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彼らと彼女の終着点 (終幕)

17/19





 リーンゴーン  涼しげで、透き通った鐘の音が、雲ひとつ無い青空に溶けていく。 「健やかなるときもぉ、病めるときもぉ、喜びのときもぉ、悲しみのときもぉ、富めるぅときもぉ、貧しいときぃもぉ、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますかぁ?」  微妙な節回し。だけどもとても真剣な表情で、初老の神父は問いかける。 「誓います…。」  その言葉に、神父は満足そうに2度ほど頷いた。  懐から四角い箱を取り出す。  そしてゆっくりとその箱を開ける。  綺麗に輝く指輪が二つ、そこにはあった。  同じデザインだけど、1つは彼女の肌の色にあう、ピンクゴールド。  もう一つはプラチナで、鮮やかに銀色に輝いていた。  俺の手が迷うことなく、ピンクゴールドの指輪に伸びる。  大切な宝物を手にとるように、ゆっくりとそれをとりだし、隣を向く。  純白のウェディングドレス。きれいなヴェールに隠れてその顔は薄っすらとしか見えない。でもそのヴェールの下、満面の笑みを浮かべている彼女を容易に想像できた。  彼女は黙って左手を差し出してきた。  俺は慎重に、この時間を噛みしめるかのように、彼女の細い薬指に指輪をはめる。  彼女も俺と同じ様に、ケースからプラチナのリングを取り出し、俺の差し出した左手の薬指に、リングを嵌めてくれる。 「それではぁ、誓いのぉ、口づけをぅ。」  神父の妙な節回しに笑いそうになるのをこらえて、ゆっくりと彼女に近づき、そのヴェールをめくりあげる。  彼女は、目に涙を浮かべて、でも花が咲くかのような笑顔を向けてくれていた。  お互いの唇が近づく。ゆっくりと。この瞬間を永遠に心に刻みつけるように。  ---------- 「おめでとう…朋美、おめでとう…慶介。」  チャペルの片隅、目立たないように立っていた男は、淋しそうな、苦しそうな表情を浮かべて、誰にも聞こえないように小さな声でそう呟いた。  そして皆が誓いの口づけに目を奪われている間に、ゆっくりとその場を離れた。 「もう、いいのかね…。」  男は不意に声をかけられて、ビクッと体を震わせる。だが覚悟を決めたようにゆっくりを振り返る。 「誓いを破って…すみません。冬坂さん…。」 「君に今日のことを教えたのは私だ…気にしないでくれ。」  冬坂さんと呼ばれた中年の男、朋美の父親は硬い表情のままそう言った。 「一生、逢うつもりはなかった。でも二人が結婚すると聞いて、どうしても見届けたかった…だから約束を破って、ここに来ました。」 「満足…なのか?」 「俺に…祝福の言葉をかける資格はありません…。」  冬坂は、一度だけ大きくため息をついた。 「誓いを破ったお前には、罰を受けてもらうとしよう。今日の18時必ずここにこい。もしお前に贖罪の意識があるならば、絶対に来い。」  そういって男に小さく畳んだメモを手渡すと、冬坂はチャペルへと戻っていった。 「贖罪…か…そう言われて逃げる訳にはいかないよな…。」  自嘲気味にそう呟くと、男は静かに立ち去った。  -----------  17時50分  男はメモに書かれた場所に到着していた。  とあるレンタル会議室が指定場所だった。  何がおきるのか‥と心中に不安がよぎる。  しかし贖罪と言われた以上、逃げるわけにはいかなかった。  許されざる過去を、少しでも精算できるなら何をされても仕方ない。  そうは思うものの、やはり不安がこみ上げてくる。  カツ、カツ、カツ  足音が聞こえる。  男は体をこわばらせた。  カツ、カツ、カツ コツ、コツ、コツ  足音は2つだった。一つは小さかったから最初は聞き逃したようだ。  やがて足音は、男のいる部屋の前で止まった。  少しの静寂…ゆっくりとドアが開いていく。 「明博!」  懐かしい声が自分を呼んだ。  二度と聞くことが出来ないと思った声。一度は深く憎み、でも憧れてもいた男の声だった。 「けい…すけ…。」  男は驚きと嬉しさで動くことが出来なかった。 「あきひろ…くん…。」  慶介の背後、身を隠すようにしていた女性も彼の名を呼んだ。 「冬坂…さん…。」  朋美と呼びそうになり、慌てて我慢する。 「おいおい、もう冬坂じゃないぞ。橘 朋美だ。」  慶介がそういって、肩をたたいてくる。 「なん…で…何でお前たちがここに…。」  嬉しさと戸惑いで涙が流れてくるのを明博は感じた。 「明博…くん、正直ね…私は今でもあなたを許せない…それは分かるよね…。」  朋美の冷たい声が、浮足立ちかけていた明博の心に冷水を浴びせる。 「でもね…もう4年…。私は慶介と共に生きる誓を立てられた。あなたが望んでも手に入れることができなかった私の心を、慶介に捧げることが出来た。」  分かっていたことだけど、その言葉は明博の心に痛みを与える。 「だからね…許せないけど、それでも…私たちは前に進みましょう…。あなたの心はずっと、あの日に囚われたままなのでしょう?もう…いいから…貴方はあなたの人生を見つけて…あなたの大切に出来る人を見つけて…幸せに…なって…。」  明博はその場に泣き崩れた。  そしてようやく、今までずっと言うことが出来なかった言葉を口にした。 「ごめん…ごめん…ごめんなさい…おれは、俺は…嫉妬と憎しみと…歪んだ愛情で、お前たちを傷つけてしまった…本当は謝りたかった。償いたかった…。」  凍てついていた心が、溶けていくのを感じた。ようやく自分の時間が動き始めたのだと解った。 (俺はこんな二人だから…憧れていたんだな。その片鱗が欲しくて朋美を求め、慶介を憎んでいたんだな…俺なんかがはいる余地がないと認めたくなかったんだな。)  あの日から今日まで、解けることのなかった暗い感情がゆっくりと溶けていく。  そして自分が手放したものの大きさを、改めて実感していた。 「俺たちは…今日を最後に、二度と同じ場所で生きることはないと思う…だけどな。それでも、お前にも幸せになって欲しいって思ってる。いい忘れていたが、残念ながら、俺はお前が俺を嫌うほどには、お前のことは嫌いじゃなかったんだぜ。」 「慶介…俺は…本当はお前に憧れていたんだ…お前になりたかった…。」  涙混じりの声で、正直に答えた。 「明博くん…15年…楽しかったよ。ごめんね、あなたを受け入れることが出来なくて。ありがとうね…あなたの罪をずっと背負ってくれていて。そしてさようなら…あなたも幸せになってくれると信じているから…。」  表情は硬かった。色々な思いが胸をかき乱していた。  だけれども、最後には15年の重み、幼馴染だった思いが勝ったのだろう。  朋美もまた、優しい言葉を明博におくった。  その言葉を最後に二人は去っていた。  明博は1人、床にうずくまったまま泣き続けていた。涙がどれだけ流しても枯れなかった。 「それが…君の罪だ…。それを忘れるな。だが…あの子達が言ったように、幸せになるんだ。それが君の果たすべき贖罪だ。わかったかね…。」  いつの間にきていたのだろうか、朋美の父が開いたままの部屋の前にいた。  泣き崩れている明博にきつい言葉を投げかけてくる。  しかしその言葉は何処か温かかった。 「はい…はい…俺は必ず…あいつらに胸を張れるくらい幸せになります…なってみせます…。」 「そうか…頑張ってくれ…。」  ------------------- 「朋美‥」  愛おしい女の名を呼び、そっとその体を抱き寄せる。  吐息混じりの甘い声を出しながら、朋美は俺の胸に倒れ込んでくる。  柔らかい胸の感触を、自分の胸で感じる。  自然に唇を重ねる。  その艶やかな黒髪を手で掬い、かきあげて、白い首筋に口づけをする。  再び朋美の甘い声が聞こえた。 「朋美…ずっとそばに居てくれ…ずっと俺の隣で微笑んでいてくれ。」 「うん‥何があってもあなたのそばを離れない…あなたも私から逃げられるなんて思わないでね…。地の底にだって追いかけていからね…。」  そう言っていたずらっぽく笑う朋美がたまらなく愛おしくて、俺は彼女の細い肩を抱いて、そっとベッドに押し倒す。  そして唇を重ねる。  俺たちには本当に色々あった。  だからこそ、今こうして俺の腕の中にいる女性が、どれほど大切なのかを知ることが出来ている。  これから先、何が起ころうとも、絶対に彼女を離さない。  彼女を一生幸せだと思わせる…それが俺の誓い。俺の願い。  彼女の疵跡は完全に消えたわけではないけれど、それでも俺とともに行きてくれると誓ってくれた。  だからその疵跡もすべて俺は受け入れる。  突然パニックになろうと、俺の抱擁を拒絶しようと、絶対に彼女を離さない



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 リーンゴーン  涼しげで、透き通った鐘の音が、雲ひとつ無い青空に溶けていく。 「健やかなるときもぉ、病めるときもぉ、喜びのときもぉ、悲しみのときもぉ、富めるぅときもぉ、貧しいときぃもぉ、妻を愛し、敬い、慰め合い、共に助け合い、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますかぁ?」  微妙な節回し。だけどもとても真剣な表情で、初老の神父は問いかける。 「誓います…。」  その言葉に、神父は満足そうに2度ほど頷いた。  懐から四角い箱を取り出す。  そしてゆっくりとその箱を開ける。  綺麗に輝く指輪が二つ、そこにはあった。  同じデザインだけど、1つは彼女の肌の色にあう、ピンクゴールド。  もう一つはプラチナで、鮮やかに銀色に輝いていた。  俺の手が迷うことなく、ピンクゴールドの指輪に伸びる。  大切な宝物を手にとるように、ゆっくりとそれをとりだし、隣を向く。  純白のウェディングドレス。きれいなヴェールに隠れてその顔は薄っすらとしか見えない。でもそのヴェールの下、満面の笑みを浮かべている彼女を容易に想像できた。  彼女は黙って左手を差し出してきた。  俺は慎重に、この時間を噛みしめるかのように、彼女の細い薬指に指輪をはめる。  彼女も俺と同じ様に、ケースからプラチナのリングを取り出し、俺の差し出した左手の薬指に、リングを嵌めてくれる。 「それではぁ、誓いのぉ、口づけをぅ。」  神父の妙な節回しに笑いそうになるのをこらえて、ゆっくりと彼女に近づき、そのヴェールをめくりあげる。  彼女は、目に涙を浮かべて、でも花が咲くかのような笑顔を向けてくれていた。  お互いの唇が近づく。ゆっくりと。この瞬間を永遠に心に刻みつけるように。  ---------- 「おめでとう…朋美、おめでとう…慶介。」  チャペルの片隅、目立たないように立っていた男は、淋しそうな、苦しそうな表情を浮かべて、誰にも聞こえないように小さな声でそう呟いた。  そして皆が誓いの口づけに目を奪われている間に、ゆっくりとその場を離れた。 「もう、いいのかね…。」  男は不意に声をかけられて、ビクッと体を震わせる。だが覚悟を決めたようにゆっくりを振り返る。 「誓いを破って…すみません。冬坂さん…。」 「君に今日のことを教えたのは私だ…気にしないでくれ。」  冬坂さんと呼ばれた中年の男、朋美の父親は硬い表情のままそう言った。 「一生、逢うつもりはなかった。でも二人が結婚すると聞いて、どうしても見届けたかった…だから約束を破って、ここに来ました。」 「満足…なのか?」 「俺に…祝福の言葉をかける資格はありません…。」  冬坂は、一度だけ大きくため息をついた。 「誓いを破ったお前には、罰を受けてもらうとしよう。今日の18時必ずここにこい。もしお前に贖罪の意識があるならば、絶対に来い。」  そういって男に小さく畳んだメモを手渡すと、冬坂はチャペルへと戻っていった。 「贖罪…か…そう言われて逃げる訳にはいかないよな…。」  自嘲気味にそう呟くと、男は静かに立ち去った。  -----------  17時50分  男はメモに書かれた場所に到着していた。  とあるレンタル会議室が指定場所だった。  何がおきるのか‥と心中に不安がよぎる。  しかし贖罪と言われた以上、逃げるわけにはいかなかった。  許されざる過去を、少しでも精算できるなら何をされても仕方ない。  そうは思うものの、やはり不安がこみ上げてくる。  カツ、カツ、カツ  足音が聞こえる。  男は体をこわばらせた。  カツ、カツ、カツ コツ、コツ、コツ  足音は2つだった。一つは小さかったから最初は聞き逃したようだ。  やがて足音は、男のいる部屋の前で止まった。  少しの静寂…ゆっくりとドアが開いていく。 「明博!」  懐かしい声が自分を呼んだ。  二度と聞くことが出来ないと思った声。一度は深く憎み、でも憧れてもいた男の声だった。 「けい…すけ…。」  男は驚きと嬉しさで動くことが出来なかった。 「あきひろ…くん…。」  慶介の背後、身を隠すようにしていた女性も彼の名を呼んだ。 「冬坂…さん…。」  朋美と呼びそうになり、慌てて我慢する。 「おいおい、もう冬坂じゃないぞ。橘 朋美だ。」  慶介がそういって、肩をたたいてくる。 「なん…で…何でお前たちがここに…。」  嬉しさと戸惑いで涙が流れてくるのを明博は感じた。 「明博…くん、正直ね…私は今でもあなたを許せない…それは分かるよね…。」  朋美の冷たい声が、浮足立ちかけていた明博の心に冷水を浴びせる。 「でもね…もう4年…。私は慶介と共に生きる誓を立てられた。あなたが望んでも手に入れることができなかった私の心を、慶介に捧げることが出来た。」  分かっていたことだけど、その言葉は明博の心に痛みを与える。 「だからね…許せないけど、それでも…私たちは前に進みましょう…。あなたの心はずっと、あの日に囚われたままなのでしょう?もう…いいから…貴方はあなたの人生を見つけて…あなたの大切に出来る人を見つけて…幸せに…なって…。」  明博はその場に泣き崩れた。  そしてようやく、今までずっと言うことが出来なかった言葉を口にした。 「ごめん…ごめん…ごめんなさい…おれは、俺は…嫉妬と憎しみと…歪んだ愛情で、お前たちを傷つけてしまった…本当は謝りたかった。償いたかった…。」  凍てついていた心が、溶けていくのを感じた。ようやく自分の時間が動き始めたのだと解った。 (俺はこんな二人だから…憧れていたんだな。その片鱗が欲しくて朋美を求め、慶介を憎んでいたんだな…俺なんかがはいる余地がないと認めたくなかったんだな。)  あの日から今日まで、解けることのなかった暗い感情がゆっくりと溶けていく。  そして自分が手放したものの大きさを、改めて実感していた。 「俺たちは…今日を最後に、二度と同じ場所で生きることはないと思う…だけどな。それでも、お前にも幸せになって欲しいって思ってる。いい忘れていたが、残念ながら、俺はお前が俺を嫌うほどには、お前のことは嫌いじゃなかったんだぜ。」 「慶介…俺は…本当はお前に憧れていたんだ…お前になりたかった…。」  涙混じりの声で、正直に答えた。 「明博くん…15年…楽しかったよ。ごめんね、あなたを受け入れることが出来なくて。ありがとうね…あなたの罪をずっと背負ってくれていて。そしてさようなら…あなたも幸せになってくれると信じているから…。」  表情は硬かった。色々な思いが胸をかき乱していた。  だけれども、最後には15年の重み、幼馴染だった思いが勝ったのだろう。  朋美もまた、優しい言葉を明博におくった。  その言葉を最後に二人は去っていた。  明博は1人、床にうずくまったまま泣き続けていた。涙がどれだけ流しても枯れなかった。 「それが…君の罪だ…。それを忘れるな。だが…あの子達が言ったように、幸せになるんだ。それが君の果たすべき贖罪だ。わかったかね…。」  いつの間にきていたのだろうか、朋美の父が開いたままの部屋の前にいた。  泣き崩れている明博にきつい言葉を投げかけてくる。  しかしその言葉は何処か温かかった。 「はい…はい…俺は必ず…あいつらに胸を張れるくらい幸せになります…なってみせます…。」 「そうか…頑張ってくれ…。」  ------------------- 「朋美‥」  愛おしい女の名を呼び、そっとその体を抱き寄せる。  吐息混じりの甘い声を出しながら、朋美は俺の胸に倒れ込んでくる。  柔らかい胸の感触を、自分の胸で感じる。  自然に唇を重ねる。  その艶やかな黒髪を手で掬い、かきあげて、白い首筋に口づけをする。  再び朋美の甘い声が聞こえた。 「朋美…ずっとそばに居てくれ…ずっと俺の隣で微笑んでいてくれ。」 「うん‥何があってもあなたのそばを離れない…あなたも私から逃げられるなんて思わないでね…。地の底にだって追いかけていからね…。」  そう言っていたずらっぽく笑う朋美がたまらなく愛おしくて、俺は彼女の細い肩を抱いて、そっとベッドに押し倒す。  そして唇を重ねる。  俺たちには本当に色々あった。  だからこそ、今こうして俺の腕の中にいる女性が、どれほど大切なのかを知ることが出来ている。  これから先、何が起ころうとも、絶対に彼女を離さない。  彼女を一生幸せだと思わせる…それが俺の誓い。俺の願い。  彼女の疵跡は完全に消えたわけではないけれど、それでも俺とともに行きてくれると誓ってくれた。  だからその疵跡もすべて俺は受け入れる。  突然パニックになろうと、俺の抱擁を拒絶しようと、絶対に彼女を離さない



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