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第4章〜What Mad Metaverse(発狂した多元宇宙)〜⑨

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 走馬灯――――――という言葉を聞いたことがある。  人が死ぬ間際などに、これまでの人生の記憶がよみがえることを言い表した、比喩表現に使われる言葉だ。 死を覚悟するほどの危機に瀕した状況や、感情が揺さぶられるような極限状態になると、脳裏に深く印象に残った過去の記憶が次々と映写されているように、よみがえることがある。そんな風にいわれているが……。  臨死体験の経験談や、フィクションの世界では良く目にする表現だが、後頭部から首周りの位置をシュヴァルツの拳で殴打されたオレの脳内では、まさにそんな情景が広がった。  いや、正確に言えば、それは、の記憶ではない。  サムネイルのような画面に映り込んでいる人々は、たしかにオレが良く知る、家族・友人・知人……そして、オレが小学生の頃から想い焦がれていた相手ではあるが……。    目を凝らして、彼らの特徴を観察すると、オレの記憶にある彼らの髪型や髪の色をはじめ、その容姿には、自分の記憶とは、やや異なることがわかった。  それらの中には、鏡に写ったオレ自身の姿もあり、その姿を確認して、ようやく理解できた。  これは、シュヴァルツをはじめとした、並行世界のオレの人生の記憶だ――――――。  サムネイルのように映し出されたいくつもの早回し映像が、身体の正面から後方に高速で流れていくのを見ながら、思わず、映像のひとつに手を伸ばす。  すると、まるでノベルゲームのイベント回想モードのように、その記憶の場面が映像として再生されはじめた。  =========PLAY=========  タブレットのようなモニターには、ピアノを前にして、弾き語りを行う少女が映っている。  その横顔を確認するまでもなく、美しい歌声の少女が、オレの良く知る幼なじみの少女であることがわかる。  いや、中学生のように見える、その少女は、オレの幼なじみの白井三葉しろいみつばではない。  オレの記憶では、いま彼女が歌っているのは、高校生になってから動画を投稿して話題を集めた楽曲だ。  自分の知る限り、中学生の頃の三葉みつばは、まだ、この曲を作詞・作曲していないハズだ。  そんなことを考えていると、モニター内の映像が切り替わる瞬間に、ディスプレイに反射し、画面を見つめる男子の姿がチラリと一瞬だけ映り込んだ。  髪の毛の色から判断して、それは、シュヴァルツの姿ではないかと予想する(もちろん、彼以外にも並行世界には、オレと良く似た金髪姿の人物が存在する可能性は大いにあるが……)。  そして、動画のタイトルに『KleeBlatt』という文字を確認して、オレの直感は確信に変わる。  やはり、これは、先日、わざわざ、オレたちのセカイにあらわれ、接触を図ってきたクリーブラットが歌う姿のようだ。  あのときの彼女の言動にも、オレの幼なじみである三葉みつば以上に大人びた雰囲気を感じさせられたものだが……。  クリーブラットだけでなく、シュヴァルツやゲルブたちのセカイの住人は、オレたちのセカイよりも、高度な科学技術力を擁し、同年代でも遥かに高度な学習内容を習得していることは、以前にゲルブがかたっていたことからも間違いないだろう。  それだけに、彼女たちのセカイの住人は、芸術的分野においても、オレたちのセカイより、才能開花する時期が早い傾向にあるのかも知れない。  ただ、そんなクリーブラットの才能の早熟性以上に、オレの心を捉えたのは、ディスプレイに反射している、幼なじみが歌う姿を見つめるシュヴァルツの表情だ。  時おり、画面に映るその顔には、同級生の少女に憧れる感情と、自分との立ち位置の差に焦燥感を掻き立てられるような切なげな感情が滲み出ている。  もちろん、モニターに反照しているだけの表情から、そんな複雑な感情を読み取ってしまうのは、それが、オレ自身の三葉みつばに対する想いだということを自覚しているからだ。  ある程度は自分と他者との関係を客観的にみることが出来るようになった高校生ならいざ知らず、まだ、そうした客観視が難しかった中学生の年代で、これほどの才能を見せつけられれば、幼なじみの少女に対する複雑な感情をさらにこじらせてしまうのも無理はないだろう、とシュヴァルツに対して、シンパシーを感じざるを得ない。  やはり、オレと同じように、三葉みつば = クリーブラットに対して、 「自分には、こんなことができるんだ!」 という己の存在を誇示したいという想いが、彼が『ラディカル』という組織を率いて、セカイ統合という壮大な計画を遂行しようという意志の原動力になったのだろう。  そんなことを感じながらも、あらためて、クリーブラットが作詞・作曲をした楽曲をよくよく聞いてみると、端々はしばしに、幼い日に出会った男女の物語を歌った内容だということがわかる。 『カメラ・ボーイ』と題されたこの曲について、オレが居たセカイでは、三葉みつば がこっそりと、 「この歌は、アヴリル・ラヴィーンの『スケーター・ボーイ』っていう曲を参考にしてるんだ」 と、教えてくれたことがある。  彼女が、お手本にしたというその曲は、オレたちが生まれる前に発表された楽曲らしいが……。  クリーブラットやシュヴァルツたちの住むセカイにも、アヴリル・ラヴィーンに相当するアーティストが活躍していたんだろうか?  =========STOP=========  とりとめもなく、そんなことを考えていると、クリーブラットは自作曲の歌唱を終えて、映像の再生は終了していた。



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 走馬灯――――――という言葉を聞いたことがある。  人が死ぬ間際などに、これまでの人生の記憶がよみがえることを言い表した、比喩表現に使われる言葉だ。 死を覚悟するほどの危機に瀕した状況や、感情が揺さぶられるような極限状態になると、脳裏に深く印象に残った過去の記憶が次々と映写されているように、よみがえることがある。そんな風にいわれているが……。  臨死体験の経験談や、フィクションの世界では良く目にする表現だが、後頭部から首周りの位置をシュヴァルツの拳で殴打されたオレの脳内では、まさにそんな情景が広がった。  いや、正確に言えば、それは、の記憶ではない。  サムネイルのような画面に映り込んでいる人々は、たしかにオレが良く知る、家族・友人・知人……そして、オレが小学生の頃から想い焦がれていた相手ではあるが……。    目を凝らして、彼らの特徴を観察すると、オレの記憶にある彼らの髪型や髪の色をはじめ、その容姿には、自分の記憶とは、やや異なることがわかった。  それらの中には、鏡に写ったオレ自身の姿もあり、その姿を確認して、ようやく理解できた。  これは、シュヴァルツをはじめとした、並行世界のオレの人生の記憶だ――――――。  サムネイルのように映し出されたいくつもの早回し映像が、身体の正面から後方に高速で流れていくのを見ながら、思わず、映像のひとつに手を伸ばす。  すると、まるでノベルゲームのイベント回想モードのように、その記憶の場面が映像として再生されはじめた。  =========PLAY=========  タブレットのようなモニターには、ピアノを前にして、弾き語りを行う少女が映っている。  その横顔を確認するまでもなく、美しい歌声の少女が、オレの良く知る幼なじみの少女であることがわかる。  いや、中学生のように見える、その少女は、オレの幼なじみの白井三葉しろいみつばではない。  オレの記憶では、いま彼女が歌っているのは、高校生になってから動画を投稿して話題を集めた楽曲だ。  自分の知る限り、中学生の頃の三葉みつばは、まだ、この曲を作詞・作曲していないハズだ。  そんなことを考えていると、モニター内の映像が切り替わる瞬間に、ディスプレイに反射し、画面を見つめる男子の姿がチラリと一瞬だけ映り込んだ。  髪の毛の色から判断して、それは、シュヴァルツの姿ではないかと予想する(もちろん、彼以外にも並行世界には、オレと良く似た金髪姿の人物が存在する可能性は大いにあるが……)。  そして、動画のタイトルに『KleeBlatt』という文字を確認して、オレの直感は確信に変わる。  やはり、これは、先日、わざわざ、オレたちのセカイにあらわれ、接触を図ってきたクリーブラットが歌う姿のようだ。  あのときの彼女の言動にも、オレの幼なじみである三葉みつば以上に大人びた雰囲気を感じさせられたものだが……。  クリーブラットだけでなく、シュヴァルツやゲルブたちのセカイの住人は、オレたちのセカイよりも、高度な科学技術力を擁し、同年代でも遥かに高度な学習内容を習得していることは、以前にゲルブがかたっていたことからも間違いないだろう。  それだけに、彼女たちのセカイの住人は、芸術的分野においても、オレたちのセカイより、才能開花する時期が早い傾向にあるのかも知れない。  ただ、そんなクリーブラットの才能の早熟性以上に、オレの心を捉えたのは、ディスプレイに反射している、幼なじみが歌う姿を見つめるシュヴァルツの表情だ。  時おり、画面に映るその顔には、同級生の少女に憧れる感情と、自分との立ち位置の差に焦燥感を掻き立てられるような切なげな感情が滲み出ている。  もちろん、モニターに反照しているだけの表情から、そんな複雑な感情を読み取ってしまうのは、それが、オレ自身の三葉みつばに対する想いだということを自覚しているからだ。  ある程度は自分と他者との関係を客観的にみることが出来るようになった高校生ならいざ知らず、まだ、そうした客観視が難しかった中学生の年代で、これほどの才能を見せつけられれば、幼なじみの少女に対する複雑な感情をさらにこじらせてしまうのも無理はないだろう、とシュヴァルツに対して、シンパシーを感じざるを得ない。  やはり、オレと同じように、三葉みつば = クリーブラットに対して、 「自分には、こんなことができるんだ!」 という己の存在を誇示したいという想いが、彼が『ラディカル』という組織を率いて、セカイ統合という壮大な計画を遂行しようという意志の原動力になったのだろう。  そんなことを感じながらも、あらためて、クリーブラットが作詞・作曲をした楽曲をよくよく聞いてみると、端々はしばしに、幼い日に出会った男女の物語を歌った内容だということがわかる。 『カメラ・ボーイ』と題されたこの曲について、オレが居たセカイでは、三葉みつば がこっそりと、 「この歌は、アヴリル・ラヴィーンの『スケーター・ボーイ』っていう曲を参考にしてるんだ」 と、教えてくれたことがある。  彼女が、お手本にしたというその曲は、オレたちが生まれる前に発表された楽曲らしいが……。  クリーブラットやシュヴァルツたちの住むセカイにも、アヴリル・ラヴィーンに相当するアーティストが活躍していたんだろうか?  =========STOP=========  とりとめもなく、そんなことを考えていると、クリーブラットは自作曲の歌唱を終えて、映像の再生は終了していた。



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