表示設定
表示設定
目次 目次




天才投手の実力

4/75





高校入学後、初めて迎えた土曜日の朝だった。  何時もより早く起きた伸哉は、予定を少し早めて休日の習慣である十キロ走をすることにした。  お気に入りのトレーニングウェアに着替え、ゆっくりと靴を履いていると、ピンポーン、とベルが鳴った。 「はーい」  玄関を開けると、そこには隣近所に住む坂木さかきが立っていた。 「…………というわけなんだよ」  坂木の話をによると、草野球の試合をする予定が、自分のチームの投手が来れなくったというものだった。 「それで、中学で野球をやっていた僕に、助っ人としてきてくれ、と」 「うん。そういうこと。うちのチームの連中はこの日を楽しみにしているんだ。本当は伸哉くんのお父さんに頼もうと思ったけど、今御多忙なんでしょ? だからお願い!! 来てくれない? 打たれても文句は言わんから!!」  顔をグッと伸哉に近づけ、熱く苦しく迫ってきた。 「はぁー……」  伸哉は少しため息をついた。本当ならば、これからランニングに行き、それから趣味の時間に充てたかったからだ。  はっきり言うと坂木との接点は、朝に挨拶をするといった程度。つまり、そこまで深い繋がりはない。  当然参加する義理もないので、断ることも出来た。  けれど、これを引き受ければまたマウンドで、それも試合中のマウンドを味わえる。あの感覚をもう一度味わえる。  そう思うと伸哉は、居ても立っても居られなくなった。 「分かりました! 参加しましょう」  少し笑みを浮かべながら、伸哉は返事をした。 「ありがとう伸哉くん!! これで野球ができる」  一方の坂木はまるでおもちゃを貰った子供のようはしゃいでいた。  その試合で伸哉は、目の覚めるような快投を見せつけた。  相手は県でもかなりの強豪として知られている草野球チームとのことだった。当然強い相手だ。  だが、伸哉はその相手に対し、初回からヒットを許すどころか、一塁を一度も踏ませることすらなく、最終回の7回を迎えた。 「あと三人。落ち着いていこーねー!」 「了解でーす。守備頼みましたよ」  伸哉は三塁を守っている坂木に返事を返した。 「さてと、この回もしっかり締めていこうか」  身体を揺するように軽くジャンプする。昂る気持ちを鎮めるために。  そして軽く息を吐くと、キャッチャーミットが近くに見える程、視界がクリアになった。今日はとても調子がいいらしい。  この回に入っても球威、コントロールとも衰えるどころか、むしろピッチングに凄みを増していった。  ポンポンとリズム良く投げて簡単にアウトカウントを重ねていき、ツーアウト、ツーストライクまで追い込んだ。 「伸哉くん! あと一人だよ!!」 「頼むから塁に出てくれ!! 俺は嫌だぞ! 高1相手に、しかもパーフェクトなんて!!」  完全試合――相手チームのランナーを一人も出さずに勝利すること――という偉業達成が目の前に近づき、味方ベンチからは歓喜の声援が飛ぶ。  一方、相手ベンチからは阻止を願う声援が大きくなってくる。  球場中がお互いの大声で騒がしくなってきた。 「気持ちいいね。やっぱり野球をやるにはこうでないとね‼︎」  伸哉が大きく振りかぶり投じた3球目。  ミットへの綺麗な真っ直ぐの軌道が描かれる。  打者のバットはピクリともせず、ボールはそのままミットへと寸分の狂いなく吸い込まれ、力強い音が響く。 「っトライーーック! バッターアウト! ゲームセット!!」  高らかな審判のストライクコールがグラウンドに鳴り響く。  伸哉は最後の打者を見逃しの三振に斬って取り、見事完全試合を達成した。 「凄いよ伸哉くん!! 草野球とはいえ、完全試合を達成するなんて!!」 「流石はあの隆也さんの息子だな!!」  達成した瞬間に味方全員がマウンド上へ飛び出し、伸哉はもみくちゃにされる。  楽しい。これを感じたかったんだ。伸哉が満足感に浸っているその時だった。 「完全試合おめでとう。ところで兄ちゃん高校生だったっけ?」  精悍な顔つきをした白髪交じりの相手チームの監督が、拍手をしながら話しかけてきた。 「はい。一年生です」 「一年か?! ほお……。そいで、高校はどこ?」 「明林高校です」  そう答えた途端、相手チームの監督は頬を緩ませて、にっこりと笑みを浮かべた。 「ハッハッハ! 明林か!! こんな子が入ってくれたんなら、明林初の甲子園も夢じゃなわい!!」  相手チームの監督は高笑いしながら、まるで自分のことのように喜んでいた。 「いや。まだ入るかどうか、分かりませんけど…」 「そんな、入らないなんて実にもったいない! 君は入るべきじゃ。ワシは二宮にみやと言ってな、明林野球部が三回戦まで行ったときのメンバーなんじゃ」  二宮は寂しそうにそう言った。 「ワシらの実績を超えてくれる時を待ってたんじゃが、中々出てこなくてのう。けんど、君のようなピッチャーがいれば甲子園まで夢見れそうや」  二宮はしゃがれた声で言いながら馴れ馴れしくポンポン、と伸哉の肩を軽く叩いた。  二宮の顔は本当に嬉しそうだった。伸哉にとってもこの好意は嬉しく、少しだけ入部のほうに気持ちが傾きかけた。  けれど、自分が決めたことをあっさり曲げるわけにもいかなかった。  何しろ、またあの環境に身を置くことを想像すると、入ろうなんてとてもではないが思えなかった。 「うーん、まあ考えておきます」  語尾を濁してこの状況を回避しようとしたその時、 「そんな球放れるのに野球部入らないなんてもったいねーよ。お前はうちに来い」 割り込むように遠くから見知らぬ男の声がした。 「えっと、あなたは?」  伸哉の中には薄っすら思い浮かんではいたが、誰なのかというところまではハッキリと浮かんで来なかった。 「そうだったなあ。四年近く会ってないんだから、顔を思い出せないよな。えっと、俺だよ、彰久だよ。あ・き・ひ・さ」 「あ……?!」  伸哉は思い出した。 「彰久先輩! どうしてここに?! 長崎にいるんじゃ」  伸哉の知っている限り、彰久の能力ならば今頃は全国区で有名名門校か、少なくとも長崎県内の強豪校に行っていると思っていた。  そのため、なぜここに居るのかということは、全く想像出来なかった。 「高校に入る頃にこっちに戻って来たんだ。まあ色々あったんだ」  少しだけ俯き加減に彰久は言った。 「まあ、それは置いておくとしてだ。少しだけ試合で投げてるのを見れた。それで断言する。俺は今からでもうちの、明林のエースに成れる!なんせ、うちは今絶賛投手募集中だからな!」  そんな事に伸哉は興味があるわけが無い。このまま適当に誤魔化して帰ろうとした。だが、 「実は中二の冬、伸哉に何があったのか俺は知っている」  彰久は、いかにも意表をついてやったと言わんばかりに、得意げな表情をしていた。  逆に伸哉は、このまま帰るわけにはいかなくなった。  中学二年の冬の事は親にも他人には言わないで欲しいと言う程、秘密にしたい事だった。だが、彰久がなぜ知っているのか分からなかった。 「なんで、知ってるの?」 「伸哉のシニア時代のとある友人に聞いたんだよ。伸哉を野球部に戻すためって言ったら、色々教えてくれてな。最後に『今、伸哉に会えるのなら会って全力で謝りたい。そして、絶対に伸哉を野球の世界に引き戻してくれ』って言ってたぜ」  話したのは間違いなく、自分を退部に追い込んだ元チームメイトであり、ライバルだった彼だろうなと伸哉は思った。 「そういう事だ。伸哉が野球をやるのを心待ちにした人間もいるんだ」 「……」 「どうだ、そいつの為にも野球をもう一度やらないか? って言っても乗らないのは知ってる。ならば、こういう賭けはどうだ? 俺が勝ったら伸哉はうちに入る。負けたら、諦める。それでいいだろう?」  彰久の提案に一瞬迷ったが、まだまだ投げたりなかったところでもあり、なによりも勝負に勝てば、二度と勧誘が来ないという好条件に伸哉は惹かれた。 「いいですよ。それなら平等なので。それに彰久先輩の今の実力も見ておきたいし」  伸哉は勝負を受けることにした。 「それじゃ、勝負だ」  こうして伸哉と彰久の勝負は始まった。



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!


表示設定 表示設定
ツール 目次
ツール ツール
前のエピソード 現状と救世主?

天才投手の実力

4/75

高校入学後、初めて迎えた土曜日の朝だった。  何時もより早く起きた伸哉は、予定を少し早めて休日の習慣である十キロ走をすることにした。  お気に入りのトレーニングウェアに着替え、ゆっくりと靴を履いていると、ピンポーン、とベルが鳴った。 「はーい」  玄関を開けると、そこには隣近所に住む坂木さかきが立っていた。 「…………というわけなんだよ」  坂木の話をによると、草野球の試合をする予定が、自分のチームの投手が来れなくったというものだった。 「それで、中学で野球をやっていた僕に、助っ人としてきてくれ、と」 「うん。そういうこと。うちのチームの連中はこの日を楽しみにしているんだ。本当は伸哉くんのお父さんに頼もうと思ったけど、今御多忙なんでしょ? だからお願い!! 来てくれない? 打たれても文句は言わんから!!」  顔をグッと伸哉に近づけ、熱く苦しく迫ってきた。 「はぁー……」  伸哉は少しため息をついた。本当ならば、これからランニングに行き、それから趣味の時間に充てたかったからだ。  はっきり言うと坂木との接点は、朝に挨拶をするといった程度。つまり、そこまで深い繋がりはない。  当然参加する義理もないので、断ることも出来た。  けれど、これを引き受ければまたマウンドで、それも試合中のマウンドを味わえる。あの感覚をもう一度味わえる。  そう思うと伸哉は、居ても立っても居られなくなった。 「分かりました! 参加しましょう」  少し笑みを浮かべながら、伸哉は返事をした。 「ありがとう伸哉くん!! これで野球ができる」  一方の坂木はまるでおもちゃを貰った子供のようはしゃいでいた。  その試合で伸哉は、目の覚めるような快投を見せつけた。  相手は県でもかなりの強豪として知られている草野球チームとのことだった。当然強い相手だ。  だが、伸哉はその相手に対し、初回からヒットを許すどころか、一塁を一度も踏ませることすらなく、最終回の7回を迎えた。 「あと三人。落ち着いていこーねー!」 「了解でーす。守備頼みましたよ」  伸哉は三塁を守っている坂木に返事を返した。 「さてと、この回もしっかり締めていこうか」  身体を揺するように軽くジャンプする。昂る気持ちを鎮めるために。  そして軽く息を吐くと、キャッチャーミットが近くに見える程、視界がクリアになった。今日はとても調子がいいらしい。  この回に入っても球威、コントロールとも衰えるどころか、むしろピッチングに凄みを増していった。  ポンポンとリズム良く投げて簡単にアウトカウントを重ねていき、ツーアウト、ツーストライクまで追い込んだ。 「伸哉くん! あと一人だよ!!」 「頼むから塁に出てくれ!! 俺は嫌だぞ! 高1相手に、しかもパーフェクトなんて!!」  完全試合――相手チームのランナーを一人も出さずに勝利すること――という偉業達成が目の前に近づき、味方ベンチからは歓喜の声援が飛ぶ。  一方、相手ベンチからは阻止を願う声援が大きくなってくる。  球場中がお互いの大声で騒がしくなってきた。 「気持ちいいね。やっぱり野球をやるにはこうでないとね‼︎」  伸哉が大きく振りかぶり投じた3球目。  ミットへの綺麗な真っ直ぐの軌道が描かれる。  打者のバットはピクリともせず、ボールはそのままミットへと寸分の狂いなく吸い込まれ、力強い音が響く。 「っトライーーック! バッターアウト! ゲームセット!!」  高らかな審判のストライクコールがグラウンドに鳴り響く。  伸哉は最後の打者を見逃しの三振に斬って取り、見事完全試合を達成した。 「凄いよ伸哉くん!! 草野球とはいえ、完全試合を達成するなんて!!」 「流石はあの隆也さんの息子だな!!」  達成した瞬間に味方全員がマウンド上へ飛び出し、伸哉はもみくちゃにされる。  楽しい。これを感じたかったんだ。伸哉が満足感に浸っているその時だった。 「完全試合おめでとう。ところで兄ちゃん高校生だったっけ?」  精悍な顔つきをした白髪交じりの相手チームの監督が、拍手をしながら話しかけてきた。 「はい。一年生です」 「一年か?! ほお……。そいで、高校はどこ?」 「明林高校です」  そう答えた途端、相手チームの監督は頬を緩ませて、にっこりと笑みを浮かべた。 「ハッハッハ! 明林か!! こんな子が入ってくれたんなら、明林初の甲子園も夢じゃなわい!!」  相手チームの監督は高笑いしながら、まるで自分のことのように喜んでいた。 「いや。まだ入るかどうか、分かりませんけど…」 「そんな、入らないなんて実にもったいない! 君は入るべきじゃ。ワシは二宮にみやと言ってな、明林野球部が三回戦まで行ったときのメンバーなんじゃ」  二宮は寂しそうにそう言った。 「ワシらの実績を超えてくれる時を待ってたんじゃが、中々出てこなくてのう。けんど、君のようなピッチャーがいれば甲子園まで夢見れそうや」  二宮はしゃがれた声で言いながら馴れ馴れしくポンポン、と伸哉の肩を軽く叩いた。  二宮の顔は本当に嬉しそうだった。伸哉にとってもこの好意は嬉しく、少しだけ入部のほうに気持ちが傾きかけた。  けれど、自分が決めたことをあっさり曲げるわけにもいかなかった。  何しろ、またあの環境に身を置くことを想像すると、入ろうなんてとてもではないが思えなかった。 「うーん、まあ考えておきます」  語尾を濁してこの状況を回避しようとしたその時、 「そんな球放れるのに野球部入らないなんてもったいねーよ。お前はうちに来い」 割り込むように遠くから見知らぬ男の声がした。 「えっと、あなたは?」  伸哉の中には薄っすら思い浮かんではいたが、誰なのかというところまではハッキリと浮かんで来なかった。 「そうだったなあ。四年近く会ってないんだから、顔を思い出せないよな。えっと、俺だよ、彰久だよ。あ・き・ひ・さ」 「あ……?!」  伸哉は思い出した。 「彰久先輩! どうしてここに?! 長崎にいるんじゃ」  伸哉の知っている限り、彰久の能力ならば今頃は全国区で有名名門校か、少なくとも長崎県内の強豪校に行っていると思っていた。  そのため、なぜここに居るのかということは、全く想像出来なかった。 「高校に入る頃にこっちに戻って来たんだ。まあ色々あったんだ」  少しだけ俯き加減に彰久は言った。 「まあ、それは置いておくとしてだ。少しだけ試合で投げてるのを見れた。それで断言する。俺は今からでもうちの、明林のエースに成れる!なんせ、うちは今絶賛投手募集中だからな!」  そんな事に伸哉は興味があるわけが無い。このまま適当に誤魔化して帰ろうとした。だが、 「実は中二の冬、伸哉に何があったのか俺は知っている」  彰久は、いかにも意表をついてやったと言わんばかりに、得意げな表情をしていた。  逆に伸哉は、このまま帰るわけにはいかなくなった。  中学二年の冬の事は親にも他人には言わないで欲しいと言う程、秘密にしたい事だった。だが、彰久がなぜ知っているのか分からなかった。 「なんで、知ってるの?」 「伸哉のシニア時代のとある友人に聞いたんだよ。伸哉を野球部に戻すためって言ったら、色々教えてくれてな。最後に『今、伸哉に会えるのなら会って全力で謝りたい。そして、絶対に伸哉を野球の世界に引き戻してくれ』って言ってたぜ」  話したのは間違いなく、自分を退部に追い込んだ元チームメイトであり、ライバルだった彼だろうなと伸哉は思った。 「そういう事だ。伸哉が野球をやるのを心待ちにした人間もいるんだ」 「……」 「どうだ、そいつの為にも野球をもう一度やらないか? って言っても乗らないのは知ってる。ならば、こういう賭けはどうだ? 俺が勝ったら伸哉はうちに入る。負けたら、諦める。それでいいだろう?」  彰久の提案に一瞬迷ったが、まだまだ投げたりなかったところでもあり、なによりも勝負に勝てば、二度と勧誘が来ないという好条件に伸哉は惹かれた。 「いいですよ。それなら平等なので。それに彰久先輩の今の実力も見ておきたいし」  伸哉は勝負を受けることにした。 「それじゃ、勝負だ」  こうして伸哉と彰久の勝負は始まった。



write-comment-iconコメントを書く
write-comment-iconレビューを書く



comment-icon新着コメント



コメントはありません。投稿してみようっ!