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4.猫の足跡を追って-3

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 窓硝子の向こうで、風が流れた。  白く幽玄な花びらが、夜闇に浮かび上がる。ちらり、ちらり、あでやかに踊る。  桜の木が根を下ろしているのは、広い庭の向こう側であり、枝はここまで届きはしない。  それでも、この庭で花びらが舞っているのは、いたずらな春風がさらってきたからである。  そして、窓硝子のこちらでも――。  舞い込んできた小鳥が一羽、自分の置かれた状況を理解できず、小首をかしげていた。 「お前は、誰のシナリオで踊っているんだ?」  しなやかで鋭い、獲物を狙う猫のような瞳で、ルイフォンは尋ねた。 「え……?」 「『花嫁』のお前が凶賊ダリジィンの毒牙にかかろうとしているんだぜ? おかしいだろ?」 「あっ……」  メイシアは小さく叫び、口元を抑えた。  まさに、ルイフォンの指摘通りだった。  厳月家がメイシアを花嫁として迎えたいのなら、彼女が凶賊ダリジィンの屋敷に行くなんて、言語道断だ。 「事態は厳月家のシナリオ通りに進んでいない、ってのが、分かるよな?」 「はい」 「じゃあ、どこから変更されたのか?」  ルイフォンは両肘をテーブルに付き、組んだ両手の上に顎を載せた。端正なはずの顔は、獲物を追い込んでいく獣の顔になっている。メイシアは無意識に身を引きながら推測を口にした。 「私が、この屋敷に来たところから――、……いいえ、違う」 「ああ、違うな」  言いかけた意見を取り消したメイシアに、ルイフォンが同意する。 「父が斑目一族のところへ行ったところから、ですね」 「おそらく」  そう、鋭い声がメイシアに応じた。 「厳月家は、お前の父親から『お前を嫁に出す』という約束を取り付けたかったはずだ。もしくは、衣装担当家の辞退。どちらにせよ、お前の父親が家から出るなんてことは望んでいなかった」  ルイフォンは、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。 「メイシア、そろそろ、お前の知っていることを話してくれないか? 〈フェレース〉は議事録や通信記録を荒らすのは得意だが、現場のことは何ひとつ見ていないんだぜ?」 「え? 私の知っていること?」  メイシアは目をぱちくりとさせた。  知っていることなどなにもない、と言いたげな彼女に、ルイフォンは噛み砕くように言う。 「まず教えてくれ。お前の父はどうして斑目の屋敷に行くことになったんだ?」 「すみません。私も詳しい経緯は知らないのです。ただ、父が単身、斑目一族の屋敷に行って囚えられてしまった、とだけ、継母から……」 「ふむ」  顎を触りながら、ルイフォンは思案する仕草を見せた。  メイシアもまた思考を巡らせ、継母から伝えられたときのことを思い出す。 「――父がひとりで行動することはありません。警護の者がつくはずです。継母も行き先を知っていたことから考えると……斑目一族に、ひとりで来るように指示された……?」 「その可能性が高いな。ということは、今のシナリオは斑目のものだ」  そう、ルイフォンが断定した。  大きく遠回りをして、また振り出しに戻ったようである。結局のところ、メイシアの敵対する相手は斑目一族ということらしい。 「斑目が厳月家を裏切ったな」  ルイフォンが吐き出すような溜め息をついた。  彼は、くしゃくしゃと前髪を掻き上げたかと思ったら、その手で額を抑えた。そのまま音を立ててテーブルに肘をつき、頭を抱える。そんな彼の行動は、メイシアの目には奇妙に映った。  いったいどうしたのだろう、と不審に思う彼女の顔を、彼がちらりと伺う。彼女を見る目は、どこか申し訳なさそうで、わずかに憐れみも混じっていた。 「もう一度、訊く。どうして、お前は鷹刀に来たんだ?」  ルイフォンは体を起こし、問い質すように尋ねた。  メイシアは、はっと顔色を変えた。あの女の出現が偶然などではない可能性に気づき……次の瞬間に可能性は確信に変わった。 「……人に、聞いたのです。『凶賊ダリジィンに対抗するなら、凶賊ダリジィンを頼るしかない』と」  メイシアの声は震えていた。  ルイフォンの目がすっと細まる。 「『誰に』、聞いたんだ?」 「継母のところに出入りをしている仕立て屋です。『裕福な凶賊ダリジィンの屋敷にも出入りしているから、彼らの性質はよく知っている』と言っていました」 「その仕立て屋の名は? お前のよく知っている奴なのか?」 「ホンシュアという名で、私は初めて会いました」  仕立て屋らしく、体にぴったり合った上等なスーツを着こなしていた。隙のない立ち姿に、ねっとりと絡みつく蛇ような目線。綺麗に引かれた真っ赤な口紅は血の色を思わせた。  継母の採寸に来たのだが、来客中だったため庭で時間を潰しているところだと、彼女は言っていた。 「『斑目一族に対してなら、敵対している鷹刀一族に力を借りればいい』と彼女は言いました。『凶賊ダリジィンは互いに潰し合いたがっているから、きっと喜んで手を貸してくれる』と」  そこでメイシアは言葉を切った。ルイフォンが気を悪くするかと思ったのだ。  案の定、彼は眉を寄せていた。けれど、続きを促すように目が指図する。 「『私には財産を動かす権利はない。だから雇うことはできない』と言ったら、『女なら、できるでしょう? 男たちには使えない方法が、ね? 特に鷹刀一族なら、そっちのほうが喜ばれるわ』そう教えられたのです」 「…………」  ルイフォンは再び頭を抱えていた。 「ルイフォン……?」 「……ああ、いや……。親父の奴、嵌められたな。と、なると、エルファンとリュイセンが出掛けている隙だってのも、計算のうち……」  ぶつぶつ言いながら、ルイフォンは頭を掻きむしっていた。 「あの……。ホンシュアは斑目一族の手先だった、ということでしょうか?」  緊張の面持ちでメイシアは尋ねる。  彼女とて、ホンシュアが善意で物を言っているとは思っていなかった。だが単に、対岸の火事を楽しんでいるだけの輩に見えたのである。 「確証はないが――十中八九、間違いない。お前は斑目によって、意図的に鷹刀に送り込まれたんだ」  ルイフォンが盛大な溜め息と共に、結論を吐き出した。彼は隣りに座るメイシアに、なんとも言えない顔を見せる。 「ひょっとしたら、藤咲家は、鷹刀と斑目の抗争に巻き込まれただけかもしれない。……すまない」 「いいえ。この状況に陥ったのは藤咲家の落ち度です」  頭を下げるルイフォンに、彼女は首を横に振った。彼女の白磁の肌は透き通るようで、黒絹の髪は濡れたようにつややか。まだ少女の面影を残しつつも、花開く直前の危うい美しさを秘めた彼女は、とても生身の人間には思えなかった。  彼女は、穢れのない綺麗な――『人形』だった。  ルイフォンは、ふと窓の外に目をやった。  外灯が青白く照らす庭の中で、桜の花びらが、ひらひらと舞っている。今日は風が強いらしい。花の盛りも、あと数日といったところだろう。  「――だが、どうして斑目は、厳月家を裏切ってまでメイシアを送り込んできたんだ……?」  そう呟くルイフォンに、メイシアは答える言葉を持たなかった。  ふたりが黙ってしまったところで、香ばしい肉の香りが漂ってきた。話の区切りがつくのを待っていたのであろう。料理長自らが湯気の立つ皿を持って現れた。給仕はもう部屋に下がっているらしい。 「おお、美味そうだな」  揚げ焼きにした豚肉の塊に、同じく軽く揚げてある色鮮やかな野菜が添えられ、全体に甘酢あんが絡めてある。料理長はその皿をテーブルに載せると、続けてご飯とグラスを置いた。  色の濃い、長期間熟成させた酒と思しき瓶を料理長が取り出す。それをグラスに注ごうとするのをルイフォンが遮った。彼が料理長に耳打ちすると、料理長は軽く会釈をして厨房に戻っていった。  メイシアが疑問に思っていると料理長が再び現れた。今度は綺麗な色の瓶とワイングラスをふたつ持っている。 「酒のほうが、料理には合うんですけどね」  そう言いながら、料理長はふたつのグラスにワインを注ぐ。 「すまないな」 「仕方ないですね」  申し訳なさそうなルイフォンに、料理長は笑いながら応じた。 「当たり年のワインです。口当たりがいいですから、そちらのお嬢さんも、きっとお気に召しますよ」  料理長は「ごゆっくり」と頭を下げると、腹を揺らしながら彼の持ち場へと帰っていった。  メイシアは自分の前に置かれたグラスとルイフォンを交互に見た。 「まぁ、飲め」  初めに料理長が持ってきた酒は相当きついものに見えた。察するにルイフォンはかなりの酒豪なのであろう。 「……ルイフォン、未成年ですよね?」 「お前、俺の酒が飲めないのか?」  ルイフォンの目が、すっと細まる。メイシアは慌てて首を振った。 「いえ、食前酒くらいならいただきます」  彼女は、そっとグラスを手に取った。硝子の繊細な感触が指を伝わってくる。  ルイフォンの視線を気にしつつ、メイシアは恐る恐る口をつけた。唇に柔らかな液体を感じ、思い切ってそれを含む。癖のない、まろやかな甘さが舌を転がった。 「え? 美味しい」  メイシアは素直にそう思った。一気に飲み干してしまう。 「だろ?」  自分も飲みながら、ルイフォンが得意げに笑う。「では、もう一杯」と彼が手ずから、ふたつのグラスに注いだ。  ルイフォンが食事をしている横でメイシアは二杯目を口に含む。彼が上機嫌なのは料理が美味しいからだけではなさそうだった。  ふと、ルイフォンが尋ねた。 「お前、どうして、そこまで必死になれるんだ?」 「え? 何がですか?」 「異母弟のことだよ。母親が平民バイスアなんだろ? 貴族シャトーアなら毛嫌いしていたとしても不思議じゃない」 「私は、おかしいですか?」  メイシアはワイングラスに映った自分の顔を見る。半分しか血の繋がらない異母弟とは、ちっとも似ていなかった。 「私の母は政略結婚で、父とは上手くいかず、私が小さい頃に実家に戻りました。私には両親と一緒の思い出はひとつもありません」  ルイフォンは皿に箸を運びながら、黙って頷いた。 「傷ついた私と父を支えてくれたのが継母です。私を実の娘のように可愛がってくれて、父と三人の幸せな家族でした。そこに、ハオリュウが増えたんです。小さくて可愛くて――私が守ってあげなくちゃいけないと思いました」  生まれたばかりの異母弟を見たときの感動を、メイシアは今も鮮明に覚えている。この小さな命には寂しい思いをさせたくないと思ったのだ。 「でも、私とハオリュウの関係は、必ずしも優しいものではなかったんです」 「……そうだな」  貴族シャトーアの跡継ぎは男子であるのが原則だが、平民バイスア出身の継母の子であるハオリュウより、身分の高い貴族シャトーアの母の子であるメイシアに然るべき婿を迎えて跡継ぎとすべきだ、と親族が声を上げている。それは〈フェレース〉として調査したルイフォンも知っていた。 「私の存在がハオリュウをおびやかすなんて……」  メイシアはこみ上げてくるものをぐっと抑えた。誤魔化すように、グラスに残っていたワインをあおる。 「……家族の中で、異質なのは私じゃないですか。ハオリュウは、ちゃんと血の繋がった父と継母の子で――。私はこの家族に加えてもらった『異邦人』なんです」 「おい……? メイシア?」  空のグラスに新たなワインを注いでいるメイシアに、ルイフォンが不審の声を上げる。嫌な予感がした彼は、空になっている自分のグラスとメイシアのグラスをすり替えた。 「私が鷹刀一族のところに行けば解決すると聞いて、嬉しかったんですよ。ふたりが助かる上に、私はハオリュウをおびやかす存在でなくなるんだ、って……」  メイシアの黒曜石の瞳に、淡い電灯の光が揺らめく。  ああ、そうか――と、彼女は思った。  彼女はずっと、家族の役に立ちたかったのだ。家族のために働けるなら、家族の一員として胸を張ってよいのだから、と――。  メイシアはワイングラスの脚に細い指を絡め、ふちに唇を寄せた。それは運命の神への感謝の口づけのようであった。 「お前、顔が真っ赤だぞ!」  とろりした恍惚の微笑みを浮かべるメイシアに、ルイフォンが血相を変える。 「ルイフォン、ありがとうございます」  極上の笑みを浮かべて彼女は、ふっと力を失った。  彼は、とっさに空のグラスを取り上げ、彼女の上半身を抱きかかえた。 「おい……嘘だろ?」  ルイフォンは呆然とする。  そのとき、彼は食堂の入り口に人の気配を感じた。ぎくりとして、首を回すとそこにいたのは想像通りの人物だった。  罵声を浴びるルイフォンの腕の中で、メイシアは久し振りに――本当に久し振りに、心地のよい眠りの世界に落ちていった。 ~ 第一章 了 ~



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 窓硝子の向こうで、風が流れた。  白く幽玄な花びらが、夜闇に浮かび上がる。ちらり、ちらり、あでやかに踊る。  桜の木が根を下ろしているのは、広い庭の向こう側であり、枝はここまで届きはしない。  それでも、この庭で花びらが舞っているのは、いたずらな春風がさらってきたからである。  そして、窓硝子のこちらでも――。  舞い込んできた小鳥が一羽、自分の置かれた状況を理解できず、小首をかしげていた。 「お前は、誰のシナリオで踊っているんだ?」  しなやかで鋭い、獲物を狙う猫のような瞳で、ルイフォンは尋ねた。 「え……?」 「『花嫁』のお前が凶賊ダリジィンの毒牙にかかろうとしているんだぜ? おかしいだろ?」 「あっ……」  メイシアは小さく叫び、口元を抑えた。  まさに、ルイフォンの指摘通りだった。  厳月家がメイシアを花嫁として迎えたいのなら、彼女が凶賊ダリジィンの屋敷に行くなんて、言語道断だ。 「事態は厳月家のシナリオ通りに進んでいない、ってのが、分かるよな?」 「はい」 「じゃあ、どこから変更されたのか?」  ルイフォンは両肘をテーブルに付き、組んだ両手の上に顎を載せた。端正なはずの顔は、獲物を追い込んでいく獣の顔になっている。メイシアは無意識に身を引きながら推測を口にした。 「私が、この屋敷に来たところから――、……いいえ、違う」 「ああ、違うな」  言いかけた意見を取り消したメイシアに、ルイフォンが同意する。 「父が斑目一族のところへ行ったところから、ですね」 「おそらく」  そう、鋭い声がメイシアに応じた。 「厳月家は、お前の父親から『お前を嫁に出す』という約束を取り付けたかったはずだ。もしくは、衣装担当家の辞退。どちらにせよ、お前の父親が家から出るなんてことは望んでいなかった」  ルイフォンは、癖のある前髪をくしゃりと掻き上げた。 「メイシア、そろそろ、お前の知っていることを話してくれないか? 〈フェレース〉は議事録や通信記録を荒らすのは得意だが、現場のことは何ひとつ見ていないんだぜ?」 「え? 私の知っていること?」  メイシアは目をぱちくりとさせた。  知っていることなどなにもない、と言いたげな彼女に、ルイフォンは噛み砕くように言う。 「まず教えてくれ。お前の父はどうして斑目の屋敷に行くことになったんだ?」 「すみません。私も詳しい経緯は知らないのです。ただ、父が単身、斑目一族の屋敷に行って囚えられてしまった、とだけ、継母から……」 「ふむ」  顎を触りながら、ルイフォンは思案する仕草を見せた。  メイシアもまた思考を巡らせ、継母から伝えられたときのことを思い出す。 「――父がひとりで行動することはありません。警護の者がつくはずです。継母も行き先を知っていたことから考えると……斑目一族に、ひとりで来るように指示された……?」 「その可能性が高いな。ということは、今のシナリオは斑目のものだ」  そう、ルイフォンが断定した。  大きく遠回りをして、また振り出しに戻ったようである。結局のところ、メイシアの敵対する相手は斑目一族ということらしい。 「斑目が厳月家を裏切ったな」  ルイフォンが吐き出すような溜め息をついた。  彼は、くしゃくしゃと前髪を掻き上げたかと思ったら、その手で額を抑えた。そのまま音を立ててテーブルに肘をつき、頭を抱える。そんな彼の行動は、メイシアの目には奇妙に映った。  いったいどうしたのだろう、と不審に思う彼女の顔を、彼がちらりと伺う。彼女を見る目は、どこか申し訳なさそうで、わずかに憐れみも混じっていた。 「もう一度、訊く。どうして、お前は鷹刀に来たんだ?」  ルイフォンは体を起こし、問い質すように尋ねた。  メイシアは、はっと顔色を変えた。あの女の出現が偶然などではない可能性に気づき……次の瞬間に可能性は確信に変わった。 「……人に、聞いたのです。『凶賊ダリジィンに対抗するなら、凶賊ダリジィンを頼るしかない』と」  メイシアの声は震えていた。  ルイフォンの目がすっと細まる。 「『誰に』、聞いたんだ?」 「継母のところに出入りをしている仕立て屋です。『裕福な凶賊ダリジィンの屋敷にも出入りしているから、彼らの性質はよく知っている』と言っていました」 「その仕立て屋の名は? お前のよく知っている奴なのか?」 「ホンシュアという名で、私は初めて会いました」  仕立て屋らしく、体にぴったり合った上等なスーツを着こなしていた。隙のない立ち姿に、ねっとりと絡みつく蛇ような目線。綺麗に引かれた真っ赤な口紅は血の色を思わせた。  継母の採寸に来たのだが、来客中だったため庭で時間を潰しているところだと、彼女は言っていた。 「『斑目一族に対してなら、敵対している鷹刀一族に力を借りればいい』と彼女は言いました。『凶賊ダリジィンは互いに潰し合いたがっているから、きっと喜んで手を貸してくれる』と」  そこでメイシアは言葉を切った。ルイフォンが気を悪くするかと思ったのだ。  案の定、彼は眉を寄せていた。けれど、続きを促すように目が指図する。 「『私には財産を動かす権利はない。だから雇うことはできない』と言ったら、『女なら、できるでしょう? 男たちには使えない方法が、ね? 特に鷹刀一族なら、そっちのほうが喜ばれるわ』そう教えられたのです」 「…………」  ルイフォンは再び頭を抱えていた。 「ルイフォン……?」 「……ああ、いや……。親父の奴、嵌められたな。と、なると、エルファンとリュイセンが出掛けている隙だってのも、計算のうち……」  ぶつぶつ言いながら、ルイフォンは頭を掻きむしっていた。 「あの……。ホンシュアは斑目一族の手先だった、ということでしょうか?」  緊張の面持ちでメイシアは尋ねる。  彼女とて、ホンシュアが善意で物を言っているとは思っていなかった。だが単に、対岸の火事を楽しんでいるだけの輩に見えたのである。 「確証はないが――十中八九、間違いない。お前は斑目によって、意図的に鷹刀に送り込まれたんだ」  ルイフォンが盛大な溜め息と共に、結論を吐き出した。彼は隣りに座るメイシアに、なんとも言えない顔を見せる。 「ひょっとしたら、藤咲家は、鷹刀と斑目の抗争に巻き込まれただけかもしれない。……すまない」 「いいえ。この状況に陥ったのは藤咲家の落ち度です」  頭を下げるルイフォンに、彼女は首を横に振った。彼女の白磁の肌は透き通るようで、黒絹の髪は濡れたようにつややか。まだ少女の面影を残しつつも、花開く直前の危うい美しさを秘めた彼女は、とても生身の人間には思えなかった。  彼女は、穢れのない綺麗な――『人形』だった。  ルイフォンは、ふと窓の外に目をやった。  外灯が青白く照らす庭の中で、桜の花びらが、ひらひらと舞っている。今日は風が強いらしい。花の盛りも、あと数日といったところだろう。  「――だが、どうして斑目は、厳月家を裏切ってまでメイシアを送り込んできたんだ……?」  そう呟くルイフォンに、メイシアは答える言葉を持たなかった。  ふたりが黙ってしまったところで、香ばしい肉の香りが漂ってきた。話の区切りがつくのを待っていたのであろう。料理長自らが湯気の立つ皿を持って現れた。給仕はもう部屋に下がっているらしい。 「おお、美味そうだな」  揚げ焼きにした豚肉の塊に、同じく軽く揚げてある色鮮やかな野菜が添えられ、全体に甘酢あんが絡めてある。料理長はその皿をテーブルに載せると、続けてご飯とグラスを置いた。  色の濃い、長期間熟成させた酒と思しき瓶を料理長が取り出す。それをグラスに注ごうとするのをルイフォンが遮った。彼が料理長に耳打ちすると、料理長は軽く会釈をして厨房に戻っていった。  メイシアが疑問に思っていると料理長が再び現れた。今度は綺麗な色の瓶とワイングラスをふたつ持っている。 「酒のほうが、料理には合うんですけどね」  そう言いながら、料理長はふたつのグラスにワインを注ぐ。 「すまないな」 「仕方ないですね」  申し訳なさそうなルイフォンに、料理長は笑いながら応じた。 「当たり年のワインです。口当たりがいいですから、そちらのお嬢さんも、きっとお気に召しますよ」  料理長は「ごゆっくり」と頭を下げると、腹を揺らしながら彼の持ち場へと帰っていった。  メイシアは自分の前に置かれたグラスとルイフォンを交互に見た。 「まぁ、飲め」  初めに料理長が持ってきた酒は相当きついものに見えた。察するにルイフォンはかなりの酒豪なのであろう。 「……ルイフォン、未成年ですよね?」 「お前、俺の酒が飲めないのか?」  ルイフォンの目が、すっと細まる。メイシアは慌てて首を振った。 「いえ、食前酒くらいならいただきます」  彼女は、そっとグラスを手に取った。硝子の繊細な感触が指を伝わってくる。  ルイフォンの視線を気にしつつ、メイシアは恐る恐る口をつけた。唇に柔らかな液体を感じ、思い切ってそれを含む。癖のない、まろやかな甘さが舌を転がった。 「え? 美味しい」  メイシアは素直にそう思った。一気に飲み干してしまう。 「だろ?」  自分も飲みながら、ルイフォンが得意げに笑う。「では、もう一杯」と彼が手ずから、ふたつのグラスに注いだ。  ルイフォンが食事をしている横でメイシアは二杯目を口に含む。彼が上機嫌なのは料理が美味しいからだけではなさそうだった。  ふと、ルイフォンが尋ねた。 「お前、どうして、そこまで必死になれるんだ?」 「え? 何がですか?」 「異母弟のことだよ。母親が平民バイスアなんだろ? 貴族シャトーアなら毛嫌いしていたとしても不思議じゃない」 「私は、おかしいですか?」  メイシアはワイングラスに映った自分の顔を見る。半分しか血の繋がらない異母弟とは、ちっとも似ていなかった。 「私の母は政略結婚で、父とは上手くいかず、私が小さい頃に実家に戻りました。私には両親と一緒の思い出はひとつもありません」  ルイフォンは皿に箸を運びながら、黙って頷いた。 「傷ついた私と父を支えてくれたのが継母です。私を実の娘のように可愛がってくれて、父と三人の幸せな家族でした。そこに、ハオリュウが増えたんです。小さくて可愛くて――私が守ってあげなくちゃいけないと思いました」  生まれたばかりの異母弟を見たときの感動を、メイシアは今も鮮明に覚えている。この小さな命には寂しい思いをさせたくないと思ったのだ。 「でも、私とハオリュウの関係は、必ずしも優しいものではなかったんです」 「……そうだな」  貴族シャトーアの跡継ぎは男子であるのが原則だが、平民バイスア出身の継母の子であるハオリュウより、身分の高い貴族シャトーアの母の子であるメイシアに然るべき婿を迎えて跡継ぎとすべきだ、と親族が声を上げている。それは〈フェレース〉として調査したルイフォンも知っていた。 「私の存在がハオリュウをおびやかすなんて……」  メイシアはこみ上げてくるものをぐっと抑えた。誤魔化すように、グラスに残っていたワインをあおる。 「……家族の中で、異質なのは私じゃないですか。ハオリュウは、ちゃんと血の繋がった父と継母の子で――。私はこの家族に加えてもらった『異邦人』なんです」 「おい……? メイシア?」  空のグラスに新たなワインを注いでいるメイシアに、ルイフォンが不審の声を上げる。嫌な予感がした彼は、空になっている自分のグラスとメイシアのグラスをすり替えた。 「私が鷹刀一族のところに行けば解決すると聞いて、嬉しかったんですよ。ふたりが助かる上に、私はハオリュウをおびやかす存在でなくなるんだ、って……」  メイシアの黒曜石の瞳に、淡い電灯の光が揺らめく。  ああ、そうか――と、彼女は思った。  彼女はずっと、家族の役に立ちたかったのだ。家族のために働けるなら、家族の一員として胸を張ってよいのだから、と――。  メイシアはワイングラスの脚に細い指を絡め、ふちに唇を寄せた。それは運命の神への感謝の口づけのようであった。 「お前、顔が真っ赤だぞ!」  とろりした恍惚の微笑みを浮かべるメイシアに、ルイフォンが血相を変える。 「ルイフォン、ありがとうございます」  極上の笑みを浮かべて彼女は、ふっと力を失った。  彼は、とっさに空のグラスを取り上げ、彼女の上半身を抱きかかえた。 「おい……嘘だろ?」  ルイフォンは呆然とする。  そのとき、彼は食堂の入り口に人の気配を感じた。ぎくりとして、首を回すとそこにいたのは想像通りの人物だった。  罵声を浴びるルイフォンの腕の中で、メイシアは久し振りに――本当に久し振りに、心地のよい眠りの世界に落ちていった。 ~ 第一章 了 ~



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