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二話 これは俺の尊敬する人が言ってた言葉なんだけど。

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「お前がいまいち押し切れない理由はわかってる」  シンスケは声のトーンを下げた。目は少し座り気味だが、まだ酔っぱらってはいないようだ。目を伏せて、しばらく黙り込んだシンスケは、重々しく口を開く。 「……弥生、だろ。あいつとのケジメがついてないって思ってんだろ」  シンスケは弥生の現状を知らない。俺は言ってないし、もうひとりだけ、たぶん俺よりもずっとよく知っている由香里も、あの性格を考えれば話してるはずがない。シンスケが知ってるのは、たぶんコンパからヤリスちゃんねるの公開と閉鎖、それに槍須の裏商売までだろう。だが見かけよりもずっと鋭いこいつの勘は、その先の現状をイメージしてるのかもしれない。慎重にしなければ。逸郎は身を引き締めた。 「槍須が活動停止してるってことは、弥生も別行動してるんだろう。あいつはSNSに顔出さないから確信は無いけど、たぶん引き籠ってんじゃねぇのかな。でもって、おまえはその辺のこと知ってんじゃないの。弥生の件であんだけ落ち込んでた奴が、今月に入ったらすっきりした顔してんじゃん。さすがに俺でもわかるよ。こりゃなんかあったなって」  シンスケは続ける。 「おまえの性格からしてそんなにスパッと断ち切れるはずないから、これは見切りつけたんじゃなくて保護観察下に置いたんだな、と読んだわけよ。違うか?」  ヤバイ。俺、そんなにわかりやすかったのか? 逸郎は胸の中で唸った。こいつは敵に回してはいけない、と。 「今日だって、下手すりゃここに匿ってるんじゃないかって冷や冷やしながら裏窓開けたんだぜ。中の空気がっとしてたから、ここに居ないのはすぐわかったけどな」  そこまで気にしてるんなら、そもそも勝手に上がり込むな。そう言いたいのをぐっとこらえ、逸郎は言葉を発した。 「くわしくは言えない。ていうか、俺も知らないんだけど、いま弥生は舘坂たてさかの自分の部屋に閉じ籠ってるはず。何を考え何をしてるかは俺も聞いてない。ただその辺りのことは、信頼できる奴がケアしてくれてるから、ひとまず心配はしてないんだ」 「ゆかりんか」  逸郎はそうだともそうでないとも答えない。 「あいつも水臭ぇなぁ。昼間だって本屋とかカフェとかで随分と一緒にいたのに、そんなことおくびにも見せやしない。ま、そーゆー奴だから信用できるってことなのかもしんないけどさ」  三杯目を湯呑に注ぎ、一口飲んだシンスケは、でもよ、と繋いだ。 「弥生の件でおまえが責任を感じることは無いと思うぜ。どう考えても悪いのは槍須ひとりだし、ヤツの洗脳から逃げられなかったのは弥生の元々の耐性の弱さってだけ。たしかに物理的に別れることができてる今は、手を差し伸べてこっちに戻してやるには絶好機だよ。でも別にそれをおまえがひとりで背負しょい込む必要はない。だいたい元からつき合ってたわけでもないんだし、今まで通りフツーの先輩後輩でゆる~く面倒見てやれば、それでいいんじゃね?」  おまえがどうしても弥生じゃなきゃダメだって言うんなら別だけどさ、と呟くように言うシンスケ。松前漬けと日本酒を交互に口に運んで、ひと呼吸を置く。 「でもよ。すみれちゃんアレはそんじょそこらには見当たらない超がつく上物だぜ。そりゃちょっと年齢としは上だけど、クオリティはぶっちゃけファインの上をいってると俺は思うぞ。いくら弥生のことが気になるっつったって、そのすみれちゃんとそこまで仲良くなっといて、今更その先に踏み込もうとしないってのは、むしろすみれちゃん彼女に対して失礼なんじゃね? じゃね?」  そうか。そうかもしれない。  逸郎はシンスケの言葉ひとつひとつが自分にしっくりと染み込んでいるのを感じていた。  たしかに俺は、弥生と接してたときにあった、無意識に上から見てる無理な姿勢を、すみれさんといるときはまったく感じてない。とても自然に、どっちが上とか下とか、守るとか守られるとか、そんな余分な考えは無しでいられる。相手を認め、自分を認められ、そんな関係がきっとつくれる。お互いにそう思っていることもわかってる。  逸郎は、自分が少し酔い始めていることには気づいていなかった。 「なぁイツロー、これは俺の尊敬する人が言ってた言葉なんだけどさ」  そう言うとシンスケは咳払いをして姿勢を正した。 「イツロー、心に棚をつくれ」



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前のエピソード 一話 おまえら、中学生かよ!?

二話 これは俺の尊敬する人が言ってた言葉なんだけど。

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「お前がいまいち押し切れない理由はわかってる」  シンスケは声のトーンを下げた。目は少し座り気味だが、まだ酔っぱらってはいないようだ。目を伏せて、しばらく黙り込んだシンスケは、重々しく口を開く。 「……弥生、だろ。あいつとのケジメがついてないって思ってんだろ」  シンスケは弥生の現状を知らない。俺は言ってないし、もうひとりだけ、たぶん俺よりもずっとよく知っている由香里も、あの性格を考えれば話してるはずがない。シンスケが知ってるのは、たぶんコンパからヤリスちゃんねるの公開と閉鎖、それに槍須の裏商売までだろう。だが見かけよりもずっと鋭いこいつの勘は、その先の現状をイメージしてるのかもしれない。慎重にしなければ。逸郎は身を引き締めた。 「槍須が活動停止してるってことは、弥生も別行動してるんだろう。あいつはSNSに顔出さないから確信は無いけど、たぶん引き籠ってんじゃねぇのかな。でもって、おまえはその辺のこと知ってんじゃないの。弥生の件であんだけ落ち込んでた奴が、今月に入ったらすっきりした顔してんじゃん。さすがに俺でもわかるよ。こりゃなんかあったなって」  シンスケは続ける。 「おまえの性格からしてそんなにスパッと断ち切れるはずないから、これは見切りつけたんじゃなくて保護観察下に置いたんだな、と読んだわけよ。違うか?」  ヤバイ。俺、そんなにわかりやすかったのか? 逸郎は胸の中で唸った。こいつは敵に回してはいけない、と。 「今日だって、下手すりゃここに匿ってるんじゃないかって冷や冷やしながら裏窓開けたんだぜ。中の空気がっとしてたから、ここに居ないのはすぐわかったけどな」  そこまで気にしてるんなら、そもそも勝手に上がり込むな。そう言いたいのをぐっとこらえ、逸郎は言葉を発した。 「くわしくは言えない。ていうか、俺も知らないんだけど、いま弥生は舘坂たてさかの自分の部屋に閉じ籠ってるはず。何を考え何をしてるかは俺も聞いてない。ただその辺りのことは、信頼できる奴がケアしてくれてるから、ひとまず心配はしてないんだ」 「ゆかりんか」  逸郎はそうだともそうでないとも答えない。 「あいつも水臭ぇなぁ。昼間だって本屋とかカフェとかで随分と一緒にいたのに、そんなことおくびにも見せやしない。ま、そーゆー奴だから信用できるってことなのかもしんないけどさ」  三杯目を湯呑に注ぎ、一口飲んだシンスケは、でもよ、と繋いだ。 「弥生の件でおまえが責任を感じることは無いと思うぜ。どう考えても悪いのは槍須ひとりだし、ヤツの洗脳から逃げられなかったのは弥生の元々の耐性の弱さってだけ。たしかに物理的に別れることができてる今は、手を差し伸べてこっちに戻してやるには絶好機だよ。でも別にそれをおまえがひとりで背負しょい込む必要はない。だいたい元からつき合ってたわけでもないんだし、今まで通りフツーの先輩後輩でゆる~く面倒見てやれば、それでいいんじゃね?」  おまえがどうしても弥生じゃなきゃダメだって言うんなら別だけどさ、と呟くように言うシンスケ。松前漬けと日本酒を交互に口に運んで、ひと呼吸を置く。 「でもよ。すみれちゃんアレはそんじょそこらには見当たらない超がつく上物だぜ。そりゃちょっと年齢としは上だけど、クオリティはぶっちゃけファインの上をいってると俺は思うぞ。いくら弥生のことが気になるっつったって、そのすみれちゃんとそこまで仲良くなっといて、今更その先に踏み込もうとしないってのは、むしろすみれちゃん彼女に対して失礼なんじゃね? じゃね?」  そうか。そうかもしれない。  逸郎はシンスケの言葉ひとつひとつが自分にしっくりと染み込んでいるのを感じていた。  たしかに俺は、弥生と接してたときにあった、無意識に上から見てる無理な姿勢を、すみれさんといるときはまったく感じてない。とても自然に、どっちが上とか下とか、守るとか守られるとか、そんな余分な考えは無しでいられる。相手を認め、自分を認められ、そんな関係がきっとつくれる。お互いにそう思っていることもわかってる。  逸郎は、自分が少し酔い始めていることには気づいていなかった。 「なぁイツロー、これは俺の尊敬する人が言ってた言葉なんだけどさ」  そう言うとシンスケは咳払いをして姿勢を正した。 「イツロー、心に棚をつくれ」



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