003 声
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男は剣をジーニェルへ向けるのをやめ持ったままその右手で空色の細長い石を取り出した。そのとたん、フォスターの頭の中に神殿で聞いた声が響いた。 『まずい! 早くあの石を叩き落とせ!!』 「えっ!?」 フォスターは誰の声なのか振り返って確認しようとした。 『バカヤロウ!! あの石は転移石だ! 早くしないと二人ともここから消えるぞ!』 先ほどから理解が追い付かないことばかり続いているが、男がその転移石を額に当てて目を閉じた今が絶好の機会なのは間違いない。 フォスターは全速力で走った。男に体当たりし、右腕でリューナを確保しながら左手で転移石を叩き落とした。石はコロコロと養父母の方向へと転がっていく。 虚をつかれて体当たりされた男は地面に倒れ込んだ。フォスターはリューナに傷がつかないように抱えて受け身をとり、近くにいたカイルの母パージェにリューナを託す。パージェはリューナと共にすぐその場から距離をとった。 『よくやった』 また、あの声が聞こえた。 さっきから聞こえてくるこの声は誰なのか。低くて重い感じの男の声だ。どこから聞こえてくるのかもわからず、フォスターは周囲をうかがう。周りにそれらしい者はいない。 「誰だ? 一体誰なんだお前は?」 『そんなことどうでもいい。それより早く剣と盾を出せ』 声はフォスターの疑問には答えず、装備を出すよう促した。そういえば神殿で鎧は着させられたものの、神官達に剣や盾は渡されなかった。 「出せって言われても、もらってないぞ」 『お前、そんなことも知らないのか。手首の格納石に触れて剣と盾を思い浮かべろ』 声にあきれたように言われ両方の手首を見ると、赤い半球状の石が埋め込まれている。言われたように神殿で飾られている神話画に描かれた神衛兵が持つ剣と盾を思い浮かべて格納石に触れた。どこからともなく右の石からは剣が、左の石からは盾が現れた。剣の柄と盾の持ち手の裏側には手首と同じ半球状の赤い石が埋め込まれている。 その時には倒れていた男が立ち上がり、こちらへ走り出していた。剣を振り下ろされるところを出したばかりの盾で防ぐ。盾は楕円形で大きく、高さは地面から腰くらいまである。それなのに鎧と同じ金属だからか、大きな反力石が付いているからか、重さをあまり感じない。 『これで戦えるだろ』 謎の声にそう言われたが、フォスターは剣を扱ったことが無い。神衛兵なら訓練等もされるだろうが、もちろんそんな経験も無い。 男は続けて剣を振り回す。盾で防ぐだけで精一杯だ。防戦一方でいるとあの「声」が文句を言ってくる。 『防戦一方じゃねえか! 少しは手ぇ出せよ!』 「こっちは素手のケンカくらいしかしたこと無いんだよ! 無茶言うな!」 それに、もし剣を出して相手を殺してしまったら――家族を傷付けた相手といえど、フォスターにそんな覚悟は無かった。 あとひとつ、引っ掛かることもある。この男は何かおかしい。狂人と言ってしまえばそれまでだが、まるで怯えて手がつけられない動物のようだ。人間らしくない。何か事情があるのかもしれない。 『お前、相手を傷つけるのが怖いとか言うんじゃ無いだろうな?』 「!」 『ハァ……殺らなきゃ殺られちまうんだぞ。よくいるんだよな、そういう甘いヤツ』 「声」が見透かしたように言う。 その間にも男の攻撃はやまない。未だに傷ひとつ負っていないのが不思議なくらいだ。盾の面積が大きくて助かった。盾はとても軽いだけでなく何故か攻撃が当たった感触や反動もあまり感じない。 『この剣で人を殺すのはだいぶコツがいる。反力石の力を応用していて、勢いをつけるほど切れないようになってる。思い切って振ってみろ』 攻撃を受け続けている盾で力任せに相手の腕を押し返すと、男は一旦距離をとろうとした。その隙に相手へ向かって剣を振る。斬った感触は無いのに男が弾き飛ばされていった。 『殺したければ逆にゆっくりと剣を心臓や喉なんかに突き刺してやればいいんだ』 「やらねえよ!」 恐ろしいことを言う。確固たる殺意が無いと殺せないということだ。だが殺したくないフォスターにとっては都合が良かった。 「なんとなく、お前の声が誰なのか察しがついてきたよ。何か色々詳しいし、聞こえたタイミング的にどう考えても……」 『あ、俺の声、お前にしか聞こえないみたいだからちょっと周りを気にしたほうがいいと思うぜ』 「なっ……!?」 言われた時にはもう遅かった。既に周りに怪訝な顔をされている気がする。 「フォスターは誰と話してるの?」 「んー、頭打ったのかしらね……」 リューナとカイルの母親パージェの会話が聞こえてきてフォスターは頭を抱えたくなった。これでは一人で会話をする不審者ではないか。 羞恥心に身もだえている間に男は体勢を立て直し、またこちらへと向かってくる。 『距離を詰められたらお前じゃ勝てねえな。そうならないように剣圧で飛ばしとけ!』 「わかってるよ!」 フォスターは相手に向かって何度か剣を振った。しかし先程とは違い相手の虚をつけていないことに加え、男はとても身軽だった。飛ぶように避けながら向かってくるため弾き飛ばすには至らなかった。 盾で男の攻撃を受けながら相手に斬りつけるが宙を舞って避けられる。着地し即攻撃に移った男の剣に気を向けまた盾で防いだのだが、それは罠だった。死角から男の小型の盾がフォスターの頭を狙っていたのだ。 ゴッ。 鈍い音と共に側頭部を盾で殴られ、フォスターは気を失って地面へ倒れこんだ。うつ伏せになり、殴られたところから血が流れている。 リューナは青ざめた。男に盾で殴られ、兄フォスターが倒れたことを音と気配で理解したからだ。 「フォスター……」 名を呼んでみたが、動く気配が無い。気を失っているだけだがそんなことはわかるはずもない。もしも最悪のことになっていたら、と思うと気が気でない。 男はフォスターが動かなくなったのを一瞥して、リューナの方を向く。彼女がその気配を感じ怯えたのを見て、そばにいたカイルの母パージェがリューナを庇うように前に出た。 ゆっくりと一歩ずつ男はリューナのほうへと向かってくる。蛇に睨まれた蛙のようにリューナは恐怖で動けなくなってしまった。 「おい」 聞き覚えの無い声がフォスターの倒れている方向から聞こえた。倒れていたはずのフォスターが立ち上がっている。周りの人々は無事だったかと安堵したが、リューナは違和感しか感じなかった。 「今度は息子の代わりに俺が相手だ」 フォスターがそう言った。しかし、それは本人の声では無かった。一緒に神殿から走ってきたカイルもフォスターが立ち上がったことに安堵しながら違和感を感じていた。 「あいつ……今なんて言った?」 その疑問に答える者はいない。 二人の神衛兵は少し睨みあったかと思うとすぐに戦闘状態に入った。 リューナは二者の様子に耳をすませながらパージェに聞く。 「あの人は誰? 誰なの?」 「わからないよ。鎧をつけているからどこか他の町の神衛だと思うけど、うちに修理依頼される中でも見たことが無いね。この半島の人じゃないよ」 「違うよ、そっちじゃないほう。私を襲ってきた人じゃなくて、もう一人の、その人と戦ってる人のほう」 「? 何言ってんの、フォスターだよ。あんたの兄さんじゃないか」 「え……そんなはずないよ。声も雰囲気も全然違うもん。あの人は絶対フォスターじゃないよ。誰なの? あの人は」 この場にいるリューナだけがわかっていた。フォスターの中身がフォスター本人ではないことに。
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