわそわしている。  そのわけを、クーティエは知っていたらしい。嬉しそうないたずらっ子の表情で、にやりと笑った。 「なんのために、私がわざわざ塀の上から車の屋根に飛び移ったと思っているの?」 「……バックミラーに姿を映さないようにするためだろう? 私に逃げられないように、とな」  チャオラウの返答に――正確には口調に、メイシアは違和感を覚えた。チャオラウにとってはクーティエは主君筋のはず。それが随分と、ぞんざいな言い方であると……。 「正解! 引き止めておけって、父上の命令よ!」 「そのレイウェン様が、こちらに近づいてくるのが見えたから、私は帰りたいんだ! お前たち、降りろ!」 「いやよ!」  クーティエが力強く言い返す。いったいどういうことなのか、メイシアは戸惑うばかりだ。  そうこうしているうちに門扉の開く音がして、ひとりの男が現れた。  鷹刀一族特有の、人を惹きつけてやまない魔性にも似た魅惑の美貌。――ひと目で、この屋敷のあるじレイウェンだと分かる。  彼が車に近づくと、クーティエが勢いよく扉を開けて飛び出した。 「父上!」  得意げな顔で見上げ、褒めて褒めて、と言外に主張している。  そんな愛娘に苦笑しながら、レイウェンは「ご苦労さま」と頭を撫でた。穏やかな微笑みは、同じ顔の血族の誰よりも、柔らかで優しい雰囲気をまとっている。  ご機嫌なクーティエが車を振り返り、メイシアのほうへ手を伸ばした。 「メイシア! こちら、私の父。レイウェン」 「クーティエ。年上の方を呼び捨てにするのは失礼だよ」  叱る声も、そよ風の如く穏やかである。  メイシアが慌てて車を降りると、レイウェンは深々と頭を下げた。 「メイシアさん、娘の無礼をお許し下さい」 「いえ。クーティエさんの親愛の証です。私は嬉しく思っております」 「そんなふうに言っていただけると、嬉しいです。ありがとうございます」  レイウェンが目を細めると、和やかな空気が流れる。それから彼は「ああ、申し遅れました」と続けた。 「私は、草薙レイウェンです。クーティエの父で……、というよりも、あなたには鷹刀リュイセンの兄と言ったほうが分かりやすいでしょうか」 「あ、はい。リュイセン様のお兄様ですね。――こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。メイシアです。リュイセン様にはいつもお世話になっております」  メイシアはそう言って、はたと気づく。 「『草薙』ですか……?」 「ええ。私は鷹刀を出た者ですから。妻の姓を名乗っているんです」 「いえ、あの……。『草薙』というと、チャオラウさんの……」  メイシアは、車の運転席でそっぽを向いているチャオラウをちらりと見た。  確か、チャオラウの姓は『草薙』といったのではないだろうか? ということは、もしや……。 「ええ。妻はチャオラウ義父上ちちうえの娘です」 「――チャオラウさんは、ご結婚されていたのですか……」  チャオラウは屋敷の住み込みで、常にイーレオのそばに控えている。だから、妻帯者と思っていなかったのだ。  一方でメイシアは、イーレオがチャオラウを運転手に指名したことに納得する。  そのとき、レイウェンが「あ……」と口元を抑えた。 「すみません。誤解を招く言い方でした」  そう言って、申し訳なさそうに頭を下げる。 「妻のシャンリーは、赤子のころに両親を亡くしましてね。叔父のチャオラウに引き取られたんですよ。だから正しくは、彼女はチャオラウの姪にあたります。でも実の父娘と同じですよ」  不意に、車から人が降りる気配がして、ばたんと乱暴に扉が閉められる音がした。  噂のぬし、チャオラウである。  どうやら、そっぽを向きながらも聞き耳を立てていたらしい。  憮然とした顔だった。それでいて、どことなく気まずそうにも見える。鷹刀一族で一、二を争うような大男である彼が、なんだか小さく見えた。 「お久しぶりです。レイウェン様」  チャオラウは、きっちりと腰を折り、深く頭を下げた。  レイウェンの顔が嬉しそうに輝く。 「お久しぶりです、義父上ちちうえ」  満面の笑みを浮かべるレイウェンに、「ですが……」とチャオラウは不満げに不精髭を震わせた。 「私はシャンリーとは縁を切りました。主君の跡継ぎをかどわかす不届き者など、娘でもなんでもありません」 「逆ですよ。私がシャンリーをさらったんです」  真顔で言ってから、レイウェンはメイシアの視線に気づき、照れたように頬を染めた。さすが鷹刀一族の直系というべきか、そのさまは色気すらある。 「だいたい、どうしてシャンリーなんです!? レイウェン様なら、どんな女性でも……!」 「私はシャンリーがいいんです」 「レイウェン様とシャンリーでは、兄妹みたいなものじゃないですか!」 「そうかもしれませんね。けど私は、他の男にシャンリーを取られるなんて考えたくなかったんですよ。だったら自分のものにするしかないでしょう?」  メイシアは、呆然とふたりを見つめていた。  初めて見るチャオラウの一面と、雰囲気はまったく違うのに、やはりイーレオの血筋と思わざるを得ないレイウェン――。  ただただ唖然とするメイシアの袖を、クーティエが隣からつんつんと引っ張った。 「仲が悪いわけじゃないから安心して。もう十年も経つのに、じぃじは父上に負けたことを、いまだ引きずっているだけよ」 「クーティエ!」  チャオラウが唾を飛ばす。 「だって、そうでしょ? 父上が母上を連れて鷹刀のおうちを出たいと言ったとき、イーレオ曽祖父上は、じぃじに勝てば認めるって言ったんでしょ? で、父上が勝って、じぃじが負けた。私が生まれる前の話なのに、じぃじったら、いつまでもネチネチと……」  唇を尖らせるクーティエの頭を、レイウェンがぽんぽんと優しく叩いた。 「クーティエ、あまり義父上に失礼なことを言ってはいけないよ。あの勝負は、圧倒的に私に有利だったんだから」 「どういうことですか、レイウェン様!? 私は正々堂々と勝負して、あなたに負けました」 「ええ。勝負は公平でしたが、前提が公平ではなかったんですよ」  レイウェンが笑いをこらえ、穏やかに言う。 「私は子供のころから、シャンリーを妻にすると決めていました。あなたを超える男になって、あなたから彼女を奪うと、心に誓っていたんですよ。――一族を抜けるための条件になっていなくても、私はあなたに挑み、勝つつもりでした。そんな私が負けるはずないでしょう?」  今ひとつ理解できない顔をするチャオラウを無視して、「祖父上も、なかなか粋な計らいをしてくれました」と、レイウェンは強引にまとめる。  それからメイシアに向き直り、恐縮した表情を見せた。 「メイシアさん、すみません。お客様をほったらかしにして」  レイウェンは門扉を開け、白い石張りのアプローチへとメイシアを促す。 「ようこそ、我が家へ。どうぞ、お入り下さい」  柔らかな物腰からは、彼がかつて凶賊ダリジィンの後継者だったなどとは、とても想像できない。  ひとつひとつの仕草にどことなく温かみがあり、周りをほっとさせる。草薙レイウェンとはそんな人物であった。



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 チャオラウの運転する車は、洒落た門扉の前で滑らかに停車した。  緊張の面持ちで、メイシアが格子の門の隙間から見やれば、緩やかな勾配のアプローチが白く輝き、楚々とした雰囲気の家屋へと続いている。  落ち着いた石造りの塀で囲まれた敷地は、鷹刀一族の屋敷や貴族シャトーアの屋敷ほどには広くはなかったが、充分に豪邸といえた。それもそのはず、リュイセンの兄――この家のあるじであるレイウェンは、飛ぶ鳥を落とす勢いの服飾会社の社長なのだ。  一族を抜けた彼は、剣舞の名手である妻を広告塔に会社を興した。機能的なファッションをコンセプトに新素材繊維を活用し、大成功を収めたのだ。現在では、平民バイスアを中心とした客層の既製服を展開しつつ、貴族シャトーアからの仕立ての注文もひっきりなしである。  そして、それまで培ってきた信用をもとに、主に足を洗った凶賊ダリジィンたちの受け皿を目的とした警備会社など、他にも幾つかの会社を手掛けているという――。  チャオラウが運転席から振り返り、メイシアに声を掛けた。 「あなたがよもぎあんパンをお届けに上がることは、ミンウェイ様から先方に連絡済みです。私はこのまま鷹刀の屋敷に戻りますので、お帰りはリュイセン様とご一緒して下さい」 「えっ……!?」  メイシアは驚いた。てっきりチャオラウも同行すると思っていたのだ。 「あのっ、チャオラウさんは?」 「この家の人間は、鷹刀とは縁を切った者たちです。私とは住む世界が違います」  彼は首を振り、きっぱりと言い切った。  ――と、そのとき。  どたん、と車の天井に衝撃を感じた。 「!?」  チャオラウの顔に緊張が走る。  車の上に何かが落ちてきたような感触だった。屋根を破壊するほどの威力はないが、決して軽い音ではない。  そのまま、ばたばたと頭上を動き回る気配がしたかと思ったら、束ねられた黒髪が二本、フロントガラスにひょっこりと垂れ下がってきた。  メイシアは、ぎょっとして身を引いた。けれど目をそらせない。すると、すぐに視界の中に可愛らしい顔が飛び込んできた。――ただし、逆さまの。  車の屋根に腹ばいになり、中を覗き込んでいるらしい。十歳くらいの、たいそうな美少女で、顔立ちから鷹刀一族の血を引いているのは明らかだった。 「ク、クーティエ!」  チャオラウが叫ぶ。  その驚きの表情に満足したかのように、逆さまの美少女がにっこりと笑った。コンコンと助手席側のドアガラスを叩き、窓を開けるように促す。  すっと下げられた窓から、爽やかな風が入ってきた。  そして――。 「はじめまして、メイシア大叔母上!」 「……!?」  メイシアは耳を疑った。この可憐な声は、今なんと言ったのか……?  戸惑いを隠せぬ彼女に、クーティエは茶目っ気を含んだ笑いを漏らす。 「ルイフォン大叔父上の奥さんでしょ? だから、私の大叔母上! ――私はクーティエ。レイウェンの娘よ」  クーティエの言葉の前半が衝撃的で、後半はまともに聞いていなかった。メイシアの顔は、さぁっと真っ赤に染まり、耳まで火照っている。 「あ、あの、私とルイフォンは……」 「違うの?」  逆さまのままのクーティエが首をかしげると、結った黒髪の片方がぴょこんと跳ね上がり、もう片方は逆に下がった。運転席のチャオラウが、微妙な顔で後部座席のメイシアを振り返り、やがて結局にやりとする。  メイシアは困惑した。  ルイフォンとの関係は、凄く曖昧なものだ。  しかし、少なくとも『大叔母』などという大層なものではない。それは絶対に違う。  ただ、彼のそばに居ることが自然で、それだけでよいのだ。  ――そこまで考えて、彼女は気づいた。  そんなに難しく考えることはない。単に自己紹介をすればいいのだ。――自分が何者であるかを。  メイシアは、花がほころぶように、ふわりと微笑んだ。  そして、鈴を振るような声を響かせる。 「はじめまして、クーティエ様。私は『メイシア』。今は鷹刀のお屋敷にお世話になっておりますが、何にも属さない自由なメイシア、です」  ルイフォンは、何にも属さない自由な〈フェレース〉であることを選んだ。ならば、彼と共にある彼女にも、自分を示す決まった言葉は必要ない――。  優雅にこうべを垂れるメイシアに、クーティエは可愛らしい口をぽかんと開けたまま、動きを止めた。逆さまの重力に根負けした髪飾りが、ずるりと下がってくる。  チャオラウが「ほぅ」と感心したような息を漏らし、メイシアは、はっとする。これではまるで、クーティエの言葉をぴしゃりと跳ねのけたかのようではないか。 「す、すみませんっ。あの、私……」 「格好いい!」  メイシアの声を遮り、クーティエが叫んだ。  彼女は車の屋根からするりと降り、開いた窓から素早くロックを外して助手席に乗り込む。その勢いのまま、後部座席のメイシアにいざり寄った。 「メイシア! 私、あなたのこと気に入ったわ!」 「え?」 「私ね、『親の七光り』って、陰口叩かれるのが大嫌いなの。だから私も、これからメイシアみたいに『何にも属さない自由なクーティエ』って、ビシッと言い返してやることにするわ!」  瞳をきらきらさせ、手を握らんばかりのクーティエに、メイシアは狼狽する。何か勘違いから過大評価されてしまったような気がしてならない。 「あの……、クーティエ様……っ」 「クーティエ、って呼んで!」  元気よくそう言ってから、クーティエはもじもじとする。 「……ごめんね、メイシア。私、あなたのこと、ちょっとからかっていたの。リュイセンにぃよりも若い『大叔父』とか『大叔母』なんて、おっかしいなぁ、って思いながら言っていた」  上目遣いにメイシアを見る姿は叱られた子犬のようで、高く結ってあったであろう黒髪も心なしか下がっている。取れかけの花の髪飾りが、余計に哀れを誘っていた。 「にぃがね、『メイシアは見た目通りのタマじゃない』って! ――何それ? って思ったけど、よく分かったわ」  そのとき、唐突にチャオラウが口を挟んだ。 「あなた方が打ち解けたようで何よりです。それではクーティエ、メイシアを案内してやりなさい」  言っていることはおかしくはない。しかし、どうにもチャオラウの様子がおかしい。そわそわしている。  そのわけを、クーティエは知っていたらしい。嬉しそうないたずらっ子の表情で、にやりと笑った。 「なんのために、私がわざわざ塀の上から車の屋根に飛び移ったと思っているの?」 「……バックミラーに姿を映さないようにするためだろう? 私に逃げられないように、とな」  チャオラウの返答に――正確には口調に、メイシアは違和感を覚えた。チャオラウにとってはクーティエは主君筋のはず。それが随分と、ぞんざいな言い方であると……。 「正解! 引き止めておけって、父上の命令よ!」 「そのレイウェン様が、こちらに近づいてくるのが見えたから、私は帰りたいんだ! お前たち、降りろ!」 「いやよ!」  クーティエが力強く言い返す。いったいどういうことなのか、メイシアは戸惑うばかりだ。  そうこうしているうちに門扉の開く音がして、ひとりの男が現れた。  鷹刀一族特有の、人を惹きつけてやまない魔性にも似た魅惑の美貌。――ひと目で、この屋敷のあるじレイウェンだと分かる。  彼が車に近づくと、クーティエが勢いよく扉を開けて飛び出した。 「父上!」  得意げな顔で見上げ、褒めて褒めて、と言外に主張している。  そんな愛娘に苦笑しながら、レイウェンは「ご苦労さま」と頭を撫でた。穏やかな微笑みは、同じ顔の血族の誰よりも、柔らかで優しい雰囲気をまとっている。  ご機嫌なクーティエが車を振り返り、メイシアのほうへ手を伸ばした。 「メイシア! こちら、私の父。レイウェン」 「クーティエ。年上の方を呼び捨てにするのは失礼だよ」  叱る声も、そよ風の如く穏やかである。  メイシアが慌てて車を降りると、レイウェンは深々と頭を下げた。 「メイシアさん、娘の無礼をお許し下さい」 「いえ。クーティエさんの親愛の証です。私は嬉しく思っております」 「そんなふうに言っていただけると、嬉しいです。ありがとうございます」  レイウェンが目を細めると、和やかな空気が流れる。それから彼は「ああ、申し遅れました」と続けた。 「私は、草薙レイウェンです。クーティエの父で……、というよりも、あなたには鷹刀リュイセンの兄と言ったほうが分かりやすいでしょうか」 「あ、はい。リュイセン様のお兄様ですね。――こちらこそ、ご挨拶が遅れて申し訳ございません。メイシアです。リュイセン様にはいつもお世話になっております」  メイシアはそう言って、はたと気づく。 「『草薙』ですか……?」 「ええ。私は鷹刀を出た者ですから。妻の姓を名乗っているんです」 「いえ、あの……。『草薙』というと、チャオラウさんの……」  メイシアは、車の運転席でそっぽを向いているチャオラウをちらりと見た。  確か、チャオラウの姓は『草薙』といったのではないだろうか? ということは、もしや……。 「ええ。妻はチャオラウ義父上ちちうえの娘です」 「――チャオラウさんは、ご結婚されていたのですか……」  チャオラウは屋敷の住み込みで、常にイーレオのそばに控えている。だから、妻帯者と思っていなかったのだ。  一方でメイシアは、イーレオがチャオラウを運転手に指名したことに納得する。  そのとき、レイウェンが「あ……」と口元を抑えた。 「すみません。誤解を招く言い方でした」  そう言って、申し訳なさそうに頭を下げる。 「妻のシャンリーは、赤子のころに両親を亡くしましてね。叔父のチャオラウに引き取られたんですよ。だから正しくは、彼女はチャオラウの姪にあたります。でも実の父娘と同じですよ」  不意に、車から人が降りる気配がして、ばたんと乱暴に扉が閉められる音がした。  噂のぬし、チャオラウである。  どうやら、そっぽを向きながらも聞き耳を立てていたらしい。  憮然とした顔だった。それでいて、どことなく気まずそうにも見える。鷹刀一族で一、二を争うような大男である彼が、なんだか小さく見えた。 「お久しぶりです。レイウェン様」  チャオラウは、きっちりと腰を折り、深く頭を下げた。  レイウェンの顔が嬉しそうに輝く。 「お久しぶりです、義父上ちちうえ」  満面の笑みを浮かべるレイウェンに、「ですが……」とチャオラウは不満げに不精髭を震わせた。 「私はシャンリーとは縁を切りました。主君の跡継ぎをかどわかす不届き者など、娘でもなんでもありません」 「逆ですよ。私がシャンリーをさらったんです」  真顔で言ってから、レイウェンはメイシアの視線に気づき、照れたように頬を染めた。さすが鷹刀一族の直系というべきか、そのさまは色気すらある。 「だいたい、どうしてシャンリーなんです!? レイウェン様なら、どんな女性でも……!」 「私はシャンリーがいいんです」 「レイウェン様とシャンリーでは、兄妹みたいなものじゃないですか!」 「そうかもしれませんね。けど私は、他の男にシャンリーを取られるなんて考えたくなかったんですよ。だったら自分のものにするしかないでしょう?」  メイシアは、呆然とふたりを見つめていた。  初めて見るチャオラウの一面と、雰囲気はまったく違うのに、やはりイーレオの血筋と思わざるを得ないレイウェン――。  ただただ唖然とするメイシアの袖を、クーティエが隣からつんつんと引っ張った。 「仲が悪いわけじゃないから安心して。もう十年も経つのに、じぃじは父上に負けたことを、いまだ引きずっているだけよ」 「クーティエ!」  チャオラウが唾を飛ばす。 「だって、そうでしょ? 父上が母上を連れて鷹刀のおうちを出たいと言ったとき、イーレオ曽祖父上は、じぃじに勝てば認めるって言ったんでしょ? で、父上が勝って、じぃじが負けた。私が生まれる前の話なのに、じぃじったら、いつまでもネチネチと……」  唇を尖らせるクーティエの頭を、レイウェンがぽんぽんと優しく叩いた。 「クーティエ、あまり義父上に失礼なことを言ってはいけないよ。あの勝負は、圧倒的に私に有利だったんだから」 「どういうことですか、レイウェン様!? 私は正々堂々と勝負して、あなたに負けました」 「ええ。勝負は公平でしたが、前提が公平ではなかったんですよ」  レイウェンが笑いをこらえ、穏やかに言う。 「私は子供のころから、シャンリーを妻にすると決めていました。あなたを超える男になって、あなたから彼女を奪うと、心に誓っていたんですよ。――一族を抜けるための条件になっていなくても、私はあなたに挑み、勝つつもりでした。そんな私が負けるはずないでしょう?」  今ひとつ理解できない顔をするチャオラウを無視して、「祖父上も、なかなか粋な計らいをしてくれました」と、レイウェンは強引にまとめる。  それからメイシアに向き直り、恐縮した表情を見せた。 「メイシアさん、すみません。お客様をほったらかしにして」  レイウェンは門扉を開け、白い石張りのアプローチへとメイシアを促す。 「ようこそ、我が家へ。どうぞ、お入り下さい」  柔らかな物腰からは、彼がかつて凶賊ダリジィンの後継者だったなどとは、とても想像できない。  ひとつひとつの仕草にどことなく温かみがあり、周りをほっとさせる。草薙レイウェンとはそんな人物であった。



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