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第11話 裏切り

ー/ー



 そして槇子は是非とも惠美を連れて行きたいところがある、ととあるカフェに惠美を連れて行った。のだが。

「どうです?」

 なぜか得意げな槇子の顔。それともドヤ顔? と惠美は思う。

「え、ええ、あー、渋いですね、寺カフェ。渋い。はい」

 惠美が槇子に連れていかれたのは近くの小さなお寺さんにある実に地味な寺カフェ。こんな時間なのに何故か鐘の音が重くじめじめと響く。全く予想していない場所に連れて来られた惠美は軽いショックを隠せない。

「でしょ! でもね、渋いだけじゃあないの。ここのおすすめメニューのどら焼きがですね」

「は、はあ…… どら焼き……」

 おかしい、明らかにイマドキ女子には似つかわしくないスイーツ、いや、和菓子。マンガのキャラクターの大好物でどちらかといえば笑いを取りに行く印象しかない超庶民的和菓子。

 惠美はさっきまで顔を赤らめていた自分がなんだか急に恥ずかしくなってきてしまった。

 惠美の趣向では徹底的に洋風のカフェで、少なくともどら焼きやあんみつなどではない、タピオカドリンクやマカロンやユニコーンスイーツや…… とにかくもっとガーリーで、とにかくもっと何でもいいから何か()えするものであるべきだった。

「まあ、物は試しに食べてみて頂戴(ちょうだい)な。『白真弓(しらまゆみ)』二つセットで下さーい」

 出てきたのは黒いお盆に乗ったやや大きくやや厚みのない焼き色の薄目などら焼きと抹茶のセットだった。お盆の隅っこに小さな和紙のきれいな短冊があって、それには《白真弓(しらまゆみ)、今春山に、行く雲の、行きや別れむ、(こほ)しきものを》(※1)としたためられていた。

「ええ、それではいただきます……」

 がっかり感でお腹いっぱいの惠美は、食欲などさっぱりわかない。が、さすがに食べない訳にはいかないだろう、と気が進まないままそっと一口口にしてみる。

 美味しい。

「……! これおいしい…… おいしいです! びっくりしました!」

 目を丸くする惠美。

 薄くとももっちりとした香り高い生地と、くどくどしない(あん)のほどよい甘みが、口の中で絶妙に溶け合う。しかもこの旨味はほのかに口の中に残ってふんわりと後を引く。ここで抹茶を啜るとその口の中がきりっと引きしまってさっぱりするのだ。食べ進むと餡の中央の牛皮(ぎゅうひ)の口当たりが新鮮で全体の食感がリセットされる。

「でしょう? 私のお気に入りなの。通販はしていないから、ここかカワトク(※2)でしか食べられないよ」

 惠美の嬉しそうな顔を見ていると槇子の心も顔も大いにほころぶ。

 一方、惠美からするとこの槇子の表情もやはりドヤ顔に見える。が、今ならそれもまた愛嬌(あいきょう)があってかわいいと感じた。

「へえ、すごくいいお店を紹介していただきました。こんなに美味しい和菓子は初めてです。今度私も来てみようかな」

 もっとこの顔を見ていたい。そう思っていた槇子は、この惠実の言葉を聞いた瞬間に、また咄嗟(とっさ)に言葉が口を突いて出る。

「じゃ、じゃあ…… 今度一緒にまたここでお茶しません?」

「えっ、えっ、あ、あの、いいんですか? こんな私みたいな子供で…… 私なんかじゃお話が合わないと思いますけど……」

 唐突な誘いに慌てる惠美。優しい笑顔の槇子にこんなことを言われて嬉しくない訳がない。が本音とは別につい謙遜(けんそん)の言葉が出てしまった。

「全然そんなことない。惠美ちゃんとだととても楽しいし、ぜひまたご一緒したい。逆にこんなおばさんで良かったら、だけど」

「あ、ありがとうございます…… そう言っていただけると、私も…… 嬉しい、です」

 否定的な言葉を気にも留めない槇子の言葉に相好(そうごう)を崩す惠美。2人は多喜を失って以来久しぶりに穏やかなひと時を過ごしていた。


「あ、ま、槇子さん、そこ餡子(あんこ)ついてますよ、ふふっ」

 槇子の名前呼びにいまだ慣れないまま、槇子の(ほお)に手を伸ばそうとした惠実は突然フラッシュバックに襲われた。

 一瞬、手だけでなく全身が硬直する。

 蘇るのは多喜の頬のクリームをとってあげた記憶。クリームをとった指をいたずらっぽく惠美自身が舐める。それを見た多喜は恥ずかしそうに照れくさそうに、そしてなぜか嬉しそうに笑っていた。その笑顔を見た惠美も胸がいっぱいになるほどの幸せを感じていた。

 なのに私は今何をやってる? 多喜以外の女に! そう思った瞬間背筋が凍った。

 惠美は多喜を見捨てて裏切るような行為をしている気がして、自分に強い怒りを感じた。今すぐここから離れないと。これ以上罪を重ねる前に。

 そう思うな否や、惠美は突然ガタっと立ち上がった。

「ごめんなさい、ちょっとやることがあったんですぐ帰らないと。ごめんなさい。本当にごちそうさまでした」

 誰の目からみても本当とは思えない言い訳を口にして、食べかけのどら焼きを残したまま足早に店を出る。

「餡子…… あ、連絡先……」

 頬に餡子をつけたままの槇子はただキツネにつままれたように惠美の出て行った先を見つめるしかなかった。

 惠美は大慌てで駐輪場まで走り、自転車のカゴに醤油を載せサドルに(またが)ると、全力疾走で逃げ出した。

 逃げなくては。早く逃げなくては。

 あの笑顔に捕まらないように。

 惠実は怖くて、悲しくて、腹立たしくて半分べそをかきながら、突然の小ぬか雨に濡れるのも構わず必死で自転車をこいでいた。


 ▼用語
 ※1白真弓(しらまゆみ)、今春山に、行く雲の、行きや別れむ、(こほ)しきものを:
 万葉集第十巻一九二三。読人不知。
 原文は「白檀弓 今春山尓 去雲之 逝哉将別 戀敷物乎」
 おおよその意味は「春の山に流れゆく白真弓の雲ように、私はあなたと別れゆかねばならぬというのか。これほどまでに恋しいと言うのに」

 ※2カワトク:
 盛岡市に本店を構える百貨店。創業1866年。槇子の言を補足すれば、関連店舗の県産品販売所を指している。


【次回】
 第12話 鈍色の雲


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 そして槇子は是非とも惠美を連れて行きたいところがある、ととあるカフェに惠美を連れて行った。のだが。
「どうです?」
 なぜか得意げな槇子の顔。それともドヤ顔? と惠美は思う。
「え、ええ、あー、渋いですね、寺カフェ。渋い。はい」
 惠美が槇子に連れていかれたのは近くの小さなお寺さんにある実に地味な寺カフェ。こんな時間なのに何故か鐘の音が重くじめじめと響く。全く予想していない場所に連れて来られた惠美は軽いショックを隠せない。
「でしょ! でもね、渋いだけじゃあないの。ここのおすすめメニューのどら焼きがですね」
「は、はあ…… どら焼き……」
 おかしい、明らかにイマドキ女子には似つかわしくないスイーツ、いや、和菓子。マンガのキャラクターの大好物でどちらかといえば笑いを取りに行く印象しかない超庶民的和菓子。
 惠美はさっきまで顔を赤らめていた自分がなんだか急に恥ずかしくなってきてしまった。
 惠美の趣向では徹底的に洋風のカフェで、少なくともどら焼きやあんみつなどではない、タピオカドリンクやマカロンやユニコーンスイーツや…… とにかくもっとガーリーで、とにかくもっと何でもいいから何か|映《ば》えするものであるべきだった。
「まあ、物は試しに食べてみて|頂戴《ちょうだい》な。『|白真弓《しらまゆみ》』二つセットで下さーい」
 出てきたのは黒いお盆に乗ったやや大きくやや厚みのない焼き色の薄目などら焼きと抹茶のセットだった。お盆の隅っこに小さな和紙のきれいな短冊があって、それには《|白真弓《しらまゆみ》、今春山に、行く雲の、行きや別れむ、|恋《こほ》しきものを》(※1)としたためられていた。
「ええ、それではいただきます……」
 がっかり感でお腹いっぱいの惠美は、食欲などさっぱりわかない。が、さすがに食べない訳にはいかないだろう、と気が進まないままそっと一口口にしてみる。
 美味しい。
「……! これおいしい…… おいしいです! びっくりしました!」
 目を丸くする惠美。
 薄くとももっちりとした香り高い生地と、くどくどしない|餡《あん》のほどよい甘みが、口の中で絶妙に溶け合う。しかもこの旨味はほのかに口の中に残ってふんわりと後を引く。ここで抹茶を啜るとその口の中がきりっと引きしまってさっぱりするのだ。食べ進むと餡の中央の|牛皮《ぎゅうひ》の口当たりが新鮮で全体の食感がリセットされる。
「でしょう? 私のお気に入りなの。通販はしていないから、ここかカワトク(※2)でしか食べられないよ」
 惠美の嬉しそうな顔を見ていると槇子の心も顔も大いにほころぶ。
 一方、惠美からするとこの槇子の表情もやはりドヤ顔に見える。が、今ならそれもまた愛嬌《あいきょう》があってかわいいと感じた。
「へえ、すごくいいお店を紹介していただきました。こんなに美味しい和菓子は初めてです。今度私も来てみようかな」
 もっとこの顔を見ていたい。そう思っていた槇子は、この惠実の言葉を聞いた瞬間に、また|咄嗟《とっさ》に言葉が口を突いて出る。
「じゃ、じゃあ…… 今度一緒にまたここでお茶しません?」
「えっ、えっ、あ、あの、いいんですか? こんな私みたいな子供で…… 私なんかじゃお話が合わないと思いますけど……」
 唐突な誘いに慌てる惠美。優しい笑顔の槇子にこんなことを言われて嬉しくない訳がない。が本音とは別につい|謙遜《けんそん》の言葉が出てしまった。
「全然そんなことない。惠美ちゃんとだととても楽しいし、ぜひまたご一緒したい。逆にこんなおばさんで良かったら、だけど」
「あ、ありがとうございます…… そう言っていただけると、私も…… 嬉しい、です」
 否定的な言葉を気にも留めない槇子の言葉に|相好《そうごう》を崩す惠美。2人は多喜を失って以来久しぶりに穏やかなひと時を過ごしていた。
「あ、ま、槇子さん、そこ|餡子《あんこ》ついてますよ、ふふっ」
 槇子の名前呼びにいまだ慣れないまま、槇子の|頬《ほお》に手を伸ばそうとした惠実は突然フラッシュバックに襲われた。
 一瞬、手だけでなく全身が硬直する。
 蘇るのは多喜の頬のクリームをとってあげた記憶。クリームをとった指をいたずらっぽく惠美自身が舐める。それを見た多喜は恥ずかしそうに照れくさそうに、そしてなぜか嬉しそうに笑っていた。その笑顔を見た惠美も胸がいっぱいになるほどの幸せを感じていた。
 なのに私は今何をやってる? 多喜以外の女に! そう思った瞬間背筋が凍った。
 惠美は多喜を見捨てて裏切るような行為をしている気がして、自分に強い怒りを感じた。今すぐここから離れないと。これ以上罪を重ねる前に。
 そう思うな否や、惠美は突然ガタっと立ち上がった。
「ごめんなさい、ちょっとやることがあったんですぐ帰らないと。ごめんなさい。本当にごちそうさまでした」
 誰の目からみても本当とは思えない言い訳を口にして、食べかけのどら焼きを残したまま足早に店を出る。
「餡子…… あ、連絡先……」
 頬に餡子をつけたままの槇子はただキツネにつままれたように惠美の出て行った先を見つめるしかなかった。
 惠美は大慌てで駐輪場まで走り、自転車のカゴに醤油を載せサドルに|跨《またが》ると、全力疾走で逃げ出した。
 逃げなくては。早く逃げなくては。
 あの笑顔に捕まらないように。
 惠実は怖くて、悲しくて、腹立たしくて半分べそをかきながら、突然の小ぬか雨に濡れるのも構わず必死で自転車をこいでいた。
 ▼用語
 ※1|白真弓《しらまゆみ》、今春山に、行く雲の、行きや別れむ、|恋《こほ》しきものを:
 万葉集第十巻一九二三。読人不知。
 原文は「白檀弓 今春山尓 去雲之 逝哉将別 戀敷物乎」
 おおよその意味は「春の山に流れゆく白真弓の雲ように、私はあなたと別れゆかねばならぬというのか。これほどまでに恋しいと言うのに」
 ※2カワトク:
 盛岡市に本店を構える百貨店。創業1866年。槇子の言を補足すれば、関連店舗の県産品販売所を指している。
【次回】
 第12話 鈍色の雲