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第10話 偶然

ー/ー



 3月とはいってもまだ初旬。この時期、大通りの通行人の服装も未だ冬一色で空も鈍色の曇天模様だ。

(醤油なんてどこのでも同じだって。もう、めんどくせぇなあ)

 惠美は母からの頼まれ物の醤油を買いに学校帰りに百貨店まで来ていた。

 買い物も終わり自転車置き場に行こうと重い醤油の一升瓶を持って大通りを歩いている惠美はどこかで聞いたような声で後ろから呼び止められる。

「惠美ちゃん」

「?」

 自分の事を惠美と呼ぶ人はいない。怪訝に思い振り向く。そこには満面の笑みの槇子がいた。先月会った時と違い、ネイビー系のスーツ。その笑顔に胸がきゅっとなる。自分の顔が赤くなったのに気づいたので少し俯いて隠そうとする。

「あ、ええと加々島、さん」

「ふふ、ですから、槇子でいいですよ」

「あ、はいお久しぶりです、えと…… 槇子さん」

 少し緊張した声で槇子の名を呼ぶ。槇子の名前を呼ぶと、惠美の心臓にずしりと重くて心地よい錘が圧し掛かった。初めて会った時とは違って、槇子の顔を見るのが、なんだか少しばかり恥ずかしかった。

「こちらこそご無沙汰してました」

 年上の女性らしく落ち着いて惠実に声をかけた槇子も、急激に心拍数が上がっている自分に気が付いていた。バッグのショルダーストラップを握る手が少し汗ばむ。もう会えないと思っていた子に会えた偶然に心が躍っている。四六時中多喜の事が頭から離れない槇子だったが、今は目の前の惠美の事しか考えていない。もっと話がしたい。見れば彼女も若干顔を赤らめ俯き加減に少しもじもじしているようにさえ見える。これを見た槇子は一瞬我を忘れた。

「ごめんなさい。いきなりでびっくりさせちゃった? もしかして今はお時間あるかしら?」

 気が付くと惠美を誘う言葉を吐いている自分に後から気付いて驚く。どうしよう、誘ってしまった、誘ってしまった、未成年を誘ってしまった、制服姿の女子高生を誘ってしまった。我を忘れたとっさの事とは言え、その行為に槇子の心臓は更に心拍数を上げる。

 惠美は思わず俯いていた顔を上げた。

「はいっ!」

 とっさに答えてしまった。多分赤くなっているであろう顔で槇子の顔を見上げる。嬉しかった。今さっきまで多喜と醤油の重さの事しか頭になかったので、突然の槇子の笑顔で心に花が咲いたようだ。そんな槇子と一緒できるのかと思うとまた少し胸がきゅっとなる。その感覚は初めて多喜に会った頃に感じたものとそっくりであることに惠美はまだ気づいていない。

「よかった! 私少し時間を持て余していたの。よかったらつきあっていただけます?」

「はい、喜んで」

 この時二人ともうきうきする心でいっぱいだった。二人共ついさっきまで心の大半を多喜の死の影に覆われていた。それが今、互いの存在でふわふわとした心地よい気持ちで気もそぞろになる。その気持ちが春の雲のように陰鬱な影を穏やかに覆い隠していく。

 そして槇子は是非とも惠美を連れて行きたいところがある、ととあるカフェに惠美を連れて行った。


【次回】
 第11話 裏切り


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 3月とはいってもまだ初旬。この時期、大通りの通行人の服装も未だ冬一色で空も鈍色の曇天模様だ。
(醤油なんてどこのでも同じだって。もう、めんどくせぇなあ)
 惠美は母からの頼まれ物の醤油を買いに学校帰りに百貨店まで来ていた。
 買い物も終わり自転車置き場に行こうと重い醤油の一升瓶を持って大通りを歩いている惠美はどこかで聞いたような声で後ろから呼び止められる。
「惠美ちゃん」
「?」
 自分の事を惠美《《ちゃん》》と呼ぶ人はいない。怪訝に思い振り向く。そこには満面の笑みの槇子がいた。先月会った時と違い、ネイビー系のスーツ。その笑顔に胸がきゅっとなる。自分の顔が赤くなったのに気づいたので少し俯いて隠そうとする。
「あ、ええと加々島、さん」
「ふふ、ですから、槇子でいいですよ」
「あ、はいお久しぶりです、えと…… 槇子さん」
 少し緊張した声で槇子の名を呼ぶ。槇子の名前を呼ぶと、惠美の心臓にずしりと重くて心地よい錘が圧し掛かった。初めて会った時とは違って、槇子の顔を見るのが、なんだか少しばかり恥ずかしかった。
「こちらこそご無沙汰してました」
 年上の女性らしく落ち着いて惠実に声をかけた槇子も、急激に心拍数が上がっている自分に気が付いていた。バッグのショルダーストラップを握る手が少し汗ばむ。もう会えないと思っていた子に会えた偶然に心が躍っている。四六時中多喜の事が頭から離れない槇子だったが、今は目の前の惠美の事しか考えていない。もっと話がしたい。見れば彼女も若干顔を赤らめ俯き加減に少しもじもじしているようにさえ見える。これを見た槇子は一瞬我を忘れた。
「ごめんなさい。いきなりでびっくりさせちゃった? もしかして今はお時間あるかしら?」
 気が付くと惠美を誘う言葉を吐いている自分に後から気付いて驚く。どうしよう、誘ってしまった、誘ってしまった、未成年を誘ってしまった、制服姿の女子高生を誘ってしまった。我を忘れたとっさの事とは言え、その行為に槇子の心臓は更に心拍数を上げる。
 惠美は思わず俯いていた顔を上げた。
「はいっ!」
 とっさに答えてしまった。多分赤くなっているであろう顔で槇子の顔を見上げる。嬉しかった。今さっきまで多喜と醤油の重さの事しか頭になかったので、突然の槇子の笑顔で心に花が咲いたようだ。そんな槇子と一緒できるのかと思うとまた少し胸がきゅっとなる。その感覚は初めて多喜に会った頃に感じたものとそっくりであることに惠美はまだ気づいていない。
「よかった! 私少し時間を持て余していたの。よかったらつきあっていただけます?」
「はい、喜んで」
 この時二人ともうきうきする心でいっぱいだった。二人共ついさっきまで心の大半を多喜の死の影に覆われていた。それが今、互いの存在でふわふわとした心地よい気持ちで気もそぞろになる。その気持ちが春の雲のように陰鬱な影を穏やかに覆い隠していく。
 そして槇子は是非とも惠美を連れて行きたいところがある、ととあるカフェに惠美を連れて行った。
【次回】
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