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古賀は焦っていた。一番厄介な幸長の打席であるからだ。前の打席はなんとか打ち取れたものの、ここまでどの球種にもタイミングが合っている。つまり投げられる球がないのである。  古賀がどう料理すべきかを考えていた時だった。 「流石は名門校の選手です。やはりリスペクトしなければいけないみたいですね」  打席に入るなり、幸長はわざと古賀に聞こえるように言った。 「そいつはどうも。で、なんでそんなこと言うんだよ」 「さっきのラストボール。今日の球審の基準ならボール球だった」 「そんなわけねえだろう。審判がストライクってコール――」 「とぼけないでください。僕は分かってますよ。あのストライクはあなたの卓越したフレーミングが生んだストライクだって。違いますか」  古賀はばれちまったか、と小さく吐き捨てた。  幸長は知っていたのだ。古賀が一流のフレーミングの技術を持っていることを。  フレーミングとはポジショニングとキャッチングで際どいコースのボールを審判にストライクとコールさせる技術である。  一見すると、大したことのない技術に見えるがそれは違う。際どいボールは試合中に何球も、どんな場面にも存在する。  それがもしすべてストライクになるとすればそれはかなり大きな意味を持ってくるのだ。  実際に古賀はその優れたフレーミングで重要な局面でいくつものストライクを奪っている。 「初めて見ましたよ。こんなにフレーミングの上手い選手は。木場君のストレートも素晴らしい。だからこそそれを打ち砕いてみせましょう。この“最高の天才”の名に懸けて」  幸長はバットをセンター方向に向けた。 「さあ木場君。僕が君のそのストレートをセンター前ヒットにしてみせよう。カモンッ!」  ここぞとばかりに幸長は木場を挑発した。一方の木場はその挑発を受けてニヤッと不気味に笑っていた。 「大地! こんな安い挑発気にすんなよ!」  古賀は怒鳴りつけるように、キャッチャースボックスから声を掛けた。  それでも大地はニヤついたままだ。古賀は座って初球外角カーブのサインを送る。だが、大地は首を振ってそれを拒否する。それに合わせてスライダー、チェンジアップとサインを変えるがそのすべてに首を振った。  あの野郎。普段は大人しいくせしやがって。古賀は内心キレそうになりながら、仕方がないのでストレートのサインを出した。  大地は待っていましたと言わんばかりに頷く。サイン交換が終わり、大地が投じた第一球。もちろんアウトコースへのストレートだ。ボールはエグい唸りをあげる。  今日一の球、しかもコースも完璧。これなら打ち返せまい。  古賀がストライクを確信したとき、白球を幸長のバットが弾き返した。打球は金属音を響かせながら、ライナー性の軌道を描いてセンター前に落ちた。  まさに予告通りの鮮やかなセンター前返しだった。  幸長は塁上で右手を高くつき上げていた。それとは対照的に打たれた大地は呆然とセンター方向を見つめていた。 「大地。気にすんな。次打ち取れば問題ない」  マウンドで一人呆然と立ち尽くす大地に、古賀が駆け寄ってきた。 「初めてだ。ヒットの予告なんかをされるのも。それをやらせたのも。こんな屈辱も」 「た、大地……」  大地は目を大きく見開き、聞き取れない声で何かぶつくさと呟きだす。言い終わると今度は突然、気が狂ったかのように笑い出した。 「ははははははははははははっ!」 「お、おーい。大地、さん?」  大地から溢れ出る威圧感のような何かに古賀はただただ気圧される。 「先輩。この回はここからは全部ど真ん中にストレートしか投げませんのでリードはいらないです」 「は、はい」  古賀はまるで後輩のようにペコペコ頭を下げながら、大地の言うことを聞くしかなかった。  この怒りに包まれた状態こそが、マウンド上での大地の真の姿なのだ。  この状態になった大地を見たことがある伸哉と西浦は冷や汗を掻いている。それ以外はこの豹変っぷりに驚きを隠せ無いようだった。 「さあ、来いよ伸哉。俺はお前を全力でたたきつぶす!」  古賀がミットを真ん中に構える。  大地は体を極限にまで捻じり一球目を投じると、今までに聴いたことのないような、えげつない音がグラウンドを静寂に包ませた。  そのくらいボールが場を圧倒していた。 「す、ストライク!」  審判すらも、そのボールの迫力に圧倒されていた。  これは不味い、と冷や汗を掻きながら伸哉はバッターボックスに立っていた。  だが伸哉はバットを動かすことすらも許されず、あっと言う間に追い込まれる。 「ふふふ。動かすことも出来ないか。そうか」  二塁に幸長がいることもお構い無しに、ゆっくりとさらに大きく腰を捻る。 「だったらそのまま、散れ」  ズドォォォオオオオオオオオオン!!  爆弾が爆発したような音とともに、ミットから煙が舞い上がる。伸哉はバットを構えたままキャッチャーミットを見るしかなかった。 「ストラックアウトぉ!」  三球ともバットを出すことすら敵わずに、伸哉はただ三振を喫するのみだった。  続く二蔵も、そして彰久までもが一度もバットを振ることなく見逃し三振に倒れ、この回もスコアボードに零が刻まれた。



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古賀は焦っていた。一番厄介な幸長の打席であるからだ。前の打席はなんとか打ち取れたものの、ここまでどの球種にもタイミングが合っている。つまり投げられる球がないのである。  古賀がどう料理すべきかを考えていた時だった。 「流石は名門校の選手です。やはりリスペクトしなければいけないみたいですね」  打席に入るなり、幸長はわざと古賀に聞こえるように言った。 「そいつはどうも。で、なんでそんなこと言うんだよ」 「さっきのラストボール。今日の球審の基準ならボール球だった」 「そんなわけねえだろう。審判がストライクってコール――」 「とぼけないでください。僕は分かってますよ。あのストライクはあなたの卓越したフレーミングが生んだストライクだって。違いますか」  古賀はばれちまったか、と小さく吐き捨てた。  幸長は知っていたのだ。古賀が一流のフレーミングの技術を持っていることを。  フレーミングとはポジショニングとキャッチングで際どいコースのボールを審判にストライクとコールさせる技術である。  一見すると、大したことのない技術に見えるがそれは違う。際どいボールは試合中に何球も、どんな場面にも存在する。  それがもしすべてストライクになるとすればそれはかなり大きな意味を持ってくるのだ。  実際に古賀はその優れたフレーミングで重要な局面でいくつものストライクを奪っている。 「初めて見ましたよ。こんなにフレーミングの上手い選手は。木場君のストレートも素晴らしい。だからこそそれを打ち砕いてみせましょう。この“最高の天才”の名に懸けて」  幸長はバットをセンター方向に向けた。 「さあ木場君。僕が君のそのストレートをセンター前ヒットにしてみせよう。カモンッ!」  ここぞとばかりに幸長は木場を挑発した。一方の木場はその挑発を受けてニヤッと不気味に笑っていた。 「大地! こんな安い挑発気にすんなよ!」  古賀は怒鳴りつけるように、キャッチャースボックスから声を掛けた。  それでも大地はニヤついたままだ。古賀は座って初球外角カーブのサインを送る。だが、大地は首を振ってそれを拒否する。それに合わせてスライダー、チェンジアップとサインを変えるがそのすべてに首を振った。  あの野郎。普段は大人しいくせしやがって。古賀は内心キレそうになりながら、仕方がないのでストレートのサインを出した。  大地は待っていましたと言わんばかりに頷く。サイン交換が終わり、大地が投じた第一球。もちろんアウトコースへのストレートだ。ボールはエグい唸りをあげる。  今日一の球、しかもコースも完璧。これなら打ち返せまい。  古賀がストライクを確信したとき、白球を幸長のバットが弾き返した。打球は金属音を響かせながら、ライナー性の軌道を描いてセンター前に落ちた。  まさに予告通りの鮮やかなセンター前返しだった。  幸長は塁上で右手を高くつき上げていた。それとは対照的に打たれた大地は呆然とセンター方向を見つめていた。 「大地。気にすんな。次打ち取れば問題ない」  マウンドで一人呆然と立ち尽くす大地に、古賀が駆け寄ってきた。 「初めてだ。ヒットの予告なんかをされるのも。それをやらせたのも。こんな屈辱も」 「た、大地……」  大地は目を大きく見開き、聞き取れない声で何かぶつくさと呟きだす。言い終わると今度は突然、気が狂ったかのように笑い出した。 「ははははははははははははっ!」 「お、おーい。大地、さん?」  大地から溢れ出る威圧感のような何かに古賀はただただ気圧される。 「先輩。この回はここからは全部ど真ん中にストレートしか投げませんのでリードはいらないです」 「は、はい」  古賀はまるで後輩のようにペコペコ頭を下げながら、大地の言うことを聞くしかなかった。  この怒りに包まれた状態こそが、マウンド上での大地の真の姿なのだ。  この状態になった大地を見たことがある伸哉と西浦は冷や汗を掻いている。それ以外はこの豹変っぷりに驚きを隠せ無いようだった。 「さあ、来いよ伸哉。俺はお前を全力でたたきつぶす!」  古賀がミットを真ん中に構える。  大地は体を極限にまで捻じり一球目を投じると、今までに聴いたことのないような、えげつない音がグラウンドを静寂に包ませた。  そのくらいボールが場を圧倒していた。 「す、ストライク!」  審判すらも、そのボールの迫力に圧倒されていた。  これは不味い、と冷や汗を掻きながら伸哉はバッターボックスに立っていた。  だが伸哉はバットを動かすことすらも許されず、あっと言う間に追い込まれる。 「ふふふ。動かすことも出来ないか。そうか」  二塁に幸長がいることもお構い無しに、ゆっくりとさらに大きく腰を捻る。 「だったらそのまま、散れ」  ズドォォォオオオオオオオオオン!!  爆弾が爆発したような音とともに、ミットから煙が舞い上がる。伸哉はバットを構えたままキャッチャーミットを見るしかなかった。 「ストラックアウトぉ!」  三球ともバットを出すことすら敵わずに、伸哉はただ三振を喫するのみだった。  続く二蔵も、そして彰久までもが一度もバットを振ることなく見逃し三振に倒れ、この回もスコアボードに零が刻まれた。



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