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洋上賃貸の訪問者

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 妙な圧迫感で何度も目が覚めた。  繰り返しまどろみに沈もうとしたが、ついに空腹と尿意で頭を持ち上げた時、寝室は夜のような暗闇と静寂の空間であった。そこは確かに自分が潜り込んだ寝室であり、ベッドである。なのに何かがおかしい。時計は三時を指している。空気の渦が耳の穴を貫こうとしているかのような、奇妙な感覚がする。これが耳鳴りという症状だろうか。 「何時に寝た?」  振り返りたくもない過去の幻影と同じような言葉を吐いたあの時。前日と同じように朝日が差し込むのを煩わしく感じながら目を細め、ブラインドで窓を遮った。時間はわからない。だが朝。寝たのだ。  ではこの三時は十五時か。それとも早朝三時か? こうやって日時が曖昧になるから、できるだけ朝型になりたいと思っていたのに。調子が悪いとすぐこれだ。  携帯デバイスを確認する。日付、時刻。紛れもなく十五時だ。  そう、あの朝日を見てから時間が巡り、夕方に差し掛かろうとしている。  長い時間横になっていたからだろうか。鈍い痛みを感じている。空腹が思考を乱している。とにかく手洗いに行って尿意を先に解消することにした。  そしてようやく違和感に気がついた。暗すぎるのだ。 「嵐か?」  天気予報なんて見ていない。だが眩しい朝日を睨みつけた記憶がある。それはもっと以前に見た朝日だっただろうか。嵐なら風雨や雷の音くらいしそうなものだが。  いや、音はある。軋むような音。風が強いのか。コォォォォ、と何かが聞こえてくる。何か……ダクトから聞こえる冷たい空気の流れる音のような。  ダミアンは外の様子を確認するためブラインドを持ち上げた。相変わらず暗い。この洋上賃貸のガラスは全て強化ガラスのはずだが、パキンッと窓の端で弾けるような音がした。 「これは……」  窓は内側から押し開けるスタイルのものが設置されている。その窓が開かないのだ。かつて都会に住んでいた頃、締切に追われながら文章をひたすら捻り出していた経験のあるダミアンですら、この状況をいかにして形容して説明したら良いのかわからなかった。浮かんだ文章は次のようなものだった。 『窓は押さえつけられているかのようにびくともしなかった。まるで何かで縛られてしまって身動きが取れないような。』  ダミアンは他の窓を確認しに行った。同様だ。どの窓も開かない。  外の光を一切取り込むことができない。電気は来ているようだが、この異常性が照明を灯すという行為を完全に忘れさせていた。窓が何に押さえつけられるというのだ? 家屋を縛るなんてどういう状況だ? それとも悪い夢をまた見ているのか。  ハッとして、ダミアンは玄関扉に飛びついた。開かない。施錠されているかどうかではない。施錠されていないのに開かないのだ。次に確認したのは、万が一のための勝手口だ。床に扉が備え付けられており、脱出用のボートがすぐに使える状態で格納されている。だがその扉も開かなかった。 「ち、違う……逆だ」  何かが開けようとしている。  勝手口は錠前で施錠されている。ダミアンが息を呑んだのは、扉が押し上げられるように少し浮いているのを見たからだ。ぐぐ、と押し上げては戻る。腹式呼吸で胸部が持ち上がる様子のように、少し膨らんでは戻る。  何者かがこじ開けようとしているのではない。それならもっと乱暴なことをするはずだ。  波が迫っているのでもない。それなら風の音や荒れ狂う海の様子が何かしら聞こえるはずだし、ヒバルやシドーから何か言ってきそうなものだ。  そこまで考えてようやく、あの不動産屋の二人の存在を思い出した。彼らなら外からこの家屋の状況を確認できるはずだ。絡まりそうになる足で寝室に戻り、ダミアンはすぐさま携帯デバイスを覗き込んだ。バッテリーに問題はない。電波の問題がないならば繋がるに違いない。 『ラムラスさん? あんた、まさか家にいるのか?』  ヒバルはすぐに呼び出しに応じた。だがその緊張感ある声に不安を感じずにはいられない。ヒバルは現代を生きる逞しさと強かさを併せ持った自信の塊のような男だとダミアンは評価している。そのヒバルの硬い声と、敬語をどこかに忘れて置いてきたような口ぶりは明らかに異常事態を示しているとしか思えなかった。 『ラムラスさんと繋がった。お前らはそこにいろ!』  ヒバルの声が少し離れて何かを指示している。何やら物々しいのは彼の背後から聞こえる音で察することができた。多くの人や物が集まっているのだ。 『どこにいるんです? もしかしてあの家の中ですか?』 「他に僕の家なんてありませんよ! 外の状況を知ってるんですか? どうなってるんですか!」  嘘だろ。ヒバルが再び声を外してそうぼやいたのが聞こえた。それは全く状況説明になっておらず、むしろ不安を掻き立てるだけだ。ダミアンを苛立たせるのには十分だった。 「この家屋はあなたの所有物でしょう!? 床下からも何かが入り込もうとしているんです!  すぐになんとかしてください! 管理費はそのために支払っているんですよ!」 『この状況に太刀打ちするための管理費じゃありませんよ!  あんた、まさか海になにか呼びかけたんじゃねえだろうな……』 「はあ? こんな時になにを……」  海に。呼びかけた。 「ここに落ちれば少しは変わるだろうか」 「いいや。僕は何も変わらない」  あんな独り言。関係あるはずがないじゃないか。ダミアンはそう反論するところだったが、ベルティナへの船旅でダミアンは不愉快な出来事に遭遇したことを思い出した。  海に誰かがいるように見えた。溺れているのかと思ったのだ。だから呼びかけた。 「そこにいるのか? 大丈夫か?」  言ってから、海の中にいるなら声も聞こえないのかもしれないと思った。  救命用の道具や救助の必要性を船員に呼びかけようとする前に、ダミアンは船員によく分からない言葉で一喝され、船内に引きずり戻された。訛りがきつい上に専門用語のような言葉まで使われた上、強い力で乱暴に扱われたことで訳がわからなかったが、船長が間に入ってくれたおかげで状況は理解した。 「海に呼びかけるな。怪獣がいるかもしれないんだぞ」  ヒバルに話した通りのことを言ってダミアンは反論した。水棲の怪獣の報告はないと。だが船長は首を振った。 「これまでにいくつもの船が沈んだ。この辺りを通過する時は皆、照明を落としてできるだけ静かに通過する」  海に怪獣なんかいない。それを証明することは難しい。だが今の状況を説明するのには十分かもしれない。 『ラムラスさん? ラムラスさん! 返事をしてくれ!!』  現実に戻ってきた。ダミアンは慌てて通話に戻った。 「い、います。いますよ。まだ生きてます! でも……」  ミシミシと嫌な音があちこちから聞こえ始めてきた。窓が開かない。玄関の扉も開かない。どうやって? 何か、長い物が巻き付いているのか? これまで確認されている怪獣にそんな特徴を持つものはいないが、そもそも怪獣の研究なんか芳しくない。  未知なるものがいることは、十分に考えられる。考えたくないだけなのだ。 「家が全体的に軋んでいます……。外から見たらどうなってるんですか? 何が見えるんですか?」  ヒバルは少し考えるようなうめき声を漏らした。 『わかりません。あなたの家に何かが巻き付いているようではあります。  完全に家を包んでるように見える……が、それがなんなのかはわからない』  絶望的だ。  怪獣は小型なら群れで行動し、大したこともできない存在だ。  だがある程度成長すると力も強くなり、特殊な能力や攻撃をしてくるようになる。これまで人類が撃退してきた大型のものは、最大でも体長二十メートルほどのものだった。それを上回るサイズのものは超大型と区別され、基本的に存在が確認されたら危険地域として人間側が生活を捨ててその地を離れる。  この家だって小さなものではない。それを完全に包んでいるとなると、どれほどのものなのか分からない。大きいということは何らかの能力を持っている可能性も高い。接触はもちろん接近するだけでなんらかの異常をきたす可能性もある。  実際、目が覚めた時からダミアンは体調不良だ。 『ラムラスさん、また連絡します。ベルティナの防衛団を集めているところです。  何か変わったことがあったらすぐに連絡してください。こちらからも随時連絡を入れます』  そんなものが頼りになるのか? 小さな港町ごときの防衛団。どうせ小型の群れから畑や家畜を守るくらいのものだろう。  だがそうも言ってられなかった。返事をしたくない。わかりました、と了承するのも憚れたが、もはやそれどころではない。 「わかり、ました……」  こんな状況で何が判ったというのか。



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 妙な圧迫感で何度も目が覚めた。  繰り返しまどろみに沈もうとしたが、ついに空腹と尿意で頭を持ち上げた時、寝室は夜のような暗闇と静寂の空間であった。そこは確かに自分が潜り込んだ寝室であり、ベッドである。なのに何かがおかしい。時計は三時を指している。空気の渦が耳の穴を貫こうとしているかのような、奇妙な感覚がする。これが耳鳴りという症状だろうか。 「何時に寝た?」  振り返りたくもない過去の幻影と同じような言葉を吐いたあの時。前日と同じように朝日が差し込むのを煩わしく感じながら目を細め、ブラインドで窓を遮った。時間はわからない。だが朝。寝たのだ。  ではこの三時は十五時か。それとも早朝三時か? こうやって日時が曖昧になるから、できるだけ朝型になりたいと思っていたのに。調子が悪いとすぐこれだ。  携帯デバイスを確認する。日付、時刻。紛れもなく十五時だ。  そう、あの朝日を見てから時間が巡り、夕方に差し掛かろうとしている。  長い時間横になっていたからだろうか。鈍い痛みを感じている。空腹が思考を乱している。とにかく手洗いに行って尿意を先に解消することにした。  そしてようやく違和感に気がついた。暗すぎるのだ。 「嵐か?」  天気予報なんて見ていない。だが眩しい朝日を睨みつけた記憶がある。それはもっと以前に見た朝日だっただろうか。嵐なら風雨や雷の音くらいしそうなものだが。  いや、音はある。軋むような音。風が強いのか。コォォォォ、と何かが聞こえてくる。何か……ダクトから聞こえる冷たい空気の流れる音のような。  ダミアンは外の様子を確認するためブラインドを持ち上げた。相変わらず暗い。この洋上賃貸のガラスは全て強化ガラスのはずだが、パキンッと窓の端で弾けるような音がした。 「これは……」  窓は内側から押し開けるスタイルのものが設置されている。その窓が開かないのだ。かつて都会に住んでいた頃、締切に追われながら文章をひたすら捻り出していた経験のあるダミアンですら、この状況をいかにして形容して説明したら良いのかわからなかった。浮かんだ文章は次のようなものだった。 『窓は押さえつけられているかのようにびくともしなかった。まるで何かで縛られてしまって身動きが取れないような。』  ダミアンは他の窓を確認しに行った。同様だ。どの窓も開かない。  外の光を一切取り込むことができない。電気は来ているようだが、この異常性が照明を灯すという行為を完全に忘れさせていた。窓が何に押さえつけられるというのだ? 家屋を縛るなんてどういう状況だ? それとも悪い夢をまた見ているのか。  ハッとして、ダミアンは玄関扉に飛びついた。開かない。施錠されているかどうかではない。施錠されていないのに開かないのだ。次に確認したのは、万が一のための勝手口だ。床に扉が備え付けられており、脱出用のボートがすぐに使える状態で格納されている。だがその扉も開かなかった。 「ち、違う……逆だ」  何かが開けようとしている。  勝手口は錠前で施錠されている。ダミアンが息を呑んだのは、扉が押し上げられるように少し浮いているのを見たからだ。ぐぐ、と押し上げては戻る。腹式呼吸で胸部が持ち上がる様子のように、少し膨らんでは戻る。  何者かがこじ開けようとしているのではない。それならもっと乱暴なことをするはずだ。  波が迫っているのでもない。それなら風の音や荒れ狂う海の様子が何かしら聞こえるはずだし、ヒバルやシドーから何か言ってきそうなものだ。  そこまで考えてようやく、あの不動産屋の二人の存在を思い出した。彼らなら外からこの家屋の状況を確認できるはずだ。絡まりそうになる足で寝室に戻り、ダミアンはすぐさま携帯デバイスを覗き込んだ。バッテリーに問題はない。電波の問題がないならば繋がるに違いない。 『ラムラスさん? あんた、まさか家にいるのか?』  ヒバルはすぐに呼び出しに応じた。だがその緊張感ある声に不安を感じずにはいられない。ヒバルは現代を生きる逞しさと強かさを併せ持った自信の塊のような男だとダミアンは評価している。そのヒバルの硬い声と、敬語をどこかに忘れて置いてきたような口ぶりは明らかに異常事態を示しているとしか思えなかった。 『ラムラスさんと繋がった。お前らはそこにいろ!』  ヒバルの声が少し離れて何かを指示している。何やら物々しいのは彼の背後から聞こえる音で察することができた。多くの人や物が集まっているのだ。 『どこにいるんです? もしかしてあの家の中ですか?』 「他に僕の家なんてありませんよ! 外の状況を知ってるんですか? どうなってるんですか!」  嘘だろ。ヒバルが再び声を外してそうぼやいたのが聞こえた。それは全く状況説明になっておらず、むしろ不安を掻き立てるだけだ。ダミアンを苛立たせるのには十分だった。 「この家屋はあなたの所有物でしょう!? 床下からも何かが入り込もうとしているんです!  すぐになんとかしてください! 管理費はそのために支払っているんですよ!」 『この状況に太刀打ちするための管理費じゃありませんよ!  あんた、まさか海になにか呼びかけたんじゃねえだろうな……』 「はあ? こんな時になにを……」  海に。呼びかけた。 「ここに落ちれば少しは変わるだろうか」 「いいや。僕は何も変わらない」  あんな独り言。関係あるはずがないじゃないか。ダミアンはそう反論するところだったが、ベルティナへの船旅でダミアンは不愉快な出来事に遭遇したことを思い出した。  海に誰かがいるように見えた。溺れているのかと思ったのだ。だから呼びかけた。 「そこにいるのか? 大丈夫か?」  言ってから、海の中にいるなら声も聞こえないのかもしれないと思った。  救命用の道具や救助の必要性を船員に呼びかけようとする前に、ダミアンは船員によく分からない言葉で一喝され、船内に引きずり戻された。訛りがきつい上に専門用語のような言葉まで使われた上、強い力で乱暴に扱われたことで訳がわからなかったが、船長が間に入ってくれたおかげで状況は理解した。 「海に呼びかけるな。怪獣がいるかもしれないんだぞ」  ヒバルに話した通りのことを言ってダミアンは反論した。水棲の怪獣の報告はないと。だが船長は首を振った。 「これまでにいくつもの船が沈んだ。この辺りを通過する時は皆、照明を落としてできるだけ静かに通過する」  海に怪獣なんかいない。それを証明することは難しい。だが今の状況を説明するのには十分かもしれない。 『ラムラスさん? ラムラスさん! 返事をしてくれ!!』  現実に戻ってきた。ダミアンは慌てて通話に戻った。 「い、います。いますよ。まだ生きてます! でも……」  ミシミシと嫌な音があちこちから聞こえ始めてきた。窓が開かない。玄関の扉も開かない。どうやって? 何か、長い物が巻き付いているのか? これまで確認されている怪獣にそんな特徴を持つものはいないが、そもそも怪獣の研究なんか芳しくない。  未知なるものがいることは、十分に考えられる。考えたくないだけなのだ。 「家が全体的に軋んでいます……。外から見たらどうなってるんですか? 何が見えるんですか?」  ヒバルは少し考えるようなうめき声を漏らした。 『わかりません。あなたの家に何かが巻き付いているようではあります。  完全に家を包んでるように見える……が、それがなんなのかはわからない』  絶望的だ。  怪獣は小型なら群れで行動し、大したこともできない存在だ。  だがある程度成長すると力も強くなり、特殊な能力や攻撃をしてくるようになる。これまで人類が撃退してきた大型のものは、最大でも体長二十メートルほどのものだった。それを上回るサイズのものは超大型と区別され、基本的に存在が確認されたら危険地域として人間側が生活を捨ててその地を離れる。  この家だって小さなものではない。それを完全に包んでいるとなると、どれほどのものなのか分からない。大きいということは何らかの能力を持っている可能性も高い。接触はもちろん接近するだけでなんらかの異常をきたす可能性もある。  実際、目が覚めた時からダミアンは体調不良だ。 『ラムラスさん、また連絡します。ベルティナの防衛団を集めているところです。  何か変わったことがあったらすぐに連絡してください。こちらからも随時連絡を入れます』  そんなものが頼りになるのか? 小さな港町ごときの防衛団。どうせ小型の群れから畑や家畜を守るくらいのものだろう。  だがそうも言ってられなかった。返事をしたくない。わかりました、と了承するのも憚れたが、もはやそれどころではない。 「わかり、ました……」  こんな状況で何が判ったというのか。



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