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待球作戦

31/75





「ストライクスリー!」 「よし!」  薗部は小さくガッツポーズをし、ようやく一安心した。いきなり二者連続でヒットを打たれ、されに次の打者には九球粘られながらも、なんとかアウトを一つ取れたのは嬉しかったようだ。 「ふぅー。なんとか一つ取ってくれましたか。これで落ち着いてくれれば嬉しいのですが……」 「ボール」  バッターはカーブをあっさりと見逃し、カウントはツーボールノーストライクと打者有利のカウント。依然として不味い状況は続いている。 「さすがは久良目商業。この回にもなれば、いくら伸哉君のボールとはいえ簡単に見送ってくる」  続く三球目の高めに浮いたカーブを簡単に見逃しストライク。あまりにもおかしな様子に、薗部は少し不信感を抱いた。そして四球目の甘いコースへのツーシームもあっさり見逃しツーボールツーストライク。薗部の不信感はますます大きくなった。  今まであれば甘い球は確実に振って来たはずである。三球目は失投に驚いて見逃したとかで説明できる今のはどうやっても説明できない。現に、前のイニングまでは普通に空振りを奪えていたが、この回からは全く空振りを取れない。薗部は嫌な予感がした。 「涼紀君。スコアを見せて」  涼紀のつけていたスコアブックを見てみると、薗部の予感は的中していた。 「やっぱりだ。この回ヒットを打たれたのはストレート系の球種だ。妙にノーステップで打ってきたり、後ろで打ってきたりしていたけど、それはツーシーム攻略のためだったのか。そして、変化球とツーストライク以前のボールは全く振っていない。間違いなく二人はこれに気づいていない。これはまずいぞ!」  久良目商業はこの回から待球たいきゅう作戦と、ツーシーム攻略を同時に決行していたのである。  ツーシームは手元で微妙に変化する分芯を外され打ち取られやすい。だが、変化量はそれほど多くない。そういった球種は、引き付けてコンパクトにスイングした方が打ちやすい。  なので、久良目商業の各打者はコンパクトに打つためにノーステップを、引き付けて打つためにミートポイントを後ろにずらしていたのだ。  伸哉のツーシームは平均以上に変化するとは言え、カーブやシンキングファストと比べれば変化量は落ちるため、やはり普通の攻略法が当てはまってしまうのだ。  そしてもう一つ厄介なのが、ツーストライクまで一切スイングをしてこない上に、変化球を完全に捨てていることだ。  これによって二球は確実に消費させられる。さらに、久良目商業の作戦に伸哉と彰久は気づいていないため、無駄なボール球やストライクからボールになる変化球を投げてしまい、余計な球数を投げさせられているのだ 「とにかくこのことを伝えなければ。伝令を使おう!」  薗部は守備のタイムを取り、涼紀に指示を伝え伝令に行かせた。  伝令が終わり内野陣は各々の守備位置に戻る。涼紀もベンチに帰ってきた。 「監督、指示は相手が待球作戦を敷いてきているから早いカウントで勝負しろ、ってことでよかったんですよね?」 「ええ。それから変化球は捨てているから変化球はゾーンにどんどんなげろ、というのも伝えましたか?」 「はい。あと守備はその調子で行け、もですよね」  それを聞いて薗部はホッと一息ついた。野球初心者の涼紀がちゃんと理解しているのか不安だったが、正確に理解していたようだ。 「これでこの回は乗り切れそうですね、監督!」  そうですね、と薗部は返したが胸の奥には不安の塊のような何かが渦巻いていた。  カーブが外角低めに外れる。これでスリーボールワンストライクと、完全にバッター有利なカウントになる。  この状況に涼紀は、指示を的確に伝えられていたのかどうか不安に感じているようだった。一方で薗部はある事に気がついてしまい、頭を抱え込んでいた。 「か、監督。俺もしかしたら間違えたかもしれません。もしそうだったら……」 「いえ、涼紀君は伝えられています。その証拠に伸哉君と彰久君のサインの交換を見てみてください」  涼紀はバッテリーのやり取りをじっと見る。すると、伸哉がサインの交換の際に、不機嫌な顔をして何度も首を横に振ったり、プレートを外してマウンドを慣らす仕草をしたりしていることだ。 「ということは、サインが合ってない。でも、なんででしょうか?」 「二人のうちどちらかが僕の指示を理解できなかったからでしょう。おそらくですが、彰久君の方が理解できていない可能性が高いですね。彰久君が理解できていないから、今までと同じようなリードをしてしまう。だから、伸哉君がそれにイライラしながら首を振ったり、マウンドを慣らしたりしているのでしょうね」  涼紀はえっ、と思わず声を出してしまった。それもそのはずだ。キャッチャーというポジションは高度な戦術理解能力や状況把握能力などを求められる。  それは涼紀も知っていることだ。涼紀からすればそういうポジションの選手が監督の指示を理解できないということは信じ難いことだった。 「うーん、とりあえず、この試合終わったら彰久君には野球の勉強をしてもらわないといけませんねえ」  薗部はまさにお手上げというような表情をしている。ここにきて課題が一つ露見する形になった。  その後は何とか後続を打ち取り七回を終えたが、このイニングだけで三十球以上投げさせられてしまった。  七回の裏。久良目商業はピッチャーを木場から新崎に、キャッチャーを古賀から西浦に変えた。  マウンドに上がった新崎はサイドスローのフォームからスライダー、カーブ、そして決め球であるシンカーを小気味よくコーナーに投げ分け、三者連続三球三振に斬って取った。 「あれが本来のピッチングですか。なるほど、凄くピッチャーですね」  薗部は思わず拍手をしながら感嘆の声を上げた。新崎は本来であれば一軍の投手であるが、怪我明けということで、こちらの試合で投げているのだ。 「これが本物のピッチャーなのか。俺、感動したわ」  涼紀に至っては半泣き状態だった。 「涼紀君。そんなに感動しなくても」  同じピッチャーである伸哉は、涼紀の反応に複雑そうな感情を浮かべていた。 「あの球、打てますか? というよりなんか策はないっすか? いくらなんでも俺打てる自信ないっすよ」  彰久は不安そうに薗部に聞いていた。 「心配することはない。地球最高のジーニアスである僕ならば軽くヒットに」 「監督、何かないですか?」  ドヤ顔で幸長は答えたが、彰久はいつものように無視をする。 「うーん。これが三回とか早いイニングだったら色々できたかもしれないけど、この回からだから策を練るのは流石に厳しいかな。というより、僕も新崎君が投げるとは思っていませんでしたし」  薗部は苦笑いしながら彰久の問いに返答した。 「あと、彰久君は明日から野球について勉強してもらいますので」 「えー?!」 「当たり前です。今のままじゃ伝令が意味を成しませんし、甲子園なんて絶対に無理です。甲子園に行きたいんでしょ? だったら勉強しないといけませんよね」  その時の薗部は穏やかな表情をしていたが、纏っている雰囲気は青黒く効果音が聞こえてきそうな程恐ろしいものだった。 「は、はい」  彰久は声を震わせながら答えた。 「さあ、そろそろ守備に行きますよ!」 「はい!!」  明林ナインは定位置に向かって駆け出した。



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「ストライクスリー!」 「よし!」  薗部は小さくガッツポーズをし、ようやく一安心した。いきなり二者連続でヒットを打たれ、されに次の打者には九球粘られながらも、なんとかアウトを一つ取れたのは嬉しかったようだ。 「ふぅー。なんとか一つ取ってくれましたか。これで落ち着いてくれれば嬉しいのですが……」 「ボール」  バッターはカーブをあっさりと見逃し、カウントはツーボールノーストライクと打者有利のカウント。依然として不味い状況は続いている。 「さすがは久良目商業。この回にもなれば、いくら伸哉君のボールとはいえ簡単に見送ってくる」  続く三球目の高めに浮いたカーブを簡単に見逃しストライク。あまりにもおかしな様子に、薗部は少し不信感を抱いた。そして四球目の甘いコースへのツーシームもあっさり見逃しツーボールツーストライク。薗部の不信感はますます大きくなった。  今まであれば甘い球は確実に振って来たはずである。三球目は失投に驚いて見逃したとかで説明できる今のはどうやっても説明できない。現に、前のイニングまでは普通に空振りを奪えていたが、この回からは全く空振りを取れない。薗部は嫌な予感がした。 「涼紀君。スコアを見せて」  涼紀のつけていたスコアブックを見てみると、薗部の予感は的中していた。 「やっぱりだ。この回ヒットを打たれたのはストレート系の球種だ。妙にノーステップで打ってきたり、後ろで打ってきたりしていたけど、それはツーシーム攻略のためだったのか。そして、変化球とツーストライク以前のボールは全く振っていない。間違いなく二人はこれに気づいていない。これはまずいぞ!」  久良目商業はこの回から待球たいきゅう作戦と、ツーシーム攻略を同時に決行していたのである。  ツーシームは手元で微妙に変化する分芯を外され打ち取られやすい。だが、変化量はそれほど多くない。そういった球種は、引き付けてコンパクトにスイングした方が打ちやすい。  なので、久良目商業の各打者はコンパクトに打つためにノーステップを、引き付けて打つためにミートポイントを後ろにずらしていたのだ。  伸哉のツーシームは平均以上に変化するとは言え、カーブやシンキングファストと比べれば変化量は落ちるため、やはり普通の攻略法が当てはまってしまうのだ。  そしてもう一つ厄介なのが、ツーストライクまで一切スイングをしてこない上に、変化球を完全に捨てていることだ。  これによって二球は確実に消費させられる。さらに、久良目商業の作戦に伸哉と彰久は気づいていないため、無駄なボール球やストライクからボールになる変化球を投げてしまい、余計な球数を投げさせられているのだ 「とにかくこのことを伝えなければ。伝令を使おう!」  薗部は守備のタイムを取り、涼紀に指示を伝え伝令に行かせた。  伝令が終わり内野陣は各々の守備位置に戻る。涼紀もベンチに帰ってきた。 「監督、指示は相手が待球作戦を敷いてきているから早いカウントで勝負しろ、ってことでよかったんですよね?」 「ええ。それから変化球は捨てているから変化球はゾーンにどんどんなげろ、というのも伝えましたか?」 「はい。あと守備はその調子で行け、もですよね」  それを聞いて薗部はホッと一息ついた。野球初心者の涼紀がちゃんと理解しているのか不安だったが、正確に理解していたようだ。 「これでこの回は乗り切れそうですね、監督!」  そうですね、と薗部は返したが胸の奥には不安の塊のような何かが渦巻いていた。  カーブが外角低めに外れる。これでスリーボールワンストライクと、完全にバッター有利なカウントになる。  この状況に涼紀は、指示を的確に伝えられていたのかどうか不安に感じているようだった。一方で薗部はある事に気がついてしまい、頭を抱え込んでいた。 「か、監督。俺もしかしたら間違えたかもしれません。もしそうだったら……」 「いえ、涼紀君は伝えられています。その証拠に伸哉君と彰久君のサインの交換を見てみてください」  涼紀はバッテリーのやり取りをじっと見る。すると、伸哉がサインの交換の際に、不機嫌な顔をして何度も首を横に振ったり、プレートを外してマウンドを慣らす仕草をしたりしていることだ。 「ということは、サインが合ってない。でも、なんででしょうか?」 「二人のうちどちらかが僕の指示を理解できなかったからでしょう。おそらくですが、彰久君の方が理解できていない可能性が高いですね。彰久君が理解できていないから、今までと同じようなリードをしてしまう。だから、伸哉君がそれにイライラしながら首を振ったり、マウンドを慣らしたりしているのでしょうね」  涼紀はえっ、と思わず声を出してしまった。それもそのはずだ。キャッチャーというポジションは高度な戦術理解能力や状況把握能力などを求められる。  それは涼紀も知っていることだ。涼紀からすればそういうポジションの選手が監督の指示を理解できないということは信じ難いことだった。 「うーん、とりあえず、この試合終わったら彰久君には野球の勉強をしてもらわないといけませんねえ」  薗部はまさにお手上げというような表情をしている。ここにきて課題が一つ露見する形になった。  その後は何とか後続を打ち取り七回を終えたが、このイニングだけで三十球以上投げさせられてしまった。  七回の裏。久良目商業はピッチャーを木場から新崎に、キャッチャーを古賀から西浦に変えた。  マウンドに上がった新崎はサイドスローのフォームからスライダー、カーブ、そして決め球であるシンカーを小気味よくコーナーに投げ分け、三者連続三球三振に斬って取った。 「あれが本来のピッチングですか。なるほど、凄くピッチャーですね」  薗部は思わず拍手をしながら感嘆の声を上げた。新崎は本来であれば一軍の投手であるが、怪我明けということで、こちらの試合で投げているのだ。 「これが本物のピッチャーなのか。俺、感動したわ」  涼紀に至っては半泣き状態だった。 「涼紀君。そんなに感動しなくても」  同じピッチャーである伸哉は、涼紀の反応に複雑そうな感情を浮かべていた。 「あの球、打てますか? というよりなんか策はないっすか? いくらなんでも俺打てる自信ないっすよ」  彰久は不安そうに薗部に聞いていた。 「心配することはない。地球最高のジーニアスである僕ならば軽くヒットに」 「監督、何かないですか?」  ドヤ顔で幸長は答えたが、彰久はいつものように無視をする。 「うーん。これが三回とか早いイニングだったら色々できたかもしれないけど、この回からだから策を練るのは流石に厳しいかな。というより、僕も新崎君が投げるとは思っていませんでしたし」  薗部は苦笑いしながら彰久の問いに返答した。 「あと、彰久君は明日から野球について勉強してもらいますので」 「えー?!」 「当たり前です。今のままじゃ伝令が意味を成しませんし、甲子園なんて絶対に無理です。甲子園に行きたいんでしょ? だったら勉強しないといけませんよね」  その時の薗部は穏やかな表情をしていたが、纏っている雰囲気は青黒く効果音が聞こえてきそうな程恐ろしいものだった。 「は、はい」  彰久は声を震わせながら答えた。 「さあ、そろそろ守備に行きますよ!」 「はい!!」  明林ナインは定位置に向かって駆け出した。



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