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忍び寄る刃

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 それから1月ほどの時間が流れた。  俺はいつもどおりに仕事にでかけ、休み時間や帰宅時にマメに朋美に連絡を入れていた。そしてお互いの空き時間が合う時はカフェに立ち寄ったりしていた。  そんな平穏で当たり前の日常が続いていたのだが、ここ3日ほど朋美と連絡がつかなくなっていた。  電話をしても出ない。メッセージアプリには既読がつかない。  家を訪ねても、彼女の両親から今は会いたくないと言っていると言われてしまう。  何があったのだろうか、俺が何かしてしまったのだろうかと不安な気持ちに押しつぶされそうになりながら、でも朋美を、朋美が俺に向けてくれた15年もの愛情を信じて耐えていた。  耳障りな電子音が鳴り響く。  無理矢理に眠りから覚まされた俺は、苛立たしい感情を押さえてスマホを手に取る。  会社からの緊急連絡かもしれないと思うと、無下には出来ないからだ。  だがディスプレーには見慣れない携帯番号が表示されていた。  誰だろうか…と不審を覚えながら電話に出る。 「もしもし…橘です。」 「あ…慶介くんか…。」  電話口の声に聞き覚えがある、小さい頃よく遊んでくれた、朋美の父親だ。 「ど、どうしたんですかこんな時間に…まさか朋美に何か?」  言いながらベッドから飛び出す。急に動悸が激しくなった。 「落ち着いて聞いて欲しい…。」  朋美の父の声が、俺に冷水を浴びせた。体が震える。  この前置き、明らかに良くないことだ…朋美に何が…  考えれば考えるほど、身体を寒気が襲う。 「朋美が…。手首を切った…。いま病院だ。慶介くん…来れるかね?」  朋美が…手首を…?何故だ、何が起きた。  その言葉で一瞬でパニックに陥ったが、なんとか病院の場所をメモし  俺は寝間着代わりに着ていたスウェットから着替えて、家を飛び出した。  大通りまで走り、なんとかタクシーを捕まえると病院名を告げた。  何故、何が、どうして…以外の考えが浮かばない。  ようやく、付き合えるようになり、幸せな時間を過ごしていたんじゃないのか朋美。  明博ともいずれは仲直りできる可能性を伝えたじゃないか。  朋美…朋美…朋美…  愛おしい彼女の姿が浮かぶ。笑った顔、はにかんだ顔、悲しそうな顔、怒った顔、思い出せば思い出すほど、胸が苦しくなった。  まだか、まだ着かないのか。このタクシーの運転手、わざとゆっくり走っているんじゃないか…  理不尽な怒りが心にわきあがり、怒鳴りつけそうになるのを辛うじて抑える。  永遠かと思うほどの時間をかけて、タクシーは病院へと到着した。 「釣りはいらない!」  つりを受け取るのももどかしい、おれは5,000円札を押し付けるように渡すと、開いたドアから飛び出す。うしろから運転手が何か言っているが知ったことではない。  守衛口から病院内に駆け込む俺を、迷惑そうな顔で守衛が見送っていたが、しったことか。一秒でも早く朋美に会いたい。それ以外に考えることが出来なかった。  人気のないくらいロビー、そこに朋美の両親がいた。  見たこともないような顔をして俺を待っていた。 「あ…あの、と…朋美は…。」  声が情けないほどに震えている。 「かなり深い傷だったようだけど…出血も多かったけど…命に別状はないと…。」  母親のほうが伝えてくれた。しばらく入院する必要があると付け加える。  朋美に似た面影を持つ母親は、憔悴しきっていた。  いつも優しく笑いかけ、俺や明博を実の子供のようにかわいがってくれた、朋美の母の顔に深い悲しみ苦悩が刻まれていた。  不意に朋美の父が立ち上がり目にも留まらぬ速さで俺の顔面を殴りつけてきた。  不意をつかれた俺は、思い切り吹き飛ばされ、床に倒れ込んだ。 「橘くん…、朋美は…君とお付き合いをしていた、それに間違いはないな?」  確認する口調じゃない。詰問する口調だった。 「は、はい…俺は朋美と…。」  言いかけて瞬間、次の衝撃が俺の右頬に与えられ、再度床に倒れる。 「では何故このようなことになっているんだ!なぜ朋美は…朋美は!」  2度3度、俺の顔に衝撃が加わる。  怒りに任せて拳を振るうおじさんを、おばさんが必死に止めていた。 「なぜ朋美は自殺を選ばなければならなくなったんだ!!!」  おじさんの言葉が、俺の胸を貫いた。 「じ…さつ…?」  呆けたように言ってしまった。 「朋美は…君と一緒にはなれないとだけ、メモを残し、手首を…。」  おばさんが教えてくれた。その言葉を俺は冷静に聞くことが出来なかった。 「お前は…娘を…守ってくれるんじゃなかったのか…娘を追い込んで…なにが…したかったんだ…娘の何が気に入らなかったんだ…。」  おじさんは遂に俺を殴るのを止めて泣き崩れてしまった。  重苦しい雰囲気が俺たちを包む。  つい先日まで、恋が実り、幸せを噛み締めていた俺たち。  恋が実り幸せそうな娘を見て、幸せを感じていた両親。  そんな俺達が今、この世界で最も地獄に近い場所にいた。



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忍び寄る刃

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 それから1月ほどの時間が流れた。  俺はいつもどおりに仕事にでかけ、休み時間や帰宅時にマメに朋美に連絡を入れていた。そしてお互いの空き時間が合う時はカフェに立ち寄ったりしていた。  そんな平穏で当たり前の日常が続いていたのだが、ここ3日ほど朋美と連絡がつかなくなっていた。  電話をしても出ない。メッセージアプリには既読がつかない。  家を訪ねても、彼女の両親から今は会いたくないと言っていると言われてしまう。  何があったのだろうか、俺が何かしてしまったのだろうかと不安な気持ちに押しつぶされそうになりながら、でも朋美を、朋美が俺に向けてくれた15年もの愛情を信じて耐えていた。  耳障りな電子音が鳴り響く。  無理矢理に眠りから覚まされた俺は、苛立たしい感情を押さえてスマホを手に取る。  会社からの緊急連絡かもしれないと思うと、無下には出来ないからだ。  だがディスプレーには見慣れない携帯番号が表示されていた。  誰だろうか…と不審を覚えながら電話に出る。 「もしもし…橘です。」 「あ…慶介くんか…。」  電話口の声に聞き覚えがある、小さい頃よく遊んでくれた、朋美の父親だ。 「ど、どうしたんですかこんな時間に…まさか朋美に何か?」  言いながらベッドから飛び出す。急に動悸が激しくなった。 「落ち着いて聞いて欲しい…。」  朋美の父の声が、俺に冷水を浴びせた。体が震える。  この前置き、明らかに良くないことだ…朋美に何が…  考えれば考えるほど、身体を寒気が襲う。 「朋美が…。手首を切った…。いま病院だ。慶介くん…来れるかね?」  朋美が…手首を…?何故だ、何が起きた。  その言葉で一瞬でパニックに陥ったが、なんとか病院の場所をメモし  俺は寝間着代わりに着ていたスウェットから着替えて、家を飛び出した。  大通りまで走り、なんとかタクシーを捕まえると病院名を告げた。  何故、何が、どうして…以外の考えが浮かばない。  ようやく、付き合えるようになり、幸せな時間を過ごしていたんじゃないのか朋美。  明博ともいずれは仲直りできる可能性を伝えたじゃないか。  朋美…朋美…朋美…  愛おしい彼女の姿が浮かぶ。笑った顔、はにかんだ顔、悲しそうな顔、怒った顔、思い出せば思い出すほど、胸が苦しくなった。  まだか、まだ着かないのか。このタクシーの運転手、わざとゆっくり走っているんじゃないか…  理不尽な怒りが心にわきあがり、怒鳴りつけそうになるのを辛うじて抑える。  永遠かと思うほどの時間をかけて、タクシーは病院へと到着した。 「釣りはいらない!」  つりを受け取るのももどかしい、おれは5,000円札を押し付けるように渡すと、開いたドアから飛び出す。うしろから運転手が何か言っているが知ったことではない。  守衛口から病院内に駆け込む俺を、迷惑そうな顔で守衛が見送っていたが、しったことか。一秒でも早く朋美に会いたい。それ以外に考えることが出来なかった。  人気のないくらいロビー、そこに朋美の両親がいた。  見たこともないような顔をして俺を待っていた。 「あ…あの、と…朋美は…。」  声が情けないほどに震えている。 「かなり深い傷だったようだけど…出血も多かったけど…命に別状はないと…。」  母親のほうが伝えてくれた。しばらく入院する必要があると付け加える。  朋美に似た面影を持つ母親は、憔悴しきっていた。  いつも優しく笑いかけ、俺や明博を実の子供のようにかわいがってくれた、朋美の母の顔に深い悲しみ苦悩が刻まれていた。  不意に朋美の父が立ち上がり目にも留まらぬ速さで俺の顔面を殴りつけてきた。  不意をつかれた俺は、思い切り吹き飛ばされ、床に倒れ込んだ。 「橘くん…、朋美は…君とお付き合いをしていた、それに間違いはないな?」  確認する口調じゃない。詰問する口調だった。 「は、はい…俺は朋美と…。」  言いかけて瞬間、次の衝撃が俺の右頬に与えられ、再度床に倒れる。 「では何故このようなことになっているんだ!なぜ朋美は…朋美は!」  2度3度、俺の顔に衝撃が加わる。  怒りに任せて拳を振るうおじさんを、おばさんが必死に止めていた。 「なぜ朋美は自殺を選ばなければならなくなったんだ!!!」  おじさんの言葉が、俺の胸を貫いた。 「じ…さつ…?」  呆けたように言ってしまった。 「朋美は…君と一緒にはなれないとだけ、メモを残し、手首を…。」  おばさんが教えてくれた。その言葉を俺は冷静に聞くことが出来なかった。 「お前は…娘を…守ってくれるんじゃなかったのか…娘を追い込んで…なにが…したかったんだ…娘の何が気に入らなかったんだ…。」  おじさんは遂に俺を殴るのを止めて泣き崩れてしまった。  重苦しい雰囲気が俺たちを包む。  つい先日まで、恋が実り、幸せを噛み締めていた俺たち。  恋が実り幸せそうな娘を見て、幸せを感じていた両親。  そんな俺達が今、この世界で最も地獄に近い場所にいた。



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