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5.薄雲を透かした紗のような-2

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 メイシアとシャンリーが応接室を出たあと、クーティエが食堂へと去っていった。楽しみにしていた、よもぎあんパンを食べるためである。  来客用の部屋を食べこぼしで汚すわけにはいかないという、社長令嬢らしい配慮。加えて、甘い菓子パンは苦目のお茶と一緒にいただきたいという、十歳の少女にしてはなかなか渋い嗜好。この両者を満たすべく、彼女は足取り軽くスキップをしていった。  いろいろな意味で華やかな女性たちがいなくなると、部屋は凪いだように静まり返った。先ほどまで、苦虫を噛み潰したような顔をして無精髭を逆立てていたチャオラウも、すっかり普段の彼に戻っている。  この家のあるじ、草薙レイウェンは、ソファーの座る位置を少しずらし、久しぶりに会う弟の正面に着いた。軽く背をかがめ「リュイセン」と、優しく包み込むような低い声を落とす。  はっとしてリュイセンが目線を上げると、自分とそっくりな顔が穏やかに微笑んでいた。  しかし、似ているのは表面の薄皮だけだ。 「ずっと、うつむき加減だね。君らしくないな」 「兄上……」  十歳ほど年長のこの兄には、祖父イーレオや、父エルファンのようなアクの強さはない。けれど、ごく自然に包容のかいなを広げ、清も濁も併せ呑む。気づけば、内側から匂い立つ、色香の如き魅力にいだかれているのだ。常に冷静であれと、たしなめられてばかりのリュイセンとは器が違う。 「何があったんだい?」  血族特有の聞き慣れた低い声質は、けれど誰よりも甘やかに響く。 「……『何かあったのか』ではなくて、『何があったんだ』と訊くんだな、兄上は」 「君がそんな顔をしているのに、何もないわけがないだろう?」  優しげな顔をして、時として強引。そんなところも、リュイセンには敵わない。  黙っていても、あとでシャンリーから話がいくのだろう。チャオラウが寡黙に控えているのも気になるが、どうせ彼も知っているはずだ。だったら、口を閉ざすことに意味はなかった。 「母上が鷹刀の屋敷を出たのは俺のためだったと、義姉上から聞いた」 「ああ……、聞いたのか」  レイウェンは眉を寄せ、けれど深い息を吐きながら口元を緩める。 「ずるい大人たちの自己満足だから、君が気にすることではないよ」 「けど、兄上……」  レイウェンが鷹刀一族の屋敷を出たのは、今のリュイセンとたいして変わらない歳のころだ。  生まれたときからずっと、兄の背中を見ている。何年経っても、永遠に超えることができない。焦れるような気持ちで見やれば、兄はひと筋の切なさの混じった優しい顔をしていた。 「それにね。母上が鷹刀を出たのは、ミンウェイの居場所を作るためでもあったんだ」 「ミンウェイの居場所?」  リュイセンの瞳が、鋭い光を放つ。  顔つきが変わった弟を頼もしげに見つめ、レイウェンは頷いた。 「今、ミンウェイは総帥の補佐として、なくてはならない存在だろう?」 「あ? ああ……。それが何か……?」 「鷹刀にとって、ミンウェイはとても大切な人間だ。彼女は皆に愛されている。――けれど、十年前はそうとも言い切れなかった。周りもそうだし、何よりもミンウェイ自身が自分を否定してばかりいた」 「……」  ミンウェイが、父親と共に暗殺者として姿を現したのは、十数年前だ。  当時、まだ小さかったリュイセンには詳しいことは説明されず、従姉が一緒に住むことになったとだけ伝えられた。けれど周りの大人たちは、彼女と父親が総帥の命を狙ったことを知っていたはずだ。当然、風当たりも強かっただろう。 「君も覚えているだろう? 母上が鷹刀にいたころは、母上が総帥の補佐をしていた」 「ああ。なのに、デザイナーになると言って、補佐の大役をミンウェイに押し付けて、兄上と共に出ていった」  吐き捨てるようにリュイセンが言うと、レイウェンが淋しげに苦笑した。 「君には、そう見えただろうね」 「兄上?」 「母上が出ていった結果、ミンウェイが仕事を引き継いだ。……それはね、彼女に役割を持たせることで、彼女は鷹刀にとって必要な人間であると分かりやすい形で示し、居場所を作った――ということだ」 「……っ!」 「祖父上が口癖のように、『ミンウェイは俺のものだ。一族のものだ』と言うだろう? あれもミンウェイに対する暗示というのかな、彼女はここに居ていいのだと、言い聞かせているんだよ」 「……」  押し黙ったリュイセンに、レイウェンが穏やかな眼差しを向ける。 「母上が屋敷を出たのは、荒療治に近かったけどね。何しろ、当時の鷹刀の屋敷でミンウェイが一番信頼していたのが母上で、一番仲が良かったのが歳の近いシャンリーだ。そのふたりがいなくなったとき、ミンウェイがどうなるのか心配だった」  うまくいって本当によかった、とレイウェンは微笑む。  しかし、次の瞬間、彼の顔から柔らかな表情がすっと消えた。代わりに、彼らの父親そっくりの、凍てついた美貌が現れる。 「兄上?」 「リュイセン。今、ミンウェイの様子はどうだ?」 「どう、って……?」  氷の息吹を吹きつけられたような錯覚を覚え、肌が粟立った。リュイセンは知れず、両腕を強く掻きいだく。 「この前、ミンウェイがこの家に来た」 「――何故だ?」  反射的に口走ってから、わざわざ尋ねるようなことではなかったと、リュイセンは思い返す。  ミンウェイは母や義姉と仲が良い。数えたことはないが、彼以上によく遊びに来ているはずだ。この家を訪問するのに、特別な理由など必要ないだろう。  けれど、兄の放つ冷気が、彼に『何故』と言わしめた。  戸惑う弟に気づいているのか、いないのか。レイウェンは淡々と言葉を続ける。 「ミンウェイは、なんでもいいから父親のことを――ヘイシャオ叔父上について知っていることを教えてほしいと、追いつめられた顔で母上に迫った」  リュイセンは一瞬、ぽかんとした。『ヘイシャオ』という名前に馴染みがなかったのだ。 「……ミンウェイの父親の『ヘイシャオ』って、〈ムスカ〉のことだよな?」  ミンウェイの父が〈悪魔〉であったことは、今までリュイセンだけが知らなかった。彼女が現れたころは彼がまだ小さかったから、というのが理由だが、情報屋であるルイフォンは知っていた。のけ者にされていたようで腹立たしい。 「ミンウェイは何故、母上に〈ムスカ〉のことを訊くんだ?」  リュイセンは、鼓動が高まるのを感じた。  強敵を前にしても怖気づくことのない彼が、これから発せられるであろう兄の言葉を本能で恐れた。  レイウェンは弟に静かな色の目を向け、ゆっくりと口を開く。 「ヘイシャオ叔父上は、母上の実の弟だ」 「なんだって!?」 「〈悪魔〉に関することは禁忌に近い。ヘイシャオ叔父上の話題も避けられていたから、君が知らなくても無理はないだろう。――でも、事実だよ」 「なんだよ、それ……」  リュイセンは拳を固く握り、テーブルを叩きつけた。  ばん、という大きな音が響き、飾り棚の硝子戸が激しくざわめく。  母の出自について、深く考えたことなどなかった。ただ単純に、直系の妻なのだから一族の血を濃く引く人間なのだろう、くらいにしか捉えていなかった。  けれどまさか、ミンウェイを苦しめた、あの憎き男とそんなに近い間柄だったとは……! 「リュイセン。かつての鷹刀は〈七つの大罪〉によって、濃い血を作り出すことを強いられていた。――私たちの両親が、従姉弟いとこ同士なのは知っているだろう?」 「そんなこと、知っている!」 「そして、『母上の弟』と『父上の妹』が、ミンウェイの両親で、こちらも従兄妹いとこ同士なんだよ」 「だから、それが、なんだって言うんだよ!?」  レイウェンを睨みつけるようにして、リュイセンはテーブルから目線を上げた。肩で揺れる髪が、ぞわりと憎悪に広がる。 「君は『濃い血』が、何を意味するか分かるかい?」  兄は感情の見えない目をして、じっと弟を見つめていた。  リュイセンのやり場のない怒りを、レイウェンは氷のような威圧感で封じ込める。 「……何を、言いたい?」  そう言葉を返すことすら、息苦しい。 「濃すぎる血は、生まれてくる子供が健康である確率を低くする。現に私たちには、生まれなかった兄弟、育たなかった兄弟が何人もいる」 「なっ……!?」 「そして、ミンウェイの母親も、生まれつき病弱だった」  気づかぬうちに、異世界に迷い込んだかのようで、兄の声はどこか遠く、現実味がない。 「ヘイシャオ叔父上は、心から彼女を愛していた。だから、彼女を治すために〈悪魔〉となった。文字通り、『悪魔』に魂を売った」 「……」 「母上によると、叔父上の研究テーマは『肉体の再生技術』だったそうだよ」 「あ……、ああ……」  その話には聞き覚えがある。捕虜となった〈ムスカ〉の〈影〉の発言として、ミンウェイが報告していた。 「……じゃあ、死んだはずの〈ムスカ〉が生き返っているってのは、『再生』したからだ、とでも言うのか?」 「それは分からない。……けれど、リュイセン。叔父上は哀しいくらいに壊れてしまっている」 「兄上は、あの男の肩を持つのか!?」  重要な話を聞いているはずだった。  ルイフォンが聞いたなら、吟味すべき情報であると目を輝かせたに違いなかった。  けれどリュイセンは、腹の奥から沸き立つ黒い感情に支配されていた。むしゃくしゃした。無性に苛立った。 「勿論、彼のしたことは私も許さないよ。だが、ただのひとつの事実として聞いてほしいことがある」 「なんだよ?」  噛み付くように言い返す。 「ミンウェイの母親の名前は『ミンウェイ』というんだ」 「な……!?」 「叔父上は生まれた娘に名前を与えず、愛する妻の代わりにしたんだ」



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 メイシアとシャンリーが応接室を出たあと、クーティエが食堂へと去っていった。楽しみにしていた、よもぎあんパンを食べるためである。  来客用の部屋を食べこぼしで汚すわけにはいかないという、社長令嬢らしい配慮。加えて、甘い菓子パンは苦目のお茶と一緒にいただきたいという、十歳の少女にしてはなかなか渋い嗜好。この両者を満たすべく、彼女は足取り軽くスキップをしていった。  いろいろな意味で華やかな女性たちがいなくなると、部屋は凪いだように静まり返った。先ほどまで、苦虫を噛み潰したような顔をして無精髭を逆立てていたチャオラウも、すっかり普段の彼に戻っている。  この家のあるじ、草薙レイウェンは、ソファーの座る位置を少しずらし、久しぶりに会う弟の正面に着いた。軽く背をかがめ「リュイセン」と、優しく包み込むような低い声を落とす。  はっとしてリュイセンが目線を上げると、自分とそっくりな顔が穏やかに微笑んでいた。  しかし、似ているのは表面の薄皮だけだ。 「ずっと、うつむき加減だね。君らしくないな」 「兄上……」  十歳ほど年長のこの兄には、祖父イーレオや、父エルファンのようなアクの強さはない。けれど、ごく自然に包容のかいなを広げ、清も濁も併せ呑む。気づけば、内側から匂い立つ、色香の如き魅力にいだかれているのだ。常に冷静であれと、たしなめられてばかりのリュイセンとは器が違う。 「何があったんだい?」  血族特有の聞き慣れた低い声質は、けれど誰よりも甘やかに響く。 「……『何かあったのか』ではなくて、『何があったんだ』と訊くんだな、兄上は」 「君がそんな顔をしているのに、何もないわけがないだろう?」  優しげな顔をして、時として強引。そんなところも、リュイセンには敵わない。  黙っていても、あとでシャンリーから話がいくのだろう。チャオラウが寡黙に控えているのも気になるが、どうせ彼も知っているはずだ。だったら、口を閉ざすことに意味はなかった。 「母上が鷹刀の屋敷を出たのは俺のためだったと、義姉上から聞いた」 「ああ……、聞いたのか」  レイウェンは眉を寄せ、けれど深い息を吐きながら口元を緩める。 「ずるい大人たちの自己満足だから、君が気にすることではないよ」 「けど、兄上……」  レイウェンが鷹刀一族の屋敷を出たのは、今のリュイセンとたいして変わらない歳のころだ。  生まれたときからずっと、兄の背中を見ている。何年経っても、永遠に超えることができない。焦れるような気持ちで見やれば、兄はひと筋の切なさの混じった優しい顔をしていた。 「それにね。母上が鷹刀を出たのは、ミンウェイの居場所を作るためでもあったんだ」 「ミンウェイの居場所?」  リュイセンの瞳が、鋭い光を放つ。  顔つきが変わった弟を頼もしげに見つめ、レイウェンは頷いた。 「今、ミンウェイは総帥の補佐として、なくてはならない存在だろう?」 「あ? ああ……。それが何か……?」 「鷹刀にとって、ミンウェイはとても大切な人間だ。彼女は皆に愛されている。――けれど、十年前はそうとも言い切れなかった。周りもそうだし、何よりもミンウェイ自身が自分を否定してばかりいた」 「……」  ミンウェイが、父親と共に暗殺者として姿を現したのは、十数年前だ。  当時、まだ小さかったリュイセンには詳しいことは説明されず、従姉が一緒に住むことになったとだけ伝えられた。けれど周りの大人たちは、彼女と父親が総帥の命を狙ったことを知っていたはずだ。当然、風当たりも強かっただろう。 「君も覚えているだろう? 母上が鷹刀にいたころは、母上が総帥の補佐をしていた」 「ああ。なのに、デザイナーになると言って、補佐の大役をミンウェイに押し付けて、兄上と共に出ていった」  吐き捨てるようにリュイセンが言うと、レイウェンが淋しげに苦笑した。 「君には、そう見えただろうね」 「兄上?」 「母上が出ていった結果、ミンウェイが仕事を引き継いだ。……それはね、彼女に役割を持たせることで、彼女は鷹刀にとって必要な人間であると分かりやすい形で示し、居場所を作った――ということだ」 「……っ!」 「祖父上が口癖のように、『ミンウェイは俺のものだ。一族のものだ』と言うだろう? あれもミンウェイに対する暗示というのかな、彼女はここに居ていいのだと、言い聞かせているんだよ」 「……」  押し黙ったリュイセンに、レイウェンが穏やかな眼差しを向ける。 「母上が屋敷を出たのは、荒療治に近かったけどね。何しろ、当時の鷹刀の屋敷でミンウェイが一番信頼していたのが母上で、一番仲が良かったのが歳の近いシャンリーだ。そのふたりがいなくなったとき、ミンウェイがどうなるのか心配だった」  うまくいって本当によかった、とレイウェンは微笑む。  しかし、次の瞬間、彼の顔から柔らかな表情がすっと消えた。代わりに、彼らの父親そっくりの、凍てついた美貌が現れる。 「兄上?」 「リュイセン。今、ミンウェイの様子はどうだ?」 「どう、って……?」  氷の息吹を吹きつけられたような錯覚を覚え、肌が粟立った。リュイセンは知れず、両腕を強く掻きいだく。 「この前、ミンウェイがこの家に来た」 「――何故だ?」  反射的に口走ってから、わざわざ尋ねるようなことではなかったと、リュイセンは思い返す。  ミンウェイは母や義姉と仲が良い。数えたことはないが、彼以上によく遊びに来ているはずだ。この家を訪問するのに、特別な理由など必要ないだろう。  けれど、兄の放つ冷気が、彼に『何故』と言わしめた。  戸惑う弟に気づいているのか、いないのか。レイウェンは淡々と言葉を続ける。 「ミンウェイは、なんでもいいから父親のことを――ヘイシャオ叔父上について知っていることを教えてほしいと、追いつめられた顔で母上に迫った」  リュイセンは一瞬、ぽかんとした。『ヘイシャオ』という名前に馴染みがなかったのだ。 「……ミンウェイの父親の『ヘイシャオ』って、〈ムスカ〉のことだよな?」  ミンウェイの父が〈悪魔〉であったことは、今までリュイセンだけが知らなかった。彼女が現れたころは彼がまだ小さかったから、というのが理由だが、情報屋であるルイフォンは知っていた。のけ者にされていたようで腹立たしい。 「ミンウェイは何故、母上に〈ムスカ〉のことを訊くんだ?」  リュイセンは、鼓動が高まるのを感じた。  強敵を前にしても怖気づくことのない彼が、これから発せられるであろう兄の言葉を本能で恐れた。  レイウェンは弟に静かな色の目を向け、ゆっくりと口を開く。 「ヘイシャオ叔父上は、母上の実の弟だ」 「なんだって!?」 「〈悪魔〉に関することは禁忌に近い。ヘイシャオ叔父上の話題も避けられていたから、君が知らなくても無理はないだろう。――でも、事実だよ」 「なんだよ、それ……」  リュイセンは拳を固く握り、テーブルを叩きつけた。  ばん、という大きな音が響き、飾り棚の硝子戸が激しくざわめく。  母の出自について、深く考えたことなどなかった。ただ単純に、直系の妻なのだから一族の血を濃く引く人間なのだろう、くらいにしか捉えていなかった。  けれどまさか、ミンウェイを苦しめた、あの憎き男とそんなに近い間柄だったとは……! 「リュイセン。かつての鷹刀は〈七つの大罪〉によって、濃い血を作り出すことを強いられていた。――私たちの両親が、従姉弟いとこ同士なのは知っているだろう?」 「そんなこと、知っている!」 「そして、『母上の弟』と『父上の妹』が、ミンウェイの両親で、こちらも従兄妹いとこ同士なんだよ」 「だから、それが、なんだって言うんだよ!?」  レイウェンを睨みつけるようにして、リュイセンはテーブルから目線を上げた。肩で揺れる髪が、ぞわりと憎悪に広がる。 「君は『濃い血』が、何を意味するか分かるかい?」  兄は感情の見えない目をして、じっと弟を見つめていた。  リュイセンのやり場のない怒りを、レイウェンは氷のような威圧感で封じ込める。 「……何を、言いたい?」  そう言葉を返すことすら、息苦しい。 「濃すぎる血は、生まれてくる子供が健康である確率を低くする。現に私たちには、生まれなかった兄弟、育たなかった兄弟が何人もいる」 「なっ……!?」 「そして、ミンウェイの母親も、生まれつき病弱だった」  気づかぬうちに、異世界に迷い込んだかのようで、兄の声はどこか遠く、現実味がない。 「ヘイシャオ叔父上は、心から彼女を愛していた。だから、彼女を治すために〈悪魔〉となった。文字通り、『悪魔』に魂を売った」 「……」 「母上によると、叔父上の研究テーマは『肉体の再生技術』だったそうだよ」 「あ……、ああ……」  その話には聞き覚えがある。捕虜となった〈ムスカ〉の〈影〉の発言として、ミンウェイが報告していた。 「……じゃあ、死んだはずの〈ムスカ〉が生き返っているってのは、『再生』したからだ、とでも言うのか?」 「それは分からない。……けれど、リュイセン。叔父上は哀しいくらいに壊れてしまっている」 「兄上は、あの男の肩を持つのか!?」  重要な話を聞いているはずだった。  ルイフォンが聞いたなら、吟味すべき情報であると目を輝かせたに違いなかった。  けれどリュイセンは、腹の奥から沸き立つ黒い感情に支配されていた。むしゃくしゃした。無性に苛立った。 「勿論、彼のしたことは私も許さないよ。だが、ただのひとつの事実として聞いてほしいことがある」 「なんだよ?」  噛み付くように言い返す。 「ミンウェイの母親の名前は『ミンウェイ』というんだ」 「な……!?」 「叔父上は生まれた娘に名前を与えず、愛する妻の代わりにしたんだ」



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