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第21話 抱擁

ー/ー



「あ、はい、はいっ! わ、分かりますか?! 分かるんですかっ⁉」

 相変わらず落ち着いた、逆に言えば心があるのかないのか分からない救急隊員。感情を抑えきれなくなっている惠美を手で制し、落ち着かせるように少しゆっくりはっきりとした言葉で語る。

「向こうの、そう、あの左手の消防隊員ならある程度ですが情報を把握しています。もちろんある程度、です。情報は錯綜しているのでそれはご理解ください。我々も消防も懸命の消火救出活動に努めております。危険ですからくれぐれも規制線内には入らないでください。お願いします。では」

 小走りで持ち場に戻る沈着冷静な隊員。一方ですっかり取り乱している惠美は自分が少し恥ずかしくなった。そそくさと逃げ出すように規制線の外に向かう。消防のホースが吹き上げる水がざざっとパーカーを濡らすのも構わず規制線をくぐって外に出る。さっきの消防隊員が指し示した消防の赤い大きな車に向かう。


 突然背後から、なぜか夢では聞くことのなかった懐かしい声がした。ずっと聞きたかったあの柔らかな声。

「惠美…… ちゃん?」

 これ以上はない速さで振り向く惠美。振り向いた先には槇子がいた。槇子らしい服装で槇子らしい髪型で。でも槇子らしくない目を見開いた驚きの表情で。どういうわけか服も顔も全く汚れていない。

 煙と、水蒸気と、炎の燃える音、怒号、うめき声、熱気、物の燃える嫌な臭い、水しぶきが一緒くたになった火災現場で、二人は一瞬お互いの姿しか見えなくなる。

「どうして……」

 呆気(あっけ)にとられたような、衝撃を受けているような、不可解なような、歓喜しているかのような複雑な表情を見せる槇子。

 その槇子に惠美は何と説明すればいいのか分からなかった。どうしてここに来たのか、なぜここに来たかったのか、その理由を。言葉で表そうとしても上手く説明できない気がする。何よりまず声が出ない。槇子の無事を確認した安堵感と、槇子に会えた嬉しさで、喉が引きつり口がからからに乾き舌があごに貼り付く。唇が震える。視界が少し歪む。

 だから思いっ切り飛びついて抱きつくことにした。

 これが一番の理由。
 きっと一番こうしたかったんだ。

 首根っこにしがみ付いてくる惠美にびっくりした表情の槇子も数瞬のうちに穏やかな笑顔に変わり目を閉じそっと優しく惠美を抱擁する。

「もう、もう、ほんとにびっくり……」

 槇子は嬉しいやら驚くやらで目を白黒させるほかなかった。が、しっかりと惠美を優しくかき抱く。

「よかった…… よかったよ…… また多喜みたいにいなくなっちゃうんじゃないかと思って…… よかった……」

「大丈夫、いなくなってないから。こうしてここにいますよ」

「来ちゃいけないって分ってたのに…… ご、ごめんなさい……」

「来ちゃいけない訳ないじゃない。大歓迎。ありがとう」

「あの、もうちょっとこうしててもいいですか……」

「あは、ちょっと恥ずかしいけど、嬉しい。私もこうしてたい」

 槇子は惠美の髪にそっと頬ずりする。

「私ね、ちょうど今さっきコディアックから帰ってきたところで。もう、空港でニュース見てびっくりしちゃって……」

「!」

 目を剥く惠美。では、さっきまでの自分の心配は全くの的外れだったということか。一人で死ぬほど心配した自分が馬鹿らしくて恥ずかしくなる。それに気づいたのか槇子は惠美の背中をポンポンとあやすように叩く。

「そっか、心配させちゃった? 一方、私の方としては、ええー! 会社が燃えてる! って慌てて会社に行ったら、こんな、こんな天使がお出迎えしてくれてただなんて…… 幸せ! 嬉しい! ありがと!」

 抱きしめる腕の力が強くなる。全くのから騒ぎだったのは悔しいが、天使とまで言われると悪い気がしない。いや、心から嬉しくなる。それほどまでに槇子に好かれていたのか、そう思うと自分でも気づかないまま自然と顔を赤らめ表情も緩む。

 惠美を抱擁から解く槇子。車のカギをいそいそと渡す。槇子にはこれからやらなくてはいけないことが山ほどあるのだ。

「惠美ちゃん随分濡れてるから、向かいの駐車場に停めた車の中で乾かして温まってきてね。乾いたらそのまま帰ってもいいから…… あ、いや、鍵返してもらわないとだめね。どうしようかな……」

「いえ、ずっと車の中にいますから……」

「え、でも、こんな状態だからいつ車に戻れるかわか――」

「待ってます」

 惠美はくすっと笑う

「天使ですから」

 その言葉にカアッと顔を赤らめる槇子。片手の甲で顔を覆う。

「やっ、いやっ、そ、それはっ…… それはっ関けっ……」

「待ってますね!」

 槇子から預かった車のカギを持ってパッと駆け去っていく惠美。車までたどり着くとこれ以上はない笑顔で槇子に手を振り車の助手席に入る。
 エンジンの掛け方は知っていたのでそのままエンジンをかける。暖房を入れると実際自分がひどく凍えていたと気が付いた。この季節にしては薄着でしかも濡れてしまっていたのだから当然だ。助手席で少し震えながら身体を丸めて様々に思いを巡らす。

 頭の中で、心の中で、今大きな変化が起きている。嬉しい。嬉しくて嬉しくて仕方がない。顔を両手で覆うとニヤニヤが止まらないのが分かる。多喜から告白された時、多喜に初めてキスをした時、多喜と初めて愛を交わした日…… どうしても多喜との出来事と比較してしまうが、もしかするとこの嬉しさは多喜との思い出を上回っているかも知れない。槇子が生きていると分かった瞬間。槇子と抱き合った時のあの感触。耳元で聞くあの声。

 生きててくれていて良かった。本当に良かった…… もう絶対にいなくなって欲しくないよ……

 いつの間にか惠美はすっかり眠り込んでしまっていた。その時、惠美は槇子の夢を見ていた。二人手を繋いで桜の木を眺めている夢を。


【次回】
 第22話 不機嫌な女


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「あ、はい、はいっ! わ、分かりますか?! 分かるんですかっ⁉」
 相変わらず落ち着いた、逆に言えば心があるのかないのか分からない救急隊員。感情を抑えきれなくなっている惠美を手で制し、落ち着かせるように少しゆっくりはっきりとした言葉で語る。
「向こうの、そう、あの左手の消防隊員ならある程度ですが情報を把握しています。もちろんある程度、です。情報は錯綜しているのでそれはご理解ください。我々も消防も懸命の消火救出活動に努めております。危険ですからくれぐれも規制線内には入らないでください。お願いします。では」
 小走りで持ち場に戻る沈着冷静な隊員。一方ですっかり取り乱している惠美は自分が少し恥ずかしくなった。そそくさと逃げ出すように規制線の外に向かう。消防のホースが吹き上げる水がざざっとパーカーを濡らすのも構わず規制線をくぐって外に出る。さっきの消防隊員が指し示した消防の赤い大きな車に向かう。
 突然背後から、なぜか夢では聞くことのなかった懐かしい声がした。ずっと聞きたかったあの柔らかな声。
「惠美…… ちゃん?」
 これ以上はない速さで振り向く惠美。振り向いた先には槇子がいた。槇子らしい服装で槇子らしい髪型で。でも槇子らしくない目を見開いた驚きの表情で。どういうわけか服も顔も全く汚れていない。
 煙と、水蒸気と、炎の燃える音、怒号、うめき声、熱気、物の燃える嫌な臭い、水しぶきが一緒くたになった火災現場で、二人は一瞬お互いの姿しか見えなくなる。
「どうして……」
 呆気《あっけ》にとられたような、衝撃を受けているような、不可解なような、歓喜しているかのような複雑な表情を見せる槇子。
 その槇子に惠美は何と説明すればいいのか分からなかった。どうしてここに来たのか、なぜここに来たかったのか、その理由を。言葉で表そうとしても上手く説明できない気がする。何よりまず声が出ない。槇子の無事を確認した安堵感と、槇子に会えた嬉しさで、喉が引きつり口がからからに乾き舌があごに貼り付く。唇が震える。視界が少し歪む。
 だから思いっ切り飛びついて抱きつくことにした。
 これが一番の理由。
 きっと一番こうしたかったんだ。
 首根っこにしがみ付いてくる惠美にびっくりした表情の槇子も数瞬のうちに穏やかな笑顔に変わり目を閉じそっと優しく惠美を抱擁する。
「もう、もう、ほんとにびっくり……」
 槇子は嬉しいやら驚くやらで目を白黒させるほかなかった。が、しっかりと惠美を優しくかき抱く。
「よかった…… よかったよ…… また多喜みたいにいなくなっちゃうんじゃないかと思って…… よかった……」
「大丈夫、いなくなってないから。こうしてここにいますよ」
「来ちゃいけないって分ってたのに…… ご、ごめんなさい……」
「来ちゃいけない訳ないじゃない。大歓迎。ありがとう」
「あの、もうちょっとこうしててもいいですか……」
「あは、ちょっと恥ずかしいけど、嬉しい。私もこうしてたい」
 槇子は惠美の髪にそっと頬ずりする。
「私ね、ちょうど今さっきコディアックから帰ってきたところで。もう、空港でニュース見てびっくりしちゃって……」
「!」
 目を剥く惠美。では、さっきまでの自分の心配は全くの的外れだったということか。一人で死ぬほど心配した自分が馬鹿らしくて恥ずかしくなる。それに気づいたのか槇子は惠美の背中をポンポンとあやすように叩く。
「そっか、心配させちゃった? 一方、私の方としては、ええー! 会社が燃えてる! って慌てて会社に行ったら、こんな、こんな天使がお出迎えしてくれてただなんて…… 幸せ! 嬉しい! ありがと!」
 抱きしめる腕の力が強くなる。全くのから騒ぎだったのは悔しいが、天使とまで言われると悪い気がしない。いや、心から嬉しくなる。それほどまでに槇子に好かれていたのか、そう思うと自分でも気づかないまま自然と顔を赤らめ表情も緩む。
 惠美を抱擁から解く槇子。車のカギをいそいそと渡す。槇子にはこれからやらなくてはいけないことが山ほどあるのだ。
「惠美ちゃん随分濡れてるから、向かいの駐車場に停めた車の中で乾かして温まってきてね。乾いたらそのまま帰ってもいいから…… あ、いや、鍵返してもらわないとだめね。どうしようかな……」
「いえ、ずっと車の中にいますから……」
「え、でも、こんな状態だからいつ車に戻れるかわか――」
「待ってます」
 惠美はくすっと笑う
「天使ですから」
 その言葉にカアッと顔を赤らめる槇子。片手の甲で顔を覆う。
「やっ、いやっ、そ、それはっ…… それはっ関けっ……」
「待ってますね!」
 槇子から預かった車のカギを持ってパッと駆け去っていく惠美。車までたどり着くとこれ以上はない笑顔で槇子に手を振り車の助手席に入る。
 エンジンの掛け方は知っていたのでそのままエンジンをかける。暖房を入れると実際自分がひどく凍えていたと気が付いた。この季節にしては薄着でしかも濡れてしまっていたのだから当然だ。助手席で少し震えながら身体を丸めて様々に思いを巡らす。
 頭の中で、心の中で、今大きな変化が起きている。嬉しい。嬉しくて嬉しくて仕方がない。顔を両手で覆うとニヤニヤが止まらないのが分かる。多喜から告白された時、多喜に初めてキスをした時、多喜と初めて愛を交わした日…… どうしても多喜との出来事と比較してしまうが、もしかするとこの嬉しさは多喜との思い出を上回っているかも知れない。槇子が生きていると分かった瞬間。槇子と抱き合った時のあの感触。耳元で聞くあの声。
 生きててくれていて良かった。本当に良かった…… もう絶対にいなくなって欲しくないよ……
 いつの間にか惠美はすっかり眠り込んでしまっていた。その時、惠美は槇子の夢を見ていた。二人手を繋いで桜の木を眺めている夢を。
【次回】
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