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095 喪失

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「レアフィールもニアタも正しすぎるんじゃよ。少しは不真面目にしたほうが楽に生きれるんじゃがの。儂のようにな」  ビスタークはソレムに二人のことを相談したこともあったのだが、半ば諦めたような言い方をされた。相談してもレアフィールが残ってくれるわけでもないしニアタの悲しみがなくなるわけでもないが、誰かに言いたかった。  確かにソレムは仕事をてきぱきとこなしているが割と適当なところがある。しっかり力を入れるところと抜くところを使い分けている。  対してレアフィールとニアタはいつも平均点以上を続けている。レアフィールは神の子なのでそれで平気なのかもしれないが、レアフィールを手本にしているニアタは常に気を張り詰めているようだった。心から休める日があれば良かったのだが、本人が休もうとしなかったのだ。自分で自分を追い詰めているようで見ていて苦しかった。忙しくすることで考える暇を作りたくなかったのかもしれない。    ついにレアフィールの誕生日が来た。予定通りこの日が最後となる。神殿最奥の世界の果ての崖を掘った洞窟の中にある、飛翔神の紋章が刻まれた大きな反力石リーペイトのある聖堂でビスタークはまだ行かないでくれとごねていた。   「……誰のせいだと思ってるんだよ」 「え?」  レアフィールは小声で呟いたのでビスタークは聞き取れなかったようだったが、記憶を見ているフォスターには聞こえた。どういう意味だろうか。幼いときの事件が問題だったのだろうか。   「こういう事になった原因の神話の神様に文句言ってよ。その前までは神も人間も一緒に暮らしたりしてたんだからさ」 「そうする」  憮然とした表情でそう言ったビスタークを見てレアフィールはふっと笑った。 「ビスターク、自分の中の暗い感情に負けるなよ。あと、俺がいなくなっても訓練も勉強もさぼるなよ? あっちから全部見てるからな」  そう言ってビスタークの頭をガシガシと少しだけ乱暴になでた。そして真っ直ぐに目を合わせてこう言った。 「自分の幸せを諦めるなよ。手を伸ばしてくれる人がいたら、その手をしっかり掴め。そして離すな。お前は幸せになっていいんだからな」  最近は神殿の家族に囲まれあの記憶は心の奥底へと封印している状態だったが、レアフィールにはまだ全て吹っ切れたわけではないことを見抜かれていた。 「供物もよろしくね、ニアタ。食べなくても死なないから週に一回くらいでいいけど、酒だけじゃなくてたまには手料理も食べたいな。俺にとってのお袋の味はニアタの料理だから」  ニアタの頭に優しく触れるように撫でながら今後の要望を口にした。 「うん。わかってる」  泣きたいのを堪えながらニアタは精一杯の笑顔を見せた。 「ニアタも、幸せになるんだよ。俺のことは忘れていいんだからね」 「なっ、何言うの! やだよ、忘れたくないよ!」  記憶を消されるかもしれないと思ったのか焦ってニアタは叫ぶように訴えた。 「……でもね、それが原因で幸せを逃すかもしれない。俺はニアタにそうなってほしくないんだ。だから、俺のことは気にしないで幸せになるんだよ」 「私の大事な記憶、消さないでね」 「うん。それはしない。だから、ちゃんと幸せになって」 「……わかった」 「約束だよ」 「……うん」  ニアタが落ち着いたのでレアフィールは次にソレムへと向き直した。そして頭を下げてから目を見て礼の言葉を口にした。 「父さん、育ててくれてありがとう。長生きしてね」  ソレムは感慨深いような寂しいような目をしてレアフィールにこう言った。 「これからは神様としてお仕えいたします」  祈るように前で手を組んだ後、頭を下げた。それを見てレアフィールの表情が歪んだ。 「やめてよ、そういうの……みんな泣くの堪えてるのに、俺のほうが泣いちゃうよ……向こう行ったら早速お説教くらうのやだよ」  いつも感情をあまり出さないようにしているレアフィールもちゃんと悲しく思っていたのだとわかり、ビスタークは少しだけ嬉しくなった。  神様というのは感情的になってはいけないらしい。何かにつけ怒られるとか叱られるとかレアフィールは言っていた。おそらく先代の神様か大神あたりに怒られたりするのだろう。リューナには無理だな、とフォスターは思う。 「町中の人が集まる祈祷集会はともかく、神官だけの祈りの時はそういうのやめてよね。いつも通りでいいから」  レアフィールは神殿の家族達には神様として扱ってほしくないようだった。 「じゃあみんな、元気で。もうそっちからは見えなくなるけど俺はみんなのことずっと見守ってるからね。幸せにね」  そう言って寂しそうに笑いながらだんだん空間と同化するように消えていった。皆、泣くのを堪えていた。  その後は皆言葉少なくいつも通りの生活を送った。ぽっかりと穴が空いたような気分だった。両親を失ったときとはまた違う喪失感だった。聞き役にまわることの多かったレアフィールがいないだけでこんなに静かになるのかと思った。  町の人々はレアフィールのことを誰も覚えていなかった。ビスタークが引き取られた時に会話をしていたジーニェルも、彼に勉強を見てもらっていた子ども達も、好きだと言っていた女の子達も、一緒に仕事をしていたはずの町長も、神殿の三人以外全員誰もがレアフィールのことを忘れてしまっていた。    ビスタークの場合は食事を用意するのについ四人分の食器を用意してしまったり、後ろで見守っているような気がして話しかけようとつい振り向いたりしてしまう。もしかしたらこちらがわからないだけで近くにいるのかもしれないとも思う。でもこちらからはわからないのは不公平だとも思う。  一人で行う訓練はとても味気なかった。対人訓練が出来ないこともそうだが、レアフィールは鍛えている間にも何かしらの蘊蓄や雑学などを聞かせてくれていたのだ。それが無くなって、とても寂しかった。  レアフィールがいたときは笑顔になることが増えてきていたのにまた笑わなくなっていた。大事な支えが一つ失われてしまったのだ。途中から家族になった自分でさえこうなのだから、生まれた時から一緒にいて、恋愛感情を抱いていたニアタはもっとつらいに違いないとビスタークは思った。  ニアタは気丈に日々の業務や勉強をこなしていた。特に決まりがあるわけではないが、年齢的にそろそろ都へ巡礼――ここでの巡礼の意味は都で神官の試験を受けたり神衛兵かのえへいの訓練を受けたりすること――してもいい頃だ。人が減ったことでソレムの負担が増えることに配慮しているのだろう。なかなか旅立とうとしなかった。  ある日、パン屋の女性が焼き立てのパンを差し入れとして持ってきてくれた。ニアタがお礼を言いながら受け取り包みの中を確認したところ、パンは四つ入っていた。 「あれ? 私、間違えて四つ入れてた? 大神官と貴女とビスタークの三人のはずなのに、なんかもう一人いたような気がして。変ねえ」  それを聞いたとたん、ニアタの涙腺が決壊した。この女性は以前レアフィールにフルネームを書いた紙を渡した女の子だったのだ。ついに張り詰めていた糸が切れてしまった。  近くにいたビスタークはニアタが何故泣いているのかわからずオロオロして聞こうとしているパン屋をなんとか誤魔化し帰ってもらった。ニアタには自室に戻ってもらい、ソレムのところへ相談しに行った。  ニアタとソレムはビスタークも交えて三人で話し合った。  神殿の人手不足のことや供物に手料理を作らなきゃとニアタは言っていたが、仕事はなんとかなる、レアフィールはつらい思いをさせてまで作ってもらいたくないはずだ、と言いくるめた。 「ビスターク、ごめんね」 「いいよ。ニア姉は無理しすぎだ。別の場所で気分変えてこいよ」    環境を変えれば気分転換できるかもしれない、とニアタは水の都シーウァテレスへ巡礼に行くことが決定した。



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「レアフィールもニアタも正しすぎるんじゃよ。少しは不真面目にしたほうが楽に生きれるんじゃがの。儂のようにな」  ビスタークはソレムに二人のことを相談したこともあったのだが、半ば諦めたような言い方をされた。相談してもレアフィールが残ってくれるわけでもないしニアタの悲しみがなくなるわけでもないが、誰かに言いたかった。  確かにソレムは仕事をてきぱきとこなしているが割と適当なところがある。しっかり力を入れるところと抜くところを使い分けている。  対してレアフィールとニアタはいつも平均点以上を続けている。レアフィールは神の子なのでそれで平気なのかもしれないが、レアフィールを手本にしているニアタは常に気を張り詰めているようだった。心から休める日があれば良かったのだが、本人が休もうとしなかったのだ。自分で自分を追い詰めているようで見ていて苦しかった。忙しくすることで考える暇を作りたくなかったのかもしれない。    ついにレアフィールの誕生日が来た。予定通りこの日が最後となる。神殿最奥の世界の果ての崖を掘った洞窟の中にある、飛翔神の紋章が刻まれた大きな反力石リーペイトのある聖堂でビスタークはまだ行かないでくれとごねていた。   「……誰のせいだと思ってるんだよ」 「え?」  レアフィールは小声で呟いたのでビスタークは聞き取れなかったようだったが、記憶を見ているフォスターには聞こえた。どういう意味だろうか。幼いときの事件が問題だったのだろうか。   「こういう事になった原因の神話の神様に文句言ってよ。その前までは神も人間も一緒に暮らしたりしてたんだからさ」 「そうする」  憮然とした表情でそう言ったビスタークを見てレアフィールはふっと笑った。 「ビスターク、自分の中の暗い感情に負けるなよ。あと、俺がいなくなっても訓練も勉強もさぼるなよ? あっちから全部見てるからな」  そう言ってビスタークの頭をガシガシと少しだけ乱暴になでた。そして真っ直ぐに目を合わせてこう言った。 「自分の幸せを諦めるなよ。手を伸ばしてくれる人がいたら、その手をしっかり掴め。そして離すな。お前は幸せになっていいんだからな」  最近は神殿の家族に囲まれあの記憶は心の奥底へと封印している状態だったが、レアフィールにはまだ全て吹っ切れたわけではないことを見抜かれていた。 「供物もよろしくね、ニアタ。食べなくても死なないから週に一回くらいでいいけど、酒だけじゃなくてたまには手料理も食べたいな。俺にとってのお袋の味はニアタの料理だから」  ニアタの頭に優しく触れるように撫でながら今後の要望を口にした。 「うん。わかってる」  泣きたいのを堪えながらニアタは精一杯の笑顔を見せた。 「ニアタも、幸せになるんだよ。俺のことは忘れていいんだからね」 「なっ、何言うの! やだよ、忘れたくないよ!」  記憶を消されるかもしれないと思ったのか焦ってニアタは叫ぶように訴えた。 「……でもね、それが原因で幸せを逃すかもしれない。俺はニアタにそうなってほしくないんだ。だから、俺のことは気にしないで幸せになるんだよ」 「私の大事な記憶、消さないでね」 「うん。それはしない。だから、ちゃんと幸せになって」 「……わかった」 「約束だよ」 「……うん」  ニアタが落ち着いたのでレアフィールは次にソレムへと向き直した。そして頭を下げてから目を見て礼の言葉を口にした。 「父さん、育ててくれてありがとう。長生きしてね」  ソレムは感慨深いような寂しいような目をしてレアフィールにこう言った。 「これからは神様としてお仕えいたします」  祈るように前で手を組んだ後、頭を下げた。それを見てレアフィールの表情が歪んだ。 「やめてよ、そういうの……みんな泣くの堪えてるのに、俺のほうが泣いちゃうよ……向こう行ったら早速お説教くらうのやだよ」  いつも感情をあまり出さないようにしているレアフィールもちゃんと悲しく思っていたのだとわかり、ビスタークは少しだけ嬉しくなった。  神様というのは感情的になってはいけないらしい。何かにつけ怒られるとか叱られるとかレアフィールは言っていた。おそらく先代の神様か大神あたりに怒られたりするのだろう。リューナには無理だな、とフォスターは思う。 「町中の人が集まる祈祷集会はともかく、神官だけの祈りの時はそういうのやめてよね。いつも通りでいいから」  レアフィールは神殿の家族達には神様として扱ってほしくないようだった。 「じゃあみんな、元気で。もうそっちからは見えなくなるけど俺はみんなのことずっと見守ってるからね。幸せにね」  そう言って寂しそうに笑いながらだんだん空間と同化するように消えていった。皆、泣くのを堪えていた。  その後は皆言葉少なくいつも通りの生活を送った。ぽっかりと穴が空いたような気分だった。両親を失ったときとはまた違う喪失感だった。聞き役にまわることの多かったレアフィールがいないだけでこんなに静かになるのかと思った。  町の人々はレアフィールのことを誰も覚えていなかった。ビスタークが引き取られた時に会話をしていたジーニェルも、彼に勉強を見てもらっていた子ども達も、好きだと言っていた女の子達も、一緒に仕事をしていたはずの町長も、神殿の三人以外全員誰もがレアフィールのことを忘れてしまっていた。    ビスタークの場合は食事を用意するのについ四人分の食器を用意してしまったり、後ろで見守っているような気がして話しかけようとつい振り向いたりしてしまう。もしかしたらこちらがわからないだけで近くにいるのかもしれないとも思う。でもこちらからはわからないのは不公平だとも思う。  一人で行う訓練はとても味気なかった。対人訓練が出来ないこともそうだが、レアフィールは鍛えている間にも何かしらの蘊蓄や雑学などを聞かせてくれていたのだ。それが無くなって、とても寂しかった。  レアフィールがいたときは笑顔になることが増えてきていたのにまた笑わなくなっていた。大事な支えが一つ失われてしまったのだ。途中から家族になった自分でさえこうなのだから、生まれた時から一緒にいて、恋愛感情を抱いていたニアタはもっとつらいに違いないとビスタークは思った。  ニアタは気丈に日々の業務や勉強をこなしていた。特に決まりがあるわけではないが、年齢的にそろそろ都へ巡礼――ここでの巡礼の意味は都で神官の試験を受けたり神衛兵かのえへいの訓練を受けたりすること――してもいい頃だ。人が減ったことでソレムの負担が増えることに配慮しているのだろう。なかなか旅立とうとしなかった。  ある日、パン屋の女性が焼き立てのパンを差し入れとして持ってきてくれた。ニアタがお礼を言いながら受け取り包みの中を確認したところ、パンは四つ入っていた。 「あれ? 私、間違えて四つ入れてた? 大神官と貴女とビスタークの三人のはずなのに、なんかもう一人いたような気がして。変ねえ」  それを聞いたとたん、ニアタの涙腺が決壊した。この女性は以前レアフィールにフルネームを書いた紙を渡した女の子だったのだ。ついに張り詰めていた糸が切れてしまった。  近くにいたビスタークはニアタが何故泣いているのかわからずオロオロして聞こうとしているパン屋をなんとか誤魔化し帰ってもらった。ニアタには自室に戻ってもらい、ソレムのところへ相談しに行った。  ニアタとソレムはビスタークも交えて三人で話し合った。  神殿の人手不足のことや供物に手料理を作らなきゃとニアタは言っていたが、仕事はなんとかなる、レアフィールはつらい思いをさせてまで作ってもらいたくないはずだ、と言いくるめた。 「ビスターク、ごめんね」 「いいよ。ニア姉は無理しすぎだ。別の場所で気分変えてこいよ」    環境を変えれば気分転換できるかもしれない、とニアタは水の都シーウァテレスへ巡礼に行くことが決定した。



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