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番外編二 告白 ―― 多喜 ――

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「結子と別れの言葉を交わす事すら出来ず力の抜けきった状態のまま泣き腫らした目で夫と共に岩手へ帰ることにしました。電車や飛行機の待ち時間でカフェに連れて行ってくれたり色々と気を使い優しく明るく声をかけてくれるなどしてくれたのは彼なりの気遣いだったのでしょうが、全く耳に入ってきませんでした。逆に疎ましかった。触れられる度にぞっとしてその手を振り払いたくなりました。高松空港のレストランで出されたうどんの味も覚えていません。花巻空港から先は電車で移動をしましたが、その頃には随分と気を取り戻していたと思います。でも考えることと言えば、何故私はこの人を愛せないのか。何故私は結子を愛してしまったのか。何故多喜からも逃げ出してしまったのか。なぜなぜなぜ…… なすべき事ができなくて、してはいけない事ばかりをしてしまう自分に嫌気がさします。ああ、自分のような人間を『いらない子』っていうんだ。人様に、自分の夫や娘にまで迷惑をかけてばかり。と、車窓に頭を預けてずっとそんな事だけを考えていました。電車から見えた晩冬の薄汚れた根雪が懐かしかったのを覚えています」

「夫が言うには多喜は今私の両親がみていて、私は病気で入院していたと言い聞かせてあるからそれに合わせるように、との事でした。自分を責めながら重い足を引きずって帰宅すると、多喜がぱたぱたと小さな足音を立てて出迎えてくれました。顔をくしゃくしゃにして泣きながらしがみついてくる多喜をいざ抱きしめると、私も一緒にみっともないほど泣き出してしまいました。自分でも驚いたことに喫茶店で結子のために流したよりもたくさんの涙が溢れ出しました。夫には一言も言ってもいないのに、ごめんねごめんねと幾度も謝っていました。抱きしめた多喜は小さくて柔らかくて暖かくて…愛おしさがこみ上げてきました」

「翌日からは平凡な生活に戻りました。仕事を見つけてからは平凡に仕事をして平凡に家事をして平凡に育児をする。ただ、保育園に多喜の迎えに行く時は少し心が乱れました。また結子がいるのではないかとつい目で探してしまいました。もちろんそんな事はありませんでした。夫の愛情は嬉しかったけれどやはり受け入れがたくて、多喜の成長が一番の喜びでした。一番の希望でした。それが…… それが……」
 俯き脱力する紗子。一瞬にして更に二まわりも身体が小さくなったように見える。
 少し寂し気な笑顔を浮かべて惠美に面を向ける紗子。
「惠美さん…… うちの多喜とお付き合いしてらしたんですよね……」
「…………」
 先程の紗子のお礼の言葉は、やはり二人の関係に言及したものだったのか。惠美にも槇子にも緊張感が走る。沈黙するか、答えるか。
 惠美は一瞬の逡巡ののち口を開く。
「……はい……私は多喜さんと交際していました。」
 これはもう一つの賭けだ。惠美は紗子を信じて賽を投げた。観念したように槇子は目を閉じた。本人が同性愛者であっても子供がそうであることを認められない親、許せない親は多い。
「ああ、やっぱり。よかった。本当に良かった」
 少し表情が明るくなる紗子。
「子供って、高校生にもなるともうあまり親と会話することはなくなってしまって…… でも惠美さんの話だけはなんだかとても楽しそうにしていたんです」
 自分には決して持ち得なかった二人の時間を惠美と多喜は過ごしていたのか、と思うと胸にちくりとした痛みが出る槇子。表情も少し暗く視線も二人から反れる。
「例えばどういったお話ですか?」
「プールでのダイブボールと潜水時間の全校記録を更新したときは我が事のように興奮していました。あんなに熱の入った話は小学生以来だったんじゃないでしょうか。」
「ああ、あれは自分でも結構頑張りました、あはは…… 息を止める練習を多喜ちゃんとよくやったんです」
 紗子はふと槇子の様子に気付いたようだ。それ以降は多喜についてあまり具体的な話は避けている様子に見えた。



【次回】
 番外編二 告白 ―― 優しい味 ――


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「結子と別れの言葉を交わす事すら出来ず力の抜けきった状態のまま泣き腫らした目で夫と共に岩手へ帰ることにしました。電車や飛行機の待ち時間でカフェに連れて行ってくれたり色々と気を使い優しく明るく声をかけてくれるなどしてくれたのは彼なりの気遣いだったのでしょうが、全く耳に入ってきませんでした。逆に疎ましかった。触れられる度にぞっとしてその手を振り払いたくなりました。高松空港のレストランで出されたうどんの味も覚えていません。花巻空港から先は電車で移動をしましたが、その頃には随分と気を取り戻していたと思います。でも考えることと言えば、何故私はこの人を愛せないのか。何故私は結子を愛してしまったのか。何故多喜からも逃げ出してしまったのか。なぜなぜなぜ…… なすべき事ができなくて、してはいけない事ばかりをしてしまう自分に嫌気がさします。ああ、自分のような人間を『いらない子』っていうんだ。人様に、自分の夫や娘にまで迷惑をかけてばかり。と、車窓に頭を預けてずっとそんな事だけを考えていました。電車から見えた晩冬の薄汚れた根雪が懐かしかったのを覚えています」
「夫が言うには多喜は今私の両親がみていて、私は病気で入院していたと言い聞かせてあるからそれに合わせるように、との事でした。自分を責めながら重い足を引きずって帰宅すると、多喜がぱたぱたと小さな足音を立てて出迎えてくれました。顔をくしゃくしゃにして泣きながらしがみついてくる多喜をいざ抱きしめると、私も一緒にみっともないほど泣き出してしまいました。自分でも驚いたことに喫茶店で結子のために流したよりもたくさんの涙が溢れ出しました。夫には一言も言ってもいないのに、ごめんねごめんねと幾度も謝っていました。抱きしめた多喜は小さくて柔らかくて暖かくて…愛おしさがこみ上げてきました」
「翌日からは平凡な生活に戻りました。仕事を見つけてからは平凡に仕事をして平凡に家事をして平凡に育児をする。ただ、保育園に多喜の迎えに行く時は少し心が乱れました。また結子がいるのではないかとつい目で探してしまいました。もちろんそんな事はありませんでした。夫の愛情は嬉しかったけれどやはり受け入れがたくて、多喜の成長が一番の喜びでした。一番の希望でした。それが…… それが……」
 俯き脱力する紗子。一瞬にして更に二まわりも身体が小さくなったように見える。
 少し寂し気な笑顔を浮かべて惠美に面を向ける紗子。
「惠美さん…… うちの多喜とお付き合いしてらしたんですよね……」
「…………」
 先程の紗子のお礼の言葉は、やはり二人の関係に言及したものだったのか。惠美にも槇子にも緊張感が走る。沈黙するか、答えるか。
 惠美は一瞬の逡巡ののち口を開く。
「……はい……私は多喜さんと交際していました。」
 これはもう一つの賭けだ。惠美は紗子を信じて賽を投げた。観念したように槇子は目を閉じた。本人が同性愛者であっても子供がそうであることを認められない親、許せない親は多い。
「ああ、やっぱり。よかった。本当に良かった」
 少し表情が明るくなる紗子。
「子供って、高校生にもなるともうあまり親と会話することはなくなってしまって…… でも惠美さんの話だけはなんだかとても楽しそうにしていたんです」
 自分には決して持ち得なかった二人の時間を惠美と多喜は過ごしていたのか、と思うと胸にちくりとした痛みが出る槇子。表情も少し暗く視線も二人から反れる。
「例えばどういったお話ですか?」
「プールでのダイブボールと潜水時間の全校記録を更新したときは我が事のように興奮していました。あんなに熱の入った話は小学生以来だったんじゃないでしょうか。」
「ああ、あれは自分でも結構頑張りました、あはは…… 息を止める練習を多喜ちゃんとよくやったんです」
 紗子はふと槇子の様子に気付いたようだ。それ以降は多喜についてあまり具体的な話は避けている様子に見えた。
【次回】
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