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3.冥府の警護者-3

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 母が殺された、あの日。  いつも夜中は熟睡しているルイフォンが、ふと目を覚ました。  そして、心理的な盲点にある、この母の休息部屋にやってきた――。 「あり得ない! ……俺が自分から、この部屋に来ることは『ない』」  ルイフォンは、きっぱりと言い切った。  また、記憶のほころびを見つけた。知らぬうちに、駒のように動かされていたという現実に、憤りを覚える。  姿なき〈ケル〉に向かい、彼は睨みつけるような険しい視線をぶつけた。 「メイシアの言う通り、〈ケル〉、お前が俺を起こした。そして、この部屋に呼んだんだな!」 〔……はい〕  観念したように、けれど、はっきりと〈ケル〉は肯定した。 〔警報音を鳴らし、あなたの携帯端末を乗っ取って、この部屋に来るように言いました〕 「母さんは、先王が来たことを俺には隠したかったはずだ。なのに、お前は俺を呼んだ――俺を『呼ぶことができた』」  この事実から導かれる答え――メイシアが指摘したかった点が、今はっきりと見える。 「それは、つまり、お前は『母さんの支配下にない』ってことだ!」  ルイフォンの体が、自然に一歩前に出て、見えない〈ケル〉に喰らいついた。 〔……!〕  〈ケル〉の気配が一瞬、大きく震えた。  しかしそのあとは、さらさらと流れていた光がぴたりと止まる。まるで、息するのを忘れてしまったかのように。 「〈ケル〉!」  押し黙る〈ケル〉に、なおも詰め寄ろうとしたとき、遠慮がちなメイシアの手が彼の袖を引いた。  気遣うような黒曜石の瞳が、優しく彼を映していた。その穏やかな黒に、ルイフォンは感情に押し流されそうになっていた自分に気づく。もとはといえば、メイシアと〈ケル〉との会話の途中であった。  ルイフォンは、いつの間にかに怒らせていた肩を下ろす。「すまん」と面目なく呟くと、メイシアは小さく首を振って笑んだ。 「〈ケル〉、ルイフォンの言う通り、あなたはキリファさんの支配下にない――自由なはずです」 〔……〕 「あなたは、あなたの意思で、キリファさんの死の真相をルイフォンに教えたくないのです」  その言葉は批難であり、弾劾であるはずなのに、決して激しくはなかった。何故なら、彼女の目的は〈ケル〉の嘘をあばくことではなかったから――。  メイシアは、見えない〈ケル〉を見つめた。その視線には、切実な思いが込められていた。 「どうか、そんな意地悪をしないでください。ルイフォンの心は、分からないことだらけの不安の中で、とても疲れてしまっています。……お願いです。彼のために教えてください」  メイシアは深々とこうべを垂れた。  あたりが、しんと静まり返る。  動きを止めた光が、惑うように明るさだけを変えていく。不規則な方向に伸びたルイフォンとメイシアの影が床で踊る。 〔メイシア……〕 〈ケル〉が呟いた。そして、溜め息のような光の波紋が広がった。 〔……ええ。私がキリファに支配されているというのは、嘘です。……でも、本当でもあります〕  謎掛けみたいな答えに、ルイフォンの瞳がすっと細まり、剣呑に光る。  しかし、ここはメイシアに任せるべきだと、彼は理性でとどめた。そんな彼に気づいたのか、彼女は頷き、「どういうことですか?」と柔らかに問う。 〔私にとって、キリファはとても大切な友人です。だから、彼女の願いは叶えてあげたいのです。――彼女は、自分の死の真相を、ルイフォンに知られることを望んでいません〕 〈ケル〉は決然と言い切った。けれど、メイシアは緩やかに返す。 「でもあなたは、ルイフォンを起こしました。それは、キリファさんが『望まなかったこと』です」 〔……っ、それは……〕  小さく息を呑み、〈ケル〉が言いよどむ。その反応を予期していたメイシアは、鋭くも優しい言葉をすっと滑り込ませた。 「それは、あなたが、キリファさんが亡くなることを知っていたから。あなたは、キリファさんを助けたくて、ルイフォンを起こした――違いますか?」 〔……!〕  光が、大きくたわんだ。  刹那、部屋全体がまばゆい光で満たされる。  目をくような強い光。ルイフォンは「メイシア!」と彼女の名を叫び、華奢な体を抱きしめた。きつくつぶった瞳の裏にまで輝きが入り込み、なんとしてでも彼女を守らねばと、心臓が跳ね上がる――!  と、そのとき。  唐突に光が霧散した。まぶた越しに、そう感じた。 「……?」  恐る恐る薄目を開ければ、淡く細かな光が、波打つように揺れている。まるで肩をむせばせ、震えるように……。 〔ええ、そう……。メイシア、あなたの言う通りです……〕  かすれた〈ケル〉の声が、呟くように落とされた。 〔命と引き換えに、キリファがしようとしていたこと――彼女の気持ちを、私は理解しました。だから、彼女に従いました――従おうと思いました……。けれどっ……! 私には、耐えられませんでした……!〕  吐き出すように〈ケル〉が叫んだ瞬間、せき止められていた堤が決壊したかのように、清水の如き光がさらさらと流れる。  澄んだ光が煌めくさまは、まるで〈ケル〉の涙――。 〔キリファは王に、自分の体を持っていくように言いました。……そして、王が去ったら、この部屋を――キリファのベッドを中心に炎でき尽くすよう、私に頼みました。〈天使〉の熱暴走によってキリファは死んだのだと、皆に思わせるように……〕  ルイフォンの眉が、ぴくりと上がった。 「体を持っていかせた……? どういうことだ?」 〔これ以上は、教えられません。キリファが命を懸けてしたことを――あなたには秘密にしてほしいと頼まれたことを、私は言えません〕  ひと筋の光が、ひときわ強く輝いた。雫のように流れ落ちたそれは床で跳ね返り、細かな粒子となって散ってゆく。 「〈ケル〉……」  メイシアが小さく呟いた。そして「ごめんなさい」と続ける。〈ケル〉の気持ちも知らず、こちらの思いばかりを押し付けてごめんなさい、ということだろう。  ルイフォンは、そっとメイシアの肩に手を回し、彼女の体を自分の胸に預けさせる。その手で彼女の頬を撫で、耳元から髪を梳くようにして、柔らかな黒絹をくしゃりとした。 「――それなら、仕方ないよな」 〈ケル〉は母の支配下にない。〈ケル〉は自由だ。  自由だからこそ、〈ケル〉は、〈ケル〉の意思で口を閉ざすのだ。強制アクセス権なんかよりも、ずっとずっと強固な絆で、母と繋がっているから。 「母さんの、たっての願い、だったんだろ?」 〔え……?〕 「お前から、先王と母さんのことを訊くのは諦めた。少なくとも母さんは、一方的に先王に殺されたわけじゃないらしい。むしろ先王を利用して、自分の目論見通りにことを運んだ、ってわけだろ? それが分かっただけでも収穫だ」 〔ルイフォン……〕  声を沈ませる〈ケル〉に、ルイフォンは口の端を上げる。 「自分の命を懸けて、国王すらも顎で使ってやるって――如何いかにも、母さんらしいじゃねぇか」 〈ケル〉に訊かなくとも、母はちゃんと道を示してくれている。『手紙』に記された〈スー〉のプログラムの解析を進めれば、何かが分かるのだろう。  言われた通りにするのは、母の掌の上にいるようで気に喰わないが、できることをしないのも愚かなことだ。  知りたかったことは、分からずじまい。けれど、気分は晴れやかだった。 「それじゃ、行こうか」  胸の中のメイシアを見やると、彼女は大きく頷いた。  メイシアのおかげで、〈ケル〉の気持ちを聞けた。彼女には、本当にいつも助けられている。聡明な瞳は真実を見抜き、澄んだ心が優しさを紡ぐ。そんな彼女が愛しくてたまらない。  ルイフォンは正面を向き、姿なき〈ケル〉を見つめた。 「〈ケル〉、ありがとう」  抜けるような青空の笑顔で、彼は笑った。 『彼女』は、母が作った『もの』かもしれないが、母の大切な友人で、ルイフォンのことを生まれたときから見守ってくれている。 「それから、ごめんな」 〔え?〕 「お前は、ずっと自分を責めていただろ? 母さんが自分勝手しただけなのに、お前は母さんの死に責任を感じていた。だから、俺に会うのも怖かった――だろ?」 〈ケル〉が一番初めに言った『ごめんなさい』には、そんな思いも込められていたに違いない。 「お前に会えてよかった。……母さんのせいで辛い思いをさせて、すまなかった」   ルイフォンは彼の特徴ともいえる猫背を伸ばし、それからきっちり腰を直角に折った。 〔ルイフォン……?〕 〈ケル〉は驚いたように呟き、それから一段低い声になる。 〔……私は、あなたに謝罪されるような者ではありません〕 「そんなことないさ」  ルイフォンは顔を上げ、かたくなな〈ケル〉に苦笑する。けれど〈ケル〉は陰りのある声を返してきた。 〔私はあの日、幾つもの罪を犯しました〕 「罪? 何が罪だというんだよ?」 〔キリファの死が変わらないのであれば、私はあなたを起こすべきではありませんでした〕  ルイフォンの強い口調を、脈打つ光が静かに跳ねのける。繰り返される明暗の中には、〈ケル〉の後悔が見え隠れしていた。 〔私が何もしなければ、あなたはキリファの最期を目にすることもなく、記憶の改竄もありませんでした。私がしたことは、あなたを苦しめただけです〕 「そんなこと……」 〔いいえ!〕  ルイフォンの言葉を遮り、〈ケル〉は鋭く畳み掛ける。 〔それどころか、私はエルファンに――!〕 「エルファン?」  いきなり出てきた異母兄の名前に、ルイフォンを瞳を瞬かせ……そして思い出す。あの日、彼が気を失ったあと、この家に駆けつけたのはエルファンだった。 〔ええ……。私は彼にとって一番、むごい仕打ちをしました……〕 「むごい仕打ち……?」 〔私の罪の告白を、聞いてくれますか? ――エルファンの代わりに……〕  それは問いかけの形をとっていたが、断れるはずもない願いだった。  ルイフォンは「ああ」と頷き、ちらりとメイシアを見やる。彼女もまた同じように頷いていたのを知ると、少しだけ心が軽くなった。 〔ありがとう〕  さらさらと、微笑むように光が流れた。  それから、溜め息のような波紋が広がると、〈ケル〉の声が厳かに響き始めた。



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 母が殺された、あの日。  いつも夜中は熟睡しているルイフォンが、ふと目を覚ました。  そして、心理的な盲点にある、この母の休息部屋にやってきた――。 「あり得ない! ……俺が自分から、この部屋に来ることは『ない』」  ルイフォンは、きっぱりと言い切った。  また、記憶のほころびを見つけた。知らぬうちに、駒のように動かされていたという現実に、憤りを覚える。  姿なき〈ケル〉に向かい、彼は睨みつけるような険しい視線をぶつけた。 「メイシアの言う通り、〈ケル〉、お前が俺を起こした。そして、この部屋に呼んだんだな!」 〔……はい〕  観念したように、けれど、はっきりと〈ケル〉は肯定した。 〔警報音を鳴らし、あなたの携帯端末を乗っ取って、この部屋に来るように言いました〕 「母さんは、先王が来たことを俺には隠したかったはずだ。なのに、お前は俺を呼んだ――俺を『呼ぶことができた』」  この事実から導かれる答え――メイシアが指摘したかった点が、今はっきりと見える。 「それは、つまり、お前は『母さんの支配下にない』ってことだ!」  ルイフォンの体が、自然に一歩前に出て、見えない〈ケル〉に喰らいついた。 〔……!〕  〈ケル〉の気配が一瞬、大きく震えた。  しかしそのあとは、さらさらと流れていた光がぴたりと止まる。まるで、息するのを忘れてしまったかのように。 「〈ケル〉!」  押し黙る〈ケル〉に、なおも詰め寄ろうとしたとき、遠慮がちなメイシアの手が彼の袖を引いた。  気遣うような黒曜石の瞳が、優しく彼を映していた。その穏やかな黒に、ルイフォンは感情に押し流されそうになっていた自分に気づく。もとはといえば、メイシアと〈ケル〉との会話の途中であった。  ルイフォンは、いつの間にかに怒らせていた肩を下ろす。「すまん」と面目なく呟くと、メイシアは小さく首を振って笑んだ。 「〈ケル〉、ルイフォンの言う通り、あなたはキリファさんの支配下にない――自由なはずです」 〔……〕 「あなたは、あなたの意思で、キリファさんの死の真相をルイフォンに教えたくないのです」  その言葉は批難であり、弾劾であるはずなのに、決して激しくはなかった。何故なら、彼女の目的は〈ケル〉の嘘をあばくことではなかったから――。  メイシアは、見えない〈ケル〉を見つめた。その視線には、切実な思いが込められていた。 「どうか、そんな意地悪をしないでください。ルイフォンの心は、分からないことだらけの不安の中で、とても疲れてしまっています。……お願いです。彼のために教えてください」  メイシアは深々とこうべを垂れた。  あたりが、しんと静まり返る。  動きを止めた光が、惑うように明るさだけを変えていく。不規則な方向に伸びたルイフォンとメイシアの影が床で踊る。 〔メイシア……〕 〈ケル〉が呟いた。そして、溜め息のような光の波紋が広がった。 〔……ええ。私がキリファに支配されているというのは、嘘です。……でも、本当でもあります〕  謎掛けみたいな答えに、ルイフォンの瞳がすっと細まり、剣呑に光る。  しかし、ここはメイシアに任せるべきだと、彼は理性でとどめた。そんな彼に気づいたのか、彼女は頷き、「どういうことですか?」と柔らかに問う。 〔私にとって、キリファはとても大切な友人です。だから、彼女の願いは叶えてあげたいのです。――彼女は、自分の死の真相を、ルイフォンに知られることを望んでいません〕 〈ケル〉は決然と言い切った。けれど、メイシアは緩やかに返す。 「でもあなたは、ルイフォンを起こしました。それは、キリファさんが『望まなかったこと』です」 〔……っ、それは……〕  小さく息を呑み、〈ケル〉が言いよどむ。その反応を予期していたメイシアは、鋭くも優しい言葉をすっと滑り込ませた。 「それは、あなたが、キリファさんが亡くなることを知っていたから。あなたは、キリファさんを助けたくて、ルイフォンを起こした――違いますか?」 〔……!〕  光が、大きくたわんだ。  刹那、部屋全体がまばゆい光で満たされる。  目をくような強い光。ルイフォンは「メイシア!」と彼女の名を叫び、華奢な体を抱きしめた。きつくつぶった瞳の裏にまで輝きが入り込み、なんとしてでも彼女を守らねばと、心臓が跳ね上がる――!  と、そのとき。  唐突に光が霧散した。まぶた越しに、そう感じた。 「……?」  恐る恐る薄目を開ければ、淡く細かな光が、波打つように揺れている。まるで肩をむせばせ、震えるように……。 〔ええ、そう……。メイシア、あなたの言う通りです……〕  かすれた〈ケル〉の声が、呟くように落とされた。 〔命と引き換えに、キリファがしようとしていたこと――彼女の気持ちを、私は理解しました。だから、彼女に従いました――従おうと思いました……。けれどっ……! 私には、耐えられませんでした……!〕  吐き出すように〈ケル〉が叫んだ瞬間、せき止められていた堤が決壊したかのように、清水の如き光がさらさらと流れる。  澄んだ光が煌めくさまは、まるで〈ケル〉の涙――。 〔キリファは王に、自分の体を持っていくように言いました。……そして、王が去ったら、この部屋を――キリファのベッドを中心に炎でき尽くすよう、私に頼みました。〈天使〉の熱暴走によってキリファは死んだのだと、皆に思わせるように……〕  ルイフォンの眉が、ぴくりと上がった。 「体を持っていかせた……? どういうことだ?」 〔これ以上は、教えられません。キリファが命を懸けてしたことを――あなたには秘密にしてほしいと頼まれたことを、私は言えません〕  ひと筋の光が、ひときわ強く輝いた。雫のように流れ落ちたそれは床で跳ね返り、細かな粒子となって散ってゆく。 「〈ケル〉……」  メイシアが小さく呟いた。そして「ごめんなさい」と続ける。〈ケル〉の気持ちも知らず、こちらの思いばかりを押し付けてごめんなさい、ということだろう。  ルイフォンは、そっとメイシアの肩に手を回し、彼女の体を自分の胸に預けさせる。その手で彼女の頬を撫で、耳元から髪を梳くようにして、柔らかな黒絹をくしゃりとした。 「――それなら、仕方ないよな」 〈ケル〉は母の支配下にない。〈ケル〉は自由だ。  自由だからこそ、〈ケル〉は、〈ケル〉の意思で口を閉ざすのだ。強制アクセス権なんかよりも、ずっとずっと強固な絆で、母と繋がっているから。 「母さんの、たっての願い、だったんだろ?」 〔え……?〕 「お前から、先王と母さんのことを訊くのは諦めた。少なくとも母さんは、一方的に先王に殺されたわけじゃないらしい。むしろ先王を利用して、自分の目論見通りにことを運んだ、ってわけだろ? それが分かっただけでも収穫だ」 〔ルイフォン……〕  声を沈ませる〈ケル〉に、ルイフォンは口の端を上げる。 「自分の命を懸けて、国王すらも顎で使ってやるって――如何いかにも、母さんらしいじゃねぇか」 〈ケル〉に訊かなくとも、母はちゃんと道を示してくれている。『手紙』に記された〈スー〉のプログラムの解析を進めれば、何かが分かるのだろう。  言われた通りにするのは、母の掌の上にいるようで気に喰わないが、できることをしないのも愚かなことだ。  知りたかったことは、分からずじまい。けれど、気分は晴れやかだった。 「それじゃ、行こうか」  胸の中のメイシアを見やると、彼女は大きく頷いた。  メイシアのおかげで、〈ケル〉の気持ちを聞けた。彼女には、本当にいつも助けられている。聡明な瞳は真実を見抜き、澄んだ心が優しさを紡ぐ。そんな彼女が愛しくてたまらない。  ルイフォンは正面を向き、姿なき〈ケル〉を見つめた。 「〈ケル〉、ありがとう」  抜けるような青空の笑顔で、彼は笑った。 『彼女』は、母が作った『もの』かもしれないが、母の大切な友人で、ルイフォンのことを生まれたときから見守ってくれている。 「それから、ごめんな」 〔え?〕 「お前は、ずっと自分を責めていただろ? 母さんが自分勝手しただけなのに、お前は母さんの死に責任を感じていた。だから、俺に会うのも怖かった――だろ?」 〈ケル〉が一番初めに言った『ごめんなさい』には、そんな思いも込められていたに違いない。 「お前に会えてよかった。……母さんのせいで辛い思いをさせて、すまなかった」   ルイフォンは彼の特徴ともいえる猫背を伸ばし、それからきっちり腰を直角に折った。 〔ルイフォン……?〕 〈ケル〉は驚いたように呟き、それから一段低い声になる。 〔……私は、あなたに謝罪されるような者ではありません〕 「そんなことないさ」  ルイフォンは顔を上げ、かたくなな〈ケル〉に苦笑する。けれど〈ケル〉は陰りのある声を返してきた。 〔私はあの日、幾つもの罪を犯しました〕 「罪? 何が罪だというんだよ?」 〔キリファの死が変わらないのであれば、私はあなたを起こすべきではありませんでした〕  ルイフォンの強い口調を、脈打つ光が静かに跳ねのける。繰り返される明暗の中には、〈ケル〉の後悔が見え隠れしていた。 〔私が何もしなければ、あなたはキリファの最期を目にすることもなく、記憶の改竄もありませんでした。私がしたことは、あなたを苦しめただけです〕 「そんなこと……」 〔いいえ!〕  ルイフォンの言葉を遮り、〈ケル〉は鋭く畳み掛ける。 〔それどころか、私はエルファンに――!〕 「エルファン?」  いきなり出てきた異母兄の名前に、ルイフォンを瞳を瞬かせ……そして思い出す。あの日、彼が気を失ったあと、この家に駆けつけたのはエルファンだった。 〔ええ……。私は彼にとって一番、むごい仕打ちをしました……〕 「むごい仕打ち……?」 〔私の罪の告白を、聞いてくれますか? ――エルファンの代わりに……〕  それは問いかけの形をとっていたが、断れるはずもない願いだった。  ルイフォンは「ああ」と頷き、ちらりとメイシアを見やる。彼女もまた同じように頷いていたのを知ると、少しだけ心が軽くなった。 〔ありがとう〕  さらさらと、微笑むように光が流れた。  それから、溜め息のような波紋が広がると、〈ケル〉の声が厳かに響き始めた。



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