最後の勝負
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「マズイ……。非常にマズイ……」 薗部は焦り始め、仕切りに目線を動かしている。無理もない。本塁打が出れば逆転で、なおかつバッターが逸樹である。今日はヒットが出てないとはいえ、この流れならどう転ぶか分からない。 その上、伸哉の球のキレとコントロールが目に見えて落ちて来ている。まさに、最悪の状況だ。 「出来ることは、一旦落ち着かせること。守備のタイムは、あと二回……。残していてもどうしようもない。やれることをやるのみだ」 薗部は、前のタイムで伝令に送った選手をもう一度、伝令に行かせた。 三塁側スタンド。先程、八回表まで盛んだった明林の応援も、この状況になってから、一気に静まり返った。 咲香も同様、絶体絶命とも言えるピンチに、ただ、黙り込むしかなかった。 どうしよう……。このままじゃ、間違いなく、負けちゃう……。 咲香には今の雰囲気から、明林が負けるビジョンがはっきりと見えた。 伸哉くんが打たれるところ、負けるところ、私は見たくない‼︎ 咲香は考えた。今の自分になにが出来るのかを。こんな窮地の時、ベンチにいた時に自分がしていたことを。 あっ! 思いついた途端、咲香は無意識に立ち上がっていた。 彰久が守備のタイムを取り、内野陣が再びマウンド上に集まる。 「とりあえずここは最悪歩かせてもいい。とにかく慎重にということだ。ここをしっかり締めるぞ!」 伝令の選手が薗部の指示を伝え、彰久と伸哉以外は自分の守備位置へと戻っていった。 「伸哉。キツイとは思うけど踏ん張ってくれよ! 頼んだぞ!」 伸哉の胸をミットで突き、キャッチャースボックスへ戻っていった。 わかってるよ。抑えなきゃなんないことは。だけど……。 伸哉は右足首を見る。まだそんなには腫れてきてはいない。しかし、右足首の痛みが一球投げるごとに悪化していた。 それでも、リリーフの用意が出来ていないこの状況で自ら下がるというわけにもいかない。 伸哉は我慢して投げてきたが、痛めた右足首を庇っているうちにフォームのバランスを崩し、結果連続してヒットを打たれたのだった。 僕はエースだ。ここは抑えるんだ……抑え……。 だが、今の伸哉の頭の中には逸樹を抑えるイメージが湧かない。むしろ、打たれるイメージがどんどん溢れ出てくる。 それを抑えようとしても止まらない。次第に息が乱れ、肩が上下に揺れ動き出した。 その時だった。 「伸哉くーん‼︎ 頑張ってぇ‼︎」 スタンドから大きな女の子の声が聞こえてきた。声がした三塁側スタンドを向くと、咲香が立ち上がって声を出していた。 「ピッチャー! ここしっかり頼むぞー!」 「俺たちが応援してるから!踏ん張ってくれぇ!」 それに続くように、三塁側から大きな歓声が次々と湧き上がった。 伸哉は胸に手を当てて自分を奮い立たせた。 こんなにも、僕を応援してくれる人がいる。咲香さんが応援してくれているんだ。ここで引き下がるわけにはいかないっ! 伸哉はボールをストレートの握り方で握り、逸樹に見せつけた。 打席に入った逸樹は驚いたのか、タイムを取り打席を外れた。 ほう。俺にストレート勝負するとはねえ。よかろう、受けて立つ! 少し間を取り、息を大きく吐いてもう一度集中力を入れ直すと打席に戻った。逸樹は伸哉とボールだけしか見ていない。 息の詰まるような空気の中、伸哉の投じた一球目。 コースはほぼど真ん中と超絶好球。だが、今までとは比べものにならないノビとキレを見せる渾身のストレートに、逸樹のバットは空を切る。 いいねいいね! そういうの待ってたんだよ! ずっとね!! 逸樹は昂る心を抑えきれずにいた。 続く二球目も同じど真ん中だったが、またも空振りこれでツーストライク。伸哉が逸樹を追い込む。 だが逸樹も負けてはいない。次の三球目、四球目を辛うじてバットに当て、五球目はファールながらも真っ芯で捉え、三塁側スタンドの遥か後方へと打球を飛ばした。 そして六球目。 「ボォール!」 伸哉のストレートが高めに外れた。そして、七球目、八球目も同じように高めへと外し、ツーストライクスリーボールと伸哉も追い込まれる形となった。 力と力の凄まじい勝負にスタンドどころか、両軍ベンチまでもが静まり返り、この勝負の結果を見守っていた。 マウンド上。一度自分を落ち着かせるために深呼吸をしていた。 さっきは力みすぎた。けど、一番いい感覚だった。もう少し落ち着いて……。うん、この感覚だ。これで勝負だ。次が、ラストだ! 伸哉は覚悟を決めた。 その一方で、逸樹もバッターボックスを外し、軽く素振りをして落ち着かせていた。 タイミングは合ってた。これで大丈夫だ。おそらくどうなろうと次で最後。これで、決着だ。 逸樹も同じように、次の一球が、勝負の一球になると決めていた。 蝉の鳴き声だけが響く閑散とした空間の中、伸哉はモーションに入る。 伸哉の投じた九球目ーーーー 一閃。そう形容するにふさわしい逸樹の鋭く美しいスイングが、一瞬にしてボールを弾き返す。 白球は沈むことなく、そのまま外野スタンドの外へと消えていった。 「ホぉームラぁーン!」 審判のコールとともに一塁側ベンチ、スタンドは狂喜乱舞。全員総立ちで舞い上がり、逸樹の最高の一打を祝福していた。 打たれた三塁側、明林ナインとベンチ、スタンドはその打たれた打球をぼーっとも抜け殻のように見つめていた。 添木伸哉。俺が見た中で最高のピッチャーだった。そしてあの球は最高の一球だった。おそらく、あの球がコースがアウトローに決まっていたら、負けていたのは俺だっただろう。 ベースを回りながら、逸樹はこの打席での勝負のことを振り返っていた。 打たれた……。でもどうしてだろう? ここまで清々しいのは。どうしてなんだ……。 伸哉はバランスを崩しながら倒れこむ。そして同時に右足首の激しい痛みがぶり返してきた。激しい痛みに襲われながら、伸哉は意識を失っていった。
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