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賭け野球

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彰久のウォームアップがある程度終わったところで、伸哉がキャッチャーを座らせ、本格的な投球練習を開始した。  彰久が伸哉の投げる姿を見たのは動画サイトに投稿されていた、シニアの全国大会の映像だ。  その時の伸哉のフォーム、ボールのキレ、マウンド捌きが小学校六年の頃からはとても考えられない出来だったのを覚えている。  さっき見た限りではそれが衰えるどころか、進化している気さえもした。だが、間近で見るとそう言った感覚はまた変わってくる。  気になって仕方がなくなったのか、自分のウォームアップを早めに切り上げてその様子をみることにした。  伸哉が投げ始める。  大きくゆったりとしたワインドアップから投げた伸哉の一球目は、糸を引くように伸びるストレート。  次に投げたのは、虹のような美しい弧を描くように曲がるカーブ。そして最後にブレーキが効いたチェンジアップを投げる。  全ての球種が動画で見たその時よりも三倍にも凄味を増して見えた。  そして、ただ凄い球を投げているだけではない。どの球も一ミリもずれる事なく、構えたミットに吸い込まれているのだ。  小学生時代からコントロールはすこぶる良かったが、今のそれはその比ではないレベルだ。  俺、こんな奴から打てるのか?  早くも勝負を挑んだことを後悔し始めていた。  だが、逆に勝てば自分の夢である甲子園に近づける、という発想の転換で自分をなんとか奮い立たせていた。 「肩は暖まったからそろそろ始めていいですか?」  二十球程度投げ終えたところで涼しそうな顔で伸哉は言った。 「ああ。いいぜ」  どんな球でも打ってやる、と言わんばかりのオーラを出しながら彰久は左バッターボックスに入る。 「彰久先輩。随分強がっているようですけど、僕は分かっていますよ。俺は伸哉から打てるのか? って不安がっていること」  彰久をおちょくるように挑発するが、口の攻撃はそれだけにとどまらない。 「さっき素振りするのを見て分かりましたよ。今の彰久先輩ほどの実力では、僕が全力だしたら勝負にならないってね。だから、宣言しておくけどカーブとチェンジアップを投げなません。それなら丁度いい勝負になるでしょう」  神経を逆撫でるかのように、不敵な笑みを浮かべながら言ってのけた。あまり温厚でない彰久は完全に激昂していた。 「かわいい顔して面白いこというようになったなあ伸哉ぁ! ならその自信をへし折ってやんよっ!」  怒りのおかげか不安が心から完全に消し飛んでいた。それを見た伸哉は安心したように、ホッと胸をなでおろしていた。 「彰久先輩はそうでなくちゃ。これでもっと面白い勝負が出来そうだ。じゃあ、一球目はアウトコースにこれを投げますので」  伸哉はボールの二本の縫い目を握って右手を突き出すが、彰久はイマイチピンとこない。  ワインドアップから投じた一球目。予告した通りのアウトコースにくる。  投球練習で取っていたタイミング通りにスイングをしようとする。  だが、真っ直ぐの軌道から突如手元で外に動きながら沈む変化に驚き、バットを止めて見逃してしまう。  当然ストライクを取られた。 「あれ? 先輩。ツーシームですよ? 小学校の時から投げていたんだから打ってくれると思ったのですが」  ツーシーム。  その単語を言われて彰久は小学生の頃を思い出した。  伸哉がピンチに陥った時、あるいはどうしてもゲッツーが欲しい時に、必ずといっていい程この球を投げて修羅場を乗り越えてきた。  シニアになってからは、投げたストレートのうち三割がツーシームという程多投していた。  それほど伸哉は自信をもっているのは間違いない。  実際ツーシームがクリーンヒットされたシーンは見たことがないという程、猛威をふるっていたボールであった。  早速この球で来るのか。そうかいそうかい。なんだかんだ手は抜いてくれねえな。  彰久は頷きながら、タイミングと軌道をイメージして二、三回素振りをした。 「次も同じコースにツーシーム投げるますので。入部させたいんなら、今度はちゃんと芯に当てて下さいよ」  二球目。伸哉の予告通り、投げてきたのはアウトコースに微妙に沈むように動くツーシームだった。 「凄えよ伸哉。俺とは違って、小学生の頃から進化してるよ。けどよ、」  迷いなく、彰久はバットを振りだす。そのスイングは、絶妙に変化する軌道を完璧に真っ芯で捉えていた。 「俺もあん時のままじゃねえぜ!!」  伸哉は後ろを振り向く。打球は大きな放物線を描きながら、ライトポールの外側へと吸い込まれていった。 「くっそおおおおおおお! あと十センチ左なら入ってたのに!!」  打球を見るなり仕留めきれなかった悔しさからか、バットを後頭部に振り上げた。だが彰久は、伸哉に勝てるという一つの確信を持った。 「どうだ! 見たか! ストレートだろうがツーシームだろうがなんでも来いや! 今度は柵越えさせてやんよ!」  漲る力を落ち着かせるように、ぶんぶん振り回す。  一方で、ウイニングショットとも言えるボールを打たれた伸哉だが、その顔からは焦りや動揺は感じ取れない。  それどころか、遠足を待ちきれない小学生のような笑顔だった。 「流石ですね、彰久先輩。球種とコースを教えましたけどあそこまで飛ばされたのは初めてです。けど、僕ワクワクしてるんですよ」  伸哉のある意味では不気味な雰囲気に、彰久は飲まれそうになったが、間をあけて一度素振りをすることでなんとか飲まれずにすんだ。 「じゃあ、いきますよ。三球目ラストボール」  にこやかな顔から足を高くあげ、投じた三球目。  今までのツーシームと何も変わらないスピードとコース。そして、少しずつ変化し始めてくる。 「ツーシームっ! もらっ?!」  ブォン!  バシィィィィン!  空を虚しく切るスイング音。乾いた捕球音。 「ストライィィィク! バッターアウト!」  バットを振り抜いたまま動かぬ彰久に勝負の終わりを告げたのは、審判のドスの効いたコールだった。  彰久がスイングを開始した時点では今までと何の変わりもなかった。変わったのはその後からだった。 「ボールが、さらに、変化しやがった」  ツーシームの軌道に合わせて振り切ろうとしたが、さらに大きくボールが沈み始めた。これに対応ができず、彰久はただ、無残に空振りを喫するだけだった。 「伸哉。あのボールは一体何なんだ!」  彰久は驚きのあまり、球種の説明を求めた。 「シンキング・ファストボールって言うストレートより少し遅いスピードで、シンカーのように沈んでいく球です」 「あれ? それって高速シンカーとかシュートとかと同じじゃないのか?」 「確かにそうかもしれないけど、僕はあえてこの名前で呼んでます」  説明に納得のいった彰久はなるほど、と頷きながらマウンドの伸哉へと向かって行った。 「ふぅー。しっかし、あんな隠し球まで持ってたのか。 「うん。今まで封印していたんですけど、先輩があんなに飛ばすんもんなので、つい使っちゃいました」  そう言われた彰久は、負けはしたもののなんとも言い難い充実感に包まれていた。 「けどよかったです。ちゃんとした状態で対戦が出来て」 「どういうことだ?」 「彰久先輩が僕にビビってたのかは分かりませんが、とにかくベストなメンタルじゃなさそうだったので、挑発してしまいましたが……すいません」  伸哉が申し訳なさそうに頭を下げると、彰久は突然大声で笑い始めた。 「やっぱり伸哉、お前ってのは凄いやつだよ。ますますうちに来て欲しくなったよ。けど、残念だが負けたもんは仕方がない。伸哉のことはあきらめよう。だけど、もし高校野球の世界に来たくなった時のために、後でアドレスとかL○NEの交換してくれないか?」 「うーん、ほぼ無いとは思いますが、面白そうな話が聞けそうなので、いいですよ」  彰久はよっしゃ、と声を上げガッツポーズをした。 「ありがとな。あと、握手いいか」  彰久が右手を差し出しながら言うと、伸哉は右手を差し出し、がっちりと深い握手を交わした。  勝ち負けだけでは無い、心の底からこの勝負を楽しめた喜びをこの時の彰久は体中に感じていた。  この勝負以降、伸哉が野球部の監督や部員と会うことは多々あった。だが、彰久がこの約束を伝えたからなのかは定かではないが、誰一人として伸哉を勧誘しなかった。



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彰久のウォームアップがある程度終わったところで、伸哉がキャッチャーを座らせ、本格的な投球練習を開始した。  彰久が伸哉の投げる姿を見たのは動画サイトに投稿されていた、シニアの全国大会の映像だ。  その時の伸哉のフォーム、ボールのキレ、マウンド捌きが小学校六年の頃からはとても考えられない出来だったのを覚えている。  さっき見た限りではそれが衰えるどころか、進化している気さえもした。だが、間近で見るとそう言った感覚はまた変わってくる。  気になって仕方がなくなったのか、自分のウォームアップを早めに切り上げてその様子をみることにした。  伸哉が投げ始める。  大きくゆったりとしたワインドアップから投げた伸哉の一球目は、糸を引くように伸びるストレート。  次に投げたのは、虹のような美しい弧を描くように曲がるカーブ。そして最後にブレーキが効いたチェンジアップを投げる。  全ての球種が動画で見たその時よりも三倍にも凄味を増して見えた。  そして、ただ凄い球を投げているだけではない。どの球も一ミリもずれる事なく、構えたミットに吸い込まれているのだ。  小学生時代からコントロールはすこぶる良かったが、今のそれはその比ではないレベルだ。  俺、こんな奴から打てるのか?  早くも勝負を挑んだことを後悔し始めていた。  だが、逆に勝てば自分の夢である甲子園に近づける、という発想の転換で自分をなんとか奮い立たせていた。 「肩は暖まったからそろそろ始めていいですか?」  二十球程度投げ終えたところで涼しそうな顔で伸哉は言った。 「ああ。いいぜ」  どんな球でも打ってやる、と言わんばかりのオーラを出しながら彰久は左バッターボックスに入る。 「彰久先輩。随分強がっているようですけど、僕は分かっていますよ。俺は伸哉から打てるのか? って不安がっていること」  彰久をおちょくるように挑発するが、口の攻撃はそれだけにとどまらない。 「さっき素振りするのを見て分かりましたよ。今の彰久先輩ほどの実力では、僕が全力だしたら勝負にならないってね。だから、宣言しておくけどカーブとチェンジアップを投げなません。それなら丁度いい勝負になるでしょう」  神経を逆撫でるかのように、不敵な笑みを浮かべながら言ってのけた。あまり温厚でない彰久は完全に激昂していた。 「かわいい顔して面白いこというようになったなあ伸哉ぁ! ならその自信をへし折ってやんよっ!」  怒りのおかげか不安が心から完全に消し飛んでいた。それを見た伸哉は安心したように、ホッと胸をなでおろしていた。 「彰久先輩はそうでなくちゃ。これでもっと面白い勝負が出来そうだ。じゃあ、一球目はアウトコースにこれを投げますので」  伸哉はボールの二本の縫い目を握って右手を突き出すが、彰久はイマイチピンとこない。  ワインドアップから投じた一球目。予告した通りのアウトコースにくる。  投球練習で取っていたタイミング通りにスイングをしようとする。  だが、真っ直ぐの軌道から突如手元で外に動きながら沈む変化に驚き、バットを止めて見逃してしまう。  当然ストライクを取られた。 「あれ? 先輩。ツーシームですよ? 小学校の時から投げていたんだから打ってくれると思ったのですが」  ツーシーム。  その単語を言われて彰久は小学生の頃を思い出した。  伸哉がピンチに陥った時、あるいはどうしてもゲッツーが欲しい時に、必ずといっていい程この球を投げて修羅場を乗り越えてきた。  シニアになってからは、投げたストレートのうち三割がツーシームという程多投していた。  それほど伸哉は自信をもっているのは間違いない。  実際ツーシームがクリーンヒットされたシーンは見たことがないという程、猛威をふるっていたボールであった。  早速この球で来るのか。そうかいそうかい。なんだかんだ手は抜いてくれねえな。  彰久は頷きながら、タイミングと軌道をイメージして二、三回素振りをした。 「次も同じコースにツーシーム投げるますので。入部させたいんなら、今度はちゃんと芯に当てて下さいよ」  二球目。伸哉の予告通り、投げてきたのはアウトコースに微妙に沈むように動くツーシームだった。 「凄えよ伸哉。俺とは違って、小学生の頃から進化してるよ。けどよ、」  迷いなく、彰久はバットを振りだす。そのスイングは、絶妙に変化する軌道を完璧に真っ芯で捉えていた。 「俺もあん時のままじゃねえぜ!!」  伸哉は後ろを振り向く。打球は大きな放物線を描きながら、ライトポールの外側へと吸い込まれていった。 「くっそおおおおおおお! あと十センチ左なら入ってたのに!!」  打球を見るなり仕留めきれなかった悔しさからか、バットを後頭部に振り上げた。だが彰久は、伸哉に勝てるという一つの確信を持った。 「どうだ! 見たか! ストレートだろうがツーシームだろうがなんでも来いや! 今度は柵越えさせてやんよ!」  漲る力を落ち着かせるように、ぶんぶん振り回す。  一方で、ウイニングショットとも言えるボールを打たれた伸哉だが、その顔からは焦りや動揺は感じ取れない。  それどころか、遠足を待ちきれない小学生のような笑顔だった。 「流石ですね、彰久先輩。球種とコースを教えましたけどあそこまで飛ばされたのは初めてです。けど、僕ワクワクしてるんですよ」  伸哉のある意味では不気味な雰囲気に、彰久は飲まれそうになったが、間をあけて一度素振りをすることでなんとか飲まれずにすんだ。 「じゃあ、いきますよ。三球目ラストボール」  にこやかな顔から足を高くあげ、投じた三球目。  今までのツーシームと何も変わらないスピードとコース。そして、少しずつ変化し始めてくる。 「ツーシームっ! もらっ?!」  ブォン!  バシィィィィン!  空を虚しく切るスイング音。乾いた捕球音。 「ストライィィィク! バッターアウト!」  バットを振り抜いたまま動かぬ彰久に勝負の終わりを告げたのは、審判のドスの効いたコールだった。  彰久がスイングを開始した時点では今までと何の変わりもなかった。変わったのはその後からだった。 「ボールが、さらに、変化しやがった」  ツーシームの軌道に合わせて振り切ろうとしたが、さらに大きくボールが沈み始めた。これに対応ができず、彰久はただ、無残に空振りを喫するだけだった。 「伸哉。あのボールは一体何なんだ!」  彰久は驚きのあまり、球種の説明を求めた。 「シンキング・ファストボールって言うストレートより少し遅いスピードで、シンカーのように沈んでいく球です」 「あれ? それって高速シンカーとかシュートとかと同じじゃないのか?」 「確かにそうかもしれないけど、僕はあえてこの名前で呼んでます」  説明に納得のいった彰久はなるほど、と頷きながらマウンドの伸哉へと向かって行った。 「ふぅー。しっかし、あんな隠し球まで持ってたのか。 「うん。今まで封印していたんですけど、先輩があんなに飛ばすんもんなので、つい使っちゃいました」  そう言われた彰久は、負けはしたもののなんとも言い難い充実感に包まれていた。 「けどよかったです。ちゃんとした状態で対戦が出来て」 「どういうことだ?」 「彰久先輩が僕にビビってたのかは分かりませんが、とにかくベストなメンタルじゃなさそうだったので、挑発してしまいましたが……すいません」  伸哉が申し訳なさそうに頭を下げると、彰久は突然大声で笑い始めた。 「やっぱり伸哉、お前ってのは凄いやつだよ。ますますうちに来て欲しくなったよ。けど、残念だが負けたもんは仕方がない。伸哉のことはあきらめよう。だけど、もし高校野球の世界に来たくなった時のために、後でアドレスとかL○NEの交換してくれないか?」 「うーん、ほぼ無いとは思いますが、面白そうな話が聞けそうなので、いいですよ」  彰久はよっしゃ、と声を上げガッツポーズをした。 「ありがとな。あと、握手いいか」  彰久が右手を差し出しながら言うと、伸哉は右手を差し出し、がっちりと深い握手を交わした。  勝ち負けだけでは無い、心の底からこの勝負を楽しめた喜びをこの時の彰久は体中に感じていた。  この勝負以降、伸哉が野球部の監督や部員と会うことは多々あった。だが、彰久がこの約束を伝えたからなのかは定かではないが、誰一人として伸哉を勧誘しなかった。



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