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3.妖なる女主人-2

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 シャオリエが再び口を開いたのは、彼女が三口ほど煙を吐き出したあとのことだった。丁寧な手つきで、灰吹きに灰を落とし、煙管を煙草盆に戻す。 「自己紹介から始めましょうか――私は、この娼館の主のシャオリエ。自由民スーイラのシャオリエよ」  美麗な顔に誇りを込めて、彼女は自分を『自由民スーイラ』と言った。  自由民スーイラと聞いて、メイシアは、さきほどの少年たちを思い出した。シャオリエが彼らと同じだなんて、メイシアにはとても信じられなかった。 「貴族シャトーアのお嬢ちゃんは、自由民スーイラといったら、その日のひと匙の粥の心配をしているような、貧しい者たちを指すと思っているのかしら?」  メイシアの表情を読んだかのように、シャオリエが侮蔑の眼差しを向けてきた。 「自由民スーイラは文字通り、『自由な民』よ。何にも束縛されない自由な民。貧富の問題じゃないわ。法の加護もなければ首枷もない――大半の者が親の代からの自由民スーイラで、あとは社会から脱落した浮浪者、逃げてきた犯罪者。だから貧しい者が多いのは否定しないけれどね」  シャオリエは、自分がその中の何に分類されるのかは言わなかった。浮浪者ではないし、知的な物言いからして生まれながらの自由民スーイラとは思えない。逃げてきた犯罪者か、『大半』から漏れた何者か……。  メイシアの様子を窺いながら「自己紹介の途中だったわね」と、シャオリエが言を継ぐ。 「イーレオとは古い付き合いよ。私も元は鷹刀の一族だったから――もう三十年以上も昔のことだけれどね。そういうわけで、私の立ち位置は、鷹刀の現総帥とは親しいけれど、一族のしがらみを持たない者、というところよ」 「一族の方だったんですか……」  彼女の持つ油断ならない雰囲気、イーレオを語るときの表情、ルイフォンをからかう態度すら、そのひとことで説明がつく。  シャオリエが口元に微笑みを浮かべた。はらりと顔にかかる後れ毛が艶めかしい。 「さて、お前の自己紹介を聞きたいわ」 「私は藤咲……」  そう言いかけて、メイシアは気づく。  試されているのだ。  緊張が背を駆け抜けた。――だが、それを隠し、メイシアは、にっこりと笑う。 「私はメイシア。ただのメイシアです。大華王国一の凶賊ダリジィン鷹刀一族総帥の愛人です」  メイシアの答えに、シャオリエは好奇の色合いを浮かべた。 「では、質問よ。お前は自分の身を引き替えに、家族を助けることを鷹刀に申し入れた。でも、それはお前が思いついた案ではない。ホンシュアという女に言われて実行したこと――お前は自分が何者かに踊らされているとは考えなかったの?」 「家を飛び出したときの私は、どんな手段でも家族を助けられるならよいと思いました。今では勿論、軽率であったと思いますが、何度あの局面に立っても私は同じことをしたでしょう」 「ふうん……。お前、継母に何も言わずに出てきたの?」 「はい。凶賊ダリジィンに助けを求めに行くなどと申し上げたら、止められてしまいますから」 「そう? 意外に喜んで送り出してくれたかもしれないわよ?」 「え……?」  メイシアは一瞬、シャオリエの言っている意味が理解できなかった。  シャオリエのアーモンド型の瞳が、意地悪く歪む。 「敏いお前なら、気づいているんじゃないの? お前が鷹刀に身を売りに行くことによって、誰が得をするのか……」 「シャオリエさん、あなたは継母がホンシュアを雇ったとおっしゃるんですか? あり得ません! 継母は、そんな方ではありません!」  藤咲家からメイシアがいなくなり、父と異母弟が藤咲家に戻る。跡継ぎを争うこともなくなり、すべては丸く収まる――この図式はメイシアが描いたものだ。傍目には継母に都合よく映ろうとも、決して継母が仕組んだ罠ではない。継母はそんな人ではないのだ。 「ルイフォンが言っていました。ホンシュアは斑目一族の手先だろう、と。だから継母が雇った者ではありません」  メイシアは毅然と言い放つ。継母の名誉を傷つけられ、憤りを覚えていた。 「――お前の反応から、状況が分かったわ」  シャオリエは口元を緩ませ、目を伏せた。その視線の先にはルイフォンの寝顔があった。  はっ、とメイシアは顔色を変えた 「シャオリエさんは、私の知らない『何か』を知っているんですね」 「その質問にはイエスとも、ノーとも答えられないわ。だって、私はお前が何を知っていて、何を知らないのかなんて、分からないもの」 「はぐらかさないでください」  シャオリエの質問は、メイシアの持つ情報についての確認に他ならなかった。 「ルイフォンが隠しているんですね。私の実家に関することを――おそらく、私を傷つけないように……」 「頭の回転の速い子って素敵よ。ゾクゾクする」 「……そしてあなたは、ルイフォンやイーレオ様が私を厚遇することに対して――苛立っている……」  シャオリエが元鷹刀一族で、今も一族に親愛の情を寄せているからこそ、部外者のメイシアを快く思っていない。そのことに、メイシアは気づいた。  メイシアは、静かな目でシャオリエの綺麗な顔を見つめた。 「あら、お嬢ちゃん育ちのくせに挑発的ね? ……本当にミンウェイの言っていた通り、お前、いい目をするわ。そういうの、嫌いじゃないわ」  シャオリエが声を上げて笑った。  不安に駆られ、メイシアは胸元に手をやった。しかし、そこにはお守りのペンダントはなかった。ルイフォンに言われて屋敷に置いてきたのだ。 「さて、どうしようかしら?」  メイシアの緊張をよそに、シャオリエはゆっくりと足を組み替え、テーブルを挟んだメイシアのほうへと、ぐっと体を寄せた。まるで内緒話でもするかのように、シャオリエは密やかに口を開く。 「ルイフォンの、お前への心遣いを無駄にすることになるけれど、お前は聞きたいでしょうし、私は暴露したいわ」 「教えてください。ルイフォンが隠していることを」  メイシアがそう言うと、シャオリエはアーモンド型の目を光らせ、頷いた。 「これは、あくまでも『トンツァイの情報』に過ぎないわ。それは念頭に置いておいて」  シャオリエは、そう前置きをした。 「まず、ひとつ目の事実。ホンシュアは、お前の継母の署名入り許可証を持って、藤咲家に入った」  残酷な事実が、メイシアの耳を打った。 「……これから推測できることは、お前の継母がホンシュアと繋がっているということ。勿論、これだけでは偽造や盗難の可能性も否定できないわ」  事務的に紡ぎあげられるシャオリエの言葉は、事実と推測とを切り分けてあり、正確だった。 「ふたつ目。ホンシュアと呼ばれる女が最近、斑目の屋敷に出入りしているらしい。みっつ目。昨晩、藤咲家に斑目の使者が来た。開門の様子から、藤咲家側は、あらかじめ来訪を知っていたと推測される。――これが、トンツァイから聞いた情報よ。お前ならどう組み立てる?」  実家の藤咲家、ホンシュア、斑目一族。  この三者の色彩が、メイシアの頭の中でぐるぐると回る。  そして、すべての色が混じりあい、真っ黒な陰謀の闇が作り上げられた。 「実家と、ホンシュアと、斑目一族は繋がっている……ということですね」  信じたくはなかった。でも、どう考えても、メイシアにはその答えしか見つけることができなかった。  心臓が締め上げられるように痛む。瞳に涙が盛り上がりそうになるが、そんな貴族シャトーアの令嬢めいたことは、もはや自分に許されることではない、とメイシアは必死にこらえた。 「さて? 私は当事者じゃないから真実は知らないわ。ただ、夫と愛息を囚われた女が脅迫されたとすれば、義理の娘が二の次になったとしてもおかしくないわね」 「……」 「誰かのために誰かを犠牲にするのは、恥ずかしいことじゃないわ。――そして、私も、ね?」  シャオリエの言葉に微妙な色合いが含まれ、メイシアの背に戦慄が走った。 「もともと斑目は鷹刀と対立している。隙あらば、と仕掛けてくる。今回だって、斑目は初めから鷹刀を狙っていたのかもしれない。――けれど、貴族シャトーアの娘が凶賊ダリジィンを訪れるなんて、あり得ない蛮勇を犯さなければ、鷹刀は平和なままだった」  獲物を狙う、獣の目。アーモンド型の瞳には剣呑な光が宿っていた。 「私は、お前が嫌いではないわ。むしろ好ましいと思っている。……けれど、これからきっと、鷹刀は罠に落ちる――お前のせいで」  シャオリエの視線がまっすぐにメイシアを射抜いた。 「……だから、その前に。私はお前を排除する」  しっとりとした心地のよい音質。しかし、完全に感情を取り払った声であった。  個人的な恨みではなく、ただ鷹刀一族の行く末のためだけに、シャオリエはそう宣告した。



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 シャオリエが再び口を開いたのは、彼女が三口ほど煙を吐き出したあとのことだった。丁寧な手つきで、灰吹きに灰を落とし、煙管を煙草盆に戻す。 「自己紹介から始めましょうか――私は、この娼館の主のシャオリエ。自由民スーイラのシャオリエよ」  美麗な顔に誇りを込めて、彼女は自分を『自由民スーイラ』と言った。  自由民スーイラと聞いて、メイシアは、さきほどの少年たちを思い出した。シャオリエが彼らと同じだなんて、メイシアにはとても信じられなかった。 「貴族シャトーアのお嬢ちゃんは、自由民スーイラといったら、その日のひと匙の粥の心配をしているような、貧しい者たちを指すと思っているのかしら?」  メイシアの表情を読んだかのように、シャオリエが侮蔑の眼差しを向けてきた。 「自由民スーイラは文字通り、『自由な民』よ。何にも束縛されない自由な民。貧富の問題じゃないわ。法の加護もなければ首枷もない――大半の者が親の代からの自由民スーイラで、あとは社会から脱落した浮浪者、逃げてきた犯罪者。だから貧しい者が多いのは否定しないけれどね」  シャオリエは、自分がその中の何に分類されるのかは言わなかった。浮浪者ではないし、知的な物言いからして生まれながらの自由民スーイラとは思えない。逃げてきた犯罪者か、『大半』から漏れた何者か……。  メイシアの様子を窺いながら「自己紹介の途中だったわね」と、シャオリエが言を継ぐ。 「イーレオとは古い付き合いよ。私も元は鷹刀の一族だったから――もう三十年以上も昔のことだけれどね。そういうわけで、私の立ち位置は、鷹刀の現総帥とは親しいけれど、一族のしがらみを持たない者、というところよ」 「一族の方だったんですか……」  彼女の持つ油断ならない雰囲気、イーレオを語るときの表情、ルイフォンをからかう態度すら、そのひとことで説明がつく。  シャオリエが口元に微笑みを浮かべた。はらりと顔にかかる後れ毛が艶めかしい。 「さて、お前の自己紹介を聞きたいわ」 「私は藤咲……」  そう言いかけて、メイシアは気づく。  試されているのだ。  緊張が背を駆け抜けた。――だが、それを隠し、メイシアは、にっこりと笑う。 「私はメイシア。ただのメイシアです。大華王国一の凶賊ダリジィン鷹刀一族総帥の愛人です」  メイシアの答えに、シャオリエは好奇の色合いを浮かべた。 「では、質問よ。お前は自分の身を引き替えに、家族を助けることを鷹刀に申し入れた。でも、それはお前が思いついた案ではない。ホンシュアという女に言われて実行したこと――お前は自分が何者かに踊らされているとは考えなかったの?」 「家を飛び出したときの私は、どんな手段でも家族を助けられるならよいと思いました。今では勿論、軽率であったと思いますが、何度あの局面に立っても私は同じことをしたでしょう」 「ふうん……。お前、継母に何も言わずに出てきたの?」 「はい。凶賊ダリジィンに助けを求めに行くなどと申し上げたら、止められてしまいますから」 「そう? 意外に喜んで送り出してくれたかもしれないわよ?」 「え……?」  メイシアは一瞬、シャオリエの言っている意味が理解できなかった。  シャオリエのアーモンド型の瞳が、意地悪く歪む。 「敏いお前なら、気づいているんじゃないの? お前が鷹刀に身を売りに行くことによって、誰が得をするのか……」 「シャオリエさん、あなたは継母がホンシュアを雇ったとおっしゃるんですか? あり得ません! 継母は、そんな方ではありません!」  藤咲家からメイシアがいなくなり、父と異母弟が藤咲家に戻る。跡継ぎを争うこともなくなり、すべては丸く収まる――この図式はメイシアが描いたものだ。傍目には継母に都合よく映ろうとも、決して継母が仕組んだ罠ではない。継母はそんな人ではないのだ。 「ルイフォンが言っていました。ホンシュアは斑目一族の手先だろう、と。だから継母が雇った者ではありません」  メイシアは毅然と言い放つ。継母の名誉を傷つけられ、憤りを覚えていた。 「――お前の反応から、状況が分かったわ」  シャオリエは口元を緩ませ、目を伏せた。その視線の先にはルイフォンの寝顔があった。  はっ、とメイシアは顔色を変えた 「シャオリエさんは、私の知らない『何か』を知っているんですね」 「その質問にはイエスとも、ノーとも答えられないわ。だって、私はお前が何を知っていて、何を知らないのかなんて、分からないもの」 「はぐらかさないでください」  シャオリエの質問は、メイシアの持つ情報についての確認に他ならなかった。 「ルイフォンが隠しているんですね。私の実家に関することを――おそらく、私を傷つけないように……」 「頭の回転の速い子って素敵よ。ゾクゾクする」 「……そしてあなたは、ルイフォンやイーレオ様が私を厚遇することに対して――苛立っている……」  シャオリエが元鷹刀一族で、今も一族に親愛の情を寄せているからこそ、部外者のメイシアを快く思っていない。そのことに、メイシアは気づいた。  メイシアは、静かな目でシャオリエの綺麗な顔を見つめた。 「あら、お嬢ちゃん育ちのくせに挑発的ね? ……本当にミンウェイの言っていた通り、お前、いい目をするわ。そういうの、嫌いじゃないわ」  シャオリエが声を上げて笑った。  不安に駆られ、メイシアは胸元に手をやった。しかし、そこにはお守りのペンダントはなかった。ルイフォンに言われて屋敷に置いてきたのだ。 「さて、どうしようかしら?」  メイシアの緊張をよそに、シャオリエはゆっくりと足を組み替え、テーブルを挟んだメイシアのほうへと、ぐっと体を寄せた。まるで内緒話でもするかのように、シャオリエは密やかに口を開く。 「ルイフォンの、お前への心遣いを無駄にすることになるけれど、お前は聞きたいでしょうし、私は暴露したいわ」 「教えてください。ルイフォンが隠していることを」  メイシアがそう言うと、シャオリエはアーモンド型の目を光らせ、頷いた。 「これは、あくまでも『トンツァイの情報』に過ぎないわ。それは念頭に置いておいて」  シャオリエは、そう前置きをした。 「まず、ひとつ目の事実。ホンシュアは、お前の継母の署名入り許可証を持って、藤咲家に入った」  残酷な事実が、メイシアの耳を打った。 「……これから推測できることは、お前の継母がホンシュアと繋がっているということ。勿論、これだけでは偽造や盗難の可能性も否定できないわ」  事務的に紡ぎあげられるシャオリエの言葉は、事実と推測とを切り分けてあり、正確だった。 「ふたつ目。ホンシュアと呼ばれる女が最近、斑目の屋敷に出入りしているらしい。みっつ目。昨晩、藤咲家に斑目の使者が来た。開門の様子から、藤咲家側は、あらかじめ来訪を知っていたと推測される。――これが、トンツァイから聞いた情報よ。お前ならどう組み立てる?」  実家の藤咲家、ホンシュア、斑目一族。  この三者の色彩が、メイシアの頭の中でぐるぐると回る。  そして、すべての色が混じりあい、真っ黒な陰謀の闇が作り上げられた。 「実家と、ホンシュアと、斑目一族は繋がっている……ということですね」  信じたくはなかった。でも、どう考えても、メイシアにはその答えしか見つけることができなかった。  心臓が締め上げられるように痛む。瞳に涙が盛り上がりそうになるが、そんな貴族シャトーアの令嬢めいたことは、もはや自分に許されることではない、とメイシアは必死にこらえた。 「さて? 私は当事者じゃないから真実は知らないわ。ただ、夫と愛息を囚われた女が脅迫されたとすれば、義理の娘が二の次になったとしてもおかしくないわね」 「……」 「誰かのために誰かを犠牲にするのは、恥ずかしいことじゃないわ。――そして、私も、ね?」  シャオリエの言葉に微妙な色合いが含まれ、メイシアの背に戦慄が走った。 「もともと斑目は鷹刀と対立している。隙あらば、と仕掛けてくる。今回だって、斑目は初めから鷹刀を狙っていたのかもしれない。――けれど、貴族シャトーアの娘が凶賊ダリジィンを訪れるなんて、あり得ない蛮勇を犯さなければ、鷹刀は平和なままだった」  獲物を狙う、獣の目。アーモンド型の瞳には剣呑な光が宿っていた。 「私は、お前が嫌いではないわ。むしろ好ましいと思っている。……けれど、これからきっと、鷹刀は罠に落ちる――お前のせいで」  シャオリエの視線がまっすぐにメイシアを射抜いた。 「……だから、その前に。私はお前を排除する」  しっとりとした心地のよい音質。しかし、完全に感情を取り払った声であった。  個人的な恨みではなく、ただ鷹刀一族の行く末のためだけに、シャオリエはそう宣告した。



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