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シアン:うそ(3/7)

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(ニンゲン、シナモノ?)(シナモノが中から出てくる)(なにしてる?)(どうしたニンゲン、ヒト?)(これはどういう行為?) (同族を襲う? ニンゲン、共食いする?)(共食いすると具合悪くなる、前のニンゲンから学んだ) (ではこれはなに?)  レッドホーンの店内はやや広く作られている。換気のための設備が整っており、席が埋まっていても顧客を満足させることが可能な大きさの広い鉄板が最奥に作られている。鉄板で作られたものが店員によって運ばれる。鉄板は常に高温を維持しており、適切な焼き加減には技術が必要だ。  熱気。そして香りが常に人々を惹きつける。多少、煙で白く霞んでいるが、熱々で脂がまだ泡立つ肉厚ステーキや、はち切れんばかりにぶりぶりになったソーセージを見ればもう、誰もそんなこと気にしなくなる。  正方形のテーブル。ダミアンの正面にシドーが座り、ダミアンから見て左側の席にシアンを座らせている。 「シドーさんが私を海に?」  ソーセージにナイフを入れると肉汁が弾ける。ダミアンは慎重に切り分けながらその不穏な話題に触れた。  盛況な店内では、ダミアンの声など簡単にかき消される。誰もその話題に気付いてはいないだろう。 「どうしてそんな……まさか」 「するわけないじゃないですか。言っちゃ悪いですけど、そんなことしなくてもあんたなら手間が掛からなそうですし」 「ど、どういう意味ですか……」  物騒なことを言うシドーは不満そうにしながら血色まじりの脂を滴らせる肉厚ステーキを頬張った。肉の旨みは機嫌を僅かに直すのに貢献し、しかめ面だったシドーの表情は少しばかり改善した。  それでもまだ言いたいことはあるようで、咀嚼しながら視線は考え事で動いている。  ダミアンは先に質問を投げることにした。 「どうしてその話を私に?」  シドーの双眸がダミアンを見てしばし。飲み込み、水を飲んで口元を軽く拭ってから口を開いた。 「公的に疑われているわけではないんです。今はヒバルさんがその可能性を指摘しただけで」 「ヒバルさんが……」  驚くほどのことではない。あの大柄な有力者が慧眼けいがんを養っているであろうことは数回の対話やこれまでの振る舞いでなんとなく理解している。自分の部下に厳しい目を向けていることもシドーの態度から窺い知れるというものだ。  思っていることや考えていることも、ヒバルは全てを話したりはしていないだろう。シドーにその話をしたのも確証を得たかったのか、もしくは何か別のことを考えているのかもしれない。 (あのニンゲンはできない)(あま) (強いし難しい。うまく扱えない)(疑われないようにするのは無理がある) (怪しまれないようにするだけでいい) (うまうま)(そこまでしたいわけじゃない)  グリル野菜の盛り合わせが到着する。よい焼き色のそれらからは香ばしさが視覚的にも伝わってくる。色そのものも本来の野菜の色ほどの鮮やかさはなくとも、赤に黄、緑と鮮やかな色合いで楽しませてくれた。  ダミアンは赤パプリカとカボチャのスライス、ヤングコーンを選んで取り皿に乗せ、シアンに差し出した。シアンには先にローストフルーツを出してある。はちみつをかけてローストされたナッツ類とりんご、パイナップル、ブドウの皿である。ダミアンとシドーの間に交わされる言葉も気にしていないようだ。  シドーはアスパラガスとニンジンのグリルを自分の取り皿に乗せ、それから話を続けた。 「言い訳のようになってしまうんですが、あの日は本当に……気分が悪かったんです」 「そうだったんですか? すみません、気が付かなくて。今も続いているんですか?」 「いま……いや、今は何も」  そうは言うものの、シドーが本調子でなさそうなのはいかにダミアンが鈍い男だと言っても察するにあまりある。シドーは歯切れの悪い発言が続いており、好物のはずのステーキも減るのが遅い。  互いに言葉が出てこない時間が流れた。店内で談笑する人々の声と、活気あふれる店員たちのやり取り。鉄板で弾ける香りと脂の音が賑やかだ。それなのにどこか、ダミアンは静寂を感じていた。  違和感である。それがダミアンとシドーに纏わりついて、食事と対話に集中できないのだ。  ダミアンが海に落ちた日。シドーが怒声を放つほど激昂した日。二人にとって、この日は何かがおかしかったのだ。それを共有できるのはお互いのみだが、それをうまく言い表すことができない。  香草を練り込んだソーセージの味すら、どこか遠い。 「ラムラスさん」  先に踏み込んだのはシドーだった。 「海に落ちたときのこと何も覚えてないですか? というかあの日はそもそも、俺と会う前や後に変わったことはなかったですか?」 「変わったことなんて……自分にしては、安易な決断をしたかもしれないと思いはしましたけど、決めた後でそれは無責任でしょう。それに海に落ちたときのこと、は、」  。  ダミアンは言いかけて止まった。覚えていないと思った光景が今、不意に脳裏に浮かんだ。締め上げられた痛みと圧迫感。頭上へ遠ざかる海面。重たい暗闇に沈んでいく身体。  無意識に左隣に座るシアンの横顔を見てしまった。 (好ましい味)(シッカリシロ!)(気付かれそう、どうする) (残りもよぶ?)(ヨロコビ、形容できない。言葉を知らない) (あまあま)(やわらか。口に入れると溶ける)(シナモノ近づいてる!) (よろこび過ぎてる)(ヨロコビ!) 「……なんで、こいつがいるんだ?」  シドーは怪訝な顔をしてシアンを見ている。そして目線がダミアンと交差する。なにかに気がついたような、だがそうではないような。覚えているようで、何も思い出せない。  そこだけが白く塗りつぶされてしまっている。確かに存在する記憶なのに奇妙なほど『空白』であった。 「シドーさんはどうして……溺れている私に気がついたんですか?」 「それは……海に、探しものを……」  質問にははっきりと答えるシドーの声が力無く小さくなっている。わかりやすく、彼は自信のない発言をしているのだ。  発見当時、ダミアンは海面で意識のない状態で浮かんでいたとシドーは証言している。空気を求めてバタついているならまだしも、身動きせず浮かんだままのものにシドーが興味を示すとは思えない。探しもの?  店に招かれざる客が訪問したのはちょうどそんな時だった。ガラスが粉砕され、木製の扉が壊される乱暴な音ともに、荒々しい靴音が複数人分。  店員の挨拶よりも先に、女性の悲鳴が上がった。



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(ニンゲン、シナモノ?)(シナモノが中から出てくる)(なにしてる?)(どうしたニンゲン、ヒト?)(これはどういう行為?) (同族を襲う? ニンゲン、共食いする?)(共食いすると具合悪くなる、前のニンゲンから学んだ) (ではこれはなに?)  レッドホーンの店内はやや広く作られている。換気のための設備が整っており、席が埋まっていても顧客を満足させることが可能な大きさの広い鉄板が最奥に作られている。鉄板で作られたものが店員によって運ばれる。鉄板は常に高温を維持しており、適切な焼き加減には技術が必要だ。  熱気。そして香りが常に人々を惹きつける。多少、煙で白く霞んでいるが、熱々で脂がまだ泡立つ肉厚ステーキや、はち切れんばかりにぶりぶりになったソーセージを見ればもう、誰もそんなこと気にしなくなる。  正方形のテーブル。ダミアンの正面にシドーが座り、ダミアンから見て左側の席にシアンを座らせている。 「シドーさんが私を海に?」  ソーセージにナイフを入れると肉汁が弾ける。ダミアンは慎重に切り分けながらその不穏な話題に触れた。  盛況な店内では、ダミアンの声など簡単にかき消される。誰もその話題に気付いてはいないだろう。 「どうしてそんな……まさか」 「するわけないじゃないですか。言っちゃ悪いですけど、そんなことしなくてもあんたなら手間が掛からなそうですし」 「ど、どういう意味ですか……」  物騒なことを言うシドーは不満そうにしながら血色まじりの脂を滴らせる肉厚ステーキを頬張った。肉の旨みは機嫌を僅かに直すのに貢献し、しかめ面だったシドーの表情は少しばかり改善した。  それでもまだ言いたいことはあるようで、咀嚼しながら視線は考え事で動いている。  ダミアンは先に質問を投げることにした。 「どうしてその話を私に?」  シドーの双眸がダミアンを見てしばし。飲み込み、水を飲んで口元を軽く拭ってから口を開いた。 「公的に疑われているわけではないんです。今はヒバルさんがその可能性を指摘しただけで」 「ヒバルさんが……」  驚くほどのことではない。あの大柄な有力者が慧眼けいがんを養っているであろうことは数回の対話やこれまでの振る舞いでなんとなく理解している。自分の部下に厳しい目を向けていることもシドーの態度から窺い知れるというものだ。  思っていることや考えていることも、ヒバルは全てを話したりはしていないだろう。シドーにその話をしたのも確証を得たかったのか、もしくは何か別のことを考えているのかもしれない。 (あのニンゲンはできない)(あま) (強いし難しい。うまく扱えない)(疑われないようにするのは無理がある) (怪しまれないようにするだけでいい) (うまうま)(そこまでしたいわけじゃない)  グリル野菜の盛り合わせが到着する。よい焼き色のそれらからは香ばしさが視覚的にも伝わってくる。色そのものも本来の野菜の色ほどの鮮やかさはなくとも、赤に黄、緑と鮮やかな色合いで楽しませてくれた。  ダミアンは赤パプリカとカボチャのスライス、ヤングコーンを選んで取り皿に乗せ、シアンに差し出した。シアンには先にローストフルーツを出してある。はちみつをかけてローストされたナッツ類とりんご、パイナップル、ブドウの皿である。ダミアンとシドーの間に交わされる言葉も気にしていないようだ。  シドーはアスパラガスとニンジンのグリルを自分の取り皿に乗せ、それから話を続けた。 「言い訳のようになってしまうんですが、あの日は本当に……気分が悪かったんです」 「そうだったんですか? すみません、気が付かなくて。今も続いているんですか?」 「いま……いや、今は何も」  そうは言うものの、シドーが本調子でなさそうなのはいかにダミアンが鈍い男だと言っても察するにあまりある。シドーは歯切れの悪い発言が続いており、好物のはずのステーキも減るのが遅い。  互いに言葉が出てこない時間が流れた。店内で談笑する人々の声と、活気あふれる店員たちのやり取り。鉄板で弾ける香りと脂の音が賑やかだ。それなのにどこか、ダミアンは静寂を感じていた。  違和感である。それがダミアンとシドーに纏わりついて、食事と対話に集中できないのだ。  ダミアンが海に落ちた日。シドーが怒声を放つほど激昂した日。二人にとって、この日は何かがおかしかったのだ。それを共有できるのはお互いのみだが、それをうまく言い表すことができない。  香草を練り込んだソーセージの味すら、どこか遠い。 「ラムラスさん」  先に踏み込んだのはシドーだった。 「海に落ちたときのこと何も覚えてないですか? というかあの日はそもそも、俺と会う前や後に変わったことはなかったですか?」 「変わったことなんて……自分にしては、安易な決断をしたかもしれないと思いはしましたけど、決めた後でそれは無責任でしょう。それに海に落ちたときのこと、は、」  。  ダミアンは言いかけて止まった。覚えていないと思った光景が今、不意に脳裏に浮かんだ。締め上げられた痛みと圧迫感。頭上へ遠ざかる海面。重たい暗闇に沈んでいく身体。  無意識に左隣に座るシアンの横顔を見てしまった。 (好ましい味)(シッカリシロ!)(気付かれそう、どうする) (残りもよぶ?)(ヨロコビ、形容できない。言葉を知らない) (あまあま)(やわらか。口に入れると溶ける)(シナモノ近づいてる!) (よろこび過ぎてる)(ヨロコビ!) 「……なんで、こいつがいるんだ?」  シドーは怪訝な顔をしてシアンを見ている。そして目線がダミアンと交差する。なにかに気がついたような、だがそうではないような。覚えているようで、何も思い出せない。  そこだけが白く塗りつぶされてしまっている。確かに存在する記憶なのに奇妙なほど『空白』であった。 「シドーさんはどうして……溺れている私に気がついたんですか?」 「それは……海に、探しものを……」  質問にははっきりと答えるシドーの声が力無く小さくなっている。わかりやすく、彼は自信のない発言をしているのだ。  発見当時、ダミアンは海面で意識のない状態で浮かんでいたとシドーは証言している。空気を求めてバタついているならまだしも、身動きせず浮かんだままのものにシドーが興味を示すとは思えない。探しもの?  店に招かれざる客が訪問したのはちょうどそんな時だった。ガラスが粉砕され、木製の扉が壊される乱暴な音ともに、荒々しい靴音が複数人分。  店員の挨拶よりも先に、女性の悲鳴が上がった。



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