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3.居城に集いし者たち-3

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 神経質な額を歪ませ、こめかみに手をやりながら、リュイセンはルイフォンの手の中の携帯端末を気にしていた。 「……車の中はカメラに映らないんだから、仕方ないだろ?」  無駄とは思いつつ、ルイフォンはリュイセンをたしなめる。  大柄な男が隣でいらいらと膝を揺らすさまは、なかなかに圧迫感があり、ルイフォンは露骨に嫌な顔をしていた。  一方、ルイフォンの反対側の隣に座っているメイシアは、瞳を真っ赤にして、やはりルイフォンの携帯端末を覗いていた。  今までの彼女からは考えられないくらいに、彼に体を密着させている。それは彼女の意志か、彼が彼女の震える肩にそっと回した手のせいか――。 「ハオリュウ……」  澄んだ声が、メイシアの唇からこぼれ落ちた。  ――先刻、メイシアの異母弟ハオリュウと、ルイフォンの異母兄であり、リュイセンの父であるエルファンが、共に屋敷に向かっていると知り、ルイフォンは携帯端末の映像を屋敷の門前のカメラに切り替えた。すると、そこに映ったのは、まさにそのふたりが対面したところだった。  異母弟の顔を見るやいなや、メイシアの頬を透明な涙が伝った。  声もなく画面を見入る彼女に、ルイフォンもまた声に出して掛ける言葉を思いつけなかった。だから、そっと彼女の頭に手を載せ、そのつややかな髪をくしゃりと撫でた。  しかし、そんなふたりの異母兄弟たちは険悪な状態にあった。お互いに相手の腹を読み解くべく、じっと睨み合い、言葉を選びながら会話をしている。  正直なところ、ルイフォンは愕然としていた。  メイシアから伝え聞いた話から、彼女の異母弟は儚げな薄幸の美少年だと信じ込んでいたのだ。それが、あの合理主義の異母兄エルファンと、対等に渡り合うとは……想像を絶していた。確かに、絶対に譲れない場面では一歩も引かずに自分を貫こうとする姿勢などは、メイシアとそっくりとも言えるのだが――。  異母兄弟たちの立場上、不仲は当然のこととはいえ、ルイフォンはメイシアに対して気まずいものを感じていた。おそらく彼女もまた同じだったろう。身内に対し、それぞれがやきもきしていたところに、ハオリュウが車という密室での会談を申し出た――というわけである。  ハオリュウは、エルファンをリアシートに案内すると、続いて隣に乗り込んだ。そして勢いよくバックドアを閉める。話をするのには不便な、顔の見にくい横並びの座席だが、それは仕方のないことだ。 「快諾してくださって、ありがとうございます」  こちらに顔を向け、ハオリュウが言った。彼の話に付き合うべく車に乗り込んだことを言っているらしい。今までの彼らしくもなく、神妙な顔をしている。 「挨拶はいい。要件を聞きたい」 「あの警察隊――偽者です。斑目の奴らです」  ちょうど、応接室でシュアンがミンウェイに言ったのと同じようなことを、ハオリュウがエルファンに告げた。 「そうだろうな。見れば分かる」  ミンウェイと同じく、エルファンもそれに動じることはない。だが、ハオリュウはシュアンとは同じ反応にはならなかった。  ハオリュウは「え?」と声を詰まらせた。彼としては大層な秘密を言ったつもりだったらしい。しばし言葉を失い、困惑したように唇を噛む。  ここに来て初めて、世間知らずの貴族シャトーアの子供らしさを見せたハオリュウに、エルファンは少し安堵した。間近で見ると、年相応の子供らしい少年だった。可愛らしいと言えなくもない。  エルファンは苦笑しながら、水を向けた。 「警察隊の指揮官と斑目が繋がっているんだろう?」 「そうです……」 「そして、お前は騙されて凶賊ダリジィンの屋敷に行った異母姉を取り戻したい」 「え……、知って……?」  エルファンが『留守にしていた』と言ったのをきちんと聞いていたらしい。ハオリュウは察しの良すぎるエルファンに目をぱちくりさせた。  エルファンは上着の裏を軽くめくり、携帯端末を示した。『情報を制する者が勝つ』とは日々、異母弟ルイフォンが言っている言葉だが、なるほどと思う。  予想外のことに困惑を隠せなかったハオリュウだが、納得がいくと、今度は情報が伝わっているのなら話は早いと思い直したらしい。「その通りです」と力強く答えた。 「異母姉を返してください。聞き入れてくだされば、貴族シャトーアの権限で、屋敷に入り込んだ警察隊を即座に撤収させます。勿論、この件に関して鷹刀一族が罪に問われるようなことにはさせません」  ハオリュウが調子を戻し、決然と言い切った。警察隊をエルファンへの抑止力に使ったり、取り引き材料にしたりと、なかなか頭が回る。 「それと……異母姉からではなく、僕から鷹刀一族に父の救出を依頼したいんです」 「ほぅ……?」  それは意外な展開だった。 「お金は用意しました。異母姉の身代金と依頼料を合わせて、あのアタッシュケースです。足りなければ言い値を払います。だから……お願いします。僕を鷹刀イーレオに会わせてください」 「異母姉を囚えている凶賊ダリジィンを信用するというのか?」  低く冷たいエルファンの言葉にハオリュウは唇を噛んでうつむいた。そして肩を震わせたかと思うと、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。彼は胸の中の空気を無理矢理に押し出し、ゆっくりとハスキーボイスを軋ませた。 「……異母姉が昨日の晩、あなた方に何をされたかと思うと許せるわけがありません。けれど、斑目一族に対抗できる力があるのは鷹刀一族だけです」  ハオリュウは顔を上げ、口の端を引きつらせるように嗤った。ちらりと、ひび割れたフロントガラスに目をやる。 「もし、僕の言うことを聞いていただけないのなら、僕はこれから車から転げ出て、あなたに襲われたと叫びます。警察隊の姿をした彼らは銃を撃ちたくて堪らないようでしたから、喜んであなたを蜂の巣にしてくれるでしょう」  それは、子供の姿をした魔物だった。壮絶な負の感情が押し寄せる。  簡単には物事に動じないエルファンが、一瞬ではあるが――呑まれた。 「小僧……」  思わず罵りの言葉を漏らす。  子供と思って侮っていた。  目の前にいる少年は、家族を取り戻すために奔走している、貴族シャトーアの次期当主。父親が不在の今は、彼が事実上の当主だ。まだ危うさを隠しきれないが、数年もすれば一角の人物になるだろう。  エルファンは、ゆっくりと息を吐いた。駆け引きの最中に心を乱したら負けなのだ。  個人的感情としては、脅迫は不愉快である。しかし、客観的に考えればハオリュウの言動はなかなか的を射ている。この状況に持ち込んだ手腕は見事と言わざるを得ない。  エルファンは他人を評価できないほど狭量でもなかったし、非合理的でもなかった。すなわち、ここでエルファンがハオリュウと敵対する利点は何もなかった。かくなる上は、いかにして自分が優位に立つか、だ。すぐに承諾してはならない。  エルファンは瞳を冷酷に光らせ、口の端を上げた。 「子供の浅知恵だな」  揺さぶりをかけるべく、あえて子供扱いをする。 「ここで私がお前に従うと言ったところで、本当に父のいる部屋に案内するという保証はない。適当な部屋に連れ込んで、お前に斬りかかるかもしれない」 「それを防ぐための、あの男たちです。彼らは『警察隊』ですから、あなたから僕を守らざるを得ません」  常人なら耐えられぬほどのエルファンの凍れる眼差しを、ハオリュウは受けて立った。まだ華奢なはずの少年の撫で肩は、上質なスーツの鎧で双肩を固く覆われていた。  ――ああ、これは父が欲しがるタイプの人間だ。  長年、総帥である父イーレオを近くで見てきたエルファンには分かる。  この先、父が藤咲家とどう関わるつもりなのか知らないが、とりあえず信頼関係を築いておいたほうが良さそうだ。そう、判断を下す。 「分かった。では、お前の提案に乗ってやろう」  エルファンの態度の急変に狼狽しながらも、ハオリュウの瞳が喜色に輝いた。それを確認してから、エルファンは懐から極めつけの切り札を出した。  不意に、リュイセンの携帯端末が鳴った。  こんなときに誰だよ、とリュイセンは悪態をつきながら、発信元も確認さずに、それを耳元に当てた。そして、相手の声を耳にして顔色を変える。「おい」と、祖父や父とそっくりな、低くて魅惑的な声を響かせた。 「なんだよ?」  ルイフォンが不審の声を上げるが、リュイセンは首を横に振る。 「お前じゃない、そっちの――お前だ」  メイシアのことらしい。彼女に対する態度を決め兼ねているリュイセンは、彼女のことをどう呼べばよいのか決めあぐねているらしい。 「お前に電話だ」  そう言って、リュイセンがメイシアに携帯端末を手渡すと、困惑顔で受け取った彼女の耳を『姉様……!』という声が出迎えた。  低くなり始めたハスキーボイス。まだ大人になりきれていない、高さの残る音色。 「ハオリュウ? 本当に、ハオリュウなの?」  メイシアの鼓膜に響いてきた声は、紛れもなく異母弟のものだった。  携帯端末を握る手が震える。言いたい言葉はいくらでもあるのに、胸がつかえてしまう。こぼれるのは嗚咽ばかりで、それがとても、もどかしい。 『姉様! 姉様……無事で……!』  真っ直ぐな少年の声が、必死にメイシアに手を伸ばしてくる。音で繋がっているだけの、触れられない距離を埋めようとでもするように、抱きしめるように、すがるように、ただがむしゃらに声を張り上げていた。 「私は大丈夫よ」 『で、でも、姉様は、あの……っ!』  ハオリュウが言いにくそうに口籠る。その理由を察して、メイシアは顔を真っ赤にさせた。だがそれは、電話口の向こうのハオリュウには異母姉が押し黙ってしまったように感じられたらしい。彼は慌てて取り繕うように叫んだ。 『もう姉様には二度と怖い思いはさせない! 僕が必ず守るから!』 「ち、違うの。あのね、鷹刀の人はね……」  なんと言えばよいのか分からず、また猥雑なことを口にするのは性格上、決してできず、メイシアは携帯端末を手にしたまま、当てもなくきょろきょろと視線を動かした。そんな可愛らしく狼狽うろたえるさまに、隣のルイフォンは新鮮さを覚えていた。  そういえば、敬語以外の彼女の言葉を初めて聞いた気がする。これが異母姉弟の仲なのか――とルイフォンは思い……自然に体が動いた。  不意に、メイシアの手から携帯端末が消えた。 「えっ?」と思った彼女は、視線を上げた先で、憮然としたルイフォンが異母弟に話しかけている姿を目にすることになる。 「お前の異母姉は、総帥の愛人ということになっている。けど、親父はもう女遊びができる年でもない。かといって、総帥の女を手籠めにするような馬鹿はいない。――つまり、誰もこいつに手を出してない。貴族シャトーアのくせに下種な心配をするな」  毛羽立つテノールを耳にしたハオリュウもまた、不快げに声を荒立てた。 『お前は誰だ? 姉様に向かって『こいつ』などと……!』 「鷹刀ルイフォン。そこにいるエルファンの異母弟だ。もういいだろ。エルファンに替わってくれ」  ルイフォンはそう言い放ち、猫のように細い目で見えない相手を睨みつけた。  隣で、リュイセンが呆れ果てたような溜め息をく。その際、自分に何か非があったのではないかと、おどおどと不安げな顔をしているメイシアと目が合ってしまった。その小動物的な様子に、良い感情を抱いていない相手ながらも、同情の念を禁じ得なかった。 『ルイフォン? 電話を替わった。エルファンだ。私はこれから、この小僧と共に屋敷に入る。そっちはまだ遠いのか?』  口調に気をつけて聞かないと、イーレオ、エルファン、リュイセンのうちの誰なのか、判別できないほどに酷似した低音が響く。 「じきに着くと思う」 『分かった。屋敷内のことで分かっている情報は?』 「ああ、すまん。門にカメラを切り替えたから、現状は把握していない。最後に見たときは、執務室で親父が世間話をしていて、応接室でミンウェイが狂犬を持て余していた」 『まったく、ミンウェイは……。適当に口約束をして利用しておけばよいものを、あの子は律儀だな。その上、身の上話までされたらたまらない……ふむ、分かった』  そう言って、エルファンは話は終わったとばかりに電話を切ろうとしたので、耳をそばだてて聞いていた彼の息子リュイセンが待ったをかけた。 「祖父上に関しては何もおっしゃらないんですか? お茶まで出して談笑しているんですよ?」  正確にいえば、笑っているのは総帥イーレオだけで、相手の指揮官は顔をひきつらせつつ、そわそわしていた。彼らは知らなかったが、指揮官は『八百屋』が来たという連絡がなかなか来ないので焦れていたのである。  ルイフォンは、音声がリュイセンにも聞こえるよう、携帯端末のスピーカーを彼に向けると、エルファンの淡々とした声が聞こえてきた。 『父上は待っているだけだろう?』 「は? 何を待っているんですか?」  そんなことも分からないのかと言わんばかりの物言いに、リュイセンは苛立ちを隠せない。 『そこの貴族シャトーアの娘が、父上に『なんとかしてみせます』と言ったんだろう? だから、それを信じて帰りを待っている』  ――信じて帰りを待っている。  低く魅惑的な声。  メイシアの心に、大きく波が打ち寄せた。  エルファンは単に状況を分析しただけに過ぎない。だが、彼女の耳には、同じ声質を持った、大海のような度量の男の声に聞こえた。温かな言葉の波が回り込み、ゆったりと彼女を包み込む。 『それだけだ。ともかく、お前たちも早く帰ってこい』  ――それだけだ。  ――早く帰ってこい。



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 神経質な額を歪ませ、こめかみに手をやりながら、リュイセンはルイフォンの手の中の携帯端末を気にしていた。 「……車の中はカメラに映らないんだから、仕方ないだろ?」  無駄とは思いつつ、ルイフォンはリュイセンをたしなめる。  大柄な男が隣でいらいらと膝を揺らすさまは、なかなかに圧迫感があり、ルイフォンは露骨に嫌な顔をしていた。  一方、ルイフォンの反対側の隣に座っているメイシアは、瞳を真っ赤にして、やはりルイフォンの携帯端末を覗いていた。  今までの彼女からは考えられないくらいに、彼に体を密着させている。それは彼女の意志か、彼が彼女の震える肩にそっと回した手のせいか――。 「ハオリュウ……」  澄んだ声が、メイシアの唇からこぼれ落ちた。  ――先刻、メイシアの異母弟ハオリュウと、ルイフォンの異母兄であり、リュイセンの父であるエルファンが、共に屋敷に向かっていると知り、ルイフォンは携帯端末の映像を屋敷の門前のカメラに切り替えた。すると、そこに映ったのは、まさにそのふたりが対面したところだった。  異母弟の顔を見るやいなや、メイシアの頬を透明な涙が伝った。  声もなく画面を見入る彼女に、ルイフォンもまた声に出して掛ける言葉を思いつけなかった。だから、そっと彼女の頭に手を載せ、そのつややかな髪をくしゃりと撫でた。  しかし、そんなふたりの異母兄弟たちは険悪な状態にあった。お互いに相手の腹を読み解くべく、じっと睨み合い、言葉を選びながら会話をしている。  正直なところ、ルイフォンは愕然としていた。  メイシアから伝え聞いた話から、彼女の異母弟は儚げな薄幸の美少年だと信じ込んでいたのだ。それが、あの合理主義の異母兄エルファンと、対等に渡り合うとは……想像を絶していた。確かに、絶対に譲れない場面では一歩も引かずに自分を貫こうとする姿勢などは、メイシアとそっくりとも言えるのだが――。  異母兄弟たちの立場上、不仲は当然のこととはいえ、ルイフォンはメイシアに対して気まずいものを感じていた。おそらく彼女もまた同じだったろう。身内に対し、それぞれがやきもきしていたところに、ハオリュウが車という密室での会談を申し出た――というわけである。  ハオリュウは、エルファンをリアシートに案内すると、続いて隣に乗り込んだ。そして勢いよくバックドアを閉める。話をするのには不便な、顔の見にくい横並びの座席だが、それは仕方のないことだ。 「快諾してくださって、ありがとうございます」  こちらに顔を向け、ハオリュウが言った。彼の話に付き合うべく車に乗り込んだことを言っているらしい。今までの彼らしくもなく、神妙な顔をしている。 「挨拶はいい。要件を聞きたい」 「あの警察隊――偽者です。斑目の奴らです」  ちょうど、応接室でシュアンがミンウェイに言ったのと同じようなことを、ハオリュウがエルファンに告げた。 「そうだろうな。見れば分かる」  ミンウェイと同じく、エルファンもそれに動じることはない。だが、ハオリュウはシュアンとは同じ反応にはならなかった。  ハオリュウは「え?」と声を詰まらせた。彼としては大層な秘密を言ったつもりだったらしい。しばし言葉を失い、困惑したように唇を噛む。  ここに来て初めて、世間知らずの貴族シャトーアの子供らしさを見せたハオリュウに、エルファンは少し安堵した。間近で見ると、年相応の子供らしい少年だった。可愛らしいと言えなくもない。  エルファンは苦笑しながら、水を向けた。 「警察隊の指揮官と斑目が繋がっているんだろう?」 「そうです……」 「そして、お前は騙されて凶賊ダリジィンの屋敷に行った異母姉を取り戻したい」 「え……、知って……?」  エルファンが『留守にしていた』と言ったのをきちんと聞いていたらしい。ハオリュウは察しの良すぎるエルファンに目をぱちくりさせた。  エルファンは上着の裏を軽くめくり、携帯端末を示した。『情報を制する者が勝つ』とは日々、異母弟ルイフォンが言っている言葉だが、なるほどと思う。  予想外のことに困惑を隠せなかったハオリュウだが、納得がいくと、今度は情報が伝わっているのなら話は早いと思い直したらしい。「その通りです」と力強く答えた。 「異母姉を返してください。聞き入れてくだされば、貴族シャトーアの権限で、屋敷に入り込んだ警察隊を即座に撤収させます。勿論、この件に関して鷹刀一族が罪に問われるようなことにはさせません」  ハオリュウが調子を戻し、決然と言い切った。警察隊をエルファンへの抑止力に使ったり、取り引き材料にしたりと、なかなか頭が回る。 「それと……異母姉からではなく、僕から鷹刀一族に父の救出を依頼したいんです」 「ほぅ……?」  それは意外な展開だった。 「お金は用意しました。異母姉の身代金と依頼料を合わせて、あのアタッシュケースです。足りなければ言い値を払います。だから……お願いします。僕を鷹刀イーレオに会わせてください」 「異母姉を囚えている凶賊ダリジィンを信用するというのか?」  低く冷たいエルファンの言葉にハオリュウは唇を噛んでうつむいた。そして肩を震わせたかと思うと、ごくりと唾を飲み込む音が聞こえる。彼は胸の中の空気を無理矢理に押し出し、ゆっくりとハスキーボイスを軋ませた。 「……異母姉が昨日の晩、あなた方に何をされたかと思うと許せるわけがありません。けれど、斑目一族に対抗できる力があるのは鷹刀一族だけです」  ハオリュウは顔を上げ、口の端を引きつらせるように嗤った。ちらりと、ひび割れたフロントガラスに目をやる。 「もし、僕の言うことを聞いていただけないのなら、僕はこれから車から転げ出て、あなたに襲われたと叫びます。警察隊の姿をした彼らは銃を撃ちたくて堪らないようでしたから、喜んであなたを蜂の巣にしてくれるでしょう」  それは、子供の姿をした魔物だった。壮絶な負の感情が押し寄せる。  簡単には物事に動じないエルファンが、一瞬ではあるが――呑まれた。 「小僧……」  思わず罵りの言葉を漏らす。  子供と思って侮っていた。  目の前にいる少年は、家族を取り戻すために奔走している、貴族シャトーアの次期当主。父親が不在の今は、彼が事実上の当主だ。まだ危うさを隠しきれないが、数年もすれば一角の人物になるだろう。  エルファンは、ゆっくりと息を吐いた。駆け引きの最中に心を乱したら負けなのだ。  個人的感情としては、脅迫は不愉快である。しかし、客観的に考えればハオリュウの言動はなかなか的を射ている。この状況に持ち込んだ手腕は見事と言わざるを得ない。  エルファンは他人を評価できないほど狭量でもなかったし、非合理的でもなかった。すなわち、ここでエルファンがハオリュウと敵対する利点は何もなかった。かくなる上は、いかにして自分が優位に立つか、だ。すぐに承諾してはならない。  エルファンは瞳を冷酷に光らせ、口の端を上げた。 「子供の浅知恵だな」  揺さぶりをかけるべく、あえて子供扱いをする。 「ここで私がお前に従うと言ったところで、本当に父のいる部屋に案内するという保証はない。適当な部屋に連れ込んで、お前に斬りかかるかもしれない」 「それを防ぐための、あの男たちです。彼らは『警察隊』ですから、あなたから僕を守らざるを得ません」  常人なら耐えられぬほどのエルファンの凍れる眼差しを、ハオリュウは受けて立った。まだ華奢なはずの少年の撫で肩は、上質なスーツの鎧で双肩を固く覆われていた。  ――ああ、これは父が欲しがるタイプの人間だ。  長年、総帥である父イーレオを近くで見てきたエルファンには分かる。  この先、父が藤咲家とどう関わるつもりなのか知らないが、とりあえず信頼関係を築いておいたほうが良さそうだ。そう、判断を下す。 「分かった。では、お前の提案に乗ってやろう」  エルファンの態度の急変に狼狽しながらも、ハオリュウの瞳が喜色に輝いた。それを確認してから、エルファンは懐から極めつけの切り札を出した。  不意に、リュイセンの携帯端末が鳴った。  こんなときに誰だよ、とリュイセンは悪態をつきながら、発信元も確認さずに、それを耳元に当てた。そして、相手の声を耳にして顔色を変える。「おい」と、祖父や父とそっくりな、低くて魅惑的な声を響かせた。 「なんだよ?」  ルイフォンが不審の声を上げるが、リュイセンは首を横に振る。 「お前じゃない、そっちの――お前だ」  メイシアのことらしい。彼女に対する態度を決め兼ねているリュイセンは、彼女のことをどう呼べばよいのか決めあぐねているらしい。 「お前に電話だ」  そう言って、リュイセンがメイシアに携帯端末を手渡すと、困惑顔で受け取った彼女の耳を『姉様……!』という声が出迎えた。  低くなり始めたハスキーボイス。まだ大人になりきれていない、高さの残る音色。 「ハオリュウ? 本当に、ハオリュウなの?」  メイシアの鼓膜に響いてきた声は、紛れもなく異母弟のものだった。  携帯端末を握る手が震える。言いたい言葉はいくらでもあるのに、胸がつかえてしまう。こぼれるのは嗚咽ばかりで、それがとても、もどかしい。 『姉様! 姉様……無事で……!』  真っ直ぐな少年の声が、必死にメイシアに手を伸ばしてくる。音で繋がっているだけの、触れられない距離を埋めようとでもするように、抱きしめるように、すがるように、ただがむしゃらに声を張り上げていた。 「私は大丈夫よ」 『で、でも、姉様は、あの……っ!』  ハオリュウが言いにくそうに口籠る。その理由を察して、メイシアは顔を真っ赤にさせた。だがそれは、電話口の向こうのハオリュウには異母姉が押し黙ってしまったように感じられたらしい。彼は慌てて取り繕うように叫んだ。 『もう姉様には二度と怖い思いはさせない! 僕が必ず守るから!』 「ち、違うの。あのね、鷹刀の人はね……」  なんと言えばよいのか分からず、また猥雑なことを口にするのは性格上、決してできず、メイシアは携帯端末を手にしたまま、当てもなくきょろきょろと視線を動かした。そんな可愛らしく狼狽うろたえるさまに、隣のルイフォンは新鮮さを覚えていた。  そういえば、敬語以外の彼女の言葉を初めて聞いた気がする。これが異母姉弟の仲なのか――とルイフォンは思い……自然に体が動いた。  不意に、メイシアの手から携帯端末が消えた。 「えっ?」と思った彼女は、視線を上げた先で、憮然としたルイフォンが異母弟に話しかけている姿を目にすることになる。 「お前の異母姉は、総帥の愛人ということになっている。けど、親父はもう女遊びができる年でもない。かといって、総帥の女を手籠めにするような馬鹿はいない。――つまり、誰もこいつに手を出してない。貴族シャトーアのくせに下種な心配をするな」  毛羽立つテノールを耳にしたハオリュウもまた、不快げに声を荒立てた。 『お前は誰だ? 姉様に向かって『こいつ』などと……!』 「鷹刀ルイフォン。そこにいるエルファンの異母弟だ。もういいだろ。エルファンに替わってくれ」  ルイフォンはそう言い放ち、猫のように細い目で見えない相手を睨みつけた。  隣で、リュイセンが呆れ果てたような溜め息をく。その際、自分に何か非があったのではないかと、おどおどと不安げな顔をしているメイシアと目が合ってしまった。その小動物的な様子に、良い感情を抱いていない相手ながらも、同情の念を禁じ得なかった。 『ルイフォン? 電話を替わった。エルファンだ。私はこれから、この小僧と共に屋敷に入る。そっちはまだ遠いのか?』  口調に気をつけて聞かないと、イーレオ、エルファン、リュイセンのうちの誰なのか、判別できないほどに酷似した低音が響く。 「じきに着くと思う」 『分かった。屋敷内のことで分かっている情報は?』 「ああ、すまん。門にカメラを切り替えたから、現状は把握していない。最後に見たときは、執務室で親父が世間話をしていて、応接室でミンウェイが狂犬を持て余していた」 『まったく、ミンウェイは……。適当に口約束をして利用しておけばよいものを、あの子は律儀だな。その上、身の上話までされたらたまらない……ふむ、分かった』  そう言って、エルファンは話は終わったとばかりに電話を切ろうとしたので、耳をそばだてて聞いていた彼の息子リュイセンが待ったをかけた。 「祖父上に関しては何もおっしゃらないんですか? お茶まで出して談笑しているんですよ?」  正確にいえば、笑っているのは総帥イーレオだけで、相手の指揮官は顔をひきつらせつつ、そわそわしていた。彼らは知らなかったが、指揮官は『八百屋』が来たという連絡がなかなか来ないので焦れていたのである。  ルイフォンは、音声がリュイセンにも聞こえるよう、携帯端末のスピーカーを彼に向けると、エルファンの淡々とした声が聞こえてきた。 『父上は待っているだけだろう?』 「は? 何を待っているんですか?」  そんなことも分からないのかと言わんばかりの物言いに、リュイセンは苛立ちを隠せない。 『そこの貴族シャトーアの娘が、父上に『なんとかしてみせます』と言ったんだろう? だから、それを信じて帰りを待っている』  ――信じて帰りを待っている。  低く魅惑的な声。  メイシアの心に、大きく波が打ち寄せた。  エルファンは単に状況を分析しただけに過ぎない。だが、彼女の耳には、同じ声質を持った、大海のような度量の男の声に聞こえた。温かな言葉の波が回り込み、ゆったりと彼女を包み込む。 『それだけだ。ともかく、お前たちも早く帰ってこい』  ――それだけだ。  ――早く帰ってこい。



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