戦いの火蓋
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大きな枯れ木の影で、勇斗たちは息を潜めていた。 荒地の中央には神殿のような建造物が見えた。奥には祭壇。天井は崩れ落ち、瓦礫が散乱している。完全な廃墟だった。 「うわっ、あいつらだ」 神殿の周辺を、見覚えのある魔族がウロウロしていた。小さな人型で醜い容姿。手には小さな斧や槍を持っている。 「あれは、ゴブリンだな」 ミュールが小声で言う。 「いっぱいいるよぅ。やっぱり帰ろうよ」 勇斗は以前ゴブリンに襲われたことを思い出した。途端、剣を握った手が震える。 「なーに言ってんだ。ジジイとの訓練で見せた勢いはどこいったんだよ」 ランパはジト目をしながら、精霊樹の枝で勇斗の頬を突っついた。 「うぅ――」 「大丈夫。オレがサポートしてやるから」 両腕に装着された爪付きのガントレットを、ミュールは静かに鳴らした。 「ミュール、そんな軽装で大丈夫なの? ケガしやすいよ」 「動きやすさ重視なの」 ミュールの防具は紫の服の上から装着された鉄の胸当てのみだった。バルーンパンツのスリットからは生足がチラリと見えている。 「オイラは防具も何もつけてないけどなー」 ランパはマントをひらひらさせる。 「チビスケは精霊だから大丈夫だろ。あ、でもこの前は血まみれだったっけ」 「チビって言うなワンコ。オイラだって怪我すりゃ痛いんだ」 「誰がワンコだ。オレはミュールって名前がちゃんとあるんだよ」 「オイラもランパっていう名前がちゃーんとあるんだぞ!」 二人の言い合いがエスカレートする。 「ギギッ」 ゴブリンたちは周囲を探り、何かを感じ取ったように三人が隠れている場所に、ゆっくりと向かってきた。 「ひぃっ、こっちくる。見つかっちゃうよ」 勇斗は声を振るわせ、周りをキョロキョロした。 「どうせ全部やっつけるんだから、関係ないだろー」 「そうだな。行こう、ユート」 ミュールはキリッとした表情で、勇斗の背中を叩いた。 「しょーめんとっぱだーっ!」 「あわわっ」 三人はゴブリンたちの前に躍り出た。 金属同士が擦れる音。 勇斗は斧を持ったゴブリンと対峙していた。 「キキィッ!」 ゴブリンは大きく飛び上がり、勇斗に向かって斧を振り下ろした。 「うわっ」 勇斗はゴブリンの攻撃をあわあわと避けた。斧が勢いよく地面に突き刺さる。 「い、今だ」 地面に刺さった斧を抜こうとあたふたしているゴブリンの背後から、勇斗は剣を振り下ろした。 肉を切る感覚。 「ギャァァ」 ゴブリンの後頭部から背中にかけて、一筋の切れ目が入る。飛び出た黒い液体が、勇斗の鎧を汚した。 心臓の鼓動がはやくなる。 ゴブリンは何度かピクピクした後、動かなくなった。 「――ごめんなさい」 勇斗は吐き気を我慢しながら、呟いた。 「ユート、そっちに何匹か行った!」 ミュールの声が聞こえる。ハッとして顔を上げると、三匹のゴブリンが赤い目を光らせ、走ってきていた。 「うわっ、いっぱいきた」 勇斗は剣を構え直し、剣先をゴブリンに向けた。 やらなきゃ、やられる。ここはそんな世界なんだ―― 「うっ、うおおっ」 勇斗は雄叫びをあげた。 夕日が、大地を赤と黒に染めていた。 「はぁ、はぁ、はぁ」 荒い息を吐く勇斗の持つ剣の先から、ポタポタと黒い液体が垂れている。 目の前のゴブリンが、サラサラと消えていく。嫌な匂いが、鼻腔を刺激した。 「おーい、ユート。何匹倒した?」 ランパが蔦でがんじがらめになったゴブリンの頭部をナイフで刺しながら、声をあげた。 正直、何匹倒したかなんて覚えてもいなかった。魔族は死ぬと消えてしまうので、死体の数を数えることもできない。 「わからない。もう、フラフラだよ」 勇斗は力なく言う。 「ユート、危ない!」 「えっ?」 側頭部に衝撃が走る。目がチカチカした後、顔面が地面に衝突した。 「ぐぁっ」 「ギギィ!」 棍棒を持った一匹のゴブリンが、勇斗に馬乗りになる。さらに、短剣持ちが二匹が走って近づいてきた。 や、やられてしまう―― 「はぁっ!」 ミュールの放つ掌底が、ゴブリンをユートの体から引き剥がす。くの字で飛び、勢いよく石壁にぶつかったゴブリンは短い悲鳴を上げ、消滅した。 「ギギーッ」 ゴブリン二匹がミュールに飛び掛かる。ミュールはすぐさま体勢を変え、ゴブリンたちに鮮やかな回し蹴りをお見舞いした。 モッケ流格闘術――モッケ族はスピードを活かした格闘術が得意だと、朝の支度の際にミュールは言っていた。 「大丈夫かユート」 「あ、あぁ、うん。ありがとう」 勇斗はミュールの手を掴み、体を起こした。ズキズキと頭が痛む。 「血は、出てないようだな」 「うん、これが衝撃を和らげてくれているみたい。ちょっとズキズキするけど」 勇斗は頭に付けたサークレットを触る。一般的な兜に比べて頭部を守る範囲が狭いが、見えない障壁が展開されているようだ。致命傷を防いでくれるのは有り難い。 「静かになったな。これで全部か?」 「あ、あそこにまだいるよ」 祭壇に三匹のゴブリンがいた。短剣片手に、勇斗たちをじっと見つめている。 「襲ってこないのか?」 ゴブリン達は短剣を自身の喉元に突きつけ、ニヤリと笑った。 「え」 祭壇が黒い血で染められていく。 その瞬間、大地が揺れた。 「な、なに?」 神殿の祭壇付近の地面に亀裂が入る。やがて地面は崩れ、ポッカリと大穴が空いた。 巨大な爪と腕。低い唸り声。 穴の中から、得体の知れないものが這いずり出てきた。 「マジかよ。じーちゃん、これも倒せっていうの?」 いくつもの拘束具で繋がれた怪物が、姿を現した。顔だけで勇斗の身長と同じくらいある。目は赤く光り、大きく開いた口からは鋭い牙を覗かせていた。 「ギャオオオオオオオオウ」 巨大な怪物は、拘束具を引きちぎり、地上へと踊り出た。巨大な腕を天に掲げ、ヨダレを垂らしながら咆哮を放つ。 「お、大きい。こんなのどうやって倒すんだよぅ」 怪物は見かけによらず、素早い動作で巨大な腕を、勇斗めがけて振り落とした。 「わっ」 間一髪、避けることができた。しかし、怪物の腕が地面に叩きつけられた際に発生した衝撃波を浴び、派手に転んだ。 「はぁっ、はあっ」 地面が大きく陥没していた。あの攻撃をもろに食らっていたら、いくら頑丈な鎧を着てるとはいえ、ただでは済まなかっただろう。 「に、逃げようよ」 「いや、辺りに結界が張られている。オイラたちは檻の中にいる状態だ。喰われる前に倒すしかねぇ」 「そ、そんなぁっ!」 怪物は腕を地面につけたまま、顔を勇斗に向ける。 「ひっ」 「ユート、はやく立て!」 ミュールは素早く怪物の真横に移動し、掌底を放った。 「ぐっ、固いっ」 ミュールは腕を押さえつつ、怪物から距離をとる。 「こりゃ、倒すのに骨が折れそうだ」 怪物は時間をかけて巨体を起こし、ミュールを睨みつける。巨大な腕が、再び振り下ろされた。 「よっと」 ミュールは地面を蹴って跳躍。攻撃を避けた後、怪物の背後に回り込み掌底の三連撃を叩き込んだ。 「ギャオオオオッ」 怪物の悲鳴。 「やっぱり固いな」 「でも、苦しんでるみたいだぞ。動けなくしてからタコ殴りだ」 ランパは蔦を怪物の周囲に出現させ、四肢をぐるぐると縛った。身動きがとれなくなった怪物は叫びを上げ、じたばたする。 「いけ、ユート、ワンコ!」 「う、うんっ」 「だからワンコじゃないって」 勇斗の斬撃とミュールの打撃が次々と放たれる。確実にダメージは入っている様子だった。しばらく攻撃を続けていると、怪物は口を大きく開けたまま動かなくなった。 「た、倒したの?」 「いや、何だか様子が変だ」 怪物は大きく息を吸い込む。徐々に体の色が赤く変色する。完全に赤くなった怪物の顔が、勇斗に向けられた。 「やばい、ユートッ!」 ミュールは両手で勇斗の体を突き飛ばす。同時に、怪物の口から燃え盛る火炎が吐き出された。 「ぎゃああああっ」 炎の直撃はまぬがれた。 しかし、ミュールの下半身は煙を上げ、真っ黒になっていた。 「ぐっ、あうぅっ」 ミュールの口から悲痛な喘ぎ声が漏れる。 「ミュール!」 「ギャオオオオオッ!」 怪物は絡みついた蔦を無理矢理引き剥がした。巨大な腕を大きく振り上げる。 「あ――」 ランパが動く前に、勇斗とミュールは薙ぎ払われた。巨大な腕によるフルスイング。重たい音が鳴り、二人の体が紙のように吹き飛ばされる。 「がはぁっ」 勇斗は地面を何度も転がった。体全体に痛みが走る。 「ぐっ、ぐうう」 ふらつきながらも、何とか立ち上がることができた。体全体が悲鳴を上げている。幸い、骨は折れていないようだった。 「そうだ、ミュール――」 ミュールの姿を見て、青ざめた。痙攣し、白目をむいている。石柱に激突したようで、頭から血を流していた。 「ミュール、ミュール!」 勇斗の呼びかけに、ミュールが応じることはなかった。 「ひでぇな、こりゃ」 ランパは蔦で再び怪物の動きを止めつつ、駆け寄ってきた。 「ランパ、どうしよう。ミュールが死んじゃうよ」 「落ち着け、ワンコはオイラが見ておく。ユートはデカブツをなんとか倒せ」 ランパは大きな葉っぱを生成する。葉からこぼれた煌めく雫が、ミュールの体を徐々に浸していった。 「なんとかって――」 ふと、勇斗は体が軽くなった気がした。どういうわけか、体の内側から力がみなぎってくる。 「オイラの精霊術で三分間だけ、ユートの身体能力を強化した。もう、これでオイラのマナはカラッポだ。時間がない、行け、ユート!」 「えっ、あっ」 「ギャオオオオオオオオウ!」 全ての蔦を引き剥がした怪物は、勇斗を見下ろした。 圧倒的な存在感。体全体が震える。 この状況、戦うことができるのは僕だけ。僕がやらなきゃ、みんな死んでしまう―― 勇斗は大きく深呼吸する。 そして、剣を構えた。 「うおおおっ!」 勇斗は走った。体が軽い。いつもの倍以上の速さで動くことができる。 「グオオオッ」 咆哮と共に怪物の腕が、勇斗に向かって振り下ろされる。 ロンさんは相手の動きをよく見ろって言ってた。あいつは攻撃の後、次の行動に移るまでに時間がかかる。そこを狙えば―― 「はっ」 怪物の渾身の一撃をかわしつつ、地面にめり込んだ巨大な腕に斬撃を繰り出す。 「はああっ」 怪物が体を起こすまでの間、勇斗の剣は怪物の固い皮膚を次々と切り裂いていった。 「グオオオオオッ」 脚を切り刻まれた怪物は、咆哮を上げながら地面に倒れ込み、動かなくなった。 やったか。いや―― 徐々に、体の色が赤く変色していった。ブレス攻撃の前兆だ。さっきよりも変色のスピードがはやい。怪物の顔は、倒れたミュールとへたり込んでいるランパの方へと向いていた。 まずい、このままじゃ二人が。守らないと―― 「うおおっ!」 勇斗は怪物の正面へと回り込んだ。剣を振り上げ、顔面を縦一文字に切り裂く。 「グギャアアアアアアッ」 断末魔。同時に、完全なる赤。怪物の口から溢れ出した灼熱の炎が、勇斗を焼いた。 「うがああああああああっ」 熱い。息ができない。激しい痛みが、全身を襲う。 まけて、たまるか―― 勇斗は踏ん張り、剣を怪物の額に突き刺す。刃は、深々と怪物の内部へと侵入していった。 刹那、巨体が轟音と共に爆散した。 「がはぁっ!」 勇斗の体が宙を舞う。鎧の破片を撒き散らし、背中から地面に叩きつけられた。 戦場が静寂のもと、夕日に照らされる。 勇斗は大の字で倒れていた。全身から黒い煙を噴き上げている。目は、虚ろだった。 「おーい、生きとるか?」 勇斗の顔を、三つ目が覗き込んだ。 「ロン、さん――」 「よくやったの」 「はい、やりました」 細く、かすれた声。勇斗は静かに微笑んだ後、目を閉じた。 「無茶しよって」 地面に突き刺さった聖剣クトネシスがオレンジ色の光を浴び、きらりと輝いた。
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