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シアン:うそ(1/7)

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 カプカプと泡が海面に向かっていく。海面に張り付いて揺れる網目に沿って、柔らかな光のカーテンが揺らいでいる。  遮るもののない海上の風がのびのびと通り過ぎていき、海面を弄んでほんの少しの波を起こす。  日が昇り始めると海洋生物たちの動きが変化する。暗いところを好むものは影を求めて、食事を目的としたものは明るさに誘われて現れる群れを追い立てる。  それらの動きは海中に流れを作り、海底からぷくぷくと続く泡の列を少しだけ乱していった。 「明るい」「明るくなった」「明るいとは?」 「暗くないこと。暗いのはここをずっと奥に行った時みたいな感じの」 「そっちの方が好き」「でも明るくないと会えない」 「アエナイ?」「顔を合わせること。声を聞くこと」  カプカプカプ……。  何も聞こえないはずの海底にはたくさんの『それ』がぶつぶつと独り言を交わし合っている。 「ダメだったから」「暗いとダメだった」「ダメ?」 「よくないこと」「多分、場所が良くなかった」  長い蔦のような何かが一本、うねって動いて海底の砂を払って撒き散らした。隠れていた魚が驚いて逃げ出し、発生した海水の流れに蟹や貝たちが吹き飛ばされていく。 「あれは地上にたくさんいる」「違う」「あれはその中の個だから、同じじゃない」 「あれって?」「ヒト」「ニンゲン」 「何が違う?」「同じもの」「ヒトニンゲン? ニンゲンヒト?」 「違う。ニンゲンもヒトも同じものを示している」 「同じだが、みな個を示す名がある」  カプ……。  例え潜水技術が洗練されて『それ』の近くに行ったとしても、何も知らなければただの岩肌だと思うだろう。『それ』は目を閉じている。そして微動だにしない。『それ』はあまり外に出たがらない性質をしている。うるさかったり、目障りだった時には動くものの、それすら稀である。『それ』はひたすら惰眠を貪り時間が過ぎるのを待った。  いつまでも待った。待つつもりだった。いつか静かになったら『みな』が探しに来るだろうと思ったからだ。  しかし最近は違う。『それ』はお気に入りのニンゲンがいる。  こちらの寝床に招こうとしたところ、生命活動が弱まったため慌てて手放してしまった。どうやら海はニンゲンにとって快適とは言い難い環境なのだ、ということを初めて理解した。  だから『それ』は大いに残念がった。 (私たちと違う)(私たちは私。みな同じ)(人間は違う。形も違う) (そう。だから真似た。似せないと目立つから) (あの個にまた会う?) (会う。ここではダメだった。だから上で会うしかない) (ここで会えるようにすればいい)(作り変えろ) (ニンゲンに関わるなと、言っている)(『みな』が言っている) 「コロロロ……クルル……」 (悪いことになる)(関わるなと)(助けを求めている) (みなは集まりたがっている) (なぜやめた?)(あのまま連れて行けばよかった。保管すればいい) (もしくは同化か、消化か)(みなと対立するのか?) 「カロロ……」 (そうしたら声が聞こえなくなる。あのヒトがこちらに向けてくれる言葉と声が好ましい。言わせるのは意味がない。あのヒトが言うから意味がある。だから、しない) (そうか)(私たちは) (私は。あのヒトを好ましく思っている。『みな』が抱いているものとは異なるものを抱いている) (だから集まらないのか。対立するのか。『みな』は一つであったのに)  カプカプ……。 「負けない」  大きな岩壁のようにも見える、分厚い瞼が一つ。ゆっくりと開いた。青緑の、メノウのような色をして淡く光る瞳。中心には青白く光る楕円が瞳孔のように収縮を見せ、それが生物であることを思わせる。  それはあまりにも大きく、知らなければ目玉とすら思うことはないだろう。かつての戦争の遺物とでも判断したかもしれない。 「私は負けない。私は砕かれることなく、失うことなくここまで来た。対立はしたくない。だから隠している。それでも『みな』が私を、ダミアンやシドーを脅かすなら許さない」



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 カプカプと泡が海面に向かっていく。海面に張り付いて揺れる網目に沿って、柔らかな光のカーテンが揺らいでいる。  遮るもののない海上の風がのびのびと通り過ぎていき、海面を弄んでほんの少しの波を起こす。  日が昇り始めると海洋生物たちの動きが変化する。暗いところを好むものは影を求めて、食事を目的としたものは明るさに誘われて現れる群れを追い立てる。  それらの動きは海中に流れを作り、海底からぷくぷくと続く泡の列を少しだけ乱していった。 「明るい」「明るくなった」「明るいとは?」 「暗くないこと。暗いのはここをずっと奥に行った時みたいな感じの」 「そっちの方が好き」「でも明るくないと会えない」 「アエナイ?」「顔を合わせること。声を聞くこと」  カプカプカプ……。  何も聞こえないはずの海底にはたくさんの『それ』がぶつぶつと独り言を交わし合っている。 「ダメだったから」「暗いとダメだった」「ダメ?」 「よくないこと」「多分、場所が良くなかった」  長い蔦のような何かが一本、うねって動いて海底の砂を払って撒き散らした。隠れていた魚が驚いて逃げ出し、発生した海水の流れに蟹や貝たちが吹き飛ばされていく。 「あれは地上にたくさんいる」「違う」「あれはその中の個だから、同じじゃない」 「あれって?」「ヒト」「ニンゲン」 「何が違う?」「同じもの」「ヒトニンゲン? ニンゲンヒト?」 「違う。ニンゲンもヒトも同じものを示している」 「同じだが、みな個を示す名がある」  カプ……。  例え潜水技術が洗練されて『それ』の近くに行ったとしても、何も知らなければただの岩肌だと思うだろう。『それ』は目を閉じている。そして微動だにしない。『それ』はあまり外に出たがらない性質をしている。うるさかったり、目障りだった時には動くものの、それすら稀である。『それ』はひたすら惰眠を貪り時間が過ぎるのを待った。  いつまでも待った。待つつもりだった。いつか静かになったら『みな』が探しに来るだろうと思ったからだ。  しかし最近は違う。『それ』はお気に入りのニンゲンがいる。  こちらの寝床に招こうとしたところ、生命活動が弱まったため慌てて手放してしまった。どうやら海はニンゲンにとって快適とは言い難い環境なのだ、ということを初めて理解した。  だから『それ』は大いに残念がった。 (私たちと違う)(私たちは私。みな同じ)(人間は違う。形も違う) (そう。だから真似た。似せないと目立つから) (あの個にまた会う?) (会う。ここではダメだった。だから上で会うしかない) (ここで会えるようにすればいい)(作り変えろ) (ニンゲンに関わるなと、言っている)(『みな』が言っている) 「コロロロ……クルル……」 (悪いことになる)(関わるなと)(助けを求めている) (みなは集まりたがっている) (なぜやめた?)(あのまま連れて行けばよかった。保管すればいい) (もしくは同化か、消化か)(みなと対立するのか?) 「カロロ……」 (そうしたら声が聞こえなくなる。あのヒトがこちらに向けてくれる言葉と声が好ましい。言わせるのは意味がない。あのヒトが言うから意味がある。だから、しない) (そうか)(私たちは) (私は。あのヒトを好ましく思っている。『みな』が抱いているものとは異なるものを抱いている) (だから集まらないのか。対立するのか。『みな』は一つであったのに)  カプカプ……。 「負けない」  大きな岩壁のようにも見える、分厚い瞼が一つ。ゆっくりと開いた。青緑の、メノウのような色をして淡く光る瞳。中心には青白く光る楕円が瞳孔のように収縮を見せ、それが生物であることを思わせる。  それはあまりにも大きく、知らなければ目玉とすら思うことはないだろう。かつての戦争の遺物とでも判断したかもしれない。 「私は負けない。私は砕かれることなく、失うことなくここまで来た。対立はしたくない。だから隠している。それでも『みな』が私を、ダミアンやシドーを脅かすなら許さない」



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