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シアン:うそ(7/7)

ー/ー



(どうしてどうしてどうして)(もっと早くすれば)(殺せ! 殺せ!)
(コロニーごと潰してしまえ)(血が出ると人間は死ぬ)(確実に死ぬ)

(違う、殺したら血が出ることがあるだけ)

 背後から放たれたクロスボウの矢は命中精度の低いものだった。だがダミアンの右足と左腕の皮膚の一部を引きちぎって持ち去った。彼らの持つ武器の役割としてはそれで十分だった。

 焼けるような痛みに思わず呻き声を漏らし、ダミアンはその場に崩れるようにしゃがみ込んでしまう。

「ラムラスさん!」

 漁師の若者は直ちに気づき駆け寄ってくれた。腕をとり肩にまわし、半ば背負う形で支える。その力強い動きがジワリと傷口に刺激を与える。痛みが焼きつくように傷口にまとわりつく。まるで少しずつ蝕みながら食いちぎられているかのようだ。

「う……」
「大丈夫です、すぐに避難所に着くので! お姉さんもこっちだ、ついてきてくれ!」

 シアンは泣きそうな顔をして若者を見上げていたが、その声かけに頷いて従った。

「逃げるぞ! 次は当てろ!」
「あんなのすぐに追いついてやる!」

 襲撃者たちの声が背後から迫る。シアンは立ち止まり振り返った。彼らの顔。怒りなどよりは面白がっているように見える。
 心が、体がざわついた。

(ダミアンを殺すつもりか。遊びで殺すつもりだな)
「お前たちは敵。間違えない」

 シアンの左手がほつれていく。人間の肌色をしていたものが色を変え輪郭を失った次の瞬間、それは青緑色の繊維状になり、やがてそれが絡み合って青緑色をした一本の蔦状の物質に変化する。海洋生物の触手にも似ているが吸盤などはなく、青白い縞模様とまだら模様を浮かび上がらせるそれは異質でしかなかった。

 襲撃者たちの動きが止まる。町民の女一人なら格好の獲物であるはずなのに、その女は全く人間味のない存在であった。風に逆らって髪が揺れ、ふわりと逆立っている。人形のように硬い眼差し。

 何を見間違えているのかと思った。人間なのだと信じたかったのに、目の前のそれは明らかにちがうのだ。

 女はゆっくり歩み寄り、髪を掻き上げるように何気ない動作で振り払った。それはおよそ届かない十分な距離があったにもかかわらず、襲撃者たちは一様に腹部に一撃を受けて凄まじい勢いで弾き飛ばされた。今しがた飛び出してきた倉庫に仲良く三人、ぶち込まれるようにして叩きつけられる。

 その様子をわざわざ見に行くまでもなく、いくつかの設備や道具類が破壊されたことは音と振動で十分に理解した。
 だがまだ生きている。耳障りな声が聞こえる。這いつくばって汚らわしい。追撃をと動いた体はしかし、引き止められた。

(忘れるな。ダミアンは人間が死ぬことを喜ばない)

 動きを止めたシアンはそのまま体を変質化させ始めた。絵の具が水に滲むように、頭部から少しずつ輪郭を失い、色を失っていく。固さを失ったそれは静かに静かに体積を減らし、霧になって消える。噴水の勢いが徐々に小さくなっていくのに似たこの様子は、町中でシアンが姿を形成していく様子を逆再生させているように見えることだろう。

(どこへ行った? すぐに向かわねばならない。あの人間ではダミアンを助けられない)

 避難所。
 いくつもの小さな目が町中を見ている。そのいずれにもダミアンの姿はなく、もちろんシドーの姿もない。焦りが行動に出かかった頃、ダミアンを背負った漁師の若者の姿が細い路地から飛び出して来る姿が確認された。ダミアンの顔は血色が失せて白くなっているのに、汗が額や頬を伝って流れている。
 彼は確かに運動が苦手で体力がないが、このような状態になるのは見たことがなかった。

(毒だ)(敵が持っていた細いやつ。変な色と臭いがする)
(殺そう!)(死んじゃう?)(人間には毒。体に悪い)

(あの人間をヒバルの元に導け)

 当初の目的地とは異なる避難所に若者は到着した。当初の目的地には襲撃者が多く徘徊しており、とても大人一人を背負って入り込める状況ではなかった。

 その避難所はヒバルやシドーが寝起きするシェアハウスである。通常は関係者以外立ち入り禁止であり、訪問客すら招き入れないが緊急時の場合は解放される。現在では三階、ダミアンがかつて過ごしていた一室のあるフロアが避難民の集合場所となっている。

 ダミアンを背負ってやってきた若者の姿を見たヒバルは言葉を失ったが、すぐに適切な処置を行うように部下たちに指示を出した。一階のダイニング。いつもなら部下たちが横になったり菓子類を抱えて談笑するソファにダミアンを横にさせる。

 ここまでくると漁師の若者にできることはない。働きを労ったヒバルは彼を三階に行くように指示し、部下を行かせた。
 意識朦朧としていたダミアンだが、処置を受け呼吸が落ち着くと瞼を開いた。その視界にヒバルの姿を捉えるとうっすらと笑みを浮かべる。

「あなたには、格好悪いところ、ばかりを、見られてしまいます、ね」

 応急処置をしていた部下の一人がヒバルに耳打ちする。報告を聞き、ヒバルは二、三の短い指示を出してからダミアンに向き直る。

「弱みにすらなりませんよ。今、医者を呼んでいます」
「シドー、さん、は」
「シドー? ああ、あいつは大丈夫です。ピンピンしてますよ」

(嘘だ)(ヒバルはシドーの状況を知らない)
(どうして)(気にしなくていい?)
(シドーは?)(情報が来ない。遅い)

 シアンは再び姿を形成する。誰もいない四階の、ヒバルのオフィスの前。オフィスは鍵がかかっているため、室内で形成してしまうと出られないからだ。ゆっくり足元から形成して色をつける。だが気持ちが急いでいた。シアンは転がり落ちそうになりながら階段を降り、一階ダイニングに駆け込む。

「ダミアン」

 名を呼び、その姿を見るなり寄り添う姿に部下たちは居た堪れない気持ちで視線を交わし合ったが、ヒバルだけはその姿を冷静に見据えていた。

 以前ダミアンは女性の浮浪者がいるとヒバルに話したことがある。それが彼女なのだと思ったようだが、快く迎え入れる気持ちではないらしい。
 ただ、今はそれどころではないから言わないだけだろう。

「ケガは、ありませんか」
 この状況にあってもダミアンはシアンを心配するようだ。

「ケガはしない……しません」
「それなら、よかった」
「ダミアン」 

 何もしないでいると、ダミアンはゆっくりと瞼を閉じてしまう。それがまるで命を落とす瞬間のように感じられてしまって落ち着かなかった。致命傷ではないこともわかっている。休んだ方が回復することも分かっているのだ。
 あまりにも静かな寝顔で穏やかだから不安なのである。

 シアンはもう、音のない暗闇に自分だけで佇むことができない。

「どうすれば、どうしたら」

 シアンは涙を知らない。感情をよく知らないシアンは怒りすら正しく把握していない。悲しいということも。わかっているのは、今感じているのは確実に喜びの真逆にあるものだということだ。

 狼狽えるシアンにダミアンは言い含めるようにゆっくりと言った。

「ヒバルさん、の、指示に、従って、静かに、過ごしてください」
「それは、それではいけません」

 シアンはダミアンの手を取った。微かに感じられる振動。これが心臓と呼ばれる臓器の動きであり、人間が生きるのに必須のもの。脳か心臓が停止した時、ほぼ死亡が確定する。この振動は定期的なもの。ダミアンのそれはやや早く、乱れているようだ。

 チリチリとした感情がシアンを焼きつつあった。

(望め。復讐と報復を望め。あなたは苦しまなくていい。あなたに喜んでほしい。あなたが嫌うものがいなくなれば、あなたは)
 シアンの口が動き、声を出す前にダミアンはシアンの手を握り返した。

「必要ありません」

 ハッとした。その言葉。しかしそれだけではない。

 シアンの手の指の数が多いのだ。早く会いたくて急いだからか、うまく形成できないままやって来てしまったようだ。ヒバルがこちらを見て黙っていたのはそういうことだったのだろうか。しかも気がつかないままダミアンの手を取ってしまったばかりか、握り返されている。いかに誤魔化せるとしても触れてしまったものは現実である。

 だがダミアンは何も言わなかった。

「あなた、は、ケガもなく、ここに来れた。それが、大変、喜ばしい、ことです」

 気づいているはずだ。人間の手の指は五本しかない。その位置に指はない。それなのにダミアンは何も言わなかった。いや、喜ばしいことと言った。
 ふ、と彼は小さく笑う。

「きれいごと、ですが、それで……それで、いいのですよ……十分です」

 小説家は嘘をつく。彼らの物語はフィクションだ。時には登場人物やその舞台すら実在しないエピソードなのだ。ダミアンとて例外ではない。美辞麗句も社交辞令も、ダミアンにとってなにも難しいことではない。

 ただ、彼のそれはあまりにも優しくて柔らかかった。

「あなたの嘘は心地よい」

 ダミアンはもう応じなかった。心臓の動きは続き、呼吸も続いている。眠ってしまったダミアンの手の重さは、シアンにはあまりにも儚げに感じられた。


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(コロニーごと潰してしまえ)(血が出ると人間は死ぬ)(確実に死ぬ)
(違う、殺したら血が出ることがあるだけ)
 背後から放たれたクロスボウの矢は命中精度の低いものだった。だがダミアンの右足と左腕の皮膚の一部を引きちぎって持ち去った。彼らの持つ武器の役割としてはそれで十分だった。
 焼けるような痛みに思わず呻き声を漏らし、ダミアンはその場に崩れるようにしゃがみ込んでしまう。
「ラムラスさん!」
 漁師の若者は直ちに気づき駆け寄ってくれた。腕をとり肩にまわし、半ば背負う形で支える。その力強い動きがジワリと傷口に刺激を与える。痛みが焼きつくように傷口にまとわりつく。まるで少しずつ蝕みながら食いちぎられているかのようだ。
「う……」
「大丈夫です、すぐに避難所に着くので! お姉さんもこっちだ、ついてきてくれ!」
 シアンは泣きそうな顔をして若者を見上げていたが、その声かけに頷いて従った。
「逃げるぞ! 次は当てろ!」
「あんなのすぐに追いついてやる!」
 襲撃者たちの声が背後から迫る。シアンは立ち止まり振り返った。彼らの顔。怒りなどよりは面白がっているように見える。
 心が、体がざわついた。
(ダミアンを殺すつもりか。遊びで殺すつもりだな)
「お前たちは敵。間違えない」
 シアンの左手がほつれていく。人間の肌色をしていたものが色を変え輪郭を失った次の瞬間、それは青緑色の繊維状になり、やがてそれが絡み合って青緑色をした一本の蔦状の物質に変化する。海洋生物の触手にも似ているが吸盤などはなく、青白い縞模様とまだら模様を浮かび上がらせるそれは異質でしかなかった。
 襲撃者たちの動きが止まる。町民の女一人なら格好の獲物であるはずなのに、その女は全く人間味のない存在であった。風に逆らって髪が揺れ、ふわりと逆立っている。人形のように硬い眼差し。
 何を見間違えているのかと思った。人間なのだと信じたかったのに、目の前のそれは明らかにちがうのだ。
 女はゆっくり歩み寄り、髪を掻き上げるように何気ない動作で振り払った。それはおよそ届かない十分な距離があったにもかかわらず、襲撃者たちは一様に腹部に一撃を受けて凄まじい勢いで弾き飛ばされた。今しがた飛び出してきた倉庫に仲良く三人、ぶち込まれるようにして叩きつけられる。
 その様子をわざわざ見に行くまでもなく、いくつかの設備や道具類が破壊されたことは音と振動で十分に理解した。
 だがまだ生きている。耳障りな声が聞こえる。這いつくばって汚らわしい。追撃をと動いた体はしかし、引き止められた。
(忘れるな。ダミアンは人間が死ぬことを喜ばない)
 動きを止めたシアンはそのまま体を変質化させ始めた。絵の具が水に滲むように、頭部から少しずつ輪郭を失い、色を失っていく。固さを失ったそれは静かに静かに体積を減らし、霧になって消える。噴水の勢いが徐々に小さくなっていくのに似たこの様子は、町中でシアンが姿を形成していく様子を逆再生させているように見えることだろう。
(どこへ行った? すぐに向かわねばならない。あの人間ではダミアンを助けられない)
 避難所。
 いくつもの小さな目が町中を見ている。そのいずれにもダミアンの姿はなく、もちろんシドーの姿もない。焦りが行動に出かかった頃、ダミアンを背負った漁師の若者の姿が細い路地から飛び出して来る姿が確認された。ダミアンの顔は血色が失せて白くなっているのに、汗が額や頬を伝って流れている。
 彼は確かに運動が苦手で体力がないが、このような状態になるのは見たことがなかった。
(毒だ)(敵が持っていた細いやつ。変な色と臭いがする)
(殺そう!)(死んじゃう?)(人間には毒。体に悪い)
(あの人間をヒバルの元に導け)
 当初の目的地とは異なる避難所に若者は到着した。当初の目的地には襲撃者が多く徘徊しており、とても大人一人を背負って入り込める状況ではなかった。
 その避難所はヒバルやシドーが寝起きするシェアハウスである。通常は関係者以外立ち入り禁止であり、訪問客すら招き入れないが緊急時の場合は解放される。現在では三階、ダミアンがかつて過ごしていた一室のあるフロアが避難民の集合場所となっている。
 ダミアンを背負ってやってきた若者の姿を見たヒバルは言葉を失ったが、すぐに適切な処置を行うように部下たちに指示を出した。一階のダイニング。いつもなら部下たちが横になったり菓子類を抱えて談笑するソファにダミアンを横にさせる。
 ここまでくると漁師の若者にできることはない。働きを労ったヒバルは彼を三階に行くように指示し、部下を行かせた。
 意識朦朧としていたダミアンだが、処置を受け呼吸が落ち着くと瞼を開いた。その視界にヒバルの姿を捉えるとうっすらと笑みを浮かべる。
「あなたには、格好悪いところ、ばかりを、見られてしまいます、ね」
 応急処置をしていた部下の一人がヒバルに耳打ちする。報告を聞き、ヒバルは二、三の短い指示を出してからダミアンに向き直る。
「弱みにすらなりませんよ。今、医者を呼んでいます」
「シドー、さん、は」
「シドー? ああ、あいつは大丈夫です。ピンピンしてますよ」
(嘘だ)(ヒバルはシドーの状況を知らない)
(どうして)(気にしなくていい?)
(シドーは?)(情報が来ない。遅い)
 シアンは再び姿を形成する。誰もいない四階の、ヒバルのオフィスの前。オフィスは鍵がかかっているため、室内で形成してしまうと出られないからだ。ゆっくり足元から形成して色をつける。だが気持ちが急いでいた。シアンは転がり落ちそうになりながら階段を降り、一階ダイニングに駆け込む。
「ダミアン」
 名を呼び、その姿を見るなり寄り添う姿に部下たちは居た堪れない気持ちで視線を交わし合ったが、ヒバルだけはその姿を冷静に見据えていた。
 以前ダミアンは女性の浮浪者がいるとヒバルに話したことがある。それが彼女なのだと思ったようだが、快く迎え入れる気持ちではないらしい。
 ただ、今はそれどころではないから言わないだけだろう。
「ケガは、ありませんか」
 この状況にあってもダミアンはシアンを心配するようだ。
「ケガはしない……しません」
「それなら、よかった」
「ダミアン」 
 何もしないでいると、ダミアンはゆっくりと瞼を閉じてしまう。それがまるで命を落とす瞬間のように感じられてしまって落ち着かなかった。致命傷ではないこともわかっている。休んだ方が回復することも分かっているのだ。
 あまりにも静かな寝顔で穏やかだから不安なのである。
 シアンはもう、音のない暗闇に自分だけで佇むことができない。
「どうすれば、どうしたら」
 シアンは涙を知らない。感情をよく知らないシアンは怒りすら正しく把握していない。悲しいということも。わかっているのは、今感じているのは確実に喜びの真逆にあるものだということだ。
 狼狽えるシアンにダミアンは言い含めるようにゆっくりと言った。
「ヒバルさん、の、指示に、従って、静かに、過ごしてください」
「それは、それではいけません」
 シアンはダミアンの手を取った。微かに感じられる振動。これが心臓と呼ばれる臓器の動きであり、人間が生きるのに必須のもの。脳か心臓が停止した時、ほぼ死亡が確定する。この振動は定期的なもの。ダミアンのそれはやや早く、乱れているようだ。
 チリチリとした感情がシアンを焼きつつあった。
(望め。復讐と報復を望め。あなたは苦しまなくていい。あなたに喜んでほしい。あなたが嫌うものがいなくなれば、あなたは)
 シアンの口が動き、声を出す前にダミアンはシアンの手を握り返した。
「必要ありません」
 ハッとした。その言葉。しかしそれだけではない。
 シアンの手の指の数が多いのだ。早く会いたくて急いだからか、うまく形成できないままやって来てしまったようだ。ヒバルがこちらを見て黙っていたのはそういうことだったのだろうか。しかも気がつかないままダミアンの手を取ってしまったばかりか、握り返されている。いかに誤魔化せるとしても触れてしまったものは現実である。
 だがダミアンは何も言わなかった。
「あなた、は、ケガもなく、ここに来れた。それが、大変、喜ばしい、ことです」
 気づいているはずだ。人間の手の指は五本しかない。その位置に指はない。それなのにダミアンは何も言わなかった。いや、喜ばしいことと言った。
 ふ、と彼は小さく笑う。
「きれいごと、ですが、それで……それで、いいのですよ……十分です」
 小説家は嘘をつく。彼らの物語はフィクションだ。時には登場人物やその舞台すら実在しないエピソードなのだ。ダミアンとて例外ではない。美辞麗句も社交辞令も、ダミアンにとってなにも難しいことではない。
 ただ、彼のそれはあまりにも優しくて柔らかかった。
「あなたの嘘は心地よい」
 ダミアンはもう応じなかった。心臓の動きは続き、呼吸も続いている。眠ってしまったダミアンの手の重さは、シアンにはあまりにも儚げに感じられた。