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八話 なにか不思議な映画、観せて。

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 風呂は逸郎が先に入った。一番風呂を勧めたが、下着の手洗いもしたいから終いの方がいいと言われたのだ。  着替えがあると助かるというリクエストに、逸郎は高校時代の体育祭で作ったM寸のクラスTシャツと、これまた高校時代のジャージ上下を用意して、バスタオルと併せて渡しておいた。ショーツと化粧水だけはコンビニで買ってきたそうだが、他のスキンケア用品は持ってきていない。もちろんそんなものは逸郎も持ちあわせていないので、そっちの方はあきらめてもらった。すっぴんになっちゃうけど我慢して、と弥生は笑った。  それにしても、さっきの弥生のにじり寄りはちょっとヤバかった。髪を洗いながら、逸郎はそんなことを考えていた。いままで知っていた弥生とは、距離感がぜんぜん違う。あの強烈な吸引力をもった視線とポーズは、むしろ、何度も動画で見たマーチちゃんの記憶の方にこそシームレスで繋がる。股間のものが、むくむくと頭を持ち上げている。  いけない。別のことを考えないと。  しかし代わりにイメージできたのは、すみれとの入浴だった。これでは何の役にも立たない、と逸郎は焦った。上がる前にはなんとか抑えておかないと。  湯船に浮いた残り毛を無心に取り除くことで気持ちを落ち着かせた逸郎は、いつもより長い入浴を終えた。台所の板の間で身体を拭き、服を着る。普段はTシャツとボクサーパンツでおしまいなのだが、弥生がいる以上そうもいかない。夏着るには暑いが、スウェットの下だけは身に着けることにした。  交代で弥生が風呂に向かった。風呂場は台所の奥にあるので、居間とを仕切る磨りガラスの引き戸を閉めて、台所前の板の間を脱衣所として利用することになる。衣類籠などといった小洒落た代物など無いので、代わりに大きめの紙袋を用意しておいた。  引き戸一枚向こうで弥生が裸になっていることを考えないようにしながら、逸郎は居間でドライヤーを当てていた。と、いきなり引き戸が開き、弥生が戻ってきた。バスタオルを巻いただけの姿で。 「ごめんなさい。ハンガーを二本ほど貸してもらえませんか」  思わず生足の付け根をギリ隠しているタオルの裾に目がいってしまった逸郎は、あわてて奥の四畳半に駆け込み、ピンチ付きのハンガーを数本用意する。 「これ、使って。あ、あと、ドライヤーも、入ってる間に台所に、置いとくから」  そんな格好で立ってられちゃ、理性の方がたまらない。逸郎は弥生の顔だけを見ながら、ハンガーを手渡した。  ありがとうございます、と言って、弥生は台所に消えていった。  やぁ、ビビった。いくらすみれで多少経験を積んだとはいえ、日常の中にあんな格好を持ち込まれたら、ヤバすぎるよ。それこそ、出張生マーチちゃんじゃないか。  小一時間掛けて弥生は風呂から上がった。ドライヤーの音がしばし聞こえ、やがて止み、引き戸が開けられた。 「お風呂ありがとうございます。気持ちよかったぁ」  見ていたTVのニュースから移した逸郎の視線の先には、生マーチちゃんが立っていた。弥生が着ていたのは、着替えに貸したTシャツ一枚だけ。すっぴんの美少女が、逸郎の部屋で彼T姿を披露してくれているのだ。 「その恰好……」 「これ、イツローさんのクラスTシャツですか。ありましたよね、こういうの。私のとこもつくったな。ここに名前、入ってますね。ITSUROって」  弥生は、クラス全員のファーストネームがデザインされているTシャツのちょうど右胸の先っぽあたりを指差して、楽しそうにそう言った。  いや、そっちじゃなくて、という逸郎の問いかけにも、弥生はこともなげに応じる。 「あ、ジャージですか。着てみたんですけど、暑いから脱いじゃった。気にしないでくださいね」  気にするなと言われても、そんな超ミニみたいな裾からスレンダーな生足が伸びていたら、気にならない方がおかしい。それこそ、四月に初めて会った時からずっと、妄想の中で思い描いてた情景シチュエーションなのだから。 「お風呂、洗っときました。あと、中に下着干してるから見ないでくださいね」  弥生は可愛く笑った。少しでもいい。そうやって喋ってくれてる方が助かる。逸郎は思った。動画の中のマーチちゃんは無口だったから。 「麦茶飲みます? 私、入れてきますよ」  そう言って裾を翻した弥生は台所に消え、ほどなく麦茶を満たしたグラスを持ってきた。片方を逸郎の前に置こうと屈んだそのとき、少し伸びた首元から中が覗けた。もしかして、ブラジャーも付けてない?  逸郎の緊張をよそに、弥生はすました顔で隣に座り、麦茶を口に含んでいる。  食事の時と同じ位置に座って佇むふたり。逸郎が無音の緊張に耐え切れなくなったとき、弥生が声を掛けてきた。 「ひとつお願いをしてもいいですか?」  渡りに船の勢いで応じる逸郎に動じることなく、弥生はふんわりとした笑顔で言葉を乗せた。 「よかった。私、前からこの部屋に来れたらお願いしたいことがあったんです。ね、イツローさん、なにか不思議な映画、観せて。誰も知らないようなのを」  部屋にひとつだけあったクッションを抱き締めながら、弥生がねだってきた。  逸郎のマイナー映画好きは以前にも話のネタにしていた。あの頃の弥生がよく言っていた、お邪魔するときがあったらなにか選んで観せて欲しいという社交辞令が、まさかこんな形で実現するとは……。  不思議な映画、か。  逸郎は全力で思案する。映画のこと、弥生のことを考えて。初めて会った入学式の記念写真。サークルガイダンスの日。例会でのなんでもないやりとり。合宿。バスを降りたときの告白。そして、走り去るタクシー。 「これにしよう」  逸郎はコレクションの中から一枚を選んでセットして、部屋の電気を消した。五十インチディスプレイが放つ青い光が、部屋全体を青く染める。弥生はクッションを後ろに敷き、座椅子に掛ける逸郎の横に寄り添うように座り直した。  画面が真っ黒になり、金色の文字でタイトルが浮き上がってきた。  Ecole  外界と隔絶した森の奥に建つ大きな屋敷。そこは少女たちだけの学校『エコール』。棺桶に入れて連れてこられた少女たちは、六歳から十二歳までの間そこで暮らし、バレエと自然科学を習って過ごす。静謐でイノセントな世界。でも少女は、十二歳を過ぎると外の世界に出ていき、二度とそこに帰ってくることは無い。  美しい森の中ではしゃぎまわる白い少女ニンフたち。逃げ出そうとして小川で溺れてしまう少女。秘密のダンス発表会。  頭を逸郎の胸に預け、ぴったりと寄り添った弥生は、逸郎の腕を身体に回させたまま身じろぎもせず映像に見入っていた。  二時間の物語が終わった。  画面が発する青で弥生の頬が、Tシャツが、蒼く染まっていた。胸を押し付けるように身体をひねって、逸郎を見上げた弥生が、不思議な映画、と呟いた。 「でも、わかる。ビアンカは私。あの日までの私と、知ってしまったあとの私。  ありがとう、イツローさん。これは、私のための映画だよ」  青い部屋で、弥生は身体を伸ばして逸郎に、触れるだけのキスをした。



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 風呂は逸郎が先に入った。一番風呂を勧めたが、下着の手洗いもしたいから終いの方がいいと言われたのだ。  着替えがあると助かるというリクエストに、逸郎は高校時代の体育祭で作ったM寸のクラスTシャツと、これまた高校時代のジャージ上下を用意して、バスタオルと併せて渡しておいた。ショーツと化粧水だけはコンビニで買ってきたそうだが、他のスキンケア用品は持ってきていない。もちろんそんなものは逸郎も持ちあわせていないので、そっちの方はあきらめてもらった。すっぴんになっちゃうけど我慢して、と弥生は笑った。  それにしても、さっきの弥生のにじり寄りはちょっとヤバかった。髪を洗いながら、逸郎はそんなことを考えていた。いままで知っていた弥生とは、距離感がぜんぜん違う。あの強烈な吸引力をもった視線とポーズは、むしろ、何度も動画で見たマーチちゃんの記憶の方にこそシームレスで繋がる。股間のものが、むくむくと頭を持ち上げている。  いけない。別のことを考えないと。  しかし代わりにイメージできたのは、すみれとの入浴だった。これでは何の役にも立たない、と逸郎は焦った。上がる前にはなんとか抑えておかないと。  湯船に浮いた残り毛を無心に取り除くことで気持ちを落ち着かせた逸郎は、いつもより長い入浴を終えた。台所の板の間で身体を拭き、服を着る。普段はTシャツとボクサーパンツでおしまいなのだが、弥生がいる以上そうもいかない。夏着るには暑いが、スウェットの下だけは身に着けることにした。  交代で弥生が風呂に向かった。風呂場は台所の奥にあるので、居間とを仕切る磨りガラスの引き戸を閉めて、台所前の板の間を脱衣所として利用することになる。衣類籠などといった小洒落た代物など無いので、代わりに大きめの紙袋を用意しておいた。  引き戸一枚向こうで弥生が裸になっていることを考えないようにしながら、逸郎は居間でドライヤーを当てていた。と、いきなり引き戸が開き、弥生が戻ってきた。バスタオルを巻いただけの姿で。 「ごめんなさい。ハンガーを二本ほど貸してもらえませんか」  思わず生足の付け根をギリ隠しているタオルの裾に目がいってしまった逸郎は、あわてて奥の四畳半に駆け込み、ピンチ付きのハンガーを数本用意する。 「これ、使って。あ、あと、ドライヤーも、入ってる間に台所に、置いとくから」  そんな格好で立ってられちゃ、理性の方がたまらない。逸郎は弥生の顔だけを見ながら、ハンガーを手渡した。  ありがとうございます、と言って、弥生は台所に消えていった。  やぁ、ビビった。いくらすみれで多少経験を積んだとはいえ、日常の中にあんな格好を持ち込まれたら、ヤバすぎるよ。それこそ、出張生マーチちゃんじゃないか。  小一時間掛けて弥生は風呂から上がった。ドライヤーの音がしばし聞こえ、やがて止み、引き戸が開けられた。 「お風呂ありがとうございます。気持ちよかったぁ」  見ていたTVのニュースから移した逸郎の視線の先には、生マーチちゃんが立っていた。弥生が着ていたのは、着替えに貸したTシャツ一枚だけ。すっぴんの美少女が、逸郎の部屋で彼T姿を披露してくれているのだ。 「その恰好……」 「これ、イツローさんのクラスTシャツですか。ありましたよね、こういうの。私のとこもつくったな。ここに名前、入ってますね。ITSUROって」  弥生は、クラス全員のファーストネームがデザインされているTシャツのちょうど右胸の先っぽあたりを指差して、楽しそうにそう言った。  いや、そっちじゃなくて、という逸郎の問いかけにも、弥生はこともなげに応じる。 「あ、ジャージですか。着てみたんですけど、暑いから脱いじゃった。気にしないでくださいね」  気にするなと言われても、そんな超ミニみたいな裾からスレンダーな生足が伸びていたら、気にならない方がおかしい。それこそ、四月に初めて会った時からずっと、妄想の中で思い描いてた情景シチュエーションなのだから。 「お風呂、洗っときました。あと、中に下着干してるから見ないでくださいね」  弥生は可愛く笑った。少しでもいい。そうやって喋ってくれてる方が助かる。逸郎は思った。動画の中のマーチちゃんは無口だったから。 「麦茶飲みます? 私、入れてきますよ」  そう言って裾を翻した弥生は台所に消え、ほどなく麦茶を満たしたグラスを持ってきた。片方を逸郎の前に置こうと屈んだそのとき、少し伸びた首元から中が覗けた。もしかして、ブラジャーも付けてない?  逸郎の緊張をよそに、弥生はすました顔で隣に座り、麦茶を口に含んでいる。  食事の時と同じ位置に座って佇むふたり。逸郎が無音の緊張に耐え切れなくなったとき、弥生が声を掛けてきた。 「ひとつお願いをしてもいいですか?」  渡りに船の勢いで応じる逸郎に動じることなく、弥生はふんわりとした笑顔で言葉を乗せた。 「よかった。私、前からこの部屋に来れたらお願いしたいことがあったんです。ね、イツローさん、なにか不思議な映画、観せて。誰も知らないようなのを」  部屋にひとつだけあったクッションを抱き締めながら、弥生がねだってきた。  逸郎のマイナー映画好きは以前にも話のネタにしていた。あの頃の弥生がよく言っていた、お邪魔するときがあったらなにか選んで観せて欲しいという社交辞令が、まさかこんな形で実現するとは……。  不思議な映画、か。  逸郎は全力で思案する。映画のこと、弥生のことを考えて。初めて会った入学式の記念写真。サークルガイダンスの日。例会でのなんでもないやりとり。合宿。バスを降りたときの告白。そして、走り去るタクシー。 「これにしよう」  逸郎はコレクションの中から一枚を選んでセットして、部屋の電気を消した。五十インチディスプレイが放つ青い光が、部屋全体を青く染める。弥生はクッションを後ろに敷き、座椅子に掛ける逸郎の横に寄り添うように座り直した。  画面が真っ黒になり、金色の文字でタイトルが浮き上がってきた。  Ecole  外界と隔絶した森の奥に建つ大きな屋敷。そこは少女たちだけの学校『エコール』。棺桶に入れて連れてこられた少女たちは、六歳から十二歳までの間そこで暮らし、バレエと自然科学を習って過ごす。静謐でイノセントな世界。でも少女は、十二歳を過ぎると外の世界に出ていき、二度とそこに帰ってくることは無い。  美しい森の中ではしゃぎまわる白い少女ニンフたち。逃げ出そうとして小川で溺れてしまう少女。秘密のダンス発表会。  頭を逸郎の胸に預け、ぴったりと寄り添った弥生は、逸郎の腕を身体に回させたまま身じろぎもせず映像に見入っていた。  二時間の物語が終わった。  画面が発する青で弥生の頬が、Tシャツが、蒼く染まっていた。胸を押し付けるように身体をひねって、逸郎を見上げた弥生が、不思議な映画、と呟いた。 「でも、わかる。ビアンカは私。あの日までの私と、知ってしまったあとの私。  ありがとう、イツローさん。これは、私のための映画だよ」  青い部屋で、弥生は身体を伸ばして逸郎に、触れるだけのキスをした。



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