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一話 大学にはいろんな奴がいるから気をつけて。

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 粉雪のちらつく朝だった。  南関東育ちの逸郎イツローは雪は嫌いではない。むしろ、好きと言ってもいい。昨冬を初めて東北の地で過ごし、生まれてこのかた出会った全量の百倍を超えるであろう積雪を経験しても、その感覚は変わらなかった。ちらつく雪、しんしんと降る雪、吹雪く雪、そして色彩全てをなかったことにしてしまう無垢の白。そのどれもが逸郎の琴線を魅了する。雪は白。汚れなき白の象徴。そうでなきゃいけない。  一年前、さまざまな期待を胸にはじめてこの街に降り立ったときは、だから灰色の残雪の世界に大いに幻滅したものだった。  ひと冬体験した今も、路肩に積み上がって歩道を圧迫する灰色の残雪は好きではない。雪の名を汚す余計者だと思っている。  この雪がもうちょっと降って、全部真っ白に覆ってくれればいいな。  そう思いながら逸郎は、無数の足跡が、酔っぱらいの書いた点線のようにのたくっている灰色の通学路を踏みしめていた。  駅弁大学の文系キャンパスと理系キャンパスを分つ県道の歩道部分は、主要道路なので除雪は済んでいる。おかげで道幅も多少は広がっていた。そのタイミングを狙って加速してきた太いタイヤの自転車が、逸郎のすぐ横を通り過ぎる。  あっぶねーな。てか、この道でよくチャリ乗るね。すげぇよな、原住民は。  逸郎は感嘆して、自転車を見送った。ほどなく乗り手の背中がふらっと揺れたかと思うと、車体が左に傾いた。  うちの学生か。  自転車はスライドしながらみぞれ混じりの雪を撒き立てると、間一髪で立ち直り、通用門の内側に消えた。  かっけー。  呆気に取られ見惚れていた逸郎の視線は、しかし、その先で尻餅している人影を捉える。慌てて逸郎は駆け寄っていった。自分も転ばないように気をつけながら。  白いダッフルコートのフードを目深に被った女の子がミトンの手袋の片手を付いて立ち上がろうとしていた。  大丈夫? と聞く逸郎の声に顔を上げ、フードが大きく頷いた。が、勢いがつきすぎて、支えにしていた手を滑らせて、バランスを崩してしまう。逸郎は咄嗟に、少女の背中に肩をあて、それ以上転ばないよう押さえた。  立ち上がった少女は、逸郎にしきりに謝って来た。 「いや、きみの謝ることじゃないだろ」  逸郎は、背後に投げ出されてるパステルブルーのデイパックを拾い、後ろを見やった。少女の真っ白いコートの腰の辺りに広く、灰色に汚れたみぞれ混じりの雪が付いている。ミトンの両手をぽんぽんと叩いた少女は、その手でお尻の雪を払おうとしていた。 「ストップ」  びくっとした少女は動きを止め、逸郎を見る。フードに隠れて表情は見えない。逸郎は言葉を続けた。 「湿ってるから、擦ったらせっかくの白いコートにしみができちゃうよ。ちょっと待ってて」  逸郎は防寒で首に巻いていたタオルを取り出すと、それをハタキにして、少女のコートを数回叩いて雪を落とした。タオルは多少汚れるが、どうせ元々そんなものだからなんともない。  はいOK、と言って自分のリュックにタオルを押し込む逸郎に、少女は九十度のお辞儀をしてきた。 「あ、ありがとうございます」  あまりの丁寧さに逸郎はびっくりする。 「新入生?」  フードでくぐもった声がはいと答えた。 「大丈夫。きみはぜんぜん悪くないから。でも大学にはいろんな奴がいるから気をつけて」  まーやー、と呼ぶキャンパス側からの声に少女が反応した。長居は無用と思い、じゃ、と片手を上げて逸郎は踵を返した。校舎に向かう逸郎と入れ替わりで、茶色のかたまりのような小柄な女の子が少女に駆け寄っていった。すれ違ったとき、逸郎は茶色の毛玉に睨まれたような気がした。まあ、気のせいだろう。  本日の最重要ミッションは履修届。それと、そのあとにサークルオリの店番だ。こっちはまあ、結構どうでもいい。  逸郎が所属するサークル『戯れ会』は、いわゆるゲーム愛好会である。カードゲーム、ボードゲーム、PCゲーム、スマホゲーム、その他なんでもいい。なんならゲームでなくとも構わない。とにかく週一回サークル棟の部室に集まって、各々好きなことをやり、それが終わるとは三々五々に別れて飲みに行く。あとはたまに会報をつくる。それだけのゆるい、いやゆる過ぎるサークルだ。目立つ活動と言えば、年一回、GWの頃に行う合宿と学祭での展示くらい。  そんな老人会のような緩さなので、面倒見のいい先輩組織などがあるはずもなく、昨年も会を上げての新人勧誘などはしていなかった。実際、逸郎も、寮で同期のシンスケに連れられて彼と同室の先輩と遊んでいるうちに、自然にメンバーと数えられるようになったのだ。同期にしても、逸郎とシンスケの他にはひとりしかいない。  だが今年は新四年生、宮ノ森ナイル先輩の強力なる要請で、公式サークルオリエンテーションへの参加と相成った。 「自分が卒業したら女の子がひとりになっちゃうじゃない。そんなの可哀想かぁいそ過ぎ」  というのがその理由らしい。  といっても、就職活動やらバイトやらその他諸々で忙しいナイル先輩が率先して動くはずもなく、ぶち上げるだけぶち上げといてご本人は全日程パスだとか。社会的活動に興味のない新三年生の四人衆は初手から当てにならず、元気なシンスケと比較的陰キャ度合いの低い逸郎に白羽の矢が当たったわけだ。  語られていない残りひとりの同期、天津原涼子ファインモーションは、頑張ってね~という興味なさげな応援の言葉を最後に、連絡不通となった。 「涼子が顔出しすれば、男子でも女子でも溢れるほどの入会希望者が来るんだろうけどなぁ」  ま、それはそれでめんどくさいけどね、と呟いて、逸郎は独り言を締めくくった。



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前のエピソード 零話 灰色の世界で彼女はひとり光り輝いていた。(比喩では無く)

一話 大学にはいろんな奴がいるから気をつけて。

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 粉雪のちらつく朝だった。  南関東育ちの逸郎イツローは雪は嫌いではない。むしろ、好きと言ってもいい。昨冬を初めて東北の地で過ごし、生まれてこのかた出会った全量の百倍を超えるであろう積雪を経験しても、その感覚は変わらなかった。ちらつく雪、しんしんと降る雪、吹雪く雪、そして色彩全てをなかったことにしてしまう無垢の白。そのどれもが逸郎の琴線を魅了する。雪は白。汚れなき白の象徴。そうでなきゃいけない。  一年前、さまざまな期待を胸にはじめてこの街に降り立ったときは、だから灰色の残雪の世界に大いに幻滅したものだった。  ひと冬体験した今も、路肩に積み上がって歩道を圧迫する灰色の残雪は好きではない。雪の名を汚す余計者だと思っている。  この雪がもうちょっと降って、全部真っ白に覆ってくれればいいな。  そう思いながら逸郎は、無数の足跡が、酔っぱらいの書いた点線のようにのたくっている灰色の通学路を踏みしめていた。  駅弁大学の文系キャンパスと理系キャンパスを分つ県道の歩道部分は、主要道路なので除雪は済んでいる。おかげで道幅も多少は広がっていた。そのタイミングを狙って加速してきた太いタイヤの自転車が、逸郎のすぐ横を通り過ぎる。  あっぶねーな。てか、この道でよくチャリ乗るね。すげぇよな、原住民は。  逸郎は感嘆して、自転車を見送った。ほどなく乗り手の背中がふらっと揺れたかと思うと、車体が左に傾いた。  うちの学生か。  自転車はスライドしながらみぞれ混じりの雪を撒き立てると、間一髪で立ち直り、通用門の内側に消えた。  かっけー。  呆気に取られ見惚れていた逸郎の視線は、しかし、その先で尻餅している人影を捉える。慌てて逸郎は駆け寄っていった。自分も転ばないように気をつけながら。  白いダッフルコートのフードを目深に被った女の子がミトンの手袋の片手を付いて立ち上がろうとしていた。  大丈夫? と聞く逸郎の声に顔を上げ、フードが大きく頷いた。が、勢いがつきすぎて、支えにしていた手を滑らせて、バランスを崩してしまう。逸郎は咄嗟に、少女の背中に肩をあて、それ以上転ばないよう押さえた。  立ち上がった少女は、逸郎にしきりに謝って来た。 「いや、きみの謝ることじゃないだろ」  逸郎は、背後に投げ出されてるパステルブルーのデイパックを拾い、後ろを見やった。少女の真っ白いコートの腰の辺りに広く、灰色に汚れたみぞれ混じりの雪が付いている。ミトンの両手をぽんぽんと叩いた少女は、その手でお尻の雪を払おうとしていた。 「ストップ」  びくっとした少女は動きを止め、逸郎を見る。フードに隠れて表情は見えない。逸郎は言葉を続けた。 「湿ってるから、擦ったらせっかくの白いコートにしみができちゃうよ。ちょっと待ってて」  逸郎は防寒で首に巻いていたタオルを取り出すと、それをハタキにして、少女のコートを数回叩いて雪を落とした。タオルは多少汚れるが、どうせ元々そんなものだからなんともない。  はいOK、と言って自分のリュックにタオルを押し込む逸郎に、少女は九十度のお辞儀をしてきた。 「あ、ありがとうございます」  あまりの丁寧さに逸郎はびっくりする。 「新入生?」  フードでくぐもった声がはいと答えた。 「大丈夫。きみはぜんぜん悪くないから。でも大学にはいろんな奴がいるから気をつけて」  まーやー、と呼ぶキャンパス側からの声に少女が反応した。長居は無用と思い、じゃ、と片手を上げて逸郎は踵を返した。校舎に向かう逸郎と入れ替わりで、茶色のかたまりのような小柄な女の子が少女に駆け寄っていった。すれ違ったとき、逸郎は茶色の毛玉に睨まれたような気がした。まあ、気のせいだろう。  本日の最重要ミッションは履修届。それと、そのあとにサークルオリの店番だ。こっちはまあ、結構どうでもいい。  逸郎が所属するサークル『戯れ会』は、いわゆるゲーム愛好会である。カードゲーム、ボードゲーム、PCゲーム、スマホゲーム、その他なんでもいい。なんならゲームでなくとも構わない。とにかく週一回サークル棟の部室に集まって、各々好きなことをやり、それが終わるとは三々五々に別れて飲みに行く。あとはたまに会報をつくる。それだけのゆるい、いやゆる過ぎるサークルだ。目立つ活動と言えば、年一回、GWの頃に行う合宿と学祭での展示くらい。  そんな老人会のような緩さなので、面倒見のいい先輩組織などがあるはずもなく、昨年も会を上げての新人勧誘などはしていなかった。実際、逸郎も、寮で同期のシンスケに連れられて彼と同室の先輩と遊んでいるうちに、自然にメンバーと数えられるようになったのだ。同期にしても、逸郎とシンスケの他にはひとりしかいない。  だが今年は新四年生、宮ノ森ナイル先輩の強力なる要請で、公式サークルオリエンテーションへの参加と相成った。 「自分が卒業したら女の子がひとりになっちゃうじゃない。そんなの可哀想かぁいそ過ぎ」  というのがその理由らしい。  といっても、就職活動やらバイトやらその他諸々で忙しいナイル先輩が率先して動くはずもなく、ぶち上げるだけぶち上げといてご本人は全日程パスだとか。社会的活動に興味のない新三年生の四人衆は初手から当てにならず、元気なシンスケと比較的陰キャ度合いの低い逸郎に白羽の矢が当たったわけだ。  語られていない残りひとりの同期、天津原涼子ファインモーションは、頑張ってね~という興味なさげな応援の言葉を最後に、連絡不通となった。 「涼子が顔出しすれば、男子でも女子でも溢れるほどの入会希望者が来るんだろうけどなぁ」  ま、それはそれでめんどくさいけどね、と呟いて、逸郎は独り言を締めくくった。



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