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ダミアン:順化する(3/5)

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 文字の読み書きが出来ないのに、なぜ人々が売り買いを可能にしているのかと言えば、そういう最低限のやり取りだけは出来なければならなかったからである。  ベルティナに襲いかかったのは中型怪獣や襲撃者レイダーだけではない。日差しや強雨、寒気や暑気などの天候だけでなく、生きるために道を外れる選択を取る者も現れた。  それでも人々は町で生き抜くことを決意して揺らがなかった。そのためには他所からの物資や人の助力が必要不可欠であった。  もちろん、いつまでも何度でも施しを受けられるわけではない。  売り物、価格、もしくは物々交換。入ったのはいつなのか。それらの情報は文字のやり取りよりも口語で済ませた方が早いと考えられる場合が多く、復興を急ぐだけならそれでよかった。  だがベルティナは田舎にあっても港町である。  もともと都市部からの要望や旅する商人との取引が発生する頻度が近隣の村や町に比べると多い。  復興を急ぐあまり、若手の文字の学習や商業におけるノウハウの継承を後回しにした結果はすぐに現れ始めた。文字が読めないことを悪用され不利な契約を結ばされたり騙されたりなどする事件が多発したのである。ここでも町内の有力者が助け舟を出すものの、それも言ってみれば血を分け与えるようなものだ。共倒れを招くのは目に見えている。  ダミアンが移り住んだ今は特に、海の怪獣騒ぎで有力者達に暇はない。甘え続ける余裕など既になかった。そろそろ町民が自身で取引をし、その危険性を正しく理解しなければならない。読み書き程度で回避ができるならばその方が町も強くなる。  シェアハウスでのディナーミーティングの翌週。  語学学習の希望者は三名。まずはそれぞれ会いに行き、話を聞いてみることになった。スケジュールはシドーが組み立てたのだが、シドーにも仕事はある。このヒアリングは一日で済ませたいらしく、この日だけで三名全員をヒアリングするというハードな一日を組まれてしまった。 「俺が案内するので聞き取りはラムラスさんでお願いします。途中でバテないでくださいよ」 「が、頑張ります」  まずは漁師の男性。まだ二十代半ばの若手で、漁に出ても下っ端扱いなのだそうだ。比較的隙間時間が発生しやすく、その時間で読み書きを学びたいという。  彼の学習レベルはお世辞を言うまでもなく低い。学習のために何が必要なのか、何をするのかも分からない状態だった。  彼の目標としては、都会との取引の際に用いられる文字、意味を把握したいというもの。彼はおもむろに一昨年の取引伝票を見せてきたのでシドーも一緒になって驚いたが、そういう書類の保管や重要性もどうやら理解されていないらしい。  その部分を教える事はできないし、漁業に関する知識もダミアンにはない。だが金額や要望する商品の量が分かるくらいでいいなら伝えられなくもない。彼の場合は極めて初歩的なところからのスタートとなる。  次に対話したのは雑貨屋主人だった。ダミアンと同じくらいの年齢だが、学習の機会を失ったまま親から事業を継ぐこととなってしまったのだという。基本的なことを押さえてはいたものの、両親が他界して完全に自分の手に渡ってまもなくトラブルに見舞われた。不利な契約書にサインをしてしまい、商品を売るたびにマイナスを計上するようになったのだ。  有力者の手腕によって救われたものの、文字が読めなければ同じことを繰り返してしまうかもしれない。主人はそれを懸念しつつも業務改善の機会を得られないまま、自転車操業のような商売を続けている。  彼の目標は商売における基本的な用語の理解だ。商業はダミアンの苦手とするところだが、文字が分かれば先代の残した日誌を読み返すことができる。それができれば自分も日誌を書けるようになるし、記録をつけることができるようになる。  記録とはあらゆる活動の基本であり、軸となるものだ。彼の手元には彼の取引に関する領収証や請求書が一切なかった。それは書くことが出来ないうえ、読むことも出来ないからであった。  最後に対話したのは青果売りの妻。彼女も見た目には若々しく、こちらはシドーよりも若いように見える。だが右側、首元と頬に火傷の跡があり、右足は義足であった。二十年前の怪獣襲撃の際に負傷したのだという。歩けなくはないが非常に難儀しているらしく、右耳もあまり聞こえないのだそうだ。  青果売りの主人との馴れ初めを語り出しそうになるのを引き止めつつ、彼女の目標を聞き出した。  それはまさに主人のサポートができるようになりたいというものだった。商売のために使う通話デバイスが設置されているものの、彼女はメモを残すことができない。  今までは売り物となる青果の品定め、配達先の分別などを行なっていたものの、それらは午前中に終わってしまうし毎日ではない。読めないので勉強をしようにも進められず、仕方なく子ども時代に使っていた教科書で独学しようとしているらしい。主人はベルティナとは違う土地からやってきたため、読み書きはもちろん多少の学を修めてはいるものの、妻に勉強を教えるだけの時間を作るのは難しいのだそうだ。  全員のヒアリングを終えたダミアンは別れの挨拶を終えて少し歩いたのち、フラフラと狭い路地に入った。シドーがその後についてくる。壁にもたれかかるダミアンにかけてやる言葉はないらしい。ダミアンは深く深く息を吐き、ようやく言葉を口にした。 「疲れた……」 「どうやったら体力つくんですかね」  いつまでもそうしている場合ではない。シドーはダミアンを引きずりながら、まずは休ませるため店に入る。夕方までかかったヒアリングは体力のないダミアンには重労働であった。



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 文字の読み書きが出来ないのに、なぜ人々が売り買いを可能にしているのかと言えば、そういう最低限のやり取りだけは出来なければならなかったからである。  ベルティナに襲いかかったのは中型怪獣や襲撃者レイダーだけではない。日差しや強雨、寒気や暑気などの天候だけでなく、生きるために道を外れる選択を取る者も現れた。  それでも人々は町で生き抜くことを決意して揺らがなかった。そのためには他所からの物資や人の助力が必要不可欠であった。  もちろん、いつまでも何度でも施しを受けられるわけではない。  売り物、価格、もしくは物々交換。入ったのはいつなのか。それらの情報は文字のやり取りよりも口語で済ませた方が早いと考えられる場合が多く、復興を急ぐだけならそれでよかった。  だがベルティナは田舎にあっても港町である。  もともと都市部からの要望や旅する商人との取引が発生する頻度が近隣の村や町に比べると多い。  復興を急ぐあまり、若手の文字の学習や商業におけるノウハウの継承を後回しにした結果はすぐに現れ始めた。文字が読めないことを悪用され不利な契約を結ばされたり騙されたりなどする事件が多発したのである。ここでも町内の有力者が助け舟を出すものの、それも言ってみれば血を分け与えるようなものだ。共倒れを招くのは目に見えている。  ダミアンが移り住んだ今は特に、海の怪獣騒ぎで有力者達に暇はない。甘え続ける余裕など既になかった。そろそろ町民が自身で取引をし、その危険性を正しく理解しなければならない。読み書き程度で回避ができるならばその方が町も強くなる。  シェアハウスでのディナーミーティングの翌週。  語学学習の希望者は三名。まずはそれぞれ会いに行き、話を聞いてみることになった。スケジュールはシドーが組み立てたのだが、シドーにも仕事はある。このヒアリングは一日で済ませたいらしく、この日だけで三名全員をヒアリングするというハードな一日を組まれてしまった。 「俺が案内するので聞き取りはラムラスさんでお願いします。途中でバテないでくださいよ」 「が、頑張ります」  まずは漁師の男性。まだ二十代半ばの若手で、漁に出ても下っ端扱いなのだそうだ。比較的隙間時間が発生しやすく、その時間で読み書きを学びたいという。  彼の学習レベルはお世辞を言うまでもなく低い。学習のために何が必要なのか、何をするのかも分からない状態だった。  彼の目標としては、都会との取引の際に用いられる文字、意味を把握したいというもの。彼はおもむろに一昨年の取引伝票を見せてきたのでシドーも一緒になって驚いたが、そういう書類の保管や重要性もどうやら理解されていないらしい。  その部分を教える事はできないし、漁業に関する知識もダミアンにはない。だが金額や要望する商品の量が分かるくらいでいいなら伝えられなくもない。彼の場合は極めて初歩的なところからのスタートとなる。  次に対話したのは雑貨屋主人だった。ダミアンと同じくらいの年齢だが、学習の機会を失ったまま親から事業を継ぐこととなってしまったのだという。基本的なことを押さえてはいたものの、両親が他界して完全に自分の手に渡ってまもなくトラブルに見舞われた。不利な契約書にサインをしてしまい、商品を売るたびにマイナスを計上するようになったのだ。  有力者の手腕によって救われたものの、文字が読めなければ同じことを繰り返してしまうかもしれない。主人はそれを懸念しつつも業務改善の機会を得られないまま、自転車操業のような商売を続けている。  彼の目標は商売における基本的な用語の理解だ。商業はダミアンの苦手とするところだが、文字が分かれば先代の残した日誌を読み返すことができる。それができれば自分も日誌を書けるようになるし、記録をつけることができるようになる。  記録とはあらゆる活動の基本であり、軸となるものだ。彼の手元には彼の取引に関する領収証や請求書が一切なかった。それは書くことが出来ないうえ、読むことも出来ないからであった。  最後に対話したのは青果売りの妻。彼女も見た目には若々しく、こちらはシドーよりも若いように見える。だが右側、首元と頬に火傷の跡があり、右足は義足であった。二十年前の怪獣襲撃の際に負傷したのだという。歩けなくはないが非常に難儀しているらしく、右耳もあまり聞こえないのだそうだ。  青果売りの主人との馴れ初めを語り出しそうになるのを引き止めつつ、彼女の目標を聞き出した。  それはまさに主人のサポートができるようになりたいというものだった。商売のために使う通話デバイスが設置されているものの、彼女はメモを残すことができない。  今までは売り物となる青果の品定め、配達先の分別などを行なっていたものの、それらは午前中に終わってしまうし毎日ではない。読めないので勉強をしようにも進められず、仕方なく子ども時代に使っていた教科書で独学しようとしているらしい。主人はベルティナとは違う土地からやってきたため、読み書きはもちろん多少の学を修めてはいるものの、妻に勉強を教えるだけの時間を作るのは難しいのだそうだ。  全員のヒアリングを終えたダミアンは別れの挨拶を終えて少し歩いたのち、フラフラと狭い路地に入った。シドーがその後についてくる。壁にもたれかかるダミアンにかけてやる言葉はないらしい。ダミアンは深く深く息を吐き、ようやく言葉を口にした。 「疲れた……」 「どうやったら体力つくんですかね」  いつまでもそうしている場合ではない。シドーはダミアンを引きずりながら、まずは休ませるため店に入る。夕方までかかったヒアリングは体力のないダミアンには重労働であった。



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