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第4話 慟哭

ー/ー



 惠美は花崗岩に語りかける。そこに多喜がいるかのように。

 多喜が死んではじめて、ようやく惠実は死んだ多喜に正面から語りかける事が出来た。しゃくりあげながらようやく声を絞り出す。

「なんで、ひ、りで行っちゃった……の…… ねぇぇ…… ゃだよ…… わた、し、ひとりじゃやだよ…… どうしてなにもいわない、で、っちゃう、の…… 私じゃ、だめだったの……? 愛してるって……あ、いしててもだめだった、のっ……? どうしてわたし、じゃ 私じゃ、だめだった……の…… 」

「言ってくれれば、いぇくれれば、しばって、もひきとめて……いいことあるって……いっぱいいいことあぅぉって…… いっ、いっぱいいっぱい幸せにってあげぅおっれいって…… うううっ……」

「ちがう……ちがう…… ゴメン…… 私が……私が……気がついてあげられなくてごめん…… やっぱり私が、あああ……うっく、私だ、私だ、私だ……私のせいだ……私のせいで……ゴメン…… 本当にごめん…… ごめんなさい…… ごめんなさい…… 多喜の助けになれなくて…… ごめん…… ごめんなさいぃ……」

「でっ、でもっでも、そ、そっそれでも…… ぐずっ うっうっ…… ううう、あああ…… ああああああ…… うっ、うぁぁぁ…… 嫌だ…… 嫌だ…… 嫌だ……」

「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ絶っ対嫌だっ! うああああっ! 死んじゃったなんて! 死んじゃったなんて嫌だっ! 嫌だあぁっ!! 嫌あっ! 多喜いぃっっ!多喜いぃ! うわあああああっ! ああああああああっうああああっ! 多喜ぃっ! 多喜いいっ!」

 雪片がはらはらと落ちる冷たい石に手をついて、涙声は嗚咽から号泣に、そして慟哭に変わった。命なき墓石は何も答えず、墓苑に響き渡る惠美の慟哭をはじき返しただの岩として冷酷なほど無機質にそこにあるがままだ。

 慟哭(どうこく)する惠美は立ち上がると何かに抗議するかのように冷たく酷薄な花崗岩に握り拳を叩きつける。慟哭しながら何度も何度も弱弱しく叩く。

 しかし少女の拳程度では岩塊は小ゆるぎもしない。多喜の死が揺ぎ無いものであるのと同じように。

 惠美の流す熱い涙が「多喜」と刻まれた冷たい岩の表面にいくつも零れ落ちる。

 しかしその涙をいくら零したとしてもこの岩塊を温めることはできない。多喜を蘇らす事が出来ないのと同じように。


 その多喜の墓石の傍らに供えられた白いカーネーション。

 花言葉は「私の愛は生きています」。

 多喜は死んだ。

 そして、多喜という死者への未だ生き続ける愛によって、惠美もまた殺されようとしている。

◇◇◇◇◇

 激しい悲しみや絶望の感情の爆発が少しずつ収まると頭の中で色々な、しかしやはり苦悩に満ちた思いが惠美の中に行き来する。小雪に降られ多喜の墓に手を突いて睨む。やはり涙は止まらない。

 やっぱり来なきゃ良かった。何も良い事なんてなかった。第一こんなことで多喜が…… 蘇ってくるわけでなし。魂が天国とか地獄とか風の中とかいう話にもうんざりだ。なんだそれ? 死んでもうここにはいない事に変わりないのに、そんな誤魔化しなんか…… 何の慰めにもならない。もうここにはいないのに……いないのに……いないのにいないのに…… なんでなんでなんでいないの多喜は…… なんで死んだのなんで死んだのどうして死んだの死を選んだの多喜…… そんなに私の事が……私では…… 惠美は泣きながらずっとそんな事を考えていた。

 泣き疲れた惠美は多喜の墓から手を放ししばらくその場に立ちすくんで、ぼんやりと白黒の花崗岩を見つめる。あの冷え切った石の下には、冷たい陶磁器の中に詰め込まれた骨片がある。それは確かに間違いなく多喜そのものの一部だ。さっきの観念的な存在よりははるかに説得力がある。とは言え、結局それも突き詰めればただのカルシウムの欠片。それと言葉を交わすことも、それに血肉が沸いて多喜になることもない。だからこれもまた結局のところ何の意味もない思考だとの結論に至る。多喜の事を考えるとずっとそうだ。何の救いも生まれない。どんな絶望も拭い去れない。どんな幸せも見出せない。苦しい。ずっと苦しい。いつも胸が潰される思いで、身体は何かの抜け殻のよう。

 助けて…… 助けて…… 助けてよ多喜……

 そこにいないで私を助けて……

 惠美はもう死者にしか救いを求められなくなっていた。

◇◇◇◇◇

 結局意味のない場所で意味のない事をしに来ただけか、そう思うと絶望的な気分が更に増した上、今日一日の疲れも加わりとてつもない疲労感と徒労感がどっと惠美に()し掛かる。時間も少し遅くなってきているのでさっさと帰ってしまおう。それでもドラマで見たり、実際に自分の家族が先祖の墓参りした時のように『また来るね』なんて言う気になんてとてもなれない。ばかばかしい。一体誰に言ってんだそれ、と心の中で吐き捨てる惠美。

 ここには何もないし、誰もいない。生きている者は一人だっていやしない。無論多喜だっていやしない。いやしないんだから。もう永久に逢えないんだから。さっき思わずあんなに喚いたのだって何の意味もない。実際余計に苦しくて悲しくなっただけじゃないか。どんなに訴えったって聞いて欲しい相手そのものがいないんじゃ何の意味もない。

 それならこの想いはもう何の意味もないのか。この愛は何の意味もないのか。そう思ったら惠美はまた少し涙が滲んだ。

 二度と来るか。こんなとこ。

「くっそ!」

 不意に吐き捨てた惠美は、供えていたスプレーカーネーションを抜いて、地べたにでも叩きつけてやろうかと思って手を伸ばそうとする。或いは「多喜」と刻まれたあの石くれにでも叩きつけたっていい。

 ところが「多喜」の字を目にした時、何だかそこまでしちゃいけないんじゃないか、と唐突に思う。そんな事をしたら多喜の名前自体を傷つけてしまう気がしたのだ。多喜にまつわるあらゆるものは失われてしまったが、小山内多喜の名前だけは消えない。この墓石がある限りこうしてずっと残っていく。そう思うと何とも言えない不思議な気持が惠美の中で生まれてきた。これまでの絶望や悲しみとは違った、何だかよくわからない気持ちだった。


【次回】 第5話 不思議で可愛い年上の


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 惠美は花崗岩に語りかける。そこに多喜がいるかのように。
 多喜が死んではじめて、ようやく惠実は死んだ多喜に正面から語りかける事が出来た。しゃくりあげながらようやく声を絞り出す。
「なんで、ひ、りで行っちゃった……の…… ねぇぇ…… ゃだよ…… わた、し、ひとりじゃやだよ…… どうしてなにもいわない、で、っちゃう、の…… 私じゃ、だめだったの……? 愛してるって……あ、いしててもだめだった、のっ……? どうしてわたし、じゃ 私じゃ、だめだった……の…… 」
「言ってくれれば、いぇくれれば、しばって、もひきとめて……いいことあるって……いっぱいいいことあぅぉって…… いっ、いっぱいいっぱい幸せにってあげぅおっれいって…… うううっ……」
「ちがう……ちがう…… ゴメン…… 私が……私が……気がついてあげられなくてごめん…… やっぱり私が、あああ……うっく、私だ、私だ、私だ……私のせいだ……私のせいで……ゴメン…… 本当にごめん…… ごめんなさい…… ごめんなさい…… 多喜の助けになれなくて…… ごめん…… ごめんなさいぃ……」
「でっ、でもっでも、そ、そっそれでも…… ぐずっ うっうっ…… ううう、あああ…… ああああああ…… うっ、うぁぁぁ…… 嫌だ…… 嫌だ…… 嫌だ……」
「嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ絶っ対嫌だっ! うああああっ! 死んじゃったなんて! 死んじゃったなんて嫌だっ! 嫌だあぁっ!! 嫌あっ! 多喜いぃっっ!多喜いぃ! うわあああああっ! ああああああああっうああああっ! 多喜ぃっ! 多喜いいっ!」
 雪片がはらはらと落ちる冷たい石に手をついて、涙声は嗚咽から号泣に、そして慟哭に変わった。命なき墓石は何も答えず、墓苑に響き渡る惠美の慟哭をはじき返しただの岩として冷酷なほど無機質にそこにあるがままだ。
 |慟哭《どうこく》する惠美は立ち上がると何かに抗議するかのように冷たく酷薄な花崗岩に握り拳を叩きつける。慟哭しながら何度も何度も弱弱しく叩く。
 しかし少女の拳程度では岩塊は小ゆるぎもしない。多喜の死が揺ぎ無いものであるのと同じように。
 惠美の流す熱い涙が「多喜」と刻まれた冷たい岩の表面にいくつも零れ落ちる。
 しかしその涙をいくら零したとしてもこの岩塊を温めることはできない。多喜を蘇らす事が出来ないのと同じように。
 その多喜の墓石の傍らに供えられた白いカーネーション。
 花言葉は「私の愛は生きています」。
 多喜は死んだ。
 そして、多喜という死者への未だ生き続ける愛によって、惠美もまた殺されようとしている。
◇◇◇◇◇
 激しい悲しみや絶望の感情の爆発が少しずつ収まると頭の中で色々な、しかしやはり苦悩に満ちた思いが惠美の中に行き来する。小雪に降られ多喜の墓に手を突いて睨む。やはり涙は止まらない。
 やっぱり来なきゃ良かった。何も良い事なんてなかった。第一こんなことで多喜が…… 蘇ってくるわけでなし。魂が天国とか地獄とか風の中とかいう話にもうんざりだ。なんだそれ? 死んでもうここにはいない事に変わりないのに、そんな誤魔化しなんか…… 何の慰めにもならない。もうここにはいないのに……いないのに……いないのにいないのに…… なんでなんでなんでいないの多喜は…… なんで死んだのなんで死んだのどうして死んだの死を選んだの多喜…… そんなに私の事が……私では…… 惠美は泣きながらずっとそんな事を考えていた。
 泣き疲れた惠美は多喜の墓から手を放ししばらくその場に立ちすくんで、ぼんやりと白黒の花崗岩を見つめる。あの冷え切った石の下には、冷たい陶磁器の中に詰め込まれた骨片がある。それは確かに間違いなく多喜そのものの一部だ。さっきの観念的な存在よりははるかに説得力がある。とは言え、結局それも突き詰めればただのカルシウムの欠片。それと言葉を交わすことも、それに血肉が沸いて多喜になることもない。だからこれもまた結局のところ何の意味もない思考だとの結論に至る。多喜の事を考えるとずっとそうだ。何の救いも生まれない。どんな絶望も拭い去れない。どんな幸せも見出せない。苦しい。ずっと苦しい。いつも胸が潰される思いで、身体は何かの抜け殻のよう。
 助けて…… 助けて…… 助けてよ多喜……
 そこにいないで私を助けて……
 惠美はもう死者にしか救いを求められなくなっていた。
◇◇◇◇◇
 結局意味のない場所で意味のない事をしに来ただけか、そう思うと絶望的な気分が更に増した上、今日一日の疲れも加わりとてつもない疲労感と徒労感がどっと惠美に|圧《の》し掛かる。時間も少し遅くなってきているのでさっさと帰ってしまおう。それでもドラマで見たり、実際に自分の家族が先祖の墓参りした時のように『また来るね』なんて言う気になんてとてもなれない。ばかばかしい。一体誰に言ってんだそれ、と心の中で吐き捨てる惠美。
 ここには何もないし、誰もいない。生きている者は一人だっていやしない。無論多喜だっていやしない。いやしないんだから。もう永久に逢えないんだから。さっき思わずあんなに喚いたのだって何の意味もない。実際余計に苦しくて悲しくなっただけじゃないか。どんなに訴えったって聞いて欲しい相手そのものがいないんじゃ何の意味もない。
 それならこの想いはもう何の意味もないのか。この愛は何の意味もないのか。そう思ったら惠美はまた少し涙が滲んだ。
 二度と来るか。こんなとこ。
「くっそ!」
 不意に吐き捨てた惠美は、供えていたスプレーカーネーションを抜いて、地べたにでも叩きつけてやろうかと思って手を伸ばそうとする。或いは「多喜」と刻まれたあの石くれにでも叩きつけたっていい。
 ところが「多喜」の字を目にした時、何だかそこまでしちゃいけないんじゃないか、と唐突に思う。そんな事をしたら多喜の名前自体を傷つけてしまう気がしたのだ。多喜にまつわるあらゆるものは失われてしまったが、小山内多喜の名前だけは消えない。この墓石がある限りこうしてずっと残っていく。そう思うと何とも言えない不思議な気持が惠美の中で生まれてきた。これまでの絶望や悲しみとは違った、何だかよくわからない気持ちだった。
【次回】 第5話 不思議で可愛い年上の